なにせ、幸太郎はここ最近木工細工ばかりしていて、就職活動をしていないのだ。
この作品が売れなければ生活費は稼げない。
新人作家がネット登録をするとサイトのトップページ表示される仕組みになっていて、そこからどんどんお客さんが入ってきてくれたのだ。
幸いなことに、幸太郎の作ったストラップを好んでくれるお客さんがすぐに表れた。
1つ500円で販売しているストラップは、1日に数個ずつ売れて行った。
それはとても嬉しくて、そしてとても不思議な気分だった。
最初に大量生産していた幸太郎は、商品の売れ行きを確認しながら就職活動を再開させることにした。
久しぶりに袖を通すスーツに少しだけ緊張する。
ズボンをはいた時、床に何かが落ちた。
屈んで拾ってみると、それは黄色いレシートだった。
そこに書かれている文字は《ストラップ》。
すっかり忘れていたはずのそれを見て、ハッと息を飲みこんだ。
「当たったんだ……」
「あなたー? 今日は面接でしょー?」
リビングから妻の声が聞こえて来ても、幸太郎は返事ができなかった。
しばらくしわくちゃのレシートを見つめ、それからレシートのシワを丁寧に伸ばし始めた。
そして大切な家族写真と共に飾ると「面接の準備はできてるぞ」と、妻に声をかけながらリビングへと向かったのだった。
幸せ食堂の片隅に小さな販売スペースができた。
いつかA定食を食べに来てくれたお客さんが、手作りのストラップを持って来てくれたのだ。
最初はタエにあげると言ってくれたのだが、タエがその出来栄えを見て驚き、この店で販売しませんか? と、話を持ち掛けたのだ。
場所代は取らず、マージンも取らない。代わりに時々ご飯を食べに来てくださいと約束をした。
それからというもの、男性客は週に1度は奥さんと共にご飯を食べに来るようになってくれた。
ストラップの売れ行きは順調で、毎週新しい商品を作るのに忙しそうだ。
けれどその夫婦の目は輝き、夢と希望に満ち溢れているのがタエにもわかった。
幸せそうな夫婦を見ていると、タエも幸せな気持ちになった。
☆☆
もう死んでしまおう。
1人空を見上げてみると、嫌味なほど晴れ渡っている。雲1つない日本晴れの日だった。
なにが日本晴れだ。
日本全国民が晴れ晴れとした気持ちになるような言い方はしてほしくない。
岡崎明美(オカザキ アケミ)は空を憎らしげに睨み上げた後、再び歩き始めた。
少し前から風に乗って潮の香を感じ始めていたので、目的の場所がもう近い事はわかっていた。
今日で最後だった。
旦那が無くなってから旦那とも思い出めぐりをはじめて、今日がその最終地点。
明美と旦那の一番の思い出の場所へたどり着いた時、明美の目的は達成される。
目的が達成されるということは、それ以降の自分自身の様はないということと同じだった。
元から、この想い出めぐりの旅が終れば旦那と同じ世界へ旅立つつもりでいた。
それが今日という日になっただけだ。
別に、私が死んで悲しむ人なんて誰もいない。
両親とも早くに亡くなり、明美は18歳まで施設で育った。
双子の弟がいたのだが彼の方は幼い頃に引き取られ、今はどこでなにをしているのかわからない。
そんな明美がようやく旦那と出合い、家族になれたのだ。
あの頃が明美にとって一番幸せな時期だった。
けれどそれも10年ほどで途絶えてしまった。
朝いつものように会社へ向かった明美の旦那は、そのまま家に帰って来ることはなかった。
旦那の代わりに帰ってきたのは、悲しい訃報を知らせる警察からの電話だった。
旦那はいつも通り電車に乗り、会社の最寄駅で下車した。
そのまま歩いて会社へ向かっている途中、車に撥ねられたらしい。
相手は一晩中酒を飲み、泥酔状態だったと言う。
明美はこれまで何度も飲酒運転で捕まった人物をテレビの中で見て来た。
その度に怖いと思っていたが、それが自分の身近で起こる事件になるなんて、ちっとも考えてなかった。
自分自身ならともかく、旦那にふりかかるなんて。
明美がようやく見つけた家族の幸せは砕かれた。
子供がおらず夫婦2人で生活をしていた明美は途方に暮れることになった。
旦那のお義母さんやお義父さんは、子供のいない明美に『あの子の事早く忘れていい人を見つけなさい。あなたはまだ若いんだから』と、慰めた。
けれど明美にとってそれは慰めになんてならなかった。悪気がないのはわかっている。