見おろすと駐車スペースに1台の車が停まるところだった。
あれは……パトカーだ。

勢いよく開いたドアから、警官が三名飛び出し、あとからスーツ姿の男性が降りてきた。あれは……鈴木刑事だ。

そのうしろにも数台のパトカーが続いている。
再び緊張が走る。ひょっとしたら直樹になにかが……。

急いで席に戻るとこっそりスマホを取り出し直樹にメッセージを打つ。

【お兄ちゃん、今なにしてる?】

送信ボタンを押して、顔をあげる。
暖房のせいではなく頬が燃えるように暑い反面、背筋は凍えるほど寒かった。

既読が、つかない。
早く、早く……。

何度画面をチェックしてもなかなか既読にならない。
悪い想像ばかりが膨らんでいく。

「すみません、トイレに行ってもいいですか?」
耐え切れない不安に手を挙げた。

柊先生は、チラッとこちらを見るとうなずいてくれたので急いで廊下へ出る。階段まで走り、数段降りたところで直樹に電話をかけた。

直樹の好きな曲がのん気に流れている。
お兄ちゃん、早く出て!
スマホを握りしめる手が汗をかいているのがわかった。

途切れる音楽に続き、

「どうした、芽衣?」

直樹の声がした。

「お兄ちゃん? お兄ちゃんなんだね?」

「なに言ってんだよ。他に誰がいるんだ」

呆れたような声に、体中から力が抜けた。

よかった、なんともなかったんだ。

「もう! 既読にならないからなにかあったかと思ったじゃない」

「あ、メッセージくれてたのか。さっき叔母さん家について寝ちゃってたよ」

ひょうひょうとした口調に、ようやく安堵のため息がつけた。

「よかった……」
そのとき、階下がにわかに騒がしくなった。バタバタといくつもの足音が折り重なって聞こえる。

「あ……」

姿を現したのは、朝まで一緒だった鈴木刑事だった。私の顔を見るとハッと目を見開く。

「なんでここにいるんだ」

怒ったような口調の鈴木刑事のうしろには、警察官が数名控えている。

「……一体、どうしたの?」

ただならぬ緊張感があたりに漂っていた。

鈴木刑事は私の質問には答えずに振りかえった。

「先に行ってくれ」

彼らは黙って、私のそばをすり抜けて階段を駆けあがっていく。
狭い踊り場でふたりきり。

「どういうこと……? ねぇ、なにがあったのか教えてよ」

うわんと響く声に、鈴木刑事は苦い顔を浮かべた。

「……これから、事件の重要参考人を連行する」

「犯人がわかったの?」

「あくまで〈容疑者〉だ」

容疑者がわかったというのに、鈴木刑事は厳しい顔を崩さない。
ズキンと胸が大きく跳ねた。

ここにいるということは、学校に犯人がいるということ。
ようやくそこに思考がたどり着いたのだ。胸騒ぎが波のように何度も押し寄せても、私は言葉を発せずにいた。

長い沈黙の後、鈴木刑事は声をしぼりだすように告げた。

「柊我音を重要参考人として連行する」
一瞬、頭のなかが真っ白になった。
ひいらぎわおん……って柊先生のこと? どうして……?

冗談かと打ち消す言葉を待つけれど、鈴木刑事は顔を逸らせてしまった。

「あのアプリを作成したのは、柊だった」

「……ウソでしょう?」

「間違いない。それに井口が殺害された夜、有川たちを尾行していたのも、解析の結果、柊だと判明した」

「そんな!」

声を荒げたその時、再び足音が重なって聞こえた。
上の階から、警察官に伴われた柊先生がおりてきたのだ。

「先生!」

駆け寄ろうとする私を、鈴木刑事が遮る。

まるで生気がぬけたように階段を一段ずつゆっくりと降りてきた柊先生が、私を見て目線を伏せた。

「ウソだよね? ね、ウソでしょう!?」

腕を伸ばそうとしても、鈴木刑事の強い力に動けない。

「有川、すまない……」

そう言い残すと、柊先生は自ら階段をおりて行く。
ウソだよ。こんなの絶対にありえない。柊先生があのアプリを作った犯人ってこと? 

「どうして……どうしてこんなことになるのよ!」

私は鈴木刑事に抱えられたまま叫んだ。

「芽衣!」

階上から和宏が駆けおりてくるのが見えた。結菜と久保田、そして他の生徒たちの姿も。

私を引き離した鈴木刑事が、

「あとは頼む」

そう和宏に言うのが聞こえた。すぐに和宏に肩を抱かれる。

なにがどうなっているのかわからない。

いったい、なにが起きているの!?

柊先生の姿が見えなくなっても、私はただただ泣いているしかできなかった。



【第八章】「アンインストール」



【sideA' 香織】
「やっと会えたね、香織」

うれしそうにその男は言った。

ボサボサに伸びた髪に赤いパーカー姿。暗い照明のせいでその顔はあまり見えないけれど、わたしの知っている人じゃなかった。

「だ、誰……」

ガチガチと鳴る歯でなんとか尋ねるが、男は笑顔のまま微動だにしない。よく見ると、男の視線はわたしの少し上あたりをふらふらさまよっていた。

なにかブツブツつぶやいている。

この人が……ストーカーなの?

それともこれはわたしの見ている幻?

手にあるサバイバルナイフが赤黒く染まっていて、まるで元からそういう色だったかのよう。


そのときになってようやくわたしは気づいた。男の着ているパーカーは、元々は白色だということを。

返り血のせいで赤色になっているんだ……。

まるで落雷に打たれたかのように目の前が真っ暗になる。

「あなたがみんなを殺した……の?」

意思とは関係なく、口がそうしゃべっていた。
男はうつろな目でわたしを見るが、まだなにかつぶやいている。少し高い声……

ああ、これは歌を歌っているんだ。どこかで聞いたことのあるメロディだけど思い出す余裕もない。

ピタリと男が口を閉ざし、そしてまた開いた。もう、歌は聞こえない。
笑みをうかべたままで、

「そう。僕が殺したんだよ」

と、当たり前のように言った男が一歩足を前に踏み出した。

「だってこれから香織に会うのに邪魔だろ? 僕たちの本当の出会いは神聖なものにしないといけなかったから、仕方ないんだよ」

「仕方ない……そんな……」

「僕だって大変だったんだよ。ボランティアにまぎれこんで建物に入って、今までリネン庫に隠れていたんだ。ああ、もうすっかり夜なんだね」

また足を進める男に、わたしは同じ歩幅であとずさりをした。

「あなたがあの赤い手紙をわたしに送っていたの?」

「なにを今さら言ってるんだい。僕たち、ずっとつき合ってきたじゃないか」

「そんな、違う……」

冬と言うのに暖房のせいか、汗が頬に流れ落ちた。

うしろを見ると、カップルは廊下の隅で小さく震えていた。
「だけどね」

男の声に視線を戻す。

「香織は僕たちの清らかな恋を汚してしまった」

右手に持つナイフの先端を見やる男の声は低音に変わっていた。もう笑みも浮かんでいない。

「僕は君のために、心のすべてを捧げた。君だって喜んでくれていただろう?それなのに、君は僕を裏切ったんだ。こんな病院に逃げこんで、僕をシャットアウトしようとした」

「違う……。それは、違う」

「違わない!」

怒号がフロアに響いた。

「僕を翻弄し捨てようとしている。こんなに僕が想っているのに、お前は僕をだましたんだよ!」


向かい側にある部屋のドアが開いていることに気づいたのはそのときだった。

「香織ちゃん?」

寝ぼけ眼で立っているのはパジャマ姿の杏だった。叫ぶ声に気づき起きてしまったのだろう。

男がゆるゆるとそちらを見る。