わたしは声にならない悲鳴をあげた。
「~~~っ! な、なんで? なんであれ、飾ってるの!」
「いいでしょ? めちゃめちゃ可愛く描けたなって、自分の中では大絶賛なんだ。やっぱり真白を描いて良かった。ねえどう思う、真白」
「どうって……。すっごく上手だけど……でもなんでわざわざ掲示するのよ。お客様に見られるかと思うと、恥ずかしくてまともに働けなくなっちゃうよ!」
「そう? 俺は真白の可愛さをいろんな人に知ってもらいたいんだけどね……あ、でもそうすると真白に言い寄るお客さんが出てきちゃうか。それはまずいな……うん、やっぱ外しておこう。俺の部屋に移動させておくよ」
そう言うと、青司くんはカウンターから出て、さっそくその絵を取り外しはじめた。
ひとまずホッとする。
でも、なにか別の聞き捨てならない言葉も聞いたような気がして、わたしは再度青司くんを見た。
「え、ちょっと待って」
青司くんの部屋に、飾る?
それってわたしの肖像画が、いつでも青司くんに見られるってことだよね。
それも、ちょっと……かなり恥ずかしいんですけど。
「あ、あのっ、青司くん!」
「なに?」
わたしは青司くんの動きを妨害するように、自分が描き上げた絵を見せることにした。
なんとかその行いをやめさせたい……。
包みを開いて、さっそく水彩紙のブロックを取りだす。
ブロックは、何枚もの水彩紙を重ねて四方を糊で固めてあるものだ。描きあげた順にカッターで上から一枚ずつはがしていく。今はまだ分離させてないので、塊としてくっついたままになっていた。
その表紙をめくって、青司くんに差し出す。
「ねえ見て。わたしも昨日、描きあげたの!」
「え。どれどれ……」
青司くんは持っていた絵をテーブルに置くと、わたしの絵を受け取ってじっくりと鑑賞しはじめた。
しばらく経つと、青司くんは驚いたように目を見開く。
「真白……これ、真白が描いたの?」
「そうだよ」
「そう……。これ、とても素晴らしいよ」
そう言ったまま、青司くんは黙りこくってしまった。
素晴らしいって言うけど、実はそんなに上手くないかもしれない。そりゃあ、青司くんの方がプロだし、上手いし、足元にも及ばない。
お世辞なんていらないのに……なんて思ってたら、急に青司くんに抱きしめられた。
「え? なっ!? せ、青司くん?」
すぐ側のテーブル席にブロックを置いて、青司くんはもう一度強く抱きしめてくる。
わたしはどきどきしたまま動けなくなってしまった。
「真白……真白……。やっぱりきみの絵は最高だ。あれは……今の俺?」
「ええと……うん。そう描いたつもり」
「そっか。ありがとう……」
ぎゅう、とさらに抱きしめる力が強くなる。
どうしたんだろう。
わけがわからなくて、涙が思わずあふれてくる。
「せ、青司くん……」
「ねえ、やっぱり俺が描いた真白の絵、店に飾りたい」
「ええ!?」
「あと、この真白が描いてくれた俺の絵も飾りたいんだけど、いい?」
「えええっ!?」
衝撃的な発言の連続に、わたしはぐいっと青司くんの腕から逃れた。
「む、ムリムリムリ! 恥ずかしいって、言ったじゃん!」
「恥ずかしくないよ。そんなこと言ったら、俺は水彩画家を辞めなきゃならない」
「ええっ!?」
「だって、俺が描いた絵も、真白が描いた絵も……とっても素晴らしいんだ。これだけは俺の感性に嘘はつけない。それを否定するなら、真白、俺は画家としてもうやっていけないよ」
「そんな……」
わたしはしゅんと落ち込む青司くんに参ってしまった。
「そんなこと言われたら、ダメって言えないじゃない……」
「いいの?」
「……うん。そう言われちゃね」
「やった!!」
青司くんは満面の笑みになると、いそいそとテーブルに並んだ二つの絵を店に飾りはじめた。
わたしが描いたのはちゃんと額に収められて、青司くんの絵の隣に並べられる。
飾られたのは玄関の側ではなく、道路に面した窓際の壁だった。
なんだか青司くんの素敵な絵と比べられそうで嫌だけど、でもお世辞でも青司くんに褒められた絵なんだから、堂々としていようと思った。
「ねえ、真白」
「ん?」
朝の爽やかな光が、店の中に入ってきている。
テーブル席には穏やかな空気が流れていた。
「ここに来た人たちは、みんな母さんの絵を見ていた。楽しかった昔を思い出して、癒されていたように思う。俺たちも、誰かを癒せる存在になれたらいいね……」
「うん、そうだね……」
わたしたちはどちらからともなくお互いを見つめた。
そして、そっと唇を重ねた。
わたしは彼を見上げて言う。
「青司くん。少なくとも、わたしにとって今の青司くんは……そういう存在だよ」
「真白……。それは、俺もだ。きみに毎日癒されてる。これからもよろしく、真白」
「うん……」
ドキドキするけど、今言わないといけない気がした。
覚悟を決めて、言う。
「青司くん。……好き」
「真白……」
「十年前も好きだったし、会えない間もずっと好きだったけど……。今、あらためて思ってる。好き」
「俺も。真白が……好きだ」
「せ……」
見ると、青司くんの顔が真っ赤だった。
わたしもたぶん同じ顔をしてるんだろう。
なんだかおかしくなって、二人とも笑い合った。
でも、笑い終えるとまたどちらからともなくキスをする。
これから、どうなるかはわからない。
店も、お客さんも、わたしたちの仲も。未来への不安がないと言ったら嘘だ。
でも、その恐怖心を無くすには丁寧にひとつずつ関わっていくしかない。
わたしはそれを、青司くんの喫茶店を手伝っていくうちに学んだ。
いろんな人と話をしていく中で学んでいった。
その日は、プレオープンの日に向けて、チラシの作成や当日の動きなどをもう一度チェックしあったりした。
三月はもう半ばを過ぎようとしていた。
※ ※ ※ ※ ※
そして、三月の最後の週。
よく晴れた日曜日。
「いらっしゃいませ!」
「ようこそおいで下さいました!」
その日は「アトリエ喫茶・九露木」のプレオープンの日だった。
店には、近所の人や、かつてのお絵かき教室仲間、そしてその家族など、たくさんの人たちが訪れていた。
午後だけという時間限定で開店したのだけれど、そのあまりの人数にわたしたち二人だけでは手が回らなくなってしまい、急きょ紅里がピンチヒッターになってくれた。
「もう! あのハッタリが現実になっちゃったじゃないの! 今日だけだからね!」
「ゴメン、ありがとう紅里!」
紅里は結局あのレストランでは働かず、もう一度、別の広告代理店の面接を受けることになったらしい。
代役も、宣言通り見つけてきてくれた。
いとこの子がちょうどバイト先を探してたようで、紹介したら見事採用されることになったそうだ。
「あのう、このレアチーズケーキがほしいんですけど……」
「すいません、もう売り切れとなっておりまして」
「ではこっちのパンケーキはありますか?」
「はい」
「ではそれを」
「かしこまりました」
あらかじめ用意しておいたケーキ三種(レアチーズケーキ・フルーツタルト・ぶどうのムースケーキ)はすぐに売り切れ、あとは飲み物とパンケーキくらいとなってしまった。
それでも、ひっきりなしにお客さんはやってくる。
「おい、青司。このあいだのカレーはないのかよ?」
「ああごめん、黄太郎。今日はランチやってないんだ。また今度、オープンしたら食べに来てよ。今度は辛さを調節できるようにしておくからさ」
「ちぇっ」
カレーもランチで提供してみたかったが、そこまでやるといっぱいいっぱいになってしまうのではと、プレオープンはスイーツだけに絞っていた。
でもみんな、文句を言う人はひとりもいなかった。
かつての昔話に花を咲かせていたり、店の端に置いておいたスケッチブックに記念の絵を描き残して行く者がいたりと、わりとそれぞれに楽しんでいる人たちばかりだったのだ。
「よう、来たぜ」
「森屋さん……!」
庭もプレオープンに合わせて完成した。
窓からは色とりどりの花が咲き誇っているのが見える。
気のせいか、昔よりさらに華やかになっているようだった。
功労者の森屋さんはいつものつなぎ服ではなく、おめかししてジャケットを着てやってきた。
ちらちらと玄関脇の桃花先生の絵を見ているのに、わたしと青司くんは思わず顔を見合わせる。
そうこうしていると、紫織さんたちもやってきた。
「来たわよー、真白ちゃん、青司くん!」
「紫織さん! それに大貫のおばあさんも」
「このたびはおめでとうございます……」
菫(すみれ)ちゃんに大きな花かごを頂いてしまった。
さっそくカウンターに置いて、空いている席にご案内する。
「盛況ねえ~、真白ちゃん」
「はい、予想していたよりたくさん来ていただけて嬉しい限りです」
「まあ、オープンしたらもうちょっと落ち着くと思うけど。これも、ウチの宣伝が良すぎたせいかしらね」
「まったくです。紫織さん、ありがとうございます」
「冗談、よ」
紫織さんにウインクされたけど、わたしはときょとんとする。
だって、事実だ。
喫茶店のチラシを新聞折り込みにしたから、これだけの人が集まったのだ。
紫織さんの言う通り、オープンしたらまた変わるのかもしれないけれど、まったく人が来ないよりは良かったと思った。
「あ、こら、菫! すいません……」
「いや……」
菫ちゃんはあれから森屋さんがお気に入りになってしまったのか、今もわざわざ森屋さんの隣に行って、絵を描いたりしている。
紫織さんの旦那さん、学(がく)さんが申し訳なさそうに頭を下げるのを森屋さんもどう返していいかわからないようだった。
「ほらほら、真白! 次の持って行って~!」
「はーい」
青司くんの声にハッとなってカウンターへと戻る。
中では紅里が手際よく、どんどん食器を洗って拭いて、それから水やおしぼりの用意などをしていた。
「あたしだってね、就職するまでは東京の喫茶店で働いてたことあるんだからねっ」
紅里がそう言ってドヤ顔をしてみせると、青司くんがどんな女子も瞬殺させるような笑顔で言った。
「やるねぇ、紅里」
「せ、青司くん!?」
「青司くん、それはお願いだから真白だけにやって。あたしには刺激が強すぎる……!」
あああああ、と頭を抱える紅里に、首をかしげる青司くん。
わたしは笑って、出来上がったドリンクをお客様のところへ運んでいった。
そして、夕方――。
ようやく閉店して、残ったのは顔なじみだけとなった。
「今日は……本当にありがとうございました」
青司くんがみんなの前に行って、頭を下げる。
「今日のプレオープンが無事に成功したのも、みなさんが俺を受け入れてくれたおかげです。十年前にはいろいろありましたけど、またここで一からやり直すのを見守っていっていただけると嬉しいです」
そのあいさつに、方々から「頑張れよ」とか「頑張ってね」などの声がかかる。
わたしはそのタイミングで、そっとある人たちに連絡をした。
メールを送ると、ガチャリと玄関のドアが開く。
「……え?」
青司くんが振り返ると、そこにはわたしの両親と弟がいた。
「青司くん、おめでとう! これ、わたしたちから」
わたしは家族の元へ行くと、持ってきてもらった箱を受け取り、そう言って青司くんに渡した。
青司くんはそれをみんながいるテーブル席に持っていき、慎重に開ける。
すると、中からは大きなバースデイケーキが現れた。
白いクリームがたっぷりと塗りたくられたホールケーキの上には、たくさんのイチゴが乗せられており、さらに中央には『アトリエ喫茶・九露木 祝・プレオープン』とチョコペンでメッセージが描かれている。
「これ……」
「あんまり上手にできなかったけど……一応、わたしが作ったんだ。おめでとう、青司くん」
「真白……」
その瞬間、全員から拍手が贈られる。
青司くんは涙ぐみながら、ありがとうと言って笑った。
みなと一緒に記念写真を取ってから、少しずつ切り分けて食べる。
我ながら、上手に作れたと思う。
ふわふわのスポンジに、甘い生クリーム、そして、わずかに酸味のあるイチゴ。
それらが口の中で絶妙に混ざり合う。
「あ、真白。それ、食べないんならちょうだーい」
「うん、いいよー」
「ありがと!」
イチゴが大好きな紅里。
わたしは彼女のために一番上のイチゴをとっておいた。それをそっと彼女の皿に移す。
「紅里」
「ん?」
「今日はありがとね」
「ああ、いいのよ。こういうときはお互い様でしょ」
もぐもぐと口を動かしながら、紅里がそう言って笑う。
「ううん。いつも助けられっぱなしだよ。本当にありがとう」
「イチゴくれたから別にいいよー」
「また……。紅里は良い人過ぎるよ。でも、これからは……わたしが紅里の力になれたらいいなって思う。いつもいつも励ましてもらったから。今度はわたしの番。本当にいままでありがと、紅里」
「真白……」
紅里は十分に味わうと、ごくんと飲みこんでから言った。
「ふっ。そんなこと生意気なこと言って。でも、そうなってくれるとあたしも嬉しいよ。真白、頑張ってね」
「うん。紅里も」
そう言うとわたしたちは笑い合って、そして額をこつんと寄せ合った。
「ちょっと、二人とも?」
「へっ?」
「うわっ」
なんと、至近距離に青司くんがいた。
すぐ後ろから声をかけられたようだ。
青司くんはじとっとした目でわたしを見つめている。
「あ、青司くん……?」
「真白、さっきのケーキ嬉しかった。ありがとう。でも……ちょっと今、紅里と顔が近くなかった?」
「へっ?」
紅里とともにわたしは耳を疑った。
まさか? まさか……今のを青司くん……?
「おいおい青司、そこまで独占欲強いのはさすがに引くぞ~?」
黄太郎がそう突っ込んできたが、わたしはまだ青司くんの言葉が信じられなかった。
でも、彼の目は真剣そのもの。
わたしは一気にあわてた。
「え、あの、青司くん!? わ、わたしたち、別にそういうんじゃないから」
「そういうんじゃないって……どういうこと?」
「えっ、だから……。な、なんでもないって!」
「なんでもないって、だから……どういうことなのかな?」
「だ~か~ら~! ただの友達!」
紅里も黄太郎もあきれ返っている。
わたしは青司くんの誤解を解くために、しばらく説明しつづけるはめになった。
まさか、十年後にこんな未来が待っているとは……。
それでも、今のわたしは幸せだ。
この幸せがこのお店にあふれますように。
甘いショートケーキを食べながら、わたしはそう願った。
【応募した部門】
①青春恋愛
②ほっこり人情
【400字程度のあらすじ】
埼玉の片田舎でウェイトレスとして働いていた真白。
イギリスでプロの水彩画家となっていた青司。
生きることに消極的だった真白は、スランプを期に地元に十年ぶりに帰ってきた幼馴染の青司に頼まれて、川向こうの「アトリエ喫茶」の準備を手伝うことになる。
準備期間中、店にかつての昔なじみたちがやってくる。
今は亡き青司の母親と、いい仲だった園芸師の森屋。
青司の尊敬する絵の先輩だったが、今は家庭に問題を抱えている紫織。
高校の頃、真白の元カレだった黄太郎。
なにかしらの障壁を持つ彼らと話すことで、二人も成長していき、二人の仲も急速に縮まっていく。
しかし真白は、親友・紅里に呼び出され意外なことを打ち明けられる。
「あたしも青司くんが好きだったの。告白もするし、お店で手伝いたいって言ってきてもいい?」
それは紅里が真白に発破をかけるための意地悪な後押しだった。
真白は覚悟を決めて、改めて青司に告白する。
お互い「好きだ」という気持ちを確認し合う二人。
三月下旬。晴れてプレオープンを迎え、二人はたくさんの祝う人々に囲まれ、新たな一歩を踏み出すのだった。