そこに、ドアの開く音と共に少女の声が聞えてきた。
「ただいまぁ」
ケンが声の主に目をやると、外国人の来客に驚きの表情を浮かべる制服姿の女子高生がいた。ケンは、入口に立ち尽くす美少女の顔に女主人の面影を認めた。間違いなくこの店の娘だろう。
これが舞子、そしてこの店の女主人、井口悦子とケンとの出会いだった。
「はい、おかえり」
悦子は、舞子を紹介した。
「うちの娘です。舞子、こちらの方は、えっと・・・」
「Ken Albright」
ネイティブスピーカーの口からなめらかに発せられる英語発音に「?」と顔を見合わせる母娘にもう一度、日本語発音でゆっくりと繰り返した。
「わたしの名前、ケン・オルブライト」
「ケン・・・さんね。今日はよくいらっしゃいました」
舞子は人見知りなのだろうか、軽く会釈するとそそくさと店の奥に消えた。
「で、ケンさん。天ヶ浜には何しに?観光にしたって観るとこなんてないでしょうに」
「アマガハマ?」
「あ、ここの地名。天ヶ浜っていうのよ」
「はい、フェスティバル見にきたのです」
あの日、軍用トラックに揺られながら、この町に感じた感情。それを日本語で説明するのは到底不可能だと判断したケンは、祭りがすでに終わっているのを承知の上で言った。
「フェスティバル?奉納祭のことかしら・・・もう終わってしまったけど」
「はい、少し前に見たのです。その時、この町好きになったね」
「へぇ、一度来てるのね。外人さんなのに珍しいですね」
「そぉ?」
「ええ、この辺で観光客の外人さんなんか見かけたことないわ」
「そぉ」
「あのお祭りは、もともと神事の一種でね。『天懇献呈の儀』は外国人にはきっと興味深いかも知れないわね」
「テンコンケンテイの・・・」
「てんこんけんていのぎ。ざっとこんなお話なの」
悦子は祭りの成り立ちを説明した。

大昔、天界の神がこの地を訪れた際、漁師が獲れた魚介類を献上したという。
その魚のあまりの美味さに喜んだ神が、もっと食べさせよと要求したが、あいにく天候に恵まれず不漁続きのため、今食べた魚が最後の一尾だと漁師は言った。
それを聞いて嘆き悲しんだ神は、魚食べたさのあまり、穏やかな天候と豊漁を約束して天に戻っていった。
以来、この地の民は秋に魚を献上する祭りを行って、豊漁を願うようになったそうである。
「もっとも、今はこの辺じゃほとんど漁なんてやってないから。伝統を守るっていう理由で『天懇献呈の儀』も続けてはいるけど・・・中身は、ありがちなお祭りかしらね」
近くの神社に獲れた魚介類をお供えし、儀式を執り行う。これにより、この地が繁栄して願い事が叶う。天ヶ浜奉納祭は、長い歴史の中で都合よく解釈を変えながら、今も続く年に一度の秋祭りである。

すっかり「ゲルニカの木」を気に入ったケンは、結局休暇のギリギリまでこの地に留まることになった。
連日、辺りを散策して過ごした結果、天ヶ浜の地理に随分と詳しくなっていた。ここは平地が少なく、線路を挟んで内陸側はすぐに小高い山になっていることを知った。海岸沿いの道を北上すると演習地があるのは分かっていたが、反対方向に南下すると造船所があることも知った。海に突き出した堤防では、釣り人を見かけたこともあった。
昼を散策に費やしたケンは、夕方になると必ず「ゲルニカの木」に顔を出してブレンドコーヒーを注文した。
言葉の壁があるため饒舌とはいかないが、それでも悦子と気ままな会話を楽しんだ。