社長の真一さんは店を良くしようと店の機構改革にとりかかった。前の会社では企画部それも一目置かれたエリートだったから、そんなに難しいことではないと思う。

「基本は働きやすくて働き甲斐のある職場にすることだ。そのためには、意思疎通をよくすること、待遇を改善すること、無駄を省くことなども必要だ」と言っていた。

そして、店にはパートの社員も多いので、私に派遣社員の経験からアドバイスをしてくれるように頼まれた。私はパートさんでも能力のある人には重要な仕事を任せて時給をあげてあげることなどを提言した。また、経理の不正が起きないような仕組みも提案した。

真一さんは店の機構改革案にそれを取り入れてくれた。そして出来上がった機構改革案を一番先に私に見せてくれた。

以下はその方策で、真一さんらしさが見えて、よくできていると思った。

(1)今の本店にある事務部門を、本店の販売部門を残して、郊外の工場に移転して、工場の事務部門と統合する。これで本店と工場の意思疎通が改善されるうえ、人件費などの経費削減も図れる。

(2)工場に統合した事務部門は大きな1室にフラットに配置し、社員の意思疎通を図る。社長室は設けないで、事務所の中央に社長席を配置して、いつも社員が社長と話ができるようにする。これで社員との意思疎通と不正防止も図れる。

(3)製品の見直しをすると共に新製品を開発する。新製品開発に当たっては工場に任せきりにしないで、開発チームを作り、各部門の意見を取り入れて行う。チームリーダーは副工場長とした。

(4)待遇の改善を図る。経営にゆとりができたら待遇を改善することはもちろんであるが、年功序列も考慮しつつ、能力のある社員、パートには重要なポストを任せる。給料を抑えすぎると不正が起きやすい。

この機構改革案を見ているといつか前の会社でコピー室に忘れたマル秘書類を真一さんに届けたことを思い出した。それを話すと「あのとき書類を忘れなかったら、同居の話もなかったし、今もなかった」としみじみ言っていた。

それから、お父さまに東京のマンションを手放して負債の返済に充てるように進言したとも言っていた。

そうしたらお父さまは「俺は東京へ出て仕事をするのが夢だった。家業のためにそれをあきらめた。そういうあこがれがあったから、東京のマンションを購入することにした。これは母さんと相談して決めたことだ。母さんは俺のことを分かってくれていて購入を認めてくれた。購入は二人の貯金で賄った。だが、経営が苦しくなって、社長の給料を減らすことになったので、賄えなくなった。だからおまえに維持費の負担を頼んだ。いずれ、おまえが東京で所帯を持ったら譲ろうと思っていた。もう母さんと二人で十分に元は取ったと思っている。おまえの好きにするがいい」と言ってくれたそうだ。

真一さんは私に「東京のあのマンションで結衣さんと暮らして思い出が一杯だけど、その結果、俺は故郷へ帰って店を継ぐことになり、結衣さんとも再会できた。もうここで新しい生活を始めたので不用だから処分したい」と言った。

私もあのマンションには不思議なご縁を感じていたけれども「今は店の再建が最も大切だからそうした方が良い」と賛成した。

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お店の経営改革は順調に進んでいた。古参の役員であった石原経理部長と太田工場長がいなくなったことで、自由な雰囲気が生まれ、若手やパートさんがのびのびして頑張ってくれたと言っていた。

新製品を開発したと言って、試作品を3品食べさせてもらった。そして意見を聞かれた。どれも良くできた製品だった。真一さんは社長の責任で選ぶと言って、その中のひとつを選んだ。

心配しながら見ていたけど、新製品の販売は順調に伸びていると聞いてほっとした。そして真一さんは社長としての自信がようやくついたと言って喜んでいた。

あの工場の経理から異動させた鈴木さんが頑張って売り上げが伸びていると嬉しそうに言っていた。あの時、辞めさせないで良かったとも言っていた。

そしてお父さまが経理の石原さんや工場長の太田さんに温情をかけた意味が身をもって分かったと言っていた。それを聞いて真一さんは立派な社長になると確信できた。