居間に上がると、真っ赤な顔で泣きはらした後の菜々子ちゃんと、尚子がいた。

「ちょっと、あんた! 店番をこんな小さい子に任せて、どこほっつき歩いてたのよ!」

突然の先制パンチに、ビクリとなる。

「導師を探しに行ってたんだよ!」

尚子は腕の中の導師をにらみ、導師は飛び出して逃げていった。

「うちに勝手に居着いた外猫でしょう? そんなの、探しにいく必要ある?」

「お前が俺に怒る理由もないだろ!」

「あたしが家に帰ってみたら、知らない女の子が一人で大泣きしてんのよ、大人しそうな顔して、あんた普段なにやってんの?」

「ちょっと待て、それ、どういう意味だ!」

「あんたのやってることが、本気で信じらんないって言ってんの! 子供に店番任せるなんて、ありえない!」

「ごめんなさい!」

ぐちゃぐちゃな顔のままの菜々子ちゃんが、何度も何度も叫ぶ。

「私が悪いの! 全部、私が悪かったの! 勝手におうちに入ってきてゴメンなさい。何にも盗ってないし、壊していません。もう絶対にここには来ないので、許してください!」

ちゃぶ台の上には、涙で破れた薄くて茶色い粗末な紙、そこには、小さい字でびっしりと漢字と数式が並んでいる。

短い鉛筆に、小さな消しゴムのかけらが三つ。

「私が勝手に本屋さんしたから!」

「違うのよ、私は、あなたのことを怒ってるんじゃないの」

尚子は、菜々子ちゃんの顔をのぞき込む。

菜々子ちゃんの顔は、乾いた涙の後が刻印のように刻み込まれていて、急に近づいてきた尚子の顔にビクリとして、両腕で覆い隠した。

「この人に、勉強を教えてもらう約束だったの?」

「ごめんなさい」

「いつから、ここに来てたの?」

「ごめんなさい」

「どこで、知り合ったの?」

「ごめんなさい!」

菜々子ちゃんは、なにを聞いてもそれしか答えない。

尚子はお手上げで、場所を俺に譲った。

「北沢くんは? 塾に行った?」

「ごめんなさい」

「俺がいない間、本屋にお客さん来た?」

「ごめんなさい」

「お昼ご飯は、どうしたの?」

「ごめ……ん、なさい」

菜々子ちゃんは、うつむいて動かなくなってしまった。

尚子は畳の上に足を投げ出して、足の先をぷらぷら揺らしながら座っている。

こっちは見ていて見ていないふり。

「尚子は、ご飯食べる?」

「いいけど」

「菜々子ちゃんは、何が食べたい?」

彼女をおいて、入った台所の入り口から振り返ると、菜々子ちゃんは台の上を片付け始めていた。

「もう、帰ります。帰ってこいって、怒られたし」

いつもなら、丁寧にたたんでバックにしまうわら半紙を、ぐちゃぐちゃと乱暴に突っ込んでいく。

それは、彼女にとって、とても大切なものだったはずだ。

「俺のいない間に、なにがあったの?」

彼女の目は、もう泣くことすらあきらめてしまったようだ。

「私がお店のレジをしてたら、たまたま外にお母さんが通って、なにやってんのって怒られて、居間に戻って片付けしてたら、玄関からこの女の人が入ってきて……」

菜々子ちゃんの顔から、表情が消えた。

「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました。もう来ません」

俺は、彼女の目の高さにまで、膝を落とす。

「またおいで、尚子が怒ってるのは、菜々子ちゃんにじゃなくて、俺にだから」

二つに分けて結んでいる髪の毛が、吹き飛びそうなくらい激しく首を左右に振る。

「いいの、今までどうも、ありがとう」

片付けを終えた彼女は、のれんをくぐり店に下りた。

「じゃあ、さようなら」

見送りに出た俺と尚子に、ちょこんと頭を下げる。

最後に、声をかけようとした俺の言葉を、懐かしい声がさえぎった。

「やだ、まだいたんだ」

そこには、俺の初恋の人が、妊婦姿になって立っていた。