夢を見た。
僕は冴えたイケメンのムキムキマッチョで、やたら露出度の高い金髪の美女が飼い猫のように擦り寄ってくる。そんな女性がもう何人かいて、「アアン、好きィ」「抱いてェ」と異口同音に僕に求めてくる。僕は嬉しくなって、女たちに次々とキスをしたり抱いたりするのだけれど、何がきっかけだったのか、八人目とひとしきりコトを終えた辺りで「これは夢だな」と気がついた。
僕は嬉しくなってどんどん女を抱いていくのだが、ふと遠くにいる少女の後ろ姿が見えた。それは見慣れた幼馴染の後ろ姿で、十八禁の世界観に、中学生の彼女がぽつんといるのである。僕はしめしめと彼女に駆け寄り、「夢なのだから」と背後から抱きつくと、彼女はパンと僕の頬を打った。「この変態クソ野郎。気持ち悪い中身しやがって」
呆然とする僕に彼女は続ける。
「どれだけ外見が男になったって、あんたはイチモツを持たない女のまま。私知ってるんだからね、あんたが私のことそういう目で見てること。気持ち悪い! 金輪際私に近付かないでちょうだい」
パコン、と教師の名簿が私の頭を打った。
「アヒッ」と変な声を上げて私の意識は半分覚醒した。クラスにどっと笑いの波が起こり、寝ぼけ眼を擦りながら私は教室を見回す。国語担当の教諭が不機嫌な仏像みたいな顔で私を見下ろして、「ゴルァ」と低い声を出した。
「今は授業中じゃ。推薦で高校が決まったからって、居眠りたぁいいご身分じゃねえの」
そう言われて数秒間、ぼけっとしていた私を、クラスメイトがくすくすと笑う。時間差で授業中の居眠りを咎められたのだと理解して、「す、すみません」と、遅れを取り戻すように早口で謝った。「ったく」と教師は一言、面白くなさそうに言い捨てて、ツカツカと前方の黒板へ戻っていく。「も~、熟睡だったじゃん」と、後ろの席の部活仲間がケラケラと笑うのを聞きながら、斜め後方の幼馴染みと目が合った。
「大丈夫?」
授業が終わってから、幼馴染みの彼女はいの一番に私の席に来ると、おっとり首を傾げてそう尋ねた。私は赤べこみたいに首を上下左右に振って、「だーいじょうぶ、ダイジョウブ。最近部活の練習がキツくって、寝ちゃった」と答える。
「そお?」と彼女はハナミズキの花弁みたいなしっとりした声で、しかし不満げに相槌を打った。「頭叩くなんて、やりすぎだよ。音すごかったよ、パコン、って」
「そっちまで聞こえた?」
「すごく聞こえた」
真剣な表情で頷きながら、彼女は言う。
どうも怒っているらしかった。長年の付き合いの中で、年に二回見れば多い方と言えるその反応に、私は言葉を失う。珍しい。
彼女は細い、しおらしい手を伸ばすと、私の頭を撫でた。
「コブにはなってないみたい。痛いのなくなるといいね」
「そんなに痛くなかったよ」
強がるでもなくそう返すと、「そっか」と、彼女は安心したふうに微笑んだ。
――今の方が痛い。
なんて言ったら、彼女は怒ってくれるだろうか。
まさか。私が嫌いなブロッコリーを押しつけても、入っちゃいけない敷地に連れて行っても、借りた教科書を汚してしまっても、「いいよ」とおっとり笑って許してくれる彼女だ。今の方が痛いよ――と言えば、大丈夫? ごめんね、と心から謝って、患部を撫でる手を引くことだろう。
その痛みの意味を知らずに。
「大丈夫」私はもう一度言う。「ホント、痛くなかったから」
「そう」頭を振る私から、それとなく、やめて、の意を汲んだ彼女は、手を引っ込める。
私は別の話題を振る。「次の授業、なんだっけ」
「数学だよ」
そのとき、クラスメイトが彼女の名前を呼んだ。いつも彼女とつるんでいる、吹奏楽部の女生徒だった。「は~い」と客に呼ばれたウェイトレスみたいに彼女が返事をすると、「じゃね」と短く私に告げて、タタタとそちらへ向かう。
一人になった私は次の授業の準備をし、それを終えると、視線はまた幼馴染みの方に向いていた。そろそろ次の授業も始まるというのに、時間に気付いていないのか、まだ同じメンバーで談笑に夢中になっている。この勢いのままおしゃべりをしていたら、授業の時間に突っ込むんじゃないのか。
のんびり屋な幼馴染みに、一言声をかけようかと脳裏に過ぎった思いは、間髪入れずにもうひとつの意識に叩き潰された。
ダメ。彼女に話しかけたら、ダメ。
何を言ってしまうか分からない。あの細い身体に、後ろから抱きつきたくなる。伸ばした手は、彼女の綺麗な曲線をなぞってしまうかも。イチモツを持たないこの身体に沸いてくるこの思いが、現代の世の中でなんという名前で呼ばれているのかを、私は知っているけれど、この恐怖を説明してくれる人は誰もいない。コイツは寄生虫のように私の身を蝕み、支配し、夢の中に現れて――だから先生が私の頭を叩いてくれたのは、丁度良い罰だった。なんだったらかち割ってくれたってよかったのに。
だけど彼女は、きっと微笑むのだ。
なあに? とおっとり笑って、私の愚行に微笑むのだ。
だから、ダメ。彼女に話しかけたら、ダメ。
小六の頃に心に決めたこの戒律は、それ以来一度も破られたことはなく、それなのに、私が彼女と話さない平日もまた、一日たりとも存在しなかった。彼女は毎日のように、些細なことで私に話しかける。おはよう、元気? 最近の授業、難しくない? この前の練習、窓から見てた。カッコ良かったよ……。
そしてそれを突き放せない私も、心のどこかでそれを望んでいるのだ。
「ほら、座れー」
先生が来た。時間に気付いてなかったらしい彼女らは、慌てて散らばって自分の席へ戻る。後ろから席を引き、引き出しを漁って、教科書を準備する物音が聞こえる。授業が始まる。
――この変態クソ野郎。気持ち悪い中身しやがって。
いっそ、そう言ってくれれば諦めがつくのに。でもそれを言わせまいと、ひたむきに本性を隠す私も確かに存在していて、まあイイジャナイ、と性別違いの欲望をヨシヨシしているのだ。今はまだ、チョットくらいイイデショ。だって、もうすぐ卒業なんだから。穏やかに終わらせようじゃないか。それが互いにとっても一番――理性の返事を待たずして、私の脳内会議はいつもここで終わってしまう。
夢の中で抱いた女性の身体を思い浮かべながら、私は数学の教科書を開いた。
僕は冴えたイケメンのムキムキマッチョで、やたら露出度の高い金髪の美女が飼い猫のように擦り寄ってくる。そんな女性がもう何人かいて、「アアン、好きィ」「抱いてェ」と異口同音に僕に求めてくる。僕は嬉しくなって、女たちに次々とキスをしたり抱いたりするのだけれど、何がきっかけだったのか、八人目とひとしきりコトを終えた辺りで「これは夢だな」と気がついた。
僕は嬉しくなってどんどん女を抱いていくのだが、ふと遠くにいる少女の後ろ姿が見えた。それは見慣れた幼馴染の後ろ姿で、十八禁の世界観に、中学生の彼女がぽつんといるのである。僕はしめしめと彼女に駆け寄り、「夢なのだから」と背後から抱きつくと、彼女はパンと僕の頬を打った。「この変態クソ野郎。気持ち悪い中身しやがって」
呆然とする僕に彼女は続ける。
「どれだけ外見が男になったって、あんたはイチモツを持たない女のまま。私知ってるんだからね、あんたが私のことそういう目で見てること。気持ち悪い! 金輪際私に近付かないでちょうだい」
パコン、と教師の名簿が私の頭を打った。
「アヒッ」と変な声を上げて私の意識は半分覚醒した。クラスにどっと笑いの波が起こり、寝ぼけ眼を擦りながら私は教室を見回す。国語担当の教諭が不機嫌な仏像みたいな顔で私を見下ろして、「ゴルァ」と低い声を出した。
「今は授業中じゃ。推薦で高校が決まったからって、居眠りたぁいいご身分じゃねえの」
そう言われて数秒間、ぼけっとしていた私を、クラスメイトがくすくすと笑う。時間差で授業中の居眠りを咎められたのだと理解して、「す、すみません」と、遅れを取り戻すように早口で謝った。「ったく」と教師は一言、面白くなさそうに言い捨てて、ツカツカと前方の黒板へ戻っていく。「も~、熟睡だったじゃん」と、後ろの席の部活仲間がケラケラと笑うのを聞きながら、斜め後方の幼馴染みと目が合った。
「大丈夫?」
授業が終わってから、幼馴染みの彼女はいの一番に私の席に来ると、おっとり首を傾げてそう尋ねた。私は赤べこみたいに首を上下左右に振って、「だーいじょうぶ、ダイジョウブ。最近部活の練習がキツくって、寝ちゃった」と答える。
「そお?」と彼女はハナミズキの花弁みたいなしっとりした声で、しかし不満げに相槌を打った。「頭叩くなんて、やりすぎだよ。音すごかったよ、パコン、って」
「そっちまで聞こえた?」
「すごく聞こえた」
真剣な表情で頷きながら、彼女は言う。
どうも怒っているらしかった。長年の付き合いの中で、年に二回見れば多い方と言えるその反応に、私は言葉を失う。珍しい。
彼女は細い、しおらしい手を伸ばすと、私の頭を撫でた。
「コブにはなってないみたい。痛いのなくなるといいね」
「そんなに痛くなかったよ」
強がるでもなくそう返すと、「そっか」と、彼女は安心したふうに微笑んだ。
――今の方が痛い。
なんて言ったら、彼女は怒ってくれるだろうか。
まさか。私が嫌いなブロッコリーを押しつけても、入っちゃいけない敷地に連れて行っても、借りた教科書を汚してしまっても、「いいよ」とおっとり笑って許してくれる彼女だ。今の方が痛いよ――と言えば、大丈夫? ごめんね、と心から謝って、患部を撫でる手を引くことだろう。
その痛みの意味を知らずに。
「大丈夫」私はもう一度言う。「ホント、痛くなかったから」
「そう」頭を振る私から、それとなく、やめて、の意を汲んだ彼女は、手を引っ込める。
私は別の話題を振る。「次の授業、なんだっけ」
「数学だよ」
そのとき、クラスメイトが彼女の名前を呼んだ。いつも彼女とつるんでいる、吹奏楽部の女生徒だった。「は~い」と客に呼ばれたウェイトレスみたいに彼女が返事をすると、「じゃね」と短く私に告げて、タタタとそちらへ向かう。
一人になった私は次の授業の準備をし、それを終えると、視線はまた幼馴染みの方に向いていた。そろそろ次の授業も始まるというのに、時間に気付いていないのか、まだ同じメンバーで談笑に夢中になっている。この勢いのままおしゃべりをしていたら、授業の時間に突っ込むんじゃないのか。
のんびり屋な幼馴染みに、一言声をかけようかと脳裏に過ぎった思いは、間髪入れずにもうひとつの意識に叩き潰された。
ダメ。彼女に話しかけたら、ダメ。
何を言ってしまうか分からない。あの細い身体に、後ろから抱きつきたくなる。伸ばした手は、彼女の綺麗な曲線をなぞってしまうかも。イチモツを持たないこの身体に沸いてくるこの思いが、現代の世の中でなんという名前で呼ばれているのかを、私は知っているけれど、この恐怖を説明してくれる人は誰もいない。コイツは寄生虫のように私の身を蝕み、支配し、夢の中に現れて――だから先生が私の頭を叩いてくれたのは、丁度良い罰だった。なんだったらかち割ってくれたってよかったのに。
だけど彼女は、きっと微笑むのだ。
なあに? とおっとり笑って、私の愚行に微笑むのだ。
だから、ダメ。彼女に話しかけたら、ダメ。
小六の頃に心に決めたこの戒律は、それ以来一度も破られたことはなく、それなのに、私が彼女と話さない平日もまた、一日たりとも存在しなかった。彼女は毎日のように、些細なことで私に話しかける。おはよう、元気? 最近の授業、難しくない? この前の練習、窓から見てた。カッコ良かったよ……。
そしてそれを突き放せない私も、心のどこかでそれを望んでいるのだ。
「ほら、座れー」
先生が来た。時間に気付いてなかったらしい彼女らは、慌てて散らばって自分の席へ戻る。後ろから席を引き、引き出しを漁って、教科書を準備する物音が聞こえる。授業が始まる。
――この変態クソ野郎。気持ち悪い中身しやがって。
いっそ、そう言ってくれれば諦めがつくのに。でもそれを言わせまいと、ひたむきに本性を隠す私も確かに存在していて、まあイイジャナイ、と性別違いの欲望をヨシヨシしているのだ。今はまだ、チョットくらいイイデショ。だって、もうすぐ卒業なんだから。穏やかに終わらせようじゃないか。それが互いにとっても一番――理性の返事を待たずして、私の脳内会議はいつもここで終わってしまう。
夢の中で抱いた女性の身体を思い浮かべながら、私は数学の教科書を開いた。