病院に着いたら、香澄は個室に移されていた。

菜々子ちゃんと二人、病院に通い詰めた顔パスパワーで、親族以外は面会謝絶の病室に、無理矢理入り込む。

香澄のお腹は、もうすでにペタンコになっていた。

菜々子ちゃんは、なにも言わずに香澄のベッドサイドに座る。

「お腹の赤ちゃんは?」

「死んだ」

香澄は沢山の管につながれた体で、数本の針が刺さった両腕を、顔の上に置いている。

「死んだの?」

「どーせ助からないし、もういいかなって思って」

香澄がそんなふうにしているから、ここからは香澄の顔が見えない。

菜々子ちゃんは、自分の母親に、自分の兄弟のことを聞いている。

「どーせ邪魔だし、いらないし、出てきても、苦労するだけだから、私が」

病院の個室はとても静かで、親子の会話を邪魔するものはなにもない。

「これ以上、余計なのが増えても、大変でしょ。ついでだから」

「そっか、分かった」

菜々子ちゃんはそう言った。

それで、香澄との話しは終わり。

「そんなこと、聞いてないだろ!」

つい声が大きくなる。

そんなことは、絶対嘘に決まっている。

菜々子ちゃんを一度生んでいるのに、本当にいらないのなら、妊娠が分かったときに、なんとかしてるはずだ。

俺は、そんなことは、聞いてないんだ。

菜々子ちゃんも、本当に聞きたかった話しじゃないはずだ!

「じゃあなんで、名前考えようって、言ったの?」

香澄の腕が顔の上から下ろされたとき、サイドテーブルに指先が少しぶつかった。

そこから積み上げられた紙の山が、バサリと落ちる。

「俺は、一緒に住もうって言ったし、名前も考えようって言ったのに!」

「あんたの子供じゃないんだし、なんであんたに指示されないといけないのよ!」

拾い上げたその紙は、いろんな手術や検査の同意書で、香澄は、そこに何一つ了承のサインをしていなかった。

「ねぇ、これ、どういうこと?」

「あぁ、余計なことしたら、お金かかるでしょ、だから。しないの」

香澄は笑って言う。

「便利だよねー、本人の意志がないと、検査のひとつも出来ないんだってさ」

その笑った瞳から頬に伝うしずくは、本人の意志とは無関係に出てくる汗みたいなものだから、香澄にもきっと、どうしようも出来ないんだと思う。

「さっさと退院できたら楽なんだけど、病院以外で死ぬと、それはそれで厄介みたいで」

「結婚しよう。俺、今から婚姻届け、持ってくる」

「はぁ?」

「そしたら、お前もお腹の子も菜々子ちゃんも、俺のものになる」

「なるわけねーだろ、バカ!」

香澄なんかの声は無視して、廊下を走る。

急いでたら、看護師さんに走らないで下さい! って怒られたけど、後で謝っておくから平気。

このすぐ近くに区役所があるから、そこから勝手に婚姻届けを取ってくればいい。

それにサインして出してしまえば、誰だって家族になれるんだ。

役所に着いたら、引っ越しとかの住所変更と、戸籍抄本や印鑑証明の用紙と並んで、婚姻届けがおいてある。

やろうと思えば、こんなにも簡単にできるんだ。

俺は取り出した一枚の婚姻届けに自分の名前を書いて、一度うちに戻ってはんこを押した。

それから病院に返って、香澄に書類を渡す。