二人のやり取りに面食らった舞子だが、やがて何となく理解した。
わたしが、侵してはいけないと常に気をつけているケンさんとの一線を、母は軽々と飛び越えたのではないか。無理やり侵すような乱暴なやり方ではなく、そっと触れるような優しさで。さすが母さんだな。私にはそんなまねは無理だわ。
悦子に感心しながらも、かすかに嫉妬らしき感情を覚える自分を認めたくなくて、舞子は無理やりそれを打ち消した。
レコードは、季節の移り変わりと、男女関係の移ろいを対比させた歌詞が秀逸な曲「四月になれば彼女は」に差し掛かっている。
ケンの中では二つの感情がぶつかり合っていたが、やがて、今はこの平穏な時間を心行くまで堪能しようと決めた。ここ日本で、悦子と舞子がいて、肉体労働に従事しながらつつましく暮らす日々。これこそがケンに与えられた報酬なのかもしれない。望んだところでいつかは失われるものならば、わざわざ自分から捨てる必要はないだろう。
ケンは、少し冷めて、程よい酸味の出てきたコーヒーを口の中で転がした。ヘロインを持ち逃げしたあげくヤクザに狙われたことも、ほとんど忘れかけていた。
「疲れたらいつでもここに戻ってらっしゃい。その時は美味しいコーヒー、淹れてあげるわ」
悦子の言葉は、まるでケンがどこか遠くに旅立つかのような印象を与えた。ケンも舞子も、悦子さえも自覚していなかったが、旅立ちの日、別れの時は必ず訪れるのだという確信めいた予感を、ここにいる全員が心の奥に秘めていた。
妹尾は、日本海沿いを走る特急で北に向かっていた。
乗車する前に上野駅から、唐島興行の社長に電話を入れた。
「ターゲットの居場所を確定いたしましたので、これから向かいます」
「おお、あんたか。連絡待ってたよ。時間かかったじゃない」
いや、これでも十分早い方だが。
「はい、すみません。あと一週間ほどで万事、片をつけますので」
「そんなにかかるの?」
「ええ・・・御社に迷惑がかからないよう慎重を期そうと思いまして。潜伏先にこれから特急で向かうところです」
「あ、そおなの。遠くに隠れてやがんのか」
「ええ、日本海側の名もない小さな町に」
「へぇ、まぁ分かったわ。じゃぁ、片付き次第、連絡くれやな。よろしく」
「そんなにかかるの」とはずいぶん勝手をいってくれる。だがほとんどの依頼人はこんなものだ。あらかじめ玉砕を覚悟したヤクザの鉄砲玉ならいざ知らず、こちらはプロなのだ。己の安全はもちろん、直接、依頼人につながるような痕跡を残さずに仕事を完遂するのは、素人が想像するよりもはるかに難しく、準備にも時間がかかる。
さらに、例え入念に計画を練って臨んだとしても、滞りなく事が運ぶことなどめったにない。不確定要素によって計画変更を余儀なくされるのが普通だ。そんな時に臨機応変に行動できるかどうか。そこがプロとしての腕の見せ所でもある。
今回に関していえば、ターゲットが一人で隠れて身を潜めているわけではなく、他者と生活を共にし、働いてさえいるというのが気にかかる。殺害後に遺体をカメラで撮影しなければならないことを考えると、ケン・オルブライトが一人きりでいる時間帯の確定と状況の確保、その二つが鍵になりそうだ。
週末とはいえ、妹尾の乗る下り方面の特急に乗客の姿はまばらだった。
膝の上に乗せた二重底のバッグの中にはカメラ一式と、さらに小さなバッグが入っていた。昨夜、瞬時にして三人の人間が死体となった殺戮現場からとっさに持ち帰ったそのバッグの中には、現金四千五百万が詰まっている。その存在が妹尾に、あらためて栗岩の死を思い出させた。
栗岩の唐突な死は、妹尾の中に芽生えつつあった中途半端な希望を軽々と打ち砕いた。今回の掃除が終わったら、ナマズ料理でもつつきながら、その時こそ栗岩に洗いざらい全てを聞いてもらおうと思っていた。そこから新たなスタートが切れるのではないかと期待した。だがその相手はもういない。
そんな無慈悲な現実に直面したおかげで、妹尾はむしろ吹っ切れた気分だった。昨夜までは、これを最後に堅気の道を歩もうなどと考えていたが、やはり無理なようだ。自分には、どうしたって死の匂いが付いて回る、そんな宿命にあるらしい。
ならば気持ちを切り替えて、請け負った仕事を遂行するだけだ。いつもの掃除と何ら変わることなく、標的のアメリカ人に確実なる死をお見舞いするのみ。
掃除屋稼業を始める以前、自衛隊を辞めて入隊したフランス外人部隊での日々において、妹尾はすでに強烈な死というものを経験していた。その死は、紙一重の差でたまたま妹尾の身には起こらなかったが、飽くなき強さの追求と自己肯定の塊だった生き方を一変させたといえる。
仮にあの経験がなければ、目標を失って社会の裏側を歩むほどには落ちぶれてはいなかったはずだ。
1981年の春。自衛隊を除隊した妹尾は、外人部隊に入隊すべくほとんど間を置かずにフランスに飛んだ。
十九世紀の創設から百五十年以上の歴史を誇るフランス外人部隊は国籍、人種、言語、宗教を問わず十八歳以上の健常な男性なら誰でも入隊試験に挑戦することができる。
かつてフランス国王ルイ・フィリップの命によって、自国の兵力損耗を避けるべく、他国の傭兵で組織された部隊が発足したのがその始まりとなる。
世界各国から集まった犯罪人や逃亡者らによるならず者集団といったイメージが付いて回った時代もあった。だが外人部隊は列記としたフランス陸軍の部隊であり、現在は入隊時に過去の犯罪歴などもしっかり調査される。
隊員の比率も、入隊時に他国籍を取得するため外国人扱いではあるが、実際フランス人が半数近くの割合を占めている。
長い歴史において世界各地の戦場を転戦する中で磨かれていった技量は、今やフランス軍随一といって過言ではない。
そんな精鋭部隊たる外人部隊に入隊し、自衛官時代にはかなわなかった本物の戦争を経験したい。実戦という、究極の修羅場を潜り抜けてこそ到達できる境地がある。そう信じて疑わなかった当時の妹尾は、入隊試験を受けるべく、マルセイユ近郊にあるオバーニュ基地の門をくぐるのに一切の躊躇もなかった。
第1空挺団での厳しい訓練を日常としてきた妹尾は、外人部隊第1連隊での三週間に及ぶ試験を、楽々と余裕を持ってパスした。その後、第4連隊で四か月に渡る新兵訓練を受けた。その厳しさはつとに有名だが、妹尾にとっては困難に感じるレベルのものではなかった。
外人部隊の志願者は、本物の兵士又は兵士候補の者と、人生の落後者とでもいうべき者に二分されていた。当然、前者である妹尾は、満足に懸垂もできないような連中が、はるばるフランスまで何をしに来たのだろう?と首を傾げた。同時に、ほとんど人生を捨てる覚悟でこの場に臨んでいる自分は、外人部隊という響きが喚起するイメージに幻想を抱き、大げさに構え過ぎていたかと拍子抜けする思いだった。
だが、妹尾同様に入隊試験を楽々とパスしてくる連中をみると、そんな考えも自ずと消えた。すでに自国の軍隊で戦闘に参加した経験のある者も大勢いた。そんな本物の連中と肩を並べて戦地に向かう将来の自分を想像しながら、妹尾は武者震いする思いだった。
大佐相手の面接は、英語又はフランス語で行われるが、妹尾はあえてフランス語で臨んだ。英語ならばまず問題なく受け答えできる。だがここは、自衛官の頃より語学学校に通って習得したフランス語を敢えて選択することで、自分の存在をアピールしたい狙いもあった。外人部隊内で使われるのはフランス語だが、日本人をはじめ特にアジア圏の兵士が入隊後に苦戦するのもその点だという。
そんな中、面接の段階から、流暢とはいえないながらもフランス語でしゃべる妹尾は、狙い通り面接官に好印象を残した。第1空挺団という職歴も大きなアドバンテージとなって、結果、妹尾は希望通り第2外人落下傘連隊(ドゥジエム・レップ)への配属を勝ち取った。全世界の軍隊レベルにおいても勇名を馳せるエリート部隊での日々が始まった。
外人部隊に入隊した者は基本的に偽名を与えられる。この日より除隊するまでの期間、妹尾は「セナ・タトゥーロ」という新しい名前で過ごすことになった。
自ら話さない限り過去を詮索しないのが、隊員間では暗黙のルールになっている。過去を問われず、新たな名前を与えられる外人部隊に、第二の人生を求めてやってくる男たちが後を絶たないのも道理である。
コルシカ島カルヴィに本部を置く第2外人落下傘連隊は、あらゆる紛争地にいち早く降下する精鋭集団で、その勇猛果敢さは世界中の軍隊からも一目置かれる存在である。
ここに配属される兵士は、妹尾がそうであるように、外人部隊内でも特に体力面に優れた者たちがほとんどである。選ばれし者、生まれながらの兵士、戦闘こそわが人生、戦って死ね等々、彼らが胸に秘めるモットーは様々だが、いずれの隊員も、俺ならやり遂げられるという自負を持っている点で共通している。
そして、それが強烈な個性として発揮されると、時に諍いが起きることもある。自分が一番だと自負する連中を同じ釜に放り込んで、何も起こらない方がむしろ不思議だろう。
人権配慮の行き届いた西側諸国の軍隊ではめったに見られない鉄拳制裁も、外人部隊では日常的に行われていた。この習慣に衝撃を受ける隊員もいたが、学生時代より常に体育会系の縦社会の一員に属してきた妹尾にとっては、別段驚くべきことではなかった。殴られるのが嫌ならドジを踏まなければいいだけのことだ。
実戦を求めて外人部隊に飛び込んだ妹尾だが、基本的には訓練に次ぐ訓練の日々を送るのは自衛官時代と変わりなかった。だが訓練のための訓練ではなく、いずれ経験する実戦のための訓練である点が、妹尾に高いモチベーションを維持させた。
内容も現実の戦闘に即したものが多く、日本にいたら決して経験できなかったであろう多くの訓練を受けた。妹尾は、そんな毎日を新鮮な気持ちで過ごしながら、かつて第1空挺団の隊員になった当初に感じていたやりがいが、再び自分の中に湧き起こるのを感じた。
外人部隊の任期は五年である。一度入隊したら、最初の五年は辞めることを許されない。それでも実際は任期を全うできずに逃げ出す兵士も後を絶たず、年間に数百名が姿を消すといわれている。だが妹尾にとっては、まさに願っていた環境である。五年といわず十年、二十年でもここにいて自分を磨き続けようと決心した。
地獄の例えさえ生ぬるいと感じた自衛隊のレンジャー課程。幻覚をみてあやうく命を落としかけたあのサバイバル訓練以上に厳しい訓練を、妹尾は南米フランス領ギアナで経験した。
それは世界一過酷なジャングル訓練と呼ばれていたが、その例えは嘘じゃないと妹尾は痛感した。ギアナに本部を置く第3外人歩兵連隊の元には、ジャングル戦の極意を習得すべく、フランス軍のみならず世界各国の軍隊が訓練に訪れる。妹尾もジャングル訓練に派遣され、地獄の三日間をたっぷり味わうこととなった。
高温多湿で、ただ立っているだけでも体力が消耗するような環境の中、三日間をかけておよそ六十キロの距離を移動するジャングル歩行訓練。その距離を聞いた時、妹尾は内心、問題なしと踏んだ。何せ自衛隊のレンジャー課程では百キロ以上の移動も普通だったのだ。
実際、外人部隊に入隊して分かったのが自衛隊の優秀さだった。訓練の水準も隊員の質も高いし、その勤勉さは、日本人からみれば当たり前なレベルでも世界的には稀であると知った。少なくとも空挺団の隊員なら世界中のどの軍隊に配属されても通用するだろう。
だが、こと外人部隊のジャングル訓練に関しては、自分の見通しが甘かったのを認めざるを得なかった。日本国内でジャングル歩行の厳しさを経験することはまず無理である。レンジャー訓練で踏破した青木ヶ原樹海でさえ、南米のジャングルに比べれば自宅の裏庭程度に感じられる。実際「ここに比べりゃ、ベトナムのジャングルなんて楽なもんだったな」と言う古参兵もいた。
ギアナのジャングルに分け入った時、妹尾は自然の驚異を肌で感じた。それはまるでジャングルそのものが意思を持ち、人間を捕食しようと上から襲い掛かってくるような恐怖に似た感覚だった。太古の姿をそのまま残す自然の中では、人間などいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされた。
巨木が横たわり、太い蔦が鬱蒼と生い茂る密林では、一歩足を踏み出すことがとてつもなく困難で、体力、精神力の限界が試される。たとえ軽装であっても容易には前進できない悪路を、隊員たちは自動小銃を担いだフル装備で、ニ十キロ近い重量の背嚢を背負って進む。おまけに三日間、マラリアやデング熱を媒介する蚊に常に付きまとわれ、不快極まりない環境にどっぷり身を委ねなければならない。
妹尾は、途中で真剣に脱落を考えた瞬間が何度かあった。だがそんな時は、ここに派遣される直前に、すでにジャングル訓練修了済の隊員から受けたアドバイスを思い出した。
「いいかセナ。あと何キロ歩かなくてはならないという風に考えたらアウトだぞ。なんせ百メートル進むのだって並じゃない世界だからな」
「では、どうする?」
「時間で考えるんだ。あと何分で休憩だ、あと何時間で飯だ、あと何日で終わりだっていう風にな。時間は必ず過ぎていく。三日過ぎれば訓練は終わる。その時は必ずやってくるんだからな」
実際、このアドバイスは役に立った。どうなろうが、時間は過ぎて終わりの時はやってくる。この地獄にも終わりはある。そんな風に考えながら一歩一歩を踏み出していった。そしてどうにか落後することなく訓練をやり抜くことができた。
ところで、そんな過酷を極めるジャングル訓練でさえ、鼻歌混じりに余裕を持ってこなす化け物じみた隊員も珍しくなかった。
「セナよ、全くきついよなぁ、おい」「地獄へようこそ、セナ」などと軽口を叩きながら、すいすいと妹尾を追い越して行く彼らの表情は、言葉とは裏腹に余裕たっぷりで、まるでこの試練を心から楽しんでいるように見えた。
一体、こいつら何なんだ・・・到底同じ人間とは思えない。
度肝を抜かれた妹尾は、この時、高いレベルにある兵士の底知れぬ能力を目の当たりにして初めて畏怖の念を抱いた。これが世界最高峰レベルの軍隊の実力なのだ。そして謙虚な気持ちを思い出すとともに、嬉しさが込み上げてきた。こんな連中に囲まれていれば、自分の兵士としての能力だって嫌でも伸びざるを得ないだろう。やはりここにきたのは正解だった。
外人部隊に入隊して一年が過ぎようとしていた1982年、妹尾は初めて実戦を経験した。
非常呼集で集められた隊員たちを前にして、中隊長が「これは訓練ではない」と言った時、隊員たちの間を、緊張感と同時に歓喜の感覚が駆け巡った。すべての隊員がこの時を待っていたのだ。一歩間違えば死亡する実戦に出ようというにも関わらず、誰一人悲壮感を漂わせる者は見当たらない。むしろ期待と興奮でそわそわするその姿は、まるで遠足を翌日に控えた小学生のようだった。
これが人生初の実戦となる妹尾とて気持ちは同じだった。必要となる武器、弾薬を輸送トラックに運び込みながら、はやる気持ちを抑えられなかった。
1975年から続くレバノン内戦。82年、イスラエル軍がレバノンの首都ベイルートに侵攻。アラファト議長率いるPLОの拠点へ攻撃をしかけた。
数日後にはイスラエルが南レバノン地域をほぼ制圧し、PLO部隊はチェニジアへの撤退を余儀なくされる。
その後、現地に取り残されたパレスチナ難民の安全保障を名目に多国籍軍が派遣され、その一部としてフランスも参加。国連監視軍第一陣に妹尾たち第2落下傘連隊も加わっていた。
任務はあくまで敵との戦闘ではなく監視であり、結果的に銃弾が飛び交うことはなかったが、妹尾は燻る紛争地域特有のひりひりするような緊張感の中に、実戦の醍醐味を味わった。
軍用トラックで、瓦礫と化したレバノン南部をパトロールしている時、反イスラエルを掲げた民衆のデモを目撃し、彼らの日常生活と死との距離感の無さに衝撃を受けた。
その光景は、戦場においてある種の非現実性を帯びて見えた。イスラエル軍によって設置された無数の地雷が埋まる立ち入り禁止区域で、ぼろぼろの身なりの民衆が、音の割れたラジカセから流れる音楽に合わせて踊っているのだ。中には片足のない難民の姿もあった。命を賭けて戦争に抗議する人々の姿は、妹尾の脳裏に焼き付いた。
命賭けで戦闘に参加する自分と、それに抗議する彼らを比較しながら、妹尾は、あのやり方では大切なものは守れないと考えていた。暴力を打ち破るために必要なのは、より強大な暴力。そう考える妹尾が、暴力の連鎖が辿り着く果てに思いを巡らすことはなかった。
第2落下傘連隊でも、他の連隊同様に隊員間の諍いはあった。外人部隊は本来、国も言語も、肌の色も違う人間の集団である。思想の違いなどといった大げさなものでなくとも、ちょっとした行き違いから隊員同士の殴り合いに発展することも珍しくない。
上官も、よほど目に余る行為でなければ、ストレスフルな日々のガス抜きとして、見て見ぬふりをすることが多い。妹尾も、そんなトラブルに一方的に巻き込まれたことがあった。
ビクター・スルエフという名のそのセルビア人は、民族主義の緊張が極めた高かった当時のセルビア社会主義共和国からやってきた軍人だった。熊のような巨漢で、胸板の厚さは一般的な男性の三倍近くありそうだった。戦火を潜り抜けてきた優秀な兵士であることは事実だったが、粗暴な性格から、妹尾の所属する中隊でもトラブルメーカー的な存在として知られていた。
そのビクターの、アジア系隊員に対する態度が日増しに悪化していった。訓練を終えた妹尾たちが基地内のバーでくつろいでいると、入店してきたビクターが人種差別丸出しの言葉を、わざと妹尾たちに聞えるように喚き散らす。世界各国から様々な人種が集まる外人部隊ではあるまじきその態度を、妹尾だけでなく韓国や中国からきている隊員も苦々しく感じていた。
ある日、訓練中にミスをした中国人隊員をビクターがぶちのめして失神させたことがあった。この暴行行為に対し警務課の正式調査が入り、複数の隊員からの証言によって、ビクターは営倉行きを命じられた。これに懲りてビクターの態度も変わるかと中隊の誰もが期待したが、結局それは裏切られることになった。
ある夜、バーで飲んでいた妹尾の隣に奴が座った。
「よぉチビ。おめぇ、いつも俺に文句があるって面してるよな。なんか言いてぇことあんなら言ったらどうだい」
沸き立つ怒りを悟られまいと、何とか平静を装いながら、妹尾は黙ってビールを飲み続けた。
「そんな根性もねぇか。おめぇみてぇな軟弱野郎は戦場では足手まといなんだよ。俺たちに迷惑かける前にとっとと国に帰んな」
妹尾は、静かに呼吸を繰り返して心を静めると、ビクターに向き直った。
「なぁビクター。俺はビールを飲んでるだけだ。あんたに迷惑でもかけたか?」
その言葉に、バーにいた全ての隊員たちが思わず妹尾の方を見た。
「ああ、チャイナだかジャップだか知らねぇが、おめぇらの存在自体が目障りなのよ。大迷惑だね」
さすがに見かねた一人の隊員がビクターに注意しようと立ち上がりかけたが、それより早く妹尾が言った。
「分った。明日、訓練が終わったらあんたの相手をしてやる」
思いもよらぬ妹尾の言葉に、あっけにとられて一瞬固まったビクターだったが、やがてにやりと笑った。
「待ってたぜ、その言葉。これで堂々とてめぇをぶん殴れる理由ができたってこったな」
「さぁね、どうだか」
「訓練時間外の個人的な喧嘩ってことを忘れるなよ。営倉行きは二度とごめんだからよ」
豪快に笑いながら妹尾の背中を力強く叩いて、ビクターはバーを後にした。
つい、かっとなって大見えを切ってしまったが大丈夫だろうか。叩かれた背中から全身に伝播するような痛みをじんじん感じながら、妹尾はちょっと不安になってきた。
だが、ここで引き下がったら状況は一向に変わらないままだ。きっちりと奴を懲らしめて態度を改めさせるしかない。例え、この件が問題になって営倉行きになろうが構わない。体格差をものともしない七帝柔道をたっぷり味わわせてくれる。妹尾はそう決意した。
翌日。訓練終了後も、事情を知る隊員たちは兵舎に戻ろうとしなかった。妹尾とビクターの対決を見届けたかったのだ。
中隊長もこの件に関しては噂を耳にしていたが、あえて知らないことにした。万一、連隊長の耳にまで届いて問題になるようなことがあった場合には、自分が盾となって守ってあげようと考えていた。
中隊長の興味は問題児ビクターではなく、日本人セナ・タトゥーロの方にあった。訓練態度はいたって真面目だが、第2落下傘連隊にあっては特別優秀というほどでもなく、むしろ目立たない隊員といえる。そのセナがビクターの挑発を受けて立ったということは、それなりに勝算があるのだろう。それを見届けてみたいという個人的な興味もあってのことだった。
野次馬たちによって円形のリングが自然と形作られ、いよいよ決闘の様相を呈していた。その中央で、間合いを保ちながら対峙する両者を比較すると、ビクターの方が頭一つ分背が高く、体重も倍近くありそうに見えた。
ビクターはボクサーのように構えた腕をゆっくり回しながらにやにや笑っている。妹尾は、柔道の試合を思い出しながらビクターの出方を伺っていた。地面に倒してしまえば体格差は意味を失う。そこからは柔道で鍛えた自分の独壇場だ。関節を破壊して後々まで影響を残すよりも、絞め落としたほうが後遺症もないし、何よりビクターの自尊心を剥ぎ取るのに効果的だろう。
問題はビクターを地面に転がすことができるかどうかだ。ボクシングスタイルの構えから察するに、おそらくビクターは打撃系格闘技の経験者なのだろう。あの太い腕から繰り出されるパンチをまともに喰らったら、そこですべてが終わってしまう。いかに奴のパンチをかい潜って組付き、素早く地面に倒せるか。ファーストコンタクトが肝心だ。
だが、そんな妹尾の心配は無用だった。ファイティングポーズを解いた無防備なビクターが、焦れたように両手を前に突き出して闇雲に突進してきたのだ。
妹尾にとっては願ってもない好機だ。
ビクターの片腕を抱え込むと素早く体を入れ替えた。
次の瞬間、まるで無重力のようにビクターの巨体が弧を描いて宙に踊った。
妹尾は、相手の突進力を利用しながら鮮やかな一本背負いを決めた。
見物する隊員たちからどよめきが起こった。
背中から強烈に地面に叩きつけられたビクターは、百二十キロ以上あるであろう自重も仇となって、呼吸困難に陥っている。
妹尾は間髪入れず、横たわるビクターの腕と首を腿で挟み込んで横三角締めに入った。
両足をロックして全力で絞め上げる妹尾に対し、死に物狂いで暴れ続けるビクター。
普通の人間ならとっくに落ちているはずだが、なおももがき続ける。その力の強さに驚愕しつつも、冷静な妹尾は勝利を確信していた。
やがてビクターの体から力が抜けるのを感じ取ると、技を解いた妹尾は蹴るように相手の体をズラしながら立ち上がった。
周囲の隊員たちのどよめきが喝采に変わった。「セーナ、セーナ」とコールが巻き起こったが、これは競技ではない。ガッツポーズで応えるわけにもいかない妹尾は、なんとなく居心地悪そうに肩をすくめてみせた。
幸い、この一件が連隊内で問題視されることは一切なかった。そしてこの日以降、妹尾を見る隊員たちの目が変わった。尊敬の念ととともにサムライボーイの愛称で呼ばれるようになった。
数日後、基地内のバーで妹尾が会計を済ませようとしたところ「お代は結構です。この先一ヵ月分の飲み代はすでに頂いております」と言われて驚いた。ビクターから妹尾への、敬意を込めたお詫びの印だった。
それから一ヵ月の間、妹尾は遠慮なくただ酒を楽しんだ。あれ以来、隊内におけるビクターの態度も明らかに変わった。今までのように人種差別を露わにするようなことは二度となかった。
やがて外人部隊を除隊したビクター・スルエフは、その後九十年代後半のコソボ紛争において、セルビア治安部隊の一員として戦闘に参加、戦死する。
フランス外人部隊の初回契約期間である五年間を無事に終えた妹尾は、引き続き三年の契約更新を果たした。その間、敵の軍隊やテロリストを相手にした銃撃戦を経験することはなく、それを求めて入隊した妹尾にとってはやや物足りない感じさえした。
だが一方で、戦闘行為こそないものの、危険な戦場に何度も出動した。
さらに日本では先ずあり得ない程の実弾訓練に励んだおかげで、フランス製自動拳銃MAS50やFA-MAS突撃銃、さらに当時採用されたばかりの自動拳銃ベレッタ92など、数々の銃器の操作を習熟していった。
それでもやはり、外人部隊にくる前から自国の軍隊で訓練を受け、銃器の扱いに長けた隊員のレベルには遠く及ばなかった。妹尾が外人部隊との契約を更新し、第二期目に入った頃、ユーリ・クラウゼという名のドイツ人が第2落下傘連隊に入隊してきた。ユーリは外人部隊にくる前はGSG9(ドイツ第九国境警備隊)の隊員だったという。
一九七二年のミュンヘンオリンピックにおいて、パレスチナゲリラが選手村を襲撃、人質全員死亡という最悪の結末に終わった悲劇をきっかけに誕生したGSG9。創設時にはSAS(英国陸軍特殊空挺部隊)の助力を受け、その後ハイジャック事件をはじめとする数々の実戦に投入され技量を磨き上げてきた西ドイツの誇る最強の対テロ特殊部隊である。
GSG9隊員は言うまでもなく能力、士気ともにずば抜けて高く、こと射撃技術においては他の追随を許さないレベルにある。
妹尾がユーリの射撃を初めて見た時の衝撃は未だに忘れられない。まるで精密機械のように滑らかな動きと電光石火のスピードは人間技とは思えなかった。命中率も抜群に高く、ほとんどが的の中央に集まっていた。外人部隊では新人ながら、その金髪蒼眼の若きドイツ人は、すぐさま一目置かれる存在となった。
射撃に関しては、訓練量の割には成果を出せていない妹尾は、そんなユーリによくアドバイスを乞うた。その度に、構え方から呼吸の仕方、グリップの握り方、トリガーの引き方にサイティングテクニックまで丁寧に教えてくれた。
「セナ、ここにいては使うことはないだろうけどね、銃器はやっぱり西ドイツだよ」
「へぇ、そんなに違う?」
「もう全然違うね。前にいた隊じゃヘッケラー&コッホのMP5っていうサブマシンガンを使ってたけど、反動は少ないし命中精度は高いし、おまけに使用するのは拳銃と共用できる9ミリ弾だ」
「それは大きな利点だね」
「そうさ。俺の読みではね、これからの戦闘は市街地戦が中心になっていくと思う。だから近接戦闘のテクニックだって磨かなければならないし、そんな時にはライフルじゃなくて小回りの利くサブマシンガンに限るよ」
「いいねぇ、撃ってみたいなぁ。でも、そんなチャンスはないね」
残念そうにしている妹尾に、ユーリが言った。
「いや、あるよ。セナが本気で撃ちたいならね」
「え!マジで?」
「ああ。やる気ある?」
「もちろん」
ユーリは意味ありげな笑みを妹尾に投げかけた。
「OK。じゃぁ、今度の休みの日、俺に付き合いなよ」
次の非番の日、妹尾はユーリに連れられてフランス本土に渡り、さらにバスに揺られてパリの郊外に向かった。コルシカ島カルヴィの駐屯地を出発してから約四時間、彼らの目的地は豊かな自然に囲まれた射撃場だった。
広大な敷地面積を誇るその施設は、屋内だけでなく、立地を活かした多彩な屋外レンジが魅力で、小さな市街地を模したコースや狙撃レンジも兼ね備えている。外人部隊をはじめ、フランスの軍、警察関係者もよく使う施設であり、最新鋭の設備、安全性と秘密保持が約束されていた。
ユーリはここに自分のロッカーを持っており、自前のルートで調達した西ドイツ製の拳銃やサブマシンガンを保管していた。非番の度にここに来ては、それらの銃器を使って自ら射撃訓練に励んでいるという。
こうしたストイックな鍛錬の継続こそが、ユーリの超人的射撃技術を支えているのだ。妹尾は驚きとともに尊敬の念を隠せなかった。そしてこの若きドイツ人を銃器関連の師と仰ぎ、その後、度々この射撃場を訪れてはユーリと一緒に訓練に打ち込んだ。
この時ユーリが妹尾に薦めたのが、ヘッケラー&コッホ社製の自動拳銃P7M8だった。独自の機構を盛り込んだP7M8の扱いに習熟するのは、妹尾にとって骨の折れることには違いなかった。だが着実に射撃技術が向上してゆくなかで、自分にはまだ伸びしろがあるという事実が何より嬉しかった。
ますます訓練にのめり込んだ妹尾は、やがて自分の手の延長のように、P7M8を自在に使いこなせるまでになった。ユーリとの射撃特訓がなければ、元第1空挺団だろうが外人部隊帰りだろうが、拳銃一丁で標的を始末してゆく掃除屋稼業など、決して自分には務まらなかっただろう。今も妹尾はそう考えている。
外人部隊での第二期目も半ばを過ぎた頃、妹尾は一週間の有給休暇を取得した。休暇を使って何かをやりたいという具体的な計画があったわけではなかった、ただ基地内で単調な毎日を送る中で、自分の中から緊張感が失われている気がしていた。こんな調子で戦場に送り出されたとして、果たして無事に役目を果たせるのだろうか。そんな不安もあって、気分をリフレッシュする必要を感じていたのだった。
妹尾は、パリの有名観光スポットを一人で回りながら気がついた。射撃場に向かう中継地として何度もパリに来ているのに、この花の都をまともに見物したことがないとは・・・。
おかげで、今さらながら見るもの全てが新鮮に感じられた。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダム大聖堂など誰もが知っている有名なスポットを見物しながら、軍隊のことはすっかり忘れて、一般人らしい感覚でパリを満喫することができた。
振り返れば学生時代はスポーツに打ち込み、卒業後は軍隊一筋で生きてきた妹尾にとって、こうしたレジャーを思いのほか満喫している事実が、自分自身でも意外だった。
休暇も残すところあと一日となった夜。妹尾はダウンタウンの酒場でたっぷりと酒を楽しんだ後、酔っぱらったまま辺りの散策に出かけた。
夜風に当たろうとセーヌ川沿いを歩いてみると、至る所でカップルが抱き合いキスをしているのに出くわした。ジロジロ見物するわけにもいかないが、かといって彼らの存在を気にせずに歩けるほどの図太さも持ち合わせていない。妹尾は、川面に映える美しい街灯を眺めながらの散歩という贅沢を早々に切り上げた。
マレ地区は日付が変わってもなお若者たちで賑わっていた。ゲイが集まるエリアなどとは知る由もない妹尾は、ハンサムな男たちに何度も声をかけられて、一体これはどういうことだろう?と不思議に思いながら、誘いを断り続けた。
高級住宅街の十六区に辿り着くと、今度は有名なブローニュの森を歩いてみることにした。きっとセーヌ川と同様に、恋人たちがロマンチックな時間を過ごしているのだろう。そんな中を男一人で歩いていたら、覗き目的の不審者扱いされるのではなかろうか。少し不安になったが二度と訪れることもないかも知れないと思うと、勇気を振り絞って歩き出した。そして驚いた。
道沿いのベンチの至る所に絶世の美女が一人で佇んでいるのだ。妹尾が近づくと、彼女らは決まってコートの前を開く。そこでまたしても妹尾は仰天した。コートの下は下着姿ではないか。夜ともなればブローニュの森が一大売春スポットへと姿を変えることなど知らない妹尾には、それはとてつもない衝撃だった。気まずい気分で足早に立ち去ろうとしたが、何度も娼婦から声をかけられているうちに、酔いも手伝ってまんざらでもない気分になってきた。
もし今度声をかけてきた女性が好みのタイプだったら、ものは試しについて行ってみるか、だが今の所持金で足りるかな、などとぼんやり考えながらふらふら歩いている内にブローニュの森を抜け、気がつけば人気のない路地裏に迷い込んでいた。