そして、それが強烈な個性として発揮されると、時に諍いが起きることもある。自分が一番だと自負する連中を同じ釜に放り込んで、何も起こらない方がむしろ不思議だろう。
人権配慮の行き届いた西側諸国の軍隊ではめったに見られない鉄拳制裁も、外人部隊では日常的に行われていた。この習慣に衝撃を受ける隊員もいたが、学生時代より常に体育会系の縦社会の一員に属してきた妹尾にとっては、別段驚くべきことではなかった。殴られるのが嫌ならドジを踏まなければいいだけのことだ。
実戦を求めて外人部隊に飛び込んだ妹尾だが、基本的には訓練に次ぐ訓練の日々を送るのは自衛官時代と変わりなかった。だが訓練のための訓練ではなく、いずれ経験する実戦のための訓練である点が、妹尾に高いモチベーションを維持させた。
内容も現実の戦闘に即したものが多く、日本にいたら決して経験できなかったであろう多くの訓練を受けた。妹尾は、そんな毎日を新鮮な気持ちで過ごしながら、かつて第1空挺団の隊員になった当初に感じていたやりがいが、再び自分の中に湧き起こるのを感じた。
外人部隊の任期は五年である。一度入隊したら、最初の五年は辞めることを許されない。それでも実際は任期を全うできずに逃げ出す兵士も後を絶たず、年間に数百名が姿を消すといわれている。だが妹尾にとっては、まさに願っていた環境である。五年といわず十年、二十年でもここにいて自分を磨き続けようと決心した。

地獄の例えさえ生ぬるいと感じた自衛隊のレンジャー課程。幻覚をみてあやうく命を落としかけたあのサバイバル訓練以上に厳しい訓練を、妹尾は南米フランス領ギアナで経験した。
それは世界一過酷なジャングル訓練と呼ばれていたが、その例えは嘘じゃないと妹尾は痛感した。ギアナに本部を置く第3外人歩兵連隊の元には、ジャングル戦の極意を習得すべく、フランス軍のみならず世界各国の軍隊が訓練に訪れる。妹尾もジャングル訓練に派遣され、地獄の三日間をたっぷり味わうこととなった。
高温多湿で、ただ立っているだけでも体力が消耗するような環境の中、三日間をかけておよそ六十キロの距離を移動するジャングル歩行訓練。その距離を聞いた時、妹尾は内心、問題なしと踏んだ。何せ自衛隊のレンジャー課程では百キロ以上の移動も普通だったのだ。
実際、外人部隊に入隊して分かったのが自衛隊の優秀さだった。訓練の水準も隊員の質も高いし、その勤勉さは、日本人からみれば当たり前なレベルでも世界的には稀であると知った。少なくとも空挺団の隊員なら世界中のどの軍隊に配属されても通用するだろう。
だが、こと外人部隊のジャングル訓練に関しては、自分の見通しが甘かったのを認めざるを得なかった。日本国内でジャングル歩行の厳しさを経験することはまず無理である。レンジャー訓練で踏破した青木ヶ原樹海でさえ、南米のジャングルに比べれば自宅の裏庭程度に感じられる。実際「ここに比べりゃ、ベトナムのジャングルなんて楽なもんだったな」と言う古参兵もいた。
ギアナのジャングルに分け入った時、妹尾は自然の驚異を肌で感じた。それはまるでジャングルそのものが意思を持ち、人間を捕食しようと上から襲い掛かってくるような恐怖に似た感覚だった。太古の姿をそのまま残す自然の中では、人間などいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされた。
巨木が横たわり、太い蔦が鬱蒼と生い茂る密林では、一歩足を踏み出すことがとてつもなく困難で、体力、精神力の限界が試される。たとえ軽装であっても容易には前進できない悪路を、隊員たちは自動小銃を担いだフル装備で、ニ十キロ近い重量の背嚢を背負って進む。おまけに三日間、マラリアやデング熱を媒介する蚊に常に付きまとわれ、不快極まりない環境にどっぷり身を委ねなければならない。