スガワラの河合シフトに我等の介入の余地は無かった。チューニビョンの経過確認すら憚れ、ワタクシは積まれた案件を粛々こなす日々である。出張も入る。それにしても第六感が敏感になり過ぎて困る。

「おっ。仕事進んでるねえ」
「視え過ぎてめっちゃ疲れます。リンキーさん、ワタクシに何か一服盛ったんじゃないスか」
「さあねえ」
 非常に不安になり保険管理センターに駆け込んだが、診断結果は異常無しであった。


 大家と岩野田は茨木の意思を尊重し、これまでの江口への評価を一掃している。
 茨木の一目惚れが氷川商の合格発表時と聞き「入学前ならば仕方あるまい」「本能ならば抗えまい」と納得、今後の協力を願い出たのである。

「でも江口は岩野田を」(女子常識の建前問答)
「違うよ。私はオカンカテだよ」(江口の意向一方通行)
「岩野田には素敵彼氏がいるよ」(現時点での共通認識)
 微調整を経て、今後のプランも成立した。

 二回戦の対戦相手は強豪であった。
 留守番組も一縷の望みを抱いて待機していたが、午後過ぎに惜敗の一報。選手達の帰校が明後日と決まり、落胆の中、急ぎ慰労会の準備に入った。

 大家は会場予定の議会室と備品予約に職員室へ、岩野田と茨木は保護者代表に指示を仰ぎ、買い出しリストやOBへの連絡準備に走る。級友達とのパーティとはまた違う、パブリック会食の支度である。

 明後日が例の七月三十一日なのは何の因果か。

「弟から聞いたよ。中学もこの日が全道決勝でしょ。岩野田は氷川中の応援に行かないと」
 調理室で什器を数えながら、茨木にも促される。
「無理だよ。だって慰労会の日だよ」
「岩野田は誕生日だから、バースデイ休暇が取れる筈だよ。労働者の権利は守れって先輩達も言ってたじゃん」
 商業高校らしい素晴らしい伝達である。

「でも一年マネが休むなんて」
「午前の設営準備までいれば大丈夫。後は私達で手は足りるし、岩野田も観戦には間に合うよ」
「でも」
「岩野田が休暇を取らないと、他の一年も取れないんだよ」
 大正論であった。

「それに最近の岩野田は寂しそうに見えるよ。河合君とちゃんと会えてる?」
 癒し系の茨木に優しく聞かれたら、心情を溢したくなるのも致し方なかろう。

 だが全容を聞いた茨木は苦笑し、岩野田を労わった。
「八つ当たりされて大変だったね。でも『好き過ぎる』だなんてめっちゃ惚気だね」
 目が覚めるような慮りである。

「河合君は責任が重いから、色々抱えて大変だろうね。話を聞く度にうちの弟と同級なのに全然違うって感じるもの。でも岩野田にあたるのは困るね」
「うん、コドモだよね」
 少しホッとしたら軽口も出る。肩の力も抜けてくる。

「河合君も今頃きっと気まずいと思うよ。やっぱり岩野田は決勝に行かなくちゃ。早く仲直りしな」
 茨木は岩野田の背中を押す。

「話はそこの角から全て聞かせてもらった。岩野田は観戦すべきだよ!」
 いつの間にか戻った出歯亀・大家にも大いに承認され、岩野田の心は千千に乱れる。



 揺れる岩野田を更に揺さぶる着信音が鳴ったのはその日の夜、発信者は江口であった。

「負けちゃった。ゴメンな」
 明るく振舞おうとしているけれど、声のトーンがいつになく重い。
「江口、今どこ?」
「宿舎のランドリーコーナー。オレ、ちゃんと自分で洗濯してたんだよ」
「よしよし、お利口でした」
「良かった。おかあさんに誉められた」
 お互い少し笑った後、江口はまた「ゴメン」と言った。

「江口が謝ることなんて何もないよ。活躍してたって聞いたよ。お疲れ様でした」
「でも最後、止められなかった」
 試合後半のカット失敗を悔いている。今は何を言っても慰めにはならないのであろう。岩野田は端末を握りなおす。

「あのさ岩野田さん」
「ん」
「ダメ元でさ、マジに河合に頼んでよ。二年後に氷川商に来てくれって。出来たら大澤も」
 江口からそんな話を聞くなんて、思ってもみなかった。

「オレ、アイツらの凄さがよくわかった。今までも理解してるつもりだったけど、自分が全国で試合して初めて実力差がわかった。オレ等、何もかも全然足りなかったさ」
 江口は今どんな気持ちで言っているのだろう。

「でもアイツ等は有名校からの推薦めっちゃ来てるだろ。ウチなんか眼中にないのも分かってる」
 江口だって努力していた。岩野田はよく知っている。
「わかった」
 真摯な声に、出来ないとは言えない。
「河合君に必ず伝えるね。またガンバろうね。早く帰っておいで。みんな待ってるよ」


「見守りすんだかな。お疲れの所悪いけどちょっといいかい」
 帰社したワタクシに遠慮がちに声掛けしたのはケンジさんである。

「茨木の指示書、三課に来たかな」
「江口への片恋ですか。本日到着分には無かったです。三課案件はもう因縁しか無くて」
 ケンジさんは唸った。
「噂は本当なんだ。じゃあ本来の初恋案件は何処が担ってるの」
「リンキーさん曰く、なすがままの自己責任展開へのシフトが始まっているそうです。妖精不足だから放置も仕方ないんじゃないかって」
「そんな乱暴な。情操教育ないがしろじゃないか。上はどうしたいんだ」
「ワタクシも激しく同意します。めっちゃ不安です」
「だよね。じゃあ同意ついでに末日の打ち合わせしようか。嫌な流れだなあ」

 ブツブツ言いながらもお仕事モードに入る。明後日中に河合と岩野田を終わらせ、続けて江口兄弟と岩野田の関係に移行しなければならない。ここに茨木の片恋も入るので、結構な激務になりそうである。

「ケンジさん、ワタクシ、一日で終わる気がしません」
「奇遇だね。僕もだよ。真田さんにヘルプを頼もうかなあ」
 ワタクシの掴んだビジョンとケンジさんの意向を照らし合わせた上で調整に入る。ケンジさんがスガワラ、マンガン社に式神を飛ばし、ワタクシは全母連の北支部に助力申請に出向いた。

 氷川中の決勝進出は至極当然であった。対戦相手は伸び盛りの太田率いる南中、予想通りであった。



 真田さんに助手の快諾をいただき、河合のチューニビョン残量も微量と判った。
 ワタクシは身の引き締まる思いである。始める時は勢いで突っ走れるが、片付け時はひたすら気力と労力。後は野となれ山となれ。安心立命でコトにあたる。

 マイ管狐の便りは未だ無かった。本日がタイムリミットなので、ひたすら辛抱であった。


「みかこおはよう。お誕生日おめでとう」
 岩野田の十六歳は母の起こす声で始まった。父は愛娘リクエストのスニーカーとベリータルトの夕方着を約束し、登校した部室では、大家と茨木がジュエルクラッカーで祝福する。

 二人からのプレゼントはお高め人気ブランドのキラキラボトル、可愛い水色ネイルである。
「ちゃんと岩野田の欲しがってたカラーでしょ」
「夏休みに塗るといいよ」
「嬉しい、二人ともありがとう!」
 三人揃って楽しい気分で慰労会の会場設営をこなす。
(よし、今日はみんなの気持ちを無駄にしないぞ!)
 そうだよそうだ。十六歳のスタートダッシュ、とくと見せていただこう。


 市民公園内にある総合体育館では、河合達が決勝前の調整真っ最中である。ここまで全戦快勝。対する南中は街中あげての応援団。強すぎる氷川中はヒール役であった。

 だが氷川中にとって、妬みなぞ痛くも痒くもない。全国制覇を目指す意識は既に遥か彼方を向いている。
「太田は要注意だけどな」
「全試合いい動きしてたしな」
 睨む大澤の目は鋭く、円陣の中心でハンドサインの確認をする河合は首長の貫禄である。

 外は快晴であった。北国の本格的な夏が館内冷房を跳ね飛ばす。集う生徒達の生命力の強さに似ている。ワタクシ達も汗だくであった。
「真田さんは今どこだって?」
「佐藤に憑いてこちらに向かっているそうです」
「そうか。今日は分刻みだけど皆で踏ん張ろうね」
 言いながらもケンジさんは確認作業で走り回り、ワタクシも河合の最終調整を試みた。
 スガワラの結界故に動けなかった昨今。なけなしのチューニビョンに掛けるべく、隙を見て結界のほころびを作る。


 河合は心の枷を払いたい。本日が目標達成へのひと区切り、佳境も重々承知である。無人の更衣室で河合は端末に触れる。校外活動中も所持は禁止の筈が、本日は偶然にも鞄のポケットに入っていた。ワタクシの采配ではあるが、表向きにはあくまでも偶然である。

 指がスライドする。頭の中で何度も打っていた文字が並ぶ。
 『岩野田さん、今更だけど、あの時はごめん。ずっと謝りたかったけど、言えなくてごめん』
 誰も入ってこないのを確認しながら、続けて打つ。
『今日、これから決勝です。終わったら、どこかで会えるかな』
 もう遅いかもしれないと覚悟をしながらも、
『出来たら話がしたいです。それから、お誕生日おめでとう』
 送信した後ロック、鞄の奥に隠す。ポーカーフェイスで会場に戻る。


 岩野田の端末が受信したのは地下鉄の公園駅改札前なのだが、残念ながら気付かずじまいであった。外気の熱風が地下鉄構内の湿度と絡み、更に人いきれが音を消したのである。
(ヤバいな。チューニビョンはもう切れてるわ)
 ここでアポを成立させたかった。江口兄弟との案件は氷川商慰労会後に発動予定である。

 更に終了書の効能も容赦が無い。岩野田に立ちはだかるは、応援に向かう氷川中の女子生徒達である。
 河合達のファンであろうか、岩野田を見かけるや否や、すれ違いざまに意地悪を飛ばす。

「あ、アイツ河合の」
「ええ、あの制服って氷川商?」
「マジか。河合の彼女ならもっと賢いとこ行けよ」
 なんたるお行儀の悪さ。ワタクシは苛立ちを覚えた。

(あのディスりって私の事かな)
 案の定、岩野田も突然の噛ませ犬の登場に面食らう。
(そうか、周りから見るとそう見えるのか)
 一瞬へこんだが、時間が押していたので見ないフリで通り過ぎる。

「は。ムシだし」
「だってオバサンだし」
「しかも氷川商だし」
 おいちょっと待て。オバサンとは何だ。「しかも氷川商」とはどういう了見だ。進学校だけが優秀と誰が決めた。許すまじ。言っていい事と悪い事があるぞ。

 ワタクシは女学生達の側面観を速攻で受信、管理センターに式神を飛ばした。彼女達には今後三年『ハズレコスメを選んでしまう呪い』を授けようではないか。良くない所業で妖精さんを怒らせると後が怖いのである。皆さんもよく覚えておくように。

 けなげな岩野田は無視を決め込む。調子に乗ったモヴ女子が更に罵ろうとした矢先、そこに素晴らしい助け舟が入った。

「みかこちゃん、会えてよかった!」
 ガチの美少女・佐藤ミヤコの登場である。華やかオーラに周囲の不快指数が一気に低下したのは壮観であった。

「わっ綺麗すぎる」
「可愛すぎる」
「勝てなさすぎる」
 一般モヴ女子の目が眩む。更に続けて
「岩野田さんこんにちは、合同練習会以来ですね」
 佐藤弟のリクも現れた。春先よりまた背が伸び、いい塩梅にキュートイケメンに成長を続けている。

 王子様は燦然と輝く笑顔でレモンミストに似た清涼感をまき散らした。
「うっそ」
「やばくね」
「最高姉弟かよ」
 文句のつけようのない魅力を目の当たりにし、件の女子生徒は紅潮し硬直した。
 佇まいを整えお淑やかにならざるを得ない魔法。誰もが本能に忠実になるであろう。

「カワイさんお疲れ様。今日のモヴはタチが良くないわ。終了書のせいね、きっと」
 姉弟の背後には、真田さんがデカいバズーカを所持して不敵に笑っている。

「こんなこともあろうかと、今日は佐藤姉弟に後光バリアを足しておいたの」
「あ、ありがとうございます!」
「普段の佐藤姉弟には要らないんだけどね。岩野田にも必要なさそうだけど、今日は特別な日だったわね。ハッピーバースデー」

 真田さんはバズーカを構えると、岩野田に向かいラメ入り弾丸を発射した。
 ぴちぴちの十六歳はいつも以上にピカピカになった。