その後、デパートを覗いたり公園を歩いたりとブラブラして過ごした。
山口さんとの時間は、気負いがなく、自然体でいられた。

「樹里亜さんは結婚を考えるような男性は居ないんですか?」
公園のベンチに座りながら、お見合いの席には似合わないことを聞いてきた。
「ええ?」
「彼氏とか、いないんですか?」
さらに聞いてくる。

「あの、今日ってお見合いなんですよね?」
つい、聞き返してしまった。
「まあ。そうですね。でも、お見合い結婚なんてする気がありますか?」
「いえ。それは・・・」
私は言葉に詰まった。

一体山口さんは何を考えているんだろう。
どんなつもりで、今日ここに来たんだろう。
さっぱり分からない。

「僕は知り合いに勧められてここに来ました。いい加減な気持ちではありませんが、まだ具体的に結婚を考えてはいません」
「そうですか」
「樹里亜さんは?」
「私も、叔母に勧められてきました。今、結婚を考えられるような男性は居ませんが、好きな人はいます。ですから、お見合いは最初からお断りするつもりで来ました。ごめんなさい」
私は立ち上がり、山口さんに向けて深々と頭を下げた。

「いいんですよ。なんとなくわかっていましたから」
「本当にごめんなさい」
ひたすら頭を下げることしかできない。
「樹里亜さん。おなかがすきませんか?」
そういえば、もうすぐ夕食時。
「どこか行きたい店はありますか?」
「いいえ」
「僕に任せてもらっていいですか?」
「はい」


連れて来られたのは、裏通りにあるお寿司屋さん。
決して大きな店ではないけれど、歴史のありそうな店構え。

「こんばんわ」
山口さんはためらうことなく、のれんをくぐって行った。

「いらっしゃいませ」
カウンターの中から、若い店主が声をかける。
「あら、先生。いらっしゃいませ」
店主より年配の女性。

先生と聞いて、自分のことかと思ってしまった。
そうか、山口さんも先生だった。
カウンターに座ると、「ここは、教え子の店なんだ」と教えてくれた。

なんだか嘘をついてお見合いしたようでとても心が痛んだけど、お寿司は美味しかった。
店主やおかみさんお心使いも行き届いていて気持ちよかった。
山口さん自身にも、とても好感が持てた。

「樹里亜さん。よかったら、又会っていただけますか?」
食事もほぼ終わりかけた頃、山口さんが口にした。
私は、持っていた箸を置き姿勢を正した。
もう、黙っている訳にはいかない。

「実は、私は1人暮らしではないんです。一緒に暮らしている男性がいます」
やはり、山口さんは絶句した。
そりゃあそうだ、私の行動は非常識すぎる。

「樹里亜さん」
「はい」
「よかったら、又食事に行きませんか?」
はああ?
「山口さん、私の話を聞いてました?私には」
「結婚は考えてないんですよね。それに、同棲の事は秘密なんですよね。じゃあ、黙っている代わりに、時々食事に付き合って下さい」
私は口を開けたまま、山口さんを見つめた。

「無理強いはしませんが、迷惑でなかったら友達として、時々食事に付き合ってください。樹里亜さんもそのほうが都合がいいんじゃないですか?」

確かに、それはそうなんだけど。
断ればおばさんが、益々うるさくなるだろうし。

「でも・・・」
あまりにも不誠実なんじゃないかと思う。
「いいじゃないですか。新しい友達ができたと思ってください」
結局、押し切られてしまった。
夜9時を回って私は帰宅した。

「おかえり」
キッチンから渚が顔を出す。
「ただいま」
私はリビングを通り過ぎて、寝室に向かった。

外出着から部屋着に着替えて、お化粧も落とす。
あー、生きかえる。
やっぱり、家が一番落ち着く。

「樹里亜、ビール飲む?」
リビングから渚の声。
「うん。いただく」

極端にアルコールに弱い私だけど、お酒は嫌いじゃない。
もちろん、数々の失敗談を持つ身としては外では飲まないことにしている。
でも、家にいるときは渚と一緒に飲むことが多い。
少しお酒の回ったあの感じだたまらない。

「お見合いだったんだろ?」
つまみに用意された枝豆に手を伸ばしながら、渚が聞く。
「うん。高校の先生で、いい人だったよ」
こんな話をしているなんて、なんか変な気分。
「そう」
気のない返事。

「いい人すぎて、一緒に住んでいる人がいるって言ってしまった」
ついバラしてしまった。
「相手は?」
「渚のことは言ってないよ。ただ、同棲しているんですって話しただけ」
「そうじゃないよ。同棲してる男がいるのにお見合いに来た樹里亜に対して、相手はどんな反応だったの?」
珍しく、身を乗り出してきた。

「友達として、また食事に行きましょうって言われた。その代わり黙っていますからって」
「なんか、下心があるんじゃないの?」
「そうかなあ?」
そんな人には見えなかった。
「ちゃんと断ったほうがいいよ」
不機嫌そうに言い、ビールを口にする。
「・・・」
私は黙ってしまった。

もし断ったら、渚のことがバレそうな気がする。
そんなことになったら、一緒に暮らせなくなる。
それは、嫌だ。
その辺のことを、渚はどう考えているんだろうか?

缶ビールを半分ほど飲んだだけなのに、すでに動けなくなっている私。
渚に抱えられて、今日も寝室に向かうことになった。
お見合いの後、山口さんは時々食事に誘ってくれるようになった。
お互いに忙しい為なかなか時間が合わないけれど、2度ほど食事に行った。
全く違う世界で働く山口さんの話は、新鮮で面白い。
でも、なぜか心が晴れない。


「樹里先生。お財布を忘れないでくださいね」
師長が面白そうに声をかける。
「わかってます。同じ間違いは2度しません」
照れながら返事をした。

今日、私はヘリの担当。
とはいっても、緊急搬送ではなくて転院の搬送。
救急病棟の患者が心臓の難しい手術を受けることとなり、循環器専門の病院へヘリで転院する。
転院先の循環器センターは隣の県にあり、ヘリで40分ほどの距離。

「竹浦先生。今日の予定確認をお願いします」
フライトナースの桃子さんがスケジュール片手に声をかけた。
「はい。お願いします」

搬送する患者は40代女性。
今は比較的状態が落ち着いている。
病院の出発は2時。
2時40分には転院先に到着の予定。
その後、引継ぎに1時間半程度かかる。

「向こうの病院を出るのは4時半頃になると思います。駅までの時間と特急で3時間かかることを考えると、病院に戻ってくるのは8時頃ですね」
「わかりました。よろしくお願いします」

ヘリ搬送とは、あくまでも患者を運ぶのが業務。
タクシーではないのだから、引継ぎを終える私たちを待っていてくれる訳はなく、患者を降ろしたら帰ってしまう。
結果、私たちはヘリなら40分の道を陸路で4時間近くかけて戻らなくてはならない。

「少し待ってでも、連れて帰ってくれればいいのにね」
冗談で言ったのに、
「その時間に緊急搬送があったらどうするんですか?」
真顔で答えられて、
「すいません」
謝ってしまった。

陸路で病院まで帰ってくるからには、当然着替えも財布も持っていかなくてはならない。
以前、財布が入ったカバンごと忘れていき見ず知らずの人にお金を借りて帰ってきた前科が私にはある。
今日も気をつけないと。
「では、よろしくお願いします」
「ありがとうございました。気をつけて帰ってください」

患者の引継ぎを終えた私たちは、転院先のスタッフに挨拶をして病院を後にした。
今回の搬送もとても順調だった。
フライトナースの桃子さんはすごく優秀で、私が言葉にする前から準備をしてくれる。
仕事に対する厳しさと、女子特有の慣れあう感じの無さから、孤立することも多いけれど、間違いなく仕事はできる。
本当に、フライトナースの鏡だ。


タクシーで最寄り駅に向かい、私たちはホームに駆け込んだ。
さあ、特急で3時間。
長い旅が始まる。

駅のコンビニで夕食を買い込んで、私と桃子さんは列車に乗り込んだ。

「病院に着くのは9時前になりそうですね」
桃子さんが時計を気にしている。
そう言えば、引き継ぎに少し時間がかかってしまったから、予定よりも少し遅れ気味。

「もしかして、この後に予定がありますか?」
桃子さんはあまり自分の事を話さないから、聞いたらまずいのかななんて思ったりもしたけれど、つい聞いてしまった。
しかし、とても意外な返事が返ってきた。

「今日は子供の誕生日なんです」
ちょっと照れながら、話してくれた。
「ええっ。お子さんがいるんですか?」
思わず声が大きくなった。
「はい。娘が1人。今日で9歳になります」
「きゅ、9歳?」
又々、声を上げてしまった。

「先生。驚きすぎです」
にこやかに笑いながら、突っ込みを入れられた。

あれ?桃子さんってこんなに笑う人だっけ?
私のイメージではいつも1人でいて、キャアキャア言ってる女子達を冷めて見ているイメージなんだけど。

それに、
「桃子さんって、いくつですか?」

ゴホッ。
突然年を聞かれて、コーヒーを飲んでいた桃子さんがむせた。

「ごめんなさい。驚かせましたね」
「いえ、大丈夫です。私は、26歳です」

へえ、同い年かぁ。
随分大人っぽく見えるけれど。

ちょっ、ちょっと待って。
26歳で、子供が9歳って、

「随分お若いときのお子さん?」
聞いてはいけないことだったかも知れないけれど、深く考えることなく聞いてしまった。
「17歳の時に生みました。当時付き合っていた彼と結婚するつもりで生んだんですが、出産後に別れてしまいました。若気の至りです」
「・・・」
なんとも言葉が返せない。

「出産の為に高校もやめてしまったので、大検を受けて大学の看護学科に行きました。お陰でみんなより2年も長くかかりましたけれど」
「へー、凄いですね。私、同い年なのに。なんだか恥ずかしい」

私は17歳の頃何をしていたんだろう?
毎日塾に通って、とりあえずどこでもいいから医学部にって思っていた。
出産とか、育児とか考えられない。

「私は樹里先生や高橋先生の方が凄いと思いますし、羨ましいとも思いますよ」
「ええ?そうですか?」
羨ましいは分かるけれど、凄いはないでしょう。
それに、何で渚?
「高橋先生が同い年って知ってるんですね」
もちろん興味を持って調べれば分かることだけれど、あまり人当たりのよくない渚だけに、ハッキリした年齢を知らない人が多い。

「私、高橋先生のファンなんです」
ええええ!
これには驚いた。

「珍しいですね。アイスマンですよ」
「誰にでも調子いい人よりいいじゃないですか」
まあ、それはそうだけど、

「樹里先生。高橋先生と親しいんですよね」
「親しいというか・・・同期だし。同い年だし。研修医時代には何度も助けてもらったから」
うん。これは嘘ではない。
ただ、同棲していると言ってないだけ。
「私も同じです」
夕飯用に買ったサンドイッチつまみながら、桃子さんが話し出した。

「これでも、高校は進学校で真面目に医学部を狙っていたんですよ。でも2つ上の先輩を好きになってしまって、付き合ってすぐに妊娠して。相手は大学生で、結婚なんて出来るわけないのに」
淡々と、人ごとのように冷静に話す桃子さん。

「産まない選択はなかったんですか?」
非常識と知りながら、言ってしまった。
なんだか、自分の母親と桃子さんが重なって、聞かずにはいられなかった。

「どんなに小さくても命ですから」
「そうですね・・・」
医者の私がそんな質問をしてしまったことが恥ずかしい。

「でも、私も何度か産んだことを後悔しましたよ。どれだけ勉強しても、10代の母で高校中退ってなれば、不良でしょって見られますから」

そうかもしれない。
きっと、大変な苦労をしてきたんだろう。

「看護師になって初めて勤務したのがこの病院でした。でも、やはり新人看護師の中でも浮いていて、先輩にも虐められて、逃げ出しかけていたときに、高橋先生が先輩に注意してくれたんです」
へー、渚が。
でも、分かる気がする。
「だから、ファンなんですね」
「ええ」

フッ。
桃子さんが笑った。
ん?
「いえ、初めて話しました」
「私も、桃子さんがこんなに話すのを初めて見ました」
ははは。
2人で笑い合った。

「今度、一緒に食事に行きましょうよ。同い年同志って事で、お嬢さんも一緒に。ね?」
「はい。ぜひ」

帰りの列車に乗っている3時間の間に、私達はすっかり仲良くなった。
渚のことを話せないのが辛いけれど、良い友達が1人出来てしまった。
「で、お見合いはどうだったの?」
病院の社員食堂で、久しぶりに会った母さんに聞かれた。

「うん。とってもいい人だよ」
「付き合ってるの?」
「時々食事に行ってる」
「そう」

なんだか不思議そうな顔で、母さんが見ている。
まあね、この曖昧な感じは理解できないだろうと思う。
でも、これも山口さんと相談してわざとやっていること。
断われば外野がうるさいし、付き合っても結婚を急かされるだろうし。

「おばさんは話を進める気でいるみたいだけど、大丈夫なの?」
「もう少し会ってみてから返事をします」
「その気があるのね?」
ウッ、さすが母さん。
私がお見合い結婚する気がないのが分かってるみたい。

「ごめんなさい」
ポツリと言った言葉に、母さんがランチの手を止めた。
「どうしたの?」

やはり黙っておくことはできない。

「私、今好きな人がいるの。だから今すぐの結婚は考えられない」
ずっと言いたかったことが、やっと言えた。

「山口さんには?」
「もちろん言ったわ。でも、それでもいいから友達として食事に行こうって」
母さんが驚いている。

「山口さんが何を考えてそう言ったのかは分からないけれど、よくないと思うわ」
「母さん・・・」
私だって、褒められたことをしていると思ってはいない。

「それで、あなたの好きな人には会わせてはもらえないの?」
なんだか探るような視線。

「ごめんなさい」
私だって、出来ることなら会ってもらいたい。
「私の彼よ」って、渚を紹介できたらどんなに良いだろう。
でも、ダメなんだよね。

「会わせられないなら黙っていなさい。大樹やお父さんに知れたら大騒ぎになるから」
確かに。
目に見えるようだわ。

「ごめんなさい」
「謝ってばっかりね」
ブブブ ブブブ
PHSが鳴った。

「はい、救命科竹浦です」
呼び出しは救急外来から。
近くの国道で多重事故があり、複数の怪我人が運ばれてくるらしい。

「分かりました。すぐ行きます」
PHSを切って、ランチを片付ける。

「母さん。ごめん」
「もう、食事もゆっくり摂れないのね」
呆れている。

「仕事だから」
「いいわ。行きなさい」
食べかけのランチをトレーにのせて、私は立ち上がった。

その時、
ガチャン。
母さんが手に持っていたスプーンを落とした。

「どうしたの?」
「う、うん・・・」
額に手を当てる母さん。

「大丈夫?」
「うん。ちょっと目眩がしただけ」
ちょっと目眩って、
「今日検診だったんでしょう?」
「いいから、あなたは仕事に行きなさい」
こんな時なのに、私の仕事の心配をしている。

ブブブ ブブブ
また救急から。

「いいから行きなさい」
「でも・・・」

「樹里先生。行ってください」
近くにいたドクターが声をかけてくれた。
「母さんが・・・」

「いいから行きなさい」
母さんは私を押し出そうとする。

仕方ない、
「父と大樹を、兄を呼んでください」
駆け寄ってくれたドクターに依頼した。

「分かりました。ここは大丈夫ですから、先生は行ってください」
私は目一杯後ろ髪を引かれながら、それでも救急外来へ走った。