「あっ、ご、ごめん。じゃあ、そうやって細かくなったらこれを入れて……」


 青司くんがハッとして離れていく。

 触れてしまった事をごまかすように何かを後ろの電子レンジに入れた。数十秒後にそれはチンと鳴る。

 取り出してみると、小皿の中に溶けたバターがあった。

 それをさらに砕いたクッキーの袋の中に入れる。


「よく揉んで。それはムースケーキの土台になるから」

「え? これ、ムースケーキになるの?」

「そう。午後になったら紫織さんたちが来るらしいから、彼女たちにそれをふるまおうと思ってるんだ。あ、もちろん真白にも試食してもらうけど……」

「ふーん」


 なんだ、これは紫織さんたちのためのものだったんだ。

 なんだか面白くなくなって、真顔で袋を揉む。


「真白? 何? 焼いてるの?」

「へっ?」


 すぐ近くから青司くんがわたしの顔を覗きこんでくる。

 わたしは首から上がカッと熱くなった。


「ち、違うよ! あー、これ美味しいムースケーキになるといいねー」


 やけになってそう言うと、くすくす笑われた。


「嬉しいな。焼いてくれるなんて。でも……昨日も言ったろ? 紫織さんのことは憧れだったって。俺は真白だけが……」

「あー、もういーから! はい、次は何をするの!?」


 これ以上恥ずかしい思いをしたくなくて、わたしは話題を強引に変えた。

 混ぜ終わったクッキーの袋を青司くんに返して訊く。


「じゃあ、これをこの丸いケーキの型に敷き詰めて。その上からこっちのムース生地を入れる」


 青司くんが混ぜていたのはムースの素だったようだ。

 わたしは大きめのスプーンで、今丁寧に砕いたクッキーを型の底に敷いていく。そしてそれが終わると、今度は青司くんがムース生地を入れた。

 いったい、何味のムースなのだろう。薄い紫色をしている。


「この上からあともう一層入れなきゃいけないから、またあとで調理するけど……これを冷蔵庫で一時間ほど冷まして固める。その間、メニュー表とか作ろうかな」


 青司くんはそう言って型を冷蔵庫にしまうと、手早く使った器具を洗ったり片づけたりした。

 わたしはそんな青司くんの後ろ姿をじっと見つめる。


 別の人間……。その言葉が頭の中でリフレインする。


 よく見ると、もうあの時の高校生だった青司くんじゃない。

 顔つきも体つきも、仕草も、もう大人の男の人だ……。


「どうした? 真白」


 手を洗い終わった青司くんがすぐ近くで首をかしげていた。

 わたしはハッとして首を振る。


「あ、な、なんでもない」

「そう? あ、ちょっと待ってて。今納戸から画材持ってくるから」


 そう言ってパタパタと奥へ走っていってしまう。


 あ……焦った。今妙なこと考えてたから。

 もし今考えてたことも見抜かれてしまったら、死ぬ、と思った。


 でも、さっき一瞬だけ、青司くんの顔も赤かったような気がした。

 はー、とか言っていまも頬に手を当てている気がするし。


「え?」


 もしかして……わたしが今じっと見てたから?

 そう思うとわたしも首から上が熱くなってきてしまった。


 青司くんはわたしのこと……やっぱり好きなのかな?
 可愛いって言ってくれてるだけだけど……。

 でももしそうなんじゃないかって思うと、ものすごく恥ずかしくなる。


 しばらくして青司くんは鉛筆と、水彩紙と、水彩絵の具を持って戻ってきた。


「お待たせ。メニュー表には、一応俺が描いた絵を載せたくて。一緒にどういうのがいいとか構図とか考えてよ、真白」

「うん」


 そうして、わたしは十年ぶりに青司くんが絵を描くところを見ることになったのだった。