「で、どうするの?」
なんだか、美樹おばさん怖い。
「できれば生みたいんです。でも、自分の体のこともあるのでちゃんと考えたいんです。その為に、逃げてきました」
正直に言った。
私だって、子供ができたのは嬉しい。
それも、渚の遺伝子を受け継ぐ子。
きっとかわいいだろうし、考えただけでワクワクしてしまう。
不謹慎にも、私はニヤニヤと笑ってしまった。
「もう、なんて顔しているの」
おばさんのあきれ顔。
「まあ。ちゃんと考えなさい」
「黙っていてくれるんですか?」
「仕方ないじゃない。放り出して、道端で倒れられても後味が悪いし」
美樹おばさんらしい言い方。
大学時代、お酒で失敗して道端で保護された私を何度もおばさんが迎えに来てくれた。
だから、私は美樹おばさんに頭が上がらない。
「隠れるあてはあるの?ここはすぐに見つかるわよ」
「とりあえず近くのホテルをとって、明日からは大学時代の友人をあたってみようと思っています」
「バカね」
はあ?
突然言われて、見返してしまった。
「樹里亜、あなた樹三郞さんをなめてるわ」
「それはどういう?」
「樹三郎さんなら、すぐにあなたのカードと口座を止めて、この辺のホテルに電話しまくって、すぐにあなたの居所を突き止めるはずよ」
「そんなこと・・・」
できるはずない。
私だって成人した大人。
口座もカードも自分の名義なんだから、父さんの自由になんて、
「樹三郎さんならするわよ。それに、あなたが医者として働くなら、隠し通すなんて不可能ね」
確かにそうだけど。
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
つい、ふて腐れ気味に言ってしまった。
「あなた、本当に生む気なの?」
「できることなら生みたいんです。でも、自信はありません」
それが正直な気持ち。
「分かった。しばらく考える時間をあげるわ」
いきなり立ち上がった美樹おばさんが、私のスーツケースを手にする。
「おばさん?」
「今夜はここに泊まって。明日、知り合いの乳児院が近くにあるからそこに行きましょう」
「乳児院?」
「そう。考えがまとまるまで、そこにいたらいいわ。ちょうど人手が欲しいって言っていたし、実家には私が言わない限り見つからないから」
よかった。
美樹おばさんは味方になってくれるらしい。
いい加減な気持ちじゃないのは伝わったみたい。
「ありがとうございます」
何度もお礼を言った。
今の私には、美樹おばさん以外頼る人がいないから。
ブー ブー ブー
東京へ来た日の夕方からガンガン入ってくる着信。
大樹も、渚も、5分と開けずにかけてくる。
きっと今頃大騒ぎになってることだろう。
渚は大丈夫なんだろうか?
本当なら状況を知りたい。
でも、それもできない。
私は電話に出る勇気がないまま、夜を迎えた。
かかってくる電話には完全無視を貫きながら、私は別のところに電話をかけた。
プププ
『もしもし』
短いコールで、母さんが電話に出た。
「母さん」
『樹里亜、どうしたの?』
「母さん、ごめんなさい」
「どうしたの?何があったの?」
心配そうな声に変わる。
「赤ちゃんが出来た」
『・・・』
この沈黙が、怖い。
『すぐに帰ってきなさい』
「今は帰れない」
『帰れないって、どこにいるの?』
「ごめん、言えない」
『何考えてるのっ!』
うわ、怒鳴られた。
普段大きな声をあげることのないことのない母さんなのに・・・
『いいから、すぐ帰ってきなさい』
「・・・ごめんなさい」
クスン。
『樹里亜、泣いているの?』
「ちょっとだけ時間をください。ちゃんと帰るから、考える時間を・・・」
それ以上は言葉にならなかった。
母さんも私も、しばらく言葉が出なかった。
『今、遠くにいるの?』
「うん」
『ちゃんと帰ってくるのよね?』
「はい」
随分と考え込んでいた母さん。
『分かったわ。その代わり』と条件を出してきた。
2日に1度は連絡しなさい。
病院には行きなさい。
ちょんとご飯は食べなさい。
『分かった?』
「はい」
『じゃあ、父さんは止めておくけれど。長くは無理よ』
「はい」
分かっています。
ごめんなさい、母さん。
ついこの間20数年来のわだかまりがとれて、これから母娘になれると思っていたのに、また心配をかけてしまった。
本当は親孝行してうんと仲良くしたかったのに、こんな自分勝手な娘で本当にごめんなさい。
ああ、涙が止まらない。
その日の日付けが変わる頃になって、普段は滅多に連絡をよこさない梨華からメールが来た。
『お姉ちゃん、一体何したの?父さんと母さんがもめているわよ』
はああ?
私はすぐに電話をかけた。
「もしもし梨華?母さんは大丈夫なの?」
梨華が話すより早く、尋ねた。
『大丈夫じゃないわよ。父さんは怒っているし、母さんは泣いてるし』
えっ、母さんが泣いてるの?
『お姉ちゃん何したの?同棲がバレたとか?』
ああ、そう思ったのかあ。
「そうじゃないのよ」
『じゃあ何?』
「実は・・・妊娠したの」
『へえー』
言いながらも、梨華はあまり驚いた様子がない。
「悪いけれど、母さんをお願いね。それと・・・同棲の事は黙っておいて」
『はいはい、わかったから。とにかく早く帰ってきて』
梨華はあっさり請け負った。
なんだかんだ言って、いざというときに一番肝が座るのは梨華かも知れない。
周りに左右されずに、真っ直ぐ自分だけを信じる人だから。
本当に、羨ましい。
樹里亜がいなくなった日、俺は深夜まで大樹先生と過ごした。
何を話すわけでもなく、ただ顔をつきあわせた。
その間も、俺たちは交互に樹里亜に電話する。
とにかく出てくれと思いながら、繋がらない電話をかけ続けた。
気がつけば、0時を回った。
「帰らなくていいんですか?」
別に他意はなく、日付が変わりますよと言ったつもりだった。
「帰って欲しいのか?」
「別に・・・」
この人は、このまま居座るつもりだろうか?
まだ俺が何か隠しているとでも思っているのか?
その時、
プププ プププ
大樹先生の携帯が鳴った。
「もしもし」
不機嫌そうに出る様子に、もしかしてと身をに乗り出した。
「下の妹だよ」
電話から顔を離し説明する。
「うん。・・・うん。で、母さんは?ああ。・・・えっ」
電話をしていた大樹先生の顔が凍りついた。
「分かった。もう少ししたら帰るから」
そう言って電話を切る。
そして、黙って俺に近づくと、
「バカヤロウッ」
俺の襟元をつかみ、締め付けた。
状況が理解できない俺は、ただされるがまま。
「お前、樹里亜の病気のことは知っているよな」
「ええ」
ずっと付き合ってきた病気だ。一緒にいて知らないはずがない。
「今体調がよくないのも分かっているよな」
「はい」
当たり前じゃないか、だからこんなに心配しているんだ。
「だったら、だったら何でっ」
唸るように言い、放り投げるようにしてソファに飛ばされた。
ドンッ。
ソファーに背中を打ち付け、さすがに俺も睨み付ける。
「一体どうしたんですか?説明してください」
あくまで淡々と、俺は尋ねた。
「妊娠・・・したらしい」
はああ?
そんなバカな。
ちゃんと注意はしていた。
そんな事がないように、気をつけて・・・
「しまったって顔だな」
挑戦的な言葉をかけられた。
でも、否定できない。
子供ができた事を素直に喜べる状況ではない。
「どうするんだ?」
挑んでくるような口調。
その時、俺はすべてを投げ出す覚悟をした。
もう、ここににはいられない。
救命医としてのキャリアも、仕事も、すべて失ってしまうんだろうと確信した。
それもみな、俺が招いたことだ。
「俺はこれで帰るから」
大樹先生が立ち上がる。
俺もつられて席を立った。
「いいか、よく聞け」
真面目な顔をした大樹先生。
「お前の事だから、すべてをうちの親に告白して病院を辞める気だろう」
図星を指され返事ができない。
「残念だがそうはさせない。樹里亜も同棲のことはまだ話してないみたいだし、お前も黙っていろ。そして、樹里亜が自分で話すまで、知らん顔をしていろ。病院にも普通に勤務しろ」
「そんな・・・」
そんなことはできない。
樹里亜にだけ辛い思いをさせるなんて、
「お前みたいに真面目な奴には、その方が堪えるだろう?」
凄く意地悪な顔だ。
「少しでも責任を感じるなら、荷物をまとめここを出ろ。そして、黙って普通にしていろ」
そんなこと・・・
いいな分かったなと念を押し、大樹先生は帰っていた。
その夜、俺は一睡もできないまま朝を迎えた。
当然食事が喉を通るわけもなく、水だけを飲んで病院に向かった。
いつもよりかなり早く病院に着き、まずは樹里亜のカルテを確認しようと、
あれ?
開かない。
「開かないよ。大樹先生がロックをかけたから」
いきなり後ろから声をかけられて、俺は振り向いた。
「樹里先生がいなくなるなんて、先生も何も知らなかったの?」
救命部長の不思議そうな顔。
「何も聞いていません」
「そうか」
もしかして、部長は気付いているんだろうか?
「樹里先生はしばらく休むって、大樹先生から連絡があったから」
「そう、ですか・・・」
「人数が減った分忙しくなるけれど、頑張ってくださいね」
ポンッと肩を叩かれ、
「はい」
返事をすることしかできなかった。
翌日、美樹おばさんに連れてやって来られた乳児院。
生まれたばかりの赤ちゃんから、5歳くらいまでの子供達が保護されている。
みんなそれなりに事情を抱えた子供達だけど、とってもかわいい。
「こんにちは」
職員さん達も優しい笑顔で迎えてくれた。
「樹里亜さんはドクターなんですよね?」
院長代理の豊(ゆたか)さんが尋ねた。
「はい。駆け出しの救命医です」
通常、乳児院と言えば公の機関。
でもここは、豊さんのお爺様が私費を投じて創設して施設だとか。
現在は豊さんのお母様が院長。
しかし高齢で体が動かなくなり、今は豊さんが院長代理をしている。
「樹里亜、シェルターも見せてもらう?」
「は、はい」
美樹おばさんに促され、乳児院に併設されている隣の建物へ向かった。
「ここは逃げてきた女性が避難する場所です。一般的にはシェルターって呼ばれます」
シェルター。
そう言われると、周りの女性をキョロキョロ見るのが悪い気がする。
「樹里亜さんも、しばらくここにいるといいわ」
案内してくれるみのりさんが荷物を運んでくれた。
みのりさんは美樹おばさんの高校時代からの友人で、先ほど挨拶した豊さんの妹さん。
すでに沖縄に嫁いでいるが、院長であるお母様の介護のために実家に帰省中。
「ご迷惑かけてすみません。よろしくおねがいします」
簡単に片付けをすませて、私はみのりさんに挨拶をした。
「こちらこそ、ドクターがいてくださると助かるわ」
「いえ、保健所の申請とかしてないんで、大したことはできません」
医師免許があるからと言って、どこでも何でもできるわけではない。
勤務地が変われば、保険医の登録も麻薬処方許可の申請も、各都道府県にしなくてはいけない。
そんなことが逃げている私にできるわけもなく、結局今の私には何もできない。
「いいのよ。ドクターがいてくれると思うだけで安心なの」
とっても優しい笑顔を向けてもらった。
シェルターで、私に与えられた部屋は2人部屋。
精神的に不安定な人も多いからわざと1人にはしないらしい。
「竹浦樹里亜です。よろしくお願いします」
同じ部屋にいた女の子に声をかける。
「愛弓(あゆみ)です。よろしくお願いします」
10代に見える少女は、挨拶を返してくれた。
見ると、おなかが少し膨らんでいる。
でも、黙っておこう。
きっと、事情があると思うから。
色んな子がいるのね。
一通り施設内を見て回った私は、庭の片隅にあるベンチに座りポケットから携帯を取り出した。
とにかく、部長に電話しなくちゃ。
このままじゃ、無断欠勤になってしまう。
プププ プププ。
あー、緊張する。
きっと怒っているんだろうな。
コールする間も、胸のドキドキが止まらない。
「もしもし」
不機嫌そうな声。
「竹浦です。突然ですみませんが、しばらく休職をお願いします」
前置きも何もなく、伝えた。
不思議なことに、部長も驚いた様子はない。
『院長は知ってるのか?』
「多分、母が話したと思います」
『はぁー』
部長の溜息が聞こえた気がした。
『知らないぞ。殺されるぞ』
本当に、医者らしくないことを言う人だ。
でも、そこが嫌いになれない。
私はすでにカルテも整理して、書類も作成済みであると伝えた。
「休職届はデスクに入れてありますから」
『そんなものまで用意していたのか・・・』
などと、ブツブツ言う部長。
『どうなっても、俺は知らないからな』
捨て台詞のように言われた。
大丈夫、覚悟はしている。
そして、電話を切ろうとしたとき、
「いいか、みんな待ってるから。いつでも戻ってこい」
ぶっきらぼうに言われた言葉に、涙が溢れた。
その日から、私のシェルター生活が始まった。
妊娠の経過は産婦人科医である美樹おばさんに診てもらい、自分の病気については乳児院に提携している近くの医院に薬の処方と検査をお願いした。
「樹里亜さん。朝の薬は飲んだ?」
今日もみのりさんが声をかけてくれる。
「はい。飲みました」
自分の母さんに言われたら、「も-、飲んだわよ」って言うところだろうけれど、ここでは素直に返事ができる。
「愛弓ちゃんも、今日は受診だから早く用意してね」
「はーい」
幾分朝食をもてあましながら、愛弓ちゃんも返事をした。
愛弓ちゃんは14歳の女の子。
小さい頃からお母さんは留守がちで、いつもひとりで育ったらしい。
その性か朝からきちんと食事を取る習慣がなく、彼女にとっては朝から食べるお味噌汁とご飯が苦痛なんだそう。
「残していいですか?」
かなり頑張っていた愛弓ちゃんが、みのりさんに助けを求めた。
「仕方ないわね」
ほぼ半分ほど食べた朝食を見ながら、みのりさんがOKを出した。
本当に、親子みたい。
「ごちそうさまでした」
2人で声を合わせた。
「愛弓ちゃん、どうぞ」
妊婦健診のために訪れた美樹おばさんのクリニック。
もうすぐ臨月の愛弓ちゃんも診察を受ける。
「樹里亜さんは、初めての妊娠よね?」
愛弓ちゃんの受診を待っている間、付き添いのみのりさんが訊く。
「ええ、初めてです」
答えたっきり、会話が止まった。
結構デリケートな話だけに、私もどこまで話していいのか分からないし、みのりさんも遠慮している感じ。
バタンッ。
診察室のドアを開けて、美樹おばさんが顔を出す。
「みのり、愛弓ちゃんの貧血が進んでるみたいだけど、食事には気をつけてよ。それに、腹帯。安定のためにもつけた方がいいから」
「はい」
みのりさんはなにやらメモを取りながら、頷いた。
「次、樹里亜入って」
私も愛弓ちゃん同様、美樹おばさんの診察を受ける。