ちょっとだけ切ない短編集


 二人の少女は、学校の帰り道にある神社に来ていた。

(おねがいです。大好きなだいちゃんと両思いになれますように!)
(大好きなたっくんが私の事を好きになってくれますように、お願いします)

--
 4人の少年と少女は、学校の帰り道にある神社に寄った。
 学校の宿題をするためだ。

「ねぇ本当に”ここ”なの?」
「宿題には丁度いいだろう?」

 反対する女子に、男子が肯定させるための意見を話している。

「そうだけど、ちょっと怖いよね」

 もうひとりの女子も怖がっている。

「大丈夫だよ。俺、この前の祭りでも来たけど何もなかったぞ」

 男子が怖がる女子二人に向けて言葉をかける。
 男子たちは、この薄暗い神社で遊んだ事もある。

 出された宿題の写生に向いた場所である事も知っている。
”町と海と空”
 先生から出された写生のテーマだ。神社は小高い山の中腹にあり。神社から見える景色は、小さな港町。

 宿題を終え神社から帰る4人。
 夕日に染まる景色を見ながら長い急な階段を降りている。男子が先を歩いて、女子が続いている。

(キュォーン)

「あっ!」

 女子の1人が急に声を上げる。
 男子二人が振り向いた。

 女子二人は、ミニスカートだった事を思い出して、スカートを抑えるが急な階段では意味がない。

 夕日の様に染まる女子と男子の顔

「見た?」
「見えてない」

 二人の男子の顔は、パンツを見た事を物語っている

「うそ?」
「見えなかった。見てない」
「本当?」
「うん」

 嘘なのは明白なのに、男子は嘘をついた。見られたのは解っているが、嘘を信じた二人の女子。

 学校に提出された4枚の似たような構図で描かれた宿題。
 その中の1枚が金賞を獲得する。

 4人は幼馴染だ。家が隣り合っている。

「神社にお返ししないとね。特に、たっくんは!」
「俺?」
「そうでしょ!金賞が取れたのも、神社で写生したからでしょ!」
「そうね。それに、私のパンツを見たでしょ?」
「だから、見てない!早織のパンツもは見てない」
「嘘!だって、大ちゃんが喋ったよ!私が白で佳奈がピンクだったって!」
「大介!お前!内緒だって約束しだろう」
「だって、教えなかったら」
「なんだよ!」
「拓也が、カナちゃんの事を好きだって、カナちゃんにバラすって」
「おま、何を、佳奈!違うから」
「え?違うの?私、たっくんの事、大好きだよ。たっくんなら見られても平気じゃないけど、いいよ?」

 4人の中に微妙な雰囲気が流れる。
 早織は、パンツの事を聞き出す時に、大介の事が好きだと告白している。大介も早織の事が好きだと言った。だから、二人は佳奈から気持ちを確認して、拓也と佳奈をくっつけようとしていた。
 見事成功した・・・?

 大人になった4人は、同じ組み合わせで、同じ日に同じ場所で結婚式をあげる事になるのだが、まだ4人は知らない。

「そっそうだな。俺が金賞を取れたのも、神社のおかげだからな!お返しは必要だな!」

 耳まで赤くして、拓也は佳奈からの告白をスルーするつもりで居る。

「たっくん!」「拓也!」

 早織と大介は、佳奈の横に立って、拓也を睨む。
 涙目になっている佳奈を慰めているようだ。

「うぅぅ」
「拓也。男だろう!」「たっくん。情けない。佳奈。拓也じゃなくて、克己にする?」
「おぃ!早織!大介も。そうだよ。俺は、佳奈が好きだ!佳奈の事が大好きだ!佳奈!俺を好きになってくれるか?」
「うん」

 早織と大介の間に居た佳奈は、拓也の告白を受けて、拓也の腕に走って抱きついた。
 小さく膨らみ始めている部分を拓也の腕に押し付けるように抱きしめる。

(キュォーン)

 神社の方から鳴き声が聞こえたように感じた4人は神社の方を見つめるが、動物が居る気配はない。
 そのまま、4人はお返しをするために長い急な階段を登るのだ。

(私が大ちゃんと一緒に居たいって願ったのを聞き入れてくれたの?)
(僕がさっちゃんと一緒に居たいと言ったのを聞いてくれたのか?)
(私がたっくんと恋人になれる事を認めてくれるの?)
(俺が佳奈の事を好きだって言ったからか?)

 それぞれの願いを思いながら、神社の境内を掃除して綺麗にしている。写生大会で金賞を取れたというのはこじつけに近い。

 早織は、パンツの一件があり大介と両思いだとわかった事のお返しをしたかった。
 大介は、早織からの思いがけない告白が嬉しかった。そのお返しをしたかった
 佳奈は、早織が嬉しそうにしているのが嬉しかった。拓也の金賞が素直に嬉しかった。そのお返しがしたかった
 拓也は、なんだかわからないがお返しをしなければならない気分になっていた

 神社は、祭りの前や祭事の時に掃除を行う。そのための準備もされている。
 宮司や神主は居ないのだが、掃除道具や神社を維持するための物は、地域の住民が準備をしてくれている。災害時の避難場所にもなっているために、地域の住民が順番に掃除をしているためだ。自分たちだけで行うのは初めてだが、落ち葉を一箇所に集めたり、手水舎を綺麗にする事はできる。
 2時間くらいかけて自分たちにできる掃除を行った。

「この落ち葉はどうしたらいい?」
「父さんに言っておくよ」
「そうだな。大介のオヤジさんがいいだろうな」
「そうね」「うん」

 大介の父親が船乗りで、船乗りが港で焚き火をする時に、神社や近くの山から落ち葉を拾ってくるのを知っている4人は、落ち葉を集めて袋に入れておく事にした。
 自然と、大介と早織、拓也と佳奈のペアに分かれて作業をする事になる。
 翌日から、学校に行くときにも自然と二組に分かれる事になる。

--
 4人がそれぞれの想い人と付き合い始めてから5年。
 中学3年生になっていた。

 『科学技術高等学校』科は違うが、4人とも同じ高校を目指して勉強していた。
 大介は、建築デザイン科。早織は、都市基盤工学科。拓也は、ロボット工学科。佳奈は、情報工学科。

 受験勉強もそれぞれ頑張って、合格率もかなり高い所で安定していた。

「ねぇ大介。最後に神社にお参りしていこうよ。学問の神様だっていうし、丁度いいでしょ?」
「そうだな。拓也はどうする?」
「俺?そうだな。最後は神頼みだからな。軽く掃除して帰れば、ゆっくり寝られるからな。佳奈もその方がいいだろう?」
「うん。心配で勉強しちゃうと混乱するから、今日は早く寝ろって言われているから、その方がいいかな」

 4人は、付き合うきっかけをくれた神社に久しぶりに向かった。
 中学校の方向とは違う為に、足を向ける事がなかったが、神社は同じ場所にあの時と同じ様に立って皆を見守ってくれている。

「拓也!佳奈のスカートの中を覗かないでよね!」
「ばっそんなことするか!」
「そうだよね。佳奈に言えば見せてもらえるのだろう?」
「なっ大介!お前もそうだろう!俺はちが・・・わないけど・・・違う!」
「そうよ。大介には私が居るの!だから、私のスカートの中を覗かないでよね!」
「そんな事するかよ!」「たっくん・・・。私の・・・ダメなの?」

 4人はじゃれ合いながら階段を上がって、小学生の時にお返しに来た時の様に掃除をして、綺麗になった境内で合格を祈願した。

(大介と同じ高校にいけますように。できたら、このまま一緒にずぅーといられますようにお願いします)
(早織が高校に合格しますように、僕は実力で合格します。だから、早織と一緒の高校に入れますようにお願いします。そして、早織と一緒にいられますようにお願いいたします)
(高校に合格できますように、あと、たっくんとだいちゃんとさおりんと一緒にいられますようにお願いします)
(佳奈と一緒にいられますようにお願いします。あと、高校も合格できますようにお願いします)

(キュォーン)

 4人は、鳴き声を聞いたと思ったが、もしかしたら神様が願いを叶えてくれると言ってくれているのかと思って黙った。

 数日後、4人は志望校の希望した科に合格した。また4人で一緒に通える事を喜んだ。両親たちも子供の合格を喜んだ。

 高校の入学式の前日に、4人は神社にお返しに訪れた。
 今度は、4人の両親も一緒だ。12名で神社を綺麗に掃除して、お返しの為のお供えをした。

(キュォーン)

--
 4人は、高校卒業して地元の企業に就職した。
 就職先はバラバラだったが付き合いは続いていた。寂れた港町での生活を続けていた。

 佳奈の25歳の誕生日に、拓也は佳奈に、大介は早織にプロポーズした。別々の場所で行ったが、大介は拓也ならこの日を選ぶだろうと考えていた。佳奈と早織は、お互いに知らされていなかったが、お互いに報告しようと連絡した時に、事実に気がついた。そして、結婚を承諾したのだ。

 4人は、付き合い出すきっかけをくれた神社から少し離れた場所に新居を構えた。
 大きめな土地が売り出されていたのを買って家を建てたのだ。

 そして、3年が過ぎた。
 お互いに子供はできていないが、夫婦仲も4人の関係も小さいいざこざはあるが問題なく過ごしていた。

 しかし

「大介!どういう事だ?!」
「・・・」
「大介!早織は?佳奈は、無事なのだろう!?」

 そこは、深夜の病院だ。
 拓也が怒鳴っていい場所ではない。怒鳴っていい場所ではないが、怒鳴っている拓也を止める者は1人もいない。

 拓也が仕事をしていた所に、大介から電話が入った。
『早織が刺された。佳奈ちゃんも一緒だ』

 大介には、早織が刺される心当たりがなかった。佳奈が自分の妻が刺されるのなら。あいつが犯人に違いないと思っていた。だから、早織が刺されたと聞いた時に、刺されたのは佳奈で早織からの連絡では・・・、と思っていた。

「たっくん」
「佳奈!!!無事なのか?」

 佳奈は、拓也の胸に飛び込んで泣き出してしまった。
 腕と首に巻かれた包帯が痛々しい。

「佳奈。佳奈。佳奈」
「・・・。たっくん。わた・・・し、さお・・・りんが、わた・・・しを・・。どう・・し・・よ」
「佳奈ちゃん。佳奈ちゃんは悪くない。悪いのは、刺したあいつだ!」

 佳奈を大介に預けるような仕草をして、拓也は出口に向かおうとする。

「拓也!」「たっくん」

 大介は、とっさに拓也の腕を掴む。拓也が何をしにいこうとしたのかが解ったからだ。

「離せ!大介!俺は、俺は・・・。許せない!あいつにお返しをしないとダメだ!爺さんにも言われている。恩には恩を、仇には仇を、しっかりお返しをしないとダメだと教えられた!だから、離せ!大介!」
「お返しは必要だろう。必要だけど、俺たちがする必要はない!いいか、お前は佳奈ちゃんと一緒に居ると誓ったのだろう!なんで離れようとする!遠くに行くな!拓也。佳奈ちゃんを1人にするな!」

 佳奈のすがるような目線。
 大介の怒りに満ちた目線。

 この場に居ないが。早織が、望んでいない事も解っている。解っているが、拓也は自分が許せなかった。

 街で佳奈を見かけたという理由で、一目惚れしたとか言ってストーキングしてきた男。
 警察に訴えて、接近禁止命令を出したが効果がなかった。日に日にエスカーレとしているのは解っていた。地元に居る時は安全だと思っていた。事実、地元は安全だ。知らない人が街の中を歩いていればすぐに解る。ストーカーもこの街には入ってこられない。
 だから、拓也は安心していた。
 まさか、買い物に行った場所でストーカーが待ち受けていたとは思っていなかった。佳奈を拉致するつもりで、スーパーの駐車場で待っていたのだ。早織がいち早く気がついて、佳奈をかばった。佳奈も、腕と首を切られたが命に関わるような傷ではない。
 早織は、腹部を刺された。
 犯人だったストーカーは車に乗って逃げた。
 後日、崖から転落して死亡しているのが見つかった。犯人の死体は、神社の山を隔てた鬼門の方角で見つかった。

「たっくん」
「わるい。佳奈。大介。すまない」
「大丈夫だ。僕はここに残る。拓也。佳奈ちゃんが警察に呼ばれている。付き合ってやってくれるよな」
「わかった」
「警察には、僕は病院に残っていると伝えてくれ」
「わかった。佳奈。行こう」
「うん」

 手術は、8時間にも及んだ。
 子宮や腹部の血管が傷ついていたためだ。

「大ちゃん」
「早織!」
「ごめんなさい」
「何を謝る!早織は、佳奈ちゃんを守ったのだぞ!」
「うん。でも」

 お腹を撫でる早織。
 医者に聞いている。子宮一つがダメになった事。もう一つも血流が止まっていた事から、残せたのだが子供は諦める必要があるだろうという事だ。

「早織。僕は、早織が無事なのが嬉しい。佳奈ちゃんが無事なのが嬉しい」
「でも、お義父さまやお義母さまに」
「それは気にしなくてもいい。オヤジもおふくろも、気にしないと思う」

 大介の両親は事故に巻き込まれて他界している。

「でも」
「早織!そうだ!退院したら、神社にお返しに行こう!」
「お返し?神社?」

 警察から開放された、拓也と佳奈は夜中にもかかわらず、きっかけをくれた神社に早織の無事を祈りに行った。

 その事を、大介から聞いた早織は声を出して笑ってから
「そうね。あの二人のことだから、祈っただけで、お返しはしていないでしょうから、しっかりとお返しの掃除とお供えをしないとだね」
「あぁそのためにもまずは退院しないとな」
「わかった」

 早織は、ゆっくりと大介を見てから
「大介さん」
「なんだ」
「愛している」
「俺もだよ。早織。世界で一番愛している」
「知っている。私のパンツだけを見ていた時から解っているよ」

 お互い抱きしめて、優しいキスをする。

 早織の目から一筋の涙が流れた。
 大介は、涙が何に由来する涙なのかわからなかった。
 早織もなんで自分が泣いたのかわからなかった。

--
 事件以来、4人の関係が少しだけギクシャクしていた。

 中でも佳奈が一番思い悩んでいた。拓也との子供は欲しいけど、早織を子供が産み難い身体にしてしまった自分が拓也との子供を願っていいのかと考えていた。
 それが解っている早織は佳奈を神社に連れ出して、声に出して願い事をした”拓也と佳奈に子供ができますように!できれば、女の子と男の子!拓也と喧嘩した女の子が、私の所に来て、拓也の悪口を言うのを聞いて、私はその子に、それじゃ家の子になる。と勧めるのが夢です。お願いします。是非、拓也と佳奈に女の子と男の子をお願いします!”

(キュォーン)

 二人は確かに動物の鳴き声を聞いた。早織の願いを叶えてくれるという事だ。
 それから、2ヶ月後に佳奈の妊娠が発覚した。

 それから、7ヶ月。4月の上旬だ。
 事件の時とは、立場が逆になった。

「拓也!佳奈ちゃんは!」
「・・・」

 椅子に座る拓也。暗い病院に木霊する。大介の怒鳴り声。

「拓也!」

 拓也の耳には、大介の怒鳴り声が聞こえていなかった。

「あっ大介。悪いな。仕事だったのだろう?」
「ふざけた事をいうな。拓也。佳奈ちゃんは?お前たちの子供はどうなった!」

 子供ができた時には、拓也と佳奈以上に大介と早織が喜んだ。二人が、自分たちを気にしているのがよくわかったからだ。

「まだ」
「そうか、怒鳴って悪かった」
「いや、ありがとう。早織は?」
「もうすぐ来る」
「そうか、すまんな」
「何を、謝る?」
「大介。俺」

 大介には、拓也が何をいいたいのか解る。
 間違っていると否定するのは簡単だ。でも、大介に否定されても、拓也が納得しないだろう。それは、大介が一番解っている。

「俺も早織も大丈夫だ。それよりも、佳奈ちゃんの事を考えろ!」
「あっあぁ」

 佳奈は今でも苦しんでいる。早織の幸せを奪った自分が、子供を産んでいいのかと悩んでいた。

「拓也!大介!」
「早織。ありがとう」

「”ありがとう”じゃないわよ。拓也。佳奈は?子供は?」
「早織。少し落ち着け」
「落ち着いていられないわよ!それで、犯人は?」
「捕まった」

 拓也と大介の表情から、早織は悟ろうとしたが無理だ。
 早織が教えられたのは、”佳奈が、階段から突き落とされた”という事だけだ。きっかけの神社近くの近くにある階段だ。なんで、佳奈がそんな所に行ったのか、誰にもわからない。突き落とされて、倒れている所を発見されて病院に運ばれた。
 帝王切開での出産が急遽決まった。同時に、佳奈の折れてしまった骨の手術も始まった。肋が折れて肺に刺さっていると言われている。

 犯人は、佳奈をストーカーして早織を刺した男の父親だった。犯行後、逃げる姿を目撃されて、すでに捕まっている。

「拓也。手術はまだ掛かりそう?」
「わからない。わからない。医者には、子どもたちは諦めてくれと言われた。でも、佳奈が・・・。絶対に産むと言って・・・。俺。どうしたら・・・。早織。大介。俺・・・佳奈を、助けて・・」

「わかった。大介。車?」
「表に停めている」
「一緒に行こう」
「どこへ?」
「決まっているでしょ!」
「わかった!きっかけの神社だな」

「拓也。無事に手術が終わったら、早織に連絡入れろ、すぐに戻ってくる」
「あぁあぁわかった!」

 大介と早織は、許される限界の速度で神社に急いだ。
 自分たちに何ができるのかわからない。わからないが、できる事はこれしか無いと思っていた。自分たちをつなげてくれた。早織の命を助けてくれた。

(お願いです。拓也と佳奈の子供と佳奈を助けてください。お願いします!)
(佳奈ちゃんと、双子の兄妹を助けてください。俺と早織の子供です。お願いです。助けてください)

 二人は必死に祈った。
 1時間以上祈っていただろう。

(キュォーン)

 二人は確かに聞いた。
 動物の鳴き声を・・・。これで、3人は助かる。二人は、そう思って、身体から力が抜けてしまった。
 温かい地方でも4月の朝方は冷え込む。二人は、神社の境内で五体投地の状態で気を失っていた。車が停まっている事を不審に思った新聞配達員が見つけて救急車を呼んだ。

 二人は、病室で嬉しい知らせを2つ受ける事になる。
 医者から教えられた”佳奈も子どもたちも無事”という知らせだ。

 早織はすぐに拓也と佳奈に連絡をしたかったが、自分たちの検査が終わるまでは待って欲しいと医者に言われてしまった。早織は大介が大事なので医者に従う。大介は早織の事が大事なので医者に従う。

 そして、検査結果を聞きに来た二人に医者が告げる。

「川島さん。無茶しないでください」
「え?」「は?」
「自覚症状がなかったのですか?」
「え?なんのことでしょうか?」
「川島さん。赤ちゃんができていますよ?冷えなんてダメですよ。本当に無茶しないでくださいね」

 大介と早織は、お互いの顔を見る。
 二人は子供ができないと諦めていた。夫婦の営みが無いわけではない。万分の1。いや億分の1でも可能性があればと思っていた。

 早織は自覚症状が無いわけではない。ただ自分の状況では考えられないと思っていた。

「先生。本当ですか?」
「はい。間違いありません」
「でも、私、子宮は?」
「片方は残念ですが、一つは正常な状態です」
「本当ですか?」
「はい。おめでとうございます」

「大介さん」「早織」
「うん」「うん」

 10ヶ月後に、早織も男と女の双子を産む事になる。

 4人と子供で神社に、お礼とお返しをした。

(キュォーン)

 4人は、確かに動物の鳴き声を聞いた。

--
「ねぇママ!パパは、この神社でママに告白したの?」
「違うわよ。パパと大介パパは、ママと早織ママのパンツを見たのだよ」
「えぇエッチだ!」

「佳奈!」
「だって、本当の事でしょ?私が履いていたパンツの色まで覚えていたのだから」
「佳奈。俺は、お前しか見てない!早織のは見てない!」
「ふふふ。そうね。早織を見ていたのは、大介だからね!」

「パパ!早く!」「拓也パパ。遅いよ!佳奈ママも早く!」

 4人の子供が元気よく神社の階段を上がっていく、拓也と佳奈は、後ろから歩いてきている、大介と早織に声をかける。
 今日は、4人にとって忘れられない日である。男子二人が、女子二人のパンツを見てしまった日なのだ。

 それを思い出しながら、大人4人と3歳になった子どもたちは、今年も無事に過ごせた事を、神社に報告して、一年前にもらった物を返して、新たにもらう為に神社の掃除を行うのだ。

 もらう物は、大切な時間と気持ち。
 お返しするのは、感謝の気持ち。

fin.

PM10時50分
 病院の椅子に座る女性の手には、3時で止まってしまっている血塗られた時計が握られている。

 3時で止まってしまった時計。あれから、何時間が経っているのか、女性にはわからない。わからないが、興味はなかった。
 女性は血塗られた時計を、止まってしまった時計を握りしめている。動きを止めてしまった時計。

 ただ時計を握りしめて居る。

 女性は、時計に向けて何を祈っている。
 その祈りを止める事は誰にもできない。

★☆★

PM2時40分

「沙織!早くしないと塾の授業に間に合わないわよ!」
「大丈夫!ママ。送ってよ。夜には雨が降る予報だよ」
「しょうがないわね。車で待ってるから、早くしなさいね」
「はぁーい。着替えたら行く!」

 母子家庭。
 娘の沙織(さおり)と家の主人である朱音(あかね)が二人で住むには広い家だ。

 死別した旦那の実家だった所に住んでいる。旦那のご両親もすでに他界しており、沙織と朱音は二人だけでの生活になってしまっている。旦那は、交通事故だった。免許取り立てで酒を飲んで暴走した車に跳ねられた。自賠責にも入っていない車だったために、雀の涙ほどの保険金が支払われた。
 幸いな事に、持ち家だった事や、旦那の両親が経営していたマンションがあるために、生活が困窮する事はないが、朱音はそれらに頼ることなく、娘の沙織を育てる考えでいた。2棟あるマンションの収入は、娘の将来のために全部貯蓄にまわしているのだ。

 娘の沙織も父親の死から立ち直りつつ有る。
 今年高校3年になる。将来の夢もしっかりと見定めた大学に行こうと思っている。母親に内緒で、奨学金が出る学校に行こうと考えて居る。そのために、自分でバイトしてためたお金で塾に通いだした。

「沙織!」
「はい。もうちょっと。パパに挨拶してから行くよ」
「わかった。早くしなさいね」
「うん。わかっている」

 沙織は、仏壇で手を併せて、父親に塾に行ってくると挨拶をした。

「あっそうだ。ママ。今日、30分位遅くなる」
「そうなの?」
「うん。それで、いつもの塾の前じゃなくて、駅に来てくれると嬉しい。後、帰りにバイト先に行きたいけどいい?」
「そう?わかった。ママも仕事の後だから、早くついたら、近くで車停めて待っているわね」
「うん!」

 塾まで、車で10分程度だ。

「あっそうだ。ママ!塾の前に、イオンによって欲しい」
「いいけど?」

 朱音は車の時計を確認した。
 塾に行く時間には余裕はないが寄る位なら大丈夫だと判断した。

「何か買い物?」

 買い物なら時bんがやっておこうと思って聞いたが、娘からの返事は違っていた。

「ううん。頼んでいた物が届いたから受け取り」
「1階?」
「ううん。二階」
「それじゃ屋上で待っているわね」
「わかった」

PM2時45分

 朱音は慣れた道を走って、ボーリング場が併設しているイオンの屋上駐車場に車を停めた。
 丁度エレベータホールの近くに駐車スペースを見つけて、朱音は車を滑り込ませた。

「早く行ってきなさい」
「わかっている!」

 沙織は、助手席から降りて階段で二階に走った。

 5分後に、沙織は戻ってきた。

 イオンから塾までは、道が混んでいても10分位で到着できる。
 朱音は、十分に間に合うと考えて、少しだけ安心した。

 手荷物が増えた感じがしないことを不思議に思った。

「荷物は?」
「ん?カバンの中に有るよ」
「そう。もういいの?」
「うん!後は、帰りにバイト先に行けば大丈夫」

 学校の事や塾の事や友達との会話を、沙織は車の中で朱音に離して聞かせている。
 そんな他愛もない話をして居ると、駅の横にある塾に到着した。

 車は、いつものように塾の前にある。駐車スペースに停めた。助手席から、沙織が降りていった。

PM2時58分

 沙織が受講する授業の10分前に塾に到着できた。

 いつもと変わらない風景と時間の流れ。

 しかし、この日はここからが違っていた。

 塾に入っていく沙織を見送った。
 朱音が、車をスタートさせるためにパーキングからドライブにギアを替えた時に、塾の方から悲鳴が聞こえた。

”キャァ”
”逃げろ”
”ナイフを持っている!”

”誰か刺された!救急車!警察を呼べ!”

 塾が慌ただしい。
 朱美は、エンジンを停めた。胸騒ぎがして、塾の中に駆け込んだ。

 何かとすれ違った感じはしたのだが、沙織を探す事を優先した。

「沙織!沙織!無事なの?どこに居るの!」

「マ・・・マ・・・。よかった・・・。マ・・・マ・・・」

 朱音は、どこから声が聞こえたのか解っていたが、頭では理解しているが信じたくなかった。
 沙織が今日着ていた服は覚えている。

 (背中にあんな赤いシミはなかった)

 沙織が倒れている場所に、何かを引きずった跡があり、赤い線が引かれているようだ。

 (沙織。沙織。沙織。沙織)

 朱音と沙織の周りだけ時間が止まって居るようだ。
 静寂の中に居るようで、二人の息遣い以外は何も音が聞こえないようだ。

「さ・・・お・・・り?」
「マ・・・マ・・・」
「沙織?何寝ているの?授業に行かないとダメでしょ?」
「ご・・・め・・・ん。立てない・・・」
「しょうがない子ね。ママが起こしてあげるよ」

 沙織の血で汚れた床に跪いて、沙織の身体を触る。
 刺された跡に手を置いて止血するかのようにしてから、ゆっくりと沙織の身体を起こす。

「マ・・・マ・・・。私のバッグどこ?」
「あるわよ」
「中に、とけいやの箱があるから取ってほしい」
「わかった。わかったから、喋らないでお願い」
「だ・・・め・・・いまじゃなきゃ・・・」
「これ?」
「そう・・・ママ。右手出して・・・あれ?うまく・・・」

 袋は、イオンに店舗がある時計屋の物だ。
 沙織は、薄れゆく意識のなか、力を振り絞って、袋から朱音のために購入した時計をと出した。
 けして高い物ではない。数ヶ月まえに見つけて、店に頼み込んで取っておいてもらった物だ。

「ふぅ・・・で・・・き・・・た。マ・・・マ・・・。ちょっと早いけど・・・お誕生日おめでと・・・う。あれ?とけい・・・。動いて・・・い・・・な・・・い?」

 朱音は今日が誕生日だ。
 沙織は、母親の誕生日に向けてバイト代を貯めて、時計をプレゼントしたのだ。

「沙織!沙織!嘘よね。沙織。お願い。目をあけて、お願い。沙織。ほら、貴女がはめた時計よ。見てよ。貴女が買ってくれた時計。似合う?沙織。沙織!」

「お母さん」
 救急車と警察が到着して、救急隊が朱音に声をかけた。

「誰!あ!沙織を沙織を助けて!お願い。何が必要!命?命なら、私の命を使って!私の全てを・・・お願い。沙織を。沙織を・・・。まだ17歳なの。お願い」
「・・・」
「私が悪いの?私が、私が、沙織を塾につれてきたから?イオンによったから?塾に・・・あぁぁぁぁぁ沙織!沙織!沙織!」

 救急隊は、沙織をストレッチャーに載せた。救急車の運搬に邪魔になると言われて、朱音は警察官に車の鍵を渡した。車なんてどうでも良かった。沙織が助かればそれ以外は何もいらない。自分の命さえ・・・。

 救急隊は母親である事を確認して一緒の救急車に載せた。
 救急隊は、母親から話を聞いて応急処置を行っている。病院に受け入れ申請が通った。救急車は、塾から高架横の通路を通っていく。
 そのまま市役所の横を抜けて、海岸沿いの道路に出た。そこから救急車が加速した。救急隊は、焦っている。今までの経験から、娘が助からない可能性が高い事を・・・。でも、1分でも1秒でも早く処置を行う為に、救急車を飛ばす。大型ショッピングセンターの横を抜けた。救急隊は、沙織に必死に声をかける。先程から、沙織の脈拍が弱っているのがわかる。朱音は、手を握って離さない。何に祈っていいのかわからない。

「あなた。義母様(おかあさま)義父様(おとうさま)。お父さん。お母さん。お願い。沙織を連れて行かないで、お願い。沙織を助けて、お願い」

 朱音が呼びかけるたびに脈拍が振れる。

「お母さん。娘さんは頑張っています。声を、声をかけてください」
「はい。はい。沙織。沙織。沙織。沙織。沙織。沙織」

 車は、まっすぐの道を走っていく。
 普段なら車の通りがあるが、今日は車が少ない。

 信号待ちをしている車が左側に寄る。

『救急車。信号を直進します。直進します』

 信号で速度を落とすが、4車線ある道路が静寂に包まれて、救急車のサイレンだけが鳴り響く。道路を通過中に、サイレンが止む。

 救急口には連絡を受けた担当医が待っていた。
 救急車が停車した。

「患者は?」
「田口沙織さん。17歳。O型。背中を刺されています。心拍・・・」

 救急隊から医師に引き継ぎが行われる。

「お母さんですか?」

 沙織の手を離そうとしない。朱音の手を、看護師の女性が優しく離す。

「あ・・・」
「娘さんは、今から手術をします。お母さん」

 後ろでは、医師が引き継ぎを終えて、手術室に沙織を連れて行く。
 緊急手術と怒鳴っている。準備はできているようで、そのまま病院のストレッチャーに載せられて、消えていく沙織の姿を、朱音はスローモーションでも見るかのような感覚で見送った。

「さ・・・お・・・り。あなた・・・お願い。連れて行かないで・・・。沙織を守って・・・お願い」

 朱音は、それだけ言って、座り込んでしまった。
 病院には、他にも数名運ばれてくる。医師も看護師も、命の危険性がない朱音にいつまでも関わっていられない。

 戦場になる事がわかっている。
 全部で、29名が切られたり、刺されたりしている。すでに死亡が確認されている被害者も居るようだ。犯人は、まだ逃げている。付き添っていた警官から看護師が情報を収集している。警察も救急隊も病院もこれからが本当の戦場だ。

 区内にある病院に割り振ったが、比較的軽症な者は、区外の病院に割り振られた。
 塾の前に停めてあった朱音の車は、塾の講師が責任を持って、講師陣が使っている駐車場に移動した。すでに、塾には事件の一報を聞いたマスコミが集まり始めている。そのために、朱音の車がマスコミに傷つけられるのを避けるための処置だ。

『午後2時30分頃に・・・犯人と思われる男性は・・・』

 待っている朱音の耳に、塾で発生した事件の第一報を伝えるニュースが聞こえてくる。

 沙織が腕に巻いてくれた時計を握りしめながら、朱音は必死に祈っている。
 死んでしまった旦那に、事件に巻き込まれた義父と義母。同じく事故で死んでしまった父と母。全ての者に、頼み込んでいる。
 まだ17歳の娘を連れて行かないで欲しいと・・・。助けてほしいと・・・。
 娘の代わりが必要なら、自分の命を差し出すから、娘は・・・。娘だけは・・・と、全ての神に祈っている。

★☆★

 沙織の手術は、まだ終わっていない。
 病院に到着してから、10時間・・・。背中の刺し傷が多数の血管や神経を傷つけていた。

 10時間経過するが犯人はまだ逃げているようだ。

 時間の経過とともにいろんな事がわかってきた。

 犯人は、去年この塾を受講して、難関大に挑んだ。塾の判定では、A判定。よほどの事がなければ落ちる事はない。
 男は受験に失敗した。失敗したのにも理由がある。判定で安心した男は努力を止めたのだ。

 男は酒と薬に手を出した。部屋から一歩も出ない生活が続いた。世間から取り残されたと思った男に、同級生がGWで帰省してきたが自分には一切連絡をしてこなかったとわかって気落ちが弾けた。自分が悪いのではなく”しっかりと教えなかった塾が悪い”と考えて通販で買ったナイフを持って復讐に向った。

 塾では、判定の説明をした講師を呼び出して、八つ当たりをした。
 講師の態度が気に入らなかったのだろう、持ってきたナイフで首を刺した。講師は即死に近い状況だったようだ。

 血の匂いと自分の行為で男は興奮した。
 ナイフという武器と周りの視線で男は狂喜した。自分が認められた、自分はやはり天才なのだ、ナイフを持つ手が震えなくなった。たった二本のナイフで自分は何でもできる天才で、最強なのだと・・・・。

 男は凶行に出る。
 このダメな塾で学んでいる奴等を救う事ができる唯一の人間が自分で、方法は殺すことだと考えて実行に移す。

 実習室にいた10人を次々と刺した。
 講師の部屋に移動して、授業の準備をしていた講師3人を刺した。

 悲鳴を聞きつけた警備員と揉み合い。警備員の1人を刺した。

 逃げ遅れた、生徒たちを次々と切りつけていった。沙織も、この逃げ遅れた生徒の1人だった。

 沙織は、悲鳴を聞いてすぐに逃げようとした。しかし、逃げてくる男子に突き飛ばされて、壁に頭をぶつけてしまった。その時にバッグを踏みつけられてしまっていた。
 起き上がった時にはすでに遅く、犯人の男が目の前に迫っていた。慌てて逃げようとバッグを拾った所で背中を刺された。屈んだ状態を上から刺された為に、思った以上にナイフが身体を傷つけた。
 逃げ遅れた生徒で沙織だけが唯一刺された生徒だ。切られた生徒は、傷が深い生徒は居るが命に別状がない者が殆どだ。

 最初に刺された10人は4人が心臓を刺されて、ブラックタグが付けられた。他の6人もレッドタグの状態だ。
 講師の3人は全員にブラックタグが付けられた。救急隊が到着した時には、手遅れの状態だった。自発呼吸がなく意識もなく気道の確保もない状況だった。

 切られた生徒の14人にはイエロータグがつけられている。沙織だけがレッドタグだ。

 朱音は、沙織から贈られた時計を握りしめている。
 踏まれたのかわからないが、3時で止めてしまった時計を、沙織の血で汚れてしまっている時計を握りしめている。

 手術が始まってから11時間が経過した。
 今は、AM2時・・・。手術はまだ続いている。
 他のトリアージでレッドタグがつけられた生徒の手術が徐々に終わっていく。

 沙織以外の手術が終わった。
 今わかっているのは、首を刺された講師の女性。実習室にいて心臓を刺された4人。レッドタグで手術を受けていたが、そのうち女子の1人。講師の3人の死亡が確認されている。すでに9人の尊い命が奪われた事になる。警察も沙織が10人目になると思っていた。

 警察も、救急隊も、この時間まで手術をしているとは思っていなかった。情報が入ってこないわけではない、自分の職務に忠実なだけだった。
 そして、看護師も被害者の母親が救急窓口の前で手術が終わるのを待っているとは思っていなかった。
 非日常の中の空白がその場所には流れていた。誰の目にも、朱音は写っているが、朱音の事を認識しないでいた。

AM2時50分
 救急から、病院に入電。同時に、警察から入電した。
 ”・・・塾・・・犯人。確保。犯人の男性19歳。逮捕時に、ナイフで自分の腹部を刺す”

 病院への受け入れ要請が入った。病院は、この受け入れを了承する。
 犯人の傷の状態を確認している。

 (さ・・・お・・・り・・・を、刺した奴が来る?)

 朱音は、腕時計を握ったまま。幽鬼のごとく、立ち上がった。朱音は、病院の売店に向った。閉まっている時間だったが、構わず店内に入って、雑貨の中に置いてある目的の品物を手に取った。レジに持ってきた自分の財布を投げた。

 何もなかったかのように救急口に戻って、時計を握りしめる。
 先程までと違って目には何かを決めたかのように、光が戻ってきている。

 救急車のサイレンが聞こえる。

 (後少し、沙織を刺した奴が来る。沙織の代わりに、刺した奴を殺せば、沙織は助かる。沙織は助かる。沙織は助かる)

AM2時57分
 サイレンの音が止まった。

 朱音は、自分の心臓の音が早くなるのがわかる。
 (沙織。もう少し待って。奴を刺せば、殺せば・・・)

AM2時59分
 病院の救急口が明るくなる。
 救急車が入ってきたのだろう。

 (ふっふふふふふ)

AM3時
 ストレッチャーが見えた。

 (沙織!もう大丈夫!)

 朱音が、売店から持ってきた、果物ナイフを手に取る為に、握っていた時計を離した。

 (え?時計が・・・。動き出した?沙織が呼んでいる?それとも・・・。沙織!)

 朱音は、沙織が教えてくれたのだと思った。
 沙織からもらった大切な時計が、止まっていた時計が、止まっていた時間が、動き出した。

 止まっていた時計が音を出して動き出したのだ。
 止まっていた心臓が動き出すように・・・。

 (沙織!沙織!沙織!)

 朱音は、ナイフを投げ捨てて、手術室がある場所に急いだ。

 12時間にも及んだ手術が終わった。

 手術室の灯りが消えて、先生がフラフラになりながら出てきた。

「先生?沙織は。娘は・・・」

 担当医は、疲れ切った顔で椅子に座って、マスクを外した。

「田口さん。娘さんを褒めてあげてください」
「え?」
「もう。大丈夫。手術は成功です。娘さんは助かりますよ」
「・・・」
「田口さん?」

 朱音は、声にならない鳴き声を上げながら床に座り込んでしまった。

 腕にはめられた時計は、娘からもらった誕生日プレゼントの時計は、心臓のように規則正しく時を刻んでいた。

AM3時5分
 この時間は、朱音が娘の無事を確認した時間であると同時に父親が息を引き取った時間でもある。

★☆★

 沙織が意識を取り戻したのは3日後だ。
「ママ?」
「沙織?良かった・・・」
「痛いよ。ママ。私、助かったのだね」
「そうだよ。沙織。もらった時計が、貴女が無事な事を教えてくれた」
「え?」
「ほら・・・。時計、動いているよ」

 朱音は、腕にはめた時計を娘に見せた。
 病院は難色をしめしたが、朱音は頑として聞き入れないで、血塗れた天板が割れた時計をしていた。目が覚めるまでは、付き添うと言って聞かなかったのだ。

「ママ。ごめん」
「何を謝るの。沙織は何も悪くない。悪いのは、あの男だけ」
「そうだ、犯人は?」
「捕まったわよ」
「そう」

 二人の間に沈黙が訪れるが、嫌な沈黙ではない。
 お互いがお互いの事を思っているのがわかる沈黙なのだ。

 朱音は、沙織が無事だった事を喜んだ。
 沙織は、母親が自分を心配してくれた事が、そして母親を1人にしなくて済んだ事を喜んだ。

「あ!」
「どうしたの?ママ?」
「あのね。沙織のバイト先の店長さんが来て、シューケーキを置いていったわよ」
「え?」
「私の誕生日ケーキを頼んでいたでしょ?」
「うん」
「いいわよ。でも、日持ちしないからって店長が毎日同じ物を作って持ってきてくれたわよ」
「え?本当?」
「うん。そうだ。チョット待ってね」

 朱音は、手を叩いて立ち上がって病室を出た。

 看護師と担当医に朱音が意識を取り戻したと告げた。
 看護師と医者が来て容態を確認して、警察が話をしたいと言っていたが、朱音はその前にやることがあると言ってケーキを持ってきた。

「沙織。3時のおやつを食べよう。少しならいいという話だからね」

 近くにいた看護師と担当医も、苦笑しながらうなずいている。
 点滴が入っている上に4日間食べていないので、胃が弱っているが、ケーキを少し食べる位なら問題は無いと言われている。
 それに、娘が母親の為に用意した誕生日ケーキを、当日に食べられなくなったからと、バイト先の店長が毎日注文と同じ物を作って見舞いに来てくれていた。そんなケーキを食べるなと言える者は居ないだろう。

「うん。ママ。少し遅くなっちゃったけど、誕生日おめでとう!」

 4日遅れの誕生日ケーキを3時のおやつとして母娘で一緒に食べた。
 二人はこのときのケーキの味を忘れる事は無いだろう。

 朱音は、沙織には長いリハビリが待っている事を知っている。
 沙織は、足が自由に動かない可能性を感じていた。でも、そんな事は些細な事だと思っている。動かないのなら、動かせばいい。あの時に、3時に止まってしまった時計がまた3時に動き出したように、動かなくなった足なら動かせばいい。自慢の母親にできた事なら、自分にもできると感じている。

fin.

 君が俺の所から旅立って、もう23年が経っているよ。
 でも、やっと、やっと、やっと、俺は君の所に行ける。

 でも、俺はもう40を超えて、50に近くなってしまっているよ。君に嫌われないか不安でしょうがない。
 頑張ったよ。君が好きだと言ってくれたスーツ姿。同じ形のスーツを着られるように、体型を維持しているよ。

 髪の毛も薄くなるかと思ったけど、薄くならないで良かったよ。
 白い色の髪の毛が目立つけど、君の所に行くときには、あの頃と同じで茶色に染めていくよ。

 もう少しだから、もう少し・・・。
 もう少しだけ待っていて欲しい。

 ただ一人・・・。俺が愛した君の所にいくその日まで・・・。

---

 左目を眼帯で覆った男は、右目で赤黒く染まっている少し変わった形のナイフを見つめている。

 手には、ウィスキーが注がれたグラスを持っている。

 今年で、47歳の男は23年前の6月12日から同じ気持ちで夜を過ごしている。
 二人で住むはずだった家で、これから長い年月を一緒に過ごすはずだった部屋で、男は静かにグラスに注がれたウィスキーを口に運んでいる。

 男は、23歳の時に独立開業した。ソフトウェアの制作会社だ。
 その時に作っていたソフトウェアの利益だけで、地方に家を即金で買うことができる位の売上があった。隙間ソフトだが需要が途切れる事は無いだろうと思われた、実際に男が作って個人名義で公開してから、2年経つが売上が下がる事はない。男もバージョンアップを繰り返して、対応OSや対応デバイスの数を増やしていた。
 周辺ソフトの開発依頼も毎月数本だが入ってくる。それを、知り合いの会社に流しながら、男は自分の好きなアプリケーションの作成を行っていく事にしたのだ。

 男は、女の実家に挨拶に行った。
 結婚の許しを得るためだ。女は喜んだ。女の実家は田舎に有ったのだが、男がなんなら引っ越してもいいといい出した。

 女は家族に、男を紹介した。
 男は、女の家族に交際している事や、結婚したい事を告げた。

 男は、女の父親に殴られる覚悟をしていた。女から、姉の結婚の話を聞いていたからだ。

 父親は、立ち上がって、男に歩み寄った。
 身長は同じくらいだが、漁師をしていた女の父は足腰もしっかりしている上に、腕の太さでは男の足と同じくらいかもしれない。喧嘩になれば、一日パソコンの前に座っている男が敵うはずもない。

 男の身体は硬直した。男は、殺されると思った。
 現実は違っていた。父親は、男の肩を叩いて、そのまま男と女を抱きしめた。

 涙を流しながら”ありがとう”とだけ告げた。
 恥ずかしくなったのだろう、外に出て自分の作業部屋に入っていってしまった。

 女の母親が笑いながら教えてくれた。
 父親は、娘に釣りや潜りを教えた。女の子らしい遊びを教えてやらなかった。子供の時に買ったのもリールや釣り竿だ。父親は、そんな娘が結婚できるとは思っていなかったようだ。姉は、そんな父親が嫌いで悪い仲間と遊び歩いた。そして連れてきたのは、ヤクザ者だった。正確には、チンピラだったのだが、子供ができたからしょうがなく結婚する。そんな態度が見え隠れした。父親は思いっきり殴った。チンピラは訴えると息巻いたが、父親の権力の方が上だった。親分筋に話を通して、チンピラを追い詰めた。小さな港町だ。話はすぐに広がる。
 姉は子供を産めなかった。チンピラと乗った車で事故に遭って死んでしまったのだ。チンピラは罪に問われたが、チンピラの父親が国会議員だった為に、示談を申し込んできた。父親は、示談に応じた。金は一切受け取らなかった。そのかわり、姉と子供は、自分たちの墓に入れると宣言した。
 そんな事が有った為に、妹が連れてきた男性がどんな男性なのか、話を聞いてからソワソワしていたようだ。

 父親は、女から男の素性を聞いた。正確には、母親から聞いたのだが、男が父親と母親の事を気にして、田舎に住もうと言ってくれた事が嬉しかったようだ。
 仕事があるので、それが難しいと思った事や、男の両親との兼ね合いがあるのと考えていた。

 男は笑いながら母親に説明した。
 自分の両親は、数年前に他界しているので気にしないで欲しいと、女の両親だけが自分にとっての両親だと説明した。

 男と女は、幸せの絶頂にいた。
 開業したばかりの男は都内に安い部屋を借りた。そこで作業をしながら引っ越しの準備をする事にした。

 女は実家に戻っていた。男と住むための家を探すためだ。
 男の仕事の事を考えて、駅の近くが良いのではと思っていた。男は、笑いながら女に言った。車があるし、電車はそれほど使わない。だから、沿線でなくてもいいから、好きな所にしてくれという事だ。女は、幼馴染に連絡していい場所がないか訪ねた。
 返ってきた答えは、丁度いい所がある。という返事だ。幼馴染は、おんなに隣町にある山を進めた。山まるまる一つと麓に広がる草原だ。町からの助成金対象の場所で住んでくれるのなら、駅前のマンション程度の価格で手に入るという事だ。モデルハウスが作られていてすぐに住める状態になっているという事だ。

 女は男に連絡した。
 男は、2・3質問をした。その返答が届いた時に、二人の住居が決まった。男が聞いたのは、山の資産価値と開発に関わる権利関係だ。それと、光ケーブルが通っているかだけだった。男は、町から満足できる返答をもらえたので、即日購入手続きに入った。ローンでも良かったのだが、男は町に即金で支払うと連絡した。

 女の父親は、無駄な事をと笑いながら女と男を叱った。女は、父に宝探しができるねと告げた。母は、それなら男を連れて皆で宝探しをしましょうと言った。

 幸せな時間だと思えた。
 女は、こんな時間が永遠に続くものだと思っていた。

---

「なんで!嘘だよな。嘘だと言えよ!」

 男は、女の幼馴染で刑事になった者からの連絡を受けた。
 女が殺されたという連絡だ。

「お前相手に嘘は言わない。すぐに戻って来られるか?いや、少し待て、ヤスを行かせる。ヤスは知っているよな?」
「あぁ家具を・・・それよりも・・・なんで・・・」

 男は声を失った。
 女の状態は?どこで?誰に?他には?
 いろいろな疑問が頭を駆け巡る。

 しかし、男が口にしたのは全く違う言葉だ。
「俺が悪いのか?俺が、山を買ったのが・・・。悪かったのか?俺が結婚したいと思ったのが悪かったのか?なぁ。教えてくれよ」

 幼馴染は、何も答えずに電話を切った。
 男の嗚咽だけが聞こえてきたからだ。それに、男が答えを求めてきたのでは事は解っている。

 数時間後に、男は幼馴染の所に来た。
 幼馴染は絶句した。左目が、赤く充血していた。血のように赤く、そして今にも吹き出してきそうな位に左目だけが赤く赤く充血していた。

 男の家族になるはずだった、女と女の父親と母親が殺された。
 犯人はすぐに捕まった。男が設置した防犯カメラが決め手となった。女の姉と結婚しようとした奴だ。

 奴は事故で心が病んだ。そして、薬に逃げた。
 そして、奴の耳元で囁いた者が居たようだ。奴が捕まってから言ったセリフは・・・。

「これで、財産は俺の物だ!山も全部!俺の物だ!」

 奴は、男が買った山も女の財産だと教えられた。そして、女の姉は自分の物だ。だから、女と邪魔な父親と母親を殺せば、全部が手に入ると教えられた。
 教えたのは、奴に薬を売っていた者だが、その後ろに、山の開発利権が眠っていた。
 男が買った山は、水資源として優秀だったのだ。水の民営化に伴い町の水利権を求めた者が居た。本来なら、男の前に別の人間が買う予定だったのだが、男が即金を用意してしまった為に、町の上層部が許可を出してしまったのだ。

 男は、ここまでの流れを女の幼馴染に教えてられた。

「やっぱり俺が・・・」
「それは違う。殺したのは奴で、後ろに居た奴らだ。君ではない!」

 男は、幼馴染を見つめてから、大きく息を吸い込む。

「後ろに居る奴らを教えてくれないか?」
「教えたらどうする?」
「何もしない」
「何もしない?」
「あぁ今は何もしない」

 同級生を親友に手錠をかけた時以上に、幼馴染は緊張していた。
 本来なら流していい情報ではない。男もそれが解っている。解っているから、”何もしない”と決めた。

 奴は、捕まった。
 身勝手な行動の代償は、24年の禁固刑だった。男は、裁判には一度も行かなかった。マスコミ対応も一切していない。婚約者の立場だった事や、奴が国会議員に連なる者だった為に報道はすぐに沈静した。

 男は、思った・・・。
 女を奪われ、義父と義母を奪われた。女の育った家は、数日後に不審火で焼失した。男は、奪われたのだ。全てを奪われたのだ。

 残ったのは、奴が女と義父と義母を殺したのに使った網切のナイフだけだ。そして、義父と飲もうと思っていた、義父が好きだと言ったウィスキーだけだった。不審火で、家族の思い出だけではなく、女の思い出も全てなくなってしまった。

 この地方の漁師は一本のナイフを持って漁に出る。ナイフは、網を切る為の物だ。自分と仲間を守るために、網を切る。その時の為だけに使うナイフだ。

 網切ナイフが、犯行に使われた。
 女の血と義父と義母の血で汚れたナイフ。

 柄まで真っ赤に染まったナイフだけが、男に残されたものだ。

 男は、女と住むはずだった家に引っ越しをした。
 仕事場にしようと借りていた都内のマンションは解約した。全ての機材を、女と住むはずだった家に移した。

---
 男は、日本国内の物件をいくつか購入した。
 海外にも不自然に思われない範囲で物件を購入した。

 準備に2年近い時間が必要になってしまった。特に海外の物件では、ギリギリの事をしながら自分の身元を隠した。

 男は、幼馴染から聞いた議員の名前と、企業の名前を頭に叩き込んだ。
 まずは、議員事から攻める事にした。こちらは簡単だった。

 女と住むはずだった家から、海外拠点に接続を行い。国内の拠点を経由して、議員の事務所にアタックを行う。狙うのは、ルータ。
 素直なルータ設定になっていた。事務所が狙われるとは思っていないのだろう。家庭用のルータが使われていて、設定もザルだ。接続が確認できれば、コマンドを流し込む。ルート権限を奪取してから、ルータの情報を奪取する。
 ルータの接続先を海外の拠点に変更する。海外拠点にはパケットを記憶するワームを仕込んである。

 議員が使っているパソコンが判明した。
 そのパソコンにキーロガーを仕込む。キーロガーの送信先は、議員秘書のパソコンにした。議員秘書のパソコンにもキーロガーを入れているが、外部からすぐに削除できるようにしてある。
 入手した情報を、再構築して、議員が属している派閥とは敵対している派閥の中堅に議員秘書のパソコンからメールで送信した。

 議員が使っているパソコンからいろいろな情報が抜き出せた。
 アクセス履歴から性的なサイトへのアクセスも確認できた。それらの情報を使ってSPAMを作成する。

 女の殺害に関係した議員を社会的に抹殺していく。不正に繋がる資料も入手できた。これは、週刊誌に送付した。わかっている限りのスキャンダラスや性的な情報を付属資料として一緒に送付した。
 第一報は、週刊誌のウェブ記事だった。そこから火が付いて各社が取り上げるまでに火が燃え上がった。

 男は、結末は気にしていない。
 ただ一報だけ・・・。関係している議員のアドレスにメールした。

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 3年前にはお世話になりました。
 無事引っ越しも終わりました。
 心の整理もできましたので、ご挨拶させていただきます。

 水利権では失礼しました。知らなかったことでしたが、ご迷惑をおかけしました。
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 企業は議員ほどセキュリティが甘くなかった。しかし、個人に関してはかなり甘かった。男は、関係者をターゲットに誘導を開始した。一人が網にかかればあとは簡単な作業だ。ルータはやはりザル設定になっていた為に簡単に侵入する事ができた。あとは、ワームが自動的に情報を吸い上げてくれる。
 セクシャルな情報は、会社のアカウントで社員に一斉送信を行う。それだけ行って終わりにする。何人かが引責辞任した事が報道された。

 男は、残っている実行犯の情報を集める事にした。
 男の左目は、幼馴染に会ったときのまま赤くなってしまっている。男は、日常では眼帯をして生活をする事にした。車の運転時には色の濃いサングラスをかけている。
 赤く充血した左目は、殺したいほど憎んでいる人間しか見えていないようだ。男の左目は、血に染まった殺害現場と、血に染まった愛おしい女と義父と義母の死に顔が貼りつて離れなくなってしまっている。赤く染まった視界。それが男に残された唯一の繋がりなのかもしれない。

 奴は、24年の禁固刑になった。
 男は、そんな事はどうでも良かった。極刑以外考えられなかった。極刑が与えられないのなら、自分で裁くと決めていた。男は、そのために準備を行う。
 女と義父と義母を殺した凶器は戻されていた。
 警察は、綺麗にする事もできると言っていたが、男は拒否した。柄の部分まで赤黒くなってしまった網切ナイフを受け取った。宝物のように扱い。常に身近に置いてある。

 23年が経過した。
 奴が出所してくる事がわかった。被害者の家族にはそんな情報は伝わらない。しかい、親切な人はどこにでも居る。親切にいろいろ教えてくれる。
 加害者が奴が反省も何もしていないのは明らかだ。公判中から一度も謝罪の言葉を口にしていない。

 入所する時に一度だけ男に形だけの謝罪の手紙が弁護士から届けられた。

 男は、弁護士に笑いながら言った。

「この手紙を受け取れば、私が欲する者が戻ってくるのですか?」

 弁護士は、男に手紙を受け取って欲しくて言葉を続ける。

「いいですよ。この手紙は受け取ります。24年ですよね?楽しみですね」

 弁護士は、必死に男に手紙を受け取ってくれと頼む。
 加害者が反省していると言葉をつなげるのだ。

「反省している?それなら、奴が出所した日か命日に墓の前で、貴方と一緒に謝罪してくれる事を期待します。できますよね?」

 弁護士は、自分の責務ではないと言うにとどめた。
 男に、手紙を無理やり渡して、その場を離れた。

 男は、大きな、大きな、笑い声を上げて、弁護士の背中に投げかけた。

「この赤い左目は、貴方もよく見えますよ」

 弁護士は、振り返る事なく足早に男から遠ざかった。

 男は、弁護士宛に何通か手紙を出した。
 弁護士が代わりに墓参りをするのか?できないのなら、奴の父親に謝罪にこさせろと・・・。弁護士は、一切合切を無視した。

 男は、弁護士や奴の父親が動かない事を確認してから、行動を起こした。奴の名前をwikiに載せた。公表されている事実だけを載せた。その後で、弁護した弁護士の名前や事務所を載せた。弁護士の名前で、wikiの項目を作成してウェブサイトで公表されている情報を載せた。事実だけを載せている為に、削除もできない情報となっている。

 海外サイトで、奴の情報や男が知っている、真実だと思っている事実をサイトにして公開した。弁護士の情報もしっかりと明記した。
 これらの事を、善意の第三者として弁護士に教えた。弁護士は、削除依頼を出す事ができても、削除される事はない。弁護士の名前で検索すると、事務所のページの次にwikiが表示され、次に男が作った”告白ページ”が表示されるようになった。

 このページ経由で善意の第三者からの情報が寄せられるようになる。

 男は、奴の行動を監視している。
 出所した日か6月12日に、奴が女と義父と義母が眠る場所に来たら。一人で旅立とうと思っていた。

 しかし、6月13日になっても奴は現れなかった。

 男は決心した。
 奴を殺す。

 赤黒くなってしまった網切ナイフを持って、奴に近づき、首筋を切り裂く。
 簡単な作業だ。男は最後の確認をする。奴を殺した後に必要な事の準備をした。

 男は、警察が家に家宅捜査に来る事がわかっていた。
 警察が敷地内に入ったら、思い出も、自分自身さえも全て燃やすつもりで居た。

 ただ、女の幼馴染には事件の情報を事細かく書いたメモが送付されるようになっていた。迷惑と考えたが、後始末を頼むためだ。
 男は、山の権利を幼馴染に移譲する事にしている。女の命日に、23年間欠かさずに来てくれたからだ。
 幼馴染には笑いながら「ついでだ。ついで」と言って、今まで一度も謝礼を受け取らなかった。

 男は実行する。
 男は、奴に”事件の事を記事にしたい。謝礼を出すのであって欲しい”と連絡して海に呼び出した。網切ナイフを使うのには一番適した場所だと思ったからだ。

 男は、奴に最後のチャンスを与えた。奴が、男を認識して謝罪したら、本当に話を聞いて謝礼を出すつもりでいたのだ。

 男は、奴を殺した。
 赤黒くなっていた網切ナイフを使って、やつの首を切った。

 真っ赤な血が男を染める。赤黒かった網切ナイフも赤く、赤く染まっていく。

 男は奴を海に放り投げる。近くに置いておきたくなかった。海が、奴の血で赤く染まっていく。

 男は奴の血と自分の血で赤く染まった地面に座った。
 男は、奴を殺した網切ナイフで自分の目をくり抜いた。そして、海に捨てた。もう何も見る必要も感じる必要もなくなってしまった、充血した赤い目を捨てた。赤くなってしまった目を持ったまま女の前に行きたくなかったのだ。
 男は、残る目で地面を見る。手は、赤く染まっている。徐々に視界が狭くなる。赤かった視界が白黒に変わっていく。

 男は、赤く汚れないように、持ってきた水筒で手を洗う。

 義父と酌み交わそうと思っていたウィスキーの封を切った。辺りに血とウィスキーの匂いが漂う。

 持ってきていた、袋からコップを4つ取り出した。
 男は、震える手で、力が入らなくなってしまった手で、4つのコップにウィスキーを注ぐ。

 コップを一つ持ち上げて、乾杯をしてから、一気に呷る。

 飲みきったコップを地面に叩きつけて割った、破片を拾い上げて、手首を切る。

 新しく赤い血溜まりを作りながら、男は女と義父と義母と過ごす夢を見るために目を閉じた。

「やっと・・・。赤い視界から解放されたよ。そっちには行けないかもだろうけど・・・。もういいよな・・・」

 男のつぶやきを聞いた者は誰も居なかった。
 赤く染まってしまったウィスキーと、赤く染まった網切ナイフと、3つのコップがけだ男に残された全てだった。

 塾の帰り道、公衆電話で親友が電話をかける。
 そして、少しだけ話をして僕に受話器を渡す。

 僕は、誰だろうと思って受話器に耳を当てる。

 最初は何も聞こえない。
 永遠に思える5秒間が過ぎた。

 親友は少し離れた所に居る。相手が誰か聞く前に離れてしまった。

 僕は、勇気を振り絞って話しかける

「もしもし。静間(しずま)誠司(せいじ)だけど?」

 相手の息遣いが聞こえてくる。小さな吐息のようだ。
 僕が緊張しているように、相手も緊張しているのだろうか?

「ねぇ。誠司くん。まだ私の事、好き?」

 え?
 この声は・・・。間違えるはずがない。あの子だ。

「え・・・。あっ」

 僕は、驚いて電話を切ってしまった。
 あの子の電話番号は指が覚えている。ダイヤルしたことはないが、何度も何度も何度も、それこそ最後の数字を回すまでダイヤルしている。掛け直す事はできる。100円玉を持っている。今ならあの子が間違いなく出てくれる。
 でも・・・。ダメだ。僕はあの子を好きになってはダメだ。
 僕があの子を好きだと言ったばかりに・・・あの子は・・・。僕の責任だ。

 親友や友達の声が聞こえるが、僕は構わず夜の田舎道を自転車で走る。
 電灯も付けないで、危ないとは思いながらも何も考えたくなかった。このまま死んでしまってもいいと思っていた。

 いつの間にか、あの子と初めて会って愛を知った場所に来ていた。

 僕には、心配してくれる人が居ない。このまま夜の海と混ざり溶けてしまいたい。父と母と弟と祖父母が待っている場所に行けるのならそれもいいかと思ってしまう。

 儂はどこで間違えてしまったのだ。
 あの電話からすべてが始まって・・・。すべてが終わった。

 多分、儂は明日死ぬのだろう。長く生きた。明日は、儂とあの子の誕生日だ。98回目の誕生日を迎える。11歳のときには家族で祝った。12歳から一人で祝う事になってしまった。13歳の時に親友とあの子が祝ってくれた。14歳からまた一人で祝う事になった。15歳から友達からの誘いもなくなった。それから、83回。儂はあの子の誕生日を祝い続けた。

 あの子は、儂との電話の後であの子はいなくなってしまった。部活の先輩たちに呼び出された事がわかっているのだが、そこで消息がわからなくなった。あの子は居なくなってしまったのだ。
 儂が電話を続けたら・・・。違う電話を切ってすぐにあの子の家に言っていれば・・・。

 儂は死ぬまで生きよう。
 儂を置いていって先に勝手に死んでいった親友を恨む気持ちはなかった。親友が教えてくれた真実。あの子を虐めていた奴の名前。虐めていた理由。そして最後の夜に電話をかけた理由。儂を置いていった親友は儂の15歳の誕生日の前日にすべてを教えてくれた。そして、翌日に勝手に事故で死んでいった。

 あの子が帰ってくる家を守る為に儂は家族の残してくれた遺産を使ってあの子の家を買った。儂にはそれが当然のことだと思えた。
 あの子の帰ってくるべき場所を守る事が、あの子を守る事ができなかった儂の役目だと思ったのだ。

 儂を迎えに来てくれるのは誰かわからない。
 だが確実に明日だろう。今晩目を閉じたら、明日には死んでいるのだろう。もう指を動かすのも難しい。
 意識だけははっきりとしていく、どんどん・・・。昔の事を思い出す。

---

 15歳で死んでしまった親友の顔が目の前に・・・。
 儂は親友から渡された受話器を受け取る。

 親友と友達たちは、儂から距離を取る。

 受話器に耳を付ける。
 夢で何度も聞いたあの子の吐息だ!夢かもしれない。

 でも!

「もしもし。静間(しずま)誠司(せいじ)だけど?朝日だよね?」

「え?あっうん!なんで、私だと思ったの?」

「わ・・・。僕は、君のことを忘れた事がなかった!今日、どこにも行かないよね?」

「え?うん。もう塾にも行ったし・・・」

「そう。よかった・・・」

 通話の残り時間が少なくなった事を告げる音がなる。

「あのね。私・・・。ううん。ねぇ誠司くん。私の事・・・。まだ好きで居てくれる?」

「もちろんだよ。去年の様に、朝日と誕生日を過ごしたいよ」

 言えた。
 儂は言えなかったセリフがやっと言えた。これで、あの子は・・・。

 まだ、あの子と話をしていたい。
 100円玉を入れようか迷っている。

「そう・・・。あっ誰か来たみたい。ごめんね。また学校でね!」

「うん。おやすみ」

「おやすみ。ありがとう。私も誠司くんが好き」

 儂は受話器を置いた。
 親友が儂を見てニヤついている。そして、別れの言葉を口にした。

 誰も居ない家に帰ったが今日は家が暖かだった。
 儂は、あの子を救えた。満足感を持って眠る事ができる。やっと、やっと長い長い長い悪夢から・・・・。

 翌日、あの子の死体が儂とあの子が初めて会った場所で見つかった。
 自殺だと判断された。

 また、儂の前からあの子はいなくなった。確かに、また学校で・・・と、あの子は儂に言った。儂は確かに聞いた。儂のことを好きと言ってくれた。学校で待っていれば、あの子に会える。

 翌年、儂は学校を卒業してしまう。
 それでは、あの子を待てなくなる。学校を卒業時に学校内にある用務員になる事にした。ここで、あの子を待っていればいい。儂が待っていれば、あの子は学校に来てくれる。あの子が学校に来た時に誰も居ないのでは寂しいだろう。だから、儂だけでも待っている事にする。

 18歳の誕生日の前日に親友が訪ねてきた。
 高校が卒業できそうだとそして儂にいつまで待っているのかとわかりきった事を聞いてきた。あの子が死んだと親友は儂に伝えた。儂は知っていると答えた。親友はそれならなぜ待つのかと儂に聞いた。儂はそれがあの子との約束だからと答えた。
 そして、親友は今まで言えなかったといいながら、前のときには15歳の誕生日の前日に話してくれた事を教えてくれた。儂は、初めて聞いた感じで親友の告白を聞いた。そして、彼女は自殺では無いかもしれない・・・。先輩たちに殺されたのかもしれないと言ってきた。儂にとってはどうでもいいことだ。
 儂は、親友に話してくれて”ありがとう”とだけ告げる。そして、儂はこれからも”学校であの子を待つ”と伝えた。親友には帰ってもらう。もう儂とは生きている時間軸が違うのだ。儂は、あの子を待つしか無い人間なのだ。親友は、15歳の時に事故で死ななかった。

 それから一週間後に警察が訪ねてきた。
 親友が殺されたのだが何か知っているかと・・・。聞いてきた。儂は、知っていることを全部話した。

 あれから、80年。儂は、明日死ぬだろう。親友を殺した犯人はすぐに捕まった。あの子を虐めていた先輩の親の一人だった。理由は覚えていない。なぜ、親友が殺される必要があったのか?儂に知らせてくれる人は誰も居なかった。儂も積極的に聞こうとはしなかった。

 儂は、誰も救えない愚か者だ。
 あの子がいなくなってしまった時から時間が停まってしまう生きる屍だ。
 それでも、98歳まで生きる事ができた。でも、彼女は学校に現れなかった。約束を守ってもらえなかった。

 前回と合わせると、196回目の誕生日だ。あの子と一緒に祝う事ができないが、あの子も一緒に祝おう。
 明日は祝う事ができないだろう。

 もう立つこともできない。
 朝から意識だけがはっきりとしていって、身体が徐々に動かなくなっていく、あの時と一緒だ。

 今度は、今度こそは、あの子を救ってみせる。

---

 この感じは間違いない。
 3回目だ。

 親友が俺に受話器を渡そうとする。わかっている。あの子だ。

 儂は受話器を受け取ってすぐに話を始める。

「もしもし。静間(しずま)誠司(せいじ)だけど?朝日だよね?」

「え?あっうん!なんで、私だと思ったの?」

「朝日。今日誰かと会う約束している?」

「ううん。してないよ。ごめん。私が、誠司くんの声を聞きたかったから、無理を言っちゃった」

 電話が切れそうな音がすると、あの子にも聞こえてしまう。
 ポケットから100円玉を取り出して投入する。

 あの子に言われる前に言おうと思っている。

「そんな事は無いよ。僕も嬉しい。朝日」

「なに?」

「僕、朝日のことを好きで居ていい?朝日貴子のことを忘れる事ができないよ。今でも好きだ」

「え?・・・。あっ・・・。うん・・・。あのね。今日、誠司くんにそれを聞こうと思っていたの?私のことをまだ好きで居てくれるのなら、私・・・。頑張れる」

「頑張らなくていいよ。僕が、朝日を・・・。貴子を守る。だから、僕を頼って!お願い」

「うん。うん。うん。ありがとう。誠司くん。また明日・・・。学校でね」

 あの子の声が涙声になる。
 これが正しかったのだ。儂はもう間違えては居ない。

「貴子。明日、家まで迎えに行っていい?自転車を停めさせて欲しいけどダメか?」

 あの子は、電話口を抑えて何か話している。

「大丈夫だって、明日待っているね」

「うん!朝、迎えに行くよ」

「うん。待っている」

 翌日、あの子を迎えに行った。
 一緒に学校に行った。そして、学校が終わって、あの子の部活が終わるのを待って一緒に帰った。あの子の家で夕ご飯をごちそうになって帰った。

 初めて14歳の誕生日をあの子と一緒に彼女の両親に祝ってもらえた。
 15歳の誕生日の前日に、あの子がいなくなった。

 あの子の両親も知らないと言っている。
 15歳の誕生日はあの子を探して過ごしていた。16歳の誕生日のときにもあの子を探している。両親はすでに諦めたのか、喧嘩する日々が続いてついに離婚して町を出ていってしまった。
 17歳の誕生日もあの子を探した。18歳/19歳の誕生日も探したが見つからない。20歳の誕生日の前日に警察が訪ねてきた。

 親友が先輩の一人を殺した・・・と、警察が教えてくれた。
 儂が関係しているのだと・・・。そして、親友は逃げられないと思って、儂に手紙を残して自殺した。

 親友は、儂の為にあの子の消息を探していた。正確には、あの子の死体を探していた。そして、先輩たちがあの子を殺したと知って、先輩たちに死体の隠し場所を教えるように詰め寄った。そして、先輩の一人を殺してしまったのだ。先輩たちの供述通りにあの子の死体も見つかったそうだ。儂が見つけられなかったあの子を親友が見つけてくれた。儂は、初めて”いなくなったあの子”と対面する事ができた。儂が望んだ結果ではなかったのだが・・・。

 儂はそれから78年間生きた。
 毎年、あの子と親友の誕生日を祝いながら過ごしていた。

 もういいよね?
 儂は・・・。あの子がいなくなった・・・。世界から解き放たれた。

 明日が98回目の誕生日だ。
 儂は満足して・・・死んでいける。あの子と親友が待つ、初めて待っていてくれると思う事ができる場所に行く事ができる。

 朝から意識が混濁してきた。
 身体もうまく動かない。明日は迎えられないだろう。98回目の誕生日の前に・・・。

---

 まだ儂にできる事があるのか?
 なぜ・・・。満足したのに、逝かせてくれない!

 あの子を愛して、あの子の事を考えながら、あの子の所に行くことを許してくれない!

 違う!

 今回はまだ塾に居る。時間が違う。
 終わったら、親友が駄菓子屋でゲームをしようと誘ってくれる。それを受けて、駄菓子屋に行くと儂がゲームしている最中に親友はあの子に電話をかける。あの子に頼まれていたそうだ。いじめで苦しんでいたあの子は儂に助けを求めてきたのだ。
 儂があの子の事が好きだと先輩に言ってしまったばかりに、あの子がいじめられていた。部活でひどい仕打ちを受けていた。やがて先輩からのいじめだけではなく同級生からのいじめにも発展した。

 1回目は、儂が電話を切ってしまったからあの子は救われない気持ちになって死を選んだ。
 2回目は、儂が気持ちを伝えてあの子は勇気を持って、訪ねてきた先輩たちに立ち向かった。それが許せなかった先輩たちはあの子を海に突き落としてしまった。
 3回目は、儂が積極的にあの子をつなぎとめた為に、あの子の親が訪ねてきた先輩たちを追い返した。儂と一緒に居て誰が正しいのか解っていじめが終息した。しかし、悪い方向に転んでしまった先輩たちは悪い仲間と一緒になってあの子を殺した。ただ、少しの金が欲しかったという最低な理由で・・・。

 それなら話は簡単だ。儂が、先輩たちを止めればいい。殺してしまっても構わない。

 塾が終わった。親友が誘う前に儂は違う話をする。

(まなぶ)!貴子に電話してくれ、そして誰が来てもついていくなと言ってくれ!」

「誠司!なんで、知っている!」

「いいから頼む!」

 3回目で何度も通ったあの子の家は覚えている。

 暗くなった道を進む。
 次の信号を右折して50mも進めばあの子の家が見える。

 やはり!
 先輩たちの姿が見える。全部で5人。2回目に親友から聞いた話と同じだ。

 彼女を連れ出して、海に落とすのだろう。

「やめろぉぉぉぉぉ!!!!」

 自転車で先輩たちの中に突っ込む。
 それからの事は覚えていない。儂は、警察に居る現行犯で逮捕されたのだ。先輩たちの中にナイフを持っていた者が居た、儂の脇腹を刺したようだ。儂は、そのナイフを奪って先輩の目を切りつけて、二人の目を失明に追いやって、一人の右腕を使えなくして、一人の左足を使えなくして、一人の子宮を刺して殺したのだと言われた。全部覚えていなかったが、全部認めた。これで、あの子が救われると思った。

 儂はすべての罪を認めた。
 儂は自分が刺された事やナイフは相手が持っていた物だった事が考慮されて、懲役18年の実刑判決を受けた。上告しないで刑を受け入れた。

 親友が何度か会いに来てくれた。
 しかし、親友は儂の15歳の誕生日の前日に事故死してしまった。
 原付きに乗っての事故だ。1回目と同じ結果になった。最後に、親友は儂に教えてくれた、あの子のいじめもなくなって今では学校に毎日来ていると・・・。

 模範囚となった儂は18年を15年に短縮して刑務所に出た。
 殺してしまった先輩の墓参りには行かない。行くつもりも無い。彼女たちは、あの子を3回殺しているのだ。

 儂のことなど世間は忘れてしまっている。
 儂もそれでいいと思っていた。ただ、あの子の事だけが気になっていた。しかし、あの子の前から居なくなった儂が現れるのは良くないだろう。儂はあの子に待っている必要がないと告げたのだ。

 儂は、全てを忘れるために、東京に出た。
 刑務所の中で知り合った人が探偵をやっていると聞いて頼ったのだ。長く生きただけあって、いろいろな知識は持っている。特に、刑務所の中で倣ったプログラムは何度か経験していた事なので、一般の人よりは知識があった。記憶力もよく98歳までに発生することをある程度は覚えていた。相談を受けながら、ネットワークを使った探偵を行っていた。

「シズさん」

「ん?」

「いえ、大丈夫です。もう侵入したのですね」

「データだけでいいよな?」

 合法だと思えることをしていた。
 セキュリティの脆弱性を突いてデータを閲覧できる状態にする。後は、依頼主に閲覧方法を教える。数年で、98歳までは何もしないで生きていける金額を稼ぐ事ができた。株の投資もうまくいった。当然だ。ある程度は同じ事が発生する。微妙に違っている所があるが流れは同じなのだ。

「シズさん。本当に、今日で辞めちゃうの?」

「もう、明日で40だからな。そろそろ引退だよ」

「まだ若いですよ。これからどうするのですか?」

「そうだな。適当に過ごすよ」

「世捨て人になるには早いと思いますよ」

 探偵に誘ってくれた恩人に別れを告げた。身体一つでいろんな所に行ってみよう。

 100円玉を指で弾く。3回目に彼女を繋ぎ止めた100円玉だ。

 表が出た。
 新宿駅に向かおう。

 できたばかりのバスタ新宿から100円玉が示したバスに乗ろうと考えた。

 新宿駅の西口から南口に歩く、新宿の街は好きだ。
 雑踏がすべてを洗い流してくれる。急いでいるようで変わらない街。変わっているが何も変わらない街。

 新宿南口近く交差点で信号が変わるのを待っている。目の前にあるバスタに行くためだ。
 100円玉が信号を渡るように出たのだ。

 信号が変わった、我先に行き交う人。人の流れを止めないように歩く。
 渡りきろうとした時に、後ろから二人の子供に押される格好になってしまった。12-3歳だろうか?もしかしたらもう少し大きいかもしれない。

 元気な男の子だ。押されはしたが怪我をしたわけではない。サングラスをした白髪頭の人間が怖かったのだろう、男の子は固まってしまった。

 後ろから母親らしき人が走ってきた。

静間(しずま)誠司(せいじ)!謝りなさい」

 懐かしい声に振り向いてしまった。儂のことを呼んだのかと思ったからだ。

 後ろから走ってきた女性が、二人の頭を叩きながら儂の方を見て頭を下げる。

「お怪我はありませんでしたか?申し訳ありません」

 儂が黙っていると、怒っていると思ったのか、子供の頭を抑えながら更に頭を下げる。

「いえ、大丈夫です。お子さんですか?」

「はい。すみません。田舎から遊びに来て帰る間際なのに・・・。こんなに。本当に申し訳ありません。ほら謝って・・・」

「本当に大丈夫ですよ。静岡ですよね。気をつけて帰ってください。それでは・・・(今、幸せですか?)」

「え?あっはい。ありがとうございます」

 女性は儂の顔を見ないで、子供の手を引っ張るような感じでその場を後にした。
 旦那と思われる男性が優しく女性の肩に手を置いて何かを話している。

 子供は女性に手を引かれながら後ろを振り返って少しだけ不思議そうな顔をした。

 子供の声が耳に届く
「ママ。あのおじちゃん泣いているよ。痛かったのかな?」
「いいから急ぐわよ」

 あの子はいなくなってしまったが、儂のやった事は・・・あの子の為になったのだろう。
 よかった。よかった。よかった。これで、儂は本当に死ぬことができる。もう・・・。何も、思い残すことはない。

---

 私達がバスタに到着したのは、予約したバスの出発時刻の10分前の18時15分だった。本当にギリギリだ。バスタの前で、子供たちが怖い人にぶつかってしまって、文句を言われたりしたら間に合わなかったかもしれない。何もなくて本当に良かった。

 バスは順調に進んで足柄SAで休憩を取る。

「アナタ。子供たちをお願い。私、父さんと母さんにお土産を買っていく」
「わかった。静間。誠司。トイレに行ってから何か食べるか?」

「うん!」「やったぁ!」

 旦那も両親も知っている子供の名前の意味。私の心を救ってくれた人。学くんが教えてくれた。なぜ、彼がそんなことをしたのかわからなかった。私は彼を裏切ったのかもしれない。学くんに最後に会った時に教えてくれた彼が自分を忘れてくれと言っていたと・・・。だから、忘れる事にした。でも、忘れられなかった。旦那にプロポーズされた時に全部打ち明けた。そして、産まれた双子に彼の名前を付けた。
 許されない行為だろう。許して欲しいとは思わない。彼がどこに居るのかわからない。探してはダメだと思っている。
 でも、死ぬまでに彼にお礼が言いたい。ただそれだけだ。

”18時20分頃。新宿駅南口で高齢者が運転する車が暴走し歩道にいた男性(40)を跳ねて・・・男性は運ばれた病院で死亡が確認・・・”

 バス中の掲示板に流れたニュースを見る者は居なかった。

「おばあちゃん!なんかTV局の人が来ているけど?」

「なにごとだい?」

「わからない!でも、なんか・・・。アメリカの人と一緒に来て『”ようすけ”からの手紙を届けに来た』と言っているよ?」

「よ・・・う・・・すけ?」

「え?・・・。あっ・・・。う・・・ん?通していい?」

「離れで待っていてもらってくれ。婆もすぐに行く」

 洋介さん。貴方からの手紙なの?

 もう私は97歳にもなってしまったのよ?
 いつまで待っていればいいの?

---

 おばあちゃんがTVで紹介された。

 でも、そのおばあちゃんは放送を見ること無く息を引き取った。安らかに、本当に眠るように死んでいった。二通の手紙を握りしめていた、最後まで手紙を読んでいたのだろう。
 お医者さんが言うには一切苦しんでいないという事だ。死因も”老衰”と言われた。

 TV局からもお悔やみの言葉が来た。放送を自粛しますか?と言われたが、私が絶対に放送して欲しいと、パパとママを説得した。TV局の人も、おばあちゃんがすでに亡くなってしまった事も紹介すると約束してくれた。葬儀の様子も撮影したいと言ってきた。パパとママは、何度かTV局の人と打ち合わせをして最終的には全部は駄目だが部分的に撮影の許可を出していた。
 番組の冒頭で、おばあちゃんへのお悔やみもテロップで流してくれた。
 丁度1周忌法要の日がTVの放送日だった。

 おばあちゃんは、私が物心つく頃からおばあちゃんだった。
 家の母屋ではなく離れで寝起きしていた。毎朝決まった時間に起きて、家業の浅漬けを作る。そして、朝ごはんを食べてから、店に出るか散歩に出かける。

 子供の頃、おばあちゃんが怖かった。よく怒られたからでもあるがそれ以上におばあちゃんは私を叩いたりしないが甘やかしてくれるだけの存在ではなかった。ママと喧嘩した時におばあちゃんが優しくも厳しく話をしてくれたからだ。ママだけじゃなく家業の店に来ている人を怒鳴っていた。でも、おばあちゃんはすごく優しかった。今なら、おばあちゃんの厳しさは優しさだったこともわかる。
 おばあちゃんは一人でママを育てた。おじいちゃんは戦争に行って帰ってこないと教えられた。おばあちゃんが泣きながら私を殴ったのは戦争の話をおばあちゃんに聞いたときだけだった。

「おじいちゃんはどこで死んじゃったの?」

 この言葉をおばあちゃんに言った時に怒られた。ううん。違う。悲しませてしまった。おばあちゃんはすごく悲しそうな顔をした。

「爺は死んでいないよ。まだ帰ってきていないだけ。だから、婆はまだ死ねない。爺が待っていて欲しいと言って戦争に行ったから婆は待っている。婆以外にも、帰ってくると信じている者は多い。絶対に死んでなんていない。いいかい。それだけは覚えておくのだよ」

 優しく私の胸を叩きながら、おばあちゃんは泣きながら教えてくれた。
 だから、私の家には”おじいちゃんの遺影も無ければ仏壇もない”違う。なかった。今は、誇らしげに笑うおばあちゃんと若い頃のおじいちゃんの写真が並んで家族に笑いかけてくれている。

 おばあちゃんの写真はTV局の人から貰えた。
 すごく可愛くお化粧して、誇らしげに話をしてから悲しいことのはずなのに笑ったおばあちゃん・・・。私には、なんで笑えたのか解らない。おばあちゃんの話を聞いたTV局の人が作ったドラマを見ても、同じ家族なのに・・・。知らなかった事だけではなく知っていた事が混じっている。家族なのに、子供の頃から知っているおばあちゃんの話なのに涙が出てきてしまう。

 そんな話なのに、おばあちゃんは涙どころか辛そうな顔を見せないで笑っている。痛々しい笑顔ではない。心の底から嬉しくてしょうがないという笑顔なのだ。

 おばあちゃんの葬儀は、近親者だけで行う事になった。

 TV局の人がどうしても手紙の朗読をして欲しいと言ってきた。パパもママも反対しなかった。弟が最初は2つの手紙を読み上げる予定だったのだが、ママから私も読んだ方が、おばあちゃんが喜ぶと言われて、私も読み上げる事になった。私が最初におばあちゃんが持っていた手紙を読み上げて、アメリカの人が持ってきてくれた手紙を弟が読み上げる事になった。
 おばあちゃんが持っていた手紙は2通だ。赤い手紙と、和紙に書かれたくしゃくしゃになってしまっている手紙。

 私が初めておばあちゃんの手紙を知ったのはいつだった思い出せない。おばあちゃんはそのくらい手紙をいつも読んでいた。
 そして、赤い手紙が”帝国陸軍からの召集令状”だ。歴史の授業で習って初めて知った”赤紙”だ。実物をおばあちゃんが持っていた。大切に大切に保管していたのだ。もう一通がおじいちゃんからおばあちゃんに宛てた手紙だ。

 私には読めなかった。学校の先生にお願いして教えてもらった。読みやすい文章にしてもらった。その時に、私が国語のことが苦手だとばれてしまって笑われながら先生にいろいろ教えてもらった。

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みさとへ

私は明日戦地に向かう。
君を守るためだ。今、この国は狂っている。漁師や農家から道具を取り上げて人を殺すための道具を作っている。そんな国に未来があるとは思えない。
でも、私は戦地に向かう。
君を守るためだ。

私は死なない。国の為に命を散らすなんてまっぴらだ。私は、みさと、君のために戦う。君が平穏に笑って過ごせる場所を作ることだけを考えている。私は生きて必ず君の所に戻る。

本当に勝手な話だが待っていてくれないだろうか?
家なんて捨てていい。私の父も母も君には辛く当たらないだろう。でも、辛かったら逃げ出してくれ。
私は君が笑って過ごしてくれる事だけを考えている。

みさとと出会えてよかった。
1ヶ月だけだったがみさとと過ごせてよかった。

・・・・・・・
---

 私がおじいちゃんからの手紙を読み上げると参列者からすすり泣く声が聞こえた。私には何が正しいのかわからない。先生にも”すごく綺麗な字で素敵な手紙”だと言われた。会ったことがないおじいちゃんのことなのにすごくすごく誇らしかった。

 私が読み終わると弟がアメリカのマークと名乗った人が持ってきた手紙を読み上げる。

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みさとへ

約束を果たせそうにない。
私が乗った船が攻撃された。もうすぐ沈むだろう。

みさと。
今度は私が待つことにする。だが、急いでこないでくれ、この戦争はもうすぐ終わるだろう。平和な世の中になるだろう。

みさと。
日本国がどう変わったのか私に教えてくれ、だから急がなくていい。
私は、みさとが来るまで閻魔様に逆らってでも待っている。

みさと。
愛している。
もう私を待たなくていい。
約束が守れなくて悪かった。

洋介
---

 マークさんはおばあちゃんを見て最初に日本語で”遅くなってごめんなさい”と謝ってくれた。
 おばあちゃんはそんなマークさんの謝罪を聞いて、”いえ・・・。持ってきてくれて、ありがとうございます”とだけ答えた。

 TV局の人は、おばあちゃんとマークさんだけで話をする事を望んでいたようだが、おばあちゃんとマークさんが孫である私と弟には話を聞かせたいと言ってくれて、TVには映らない位置で二人の話を聞くことになった。

 おじいちゃんが乗った船を攻撃したのは”味方のはずの日本”の船だった。マークさんが話してくれた事なので本当の事はわからない。
 おばあちゃんはマークさんからの話を黙って聞いていた。島を攻撃されたおじいちゃんたちはアメリカに投降しようとしていたらしい。絶対に生きて帰ってくるという考えだったのだろう。その場所に居た半数以上の日本兵と沢山の民間人を船に乗せてアメリカに白旗を振りながら投降しようとした。おじいちゃんたちの行いが許せない人たちがいて背中から撃たれた格好になった。
 戦争の事なんか手紙には何も書かれていなかった。全部マークさんが教えてくれた。マークさんは私と弟を見て”自分はアメリカ人で当時戦争していた者だ、自分の話は自分が感じた事だからそのまま信じないでください”と言われた。おばあちゃんは黙ってうなずいていた。

 船が沈みそうになっているのに気がついたアメリカ軍が救助してくれた。沈みかけていた船の中で裏切り者が居て救助のために乗り込んできたアメリカ兵に銃を向けた者が居た。
 標的になったマークさんを助けたのがおじいちゃんだった。民間人を助けてくれたアメリカに対する義理だと片言の英語で言ったようだ。
 裏切り者はその場で日本兵に殺された。殺した日本兵も自害してしまったらしい。おじいちゃんも撃たれて瀕死の状態だった・・と、教えてくれた。

 マークさんは死んでいくおじいちゃんに手紙を渡された。日本語が読めなかったマークさんは手紙を受け取ったがどうしていいのかわからなくて、届けるのが遅くなってしまったということだった。
 戦争が終わって本国に帰ったマークさんは手紙の事を思い出しておじいちゃんたちが命がけで助けた民間人を探しておじいちゃんの手紙を渡してもらおうかと思ったのだが、徴用された者ばかりでおじいちゃんの事を知る者は居なかった。自分たちの事で必死になる民間人よりは自分が・・・。託された自分が探すべきだと思ってマークさんは日本語を勉強して手紙を届けてくれたのだ。

 TVの放送を見て、時代背景や当時の様子なんかもわかった。歴史の授業では教えられなかったこともいろいろ知ることができた。

 マークさんは帰るときに、私を見て名前を聞いてくれた。

「アナタの名前を教えてくれますか?」

「私はサクラと言います」

 名前を素直に答えた。少しだけ片言になったのは緊張していたからだ。
 マークさんは少しだけ驚いた顔をした。

「そうですか・・・。私の孫娘も”サクラ”と言います」

「え?」

「私が日本のことばかりを話すので、息子もすっかり日本のことが好きになってしまって、娘に日本の代表的な花の名前を付けたのですよ。おかげで孫娘は、日本人だと勘違いされていますよ」

「ハハハ」

 笑うしかなかった。

「よかったら孫娘と友達になってください」

「え?」

「孫娘は日本の大学に入ると言って今勉強しているのですよ」

「そうなのですか?・・・・。そうだ、私のメールアドレスを教えますので、よかったらメールしてください!英語は苦手ですががんばります!」

「大丈夫ですよ。孫娘は私以上に日本のことが好きで日本のアニメやドラマも日本語で見ますからね」

「それなら良かった・・・。でも、私も英語を勉強したいな・・・。苦手だから・・・」

「ハハハ。それなら、孫娘には時々英語で話すように言っておきますよ」

「お願いします!」

 差し出されたマークさんの手を握った。
 ゴツゴツしていたけど優しい手だった。もし、おじいちゃんが生きていたらこんな手だったのかもしれないと考えたら涙が溢れてきた。

 少しだけ慌てたマークさんの顔が忘れられなかった。

 サクラとのメール交換はすぐに始まった。本当に、日本人と話しているような感じだった。好きなアニメも同じだったし年齢も同じだった。すぐに友達になった。私の英語の成績が上がったのをサクラに話したら笑われた。

 おじいちゃんが残した手紙はおばあちゃんの生きるための理由だったのだろう。
 マークさんが持ってきてくれた手紙はおばあちゃんのすべてだったのだろう。

 そして今私はおじいちゃんが繋いでくれた縁からサクラとメールのやり取りをしている。
 これも手紙なのだろうか?

 おじいちゃんの手紙の原本はおばあちゃんに天国に持っていってもらった。
 なんとかという大学の先生が家に来て歴史的に価値があるとか言ってきて大学に展示したいと申し出てきたが、パパもママももちろん私も展示なんてさせるつもりはない。おばあちゃんが大事にしていた手紙はおばあちゃんだけの物だ。天国に持っていってもらうことに決めていた。内容の写しや複写は私が持っているが家族以外には内緒にしている。
 おばあちゃんには、おばあちゃんが書き溜めた沢山の手紙も持っていってもらった。本当なら、おじいちゃんが読むはずだった手紙だ。内容は、おばあちゃんしか知らない、家族の誰も中身を開けて居ない。おばあちゃんとおじいちゃんだけが読めればいい。

 おばあちゃん・・・。天国に迷わずに行けたかな?おじいちゃんと会えたかな?
 パパやママの事も私の事も弟の事もおじいちゃんに話してくれたかな?それとも、手紙に書いてくれておじいちゃんが読んでくれたのかな?

 天国に手紙を送る事ができたらおじいちゃんにもいろいろ聞いてみたいな。
 私が知っているおばあちゃんの事も教えるから、代わりに若い頃のおばあちゃんの事や歴史の事を教えてほしいな。
 そうしたら、私の日本史の成績も上がるかな?

 空になったコップをテーブルの上に置いて旧友に愚痴を言う。

「ヨウコ!聞いてよ」

 学生時代からの親友であるヨウコに話を聞いてもらう。

「はい。はい。今日はどうしたの?また、いつもの人?」

「そうなの聞いて!うるう年って有るでしょ?」

「うん」

「計算方法って知っている?」

「マキ。私のこと馬鹿にしているの?文系でもそのくらい知っているわよ。4で割り切れる年でしょ?」

「でしょ!でしょ!それでいいよね!」

 私は、注文していたモスコミュールを一気に煽る。
 ヨウコの顔が”今日も長くなるのか”と言っているようだが気にしない。

「マキ。そんなに一気に飲まなくても。それにしても、モスコミュールなんて飲むようになったのね。今まで、甘いカクテルか果実酒だったのに、大人になったね」

 ”ケラケラ”と、笑っているヨウコに指摘された。いつからだろう?モスコミュールが好きになったのは?
 ヨウコのように日本酒を嗜むわけでもなく、梅酒や杏酒しか飲めなかった。

「それでね!」

「え?まだ続くの?」

 当然!全然話せていない。大学を出て入った会社はIT関連の会社だ。

「ヨウコもうるう年の計算が間違っているって言われるよ!」

「そう?でも、いいよ。私は、SEじゃないから」

「違う!プログラマ!」

「はい。はい。それで?」

 パンの耳で作られている名物のガーリックトーストを口に放り込みながら私の話を聞いてくれる。

「うん。それじゃダメって言ってやり直しさせられたの」

「いつもの人?」

 私は、肩書はSEだが1人でシステムを構築できるわけではない。クラスの一部を担当させてもらっている。仕様書をもらってコードに落とすのが仕事だ。昨日は部内で行われるコードレビューの日だった。

--

「飯塚さん。一応、OKは出せますが、うるう年は4年に一度でありません。しっかりと調査してコードに落としてください」

「え?」

「何度も言っていると思いますが、仕様書を読み解いて作ってくださいとお願いしていますよね?」

 上司である井上さんの小言が始まった。
 私が作ったコードではお気に召さなかったようだ。仕様書では、”1901年から2099年までの日付と時間をもらって指定されたクラスを生成して返す”となっている。クラスは、存在する日時なのか?うるう年なのか?和暦表現。祝日なのか?曜日。等々カレンダーに関係する情報を返すのだ。

 どうやら、私が作ったうるう年の計算が間違っていると言っている。

「井上さん。テストでは、うまくいきました。1901年から2099年までの全部の年で確認しました!仕様は満たしていると思います!」

 今までは、私が間違っていたが今回は間違っていない。
 毎回、井上さんのコードレビューで注意されたから、今回は全件チェックを行った。実際のカレンダーを見て確認したから間違っていない。

「飯塚さん。この部分でうるう年を判定していますよね?」

「そうですが!」

 しっかりとテストしたから強気で出られる!

「確かに、飯塚さんが担当するクラスの仕様では、1901年から2099年ですね。このシステムの概要設計を読みましたか?」

「え?」

 自分の担当以外は会議で出た場所以外は読んでいない。そもそも、読む理由があるとは思っていない。
 え?周りの人を見ると読んでいるのが当然という雰囲気だ。
 読んだほうがいいとは言われたが、読む必要はないと思っていた。

「全部を熟読する必要はありませんが、概要設計くらいは読んでください。今回は時間も差し迫っていますので、改善点を告げますが、次からは注意してください」

「・・・」

「飯塚さん。納得してくれとは言いませんが、自分のミスなのです。認めてください」

「私・・・。ミスして・・・。いません」

「いいえ、貴女のミスです。概要設計には、このシステムは、2200年まで動かすことが前提となっています」

「え?」

「そして、貴女が作ったファンクションでは、2100年と2200年をうるう年の判定してしまいますが、この2つの年はうるう年ではありません」

「・・・」

「いいですか。うるう年は、たしかに4で割り切れる年ですが、条件はまだあります。100で割り切れない年がうるう年です」

 え?それなら・・・。

「そうです。2000年は100で割り切れてしまいますが、うるう年です」

「それじゃ!」

「400で割り切れる年はうるう年なのです」

 頭が混乱する。
 400で割り切れたら、うるう年。
 4で割り切れて、100で割り切れない年がうるう年。

「え?でも、仕様では・・・」

「そうです。でも、概要設計では2200年まで使うことを想定するとなっています。確かに、飯塚さんの担当部分では1901年から2099年です。それなら、”4で割り切れる”だけでも問題はありません」

「なら!」

「ダメです。”うるう年”の判定なのですよ?飯塚さんならわかりますよね?」

 井上さんが私の目をじっと見つめてきます。
 怖いけど、温かい眼差しです。途中からわかっています。私が間違っていたのです。渡された仕様は、協力会社のSEさんから渡された物です。仕様書が間違っていると指摘しなければならない立場の私が仕様書を鵜呑みにして楽な方に逃げたのです。
 概要設計を読んでいれば・・・。うるう年をもっと真剣に調べていれば・・・。もっと、私に知識と経験があれば・・・。
 井上さんは、”いつも”言っていました。経験がなければ、経験がある人に聞け。または調べる。些細なことでも疑問に思え。きっと、井上さんも、以前に作ったシステムでうるう年を調べたのでしょう。私は、経験がないのに自分の知っている事実だけで作って・・・。無駄なテストに時間を使ってしまったのだ。
 悔しくて、うつむいてしまった。

「いいですか?飯塚さんが作っているファンクションは一部ですが、日付や日時のチェックはいろいろな場面で役立ちますし使われます」

「はい」

 そんなことは言われなくても・・・。

「それなら修正をお願いします。いつまでに出来ますか?」

「明日には終わらせます!」

「飯塚さん。いいですか・・・」

 また小言が始まってしまった。早ければいいと言うものではない。
 わかっています。私がこれで明日までに出せなかった、明日から始める予定になっている部分のリスケが必要になる。話を切り上げたくて、ギリギリの日付を口にしてしまった。井上さんは、ギリギリなのがわかっているのか注意してくれているのです。
 わかっています。でも、私はこの人に認められたい。”よくやった”と言われたい。

 だから。

--

「なんだ!マキが悪いってことなのね」

「そうだけど・・・。でも!でも!言い方って有るでしょ!」

「マキ?あんた。泣いているの?」

「違う!泣いてなんか居ない!」

 涙じゃない。目から汗が出ただけ!

「はい。はい。それで?」

「違うからね!」

 ヨウコに会議での話を説明する。
 おかわりのモスコミュールを一気に飲み干す。強いアルコールが心を揺さぶる。
 なんで私はこんなにも井上さんに認められたいのだろう?プログラムのこと以外ではだめな人で、客先に行くのに服装を気にしない、寝癖がついたままのときだってある。酒豪で、いくら飲んでも顔色人使えない。ウォッカやテキーラが好きで、ウォッカベースのカクテルをいろいろ教えてくれた。
 そうだ。客先でミスを犯して落ち込んでいる私をバーに誘ってくれたのも井上さんで、そのときにモスコミュールを飲ませてくれた。井上さんにも文句を沢山言ったけど笑って許してくれた。

「マキ。マキ!」

「ん?何?」

 酔ってきたかも。

「あんたのスマホがさっきから鳴っているけどいいの?」

「え?」

 スマホを取り出して確認する会社からだ。こんな時間に会社から電話がなるなんて問題でも発生したのか?
 アルコールが入っているから今から行っても。

「切れた?」

「かけなおしたら?」

 ひとまず確認してみると、3回ほど会社から着信がある伝言は残されていない。会社からの電話の前に知らない番号からの電話が入っていた。

「そ・・。そうする」

 かけようと思ったときに、会社から4回目の連絡が入った。

「はい。飯塚です」

 え?言っている意味が理解出来ない。
 なんで?嘘?

「わかりました。すぐに。はい。いえ、大丈夫です。はい」

「マキ?」

 電話を切る。まだ電話の内容が理解できない。違う。認めたくないのだ。

 今日。2月29日は私の誕生日。4年に一度の記念日。会社を定時で出た。井上さんが”今日は帰っていい”と言ってくれた。ヨウコとの約束が有ったが、仕事が遅れそうだったので、約束をキャンセルしようとしたら、井上さんが”4年に1度の誕生日だろう?6才児は帰っていいぞ。テストだけだろう?代わりに消化しておく、来週の土曜日の結合に参加してくれればいい。休日出勤だけどな”そう言いながら笑いながら・・・。

「マキ?大丈夫?何だったの?顔が真っ白だよ?本当に大丈夫?」

「あっうん。大丈夫。ヨウコ。ごめん。会社に戻らなきゃ。違う。病院に・・・」

--
 4年前の2月29日。井上は、事故にあって帰らぬ人となった。
 マキは、約束の時間よりも少しだけ早く約束の場所に来た。

「ずるいですよ。人の誕生日に、告白して返事を聞かないで・・・。気持ちに気がついたときには相手が居ないなんて。私の誕生日だったのですよ?4年に一度だけの告白なんて洒落たまね。馬鹿ですね。これから4年に1度。貴方のことを思い出します。それ以外は、綺麗サッパリ忘れますからね。それじゃダメですね。100で割り切れる年は思い出しません。でも、400で割り切れたら思い出すことにします。私が生きていればですけどね。あのクラス、そのままリリースしちゃいましたよ!」

 墓石に井上が好きだったウォッカを置いた。

「献杯!」

 マキはモスコミュールを飲み干した。モスコミュールの酒言葉は「その日のうちに仲直り」。

「飯塚」

 時間通りに社員が集まってきた。今日は、4年に一度の墓参りなのだ。

「そっちに逃げたぞ!」

「大丈夫だ。アキが待っている」

「また、アキのところかよ?!」

「アキの奴、何人目だよ。俺が連れてきたメスもアキが壊していたぞ?」

「しょうがないだろう?そういうルールなのだからな。ほら、次の祭りに行くぞ!それとも、アキの後で壊れてなければやるか?」

「そうだな。昨日は、一匹にしか出してないからな。アキの後で犯すことにする」

「殺すなよ?」

「そんなヘマはしないよ。薬漬けにして売るのだろう?」

「あぁアナルも犯しておけよ。薬漬けの後に好きものが買い取ってくれるからな」

「わかった。わかった。また、汚えケツの穴に入れるのか?」

「お前、好きだろう?」

「そういうお前だって、穴ならなんだって良いのだろう?」

「違うぞ!お前と違って、ガキは相手にしないからな」

「そうだな。俺はお前と違って、オスには手を出さないからな」

 そこに、髪の毛を引っ張りながら1人の女性を引きずった男が現れた。

「アキ!もう壊したのか?」

「あ?」

 アキと呼ばれた男は、浴衣姿で服装が乱れて局部が顕になっている女性の腹を蹴る。女性は反応すらしなくなっている。

「殺してないよな?」

「大丈夫だ。生きている。初物じゃなかったけど、締りはよかったぞ?後ろは初めてだったようだから鉄の棒を刺したらいい声で泣いたぞ、うるさかったから殴ったら右耳がちぎれたけどいいよな?後ろは使えないけど、他の穴は使えるぞ?」

「死んでなきゃいいよ。残念だったな。ムロ。使えないな」

「いいよ。次に期待だ」

「祭りのときなら攫っても平気だ」

「薬は?」

「いつもの場所に置いてある。攫ったオスにも薬をキメろよ」

「わかっている」

 ムロと呼ばれた男は、廃墟の奥の部屋にぐったりとしている女性を引きずっていく。
 その部屋には全裸になっている男女が10名程度放置された状態になっている。

「これで、『若者の乱れた性』現場の出来上がりだな。あとは、売人が勝手に連れていくのだろう」

 ムロは、食パンを無造作に投げる。
 男女は群がってパンを貪るように食べる。排泄もその場でして男は女を犯して女も受け入れる。女は男の上にまたがって腰を動かす。

「俺たちも良いことをしているよな!メスは満足して腰を振るようなるし、オスは好きにできるし、俺たちには金が入る。メスは仕事がもらえる!誰も困らない!」

--

 娘は2年前の夏祭りに彼氏と出かけてから帰って来ていない。
 彼氏の湯沢くんも一緒に消えたことから駆け落ちでも下のかと言われたが、結婚に反対していなかったことや湯沢家からも歓迎されていた。二人が駆け落ちする必要は一切なかった。

 元気だった妻も体調を崩して冬には肺炎を患って帰らぬ人となった。湯沢家も執拗なマスゴミの取材という名前の狂気にさらされて、最初は奥さんが続いてお兄さんが最後には旦那さんが自殺した。
 娘たちが居なくなった夏祭りの1週間後に隣町の廃墟で薬を使った乱交パーティーが行われていて数名の男女が逮捕された。娘と湯沢くんもここに居たのではないかと言われた。湯沢くんの空の財布が近くに落ちていたからだ。

 夏祭りに出かけた二人。
 娘からの最後の連絡は「プロポーズされた!最高のお祭り!」だ。

 娘が最高だと言った祭り。
 今年も1人で迎えるのかと思っていた。

 警察から2年前に行方不明になった娘が見つかったと連絡が入った。

 警察についてすぐに病院に行くように言われた。
 地下で眠る娘と再会した。物言わぬ娘の亡骸はやせ細っていた。健康だった肌は土色になっている。変わってしまったが娘で間違いない。首には、なにか締められたような痕がある。顔も殴られたのだろう・・・。

 怖かっただろう。痛かっただろう。

 警官は2課を名乗った。そして、娘の死は事故死だと言われた。

 殴られた痕があり、首を絞められた痕があり、なによりも全裸だ。そんな状態で事故死のわけがない!

 無情にも告げられた事実を理解することは出来なかった。

 娘は、複数の薬物の常習者で薬物中毒による死亡だと言われた。
 被疑者死亡で起訴されることが決まったと告げられた。

 どうやって家に帰ったか覚えていない。
 マスゴミが来る前に逃げ出す。娘と湯沢くんが管理して住むはずだった場所に逃げる。嫁が死んでから経営していた会社は信頼できる人に譲った。私一人だけなら困ることはない。

『どうしました?』

 昔から世話になっている弁護士に連絡をする。事情を説明したら、すぐに会いに来てくれた。気のいい男だ。

 彼は事情を聞いてすぐに行動を起こしてくれた。
 私は持っていた資産を売却した。活動資金が必要になるからだ。湯沢さんが持っていた山の名義を変更した。

 彼から紹介された探偵を雇った。探偵の親しい警官を巻き込んで事情を調べてくれた。
 探偵の努力もあって大まかな事情がわかった。

 主犯格は3名の男だ。有名企業や政治家の子息だ。大手病院の子息も居た。
 他にも関わった者たちが居る。探偵を使って調べ上げた。総勢49名。全員の素性が割れた。弁護士の彼には事情を説明しないで縁切りをした。私の祭りに彼を巻き込まないことに決めた。探偵は、私の祭りに参加すると言い出した。彼の身内も奴らの犠牲になっていたのだ。
 彼の紹介で反社の人たちとも知り合った。彼らも奴らを認識して潰そうと思っていたようだ。金を渡して手を引いてもらった。私の祭りにはふさわしくない。しかし、祭りにはテキ屋が必要だ。彼らから仕事(誘拐)を頼める人を紹介してもらった。

 資産を売却した金銭を使って祭りの会場設営を行った。金さえ払えば物品を用意してくれる人たちは居る。
 最後の物品の導入を持って祭りの準備は終わった。

「49名の招待を行いましょう。まずは、主要の3名ですね」

「その前に、死体を2つお願いします」

「そうでした。私と貴方が死んだことにしないと面倒ですからね。でも、よろしいのですか?」

「問題ないですよ。貴方こそよろしいのですか?今なら戻れますよ?」

「戻る?面白いことを言いますね。こんな最高のお祭りに参加させないなんてひどいですよ」

「そうでした。もうしわけない」

 3日後に、死体が手元に届いた。
 遺書を残して私の代わりになってもらう。警察関係者の中に居る協力者がうまくやってくれるだろう。

 ははは。なんていう天恵!
 娘の誕生日に祭りが始められる。最高のお祭りになるのは間違いない!

「彼らの様子は?」

「悪態をついていますが、出された食事やアルコールは警戒していないですよ」

「そうですか、女性に持っていってもらっているのがよいようですね」

「それで?」

「すでに犯していますよ」

「ハハハ。楽しいですね」

 配膳の女性は、祭りに招待した49名の中に居た人だ。関係者の中に夫や恋人が居る。もちろん、動画を撮影して招待した人たちに見てもらっている。46名のうち女性は5名で残りの41名は個室を用意した。椅子に座ってもらっていますが、暴れられても祭りがつまらなくなってしまうので拘束した。
 女性には首輪をしてもらった。外したら電流が流れるようになっている。彼らが娘と湯沢くんにしたように薬漬けになってもらう。薬のためなら夫や彼氏以外も求めるようになった。

 椅子に拘束している参加者の中で心が弱かった者が死んでしまった。残念だ。祭りはまだ中盤にも差し掛かっていないのに・・・。

 しかし、死者が出てしまったので、中盤に予定していたイベントを行うことにした。
 参加者もきっと喜んでくれるでしょう。

「3人の様子はどうですか?心が壊れるような逃げ方をされたら祭りが白けてしまいますからね」

「わかっています。女性に相手をしてもらっていますし、精神安定剤を混ぜた食事を美味しそうに食べています」

「それは良かった」

 さて女性の中で二人を選びます。元探偵が選んでくれました。元探偵の身内を嵌めた女性です。

「えへ。なんでもします。ちんぽを咥えたら薬をくれる?沢山、沢山、欲しいの!」

「汚いですね。必要ないですよ。それよりも、二人に頼みたい仕事があります」

「「はぁーい。なんでもします」」

 良い返事です。
 のこぎりとナイフと包丁と金槌を渡します。途中退場した人を材料に料理を作ってもらいます。椅子に固定している人たちの食事は今日から彼女たちが作る人肉が材料です。残っている人たちは、彼ら3人の世話をしている者を除くと30名になってしまいました。

「半分に減ったら次の段階に移行しましょう。彼らは?」

「騒いでいますが、大丈夫です。他愛もないことです。状況判断が出来ないのか、父親の権力に縋っています」

「それはいいですね。それでは、最高のお祭りの終わりを始めましょう」

--

 ネットに流れた動画は、数ヶ月前から行方不明になっていた3人の男性だ。
 椅子に固定されて、首輪をして全裸の状態だ。モザイクもなく配信されている。覆面だけをした全裸の女性が現れて男性器を咥えてから挿入する。その後、満足したのか抜いてから眠らせてから指を切り落としたり爪を剥いだりする。削除されても、削除されても動画が復活してくる。
 最初は女性が挿入までしていたが、勃起しなくなってからは薬で強制的に勃起させてから、死体と思われる女性を抱かせる。何度も何度も繰り返す。死体の女性が使えなくなったら、今度は死んでいると思われる男性を抱かせる。躊躇しないで薬を使わせる。勃起させるだけではなく、精神安定剤も大量に投与される。

 自分が行ったことを告白すれば3人のうち1人は助けると機械音声が流れると、3人は自分たちの罪を告白した。
 しかし、父親たちが失脚するには十分なインパクトを世間に与えた。

 椅子に拘束された状態で死んでいる15名と薬漬けで意識がはっきりとしない女性3人と身体を引き裂かれた女性2人と複数の男女と思われる死体を警察が発見したのは動画が流れてから1週間後だった。

 警察が踏み込んだときには、独白した3人は姿かたちもなかった。

 そして、壁には血文字で「最高のお祭り」と書かれていた。

「オーナー。どうしましょうか?」

「お前は、何度言えばわかる。俺のことは”まさ”と呼べと言っているだろう!?」

「だって、オーナーはオーナーじゃないですか?」

「いいから、まさと呼べ!次は無いからな」

 いつもの朝の風景だ。

 俺は、新宿・・・。と、言っても有名な歌舞伎町ではなく曙橋という場所で生まれ育った。
 新宿で過ごして大学も新宿にある2流の大学に入った。何も考えずに入れたIT企業に入社した。ブラック企業一歩手前の会社だった。働いて身体と心を壊した。地元に居るのが怖くなった。TV番組で取り上げられていた田舎暮らしに憧れを持って、比較的近くて田舎暮らしができそうな港町に引っ越しを決意した。結婚もした。結婚相手も東京で生まれ育った人だ。嫁もブラック職場で身体と心を壊して田舎暮らしに憧れを持っていた。

 嫁との田舎での暮しは、楽しく問題はなかった。
 田舎暮しが新鮮に感じていた。見るもの、感じるもの、すべてが輝いて見えた。東京・新宿という街が色あせて見えていた。

 それが幻想だったと気がついたのは子供が産まれて幼稚園を探しているときだった。

 幼稚園に子供を預けるという当たり前だと思っていたことで批判されたのだ。
 周りとの歯車が合わなくなってしまった。

 俺たちの行動が監視されているように感じてしまった。
 実際には監視ではなく、俺と嫁は10年近く住んでも”よそ者”でしかなかったのだ。

 俺の職業も良くなかった。ブラック企業だったが、そこで培った技術は本物だ。その技能を使ってWebプログラマやサーバ運営を行っていた。地方の会社にはまだサイトに毎月5-10万も払っている場合もある。人から紹介されて、そのサイトを月額1万未満(1,000円を切る場合もある)で預かっていた。
 クラウドを使うまでもなく、自宅に置いたサーバで運営できる規模の会社がほとんどだった。港町らしく魚を扱ったり、釣り船のサイトだったり、小さいサイトが多くあった。しかし大手ショッピングサイトの営業に騙されて出店していた。出店料の割に売上が出ていなかった。俺には時間が有ったのでそれらの会社に足繁く通ってパソコンを教えたりサイトの作り方を教えたり、都会からやってくるIT営業の相手(追い出し)をしたりして信用と信頼を得ていった。

 田舎では旦那が家にいて、嫁が外に働きに出るのは”おかしな家”と認定されるようだ。
 子供(娘)を幼稚園に迎えに行くのが旦那だと”おかしい”と言われるのだ。また、俺も嫁も実家とは仲違いをしたわけではないのだが、子供が産まれてから1回しか両親が来ていないのも田舎からしたら”おかしい”と見えるようだ。

 娘が通う小学校を選ぶときに、私立に行くという選択肢も有ったのだが、嫁も俺も学歴を重要視していない。娘にどうしたいのかを聞けばいいと思っていた。
 これも田舎の人にとっては”おかしい”と見えたようだ。私立に行けるのなら行かせるのが当然。学歴がよいほうがいいに決まっている。子供の進路は親が決める。そんなことを嫁は職場で捲し立てられたようだ。

 徐々に嫁の精神がおかしくなってきた。

 ”とどめ”は娘の言葉だった。

”小学校に行かなきゃダメ?”だ。
 娘の話を聞いた。俺と嫁が”おかしい”から娘と遊んじゃダメと友達に言われたと泣きながら教えてくれた。

 小学校入学を来年に控えた時期だった。決断するには時間が少ない。

 だが確実に田舎にとっては普通のことだが、俺と嫁には違和感しかない状況が頻発した。
 娘の数少ない友達が、娘が居ないのに勝手に家に上がりこんで俺の仕事部屋に有ったパソコンで遊んでいた。親に抗議しても”子供のしたことだから”で終わらせようとする。訴訟すると言い出す。都会に住んでいた人は怖いとか、何でも裁判にすればいいと思っているのかとか、俺が悪いとでも言いたい様子だ。

 嫁も職場で孤立し始めた。
 看護師をしている嫁は、患者には良くしてもらって居る。話も面白い知識も豊富、東京の話とかもできる。嫁は患者からは慕われていた。それがやっかみを産む土壌になってしまっていた。”いじめ”や”ハラスメント”のような行為にはなっていないのが、嫁もいつまでも居ても”よそ者”でしか無いと認識してしまう状況になっていった。

 娘が祭りに誘われなかったと泣いて帰ってきた。
 もう限界だった。憧れていた田舎での生活はブラック企業から逃げ出したいがために見えていた幻想だったのだ。ブラック田舎という言葉はないが俺たちはブラックな田舎に掴まってしまったのだ。

 俺のところに旧友から連絡が入った。
 その夜、嫁に話しをした。

「なあ。Uターンするか?」

「ん?Uターンって田舎に帰る事だよね?」

「そうだな。俺とお前なら、東京に帰ることを指すと思うけど?」

「そうね。確かにUターンだね」

 嫁は真剣な表情ながら笑ってくれた。俺の表現が面白かったようだ。

「昔の知り合いが新宿で店をやっていたけど、身体を壊して田舎暮らしをしたいと言って俺に相談してきた」

「え?それで、どうしたの?」

「俺が感じたことを全部、正直に話した」

「それじゃ、田舎には来ないのね」

「できれば、田舎で生活したいと言い出した」

「え?どういうこと?なんで?」

「そいつは独り身だし、親の遺産が入ったと言っていた。この家と新宿に奴が持っていた家と店舗を交換したいと言い出した」

「騙されてない?」

「俺を騙すメリットが無いからな。家の権利書と店舗の権利書を先に渡してもいいと言っている」

「乗り気なのね?」

「うーん。6:4かな?お前が反対したら辞めるつもりだ。疑問点を全部潰してそれでも信じられないと思ったら辞めればいい。先方にもそう伝えるつもりだ。それで、先方がダメと言ったら辞めればいい」

「そうね。それなら、前向きに考えましょう」

 俺と嫁は、Uターンを前向きに考えることにした。
 その上で、娘のためという甘えは出さないと決めた。最終的に俺たちの選択に娘が巻き込まれるのはわかっているのだが、タイムリミットだけを決めて娘には引っ越すかも知れないとだけ伝えた。

 俺の仕事の都合で引っ越しをするかも知れないと娘には伝えた。

「パパ!私のためならいい、引っ越ししなくていいよ?私が我慢すれば・・・」

「違うよ。パパが違う仕事をしたくなったから、東京に行こうと考えているだけだよ」

「そうなの?」

「そうだよ」

「わかった。パパ。無理しないでね」

 涙が出そうになった。

 それから、奴が来ると言ったので会いに行った。陽気で変わらない奴の笑顔に救われた気持ちになった。奴からは新宿の匂いがした。

 奴が持っていた家はマンションではなく一軒家だった。親から受け継いだ古い家だと言っていた。場所は新宿5丁目。俺のテリトリーだ。古い家だから解体して立て直したほうが良いだろうと言っていた。更地にするところまでやってくれると言い出した。
 俺の方は、今の家と離れだ。離れはサーバが置いてあるのだが、現状維持が決まった。なにか有ったときのメンテナンスと維持費は今の契約の7割を奴に渡す。全額でもいいと言ったのだが、会社を作るつもりも無いし税制上の問題もあるから、顧客との契約はそのままで、奴が俺の会社に雇われる形になった。保険やら税金やらのために3割を会社に残す。顧客が減って契約がなくなっても、契約の7割は変わらないという覚書をいれた。

 俺と嫁の疑問点はすべて解決した。
 奴も善意だけではない。何もしないで生活できる環境にあこがれていたのだ。独り者だから俺たちのように田舎のコミュニティに関わる必要はなく無視して生活していけばいいと考えていた。事実、生活の拠点は家だが、旅行に出かけたり、釣りに出かけたり、独り者なので買い物も近くの大手スーパーでまとめ買いしたり、それこそ外食で済ませたりして過ごすようだ。
 都会になれた者は、よほどじゃない限り田舎のコミュニティに入っていけない。唯我独尊を突き通せば田舎での生活は過ごしやすいのかも知れない。俺には出来なかった。

 俺は、奴との交換でUターンすることが出来た。
 ただ田舎にあこがれていたときと違って今は田舎を活用していこうと思っている。

 田舎には資源が大量に埋まっていた。仕事を与えれば喜んで実行してくれる誠実な人が多い。
 ただ、田舎のコミュニティに縛られて呪縛のようになってしまっているのだ。

 俺は、奴が持っていた店舗(飲食店)も引き継いだ。店長は奴の幼馴染で優秀な奴だ。奴にそのまま運営を任せても良かったのだが、俺の考えを店長に伝えた。もちろん、断っても問題ないし、店舗を買い取りたいということなら相談に乗るという条件を提示した。

 店長は俺の話しに乗ってくれた。
 もともと、コンセプトが乏しくて赤字にはならないが儲けも少なかった。奴の知り合いが誰を気にすることなく飲める場所として作ったのが始まりだったようだ。奴が田舎に引っ込んでしまうことから常連が来なくなる可能性を危惧していたのだ。赤字になるようなら店舗を締める考えを持っていたようだ。

 俺の提案はよくある物だ。
 田舎から安価に仕入れて都会で売る。

 俺や嫁が都会に疲れてしまったのは、情報が多いのに情緒を感じることが出来なかったことだ。田舎に住んでみてわかったのは情報の伝達が早いのに情報が多くない。物の価値を自分たち目線でしか測ることが出来ない。

 釣り船屋や漁師と契約して市場に出しても値段がつかない魚介類を安く譲ってもらう。
 運搬は、田舎で燻っていた者たちに声をかけて中古の冷凍車やトラックを手配した野菜なども田舎のほうが安い場合がある。市場に入られる移動八百屋と提携することで野菜の確保も行った。馴染みにしている場所からの購入も行う。腐っても東京だ。食材は大量に集まる。田舎では入手が難しい食材も”そこそこ”の値段で手に入る。

 娘も英語を話せるようになりたいとインターナショナルスクールに通っている。

 こうして、俺と嫁のUターンはひとまず成功した。

 綺麗だな。
 あちらこちらで僕が撒いた種が増えている。拡散され続けている。こんなに嬉しいものだったのだ。

 街の中にも青い紫陽花が増えている。

 街だけじゃなく国中を覆うように種を拡散しなければならない。

 僕の望みは、この国の隅々まで青い紫陽花を咲かせることだ。

 見届ける必要はない。
 種は拡散し始めた。僕の手を離れたのだ。もう止まらない。止める手段が存在しないのだ。
 伸び切ってしまった手足を切り落として小さいベッドで眠らない。受領した快適を手放せる者がどれほど居るのだろう。種の拡散を止める方法は存在しない。

 だから、僕は結末を見届けないで、君が待つ場所に行く。
 待っていてくれているよね。僕が行ったことを褒めてくれなくてもいい。前みたいに叱ってくれよ。僕は、君と一緒に居られればそれで満足なのだ。

 おやすみ。
 彼女を傷つけ僕を生み出した人たち。

 おやすみ。
 最後まで善意の塊だった人たち。

 おやすみ。
 興味本位で僕と彼女を晒した人たち。

 おやすみ。
 多くの関心を持たなかった人たち。

 あなたたちには、きっと(悪意)が安らかな眠りと一緒に訪れてくれるでしょう。
 おやすみ。いい夢を・・・。
 悪夢の方がましだと思える楽しい夢を見てください。

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「アオイ!!」

 アオイは僕の目の前で凍りついた笑顔のままビルの屋上から飛び降りた。

「アオイ!アオイ!アオイ!アオイ!!」

 なぜ!なぜ!
 僕を押さえつける!アオイの所に行かせろ!

 僕を押さえつけている奴らも、下でアオイを見ていた奴らも、全部、全部、全部、全部、全部、殺してやる!

 アオイが僕の前から居なくなってから、アオイを見つけるまで1週間かかった。
 奴らがアオイを殺した。マスゴミとかいうクズが知りたくもない情報を教えてくれる。

 アオイは、いじめを苦に自殺したと報道した。知りもしないアオイの心情を話すコメンテータとかいう雌豚が居た。

 いじめ?最後には、服を脱がされて写真を撮られるのが”いじめ”。準強姦であり脅迫だ。
 アオイが持っていった料理が冷えていたからと殴った。殴ったのが同級生だったから”いじめ”なのか?暴行だ。

 アオイ。僕は、君が死を選ぶまでの1週間。側に居られなかったのが悲しい。僕を一緒に連れて行ってくれなかった?
 僕は、アオイと一緒に行きたかった。

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 アオイが居なくなって何日が過ぎたのだろう?

 アオイが居なくても腹は減るし眠くもなる。僕はなんで生きている?

 アオイが最後に見せた凍りついた笑顔。アオイの笑顔ではない。アオイの笑顔で無いのなら、アオイではないのか?アオイはまだ生きている?

 アオイが僕を連れて行かない理由はない。一緒にいると言ってくれた。

 前に聞いた、アオイのお母さんが眠る場所に行ってみよう。アオイが居るかも知れない。僕を待っている。

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 マスゴミのクズが騒いでいる。丁寧に僕に説明してくれた。アオイをイジメていた奴らは罪に問われなかった。主犯格の1人は所在さえわからないらしい。
 どうでもいい。奴らが死ぬのは確定した未来だ。僕が決めた。イジメじゃない。準強姦と脅迫と暴行だ。誹謗中傷もしている。16歳のアオイの下着姿を撮影して拡散したのだが児童ポルノにも該当するはずだ。いじめではない。いじめという言葉で誤魔化すまねをするマスゴミにも手伝ってもらう。

 アオイのお母さんが眠る墓所の近くに立派な紫陽花が咲いている。
 赤色の紫陽花に混じって一部だけ青い花をつけている。アオイが好きだった青い紫陽花だ。

 人の悪意は拡散する。悪意から死に繋げればいい。肉体的な死だけが、死ではない。社会的な抹殺も死と変わらない。心の死は周りの人たちの肉体と心の疲弊に繋がる。

 僕は、拡散する(悪意)を仕込む。アオイが好きだった花の別名を使う。

 (悪意)をばらまくウィルスは”手毬花”。仕込んでから開花するまでに3-4年は必要だ。まだまだ、(悪意)は有る。拾い集めて拡散させる準備をしなければならない。

 (悪意)を拡散するのは、(悪意)を持たない傍観者だ。
 傍観者も(悪意)を拡散することで、傍観者から加害者になる。加害者であり被害者だ。苦しめばいい。自分の大切な人が自分を大切に思ってくれる人が、自分の行為で(悪意)に染まるのだ。

 僕のウィルスは、ただ(悪意)を拡散するだけだ。
 秘密の暴露ではない。デマ情報の拡散だ。消えない傷となって拡散され続ければいい。ただ(悪意)を拡散するだけのウィルスだ。

 (悪意)は仕込んだ。
 読み方で、受け取り方で、感じ方が変わる。読んだ人たちの心に悪意が満ちていくだろう。誰にも止められない(悪意)の拡散。

 (悪意)が芽吹くとき、青い紫陽花が咲き誇るだろう。

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 それは本当に小さな出来事だった。あとから考えてもきっかけというには小さすぎる。よくあるニュースだった。
 いじめを原因とする自殺。中学校でのいじめだった。女子が自殺した。珍しくもない事案でニュースにもならなかった。

 実際に、俺が勤めていたTV局では、取材にもいかないで警察発表を取り上げただけで終わりになった。他に取り上げるべきニュースが大量にあった。

 ニュースはこれで終わりになるはずだった。

 しかしこのニュースはきっかけで終わらなかった。
 いじめの加害者の名前がSNSで拡散されたのだ。拡散されたのは、キー局の報道局長の息子が関わっていると情報だ。住んでいる地域も違えば年代も違う。知る人が見ればすぐにデマだと気がつく情報だ。いつもなら、デマだと情報が出たら拡散も下火になって擁護される。

 しかし、この事案は違った。
 キー局が昼のニュースで取り上げたのだ。デマ情報であり、デマを拡散するのは犯罪行為だと拡散を止めるのに躍起になった。新聞や雑誌も、デマである根拠を述べて本人のインタビュー記事まで掲載した。火消しに躍起になった。
 火消しが何よりの証拠だという情報がSNSで拡散された。新聞や雑誌の記事を書いた人たちの過去の犯罪だとする情報も拡散された。

 この状況はおかしいと思い始めている。
 皆がおかしいと思いながらも拡散は止まらない。皆が善意や正義感から拡散している。情報を調べもせずに拡散する。

 完全にデマだと分かる情報もあるが、デマではない情報も含まれる。
 マスコミをあざ笑うように、マスコミが報道できなかった情報が悪意を持った内容で拡散している。真実が含まれる拡散が存在する。マスコミも一部のものしか知らないような情報も入っている。

 芸能人のスマホから情報が流出することもある。流出情報が拡散される。同じように作られた悪意を持った情報となり拡散される。

 誰もが被害者で、誰もが加害者になってしまっている。
 笑えない情報まで拡散された。国の予算案が事前に投稿され拡散されるに至って政府は徹底的な操作を検察に依頼した。

 予算案がよく作られたデマだとわかってからは、デマを流した者が誰だったのかを特定する動きが加速した。
 マスコミも調べたがデマの発信元にたどり着くことが出来なかった。ことになっている。実際にはたどり着いた。情報の発信者は霞が関にある一部の省庁の端末からだった。コンピュータウィルスが疑われたがウィルスには侵されていなかった。

 そして、マスコミや警察が調べていることが公になると、デマを流したのは政府与党の関係者だというデマ情報が拡散した。
 拡散の連鎖を止めることが出来ない。

 ついに政府は特措法を制定するが、特措法を制定してまで拡散を止めたい理由は政府与党が隠したい不都合な情報があるのだと拡散された。マスコミや野党の反対にあって政府与党は廃案にした。

 最初のいじめを行っていた奴らの首謀者が自殺した。
 政府与党に恥をかかせたのは、自殺に追い込んだいじめを実行していた奴らだという悪意ある記事が投稿されまたたく間に拡散した。マスコミも、政府与党への忖度もあり”デマ記事”として拡散されている情報だと報道した。
 自殺に追いやったとマスコミが批判に晒される悪意が拡散される。悪循環になっているのは誰が考えてもわかることだ。
 この悪意の厄介な所は、やらなければやらないで”拡散されている情報が正しい”を思われてしまう。反論すれば、別の悪意ある拡散が始まる。拡散している人たちは、善意の人たちだ。新しく広がる情報の精査をしている間に次の悪意が拡散される。

 マスコミと警察が認識しているだけで、”悪意の拡散”に寄る自殺者はついに1,000人を越えた。認識していた自殺者も居るのだろう。

 誰もが被害者で誰もが加害者だ。
 ついには、物品の過不足まで拡散され始めた。

 最初は、地方銀や都市銀の各銀行の資本比率の情報が金融庁から出たのがきっかけだった。資本比率は銀行の体力を示す。確かに情報としては正しい。資本比率が低い銀行は合併するリスクがあると情報が拡散された。株価が下がると資本比率が低い銀行から倒産するリスクが高まるという情報(悪意)だ。
 銀行へ取り付け騒ぎ(とりつけさわぎ)に発展した、いくつかの地方銀と一つの都市銀が倒産した。バタバタバタと連鎖倒産が発生した。地方銀に頼っていた企業も大量に倒産した。政府は支援策を出すが、銀行ばかり優遇するのか?大企業ばかりが優遇するのか?悪意が拡散された。

 誹謗中傷に近い情報も流れる。
 皆が情報に翻弄される。地方の都市の一つが拡散された悪意で壊滅的なダメージを受けた。

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 人口1億人を越えていた状態から、拡散された(悪意)が芽吹いたときには1億人を割り込んだ。
 死因の第一位が自殺になり。情報に踊らされた人々の狂気は殺人を許容するようになるまで4年の歳月しか必要としなかった。

 武器を持った警察隊や自衛隊がデマを拡散した者たちをテロと同じ行為だと断罪するというデマが拡散されて、人々は自分を守るために武装した。

 そして、国中に咲き誇る情報花の紫陽花は青く美しく咲き誇って居る。
 人口は今月末には5,000万人を切るだろう。まだまだ悪意は止まらない。

 風で飛ばされた新聞には、8年前に起きたイジメの加害者たちの首が被害者の墓前に置かれていたと告げるニュースが書かれていた。