医師が余命宣告をするのと違って、死亡予定判定の結果が外れることは殆どない。だからきっと、男は〈ただしく〉いくだろう。
嘗て、俺には幼馴染が三人いた。男と千鶴、そして、スグル。保育園から一緒の時間を過ごし、同じ中学に、高校に、大学に、何でもかんでも同じ道を夢みた。
蒸し暑い夏の日だった。立ち入り禁止の屋上に忍び混んで四人、なんでもない会話をして。一頻り笑い合って、まるで何気ない天気の話でもするように、スグルが言った。
「俺、来年死んじゃうんだ。」
千鶴の悲鳴が漏れた。男が立ち上がって声を荒げる。俺は何故か冷静だった。
スグルはそんな俺を見て、嬉しそうに笑った。問い質す二人にも俺にも、スグルはそれ以上何も言わずに。
次の日のスグルは何も変わらなかった。あっけらかんとして、何時もの様にヘラヘラ笑って、俺もそれに倣って。
千鶴と男は戸惑ったようにして、それでもしばらくすると俺達は何も無いように振る舞った。
けれどスグルの残した傷痕は二人を蝕み、膿になって溢れたように思う。
スグルが死ぬまでの一週間、二人は学校を休んだ。
スグルは最期の日に俺を呼び出して、俺はスグルと二人、公園のブランコでラムネを片手に話をした。何も変わらなかった。俺も、スグルも。スグルはやっぱり嬉しそうに笑い、「それじゃあね。」と手を振って帰っていった。
次の日、俺はラムネの空き瓶に花を挿した。