篠原さんのお母さまは時々私に電話をかけてきてくれて、息子さんの様子を知らせてくれていた。

あれから1年位の間は「石野絵里香さんとの結婚を許してくれないと会わない」と言っていたそうだ。私を探していてくれたのだと思う。

ここ1年位はそれを言わなくなったとも知らせてくれた。きっと私を探しても見つからないからあきらめたのだろうと思った。

私は1年位前から社長の伯父にお見合いを勧められていた。お見合い写真も撮らされた。私には考えがあった。意地とも言っていいのかもしれない。地味な結衣の姿でお見合い写真を撮った。ここへ帰ってからずっと地味な結衣を通していたから、不自然とは思われなかった。

私はこの地味な結衣とお見合いをして気に入ってくれる人なら結婚しても良いと思っていた。でもお見合いを勧められてから、写真と履歴書だけで断られることが多かった。たまたまお見合いをしてもすぐに断られた。交際してほしいと言われたことは一度もなかった。

そんな時、篠原さんのお母さまから、息子が会社を辞めて帰ってくることになったと連絡が入った。理由を聞くと「夫が脳梗塞で倒れて、店を継いでくれることになったから」と言っていた。それと「石野絵里香さんが見つからなかったので、あきらめて帰る気になったのだろう」とも言っていた。

そうこうしているうちに、お見合いの話が来た。相手はあの篠原真一さんだった。世話人の吉本さんが話を持ってきてくれた。社長の伯父も良い話だからと私に勧めてくれた。私はお見合いすることを承諾した。

とうとうその時が来た。あれから2年が過ぎていた。これはきっと篠原さんのお母さまの計らいだと思った。同業組合が使っているという料亭がお見合いの会場だった。母の体調が今一つなので私一人で行くことになった。

私はいつものメガネをかけたあの地味な黒いスーツ姿にした。自宅まで吉本さんが迎えに来てくれた。私の姿を見ると何とかならないものかというような顔をしていた。時間どおりに会場に着くともう先方は着いて待っているとのことだった。

部屋に入ると、篠原さんが座っていた。あの時よりも落ちついた感じがした。懐かしそうに嬉しそうに私を見つめてくれた。今も私のことを思ってくれていると分かって嬉しかった。

「こちらが白石結衣さんです。お母さまの体調がよろしくないとのことで今日はお一人でお見えです」

「篠原真一です。はじめまして、よろしくお願いします」

「白石結衣です。こちらこそよろしくお願いします」

「お母さまが体調不良と言うことですが、大丈夫ですか?」

「2年ほど前から体調を崩しまして、私は母を助けるために東京から帰って参りました。もう一人でも生活できるまでには回復しました」

篠原さんはなるほどそうだったのかというような安心した表情を見せた。

「今、伯父さんの店のお手伝いをしていると聞きましたが?」

「父が亡くなってから母は伯父の店の手伝いをしていましたが、体調を崩しまして、それからは私が手伝っています」

「手伝いといいますと?」

「経理の手伝いです。大学でも経営、経理などを学びましたので」

「そうでしたか」

篠原さんが嬉しそうな顔をする。もっと話をしたいとの思いが伝わってくる。私も久しぶりにお話がしたい。

「吉本さん、二人だけでお話をさせてもらえませんか? 母さん、それでいいかい、聞いておくことはない?」

「あなたのお見合いだから、あなたがそうしたいのなら、それでいいわ。ゆっくり気のすむまでお話したらいいわ、白石さんもそれでよろしければ」

「私は構いません」

すぐに二人にしてくれた。

「君が急にいなくなった訳が今初めて分かった。どうして言ってくれなかったんだ」

「あなたに言ったところでどうにかなる話ではなかったからです」

「俺は君がいなくなってから随分探した。でも見つからなかった」

「すみません、過去と決別したかったのでそうしました。私は都会へ出てみたくて、母に無理を言って東京の大学へ行かせてもらいました。でも都会の絵の具に染まってしまって、東京で就職までしてしまいました。母の苦労を考えないで自分の我が儘を通しました。でもセクハラで恋人に振られて会社も辞めなければならなくなりました。せっかく篠原さんに好かれたと思ったら、ご両親に結婚を反対されました。罰が当たったのだと思いました。だから母が身体を壊したのが分かると、すぐに母の力になろうと思って、過去と決別して故郷へ帰る決心をしたのです」

「俺も過去の人となったのか?」

「それじゃあ、どうすれば良かったのですか?」

「そうだね、あのままでは親にも反対されてどうしようもなかったからね。君がいなくなって、踏ん切りがついたのだと思う。俺も君と同じように過去と決別して故郷へ帰ってきた。倒れた父親の力になろうと思って」

「こんな形で再会するとは思いもしませんでした」

「どうしてお見合いを受けてくれたの?」

「はじめは篠原真一と聞いて、同性同名かと思いました。写真を見て驚いたんです。まさか同郷だったとは、気が付きませんでした。しかも老舗のお菓子屋さん『澤野』の息子さんだなんて、これはきっと何かのご縁だと思いました」

「会社ではこのことは一切秘密にしていたからね。最近は個人情報が守られるから自分で言及しないと誰にも分からない」

「確かに老舗のお菓子屋さんの店名は知っていても、社長の苗字は知りませんからね」

「ひとつ、聞きたいことがある。どうして、あんなに可愛いのに、お見合い写真は地味な姿で撮っているの? しかもメガネをかけたりして」

「見かけで好きになられたくないんです。だからこれまでも会う前にほとんど断られました。会っても断られました。それでもいいんです」

「俺が言えたことではない。俺も同じだったから。あの半年、俺は君の何を見ていたんだろうと思った。何も見えていなかった。あんなに優しく親切にしてくれていたのに、気づこうとも好きになろうともしなかった。俺はそんな男だ。捨てられて当然だと思った」

「でもあなたは私と半年の間、誠実に暮らしてくれました」

「契約に従っただけだから。俺はそういう男だ」

「お見合いのお返事、あなたはどうされますか?」

「どうするって、今更言うまでもない。是非お付き合いしてほしい。頼む。どうか付き合ってくれ。もう親の反対もない」

「私もお付き合いしたいとお願いするつもりです。ただし、今の地味なままで良ければですが」

「俺はそのままでいいけど、どうしてこだわるの?」

「あの絵里香を好きになられるのが、見かけだけを好きになられるのが怖いんです」

「俺はもう見かけだけで好きになることはない。いやというほど思い知った。でもね、今、思い返すと、君がマル秘の原紙を届けてくれた時、きっと俺は君に何かを感じたんだ。それは自分でも分かる。だから同居を提案した。そのときはその何かが分からなかっただけだと思うようになった。その時の気持ちを信じたい」

「私も同じかもしれません。すぐに同居を承知しましたから」

「これも何かのご縁だろう。定めと言ってもいいかもしれない。素直に従った方がよさそうだ」

「私もそうしたいと思います」

それからしばらく二人はこの離れていた2年間のことを話した。篠原さんはずっと私のことを思っていてくれた。あれから合コンにも行く気がしなくなったと言っていた。私の使っていたサブルームは私がいつ帰って来ても良いように空けたままにして、それからは同居人を住まわせなかったそうだ。

私もあの億ションでカラオケを練習したことやHビデオを見たことなどを時々懐かしく思い出していたことを話した。それを篠原さんは嬉しそうに聞いてくれた。

頃合いを見て、二人は吉本さんと篠原さんのお母さまに声をかけた。そして私は吉本さんと一緒に先に帰った。

帰りの車の中で篠原さんに交際の希望を伝えてくれるようにお願いした。吉本さんは「伝えるけど断られても落胆しないように、また良い縁談を探してあげるから」と慰めるように言っていた。

その日の夜遅く、吉本さんから「先方も交際を希望している」と嬉しそうな声で連絡があった。「これで肩の荷が下りた」とも言っていた。本当にお世話になりました。

こうして、二人の新たな交際が始まった。