世の中の技術とか、知識とか。そういうものが理過ぎたのはもう随分と昔の話だという。

空を飛ぶ車なんか無いけれど、未来と過去に行けるような手段も無いけれど。けれど方法は知っている。それを行わないだけで。それでも、昔の人達が知れば腰を抜かすような世の中が、ここにはある。

その一つにあるのが、死亡予定判定だった。

曰く、現在の技術があれば、出生から約一週間程でその人間の死亡日を判定出来るという。具体的な方法は政府の人間しか知らない。別に知ろうとは思わない。

あくまで権利だ。以前は義務だったが、当然に虐待や育児放棄、母親の自殺件数が増え、関係法案が改正された。それでも権利に移行したのは最近だ。

妊娠届けに付随して死亡予定通告の申請書が渡される。怒りで破り捨てる人間もいれば、冷静に対処する人間、違和感なく受け入れる人間、様々だと聞く。
男の母親はどうだったのだろう。目を背けたかったに違いない。書類なんて破り捨てればいいはずだった。満三十歳までの死亡が予測される場合、申請の有無に関わらず関係機関職員からの直接の伝達がある、とされなければ。


きっと嘆いただろう。我が子の誕生の喜びを越えて、絶望と怒りと、悲しみが両親を蝕んだに違いない。

世界は残酷になり過ぎていた。