もう、貴方の事は忘れたほうがいいの?

 もう、連絡帳にも入れていない、貴方の連絡先。
 消すまでに、1ヶ月掛かったのよ?

 消してからも、指が、心が、体中が覚えてしまった、貴方の連絡先。
 連絡帳から選択しないでも、貴方の電話番号をコールする事ができる。

 ダメな事だとは理解している。
 この取られないコール音だけが、私と、貴方を繋ぐ。細い。細い。細い。一本の糸。

 けして繋がる事がない。一本の糸。
 あれから、コール音を何回聞いた?出るはずが無いコール。1回、2回、3回、4回、解っている事だけど、コール音を聞くのは辛い。6回。

 私は、決心した、もう揃っている。明日は、出かけられる。
 解っている、それが正しい事だと・・・

 ねぇ解っている?貴方が私にしてくれた事。
 ねぇ知っている?貴方が私の全てだったってこと・・・。
 ねぇ感じている?貴方が触った私。私が触ることができた貴方。
 ねぇ考えている?貴方のスマホのパスワード、私の誕生日だったのを知った時の喜びを!

 ねぇ教えてよ!私は、私は、貴方を愛していたの?
 ねぇ教えてよ!貴方は、愛してくれていたの?
 ねぇ教えてよ!もう触る事ができない貴方。私は、どうしたらいいの?

”さよなら”
 この4つの言葉で作られた、一番いいたくない言葉。一番言われたくない言葉。
 でも、一番言えなかった事に後悔が残る言葉。

 貴方は、教えてくれたよね。
”さよなら”
 は、別れの言葉じゃない。また合う約束の言葉。

 貴方は、私に、”さよなら”を言わせてくれないのね。

”さよなら”
 私が、愛した人。
”さよなら”
 私を、愛した人。

/*** 2ヶ月前の土曜日 ***/
「敦。どこいくの?」
「ん?内緒」

 朝日を受ける海岸通りを、敦の運転する車で進んでいた。
 敦は、今日、景子に”結婚を申し込む”つもりで居るのだ。

 普段以上に、気を使って運転する敦を、景子は不思議に感じていた。二人が付き合いだして、もう7年が過ぎている。景子も、”結婚”の二文字を意識している。意識しているが、自分から言えない事情もある。

 景子は、子供のときに患った病気が原因で、両目とも光を失っているの。彼氏が居なかったわけではない。でも、デートをした後に必ず言われるセリフがある。
()では、景子の相手はできない。さよなら”だ、景子は世界で一番”さよなら”が嫌いな言葉になっている。別れの言葉だ。
 でも、敦は違った、景子とデートを重ねる。景子を自宅まで送ってくれる。母親が言うには、”嫌な顔ひとつしないで”と付け足してくれる。泊まりに行った事もある。人が多い所では、景子が歩くことをサポートし、景子の邪魔にならないように、軽く手を引いてくれる。足元になにかある時には、さり気なく教えてくれる。
 景観がいい場所にも連れ出してくれていた。見えないのだからと渋る景子を、”景色が見えなければ、全部僕が教える。風や音や熱を感じればいい”そう言って、景子をいろんな所に連れ出した。景子が、楽できるようにと、車も購入したのだ。

 敦は、景子に、出会ってから、いろんなモノを与えてきた。
 景子が、街中で佇んで泣いていたのに、声をかけたのが最初だった。ただの親切心なのか、下心なのか、敦本人もわからないのだろう。その時には、”声をかけないとダメ”と思った。景子が落ち着くまで、敦は話を聞いた。全部話し終わってから、敦は、景子を家まで送っていくと言った。実際には、最寄り駅まで送って、母親に引き渡したのだが、敦は別れ際”さよなら”と口にした。
 景子は、やっぱりまた、”さよなら”なんだと・・・敦の手を握ってしまった。
 敦は、優しく景子の手を握り返して、”お母さんに、僕の連絡先を伝えた。景子さんさえ良ければ、僕に連絡してきて”、それが嘘なのか、本当なのか、景子には判断できない。敦は、さっき”さよなら”と別れの言葉を口にした。もう、敦には会えない。
 ”景子さん。さよならは、別れの言葉じゃないですよ。また会う約束の言葉です”

 景子にとって、それは敦との繋がりを感じる事ができる言葉だ。
 母親に、連絡先を入れてもらって、連絡をした、今までしていたように、音声入力を使った方法だ。すぐに、敦から返事が来た。母親が確認して読み上げる・・・必要はなかった。敦は、わざわざ電車を降りて、音声を録音して返事をしてくれたのだ。

 この日から、景子の世界は広がった。

「景子」
「なに?」
「寒くない?」
「え?いきなりなに?大丈夫だよ」
「ちょっと1ヶ所寄りたい所があるけどいい?」
「もちろん。敦の行きたい所が、私の行く所だよ」
「そう言ってくれるのは、嬉しいけど、行きたい所じゃなくて、行かなきゃ・・・ううん。なんでもない。もうすぐだから我慢して」
「??うん」

 車は、海岸線を走ってから、少し脇に入って止まった。

「景子少し待ってて、5分くらいで呼びに来られると思う」
「わかった」

(どうしてだろう、敦。すごく緊張しているみたい)
(風が気持ちい場所ね。子供の声が・・・すごく楽しそう)

「景子。おまたせ。少し歩くけどいい?」
「問題ないわ」

 二人は、車を止めた場所から、子供たちの声がする方に歩いていった。

「園長先生。景子です」
「あらあら可愛らしい娘ね」
「景子。話していなかった事だけど、驚かないで欲しい「敦くん」あっ景子。俺は、孤児なんだ。それも、両親に捨てられた。園長先生が俺を拾って育ててくれた。俺の母さんだ」
「え?・・・ごめんなさい。園長先生。私、敦さんとお付き合いさせていただいています。橋本景子といいます」

 景子は、敦が正面を剥いている方向に、会釈しながら名前を名乗った。

「園長先生。景子は、目が不自由なんだ「敦くん!」」

 園長先生は、景子の手を優しく握って

「景子さん。敦くんの事をお願いします」
「いえ。こちらこそ」

 景子は、優しくも温かい手を握り返した。
 この手が、敦を育てたのかと思うと、尊敬の思いと、嬉しい思いが湧き上がってくる。

「園長先生。話し込むのはまた今度でお願いします」
「あらそうね。景子ちゃん。またいらしてね。そのときには、敦くんの子供の時の話しとか沢山してあげるからね」
「はい!」
「園長先生!」

 敦は、景子にプロポーズする。
 景子は、嬉しいながらも保留してしまった。

「敦。いいの?私、こんなだよ?」
「景子。景子だから、俺は結婚したいと思う。園長先生にもらった」
「うん」
「景子。それに、俺、昔・・・かなり」
「うん。知っている。少年院に入っていたのでしょ?」
「え?だれから?」
「親切な人かな?何度か、家のポストに、”敦は少年院あがりのろくでなし”とか入っていた」
「・・・ごめん。本当に、ごめん。でも、なんで?」
「それこそ、敦は敦でしょ。何が有ったのか知らないけど、私に優しい敦が、全てだよ。お母さんに同じ。敦なら・・・」
「なら?なに?」
「・・・知らない。でも、本当に、私でいいの?」
「景子じゃなきゃダメなんだ。俺は、景子を、橋本景子を愛している。結婚してください。幸せにしますとは言えないけど、俺は景子と一緒になって幸せになる!」
「フフフ。敦らしいね。すごく嬉しい。私をもらってください」

 二人は、キスをして、お互いの愛情を確認した。
 景子は、母親に連絡をするために、スマホを取り出した。

 いつものように、操作して、母親を呼び出すが、応答がない。虚しくコール音が鳴るだけだ。

 暫く待ってみても、折返しが無い。
 外は、寒くなってきているので、予約しているレストランに移動する事にした。何度も使っている場所なので、店員も覚えてくれている。個室に案内された。

 景子のスマホがなりだしたが、登録している番号でない事は、音が違う事で判断できる。
 電話には、敦が出るようだ。

「え?それは、本当ですか?」

 電話は病院からだ。
 景子の母親が、家の前で刺されたという事だ。今、病院で治療を受けている所だが、かなり危険な状況だという事だ。

「・・・うそ、お母さん・・・」
「景子。行こう!」
「え?」
「早く!」

 敦は、料金を払って、店を飛び出した。
 景子の手を引いて、車に乗せて、連絡があった病院に急いだ。

 病院まで、100m先で右折したら、もう病院の敷地になる。

「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
「景子。もうすぐだよ」
「うん。うん。敦。敦。どうしよう。どうしよう。お母さん。なんで、なんで、なんで!!」

 車がウィンカーを出して止まる。
 この数秒が、景子には、長く長く感じてしまう。

「景子ぉぉぉぉ!!!!!!!」

 敦の声を最後にきいて、景子の記憶は途絶えた。



 景子は、枕元で鳴ったスマホの音で目を覚ます。
 普段と違う匂いと、布団の感触に、昨晩の記憶を探ってみるが、敦の声を聞いたのが最後だという事以外記憶にない。

(そうだ。お母さん!)

 立ち上がろとしても、手足に力が入らない。腕になにか管のような物が刺さっている。

「先生。先生。患者さんが目を覚まされました」
「あぁすみません。先生。僕が話を聞いてもいいですか?」

 景子は、知らないだろう男性と、先生と呼ばれた男性から話を聞く事になる。
 昨晩、刺されて、運び込まれた、母親は治療の甲斐なく、死亡が確認された事、そこに駆けつけようとした、敦と景子の乗る車に、後続車が突っ込んだ事。そのときに、敦が景子をかばって、死んでしまった事。
 そして、その車を運転していた男が、景子の母親を刺したのを自供した事。

 時間をかけて、これらのことを説明していった。
 何度、嘘だと思いたかったか、気が狂ったほうが楽だったろう。

 残されたのは、敦と母親のスマホだけ。母親のスマホは、刺されたときに、壊れてしまっていた。


--- 景子 Side
 あれから、一ヶ月。
 いろいろ大変だった。事件を聞いて、園長先生が訪ねてきてくれた。敦の葬儀だけじゃなく、母さんの葬儀やら手続きをやってくれた。

 話を聞くと、敦は少年院を出てから、孤児院に戻って来て、孤児院に住んで、手伝いをしながら、夜間学校に通って、昼間は卒園者の会社で働いていた。園長先生がいろいろ教えてくれた。私にも、孤児院で働いて欲しいと言ってくれた。母さんが居ない部屋に帰るのが辛かった事もあり、園長先生に甘える事にした。
 独りになるのが、怖かった。

 母さんを刺したのは、敦と対立していた不良グループの人間らしい。
 警察が教えてくれないのだ。園長先生も問い合わせをしているが、”ダメ”という返事だけだ。私は、前に進むこともできないらしい。事情がわからないまま、時間だけが過ぎていった。

 園長先生や、孤児院の人たちは、私に優しくしてくれる。
 でも、その優しさは、敦から感じた、対等の優しさではない。可愛そうな人への優しさなのだ。母親と”婚約者”を同時に失った、可愛そうな”盲目の女”。それが私なのだろう。そんな事は望んでいない。望んでいないが、そう見えるのはしょうがない。

 敦や母さんは、怒るかも知れない。
 でも、二人の居ない世界にいてもしょうがない。敦さえいてくれれば、私は良かった。親不孝かも知れないけど、心からそう思う。

 園長先生や孤児院の人たちに、”さよなら”は言わない。言ってもしょうがない。もう会えない。

 私は決めた。
 敦と母さんに、”さよなら”を、言いに行くと・・・。

 そして、次に再開した時には、絶対に握った手を離さない。
 何度でも、言うよ。”さよなら”

 敦。”さよなら”
 母さん。”さよなら”

 また、会おうね!すぐに、行くから、待っていてね。約束だよ。

fin