君が僕と添い遂げないためにも、僕らが高校生だった時代に行くことにした。
タイムマシンだから、あの時代に僕はふたり存在していた。27歳の僕と、17歳の僕だ。
ホテルの廃墟で君と出会ったとき、驚いた。記憶の中よりも鮮明に、あの頃の君が生きたまま目の前にいたのだから。
僕は不審者のふりでもして、君をここに来させないようにするつもりだったが、魔が差した。君に話しかけてしまったのだ。
僕がもたもたしていたせいで、君は17歳の僕に会ってしまった。
君は僕が干渉したこの世界でさえ僕の名前を認知して、僕にハンカチを貸してくれたんだね。
僕は17歳の僕にも出会った。人と接することが苦手な、殻に閉じこもっていた僕だ。この子はこれから君を愛し、明るくなっていくはずだったけれど、それはもう叶わぬことになる。
僕は僕に伝えた。未来から来たこと、君は小説家になれるから執筆活動を続けること、自分でお金が稼げるようになったら親なんてそう重要じゃないということ、今気になっている女の子にはすでにすてきな相手がいるから諦めたほうがいいということ。
僕は少し絶望して、それからまた燃えていた。それでいいと思った。僕はもう這いあがれないような暗い底で、ひとりで、毒にしかならない小説を書き続けていればいいんだから。君の命が助かるのなら、それでいい。
君は27歳の僕に好きだと言ってくれた。君が愛おしくて、君を無意味に傷つけたことが口惜しかったけれど、もう未来は変わったのだと確信した。
君にとって僕は通過点のおじさんとして生を終える。君の世界の僕はただの無愛想な通りすがりの高校生。それでいい。
僕は目標を達成したため、元いた世界に戻った。そこは以前とは違いすぎていた。
僕は教祖のように崇められていた。17歳だった僕は、伴侶もなくただ孤独のまま筆を握り、鬼才と呼ばれるまでのぼりつめていた。スランプに悩んでいた僕とは大違いだった。
そんな僕は、僕がこの世界に帰ってきたことで消滅してしまった。正真正銘おばけになってしまった。
君はなにをしているのだろう。あの幼馴染とはどうなったのだろうか。
僕には確かめる術はあるけれど、その勇気がなかった。隣にいるのが僕ではないことが悔しくて、幸せにできなかったことが無念で、君が僕のことを通過点としてしか見ていないことがさみしくて、それでも君が今もこの世界に生きていることがただひとつの幸福だった。
もう腕が動かない。体が重い。情けないね。
きっと、タイムマシンなんてものを使ったから、体に負荷がかかっているんだろうね。
この手紙は、誰に向けて書いているんだろう。君に見てほしいという浅ましい想いもあるけれど、重すぎるこの感情を知った君がどうなるのか考えると、破いて捨てたほうがよいのかもしれない。
だけど僕は、これを死の間際まで大切にしておきたいと願う。君と僕の唯一の接点だろうから。君と僕があの日たしかに一緒にいて、一緒に笑って、一緒に悲しい気持ちになった、その記録だから。
死んだ僕の、愛する人へ。
この意味が、この世界で変わっているのなら、こんなに幸せなことはない。
時田奏太より
苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて、言葉で表せられない気持ちが押し寄せてきて、どうして私は国語が得意じゃなかったんだろうと後悔する。
陸地に打ち上げられた魚みたいに、体中が痛くて熱くて呼吸ができなかった。
朋君に伝えられるはずもなくて、それでもひとりで抱えるには重すぎて、ただただ彼の形見となってしまったレースのハンカチに、涙を吸い込ませる毎日だった。
もしも田中瀧人さんが今も生きていたならば、私の結末をどう書いてくれたのだろうか。
きっと今の彼なら、私はこの手紙を知らずに幸福な生涯を送ったのだと、ハッピーエンドにしてくれるのかもしれない。
でも、彼はもうどこにもいない。これは現実で、私が結末を作らなければいけない。
仕事帰り、10年ぶりに廃ホテルの庭園に訪れた。
草木が伸びて以前より廃れてしまったけれど、相変わらず時が止まったかのように静かで美しかった。
「……時田君、別の世界では私たち、結婚してたんだね」
彼がいつも座っていた噴水の縁に、涙でごわごわになってしまった『死んだ僕の愛する人へ』の本を置く。
「……私は、せいいっぱい生きるよ。大切に、生きるよ。あなたが守ってくれた分」
本当はこんなきれいごと、言いたくなかった。だけどおじさんは、私とお別れのときに、「幸せになってね」と言った。
幸せになるには、時が止まったこの場所に、この想いを隠しておくしかなかった。
まだまだ、吹っ切れるには時間がかかりそうだったから。
「だから、またね」
いつかこのことに、本当に向き合えるようになったら。いつかこの感情の名前がわかったのなら。
そのとき、私はこの本を迎えにいく。
「あ、もしもし、朋君? ……あのね」
悲しいことがあっても、泣きそうになっても、もうおもしろGIFには頼らない。
「これから、激辛ラーメン食べにいこう」
電話口の朋君の笑い声がくすぐったくて、自然と笑顔がこぼれた。
主人公の『心春』は放課後、廃ホテルの庭でのんびりするのが好きだった。ある日10歳年上で小説家の『おじさん』と出会う。彼はスランプに悩み、ネタ探しのためここに訪れているらしい。彼の帰宅後、無口な『時田』という男子生徒とも出会う。
それから毎日その場所へ訪れると、いつもおじさんがいた。次第にふたりは仲良くなるが、幼馴染の『朋秋』はそれをよく思わなかった。
ある日おじさんに妻がいることを聞かされ、ショックを受けた心春は彼が好きなことに気づき、おじさんに告白する。おじさんは、妻がファンに殺されたことを言い、心春に青春しろと諭して別れを告げた。
10年後、朋秋と結婚間近の心春はたまたまおじさんの小説を見つける。そこで『おじさんは去年27歳で亡くなっていた』と知る。
彼の死の間際に書かれた小説には、タイムマシンで妻の死をなかったことにしたと綴られていた。実はおじさんの妻は心春で、おじさんの正体は10年後の時田だった。
おじさんの真意を知った心春は、胸の痛みを感じながらも懸命に生きることを決意する。