吾輩は猫である。名前は、”ライ”という。目の前で、我のトイレを掃除している下僕が付けた名前だ。
「ライ!トイレの掃除が終わったぞ!撫でさせろ!」
うるさい男だ。
我のトイレを綺麗にして、糧を持ってくればいい。
まぁたまには、我の毛並みを堪能させるくらいは許そう。だが、今日は気分ではない。
この男が、”シゴト”とかで使っている”ぱそこん”の上で寝ることにしよう。男が、うるさく机を叩かなければ、この”ぱそこん”とかいうのは、心地が良い振動と温かい風が出てくる。素晴らしい物だ。男が、何やら机に座ってブツブツ言っているときには、煩い音がしたり、暑すぎる風が出てきたり、眩しく光るので、我は好きではない。そのときには、抗議の意味で、男の膝の上に乗って丸くなる。腕を動かすのを止めさせるために、顎を乗せたり、爪で腕を固定したり、男の腕を抱きかかえて動かさないように命令を出す。
「痛い。爪を出すな」
何をする。
お前が動くのが悪い。我が眠ろうとするのを邪魔するな。
「お前、爪が伸びてきているな」
男が、我の肉球を触って、爪を出している。
爪を切ってくれるのか?そうだな。この男の番は、我が丁度よい壁で爪を砥ごうとすると怒り出す。その後、男が壁の修復をしているのを見たことがある。我の下僕に、作業をやらせるとは、番は我の後から来たのに偉そうだ。それに、番からは嫌いな匂いがするときがある。その時には、我は番には近づかない。
ただ、番は時々”とり”の味がする滑らかな物を我に献上する。だから、一緒にいることを許している。男も、以前は我が居るのにも関わらず、寂しそうにするときが有ったが、番が居るようになってから、その頻度が減った。下僕の為にも、番が一緒に居るのを許してやっている。
「よし!爪を切るか!」
男が、我の爪を切るようだ。
いつものように、我を抱きかかえて、座る。我は、抱きかかえられるのだが好きだ。男は、”ジュウイ”とかいう白衣を来た人物に爪を切る方法を習ってから、格段にうまくなった。だが、残念なことに、番の方が爪を切るのがうまい。絶妙なバランスで切ってくれる。
「ライ。頑張ったな。ご褒美だ」
頑張ったのは、我ではないが、”ご褒美”はもらっておく、男には我を撫でさせてやる権利をやろう。
男は、魚の味がする、フヨフヨする物を持ってきた。滑らかな物の次に好きな物だ。量が少ないのが残念だ。硬い丸い糧も好きだが、滑でいろいろな味がする糧も好きだ。男と番は、いろいろな匂いがする物を餌として食べているが、あんな不味そうな物をよく食べる。たまに、うまそうな匂いをさせているが・・・。我には、専用の糧がある。下僕と分け合う必要はない。
「さて、ひと仕事するか・・・。今日中に終わらせないと、スケジュールが・・・」
男は、”シゴト”をするようだ。
我の居場所である、”ぱそこん”を使うのだろう。”フヨフヨする物”を、下僕が持ってきた。日差しもあるから、窓際で下僕を監視していよう。本当に、我が居ないとダメな下僕だ。
「お!ベストショット!アップしよう!」
下僕が何やら持ち出した。
賢い我は知っている。”すまほ”とかいう道具だ。下僕は、あれを使って、我の糧を取り寄せている。毎日ではないが、番と何か見ているのを確認している。我には関係がないだろう。
今日は、日差しが有って暖かい。警備体制を万全にしないとダメだ。
「ライ!今日は、窓から外を見るのか?本当に、器用だな。窓枠を使って立ち上がっているぞ!由美が喜びそうだ」
男が何か興奮している。
騒ぐのはいいが、鳥が逃げてしまう。使えない下僕だ。まぁいい。番が来れば、我の糧は用意されるだろう。わざわざ狩りをする必要もない。
今日も問題はなさそうだ。
「ライ。ライ。寝たのか?かわいいな。由美が『尊い』と言っていたけどわかる。死にそうになっていた子猫だとは思えない。白い毛並みに、背中に雷のような模様があるから、”ライ”と名付けたけど・・・。大きくなったな。もう5年か・・・。早いな。由美と結婚してから、3年。ライと過ごした時間の方が長いな」
下僕が、我を見ながら何かブツブツ言っている。我の尊い名前を連呼しているから、我のことを考えているのだろう。男は、前からそうだ。我が男を下僕と認めたときから変わらない。我も、男が我を見つけてくれたことには感謝している。
我は、親を知らない。我が我だと気がついたときには独りだった。冷たい水が天からおちてきて、我を濡らしていた。我は、濡れるのを避ける為に、天が避けていない場所を探した。幼かった我では移動するのにも一苦労だった。濡れた毛並みで不快な気分を、更に不快にしていた。糧を得られない日々が続いた。天からおちてくる水のおかげで、喉の乾きだけはなかった。身体が震えて、目が開かなくなり、歩くのも辛くなってきて、我は目を閉じて横になった。
暖かい風と、柔らかな草で目を覚ました。
どこかわからなかった。我は、力の限りを尽くして立ち上がって、その場を逃げようとしたが、大きな腕で我を捉えて離してもらえなかった。我は抵抗した、爪で攻撃もした。でも、男は我を離さないで、”大丈夫”とだけ繰り返した。我は男を信じようと思った。今、思えば男は下僕として我をもてなそうとしていたのだ。
我の声を聞いた男は、糧を我の前に出した。暫く口にしていなかった糧だ。我は、慌てて男に取られないように、食べようとしたが、男は我が食べるのを見ながら、”大丈夫”を繰り返すだけだった。男は、我の寝床を用意した。この頃には、下僕として我に仕えると決めていたようだ。糧を得た我は、そのまま寝てしまった。
起きたら、男が安心した表情で我を見ていた。その時に、我の名前が”ライ”と決まった。それから、我は”ライ”と呼ばれることになった。
男は、我の為に寝床を用意しただけではなく、糧の為に必要な物も用意した。トイレも用意したのには驚いた。それだけではなく、爪を研ぐための場所や、狩りの練習をする道具まで用意した。この場所は、天が避けていない為に、水が落ちてこない。水が溜まっている場所はあるが、我が入る必要がない場所だ。我が喉の乾きをいやすための専用の場所まで用意された。
我は大事な毛並みを維持するために、毛繕いを忘れない。我の毛は、幼少の頃は、短い状態だったが、下僕を得てからは長くしなやかになっている。そのために、毛繕いが欠かせない。しかし、毛繕いをすると我の毛が身体の中に溜まって不快な気持ちになる。下僕に、なんどか注文を出して、やっと我の好みにあう”草”が用意された。草を得るのは、不快な物を追い出すためだ。そして、男の番が来てから、10回寝たら”ふろ”と呼ばれる場所で、下僕と番が我の毛繕いを手伝う。最初は、あまり好きではなかったが、下僕と番が行う毛繕いは余計な毛が抜ける上にしっかりと身体をほぐすようにする。我の好きな時間の一つとなった。
だが、我は男を守りながら寝るのが一番好きだ。男は、我が居ないとダメなのだ。
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スマホが鳴った。由美からかかってきた。休憩時間なのかもしれないな。
「どうした?」
『今日も、ライは元気ね』
俺がアップした動画を見てくれたようだ。
「そうだな」
『不思議ね。貴方が、雪が混じる雨の日に、死にかけた子猫が・・・』
「由美は、奇跡だと言っていたな」
『そうよ』
「でも、俺には・・・」
『そうね。貴方は、治療を諦めようとした私に向かって”この子は生きようとしている。諦めないでください。ほら、爪で俺を!だから、お願いします”だものね』
「そんなことを言ったか?」
『言ったわよ。必死に、冷たくなる子猫を抱きかかえて、必死にあたためて、身体を擦って・・・。子猫がミルクを飲んだときには、泣き崩れて喜んだわよ。患畜と一緒に泊まれる部屋まで取って・・・。見ているこっちまで嬉しくなってしまったわよ』
「そういうなよ。ライのおかげで、俺は由美に出会えたわけだし、ライはやはり天使で間違いない」
『そうね。私も、ペットをアクセサリーのように連れ歩く親ばかりを見ていて・・・。最後の患畜だと思って、貴方と出会った。良かったと思っているわよ』
「そうか・・・。ライのおかげで、由美とも結婚できたしな」
『びっくりしたわよ。私の恩師が、貴方の顧客だったなんて、それで、私も恩師の病院に戻れたし・・・。本当に、何があるかわからないわね』
「今日は、遅いのか?」
『うーん。ちょっと待って、予定表を確認してみる』
由美が先生に確認している声がする。
由美の恩師は、俺がサイトを作っていた動物病院の院長だ。保護猫や保護犬の去勢や保護活動をしている先生だ。正直、儲かっているとは言えないが、時流に乗って動画の配信を始めたところ、それが当たった。保護猫や保護犬を使ったカフェもオープンした。それらのサイトを俺が引き受けている。
『今日は、予防接種の予定が入っているだけだから、緊急の患畜が来ない限り、早く上がれるわよ』
「わかった。今日は、チキン南蛮の日だ。作って待っているよ」
『ありがとう!遅くなるようなら、連絡を入れるね』
「あぁわかった。浮気するなよ!?」
『しないわよ!』
『「ライ(うちの子)が一番、”尊い”!」わよ』
二人で、笑って電話を切った。
窓際で、大の字になって寝ているライの写真を撮影して、由美に送った。
由美からの返事は、『尊い』だけだったが、俺にはそれで十分だ。ライが居て、由美が居る。それで十分満たされている。