帰るころには日付が変わろうとしていた。
私たちの足音が暗い路地に響いている。
「大輔さん、大丈夫なのかな……」
吐く息が白く宙に溶けていく。
「大丈夫だよ。俺たちの前では強がってたけれど、けっこうビビッてたと思う」
和宏がそう言うなら大丈夫な気がするから不思議。うなずく私に、和宏が首をひねった。
「しかし、犯人からああいう手紙が届いているとは驚いたよ。あんな赤い封筒、どこに売ってんだろ」
「でもさ、さっきの赤い手紙、なにか変じゃなかった?」
「どこが?」
「鈴木さんが見せてくれたのは、もっと血のように濃い赤色だった気がするんだけど。それに金色のふちどりもなかった気がする」
和宏は聞いているのかいないのか、両腕を抱いて寒そうにしている。
「それにさ、差出人が〈管理人〉になっていたよね? 裏BBSの署名は〈執行人〉じゃなかったっけ?」
「ああ、たしかに」
ようやく返事をした和宏に私は足を止めた。
「鈴木さん、なんで電話つながらないんだろう……」
「不安そうな顔すんなよ。てか、遅くなったついでだし、今から警察署行くか。その方が手っ取り早い。まあ、井口さんも今ごろ電話してるかもしれないけどな」
一瞬気持ちが傾きかけたが、すぐに冷静になる。
「こんな時間に行ったら、私たちのほうが補導されちゃう」
「それもそっか」
ニヒヒと笑う和宏はきっと私を元気づけようとしてくれている。
彼のやさしさばかりを感じている気がした。
もう一度振り返ると、もう大輔のマンションは暗闇に沈んで見えなかった。
ずいぶん酔っていた様子だったけれど、ちゃんと気をつけてくれるよね……。
前を向こうとしたときに、視界の端になにかが映った気がした。
あれ……?
「どうかした?」
いぶかしげな顔をしていたのだろう。顔を近づけて来た和宏に、
「和宏……前を向いたままで話を続けて」
と小声で告げた。さっき振りかえったとき、道のはしに誰かが立っているのを見た気がしたのだ。
「なんだよそれ」
「気のせいかもしれないけどね……。誰か、ついてきてるかも」
短く息を吸った和宏が「わかった」と答えた。
耳を澄ませても足音は聞こえないけれど、見間違いじゃなかったと思う。
「どうしよう……」
不安で声が震えているのが自分でもわかった。そんな私に、和宏が自然なそぶりで前方を見回す。
「たしかあの角を曲がれば、右手に古いアパートがあったと思う。手前が駐車スペースになってるから車のうしろに隠れよう」
「……うん」
寒いのに額に汗が浮かんでいる。
「大丈夫。俺が守るって言ったろ。ほら、準備して」
和宏の声にうなずくと、四つ角を右に曲がると同時に走り出した。
言われたとおり鉄筋の古いアパートがあり、その前にいくつもの車が停まっていた。
「こっち」
手を引かれて大きな白いバンのうしろに隠れた。尋常じゃないくらい恐怖が足元から這いあがってくる。
ゾワゾワとした感覚のなか、小さな足音が近づいてくるのが聞こえた。
やはり誰かがついて来てるんだ……。
車から顔を出すなんてできなかった。
自分の心臓の音がすぐ近くで聞こえている。
足音は私たちの前を通りすぎ、すぐに聞こえなくなった。
しんとした静けさが戻る。
「ここで待ってて」
そう言った和宏が私のそばから離れようとするので、その腕を思わずつかんでいた。
「行かないで」
ひとりにされたくない。
もしもさっきの人がまだ近くにいたら危険すぎる。
「気づかれないように見てくるだけ。5分たっても戻らなかったら、あの電気ついている部屋の人に助けを求めて」
見あげると二階の一部屋の窓からは明かりが漏れていた。
私の手を解くと和宏は車と車の間から歩道へ出て行った。
じっとその場で息を殺しているけれどなかなか和宏は戻ってこない。
もしも和宏になにかあったなら……。
そう考えると怖さとは違う感情が生まれてくるのがわかる。
和宏は『一緒に犯人を見つけよう』と言ってくれた。
だとしたら、今も一緒に行くべきだったんじゃ……。
何度も呼吸を整えてから、車の間から歩道へ顔を出した。
心細い街灯だけの道には誰もいない。
「和宏……」
歩道に出て、歩き出そうとしたその時。
「お待たせ」
すぐうしろで声がしたので思わず悲鳴をあげてしまう。
「シーッ。俺だよ」
ニヤッと笑う和宏に、胸を押さえながら私は涙ぐんでいた。
「驚かさないでよね……」
「悪い悪い。たぶん普通のサラリーマンみたいだった」
「本当に?」
「ああ。でも結局、見失っちゃってさ。とにかく人通りのある道へ行こう」
そう言って歩き出す和宏に、まだ鼓動の速い胸を落ち着かせながらついて行く。
前を行く和宏が注意深くあたりを観察している。
やがて大通りに出るとようやくホッとできた。
はあ、とため息をつけばひときわ濃く白い息が生まれ宙に溶けた。
「なんだよ、ため息ばっか。芽衣らしくないな」
和宏が笑って顔をのぞきこんでくるので、ムッとする。
「だって怖かったし……」
「まあな。でも気にすることないよ。俺が守ってやるからさ」
こんなときなのに、また胸が痛くなる。うまく返事ができない私に和宏がニヒヒと笑い声をあげた。
「芽衣、なんだか女子みたいだぞ」
「なによ。私だって、一応女の子なんだからね」
「一応、な」
「あんたねぇー!」
パシーーン
和宏の頭を叩く音が夜の街に響き渡った。
ゲラゲラ笑う和宏につられるように私も笑った。
だけど、私は知ってしまった。
私の胸にはもう、和宏が存在していることを。
結菜への懺悔の気持ちよりももっと強い想い。
私は、和宏のことが好きになってしまったのかもしれない。
【第四章】「ウイルス」
【SideA 香織の日記】
11月11日(金)
『香織様
どうしてあなたは私を苦しめるのですか?
私が贈った花束を、あなたはゴミ箱に捨てましたね?
なぜなのでしょうか?
私はあれから苦しくて苦しくて、食事も喉を通らない毎日です。
もしも裏切るならば、私にも考えがあります。
これ以上、私を怒らせないようにしなさい。
でないと、きっと後悔することになる。
あなたの恋人より』
この手紙をもらってからの記憶があいまいなの。
お兄ちゃんがあとで教えてくれたんだけど、わたしは手紙をビリビリに破りながら泣いていたんだって。
それからは眠れなくなった。
寝てもすぐに起きて、こわくて泣いてばかり。
学校にも行けなくなり、毎日死んだように過ごした。
お母さんやお兄ちゃんにも当たり散らし、暴れて手がつけられなくなったって……。
記憶はないけれど、きっと本当のことなんだろう。
身に覚えのない傷あとが体のあちこちにある。
ぜんぶ痛い。
体も心も痛くてたまらない。