リツが探していたケーキ屋は、私の通っている専門学校の近くの路地裏にあった。少し入り組んだ道にひっそりと佇んでいるため、看板が出ていなければ気付かないだろう。
 店内は二階建てになっており、二階はイートインスペースになっている。白と茶色、緑のナチュラル店内に、日曜日にしては店内にお客さんが少ない。本当に隠れ家のようだ。
 私達は窓側の席に座ると、手渡されたメニューを開いて覗き込む。
 ショートケーキ、抹茶ロール、シフォンケーキにモンブラン。一つずつ写真が貼られ、お勧めの飲み物まで書き加えられている。

「どれも美味しそうだな。これは悩む……ゆな、決まったか?」
「王道のショートケーキ!」
「だと思ったよ」
「リツは何と迷っているの?」
「……いや、今決まった」

 メニュー表と睨めっこしていたリツが顔を上げ、店員を呼ぶ。

「これとこれのドリンクセット。……あ、ドリンクは?」
「えっと……アイスティー」
「じゃあアイスティーとホットコーヒーで。あと単品でこれ。取り皿二つ貰ってもいいですか」
「かしこまりました。少々お待ちください」

 淡々と私の分まで注文をするリツ。店員が戻っていくと、私は彼に聞いた。

「ねえ、ケーキ二つも食べるの?」
「雑誌に載っていたケーキとシフォンケーキで迷ったから。滅多に食べられないし、この際両方頼んだ」
「え、食べられるの?」
「この姿の時は人間だって言ったろ。ちゃんと食えるよ。ああ、料金はちゃんと払えるからな」
「……悪魔もバイトするの?」
「まあ、そこは企業秘密ってことで」

 自慢げに胸を張って言う。悪魔と人間の境目って、どこなんだろう。見た目だったら絶対わからないと思う。

「でもそっか、今日は特別な日になるね」

初めてリツと一緒にケーキが食べられる。他人が見たらどうってことのないことだけど、私にとっては特別で、新鮮だ。
 しばらくすると、頼んだショートケーキが私の目の前に置かれた。白いホイップクリームにそっと乗せられた真っ赤な苺が胸を張っているかのように堂々としている。リツが頼んだシフォンケーキは、プレーンとチョコレートのマーブル状になっており、横にはゆるく立てられたホイップクリームとミントが飾られていた。

「可愛い!」
「第一声がそれかよ。最近の若い子って、写真映えするもの好きだよな」
「それが最近の流行なの。あ、すみません」

 フォークとナイフを手に取る前に、ケーキを持ってきてくれた店員さんに、声をかける。

「このケーキの写真を撮ってもいいですか?」
「はい、ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます!」

 店員さんの了承を得ると、私はスマートフォンのカメラを起動した。写真を撮っていると、リツがコーヒーを飲みながら不思議そうに聞いてきた。

「なんで写真の確認を取ったんだ? 別に聞かなくもいいだろ?」
「駄目だよ。口コミサイトで外観の写真はあるけど料理の写真が載っていないお店とかあるでしょ? そういうのって、撮影禁止になっているところが多いから。写真を撮るときは一度お店に確認しているの」
「なるほど。確かに、最近のネットサービスは便利になるにつれ情報の流出が拡大してきている傾向にあるからな。一押しメニューを他の店で真似て出されるのは客としてもいい気はしない」
「でしょう?」
「お前、そういうのは気にする奴なんだな」
「……それ、嫌味?」
「いや、褒めているよ」

 納得したように頷く彼。私はケーキの上にちょこんと乗っている苺にフォークを刺し、口へ運ぶ。甘酸っぱい味が口の中に広がった。

「へぇ、苺を先に食べる派か」
「うん。最後に取っておくと酸っぱいじゃん。リツは?」
「俺は……途中の箸休め派かな」
「なにそれ」
「いいじゃん。ほら、シフォンケーキいるか?」
「うん!」

 リツが丁寧にフォークで切り取って、取り皿に分けてくれる。ご丁寧に生クリームとミントまで添えてくれた。

「ありがとう! あ、じゃあこれ。はい!」

 私もお返しにと、ショートケーキをすくってリツの前へ差し出した。すると彼は、驚いた顔をして固まってしまった。

「リツ……?」
「……お前、自分で何してるかわかってんの?」
「へ……?」

 何をやっているか――と言われても、シフォンケーキを分けてくれたお返しにショートケーキをと、フォークですくい上げて彼の前に差し出しただけだ。
 量が少ないから怒ったとか?
 私が差し出したフォークの上のショートケーキの量に対して、シフォンケーキは三倍くらいの量がお皿に綺麗に置かれている。
 やはり調理の専門学校に通っているからには、きちんとお皿に取り分けて、食べてしまった大きな苺を飾るということをすべきだったのだろうか。

「あー……もういいや」

 リツはそう言って呆れたように溜息をつくと、差し出したままになっていた私の手を掴み、フォークの上のショートケーキを口に運んで行った。
 彼の口がもぐもぐと動き、ごくんと飲み込むのを見て、やっと気づいた。

「……顔真っ赤だな」
「…………ちゃ、ちゃんと言ってよ!!」

 私が持っていたフォークは最初に私が口をつけ、そしてそれを彼の前に差し出した。――つまり、間接キスを自ら勧めてしまったのだ。
 自分がしたことをやっと理解した時には既に遅く、自分でもわかるくらい顔が真っ赤になっていた。慌ててアイスティーを飲み込むが、一向に冷める気配はない。

「いやー。積極的だね、ゆなチャン」
「ちがっ……! ああもう!」

 正面でニタニタと笑われると無性に腹が立つ! ふてくされて横を向くと、丁度店員さんが単品で頼んだケーキを運んできてくれた。

「――お待たせ致しました」

 白い皿の中心に置かれたチョコレートケーキは、これでもかというくらいにチョコレートソースがかけられている。いつの間にか食べ終わっていたリツが空いた皿と交換してテーブルに置かれると、正面を私の方へ向けた。

「ほら、機嫌直せって。このケーキも写真撮るんだろ?」
「……ん」

 ふてくされながらも、カメラを起動した。
 ケーキだけを映していたとき、ふと彼の手が映り込んだのを見て、彼の顔も映るようにしてケーキを撮る。一緒に撮ったことは内緒にしておこう。

「食べていいよ」
「……今俺も映した?」
「ううん。映らないようにしたよ」
「そっか」

 あれ、悪魔だからダメなのかな。ふとよぎった疑問は、「まあいいか」の一言で片づけてしまった。だってフォークを持ってケーキに目を輝かせた彼を見ていたら、早く食べさせてあげたいと思ってしまったから。

「それがリツの食べたかったケーキ?」
「そう! アメリカの家庭的なチョコレートケーキなんだぜ。このケーキがパティスリーに置いているところ、見たことなかったから気になっていたんだ」

 たっぷりかかったチョコレートソースの下に、しっかりとしたチョコレート生地のスポンジケーキ。間に挟んであるチョコクリームも、かなりのボリュームだ。

「……これ、全部食べれるの?」
「食えるよ。男の胃袋なめんな」

 リツはそう言って、ケーキの先端にフォークを入れる。コーティングのチョコレートがかかっていることもあり、パリッといい音が聞こえた。すると今度は私の前に差し出した。

「へ……?」
「ほら、さっさと口開けろ」
「い、いやいいよ!!」

 自分がしたことがこんなに恥ずかしいものだったなんて! 私は慌てて体を後ろに引く。座っている椅子がガタガタと動くが、転ばないように机に手をついて抑える。

「危ねえから、逃げんな。同じことやり返しているだけだろ?」
「そ、そそそそうだけど!」
「それとも、このケーキのカロリーとか気にしてるワケ?」
「カロリー……? え、これってかなりやばいの?」

 基本食べることに貪欲な私は、体重を気にしたことがない。たまにポッコリお腹になることもあるが、「今日も美味しくいただきました」精神が気にかけることをしないのだろう。
 でもよく考えたら、これだけチョコレートがたっぷりなのだ。高カロリーなのは目に見えていた。

「チョコレートに卵にバターがたっぷりだからな。そこら辺、女子って気にするんだろ?」
「そう……なの? 特に気にしたことないけど……」
「じゃあいいな。ほら、早く口開けろ。落ちるぞ」
「リツが食べればいいんじゃないの!?」

 さらに私の口に近づいたチョコレートケーキ。これ以上、何を言っても無駄だと察した私は、渋々ケーキを口に含んだ。
 濃厚なチョコレートが、一気に口の中を占領する。なめらかな舌触りのクリームに、パキパキと小さく割れる板チョコ。しっとりと甘すぎないスポンジ生地が、しっかりと包み込んでくれている。その間から少し甘酸っぱい、ベリー系の味がした。

「……苺入ってる?」

 リツに問いかけると、彼も一口ケーキを食べる。そして少し首を傾げると、私に言った。

「多分、ラズベリーのソースじゃねぇかな? チョコレートに合うフルーツはいろいろあるけど、苺よりラズベリーを使うことが多い気がする。俺はオレンジの方が好きだけど」
「あ、聞いたことがある。ショコラ・オランジェだっけ? オレンジピールにダークチョコレートかけて固めるやつ!」
「そうそう。よく知ってんなー」

 先程の間接キス騒動の反動はどこへやら。気が付けば、三種類のケーキを食べながらお菓子の話で盛り上がっていた。普段は学校であったことを話したり一緒にテレビを観るくらいなのに、今日が特別に感じたのは、きっと私だけじゃないと思う。なぜなら、リツが今まで一緒にいた中で一番、楽しそうに笑ってくれたから。

「ねえ、このケーキの名前は?」
「これか? これは――『デビルズフードケーキ』。俺らしいだろ?」