魔法使いになりたいか

女祈祷師は、そのしわだらけの顔を、人懐っこくねじ曲げた。

「商売のつもりはないの、人助けのつもりでやってるから」

「でたな、人助け! こいつにつける薬があったら、こっちが知りたいわ!」

「そんなことないって」

大体、人間の世界の出来事を、猫になんか分かるわけがない。

「俺のこと、バカにしてる?」

「バカになんかしてませんよ! そこまで私を信じないならね、ほら!」

女祈祷師は、カラフルなみの虫衣装の下から、名刺を取り出した。

「あたしはね、キチンと教育を受けた、本物のスピリチュアルカウンセラーなんだよ!」

「私は魂の指導者だ!」

「そっちの方が怪しいだろ!」

俺は、膝の猫に向かって叫んだ。

猫はムッとした顔でうずくまる。

俺は猫に向かってそう言ったつもりだったのに、目の前の祈祷師も、猫と同じようにムッとした態度になってしまった。

「あなた、幸せになりたくないの?」

「おまえは、魔法使いになりたくないのか?」

目の前の不思議な祈祷師と、膝上のしゃべる猫が、一斉にたたみかける。

一人と一匹から投げかけられる、強い視線。

修行してなる魔法使いと、与えられる幸運、答えは決まっている。

俺は、膝上の猫を畳に下ろした。

「幸せになりたいです!」

正座状態から、女祈祷師にていねいに頭を下げる。

「おい!」

「だったら」

わめき散らす猫の横で、ほっとした祈祷師が、肩から斜めにかけていた鞄から、水晶と書類を取り出した。

「この幸運を招く水晶を五千円で買って、様子をみてちょうだい。効果がなかったら、電話してきて。後日、全額返金します」

なんていい人だ。

俺は、こんな風に誠実な対応をしてくれる善人に、生まれて初めて出会った気がする。

「おい! そっから芋づる式に……」

俺は、やかましく騒ぐ猫の口を塞いだ。

「本当に、全額返金してくれるんですか?」

「もちろん!」

「本当に?」

聖女は、大きくうなずく。

「後できちんと連絡が取れるように、名前と住所と電話番号、間違いのないように、しっかり書いておいてくださいねぇ」

ほら、やっぱりいい人だ。
俺は迷わず、ペンを手にとる。

「絶対ウソだから、契約するな!」

その瞬間、猫は俺の手に、がぶりと噛みついた。

「痛っ! 何するんだよ!」

「さっきから、ニャーニャーとうるさい猫だね!」

俺の手に噛みついた老猫に、祈祷師の女がその手を振り上げた。

「まったく、しつけがなってないよ、ここんちの猫は!」

祈祷師の手が、迷い込んだ老猫の上に振り下ろされる。

老女の手が頭に叩きつけられるその直前に、俺はさっと猫を抱き上げた。

「叩かないでください」

俺は猫を頭の上に持ちあげたまま、前を向いている。

「本気で人助けをしようとする人が、自分より弱いものをいじめちゃダメです」

「私はただの猫ではない! 魂の指導者だ!」

「猫でしょ!」

「単なる猫ではない!」

「本当に魔法使いっていうんなら、じゃあなんか魔法を使ってみろよ!」

俺は、抱き上げた猫をちゃぶ台の上に下ろした。

下ろされた猫は、その顔に不敵な笑みを浮かべる。

「では、今からお前の世界の中で、お前の知る最強の者を召喚しよう。この女のウソを暴き、そして追い払う者だ」

その言葉に、思わずごくりとつばを飲み込む。

この猫も、やっぱりタダ者じゃない。

「あのねぇ、あたしは魔法使いなんかじゃなくて、スピリチュアルカウンセ……」

サラリと乾いた音がして、居間のふすまが開いた。

「ただいま」

「うわぁっ!」

突如現れた、その『最強の者』の姿に、俺は本気で真剣に腰を抜かした。

『最強の者』は、カラフルなみの虫祈祷師の婆さんに、冷たい視線を投げかける。

「この人だれ? あんた、また変なの拾ったの?」

現れたその女は、ちゃぶ台の上にあった祈祷師との契約書を手にとった。

「なによこれ」

「これは、幸せを呼ぶ水晶でしてねぇ……」

突然のこの乱入者に対し、祈祷師は急に声色を変え、実にへりくだった謙虚な態度で接する。

「あぁ、詐欺師か」

「なんでそんなことが分かるんだよ!」

コイツの姿を見るのは、実に一年ぶりだ! 

めったにここにはやってこない、なにも知らないこんな奴に、俺の人生に全く無関係なこんな女に、もうこれ以上騙されてはいけない!

「こ~んなよくある手に、わざわざひっかかるあんたの方がびっくりよ」

「どうして、そんなことが簡単に言えるんだよ!」

俺は持っていたペンを、床にたたきつける。

「あの、こちらの方はどなた?」

祈祷師の声に、俺の天敵はにっこりと微笑んだ。

「あぁ、私は、この子の姉です」

俺の天敵、義理の姉、二番目の連れ子、荒間尚子、三十五歳。

「私のこと、ご存じないですかねぇ」

尚子は持っていた鞄の中から、一冊の本を取り出した。

その本の表紙は、もちろん本人の顔写真ドアップ。

タイトルは『私の真実~年商二十三億を十年で築いたその華麗なる軌跡~』実用書籍で今年の売り上げトップテンに入る、人気の経営本だ。

「実はここ、私の実家なんですぅ」


尚子はにっこりと微笑んで、祈祷師の女に握手の手を差し出した。

祈祷師は、本の表紙と実際の顔を、何度も見比べる。

「まぁ、どこかで見たお顔だと思ったら」

「カリスマ経営者の、荒間尚子でっす!」

おずおずと差し出した祈祷師の手を、尚子は強く握りしめて振り回した。

「まぁ、ではこんな水晶も必要ないですわね」

さっきまでの尊大な女祈祷師が、今では半分の大きさになってしまった。

そそくさとちゃぶ台の水晶を鞄にしまい、書類も片付ける。

「えぇ、いりません」

「じゃ、帰ります」

飛び去るように消えていったバアさんの背中を見送って、尚子はため息をついた。

「あんたも相変わらずねぇ」

「な、本当だろ」

態度のでかい尚子の足元で、同じくらい態度のでかい猫がふんぞり返る。

「なんで突然、ここに来たんだよ!」

「けっこうな言いぐさよね」

尚子は、足元の猫の頭をなでた。

「お父さんの葬式以来じゃない。今日は一周忌でしょ」

「覚えてたのかよ」

「もちろん」

そう言った尚子は、鞄の中から、小さな細長い箱を取り出した。

「あんたの誕生日も」

受け取ったその箱を、開いてみる。

自分では絶対に買わないような、高級万年筆だった。

店先に並ぶ、雑誌の特集か広告でしか、見たことのないようなシロモノ。

「去年はバタバタして、誕生日、出来なかったからね」

「お前らになんか、絶対に祝われたくないけどな」

「まぁ、失礼ね~」

そんなことを言い合いながらも、尚子は好き勝手に部屋の真ん中に座ると、リモコンでテレビをつけた。

猫も満足げに、台の上に飛び乗る。
「あら、この子も頑張ってるのね」

テレビ画面を彩るのは、今大人気のアイドルグループ、そのセンターを勤める女の子の、生き生きとしたダンスシーン。

「桜坂花百合隊のちりりんと言えば、いまや泣く子も黙るトップアイドルじゃない」

「お姉ちゃん程じゃないけどね」

振り返ると、そこには再び悪夢のような光景が広がっていた。

俺の天敵その二。義理の妹、三番目の連れ子、荒間千里、十六歳。

「お姉ちゃんも来たの?」

テレビに映っている姿とは似ても似つかない、地味な格好。
白のブラウスに、紺のジーパン、ノーメイク。

「だって、今日はお父さんの命日だもの」

「忙しいのに、よく時間取れたわよね」

千里は、俺の目の前にどかっと座ると、大きな紙袋を取り出した。

「で、これは、お兄ちゃんへの、お誕生日プレゼント」

袋の中身は、自分たちのCDアルバムと、数十枚のサイン色紙。

「ほら、予約殺到で売り切れ続出してるじゃない? うちの店でも売ったら、ちょっとは売り上げに貢献できるかなぁーと思って」

「さすが賢い!」

「でっしょ~」

全く血のつながりのない義理の姉妹が、手を取り合って喜ぶ。

全員、他人同士。なのに、家族。

「じゃあさっさと拝むだけ拝んだら、自分ちに帰れよ! お前ら二人ともクソ忙しいんだろ、俺と違って!」

「まぁ、そんな冷たいこと言わないでよ」

「そうだよ、お兄ちゃん」

「血は繋がらなくても、兄弟は兄弟なんだから」

二人は仏間に入ると、三つ並んだ位牌を見上げた。

仏壇の最上部には、俺の母さんの位牌。

他の二人には悪いと思うが、どうしてもこの位置だけは譲れないし、譲る気もない。

だから、次の段には、尚子の母さんだった人の位牌と、千里の母さんの位牌が並べておいてある。

この配置も、譲れない。

「うちの母さんのも、並べてくれてんだ」

尚子はそう言って、仏壇の鐘をチンとなした。

それぞれ三つ並んだ位牌の前には、三組のお供えが同じようにしておいてある。

そういえば、尚子がこの家で手を合わせるのは、初めてのような気がする。

「あの人が、『私もお供えしてほしい』って、言ったから」

「骨は向こうの実家に、持って行かれちゃったもんね」

尚子は、俺の父親と名を連ねた、位牌を見上げて言う。

「お墓も、どこにあるのか、知らないんだ、私」

「他のお願いは、何にも聞いてあげてないし」

俺の母親が死んでから五年後、尚子を連れた、自分より十一歳年上の女と、親父は再婚した。

当たり前のように、俺との関係は最悪だった。

「でも、こうしてちゃんと飾ってくれてるから」

俺の母親と連名の位牌を見て、私も同じようにお供えしてほしいって言ったのが、最期の言葉。

「言われたから、やってるだけ」

「ふふ、ありがと」

尚子の母親とは、うちに来てからもほとんど口をきかなかった。

反発しまくってるうちに、勝手に病気になって、勝手に死んだ。
「そういえば、お父さんの戒名代ってどうしたの?」

俺は正直、お前らにあのクソ親父のことを、『父さん』とか気軽に呼んでほしくないし、自分のことも兄弟だなんて、思われたくない。

「知らない。親父が自分で勝手に考えてた名前を、彫ってもらった」

うちみたいな貧乏本屋に、そんな金は出せない。

だから親父は、自分の戒名を自分で考えてた。

本当に馬鹿で非常識な男だ。

「なんかそれって、和也のお父さんらしいよね」

今度は千里が笑って、自分の母親の名前が刻まれた位牌を指差した。

「でも、うちの母さんも、全く知らない誰かに名前をつけられるより、お父さんに名前を付けてもらった方が、うれしかったと思うよ」

千里は九歳の時にこの家に来た。そして十一歳で、事故で母を亡くした。

その時の入院費用がかかりすぎて、まともな葬式もしていないし、最低ランクの戒名代も出せなかった。

「位牌とかいらないって、言ってたのに」

「『3つも位牌が並んでたらおかしいから、私はいいや』って、言ったんだ」

その頃から生意気だった千里は、母の死後、すぐにここから飛び出して芸能界に入った。

「だから、作った」

その結果、こんな異様な風景が出来上がった。

同じ男の名前の隣に、それぞれ違う女の名前が連なった三体の位牌。

「ま、確かに変だよね」

尚子と千里は笑ったけど、俺は笑えない。

いつの間にかすっかり居着いている猫が、その頭を俺の足にすりつけた。

俺がどんな気持ちで過ごしてきたのか、お前らには絶対に分かってほしくない。

線香の臭いが充満する部屋で、チンチンと呼び鈴のように鐘をならして、申し訳程度に手を合わせた後、千里は両腕を伸ばして大きく伸びをした。

「あー、お腹へったぁ! そういえば、あっちにご飯おいてあったよね」

「私も食べるー」

千里に続いて尚子まで立ち上がり、俺の最高の誕生日メニューを物色している。

「おい! ちょっと待て!」

「やだ、もうお昼じゃなーい」

「お姉ちゃん、ケーキもあるよ!」

「お参りしたら、帰るんじゃなかったのか!」

「そんなこと、一言も言ってないし」

「そうだよねぇ」

二人は勝手に台所に入り、冷蔵庫を開け、俺が作り置きしておいたおかずのタッパーを次々と皿にあけていく。

「おい、やめろ! 勝手に触るな!」

そこはお前らが勝手に触っていいところではない。

タッパーの順番は賞味期限、痛みやすさ、作った日時、熟成期間、栄養バランス、その他もろもろ全てを考慮したうえで、綿密に計算され配置されているのだ!

「あ、そうそう、あたし、今日からここに住むから」

「はい?」

尚子がとんでもないことを口にする。

「あー、そうなの? 実はわたしも~」

「なんで!」

「税金対策」

「そんなの、俺が認めるわけないだろ!」

二人はおかずののった皿を、がしがしちゃぶ台にのせていく。

尚子は、台の上を一通り見回して言った。

「私のお茶碗は?」

「急にそんなこと言われて、許可できるかよ!」

「ねぇご飯。早くお茶碗出して」

この女共に限らず、人間というものはその性質上、お腹がすいていたら、まともに人の話しも聞けないし、思考力も落ちる。

俺はずっと置きっ放しになっていた、尚子の茶碗を棚から取り出した。

「今日から同居するとか、聞いてないけど!」

話しを円滑に進めるために、俺はその茶碗にご飯をよそう。

けっして尚子の命令に対し、従順に反応しているわけではない。

それ以外に他意は全くもって一ミリもない。

「こないだ税務職員が来たでしょ」

「あぁ、なんか書類持ってきて」

「箸」

尚子のお箸は、深い緑のキラキラの柄のやつ。

「税金対策でここの本屋の赤字経理を利用してるんだけど、監査がうるさくってさ。住民票、ここに移して住むから」

「はぁ?」

「大丈夫よ、ほとぼりが冷めたら、ちゃんと自分ちに帰るから」

尚子は平然とみそ汁をすする。

「住民票移すだけだから」

「それって、結構なことじゃない?」

「なにが?」

まるで本当の家族みたいじゃないか……なんて、口が裂けても言えない。

「あんた、私をなめてんの」

反論の出来ない俺に向かって、平気でそんなことをいう奴だ。

本音と建て前なんて、別に決まっている。

つまり、税金対策以外のなにものでもない。

「もー待てなぁ~い、いただきまぁーす!」

ほんのわずかの間気を抜いていた隙に、千里は俺の使っていた箸で、食べかけのごはんに手をつけた。

「ちょ、それ俺の!」

「だってお兄ちゃん、私もうお腹すいて、我慢出来ないんだもん!」

とにかくコイツの場合は、なにをしでかすか全く予測がつかない。

だから、コイツの暴挙を防ぐためには、俺は常に先回りして行動する必要があるのだ。

「で、あんたは? 今が盛りの人気アイドルが、なんで実家に戻るの? 今度は何をやらかしたわけ?」

俺が千里専用の黄色の茶碗を取り出し、朱色に花柄の箸を取り出している間にも、俺の大切なかますの干物が減っていく。

「いやぁ~、ファンの追っかけがすごくってさ」

にやりと笑った千里に、同じくにやりと尚子が応戦する。

「今度は誰との熱愛報道?」

「これ、いっとくけどドラマの番宣で、ヤラセだからね」

千里はそこにあったみそ汁をすする。

「お・れ・の・ご・飯! それ!」

「お姉ちゃんも、ここに住むの?」

千里の目の前に、ご飯を山盛りよそった茶碗と箸と、みそ汁も置いた。

「しばらくの間ね」

「わたしも!」

ついでに、尚子のみそ汁も文句を言われる前に追加しておく。

「ホント、実家って便利だよねぇ」

二人はケラケラ笑ってるけど、俺にとっては、死活問題だ。

「俺のご飯!」

とりあえず二人の食事の準備が整った。

ここで、ようやく俺が怒っていいタイミング。

両拳をドンと台に叩きつけて、やっとおしゃべりが止まった。

「自分で出してきなさいよ」

「自分の食べる分くらい、お兄ちゃんなら他にあるでしょう」

テーブルに並んだ料理を順番に眺めた。

こいつらが勝手に出してきた俺の作り置きおかず。

「あぁ、あった」

残った野菜を千切りにして浅漬けにしたものを、ハムで巻いておいたやつが出ていない。

あれは早めに食べないといけないから、冷蔵庫のまた別の場所にしまっておいたんだ。

それを台所に取りにいったついでに、残っていた煮物も持ってくる。

俺が席についたら、尚子と千里が手を合わせた。

ご飯を食べる時は、全員が席に着いてから、手を合わせて『いただきます』を言う。

俺が唯一、こいつら相手に成功したしつけだ。

「いただきまーす!」

三人の声が重なる。

勝手に入り込んできた猫は、いつの間にか座布団の上で丸くなって寝ていた。
一人で静かに過ごすはずだった俺の誕生日が、親父の命日と重なったせいで、こんなにもにぎやかになる。

食事が終わった後も、結局なんだかんだで、空き部屋になっていた二階の部屋の掃除とか、片付けやらを手伝わされた。

体を動かしていたのは俺なのに、指示していたのだけのあいつらは、頭使って疲れたとかで、夕飯の買い出しにも行かされた。

が、まぁそれはいい。

あいつらが買い出しに行って、料理するとか言いだすと、まともな食事が出来るのかとハラハラして、そっちの方が落ち着かない。

夜になっても、シャンプーがどうとか、シャワーの出が悪いとか、なんだかんだでバタバタして、ずっと振り回され続けた。

俺はすっかりくたびれて、自分の部屋に戻った時には、いつのまにか寝落ちしてしまっていた。

朝になって、二人を追い出すことが不可能と悟った俺は、うるさいのが起き出す前に、朝食の準備を完璧に済ませておいた。

箸置きもみそ汁の温度も完璧だ。

そうしておけば、いちいち顔を合わせなくてすむし、文句も言われずにすむ。

俺はそうやって奴らを出し抜いてやったことで、非常に爽快な気分で店の前を掃除していた。

「私は魂の指導者!」

目の前をさっと黒い影が横切ったと思ったら、昨日の老猫だった。

「あ、おはよう」

「お前はそれでいいのか」

「なにが?」

「このまま、何もない無能かつ平凡な男として、一生を終わらせるか」

足元にうずくまった老猫の鋭い目が、キッとにらみつける。

「それとも、修行をつんで魔法使いになるか」

この猫は、どこまで本気でそんなことを言ってるんだろう。

確かに魔法使いは魅力的だけど、修行となると面倒くさい。

「えぇ~、でも俺、面倒くさいこととか、しんどいことって、基本嫌いなんだよねぇー」

「このままだと、あいつらのいいように使われて人生が終わるぞ」

「あいつらの、いいように使われる?」

あいつらって、どいつらのことなんだろう。

昨日来た祈祷師? それとも、時々店にやってくる万引きの常習犯? 

それとも、やたら高慢な商店街のお偉いさんたちのこと?

この先俺を、いいように扱うであろう可能性のある人間の数を想像してみると、急に背筋がぶるっと震えた。

違う、そんなどうでもいい奴らのことじゃない、うちに転がりこんできた、あの女共のことだ!

「そんなこと、いいわけないだろ!」

「よし! 作戦会議だ!」

「作戦会議だ!」

店の中に飛び込んでいった老猫を、慌てて追いかける。

店に入った猫は、当たり前のようにレジ台の上に飛び上がり、俺がいつも座っている座布団の上に腰を下ろす。

「あのさ、猫が苦手な人もいるんだから、そこはやめてくれない?」

「私は魂の指導者!」

「あぁもう、分かったよ」

それを認めないと、話しが進まないらしい。

俺は時々やってくる常連のお婆ちゃんのために用意してあった座布団を、レジ横の座布団の隣に並べた。

「じゃあ、ここにして」

老猫は、案外すんなりと場所を移動してくれる。

「まずは、どんな魔法使いになりたいかだ。その方向性によって、修行の内容も変わってくる」

「えー、修行って、本当に必要なの?」

「当たり前だ!」

「うぅ~ん、どうしよっかなぁ~」

俺は、自分が魔法使いになった姿を想像してみる。

箒で空を飛べても、店番をしないといけないから、出かけることは出来ないし、お部屋を綺麗にする魔法だって、普段からこまめに掃除しているから、特段必要ではない。

「やっぱ、いいや」

「なにか叶えたい望みはないのか?」

「俺の、望み?」
のれんで仕切られた背後の居間から、にぎやかな笑い声が聞こえてきた。

どうやらあの二人は、テレビのワイドショーに写っている自分たちの姿を見ながら、盛り上がっているらしい。

「まずは、あの女をどうやって追い出すかだ」

「あの女って、どっちだ」

「大きい方!」

千里だけなら、まだなんとかなる。

しかし、尚子と一緒になると、とにかく上から目線で攻められるから、かなわない。

千里がうちに来た時はまだ小学生だったから、一緒に住んでた時期もあるし、扱いには慣れてる。

けど、尚子の方は親父が再婚した時にはもう大学生で、ほとんどずっと大学の図書館で勉強してたから、うちには寄りつかなかった。

「血はつながらなくても、姉として認めたんじゃなかったのか」

「やめた!」

もしかしたら、その頃十五歳だった俺に、遠慮してたのかもしれないと思ったこともあったけど、そもそもが、そんな殊勝な考えを持ちそうなタイプじゃない。

「やっぱ嫌いだ」

あいつは、自分の母親が病気で倒れたとき、奨学金で海外留学をしていた。

病気になってしまったことを、親父にも娘にも隠し通そうとしていたあの人を、俺は影で支えた。

「なんでろくに話したこともない、見ず知らずの連れ子と同居しなくちゃならないんだ。おかげで俺は、二人目の母さんにふりまわされたんだ」

俺が馬鹿だった。

もっと早く、そのことを誰かに相談しておけばよかったんだ。

「あいつを追い出す魔法を使って。そしたら、あんたを魂の指導者として認める」

もう二度と、あんな思いはしたくない。

「それで、導師って、呼ぶ。導師を信じて、魔法使いの修行をする」

俺は本気だ。その願いが叶うなら、鬼にでも悪魔にでもなってやる。

「いいだろう、お前の望みは叶えられた」

「え?」

「追い出したぞ」

「えぇっ!」

「確認してみろ」

その言葉に、俺はのれんの奥へと走った。

飛び込んだ居間には、確かに千里だけしかいない。

「あいつは!」

「あいつって、お姉ちゃんのこと?」

ごくりとつばを飲み込んでから、うなずく。

「なんか急なトラブルがあったとかで、さっき連絡が入って、飛び出していっちゃった」

「そうなの?」

「なんか、二、三日は帰ってこれないかもって」

頭の中で、色んなことがぐるぐるとまわってるけど、その正体が俺にはよく分からない。

千里はそんな俺を見ながら、眉をしかめた。

「なによ」

「いや、なんでもない」

俺はゆっくりと後ろに下がって、再び店のレジ台に戻る。

目の前には、一匹の老猫。信じられない。

「修行、始めるか?」

「あれ、本当に導師の魔法?」

偶然と必然。可能性と蓋然性。

あるかないかと、確率の問題。

正直、学校の成績なんて、いい方じゃなかった。難しい話しは分からない。

けど、今目の前にいるこの不思議なしゃべる猫は、どうしてここにいるんだろう。

それは、嘘じゃなくて、本当のこと。

「信じるか信じないかは、お前次第だ」

導師は黙ってうずくまり、丸くなって目を閉じた。

俺を試すつもりなら、俺もこいつを試してやる。

「じゃあ、もう一人も追い出してよ! あのちっさい方!」」

導師の耳が、ぴくりと動いた。

「では、お前がやってみろ。お前があの妹を追い出せばいいじゃないか。それが望みなら、そうすればいい」

うずくまったままの導師の、両目がうっすらと開いた。

「私が魔法を使って、追い出すことは簡単だ。自分で追い出せないのなら、魔法を習ってから、自力で追い出せばいい。これが最後通告だ。おまえに魔法を習う気がないのなら、私はここを去る」

導師は丸くなったまま、じっと動かず目を閉じている。

そうだ、猫の導師に出来るなら、俺にも出来ないはずはない。

もしもあれが偶然であるならば、俺にも同じ偶然があるはず。

それに気がついた俺は、めったに客の来ない本屋の店番を抜け出して、奥の居間に戻った。

目に入ったのは、誰もいない部屋。

台所の方から音がして見上げると、千里が廊下へと出て行くところだった。
「どこ行くの!」

「二階だよ、今日は久しぶりの休みだから、一日ゆっくりする」

「な、なにか、食べたいものとか、行きたいところとか、ないのか? 買い物にいくとか、出かける予定は?」

コイツがどんな理由であれ、家を出たら最後、全部の部窓に鍵をかけて、閉め出してやる作戦だ。

「なにそれ、ついてきてくれるの?」

ついて行く気はないが、一応うなずいておく。

「お兄ちゃん、私はもう、十一の子供じゃないよ。アイドルとして、仕事もしてる」

「いや、そうじゃなくて」

「そうだ! 昔みたいに、パンケーキ作ってよ。私、お兄ちゃんの手作りパンケーキ、大好き!」

「パンケーキ? なんだそれ」

「ホットケーキのことよ」

千里はにこにこ笑って手を振ると、それだけを言い残して二階へ上がっていく。

俺が言いたいのは、そんなことじゃない、出て行けだ。

とにかく千里の機嫌をとって、外に追いだそう。

ホットケーキの材料がないから、お前が買いに行ってこいって言う作戦も考えたけど、超人気アイドルの千里だと、外を出歩くだけでも大変な騒ぎになるし、そもそも材料も、全てうちにそろっていた。

千里は、父親のいない母子家庭で育った。

母親はずっと仕事ずくめで、ほとんど家にいなくて、うちにきた九歳のころには、すっごく細くてガリガリに痩せていて、めちゃくちゃ好き嫌いが多くて、俺の作ったホットケーキぐらいしかまともに食べられなかった。

だから俺は、千里のために、今までどれだけのホットケーキを焼いたか分からない。

市販のホットケーキミックスは、常に用意しておくのがくせになっていたし、それは千里がここを出て行ってからも、一度だって忘れたことはない。

俺はボールに粉を入れると、そこへ卵と牛乳を入れた。

その分量だって、体に染みついている。

甘いにおいが部屋中に広がったとき、台所のテーブルに導師が飛びのってきた。

「追い出すんじゃなかったのか」

「もちろん追い出すよ。そのための準備をしてるんだから、余計な口をはさまないでくれる?」

ホットケーキは、焼き加減が重要なんだ。

フライパンから目をはなしちゃいけない、絶妙のタイミングで焼き上げる、それが俺のこだわり。

生地の状態を見極める審美眼、その瞬間、火からあげられたフライパンは美しい投球フォームを描き、計算通り設置された皿の上に、みごとなシュートを決める。

「やった! 完璧だ!」

皿の上に積み重なった、焼きたてのホットケーキ。

ある程度冷まして、生地を落ち着かせることも忘れてはならない。

よし、時間だ。これを食ったら、出て行けって言おう。

千里を呼び出そうと階段を見上げたら、すでに千里は二階から降りてきていた。

「どうした?」

「やっぱ出かける」

「えぇっ!」

「てゆーか、呼び出し」

千里は、俺が芸術的に積み上げたホットケーキの山の、一番上の一枚を手に取ると、一口分だけちぎって口に放り込んだ。

「でも、基本オフの日だから、すぐに帰ってくるけどね」

千里は食べかけのホットケーキを、山のてっぺんに戻す。

「もういらないから。作んなくていいよ」

そう言って、手についたくずを払い落とした。

「食事制限あったの、忘れてた」

千里はかぶっていた帽子を目深にかぶり直すと、裏の玄関から出て行く。

怒りに震えている俺を、導師は見上げた。

「俺は! あいつが久しぶりに食べたいって、そう言ったから、わざわざ作ってやったんだぞ! 何が、『お兄ちゃんのホットケーキ、大好き』だ! 本当の兄弟でもないくせに!」

だがホットケーキに罪はないから、戸棚からラップを取り出し、一枚一枚ていねいにくるんでいく。

「思い出した! 俺はいつもこうやって、いいように使われてきたんだった!」

ラップには、後で困らないように、今日の日付を書いておく。

レンジでチンしてもいいし、トースターで焼いてもおいしく食べられる。

「絶対に追い出す! もうあいつらに、俺は振り回されたくない!」

作ったホットケーキをまとめて冷凍庫に片付けたところで、俺はふと大切な事を思い出した。

「そうだ、勝手に侵入されないように、窓を閉めてくる!」

走り出したその時、めったに鳴らない店の呼び鈴が鳴った。

導師と目を合わせる。

珍しいな、客なのか? 

俺は呼び鈴の鳴ったレジへと向かった。
「いやぁ、ホント参りましたよ」

その男は、昨日千里が持ってきたCDアルバムの全部を、レジ台の上にのせて言った。

「やっぱりね」

アルバムの一枚一枚を裏返して、製造番号をチェックしている。

「これ、全部返品対象ですよ」

「えぇっ!」

「メーカーのミスで、音源が収録されてないCDが流通するなんてねぇ、僕は委託されてあちこち回収にまわってるんですが」

その人は、にっこりと人のよさげな笑みを浮かべた。

「ここにも書店があったことをふと思い出して、立ち寄ってみたんです、早めに気付いてよかったですね、ほら、ここの店って、以外と桜坂花百合隊の入荷量多いし、グッズも充実してるから」

ついさっきまで、うちで寝転がっていた千里の顔が、ドアップで写っているアルバム。

呼び出しとかいって出て行ったのは、このことだったのかな。

「特別コンサートの抽選券つきCDですからね、今日は発売日だし、これから一騒動ありますよ」

「そっか、だから呼び出しかぁ」

「あと、これも」

やっぱり千里自身が昨日持ってきて、千里の指示で俺が張っておいたポスターを、この人は勝手にはがして手に持っている。

「ポスター貼ってると、在庫があると勘違いしたお客さんから商品を出せって、クレーム入れかねないですからね、ついでにこれも回収しておきますね」

「わぁ、ありがとうございます!」

なんて気の利く、なんていい人だ! 

千里はあんな奴だけど、千里のまわりには、こんなにもあたたかい、いい人たちであふれている。

沢山のファンと、そんな人たちに支えられて、千里は活動できているのだと思うと、俺にはもう感謝の気持ちしかない。

「じゃ、これ全部回収しときますね」

「あ、そうだ! 予約販売分の在庫も、裏の倉庫に入ってるんですけど」

「あぁ、じゃあそれも一緒に、回収しておきましょうかねぇ」

「ご苦労さまです」

俺は、段ボールを抱えて去りゆく男の背中に、ていねいに頭を下げた。

あんなとんでもなくわがままな千里につき合わされ、振り回されているのは俺だけじゃないんだと思うと、本当に涙が出てくる。

その直後、店に若い男の子二人が駆け込んできた。

「すいませ~ん! 予約していた桜坂花百合隊のアルバム、ください!」

「あぁ、それね」

経緯を説明する。

「は? そんなの、あるわけないだろ」

「あんたバカか、それって、今流行の詐欺じゃね?」

彼らは手にしたスマホで、何かを検索し始めた。

「ほら! そんな情報、一個も出てないぞ!」

「詐欺じゃねぇの、詐欺!」

「抽選券狙いで、そんなのが横行してるって、お前知らないのかよ」

「ちょ、ちょっと待って! 確認してみるから」

まくし立てる、俺より五つは年下の男に頭を下げてから、俺は店の奥に駆け込んだ。慌てて電話をかける。

「あ、千里? あのね……」

「はぁ! アルバムの返品? そんなミスあるわけないでしょ! お客が怒ってる? とりあえずお姉ちゃんに電話!」

すぐさま尚子にかけ直す。電話は、すぐに出た。

「さすが我が社の唯一にして無二の赤字部門、やってくれるわね」

受話器の向こうで、ため息が聞こえる。

「予約は何枚入ってたのよ、あっそ。小さい書店でよかったわね、とりあえず、発送の車が事故で遅れてるって、説明しておきなさい」

プチッと電話が切れた。

本当にキレているのは、通話じゃなくて、尚子と千里。

俺はそれからも次々と訪れる客に、ひたすら頭を下げて謝った。

「すいません、本当にすいません!」

書店の売り上げ、一日平均五千円前後、来店者数四、五人という店に、今や客が十人はいて、しかも全員怒ってる。

これは我が家の危機的状況だ。

尚子の会社と提携している物流会社が、善意で車の手配をしてくれて、千里のご本人さまパワーで、未発送の在庫をかき集めてきてくれた。

その間にも、俺はひたすら頭を下げ続ける。

尚子と千里が走り回ってくれたおかげで、夕方遅くには、予約枚数の全部が数を揃えて店の奥に積まれ、その大半がお客さんの手に渡った。

また騙された。

俺はその対応に追われて、とにかく一日中ドキドキしっぱなしだった。

やってくる客は、全員千里のアルバム目当て。

俺は運送会社の車が出発したという尚子からの電話を受けてから、ずっと時計とにらめっこでその時を待っていた。

この世には、悪人しかいないのか? 

特注で荷物を運んできてくれた人は、にこにこして、「大丈夫ですよ~」とか言ってくれて、いい人だった。

アルバムを取りに来た人たちも、「じゃあ、また後できます」なんて言って、(言い分けを考えたのは、尚子だけど)ちゃんと後から取りに来てくれた。

もしかしたら、あの盗んでいった人も、ただ単にアルバムや、抽選券が目当てだったんじゃないのかもしれない。

なんらかの事情があって、俺にはそれが想像出来ないけど、きっと何かの理由であのアルバムが大量に必要だったんだ。

きっと時期が来てお金が出来たら、きちんと説明してくれるに違いない。

俺は一呼吸して、誰もいなくなった店内を見渡した。

俺はなんのためにこの店を続けているんだ? そうだ、俺はこのためにこの店を続けているんだ。

みんなの、優しさを感じられる場所のためだ。
このあいだの万引き常習犯の少年も、警察と一緒に来て、ちゃんと謝ってくれた。

もうその少年が謝りに来るのは四回目だけど、俺は彼の成長を信じている。

彼のお母さんがやってきて、お前の方も店の管理をしっかりしろ、だからうちの子が万引きをくり返すんだとかいって、もの凄い剣幕だったけど、わざわざうちにそんなアドバイスをしに来てくれるほどだ。

あんな子供思いのお母さんがいるんだから、あの子はきっと大丈夫。

それにここは、俺がずっと育ってきた家。

「イエ~ィ!」

そんなことを考えていた俺の後ろで、帰ってきた尚子と千里が騒いでいた。

「今回の詐欺事件のおかげで、数量限定販売だったのが、増産決定!」

「流通業者にいちゃもん付けて、販売ルートの一部を、うちの会社で請け負う事に成功よ」

とにかく、転んでも絶対にタダでは起き上がらないのがこいつらだ。

「俺はまた騙されたし、予約してくれたお客さんには迷惑かけたんだぞ!」

「そりゃ自分が悪いんだから仕方ない」

尚子が鼻で笑う。

「そう言われたら、普通信じるだろ!」

「音源入ってないCDって」

「ちゃんとした人だったんだよ!」

千里の冷ややかな視線。

「頭悪すぎ」

「お前のこと、心配したんだぞ!」

そう、だからこそ俺は信じたんだ。

「音源が入ってないCD? これは大問題だ、さっき呼び出しかかったって言ってたし、コレのことだったのかと思って、お前がどうなってしまうかと、心配した」

千里と尚子は、黙ったまま俺をじっと見ている。

反省したとか、感動したとかいう感じの雰囲気じゃない。

あきらかに、挑発的、好戦的、軽蔑した態度だ。

「お腹減った。ご飯」

「人の話し聞いてんのか! ちょっとは俺の気持ちも考えろ!」

「あんたの気持ち? 脳みそまわってたの?」

「お兄ちゃんの人を見る目のなさって、公害レベルだからね」

「環境破壊レベルだよ」

「まったくの成長がない」

「終わってるね」

罵詈雑言だけは尽きることの無い二人の間で、俺の堪忍袋の緒が切れた。

「それが、俺に対するお前らの態度か!」

「どんだけうちらに、迷惑かけたと思ってんのよ!」

尚子と千里の声が重なった。

一目散に、台所に逃げ込む。

「あぁもう! よけいなこと言ってたら、お腹減った!」

「お兄ちゃん、ご飯早くね」

俺はお前らの料理人じゃねぇぞ!

大体、人の弱みにつけこんで、一切のねぎらいも、心配や気遣いの言葉もなく、あげくの果てには自分たちの利益追求に走るなんて、お前らの方がよっぽどタチが悪い、極悪人だ!

ちょっとは俺の気持ちを考えたことがあるのか、まぁ無いだろうな、少しでもそんな思いやりの精神があれば、あんな態度で俺に接するわけがない! 

もうこれで騙されるのは、何度目だろう、俺だって、毎回嫌な思いをしてるし、本当は悔しくて仕方ないのを、じっとずっと我慢してるのに!

「私は魂の指導者」

台所でおたまを握りしめていた俺の後ろから、導師の声が聞こえた。

導師はテーブルの上に、ちょこんと座っている。

その顔は鋭い眼光をたたえ、威厳に満ちていた。

「魔法が、使えるようになるんだったよな」

そうだ、俺にはまだ、逆転のチャンスがあった。

「いかにも」

「誰よりも強くなれる?」

導師は答えず、ただ俺を見上げている。

「何でも出来るようになるのかって、聞いてんだよ!」

「修行次第で」

「本当だな!」

「もちろん」

俺は、老猫の目を見つめる。

老猫も、まっすぐに俺を見つめた。

「本当だ」

「じゃ、俺、魔王になる」

そうだ、結論は出た。俺にはもう、それしかない。

この世が、あいつらみたいな悪人だらけなら、悪の帝王、大魔王になるしかない。

「大魔王か?」

「大魔王だ」

俺の決意は固い。

もう誰にも負けたくない、騙されたくない、何者にも負けない、強い力が欲しい。

「よかろう、だが、修行は厳しいぞ」

「望むところだ」

導師と目があった。

この不思議な猫となら、俺はきっと強くなれる、強くなってみせる。

「お兄ちゃん、お腹すいたぁ!」

「ブツブツ言ってないで、早くして!」

居間から飛んでくる罵声。

その声に驚いた導師は、テーブルから飛び降りて走り去った。

俺もあわてておたまを握り直す。

でもまぁ、今日はもうスーパーで刺身が安かったから買ってきてるし、お吸い物もつくっておいたし、残りもの食材を放り込んだ炊き込みご飯も、もうすぐ出来る。

作り置きおかずもいくつか増やしておいたから、そんなに時間はかからない。

ちゃぶ台にお皿を並べて、三人が定位置についた。手を合わせる。

「いただきます」

箸と会話が飛び交う、にぎやかな食卓だ。

ひたすらしゃべりまくっているのは、俺じゃないけど。

どこかに逃げて、また戻ってきた導師が、俺の真横でうずくまった。

「俺が大魔王になったら、死んだ人たちもよみがえるかなぁ」

これからの修行が、ちょっと楽しみだ。

導師だけはそんな俺の声を聞いていたみたいで、短い尻尾を揺らして答えてくれた。