タエの眠気は一気に吹き飛び、笑顔になる。
「いらっしゃいませ。好きな席へどうぞ」
カウンター越しに2人の声をかけ、すぐにお冷の準備をする。
氷を入れたグラスに水をそそぐと涼しげな音を立てる。
タエはこの時の音が好きだった。
「お決まりになられましたら――」
タエが水を出しながらお決まりのセリフを口にしている最中に、2人の注文は決まった。
2人とも親子丼だ。
ここへ来て海鮮丼を頼まないということは、海の近くの人なのかもしれない。
タエはそんな事を思いながらカウンターへ戻り、厨房へと声をかけた。
厨房では1人のパートさんと今の店主がいて、昼過ぎに入った予想外の注文に慌てている。
タエはカウンターへ戻るとガラスコップを洗い始めた。
シンクはカウンターの後ろにあり、軽い洗い物をする時はお客さんに背を向ける形になるのだが、2人の雰囲気が少しだけ張りつめていたので気を利かせたのだ。
「お前はどうして告白できないんだ?」
「だって……」
男の子はそう言ったきり、黙り込んでしまった。
タエは後方を気にしながらも洗い物を続ける。
「1年も前から愛花ちゃんの事が好きだって言ってたじゃないか」
「簡単には告白なんてできないよ」
聞き耳を立てながらタエはドキドキしてきた。
好きはタエもよく知っている感情だけど、それが恋愛へと変化した事はなかったからだ。
次の展開を待っていると厨房から声がかかった。
タエはすぐに厨房にはいり、お盆に2つの親子丼を乗せてカウンターへと戻った。
「お待たせいたしました」
タエは笑顔でそう言うと、2人の前に親子丼を置いたのだった。
その少年の名前は岸和斗(キシ カズト)と言った。
和斗は今小学5年生で、同級生の愛花ちゃんの事が好きだった。
どうにかして愛花ちゃんと普通に話せるようになりたいのだけれど、どれだけ頑張ってみてもそれができない。
話しかけようと思っても照れてしまって、意地悪な事をしてしまうのだ。
誰にかに相談がしたい。
だけど友達に相談なんてしたらきっと冷やかされてしまう。
愛花ちゃんにだって迷惑をかけてしまうことになる。
和斗は愛花ちゃんの困った顔を思い出して、それだけは絶対にダメだと思った。
自分の悩みを笑ったり冷やかしたりしないで聞いてくれる人を探していた。
そして行きついたのが、お父さんだったんだ。
お父さんは和斗に好きな人ができたことを喜んでいたけれど、1年間もグズグズしているのだ知ると、途端に怒ったような顔つきになり、和斗を連れて幸せ食堂までやって来た。
ここは静かだし、男同士の話をするのにいいらしい。
お店の人は2人に気を使って厨房に引っ込んでくれた。
「和斗、男は勢いが必要だ」
親子丼を頬張りながらお父さんが和斗へ向けてそう言った。
「勢いって?」
「好きだとか、結婚してくださいとか。そういうのはいくら頭で考えても無駄なんだよ。全部勢いだ」
勢いが必要だと言われても、その勢いをどうやって出せばいいのかわからない。
和斗は見様見真似で親子丼をかき込んでみた。
それは気管に入り、和斗は苦しいほどに咳き込んでしまったのだった。
☆☆
「お父さん、外でタバコ吸ってくるから。会計済ませといてくれ」
お父さんはそう言うと和斗に千円札を一枚渡し、先に店を出た。
お父さんに相談しても結局イマイチわからなかった。
勢いって一体なんだろう?
食べる勢いをつけてみたけれど、気管に入ってしまってとても苦しかった。
それなら、好きな子に告白することだってとても苦しい結果になるんじゃないだろうかと、不安が生まれていた。
モヤモヤと考えながら席を立ち、狭い店内を見回した。
さっきまでカウンター内にいたタエの姿がない。
「すみませーん!」
和斗が大きな声でそう呼ぶと、カウンターの横にあるドアからタエが出て来た。
「ごめんね、お待たせ」
慌てて戻って来たタエが和斗の持っている千円札に気が付いて、レジへと移動した。
「合計で900円です。千円お預かりします」
タエが馴れた手つきでレジを終わらせる。
和斗は100円のお釣りをもらい、レシートはいらないと断ろうとした時だった。
タエがとても小さな声で「あっ」と呟き、そして笑顔になった。
「おめでとう。これは君のレシートだよ」
「これって……」
和斗はレシートを見つめたまましばらく呆然とした。
これは最近噂になっている、あの占いレシートじゃないかと思い当たったのだ。
海の見えるどこかの食堂でご飯を食べると、占いが書かれた黄色いレシートが出てくる。
そこに書かれていることは良く当たるのだ。
和斗はジッとタエを見た。
タエは笑顔でうなずく。
「そうだね。みんなには占いレシートとか、黄色いレシートとかって呼ばれてるね」
「これが、そうなんですか!?」
「うん。でもね、誰にでも出るわけじゃないんだよ? そのレシートは悩みがある人にだけ出るの」
「本当に……?」
和斗は信じられないという様子で目を見開く。
「本当だよ。だからね、大切にしてね」
タエの言葉に和斗は大きく頷くと、スキップしそうな勢いで幸せ食堂を後にしたのだった。