一週間後に福島の会津若松で行われた全国大会で、阿佐高は日本中の強豪校と一緒に泳ぎ、下位の成績で終えた。
タイムは津村が復活した分東京都大会よりもよかったが、それでも優勝校より十秒近く遅かった。距離に換算すると一五メートルほど離されたことになる。
堀内はもうベストパンツをはけなかった。東京都大会のリレーの後、ついに破れたのだ。新しいパンツで泳いだ堀内は、それでも自己ベストをマークした。
津村は個人種目の一〇〇メートル平泳ぎと二〇〇メートル平泳ぎ、どちらも全国大会では通用しなかった。
福島での僕たちは、勝負よりも参加することに意義を見出す発表会のようなものだった。
ただ一人、秋吉だけは二〇〇メートル個人メドレーで六位に入賞した。弥生高の岡林、桜桃高の石垣には勝ったが、桜桃の一年生にはここでも敗れた。

 全国大会を最後に僕たちは水泳部を事実上引退し、受験勉強に勤しむ生活に入った。
しかし、気持ちの切り替えはそんなにかんたんではない。全国大会を目指して泳ぎつづけた水泳部生活のような高揚感は勉強から得ることはできず、無気力状態になった僕は、放課後の練習もないのに教室で毎日居眠りを続けた。
なんとか気持ちを切り替えようとはした。しかし、どうすることもできない。そんな自分を自分が好きになれず、ばつが悪いので、推薦入学が決まっていた圭美に話しかけるのはためらわれた。

 秋の気配が深まり、水着の跡も薄れた十月、帰宅してポストをのぞくと圭美からの手紙が届いていた。
青い便箋には、くっきりと黒いインクで別れの言葉がつづられていた。


石神君へ

お元気でしょうか?
毎日学校で顔を見ているのに、お元気でしょうか? なんて訊くのはおかしいけれど、教室での石神君は居眠りばかりなので気になっています。
クラスの女子たちは夏休み前に水泳部の練習に備えて眠ってばかりいた石神君と同じだと思っているみたいです。でも、プールで力強く泳ぐ姿を知っている私には一学期の石神君と今の石神君は別の人に見えます。

 今日は石神君に伝えなくてはいけないことがあります。
福島での全国大会の後、私にはいろいろなことが起こりました。
そして、石神君とこのままお付き合いできなくなりました。
ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。
こうしてお別れの手紙をつづっておきながら矛盾するけれど、石神君のことは今も好きです。毎日毎日あの第一コースで朝から夕方まで泳ぎ続ける姿、東京都大会のリレーで最後の最後に弥生高の選手を抜いて勝った姿は、今も私の心に強く焼き付いています。石神君と一緒に夏を戦えたことは私の誇りです。
そして、二人で涙を流した『ラスト・ワルツ』は、きっと一生忘れられない映画になると思う。石神君が好きだと言った「イット・メイクス・ノー・ディファレンス」、そして帰りに歩いた日比谷公園の蝉の声は、今も私の胸の中に響いています。
ただ、ひと夏を超えて、九月を迎えても、私は木下さんを忘れることはできませんでした。忘れようと思えば思うほど心の中の木下さんの存在の大きさを知り、苦しみました。

きっとすぐにわかってしまうから、自分から打ち明けます。私は今、木下さんとお付き合いをしています。
福島での全国大会の最後の夜、私は弥生高が宿泊しているホテルを訪ねました。もう会えなくなる木下さんにお別れを言うつもりでした。
でも、彼の顔を見たら、だめでした。さようならの言葉まで考えていたのに、正反対の態度をとってしまいました。年上への甘えもあったのでしょう。彼を忘れられない思いをありのままぶつけてしまいました。私はそのまま朝まで泣きつづけました。あんなに泣いたのは、幼稚園生のとき以来だったと思います。

水泳部での私、石神君の前での私はたぶん強い女でした。でも、それは強がっていただけ。ほんとうは自分よりももっと強く大きな誰かに抱きしめていてほしいことを福島で知りました。
 石神君のおかげで私はきらきらした夏を体験させてもらえました。
お話できなくなるのは悲しいことです。でも、これきりがいいと思いました。
たぶん明日も教室で顔を合わせるのに変かもしれないけれど。
さようなら。
受験、頑張ってください。応援しています。
星野圭美


その日から、僕はただ苦しく、食事をしても味がわからなくなった。
 圭美からの手紙がていねいな言葉でつづられていたこと、そして彼女にとっての僕が「賢介」ではなく「石神君」に戻っていたことにひどく傷ついた。
読み終えて、東京都大会初日の帰り、喫茶店から去る木下の後ろ姿を目で追った圭美を思い出した。それまで見たことがないほどせつなげな彼女の表情を。
「福島へ行って、賢介はもっと強い賢介になるんだよ」
圭美の言葉がよみがえった。全国大会へ行ったことが、水泳とは別の試練を僕にもたらした。いや、きっとそうではない。福島へ行かれても行かれなくても、おそらく圭美と僕との関係は終わりを迎えたに違いない。
 福島の最後の夜、僕は圭美と一緒に過ごしたくて、ホテルの彼女の部屋に電話をした。しかし、何度かけてもコール音がくり返されるだけだった。
圭美は疲れて眠っている――。そう思おうとした。でも、落ち着かず、部屋を訪れようともした。しかしあの時、心の中のもう一人の僕がそれをやめさせた。取り返しのつかないことになる予感があったのだ。
ふられた事実よりも、福島で木下と圭美がどんな夜を過ごしたかを考えてしまい、僕は苦しんだ。木下の長身が、長い腕が、僕が見たことがない裸の圭美を朝まで抱きしめていていた。それを想像すると、気が狂いそうになった。木下のバランスよく筋肉がついた裸身を知っていることで、僕の苦しみは増幅した。
別れの手紙に返事は書かなかった。自分を貶める内容をつづってしまう気がしたのだ。
ほどなく、木下が岡林と別れたとも聞いた。受験勉強に集中するために岡林が別れを切り出したという噂だったが、真実はわからず、また知りたいとも思わなかった。
圭美とはその後も教室で顔を合わせたが、言葉は交わさなかった。話をしたらどういう態度をとってしまうのか、自分が怖かったのだ。

 ふられる前に一度だけ、圭美と口づけをした。水泳選手として戦った余韻が残る全国大会の直後、渋谷に映画の試写会を観に行った帰り道だった。映画は『グッバイガール』というアメリカのロマンティックコメディ。ニール・サイモンの原作で、マンハッタンが舞台の、男に逃げられてばかりの子連れの女ダンサーと売れない役者が結ばれるまでを描いた物語だ。ラストシーンでデヴィッド・ゲイツが歌う主題歌がよかった。
 映画の帰り、圭美と僕は山手線の原宿駅方面へ向かう林の道を並んで歩き、秋の虫が鳴く木陰で、かすかにくちびるを重ねた。僕はものすごくぎこちない動作だったと思う。肩も寄せず。触れたか触れないかわからないほど短い口づけだった。
そのとき、あれは気のせいだっただろうか。夜なのに、蝉しぐれに包まれたように感じた。
圭美のTシャツの大きく開いた首まわりから、焼けた素肌がのぞいた。水着の肩ひもの跡が残っていた。同じ夏を、同じ時間と感情を共有したしるしだった。
「ごめんね……」
 離れた時、圭美が目を伏せてつぶやいた。あの時、彼女の心はすでに決まっていたのだろう。