朝っぱらから、美穂と2人で降り立った隣町の駅。
10分ほど歩いて住宅街へ入った。
新興住宅地って感じ。
時々散歩中の人とすれ違う。
「この辺だと思うけれど・・・」
美穂が携帯を見ながら表札を確認する。
確か、実家暮らしって言っていたから一軒家のはずだし・・・
「あっ、ここじゃない?」
美穂が表札を指さした。
角を曲がったところにある一軒家。
広めの庭は芝が植えられていて、綺麗にガーデニングがされている。
「わりと大きな家ね」
率直な感想が口をついた。
その時、
「梨華っ」
美穂の焦った声。
振り向くと、
あっ、
向こうから来るのは・・・犬の散歩中の・・・
「逃げるよっ」
そう言うと、美穂は駆け出した。
私はなぜか足が動かなくて、
一瞬遅れた為に逃げ出すことができず、
仕方なく電信柱の後ろに隠れた。
近づく人影。
一緒に歩くわんちゃんもかわいい。
お願い気づかないで。
心の中で祈った。
いつもはスーツ姿の先生も、今はジーンズにTシャツ。
そんな格好をすると、やはり若い。
わんちゃんはダックスかな?
ちょっと足が短くてちょこちょこと歩いている。
電信柱を通り過ぎる時、わんちゃんが私を見る。
でも、先生は足を止めることなく通り過ぎた。
良かった。気づかなかったみたい。
ホッと、胸をなで下ろしたとき、
くるっ。
先生が足を止め、振り返った。
「何してるの?」
え、ええっ、
何と言われても。
「ここで、何をしてるの?」
わんちゃんと一緒に近づいて来た先生が、私の顔を覗き込む。
それは・・・
「さ、ん、ぽ?」
「バカっ」
コツン。
と、おでこをはじかれた。
ドキッ。
「こいつをしまってくるから、ちょっと待ってなさい」
こいつってわんちゃんのこと。
私は返事もできないまま、その場に立ち尽くした。
わんちゃんを家に連れ帰り、先生は戻って来た。
「で、何か用事だったの?」
そう真っ直ぐ聞かれると、答えられない。
短い沈黙の時間。
「朝ご飯は?」
黙っている私に意外なことを訊く先生。
「食べた?」
私は首を振った。
「じゃあ、行こう」
そう言って歩き出す先生。
私も数歩遅れて後を追った。
5分ほど歩いて、小さなベーカーリーへ入った。
店内は焼きたてパンのいい香りがして、私の緊張も緩んでしまう。
「好きなパン選んで。飲み物を注文すれば一緒に席まで運んでくれるから」
「はい」
私は、フレンチトーストとオレンジジュース。
先生はサンドイッチとアイスコーヒーを注文した。
店の奥に備え付けられた小さなテーブル。
「何でこんな時間にいたの?」
美味しそうなパンを目の前に、再度訊かれた。
何でって言われても・・・
「昨日、家に帰ってないの?」
ああ、そこ。
「まあ」
「外泊なんて、感心しないなあ」
分かっている。
いいことをしているとは思っていない。
なんだか段々悲しい気分になってきた。
きっと、先生は私を軽蔑している。
外泊するような不良だと思われている。
「食べ方が、綺麗だね」
「はあ?」
思わず声に出た。
確かに、父さんも母さんもマナーにはうるさかったから。
「人が不快になるようなことはダメよ」って育てられた。
「愛情を持ってきちんと育てられた証拠だよ」
ポツンと言われた言葉。
「そんなことありません。私はいらない子だから」
つい言い返してしまった。
不思議そうな顔をする先生。
「色んな事情や、思いもあるだろうけれど、自分を大事にしなさい。そうしないと、きっと後悔するときがくるから」
事情を聞こうとはせずに、説教された。
私も先生もパンを平らげ、先生の支払いで店を出る。
「気をつけて帰りなさい」
「はい」
「ちゃんと、家に帰るんだぞ」
念を押され、
私は先生の顔を見た。
山口先生は他の先生達とは違う気がする。
本気で関わってくれそうな気が・・・
私は試してみたくなった。
「先生」
数メートル離れた先生に、声をかける。
「何?」
ふー。
軽く息を吐いて、
「どこか連れて行ってください。どこでもいいから遊びに、連れて行って」
ちょっと甘えた風に言ってみた。
「何言っているんだ」
やはりそう言うわね。
でも、
「ダメならいいです。他を当たります」
「他ってお前」
先生の表情が渋くなる。
「ほら、街には若い女の子が好きなおじさんが多いから。援交でもすればすぐにお金になるし」
言いながら、私はなんてバカなんだろうと思っていた。
でも、私には後悔する時間はなかった。
ツカツカと近づく先生。
私の目の前まで来て、
ジーッと私の顔を見て、
パンッ。
平手で私の頬を叩いた。
そして、
「サイテーだな」
冷たく言うと、先生は背中を向けて歩き出す。
残された私は、ボロボロと泣いてしまった。
恥ずかしくて、情けなくて。
私にも分かっている。
「じゃあ、遊びに行こうか」なんて言われたらもっと最悪だった。
「バカッ」って怒られて、「冗談ですよ」って笑って、そうなることを望んでいた。
ああああ、私はなんてバカなんだ。
この後行くところのなくなった私は家に帰った。
母さんに随分叱られたけれど、それ以上に悲しくて、久しぶりにベットで泣いた。
やっぱり、帰ろう。
2時間目の英語の授業まで教室で過ごした私は、カバンを持って教室を出た。
私が早退なんて珍しいことじゃない。
逆に、学校に来ていることの方が珍しいくらい。
それでも先生に会えば小言を言われるから、そっと階段を降りて昇降口に向かった。
このまま靴を替えて、走って学校を出
「どこ行くの?」
ああ。
後ろから声がかかった。
それも、山口先生。
一番会いたくなかったのに。
「来なさい」
やはり、呼ばれてしまった。
連れて行かれたのは生徒指導室。
いつものように先生の前に立たされる。
「何で授業に出ないの」
心配そうに訊かれ、
「どうせ、単位も出席日数も足りないんです」
正直に答えた。
自業自得と言えばそれまでだけど、高校に入った時からの欠席が響いてもう卒業は絶望的なところまで来ている。
実際、拓也も信吾も最近は全く学校に来ていない。
「それでいいの?」
はあ?
良いも何も、今更どうもできない。
やり直せるなら、私だって人生をやり直したいと思っている。
「仕方がないじゃないですか」
「お前はそれでいいと思っているの?」
だから、
「もう、いいんです」
寂しそうに私を見る先生。
「じゃあ、帰れ」
「えっ?」
「自分で納得しているんならどうしようもない。帰りたければ帰りなさい」
先生・・・
「何だ、また竹浦か」
ちょうど、学年主任が入ってきた。
ゲッ。
私はこの人の嫌みが一番嫌い。
「なあ竹浦、お前もそろそろ大人になれよ」
椅子にどかっと座り、大股広げて偉そうに言われ、私もつい睨んでしまった。
「またそんな顔をする。そもそも親御さんに申し訳ないと思わないのか?お前が問題を起こす度に呼び出されるお母さんの身にもなってみろ。いつまでそうしている気なんだ」
「・・・」
私は黙って睨み続けた。
「それに、お姉さんもお兄さんも、立派に医学生をしているのに、何でお前だけそんなにできが悪いんだ?」
ああー、またそれだ。
「バカだから仕方ないじゃないですか」
悔し紛れに言った。
「それは分かっているけどなあ、もう少しかわいくなれよ」
フン。
もー限界。
「あの、教室に戻っても良いですか?」
山口先生に声をかけ、私は学年主任を無視して教室の授業に戻った。
1日を学校で過ごした私は、愛さんの店に向かった。
学年主任の嫌みが頭を離れなくて、早退してしまうことも悔しかったし、かといって真っ直ぐ家に帰る気にもなれない。
「何で大人は外見でしか人を見ないんだろう」
カウンターに座ってぼやきが出る。
私だって、自分の行動が褒められたモノじゃないのは分かっている。
でも、私にだって言い分はある。
大人は誰も聞いてくれないけれど。
「機嫌が悪いわね」
1人ブツブツと言い続ける私に愛さんが飲みのもを差し出す。
「ありがとう。嫌な大人が多すぎるのよ」
学校の教師ときたら、みんな嫌みたらしくてすぐに家族の話をする。
確かに、お兄ちゃんもお姉ちゃんもちゃんと医学部に通っている医学生。
お兄ちゃんは将来うちの病院を継ぐのだろうし、お姉ちゃんだって医者として苦労なく暮らすんだろう。
2人とも私とは違う。
どんなにがんばったて、私は医者にはなれない。
と言うか、なりたくない。
お姉ちゃんと同じ道は歩きたくない。
だって、私はお姉ちゃんが大嫌い。