銃声の全くしない拳銃から発射された弾丸が、なだらかな放物線を描きながら自分目がけて飛んでくる様子が、妹尾の目にスローモーションで映った。
その弾丸は、正確に妹尾の左胸に命中すると、ポトリと地面に落ちて転がった。
おもちゃの銀玉だった。
ケンはゆっくりとお面を取ると、固まったように動けないでいる妹尾に向って、真っ白な歯を見せながらにっこりと笑ってみせた。
その時、それまで無風状態の中を、地面に向って静かに沈むように降っていた雪の動きが乱れた。
目に見えない力に翻弄されるように、大気中で乱れ舞う雪。
人々の、溜息にも似た静かなどよめきが起こった。
体から緊張が抜けて行くのを感じながら、妹尾は海の方を向いた。
はるか水平線の彼方、重苦しい灰色の空を幾筋もの光が、ゆっくりと落下してゆくのが見えた。
その非現実的な光景にはどこか見覚えがあった。
あれは多分天使だ。きっと地球に焼け落ちてきた天使たちなのだ。
隕石群に衝突し、大気圏突入時に粉々に分解したロシアの軍事人工衛星ミカエル。その美しい最期に心を奪われ、妹尾は立ち尽くした。
どの位の間、そうしていたのだろうか。妹尾がふと視線を戻すと、ケン・オルブライトは影も形もなく消え去っていた。
妹尾は、一瞬、ケンの幻でも見たのではないか、実際には現れなかったのではないかと考えたが、地面に赤いお面が落ちているのが分かった。辺りを見回したが、ケンの姿はどこにもなかった。
つい先ほどまでの静けさが嘘のように、今では強風が吹き荒れていた。
世紀の天体ショーを見物しに集まっていた人々も、コートの襟を立てて背を丸めながら解散し始めていた。
どこか遠くからパトカーのサイレンの音が聞え、妹尾も現実に引き戻された。
日本の警察は世界有数の優秀さを誇ると言われているが、それにしても、もう見つかったのだろうか。それとも思い過ごしか。いずれにせよ長居は無用だ。今すぐこの場を立ち去らねばならない。
妹尾は、再び辺りをぐるりと見渡した。パトカーが走る道路沿いを逃げるのは論外だ。
ならば海か。いや鯨の死骸を見るのはまだ早い。
妹尾は、踵を返すと、フェンスを強引に乗り越えて自衛隊の敷地内に入ろうとした。
この平坦な演習所を全速力でつっきり、向こうに見えている山に潜伏しよう。そこから先のことは、後から考えればいい。
バッグが鉄条網に引っ掛かり、妹尾が敷地内に飛び降りたはずみで破れた。
中から飛び出した札束が辺りに散乱した。
大量の紙幣が、海から吹き付ける強風に巻き上げられて、雪とともに空中を舞った。
妹尾は、金をかき集めようかと一瞬考えたが、そぐにその考えを捨てて走り出した。
あのバッグには、現金だけじゃなく習志野の空挺隊員だった頃に勝ち取ったレンジャー徽章も入っていたはずだ。だが、もう要らない。今の自分には必要ない。妹尾達郎という男が殺人事件の容疑者として全国に指名手配されている今、自分にしつこく付きまとう過去を捨て、思い出や記憶といった呪縛から全力で逃れることこそが必要なのだ。
雪に濡れる草地を全力で駆け抜けながら、そんなことを考えていた。
妹尾の後ろ姿は、灰色の世界に溶け込み、やがて見えなくなった。
その弾丸は、正確に妹尾の左胸に命中すると、ポトリと地面に落ちて転がった。
おもちゃの銀玉だった。
ケンはゆっくりとお面を取ると、固まったように動けないでいる妹尾に向って、真っ白な歯を見せながらにっこりと笑ってみせた。
その時、それまで無風状態の中を、地面に向って静かに沈むように降っていた雪の動きが乱れた。
目に見えない力に翻弄されるように、大気中で乱れ舞う雪。
人々の、溜息にも似た静かなどよめきが起こった。
体から緊張が抜けて行くのを感じながら、妹尾は海の方を向いた。
はるか水平線の彼方、重苦しい灰色の空を幾筋もの光が、ゆっくりと落下してゆくのが見えた。
その非現実的な光景にはどこか見覚えがあった。
あれは多分天使だ。きっと地球に焼け落ちてきた天使たちなのだ。
隕石群に衝突し、大気圏突入時に粉々に分解したロシアの軍事人工衛星ミカエル。その美しい最期に心を奪われ、妹尾は立ち尽くした。
どの位の間、そうしていたのだろうか。妹尾がふと視線を戻すと、ケン・オルブライトは影も形もなく消え去っていた。
妹尾は、一瞬、ケンの幻でも見たのではないか、実際には現れなかったのではないかと考えたが、地面に赤いお面が落ちているのが分かった。辺りを見回したが、ケンの姿はどこにもなかった。
つい先ほどまでの静けさが嘘のように、今では強風が吹き荒れていた。
世紀の天体ショーを見物しに集まっていた人々も、コートの襟を立てて背を丸めながら解散し始めていた。
どこか遠くからパトカーのサイレンの音が聞え、妹尾も現実に引き戻された。
日本の警察は世界有数の優秀さを誇ると言われているが、それにしても、もう見つかったのだろうか。それとも思い過ごしか。いずれにせよ長居は無用だ。今すぐこの場を立ち去らねばならない。
妹尾は、再び辺りをぐるりと見渡した。パトカーが走る道路沿いを逃げるのは論外だ。
ならば海か。いや鯨の死骸を見るのはまだ早い。
妹尾は、踵を返すと、フェンスを強引に乗り越えて自衛隊の敷地内に入ろうとした。
この平坦な演習所を全速力でつっきり、向こうに見えている山に潜伏しよう。そこから先のことは、後から考えればいい。
バッグが鉄条網に引っ掛かり、妹尾が敷地内に飛び降りたはずみで破れた。
中から飛び出した札束が辺りに散乱した。
大量の紙幣が、海から吹き付ける強風に巻き上げられて、雪とともに空中を舞った。
妹尾は、金をかき集めようかと一瞬考えたが、そぐにその考えを捨てて走り出した。
あのバッグには、現金だけじゃなく習志野の空挺隊員だった頃に勝ち取ったレンジャー徽章も入っていたはずだ。だが、もう要らない。今の自分には必要ない。妹尾達郎という男が殺人事件の容疑者として全国に指名手配されている今、自分にしつこく付きまとう過去を捨て、思い出や記憶といった呪縛から全力で逃れることこそが必要なのだ。
雪に濡れる草地を全力で駆け抜けながら、そんなことを考えていた。
妹尾の後ろ姿は、灰色の世界に溶け込み、やがて見えなくなった。