砂浜から道路を挟んで小さな森が鎮座していて、その麓にその食堂はあった。

《幸せ食堂》と書かれた看板は古ぼけて、あちこちのペンキがはがれ、ようやくその文字が読み取れる程度にしか残っていない。

濃い茶色をしたその外観は、塗ったのではなく元々の木材の色が生かされている。

その店は5席のカウンター席のみの小さな食堂だった。

ドアを開けるとカランカランと涼しげなベルの音がする。

波の音が店内まで聞こえて来て、それがBGMになっていた。

このお店は古くからここにあり、当時は店内がもっと広く、沢山の人たちでに賑わっていたらしい。

今は当時の半分以下の大きさに縮小され、建て直されていた。

看板だけ当時の物を使っているのは、この店を建てた店主を忘れないためにという心配りがあったらしい。
店のメニューは定食と簡単な丼もの。

海の近くというだけあって、どの料理にも海鮮が使われている。

しかし、こんな外観で狭い店という事があり、新規の客はほとんどいなかった。

車で10分ほど行った場所に観光地があり、そこでは沢山の魚料理が楽しめるため、この店に訪れるのは昔からの常連さんや近所の人たちが多かった。

一見、いつ潰れたっておかしくない店。

けれどこの店には潰れない理由があった。

それは真しなやかに噂され、今では都市伝説となって全国に広まった。

《海の見える場所に立っている食堂でご飯を食べると、黄色いレシートが出て来るんだ。それには占いが書かれていて、とてもよく当たるんだよ》

海の近くの食堂なんて全国で何件あるかもわからない。

だけど、この噂は間違いなくこの食堂の事であると、アルバイトの藤原タエは知っていた。
良く晴れた夏の午後、カウンターの奥で目を細めて眠そうにしているタエがいた。

背は小さく、黄色いエプロンはタエの体にはブカブカだ。

窓から見える海ではサーファーたちが楽しんでいる。

ここでアルバイトを始めたころは窓から見える景色がとても新鮮で楽しかったけれど、今ではもう馴れてしまった。

お客さんの来ない午後に大あくびをしそうになった時だった。

ドアベルの音が鳴り、タエは姿勢を正した。

入口へと視線を向けると、そこには中年の男性と小学生の男の子が立っていた。

きっと親子だろう。

顔の形がよく似ている2人だ。
タエの眠気は一気に吹き飛び、笑顔になる。

「いらっしゃいませ。好きな席へどうぞ」

カウンター越しに2人の声をかけ、すぐにお冷の準備をする。

氷を入れたグラスに水をそそぐと涼しげな音を立てる。

タエはこの時の音が好きだった。

「お決まりになられましたら――」

タエが水を出しながらお決まりのセリフを口にしている最中に、2人の注文は決まった。

2人とも親子丼だ。
ここへ来て海鮮丼を頼まないということは、海の近くの人なのかもしれない。

タエはそんな事を思いながらカウンターへ戻り、厨房へと声をかけた。

厨房では1人のパートさんと今の店主がいて、昼過ぎに入った予想外の注文に慌てている。

タエはカウンターへ戻るとガラスコップを洗い始めた。

シンクはカウンターの後ろにあり、軽い洗い物をする時はお客さんに背を向ける形になるのだが、2人の雰囲気が少しだけ張りつめていたので気を利かせたのだ。

「お前はどうして告白できないんだ?」

「だって……」

男の子はそう言ったきり、黙り込んでしまった。

タエは後方を気にしながらも洗い物を続ける。
「1年も前から愛花ちゃんの事が好きだって言ってたじゃないか」

「簡単には告白なんてできないよ」

聞き耳を立てながらタエはドキドキしてきた。

好きはタエもよく知っている感情だけど、それが恋愛へと変化した事はなかったからだ。

次の展開を待っていると厨房から声がかかった。

タエはすぐに厨房にはいり、お盆に2つの親子丼を乗せてカウンターへと戻った。