汚れてみすぼらしさが漂う、あまり治安の良くない地域。
こじんまりとした薄汚れた小さな家、寂れたレストランに、バーもあれば、タトゥーショップなど怪しげな雰囲気の店がごちゃまぜにメインストリートに沿って並んでいる。
それらの家や店の窓に設置された鉄格子が、犯罪率の高さを警告していた。
夜になれば一人で出歩くには危ない場所だと誰もが思う。
そんな町の中をヴィンセントはズタズタのシャツのままで歩いていた。
家とは全く反対方向。むしゃくしゃを抑えるためにはこういう場所がうってつけだった。
感情が高ぶって何かを壊すことがあっても、それが似つかわしい場所だと思えた。
またダークライト達のたまり場にもなるようなところだった。
自らこういう場所にくるのはずっと避けていたはずだった。この時ヴィンセントは自己嫌悪と自暴自棄でいたたまれなくなく、自分を見失っていた。
感情から力任せに学校を崩壊させてしまったことで、父親に酷く叱られるのが目に見えていた。
まっすぐ家に帰れる気分にはならない。心の弱さを吐くほどに痛感する。
そして父親から言われた言葉が改めてぐさりと突き刺ささり、どん底まで落ちて落ちて落ち続ける。
ベアトリスを車で送り届けた前日の夕方──。
彼女と過ごした午後は楽しかったにせよ、アメリアに自分の存在を認められず、また次の日から何もかも元に戻ってしまうと覚悟を決めなければならないことが、苦痛の何ものでもなかった。
さらに早く帰宅していた父親と言い争いをしてしまったことが、最後の最後で後味が一層悪いものになった。
その時の父親の言葉をヴィンセントは思い出していたのである。
父親はあの時、居間のソファーでヴィンセントを待ち構えていた。
ヴィンセントは家に入るなり、無言で車の鍵を父親に向かって放り投げた。それを父親がガシッと受け取り、その目の前をヴィンセントは話すことなどないと通りすぎようとしたとき呼び止められた。。
ヴィンセントは聞く耳など持たず、不機嫌なまでのぶっきらぼうな態度を露骨に見せてしまった。
「わかってるな。今日は特別な夢を見ただけだ。もうこれ以上彼女に近づくな。変な小細工もするな。お前が仕掛けたいたずらのせいで、アメリアが被害被った。そしてベアトリスも危険にさらされた。お前がどんなに彼女が好きでも、どうすることもできないんだ。我々とは住む世界が違う」
「ほっといてくれ。何度も同じこと言うな。聞き飽きたよ」
「ヴィンセント! いい加減にしろ。お前が関与すればベアトリスはどんな危険にさらされるかわからんのか。現にあの時、影を呼び寄せてしまっただろうが。 それでもまだゲームを続けるつもりか」
「ゲームなんかじゃない。本気なんだ。だから俺が必ず守る。俺なら絶対彼女を守れる自信がある」
ヴィンセントは父親を強く睥睨する。
「うぬぼれるな! 我々がどんな種族か分かってるだろう。自分の感情のコントロールも出来ない奴に何が出来る」
ヴィンセントは痛いところを突かれて屁理屈に走ってしまう。
ぐっと体に力が入った。
「親父だって、笑わせてくれるよ。親父が刑事だってベアトリスに言ったら『正義の味方だ』って言ったよ。あんたも俺もダークライトだろうが。悪の味方の ね。親父だって自分の運命に逆らってノンライトを助けようとしてるじゃないか。俺のこと馬鹿にする資格なんてねぇーよ」
「お前は何もわかっちゃいない。我々がダークライトだからこそ、悪の根源を絶たねばならない。怒り、嫉妬、野望、道理にそむく人の心に入り込み、人間に害を与える行為を無くす努力をし、そして私達にかけられた偏見を解かなければならない。ダークライトが全て悪の権化だと思われることが許せないだけだ」
「自分に酔ってんじゃねぇよ。今日、ディムライトの奴らに会ったよ。あいつら俺を軽蔑の眼差しでみるんだぜ。親父が刑事で何をやってるかわかってるくせに。ダークライトというだけで誰もが偏見を持つ。どんなに親父が正論かざして努力したところで何も変わらない。それなら最初から好きにやらせてもらう。 ダークライトだからといって遠慮することなんてないんだ。ダークライトがホワイトライトに恋をすることのどこが悪いんだ」
「ヴィンセント、落ち着け。お前がベアトリスを好きな気持ちは理解している。だが、ベアトリスは普通のホワイトライトじゃない。彼女自身、自分が何者か知らされていないのを知ってるだろう。そっとしてやるのが一番なんだ。そうじゃないと彼女は……」
ここまで言いかけて突然口を噤んだ。
そして最後に言おうとしていたことをかき消すように言葉を発した。
「とにかく彼女のことは諦めるんだ。お前は弱すぎる──」
最後のこの一言だった。
──『お前は弱すぎる』──
まさに父親が言った言葉通りだとヴィンセントは自分でも納得していた。だからこそ自己嫌悪に陥り、その感情に流されるままになっていた。
このままではダメだと分かっていながらも──。
「くそっ、ダークライトの何が悪い。俺たち見かけは全然変わらないじゃないか。最初から決め付けられてたまるもんか」
ヴィンセントは決め付けられた人生に嫌気がさした。心の底から怒りが噴出す。
「何もかも変えてやる。そしてベアトリスもあのしがらみから救い出してやる」
とは言いつつ、感情が自分の理性を上回るとコントロールできないのが難癖の一つ。
自分でもまだ理解していないダークライトの能力はヴィンセントを苦しませていた。
感情がコントロールできない弱い奴と言われても仕方がないが、力が強すぎて少しの刺激でトリガーが引かれてしまうのも事実だった。
ニトログリセリンが、少しの振動で爆発を起こしてしまうように、ヴィンセントもまたいつ爆発するかわからない繊細な爆弾を常に抱えている。
落ち込み、苛つき、悲しみと複雑に絡み合ういたたまれない気持ちでジーンズのポケットに手を突っ込み、当てもなく歩いていると、ヴィンセントを呼び止めるクラクションが後ろからしつこい程鳴らされた。
無視できず立ち止まり振り返った瞬間、目を見張ってそいつの名前が口から飛び出た。
「コール!」
ぼさぼさの赤毛に、無精ひげを生やし、頬がこけてだらしないいい加減さが目立つ。
青い瞳をもっているというのにぎょろりとして濁っている。
見るものに近寄りがたい不気味さを与えていた。
首には金の鎖のようなネックレスがいやらしく輝き、本物であってもこのいい加減そうな男が身につけるとちゃらちゃらと見掛け倒しのまがい物に見えていた。
コールもまたその通りだと開き直ったふてぶてしい笑いを、ヴィンセントに向けた。
「よぉ、ヴィンセントじゃないか。お前がこんなところをうろついてるなんて不思議なこともあるもんだ。ベジタリアンのダークライトの癖に」
ベジタリアンのダークライト──。
馬鹿にされたも同然だった。
しかし、忌み嫌われる他のダークライト達にとって、ヴィンセントとその父親のリチャードはノンライトのために尽くす裏切り者とみなされていた。
だが、リチャードはダークライトの中でも専ら強い力を持ち、誰も立ち向かうことができない。
この辺りのならず者のダークライト達は大人しくするか、他の町へ移るかしかなかった。
刃向かうものなら、リチャードは容赦はしなかったからだった。
「お前こそ、町から追い出されたんじゃないのか。俺の親父に」
嫌なものに出会ってしまったと、嫌悪感を露にしてヴィンセントは嫌味っぽく言った。
「ああ、あの時は、大した目的もなくフラフラと悪いことしてただけだから、俺にとっちゃ遊びだった。うるさいハエがいるところよりは他に行った方が楽しいだろうと思って自ら出かけただけさ」
コールはふんと鼻先を膨らまして強がって笑っていた。
「だったらなんで帰ってきたんだよ」
ヴィンセントは目障りだと、にらみを効かす。
コールは厄介な奴だった。年は30前、痩せてはいるが適度の筋肉がつき強靭な体つきで機敏に動く。
性格は鬼畜でずる賢く残忍さが他のダークライトよりも際立っていた。
自分は直接手を加えずに悪事を働かすのが得意だった。そのため刑事であるヴィンセントの父親も直接の証拠がつかめず手を焼いたこともあった。
逆らえばしつこいほどの攻撃をしかけ、命を奪うことも当たり前。
他のごろつきのダークライトも恐れるほどの手に負えない部類。そいつがここに戻ってきた。不吉な軋み音が心に響きヴィンセントの不安をかき立てる。
「おや、そのシャツ、かなりボロボロだな。しかもお前が通ってる高校は不自然にぶっ飛んじまったし、これはお前の仕業なんだろ」
コールは意味ありげにニヤリと笑う。ダークライトの中でもヴィンセントは破壊することにかけては他の誰よりも強い能力を持つ。
気を集め一気に物をぶっ壊す。コールがそれを知らないはずはない。
「何が言いたいんだ」
「いや、昨日、偶然ホワイトライトの気配がしたんだ。それもかなりの大物のな。それに誘われて来たらここに来たと言う訳さ」
突然じろりと怪しんでる目でヴィンセントを睨む。ヴィンセントは平常心を装うが、内心落ち着かない。瞳孔が一瞬開き、コールはそれを見逃さなかった。
「どうした、やっぱり学校を吹き飛ばしたのはホワイトライトに関係してることなのか。ベジタリアンのお前がああいうことするのには必ず理由があるはず。お前も何か情報を仕入れたんだろ。教えろ」
情けなさそうな表情から、突然冷血な鋭い眼差しを向け、ドスを効かした声で脅した。
「そんなもの知ってても素直に教える訳ないだろ。第一何も知らないのに何を教えるんだ。そんなに知りたければ、俺の親父にでも聞きな」
ヴィンセントはできるだけ冷静にとぼけて答えたつもりだった。だが心の内は気が気でない。暫く睨み合いが続いた。
「アハハハハ、参ったぜ、あんなにガキだったお前が、俺に反抗して睨みを聞かせるとはな。お前もちょっとは成長したってことか。お前の親父は好きじゃないが、これでもお前のことは気に入ってんだぜ。お前は俺と同じ臭いがする。ベジタリアンにするにはもったいないぜ。どうだ親父のところを離れて、俺のところへ来ないか。俺たち絶対いいコンビになれるぜ」
コールはジャケットの懐から札束をのぞかせた。悪事を働かせて手に入れた金に違いない。ヴィンセントはその札束を見てヘドが出る思いだった。
「金には不自由してない。他をあたりな。それからとっととここから出て行った方がいいんじゃないのか。俺の親父に見つかる前にな」
──頼むから出ていってくれ!
ヴィンセントはとんだ悪夢を見ているようだった。
「ちぇっ、ノリの悪い奴。まあ久しぶりに帰ってきたんだし、ちょっと知り合いに挨拶してからその先のこと考えるとするわ。どっちみち、お前の親父のせいでここは居心地悪いからな。まあ俺が大人しくしてればあっちも文句のつけようがないだろうけどね」
コールは『またな』と格好つけて車のエンジン音をふかして去っていった。ヴィンセントは緊張の糸がほぐれたように、深く息を吐く。長いこと水中に潜って息苦しい気分だった。
コールは少し離れていてもホワイトライトの気配を感じる能力を持っている。
ホワイトライトが放つ光は周りのものに影響を与え、ときには風に乗れば電波のように遠く離れたところにも届くことがある。
それをキャッチされるとは想定外だった。ヴィンセントはまた悔やんだ。父親の言葉がさらに正しいと認めざるを得 なくなった。
「くそ!」
どうしようもなく、自分の不甲斐なさに腹が立つ。そしてベアトリスの笑顔を思い出すと首をうなだれた。
「俺、どうすればいいんだ」
ヴィンセントの鼻がへし折れた。暫く立ち止まり、苦虫を潰したような顔を空に向ける。一大決心をするように、ぐっと腹に力を込めヴィンセントは来た道を戻っていった。
まずは正々堂々と父親に叱られて自分の非を認めなければ気が治まらなかった。殴られることも覚悟して、勝手に想像しては無意識に歯を食いしばっていた。
ベアトリスが帰宅して間もなく、アメリアが素っ頓狂で帰ってきた。
ニュースで学校が被害にあったのを知ったらしい。顔を青ざめ、ベアトリスをペタペタ触り怪我がないことを確認する。
「ちょっ、ちょっとアメリア、私は大丈夫だから。そんな触らなくても怪我なんてどこもしてない」
「もうびっくりしたわ、なんであんなことになるの。ベアトリスを危険な目によくも晒せるわね」
アメリアには事の原因がわかっていた。
「えっ、何を言ってるの。自然災害にそんなこと言っても…… それにあの時、私、一番安全な場所にいたみたい。他の怪我した生徒達がお気の毒で」
「そうね、罪もない人たちが負傷して、かわいそうよね。だからこそもっと許せないわ。何を考えてるのアイツは」
「アイツ? アメリアどうしたの? なんか変よ」
アメリアはなんでもないと首を横に振った。怪我がないとわかると落ち着いてソファに座った。
「ねぇ、今日学校で起こったこと話してくれない?」
アメリアは恐る恐るベアトリスの表情を気にしながら聞いた。
「私、その、実は、学校が吹っ飛んだとき、違う場所にいたから、あまりどういう状況だったかわからないの」
「そうじゃなくて、それが起こる前の話のこと」
アメリアは一体何が聞きたいのだろうか。まさか授業をサボったことがばれてるのだろうか。
ベアトリスはこんなときもお説教が入ると思うと口がスムーズに開かず、答えに困ってしまった。
言い難そうにもごもごしてると、体もくねくねと落ち着きがなくなった。
「ベアトリス、私が聞きたいのはヴィンセントのことよ」
ヴィンセント──。その響きはベアトリスの表情を一瞬にして悲しみに描き換えた。深く考えずにいようとしてたのにまた辛い思いが心を支配してしまう。
それだけでアメリアは推測できた。ヴィンセントはベアトリスに近づけないでいる。そしてベアトリスは上手い具合に勘違いしている。
「そっか、ふられちゃったのね」
わざと胸に響く言葉を選んで強くそれを言った。
「えっ? 私、その」
「いいのよ、ああいうハンサムは来るもの拒まずで、どんな女の子にもちょっかい出すタイプなのよ。ベアトリスはそれに早く気がついてよかったのよ」
「アメリア、わかってたの、私が彼を好きだって。私、馬鹿だったの。ヴィンセントにちょっと優しくされてうぬぼれてしまった。そうよね、こんなダサイ私のことなんか本気にするわけないもんね」
声が震え、泣き出しそうなのをベアトリスは必死で堪えている。
また辛いシーンだと、アメリアの胸がずきずきと痛んでいた。
両手を差し出し、側に来いと示唆すれば、ベアトリスは待ってましたといわんばかりにアメリアに抱きついた。
横隔膜に入り込んでしゃっくりが出るほどに激しく泣いた。
アメリアは内心なんとかしてやりたかった。本当は両思いなのに、引き離さないといけない。ヴィンセントがダークライトという理由だけで──。
ヴィンセントがベアトリスを好きだというのはずっと前から判っていたことだった。
それでも彼の近くに住んだ理由として、ヴィンセントの父、リチャードの影響が大きいからだった。
ダークライトの刑事がいる土地はベアトリスが暮らすには安全が保障されていた。
リチャードが居れば、他の邪悪なダークライトは滅多に寄りつかない。アメリアも計算してのことだった。
だがやはり二人は引き寄せられてしまった。
アメリアは安全を重視するが故に、ベアトリスを悲しませる結果になってしまったことが申し訳ない。
何もかも自分のせいだとばかりに、どんどん苦しくなるばかりだった。
ベアトリスの頭を優しく撫ぜながらアメリアは考えていた。
ぱっと心に浮かんだことを、自分でもいいアイデアだとばかり嬉しそうに叫ぶ。
「ねぇ、ベアトリス、今から買い物に行って、そして夜は美味しいものでも食べに行こうか。さあ行きましょう」
「えっ?」
アメリアは善は急げと、ベアトリスを引っ張って外に飛び出し、無理やり車に押し込んだ。
目は真っ赤に泣き腫らし、ベアトリスは有無をいわされないままショッピングセンターに連れて行かれた。
いつもらしくないアメリアの行動に面食らっていた。
慎重なアメリアが、思いつきだけで行動するなんて珍しいことだった。
ショッピングセンターに着くと、アメリアはまた車から無理やり引き摺り下ろし、ベアトリスを引っ張りまわす。
楽しまなければ怒るわよとベアトリスを脅していた。
「アメリア、ちょっとはしゃぎすぎじゃ…… 」
広大な土地に、幾つも小売店が入る巨大なモール。二階建てだが、端から端まで全てが吹き抜けになっている。メインエリアは大きな飾りがある噴水がおかれ、それを取り囲んで上と下の階を繋げるエスカレーターが設置されていた。中は明るく眩しいくらいだった。そこをこれもかわいい、あれもかわいいと走り回り、手当たり次第 にアメリアはベアトリスに薦める。
「これはちょっと小さいし、これは色が派手」
困るとばかりに、ベアトリスは何かにつけて拒否をした。
「もう、つまんないじゃない。買うっていうんだから、素直に欲しいもの言いなさい」
逆切れされた。
「アメリア、私のために気を遣ってくれてありがとう。でも私もう大丈夫だから」
ベアトリスは出来る限りのスマイルを見せた。
「あら、無理しちゃって。ほうら、あっちのお店に入ってみよう」
強引に手を引っ張られてベアトリスはつんのめりそうになっていた。
「これなんかかわいい。ねぇ、これを色違いで買って、私と一緒に着るってどうかしら」
アメリアはお揃いのTシャツを並べてベアトリスに見せる。自分ははブルーでベアトリスはピンクだと知らせている。それならばとベアトリスも大きく頷い た。
二人はショッピングセンターを一通り回り、そしてレストランへと場所を移す。
アメリアは料理を作るのも上手いが、味を良くわかってるので美味しい店も良く知っている。
だが、折角お薦めのレストランがあると張り切って出向いたが、休みだと知り、がっかりと肩を落とした。
ベアトリスは自分のために必死になってくれるアメリアを見ると心苦しくなり、ぱっと目に入ったものを指差した。
「あっ、あそこなんかどう。なんか楽しそう」
ベアトリスが指差したのは道路を挟んだ反対側の通りにあった。
どこでも見かけるチェーン店のレストランだった。
気軽に入れそうな雰囲気があり、駐車場にも車が沢山停まっていた。
たまにはこういうところもいいかと、何も考えずアメリアは車を向けた。
辺りは夕暮れで、薄暗くなっている。二人は車を置いて駐車場に止めてあった車の間をすり抜けてレストランの正面玄関へ向かった。
ベアトリスはそのとき、異変を感知し、自分にまとわりつく異様な空気を感じた。しかしその時は気のせいと決め付け真剣に受け止めなかった。
お腹も空いてこの時は食べることに気を取られていた。
レストランに入ると、カウボーイハットを被った女性が、案内してくれた。西部劇を思わせるような造りに充分楽しさが伝わってくる。
席に案内され、メニューを見る。ベアトリスはアメリアとあれこれ話し合い、周りが何を食べてるのかをちらりと横見してそれぞれ欲しいものを注文した。
出てきたとき、量の多さにびっくりしたが、見ても満足、食べても満足とそれなりに楽しい食事となった。
また今回もすっかり食べたと、ベアトリスはお皿を見て苦笑いしていた。
「アメリア、私、ちょっとトイレ行ってくる」
ベアトリスが席を外す。その間にアメリアは支払いを済ませていた。
そして窓の外を不意に見たとき、自分の車の周辺に、フードで頭をすっぽり隠した男が臭いをかぐようにうろついているのに気がついた。
アメリアの鼓動が突然高鳴る。
携帯電話を取り出し、緊急事態の時の番号を探す。
しかし焦って上手くボタン操作が出来ない。
そして再び窓をみれば、あの男がレストランの正面玄関めがけて近づいてきていた。
耳鳴りのようなキーンという不快な音が突然聞こえ、まるで危険を知らせる警告のようだった。
恐怖心と共に脂汗がじわっと出てきて焦りが生じた。
アメリアはやっとの思いで番号を探し出し電話した。その時、レストランの奥からベアトリスが姿を現し、笑ってアメリアの方へやってくる。
「まずい。今ベアトリスがここにきては危ない」
携帯電話は呼び出し音を鳴らすが、まだ相手に繋がらないまま、アメリアは咄嗟にレストランの外に出た。
「やだ、アメリアったら私を置いて先に言っちゃう訳? もう……」
ベアトリスが慌てて追いかけようとしたら、テーブルとテーブルの間の通路でちょうどトレイをもったウエイトレスとぶつかって、水の入ったグラスがぐらつき、倒れそうになった。
「あっ、ごめんなさい」
ベアトリスは慌てて、なんとかしようとすると、その時誰かが悲鳴をあげた。
そして辺りは恐怖で凍りついた。悲鳴をあげた女性が窓を指差している。レストランにいた者全てが一点を見つめだした。
ベアトリスもそこに視線を合わせたとき、大きく目を見開いた。
「アメリア!」
アメリアが苦しそうな表情をみせ、男に首を掴まれて持ち上げられていた──。
ヴィンセントは居間のソファーに浅く座り、父親の帰りを待っていた。
叱られる覚悟と、そして殴られる覚悟をして、目を瞑って動かずじっとしている。
ベアトリスを守る、自分なら守れると言い切ったが、すぐに爆発し、関係のないものを傷つけるようでは偉そうに言えた義理はないとつくづく反省する。
もう過ちは繰り返したくないと、父親にこてんぱんに肝に銘じてもらうつもりでいた。
ヴィンセントなりに反省し、男らしくけじめをつけたかった。
これもベアトリスを守りたい、愛するがゆえにひ弱な自分を捨てたい一心であった。
しかしそう思うことも子供じみて甘ったるく弥縫策に過ぎない。
まだこの時点では謝ることを軽く疎んじている。
「それにしても、遅い!」
叱られることを待ち望むのも変な気がしたが、この気持ちのままでは落ち着かず、決めたことはさっさと方をつけたかった。
待つことに痺れを切らし、足がカタカタと揺れ出した。頭を掻きながら、イライラしてきだしたが、これがいけないと、また無心になりじっとする。
リチャードの車が家のドライブウェイに停まった気配がしたとき、いよいよかと、ヴィンセントは立ち上がり、背筋を延ばした。
そして玄関のドアを凝視していた。
ドアが開いて、リチャードが入ってきた。ヴィンセントが視線を合わせた瞬間、電光石火のごとく飛んできた拳で後ろにぶっ倒れていた。
リチャードは空が裂けるくらいの怒りを体に溜めて、鬼そのものになっていた。
ヴィンセントもそれくらいは想像できたが、それ以上のことは情けないながら考えてなかった。
殴られることを覚悟していても更に窮地に追い詰められる。リチャードの言葉で甘かったと心の底から自分の情けなさを痛感してしまった。
「お前はもうここから出て行け。どこか遠くで一人で生活しろ。ここへ戻ることもベアトリスに会うことも許さない」
許されるはずはないと思ったが、謝る隙も与えられず、リチャードの言葉の重みを真摯に受け止めた。
反省してるとはいえ、リチャードの条件は素直に受け入れられないでいた。
自分がやってきた数々の行動を今一度恥じる。
そしてプライドも捨て、恥をさらけ出しよつんばになって土下座するような形で必死に慈悲を求める。
「親父、聞いてくれ、俺が悪いのは百も承知だ。だがもう一度だけチャンスをくれ。俺、心入れなおす。二度とこんなことはしないと誓う。親父にも逆らわない。だからだから…… 」
ヴィンセントの声は震え、腹の底から救いを求める。
リチャードは暫く黙り込み、殴り足らない拳を無理に引っこめて、ヴィンセントを冷静に見つめようとしていた。
息子が素直に謝るのは初めてのことであり、また必死に自分にすがりつく態度も見た事はなかった。
ヴィンセントはもう一度真剣な眼差しでリチャードに訴える。
その瞳の色は真実を映し出す鏡のように曇りは一切なかった。
「親父、すまない。俺本当に反省してるんだ。今日…… 」
大事なことを伝えなければならなかったが、ヴィンセントの話の腰を折るように携帯電話の呼び出し音がリチャードの背広の内ポケットから聞こえてきた。
リチャードはまだ冷静に人と話せる気分ではなかった。暫く呼び出し音が部屋に響く。その間ヴィンセントは何も話せなくなった。
「親父、先にその電話取ってくれないか。それじゃないと落ち着いて話せない」
リチャードは大きく息を吐いて、電話を懐から取り出した。そして掛かってきた番号をディスプレイで見るなり血の気が引き、すぐに通話ボタンを押した。
「ハロー、リチャードだ。ハロー」
相手からの声が聞こえない。だが音がする。もだえて苦しんでいる声にならない悲鳴。
リチャードは我慢できずに叫ぶ。
「どうした、アメリア。何が起こってるんだ。アメリア、一体何が」
リチャードが呼びかけた名前に、ヴィンセントもただ事ではないと反応する。リチャードは何度も声を上げてアメリアの名前を呼んでいた。
楽しい食事の場所から一人の悲鳴で、異様な雰囲気に包み込まれ、誰もが一瞬にして恐怖を植えつけられた。
ベアトリスはアメリアを助けようとドアを目指して走り出す。
それよりも前に店から飛び出した何人かの男性も、アメリアを救おうとすでに立ち向かっていた。
フードをすっぽりと頭から被ったずんぐりむっくりの男は、不愉快そうにブツブツと呟く。
「お前、ほんとのホワイトライト違う。紛らわしい奴」
アメリアから手を放ち、アメリアはどさっと地面に崩れるように倒れこみピクリとも動かない。
通報を受けた警察がサイレンを轟かせて近づいてきたが、そいつは慌てることもなく、アメリアを救おうと店から出てきた男達にゆっくり近づき、猫が威嚇をするような音を立てて脅した。
怖がって後ろに後ずさる様子が面白いのか、その後、腹を抱えて笑っていた。
そのまま何もせずまた駐車場の停めてある車をすり抜けて去っていく。
そして一瞬にして姿を消した。
アメリアの様子を心配して何人か囲んでいた中に、ベアトリスが店から飛び出し走りこんで割り込んだ。
何度もアメリアの名前を呼び、半狂乱になっていた。
誰かが側に落ちていた携帯電話に気づき、通話が繋がってるとベアトリスの前に差し出した。ベアトリスは恐る恐る耳にあてる。
「アメリア、どうしたんだ、一体何が起こってるんだ」
携帯電話から男の声が聞こえる。電話の相手はリチャードだった。
だがベアトリスには誰だかすぐにはわからない。でも救いを求めるように話し出した。
「アメリアが襲われたの。この電話を掛けてるときに」
警察と救急車のサイレンも聞こえてくる。その音にリチャードは強く反応した。
「ベアトリス、君は大丈夫なのか。今どこにいるんだ」
「あなたは、誰なの?」
自分の名前を呼ばれたことでベアトリスは非常に驚いた。
困惑しているベアトリスに、リチャードは自分のことを話していいものかと躊躇した。
しかし側で聞いていたヴィンセントが電話の向こうにベアトリスがいると知ると黙っていられなかった。リチャードの電話を奪い取ってしまった。
「ベアトリス、どこにいるんだ。大丈夫なのか」
「ヴィンセント、よせ、邪魔するな」
電話の向こうでヴィンセントの声が聞こえる。ベアトリスは益々訳がわからなくなってきた。
「ヴィンセントなの? どうして…… 」
いつの間にか辺りは騒然と人で囲まれ、警察が慌しく動いている。アメリアもタンカに乗せられ、これから救急車で運ばれるところだった。ベアトリスも一緒に同行しろと指図されている。
「あの、これから病院に向かうところで…… その」
「わかった、また後で連絡する」
リチャードが慌てて電話を切った。
ベアトリスは電話のことも気になるが、酸素マスクをつけられているアメリアの姿にもっと動揺して、この時は思考回路が遮断されたかのように頭の中が真っ白になっていた。
「ヴィンセント、どうしてお前は事をややこしくするんだ」
リチャードが苛立ちと落ち着かなさで取り乱し、どうしたものかと顔を歪ませて自分の職場に電話を掛けていた。
「違うんだ親父、聞いてくれ。今日コールを見たんだ」
リチャードはヴィンセントの言葉に一瞬で動きが止まった。
全ての怒りが吹っ飛び、手に持っていた携帯電話が繋がっていることに暫く気がつかないほど動揺していた。
「親父? 親父?」
ヴィンセントの呼び声ではっとすると、電話を耳にあて話し出した。アメリアに関する事件について何か情報が入ってないか確認を取っていた。
相手が調べているのかリチャードはしばらく待たされる。ヴィンセントは独り言のようにこの沈黙の中呟いた。
「俺が先日余計なことしてしまったばっかりにコールがホワイトライトの気配を感じてここに現れやがった。まさかそれが関係していてアメリアが巻き込まれたんじゃ」
その時また通話が繋がったのかリチャードは相槌を打って会話を始めていた。
「そっか、わかった。ありがとう」
リチャードが電話を切り、困った表情をしている。ヴィンセントは催促するような目でリチャードを見つめていた。何も話さない事に痺れを切らす。
「親父、どうなってるんだよ。俺にも教えてくれ」
ヴィンセントを静かに見つめ返し、懸念した顔で話し出した。
「大通りに面したレストランの前で女性が一人襲われた情報が入っていた。アメリアが電話を掛けてきた時間とちょうど一致する」
その後少し黙ってしまった。ヴィンセントは早く言えといわんばかりに苛立っていた。
「それでどうなったんだよ」
「それが、目撃証言から犯人は目の前で消えたとあった」
「それって、ダークライトってことなのか」
「アメリアが襲われた時点でそう考えれば筋が通る」
「ベアトリスはベアトリスは…… 」
「落ち着けヴィンセント。彼女は大丈夫だ。彼女が電話に出たときはもう犯人は消えていたと考えられる。もし見つかっていたら、彼女は連れ去られていたはず だ。私の憶測だが、アメリアは危険を察知して、助けが欲しくてすぐに私に電話をした。そしてベアトリスからその犯人を遠ざけるために咄嗟に自分が囮になっ たんだろう。彼女にはホワイトライトの血が混じってる。だから犯人のホワイトライトに反応する五感を撹乱できると思った。そして完全なホワイトライトでは なかったために犯人も諦めて去っていったって訳だ」
「そっか、アメリアはホワイトライトとノンライトの血が混ざっている。あの水を飲むことである程度の力を得られるが、ホワイトライトのように完璧じゃないってことか」
「ヴィンセント、さっきコールを見たと言ったな」
「ああ、偶然町で出会った。俺を仲間に入れようと誘ってきた。もちろん断ったぜ。でも奴はこの町にホワイトライトがいると睨んでやがる」
「そっか…… アメリアを襲ったのはコールではないのは判るが、奴が一枚噛んでる疑念は拭えない。いや、これから噛んでくるのかもしれない。嫌な予感がする」
「親父、すまない。全ては俺が自分で蒔いた種だ。俺、俺…… 」
ヴィンセントは歯をギシギシと食いしばる。悔やんでも悔やみきれないと体を震わせていた。
「私に謝って済む問題ではない。お前はとにかくベアトリスには一切近づくな。それが今出来る最善の策だ。わかったな」
ヴィンセントは深甚なる反省を込め、目をぎゅっと瞑って素直に首を縦に振った。それはベアトリスへの思いを断つと同じ意味を持っていた。
リチャードはアメリアの無事を確認するために詳しい情報を得ようとまた署へと戻る。
ヴィンセントは何も出来ず、一人ポツンと居間に取り残され呆然と立ちすくんでいた。
体は闇に蝕まれたように、光を二度と得る事のできない世界に落ちた気分だった。
自分で引っ掻いた胸の傷がこの時になってズキズキと痛み出し、 胸を押さえガクッと崩れて床にうずくまる。
リチャードに叱られて殴られるよりも一番堪えていた。
病院の部屋は完全個室でバスルームが完備されている。ホテルの部屋にも見えるが、違うのはベッドには緊急用にすぐにでも運び出せる車輪がつき、ボタン一つで好みの位置にリクライニングできることだった。
そしてそこには青い顔をしたアメリアが横たわっている。部屋がどんなに快適でも病人の症状が悪ければ居心地悪い空間に他ならない。そのベッドの側でベアトリスは椅子に腰掛けて涙目になっていた。
一通りの検査を受け、命の別状はないと知らされたが、首を強く締められたためにダメージを受け暫く動かせない。アメリアの首には固定するギプスが痛々しくはめられていた。
「なぜこんなことに。どうして」
ベアトリスは何もかも自分のせいだと責めていた。我慢できずアメリアのベッドに顔を伏せて泣いてしまう。
ふと、頭を優しく撫でられ、ベアトリスははっとして顔を上げた。
アメリアが一生懸命笑顔を作って、心配するなと知らせていた。
ベアトリスの目から溢れる沢山の涙は、心配、悲しみ、そして意識が戻った喜び、全てを表していた。
「ベアトリス、心配かけてごめんね。私は大丈夫だから安心して」
メガネをかけていないアメリアの表情は普段の厳しさまではずしていた。
自分のことより、ベアトリスが無事だったという喜びが表情に出ている。
「アメリア、ごめんなさい。私が現をぬかして、一人で騒いだばっかりに、こんなことになってしまって」
「何を言ってるの。それは違う。あなたはすぐになんでも自分のせいだと思ってしまう。それは悪い癖よ。ほんとに悪いのはこの私……」
アメリアは遠い目で語っていた。ベアトリスの知らないことを心の奥で悔やんでいる。
ベアトリスには真実を知る由もなく、ひたすらそうじゃないと首を横に振っていた。
「アメリア、まだショックが大きくて不安定になってるのね。とにかく今は休んで。私、側にずっとついてるから」
まだ自由に首を動かせずどうすることもできないアメリアは、ベアトリスの言われるままに目を閉じる。
素直に言うことをきくアメリアにベアトリスは少しほっとした。
病室の壁際には小さなソファーが設置されていた。ブランケットも用意されており、ベアトリスが丸まればなんとか横になって眠れそうだった。この夜はベアトリスもそこで一休みすることにした。
病室に朝の光が入り込んだ頃、コンコンとノックする音が聞こえた。
スキンヘッドの医者と少し太った看護師が、入ってきてはアメリアの体のチェックをしだした。
ベアトリスはむ緊張してさっと立ち上がると、医者が「おはよう」と声を掛けてくれた。
一通り容態を確認すると、何も問題はないと言い切った。
当分の安静は必要だが、昼には家に帰っていいと許可もでて、ベアトリスはほっと肩の力が抜けたのを感じた。
学校も前日の騒ぎで休みなこともあり、しばらく付きっ切りで側についてあげられることもちょうどよかった。
看護師はベアトリスに書類を渡し、受付で手続きをとることを指示した。
アメリアはごめんねと謝るが、アメリアのために自分が何かできることの方が嬉しかったくらいだった。
心配はいらないとにこやかな笑顔で、ベアトリスは看護師と一緒に受付へと向かった。
医者は二人が部屋から出て行くのを最後まで確認し、アメリアと二人っきりになるとそれを待ってたかのように話し出した。
「あなたには、ホワイトライトの光が少し見えるのですが、怪我をしたのはダークライトのせいではないですか」
アメリアは驚きもせずに冷静に答えた。
「ええそうです。やはりあなたはディムライトでしたか。そうじゃないかと思ってました」
「あの一緒にいた女の子もホワイトライトですか? 光は見えないのですが、何かを被せてさえぎっているような感じがしました」
「いえ、あの子は関係ありません」
アメリアは咄嗟に嘘をついた。
「そうですか。それならいいんですが、ここ二、三日でダークライトの動きが活発になってきてるように思うのです。なんていうのでしょうか、不自然な事故に巻き込まれた患者が増えたというのか、あきらかにバックにダークライトの存在を私は感じてしまうんです。もしかしてホワイトライトを探しているのかもしれません。あいつらが活発に動くのはいつもそういうときですから…… 私の気にしすぎだといわれればそこまでかもしれませんが」
ちょうどそこにノックの音が聞こえ、医者が入るのを許可したとたん、入ってきた人物に怯えた。
適当に挨拶をすまし、その医者は他に仕事があるからとそそくさと出て行ってしまった。
「おっと、今のはディムライトだったんだね。私が来たことで脅かしてしまったようだが」
「リチャード、別にお見舞いなんてよかったのに。もしかして今回の事件の担当はあなたなの? それで事情聴取?」
突然現れたリチャードに、アメリアは少しつんとした態度を取った。
「違うんだ、昨晩、君がくれた電話なんだが、ちょうど君に事件が起こってるとき繋がっていたんだね。すまなかったすぐに応対しなくて。それでベアトリスが、その後その電話を取って、それがその、ヴィンセントが側で口を挟んで、その…… 事態はややこしく……」
はっきり話しなさいと、アメリアはいらっとして単刀直入に変わりに言ってやった。
「つまり、私があなたに助けを求めたばっかりに、ベアトリスに私とあなたが繋がってるってバレちゃったってことね」
「そっ、そうなんだ。どう説明したものか。だが、今はそんなことよりも、まず君やベアトリスが無事でよかった」
「ベアトリスにはなんとか誤魔化せるとして、問題はダークライト。私を襲ったのは何かを嗅ぎ付けたダークライトだった。さっきの医者も言ってたけど、ここ二、三日で急に動きが活発になってきた気配を感じたらしいわ。ちょうどベアトリスの力が解放された時期と重なる。油断してたわ。そういう情報はそっちには入ってないの?」
「実は、アイツがこの町に戻ってきた。ヴィンセントが昨日会ったそうだ。その時はっきりとホワイトライトの存在を感知したと言ったらしい」
アメリアの顔が露骨に歪んだ。
「そんな、コールは5年前に姿を消したと聞いて、そしてあなたの側に居れば安全だと思ってこの土地を選んだのに」
「すまない。息子が馬鹿なことをしたばっかりに」
「ヴィンセント…… 彼もほんとはかわいそうよね。自分がダークライトであるが故に苦しみを背負っている。あなた達親子は信頼できるとわかっているけど、 ベアトリスを守るためにはダークライトは近づけさせられない」
「それは判っている。息子も今はわきまえてる。もう近づくことはない。そしてコールは私が始末をつける」
「そう…… 信用していいのね」
「ああ、あの時と同じように」
二人の重苦しい会話は一言で片付けられない問題が複雑に絡み合う。アメリアとリチャードだけが知る事情──。ベアトリスには決して知られてはいけない真実だった。
「それじゃ私は失礼する。ベアトリスもいつ戻ってくるか判らないし、この後、事情聴取に誰かがやってくるだろう。その前に姿を消すとしよう。何かわかったらまた連絡をするよ」
リチャードは病室を去っていった。
アメリアはぼんやりと天井を見ていた。リチャードにはいくつも借りがありながらそれを返すこともなく、例えアメリアが弱みを握られている立場であっても決してリチャードはそれを押し出さない。ダークライトでありながら、紳士的で誰よりも礼儀正しい。
アメリアにはそれが滑稽に思えた。高貴な種族にこだわる者達の方がよほど程度が低いと感じていた。
ベアトリスは書類とにらめっこしながら、受付で説明を受けていた。
何もかもアメリア任せにしていたことが、自分が全てをやらなければならない。責任をひしひしと感じて奮闘していた。
といっても、いきなり慣れないことをするのは大変だった。保険のこと、お金のこと、この辺はアメリアに聞かないとわからない。やはり一人で自立するには まだまだだと、早くも自信喪失気味になっていた。
出来る限りのことをして、残りは後ほど片付けることになり、とにかく終わったと病院のロビーのソファーに腰掛けて息抜きした。
息をついたのもつかの間、目の前で人が不自然に立ち止まった。
下から上へと徐々に視線をずらすと、薄いブルーのジーンズを穿き、白いポロシャツを着た髪の短い男性が大輪の花のような笑顔を咲かせて立っていた。
ベアトリスがあっけに取られて疑問符をアンテナのように頭に立てていると、その男性はいきなり目をうるわせて抱きつこうと近づいた。
「ベアトリス! 会いたかった」
ベアトリスはさっと横に滑るように立ち上がって逃げた。
「ちょっと、待って、あなた誰?」
「僕だよ、忘れたのかい。婚約者のパトリックだよ」
「へっ? パトリック? 嘘!」
いくつもあるベアトリスの記憶の引き出しの中で、パトリックの記憶は一番開かない引き出しにはいってるのか、すぐには彼だと理解しがたい。
戸惑ってる隙を狙われて、パトリックがぎゅっと抱きしめてきた。
「くっ、苦しい。離して。でも、どうしてここにあなたがいるの」
ベアトリスは必死で突き飛ばした。
「ひどいな、久しぶりに会ったのにこの仕打ちは」
パトリックはがっかりと肩を落とし、顔に暗雲が立ちこめたように落ち込んだ。
その落ち込み方は周りの見るものには何が起こってるのかと注目を集めるほどだった。
ベアトリスは辺りを見回して気にしている。目立つのはごめんだと咄嗟に待合室のソファに腰掛ける。
「パトリック、とにかく落ち着いて。あのね、私も色々あって、その、訳がわからないの。お願い私に考える時間をちょうだい。まずはここに座って整理しましょう」
隣の席をとんとんと叩いた。パトリックは素直に言うことを聞く。しかしベアトリスは何を話していいのかわからない。二人ともモジモジするが、暫くお互いをじっと見詰め合った。
ベアトリスは子供の頃のパトリックの姿を思い出していた。
活発でリーダータイプだったが、がさつで大胆なことをいつもしていた。
覚えていることは近所に住み、高いところにすぐに上っては飛び降りたり、大きなカエルを捕まえてはベアトリスに見せて怖がらせたり、逃げれば何かと追いかけてきたことだった。
パトリックの両親もベアトリスとパトリックが仲良くするのはあまり好ましく思っていなかった。
しかしある日を境に、急に優しくなり、自分の親たちと意気投合してそこから深い付き合いが始まった。その時、すでにパトリックと結婚の約束を親同士がしていたのだろうとベアトリスはこの時になって思う。
父親は金持ちになるとか、騒いでいたことも思い出した。パトリックといえばあの町では大金持ちの一人息子で結婚すれば玉の輿だった。
思い出せば思い出すほど、やっぱり良くわからないとベアトリスは困った顔になった。
「いつか会えると信じてずっと君のこと探してたんだ。こうやって会えて嬉しい」
「あの、パトリック、また会えて嬉しいことは嬉しいけど、でも、婚約者とかはなかったことにならない? どうせ親が決めただけで無理に従わなくても」
パトリックはまた落ち込んだ。
「僕はずっと君に気持ちを伝えてたの知ってるだろう。これだけ愛してるんだって高いところから飛び降りて勇気を見せたり、僕の大切な宝物のカエルを君にプレゼントしたり、ずっと君だけを愛し続けると君の後ろをついて回った。伝わってるって思ってた。親が決めたとかじゃなくても僕達は運命の糸で結ばれてるって思ってた」
「えっ! あれは嫌がらせじゃなかったの?」
ベアトリスは真実に仰天した。そこまで自分のことを思ってくれてたとは驚きに値する。
「あの、その気持ちは嬉しいけど、ほら私もあの時と比べたら随分変わってしまって、まず太っちゃったし、パトリックが抱いている記憶と比べたら全然違うよ」
「多少のことはお互い変わったとは思う。でも本質的な中身は変わってない。第一、僕は君をテレビで見かけてすぐにベアトリスだってわかったんだ。君が太ってようが髪の色が違ってようが、僕には関係なかった」
ベアトリスは改めて太ってるといわれて顔が引き攣りそうだったが、それよりもテレビでみたという言葉が気になった。
「テレビて私を見たってどういうこと?」
「君の学校が竜巻で被害にあったニュースが流れただろ。たまたまそれをみてたら、ちらっと君が映ったんだよ。だからすぐに飛んできた。そしたらまた偶然、アメリアの事件のことが耳に入って警察に問い合わせたら、今病院にいるって聞いて、ここを探し当てたというわけ。君は大丈夫そうだから安心したけど、アメリアの具合はどうなんだい」
ベアトリスはパトリックの行動力にあっけにとられる。
どこをどうやってそんな情報を見つけるのか、FBI並みの行動に圧倒された。
「首を怪我したけど、命には別状はないから大丈夫。でもショックは大きいと思う。だって通り魔に襲われたんだもの。私もほんとに怖かったわ」
通り魔という言葉にパトリックは反応した。それがどういうものか判っていた。普通じゃない犯人の行動。だからこそすぐにダークライトと結びつき、大体の見当がついた訳だった。
「そっか、でももう大丈夫だよ。僕が側にいる。これからもずっとベアトリスの側にいる。あっ、その前に結婚だね」
「ちょっと待ってよ。パトリックは私より一年上だけど、まだ同じ高校生でしょ。結婚なんて早すぎるし、もっとやるべきことだってあるでしょう」
「心配はいらないよ。君と離れ離れになってから僕は一生懸命勉強した。そしてもう大学も卒業して、今は社会人としてそこそこのお金も稼いでいる。充分君を養っていけるよ」
ベアトリスは絶句した。何も言葉が出てこない。
「そんな驚くことないよ。飛び級なんて珍しくないし」
ベアトリスはパトリックがどれだけ飛び級して何歳で大学入ったのか考えていた。
やっぱりありえない。この人一体何者?
ベアトリスがあっけにとられているときも、パトリックは嬉しそうに笑っている。長いこと会ってなくとも、その笑顔は昔に見た子供の頃のあどけなさが確かに残っていた。
真っ直ぐな性格で、何事にも一生懸命の眼差しはどこか懐かしい気持ちにさせてくれた。
くすっとベアトリスが笑った。
「やっぱりパトリックだ。その笑顔は小さい頃のままだね」
「僕はあのときから何も変わってないよ。ずっとずっと君の事思ってた。無理やり連れて行かれたあの日から」
ベアトリスの脳裏にパトリックが手を差し伸べて必死に叫んでいた姿がよぎった。
パトリックの手を見れば、あのときよりも逞しく、筋肉がついて男らしくなっていた。一歳年上なだけなのにベアトリスよりも幾分も大人に見える。
それに比べて自分は何も成長してないとベアトリスは急に恥ずかしくなってしまった。
パトリックはベアトリスの手をそっと握った。子供のときは小さすぎて自分の思うように行かなかった無念をこの時晴らすように伝えた。
「ベアトリス、好きだ。もう離さない」
真剣な瞳。パトリックの気持ちがストレートに伝わってくる。それが自分に向けられてると思うとベアトリスは落ちつかなくなった。ベアトリスの心はパトリックの気持ちを受け入れられない。
「ごめんなさい、パトリック。正直あなたのこと忘れてたし、それに子供の頃仲良かったかもしれないけど、今の私はあの時とは違う。だから……」
全てを言い終わる前にパトリックが突然笑い出し、ベアトリスはきょとんとしてしまう。
「ハハハハハ、最初から君が素直に受け入れるなんて思ってなかったよ。連絡も取れずこんなに会ってなかったんだ無理もない。だけど今から君は僕のこと真剣に考えることができるだろ。昔の僕よりも、今の僕の姿を見て欲しい。僕は君に似合う男だということを証明するよ。そして君は必ず僕を好きになる」
暗示をかけるくらいの強気の台詞にベアトリスはどきっとしてしまった。
確かにパトリックは男らしく、大人の魅力が溢れている。
ダークな短髪がアウトドア系で活動的な印象を与えていた。
そして世間一般にいうカッコイイ要素も一杯含まれている。
普通の女性なら放っておけないのも理解できるが、ベアトリスには既に心を支配している思い人がいた。
例えそれが叶わぬ恋だとわかっていても、ベアトリスが恋焦がれるのは一人だけ──。
ベアトリスは息を漏らすようにふっと寂しく笑った。
「パトリック、私はもう誰も好きにならないの。早く他の人を見つけた方がいいよ」
「なんだそれは。最近失恋でもして、恋に怯えた発言だな。そんなの僕が変えてやる。僕は諦めないから。だってずっとずっと君を思って生きてきたんだ。それに第一僕達は婚約してるしね」
ベアトリスは頭を抱えた。親同士の口約束の婚約などということが、絶対的なものなのか疑問が湧いてくる。
「あのさ、親同士が勝手に決めただけで、その婚約は無効な気がするんだけど、何を根拠に婚約って言い切れるの」
パトリックは用意していたのか紙切れをベアトリスに見せた。それは正式な文面でパトリックとベアトリスの両親の署名まで入っている。
パトリックとベアトリスは将来結婚の約束を書類上の上で交わしたことになっていた。ベアトリスはそれを見て驚愕した。
「こんなの嘘よ。紙切れ一枚でどうして私はあなたと結婚しないといけないのよ」
「結婚自体、紙切れで証明書作るじゃないか。マリッジライセンスがそれだろ。神父の前で宣誓して署名を貰って初めて結婚となる。全ては書類作りからじゃないか」
「そんな、婚約証明書なんて聞いたことない」
「君はなくとも、これから結婚する二人の約束を目で見える形で作っただけのことさ。だから心配することないって。君は僕を好きになるから」
ベアトリスはこの時初めてパトリックとの婚約が正式なものだと知った。話には聞いていたが、これほどシリアスな状態だとは夢にも思わなかった。パトリックをまじまじと見る。
──これが未来の私の旦那様……
パトリックは白い歯を見せてウキウキと笑っている。
それとは対照的にベアトリスはくらくらしていた。
「やっぱり考えられない!」
ベアトリスは立ち上がって叫んだ。
ここが病院だということも忘れ、目立つのが嫌いだというのに派手にパフォーマンスしている。
はっと気がついたとき、恥ずかしさと自分の迷惑行為でいたたまれなくなった。しゅんとあっという間に萎んでヘナヘナとまたソファー座り込んだ。
隣でパトリックが複雑な表情をしながら、しぶしぶと婚約証明書となるものをジーンズのポケットにしまいこんだ。
「ベアトリス、僕にチャンスをくれないか。ずっと会えなかった時間を取り戻したい。まずはお互いを知ることから始めよう。僕もこんな紙切れ見せて悪 かった。これじゃ脅迫だよね。そんなことよりもベアトリスの気持ちが大切なのに」
パトリックは憂いを帯びた横顔をベアトリスに向け、前を見るが焦点を合わさず、反省している態度を取った。
その表情は見るものに罪悪感を植えつける。
いつまでも動かず、寂しい表情を見せつけ、沈黙という落ち着かない状況を演出していた。
ベアトリスは何か声をかけなくてはと義務感を押し付けられた気分になり、気まずい雰囲気を取り繕ろうとよくも考えずに適当に言葉を発してしまった。
「あっ、その、そうよね。まずはお互いを良く知って、その、それからよね…… 」
それを聞くや否や、パトリックの顔がさっと明るくなった。そう言い出すのを待ってたのかニカっと白い歯を見せた。
「そっか、僕にチャンスをくれるんだ。じゃあ僕たちは今から恋を育む恋人同士ってことでいいよね」
「えっ? そういう意味じゃなくて! ちょっと」
ベアトリスは強く抱きしめられ、白目をむくくらい驚きジタバタした。そのときパトリックは耳元で優しく囁いた。
「愛してる、ベアトリス」
耳元で愛を囁かれてベアトリスは意表をつかれ静止した。
抱きしめられた体はもっと強くパトリックの腕に締め付けられる。心臓だけがドキドキと激しく高鳴っていた。
ベアトリスはこの状況をどうしようか迷ってるときだった。パトリックがまた耳元で囁いた。
「ベアトリス、弾力があって気持ちいい」
迷わずパトリックを強く押しのけ、ベアトリスは立ち上がり無言でスタスタと歩いていった。
パトリックはクスクス笑いながら、後をついていく。
──どうせ私は太って弾力があるわよ。
気にしていることを言われつい自棄になってしまったが、パトリックには罪はない。
結局は自己嫌悪に陥り、深くため息が出てしまった。
そんな湿った顔のままではいけないと、アメリアの病室の前に来たとき、少し立ち止まった。
その時、ちょうどアメリアの部屋から出てきたスーツを着た男性二人組みとかち合った。
二人はベアトリスに気づくと、刑事の証であるバッジが入ったホルダーをさっと見せ、早速軽く質問を浴びせられた。
アメリアの事情聴取に来て、詳しいことを訊きたがったが、ベアトリスが答えられる範囲は限られていた。
すでに他の目撃証言と同じだとわかると、二人の刑事は軽く礼を言ってすぐに切り上げて去っていった。
刑事との話で、アメリアが首を絞められていたショッキングなシーンがフラッシュバックしてしまい、恐怖心が蘇ると共に、重苦しく憂鬱な気分が舞い戻ってくる。
それを読み取ったパトリックが優しくベアトリスの肩に手を置いた。
気を遣って自分を労っているパトリックの顔を見ると、心の重苦しい部分が少し軽くなる気がした。一人でいたらその重さに潰されて苦しかったかと思うと、突然現れたパトリックに少し感謝の気持ちが湧くようだった。
結局自然とパトリックを受け入れてしまい、アメリアの病室へと手招きしてしまった。
「アメリア、手続き終わったわ。とにかく帰る準備しようか」
「そうね、ここに居るより家にいた方がいいわ。タクシーを手配しましょう」
「それから、あのね…… 」
ベアトリスが躊躇いながらどう説明しようかいいにくそうにしていると、そんなことはお構いなしにアメリアの視界に入るようにパトリックはしゃしゃり出 た。
アメリアは目を細め、嫌悪感を露骨に見せる。
「お久しぶりです。といっても面識は殆どありませんが。アメリアのことはよく存じております」
「あなたはマコーミック家の息子ね。なぜここにいるの」
「はい。パトリックです。ベアトリスの婚約者の。やっと彼女を探しあてました。連絡もずっとくれずに酷いじゃないですか」
アメリアはため息をついた。
「あの婚約は無効よ。ベアトリスは誰のものでもないの」
アメリアがはっきりと言い切ったことに、ベアトリスは嬉しくなり、威張るように胸を張ってパトリックを見た。パトリックはそれにも動じないで余裕の微笑を返し反論する。
「僕が何も知らないとでも? あなたがあのとき何をしたか、他にも知ってる者がいると考えたことないんですか?」
パトリックは優しい笑顔を見せながら、それとはアンバランスなチクリとさすものの言い方をした。
「どういう意味?」
アメリアの表情が強張った。
「いえ、あなたが私に口を挟める義理じゃないと思いまして。それだけ言いたかったんです」
パトリックがアメリアの弱みを握っているような口ぶりにアメリアは黙り込んだ。
「ちょっと、二人して一体何を話してるの? さっぱりわからないわ」
ベアトリスが、二人のやりとりをピンポン試合の玉を追いかけるように見ていた。
「あなたに反対されようと、そんなことはどうでもいいんですけどね。僕は素直にベアトリスが好きなだけです。必ずベアトリスのいい夫になれるように頑張ります」
パトリックはガッツポーズを取り、その決意は背中の後ろから燃え滾る炎が見えてきそうだった。この男に何を言っても無駄だとベアトリ スは頭を抱えた。
アメリアは慎重にパトリックを見ていた。
優しそうで好青年風だが、計算したような相手を見透かす鋭い発言をする。かなり頭が切れるとアメリアはすぐに感じ取った。先ほどのパトリックの言葉にも半信半疑だがアメリアには心当たりがある。やっかいなものが来たとイライラが募った。
「それじゃ、僕がお二人を家へお連れしましょう。僕はちょうどいいときに現れたって感じですね」
パトリックはベアトリスに同意を求めるように笑顔を見せた。
「いいえ、結構よ。あなたの世話にはならない」
冷たくアメリアが断る。
「それじゃ誰の世話なら受け入れるんですか。あの男の助けだったら素直に受け入れるというのですか。先ほど病院から出て行くのみましたけどね。そう言えばあの時も居ましたね、あなたの側に」
アメリアは目をそらす。半信半疑だと思っていたことが確信に変わった。
──この子はあのときのことを知ってる。リチャードのことも。だから私を試している。私の弱みを握ってるといいたいのね。
アメリアはこの脅しで完全に出鼻をくじかれた。
様子を見ようと大人しくすると、パトリックはすぐに空気を読んだ。
「ごめんなさい。僕はそういうつもりで言ったんじゃないんです。僕もベアトリスやあなたと係わりがあるということを判って貰いたかった。それだけです」
ベアトリスは二人の会話についていけず、不満げな顔をしてると、パトリックが優しく肩を抱き寄せた。
「だってアメリアはベアトリスの大切な家族だろう。そしたら僕にとっても家族同然。お世話するのが僕の義務。ねぇ、ベアトリス」
ごまかされたような、筋が通ってるような、やっぱり訳のわからないような、パトリックの言葉と行動に、ベアトリスは自分の理解力に問題があるのかさえ思ってし まう。
さっぱり訳がわからないが、パトリックとアメリアの間には何かあるというのだけは感じていた。
「わかったわ。あなたの親切を有難く受けるわ。ただし、あなたをベアトリスの婚約者だと認めた訳ではないから」
アメリアが素直に聞き入れる。この状態では何もできないとパトリックの出方を少し見て、それからどうするか考えるつもりでいた。
「ええ、今はそれでいいです。いつかきっと僕のよさがあなたにもわかってもらえるときが来るでしょう」
自信たっぷりにパトリックは答えた。
話の内容についていけなかったが、厳しく容赦しないアメリアの気持ちをあっさりと変えてしまったパトリックに、ベアトリスは驚いた。
パトリックを見つめれば素直に嬉しいと喜んでいる。
ミステリアスな部分もあるがベアトリスはこの笑顔が憎めなかった。寧ろ好感をもち、心強いとさえ思っていた。特にこんなにいろんなことが沢山一度に起こってはベアトリスも誰かに甘えてみたいという気持ちが芽生える。
懐かしい幼なじみのよしみもありパトリックに肩を抱き寄せられて嫌じゃないと思える自分がいた。
パトリックの車は薄っすらと水色のメタリックがかったSUV車で、乗り心地は良く、アメリアは後部座席で動かず目を閉じてじっとしていた。
ベアトリスが案内人役になり道を知らせると、パトリックは楽しそうに運転し、退屈させないようにとラジオのDJのように話をしていた。
物事を良く知り、また饒舌なこともあり、ベアトリスはパトリックの話に魅了されていた。
長い間会っていなくとも、小さい頃一緒に過ごしたこの幼馴染は、なんの違和感もなくすっと溶け込んでしまった。
あまりにも当たり前すぎて、ベアトリスはパトリックのペースに乗せられてることも気がつかないほどだった。
家に着くとパトリックはアメリアを支えベッドまで運んだ。
ベアトリスがやるよりも遥かにスムーズに事を運んでいく。
アメリアをベッドに座らせ、ふっと一息をついてパトリックは辺りを見回した。タンスの上の花瓶のようなものに目が止まる。
それは水泡が幾つも入り込んで いる分厚いグラスのようなもので作られ、青緑色をしていた。大きさは両手で持たないと持ち上げられないサイズで、形はオーソドックスに首の辺りにくびれがあり、下に行くとふくらみを持つ壷だったが、そのくびれの部分には真珠のよ うな丸いものが数個飾られて光沢を帯びた光を発していた。
中途半端に水が三分の一程度入っているのも見逃さなかった。
アメリアはそれを見られるのが嫌なのか、喉を鳴らすように、一度咳払いをした。
「とにかくありがとう。今から着替えるから席を外して貰えない」
パトリックはすぐに察しがついて、部屋の外に出て行った。
「アメリア、着替え手伝おうか」
ベアトリスの言葉にアメリアは首を横に振ろうとすると、痛いとばかり体を硬直させた。ベアトリスは笑ってしまった。
「もう、意地張らないの。私だって役に立つことあるんだから。でもパトリックが居てくれたお陰で私すごく助かっちゃった。あの人まだよくつかめないけど、 悪い人 じゃなさそう。あっ、だからといって婚約者だなんて私も認めたわけじゃないからね」
ベアトリスはアメリアの着替えを手伝いながら言った。アメリアは静かに聞いていた。
「ねぇ、アメリア、パトリックと昔なんかあったの?パトリックはアメリアのこと何か知ってそうだったけど…… 」
「何でもないわ」
アメリアはそっけなく答える。それに対してベアトリスはまたかと不満を募らせる。
「でもさ、いつも私の知らないこと一杯ありすぎて、最近周りだけがぐるぐる動いてるように感じるの。それにアメリアが事件に巻き込まれてるとき、 電話に出てた人もそう。あのときヴィンセントの声も聞こえた。もしかしてあれはヴィンセントのお父さんなの? だけどなぜあのときあの人と電話なんかしてたの? アメリアとどういう関係?」
この質問をされることはアメリアには想定内だった。どうすべきかも分かっていた。
「ああ、あれは偶然で、仕事関係の話だったの。時々警察が事情を知りたがったりするの。事件性があるものは特にね。ヴィンセントの父親とは知らなかったわ」
アメリアは平気で嘘をつく。
「そっか、アメリアは弁護士だもんね。それにヴィンセントのお父さんは刑事さんって私も最近知ったとこ。そっか警察が絡んでくることもあるんだ。でもすごい偶然だね。まさかヴィンセントのお父さんだったなんて…… 」
ベアトリスはあっさりと誤魔化されてしまった。
疑うことももっと掘り下げて真実を知ろうとしないこともアメリアには都合がよかったが、嘘で塗り固められたものが剥がれ落ち、そして真実だけが残ったその時のことを考えると恐ろしくなる。
──いつかは剥がれる。その時私は……
アメリアはいつも心の中の恐れに潰されそうだった。打ち勝つためには表面から厳しくならざるを得なかった。
ヴィンセントという名前を呟くのが辛いのか、いつの間にかベアトリスの表情が暗くなっていた。
アメリアがどう声を掛けようか迷っていたとき、いい香りが漂ってきた。二人して顔を見合わせる。
「あれ? なんかいい匂い」
ベアトリスは様子を見に匂いのする方向へ足を運ぶと、キッチンでパトリックが鼻歌を交えて料理をしていた。
「ちょっと、パトリック何してるの?」
「ん? お昼ごはん作ってるの。お腹空いてるだろ」
パトリックはフライパンを一振りして器用に中身をひっくり返している。テキパキと料理をする姿にベアトリスは暫し唖然としていた。
「ぼーっと見てないで、お皿とってよ」
パトリックに指示されて、ベアトリスは慌てて、戸棚からお皿を出す。まだ言葉が出てこない。
「あっ、もしかして僕に見とれてる? エヘヘ、いい夫になれそうだろう」
パトリックの無邪気に笑う笑顔にベアトリスは圧倒される。そして確かに自分よりは料理が上手いのは一目瞭然だった。そう思うと少し悔しくなった。
「ちょっと、人んちで勝手に料理しないでよ」
「いいって、いいって、そんなに僕に気を遣うことないんだから」
「どこが気を遣ってるっていうのよ。呆れてるんでしょ」
そうしている間にもさっさと料理していた。パトリックに何を言ってもことごとくいいように解釈されてペースに飲み込まれてしまう。これほどの強引さはどこから出てくるのだろうとまじまじ見つめるが、またそれがパトリックの思う壺だった。
「あっ、僕に惚れた?」
もう返す言葉もでず、すきにすればいいとあきれ返ってしまった。
パトリックはそんな事もお構いなく、思うままに陽気に振舞っていた。またその笑顔はどんな状況でもベアトリスの心を軽くしてくれた。
そしてふと気がついた。自分らしさのままで気兼ねなくなんでも言えることを──。
パトリックの前では何でも思ってることが言えた。それがすごく心地よく、ベアトリスからも自然の笑みがこぼれる。
「やっぱりベアトリスは笑った方がかわいい。君もその笑顔は昔と変わってないね」
ベアトリスは照れくさくなった。そしていつしか自然に一緒に料理をしていた。
「できあがり! それじゃこれ、僕がアメリアのところに持っていくから」
「あっ、それは私が…… 」
「ベアトリスは、悪いけど、そこにあるレモンを絞っといて」
トレイに食事を載せ、パトリックはベアトリスをかわして強引に持って行った。ベアトリスは仕方なくレモンを半分に切り、しぼり器で絞る。
その間に、パトリックはノックをしてアメリアの部屋に入っていく。
ウエイターになりきって料理を見せていた。アメリアがベッドから身を起こすと、それを目の前に置いた。
そこには空っぽのグラスも添えられていた。
パトリックはタンスの上に置かれた壷を持ち、それをグラスに向け中に入っていた水を注ぎだした。
「さあ召し上がれ」
「パトリック、あなた…… 」
「あなたの傷が癒えるまで、僕にベアトリスを任せてくれませんか。この残りの水も彼女に飲ませます。それにしても、このライトソルーションの豊富なこと。 ディムライト達が見たら目の色変えて飛びつきそう」
「ディムライトがお金よりも欲しがる水。あなた達が摂取できる量は決められてるものね。私達にはその量でも不自由分だけど、あなた達からみたらざっと十年 分くらいありそうよね」
「この壷はホワイトライトの世界と繋がって、湧き水のように水が送り込まれてくるんですね。僕達は小さな杯に溜まった水滴を舐める様なもの。こんなに多くのライトソルーション見た事がない」
パトリックはその壷を両手で持って揺らし、水の音を楽しんでいるようだった。
そして頭の位置まで持ち上げそれを覗き込む。水から放たれるキラキラした光はパトリックの瞳に反射していた。
「あなたもその水が欲しいの?」
「僕がこれを欲しい? こんなもの僕にはなんの価値もありません」
「それじゃ、どうしてベアトリスと結婚したいと思うの。あなたの両親がベアトリスの両親にお金と地位を約束し、そして婚約という形を作った。いわゆるお互いの利益を考えた意味もない婚約だった。あなたも当時子供ながらそれを納得してのことだったんじゃないの」
「あなたはノンライトとホワイトライトの間に生まれし者、それでもディムライトの間ではその存在はホワイトライトと等しく誰も逆らえない。そしてあなた はディムライトを見下している。あなたのような目から見ればそう捉えられても仕方がない。それに僕はそう思われてると判っててもそれを利用した。親同士が決めた婚約は僕にも都合がよかった。僕はベアトリスの側にずっと居たかったから、ただそれだけ」
「そう、あなたも本気でベアトリスが好きってことね」
「『あなたも?』って、そっか、アイツのことか。もっと早く気づくべきだった。ベアトリスが安全に暮らせる場所を考えたらあの親子の近くだったってこと か。灯台下暗しってこのことだったのか」
パトリックは壷を持ってアメリアの部屋を出て行こうとする。アメリアが不安そうな顔になった。
「壊さないって。とにかくベアトリスはこれを飲まなければダークライトがわんさか押し寄せてくるんでしょう。まあ、僕に任せて。悪いようにはしないから。 それよりもちゃんとそれ食べといてよ。変なプライド捨ててさ」
パトリックは楽しそうに鼻歌交じりで部屋を出て行った。
アメリアは食事をじっと眺めていた。
パトリックにかき回されるのは癪だったが、何も言わなくても自分の思うことをパトリックが自ら行動してくれるのは有難かった。
悪い奴ではないと、フォークを手に取り食事に手をつけた。そしてあの水をぐぐっと一気に飲む。まるで自棄酒を浴びているかのようだった。
パトリックはベアトリスに見つからないように壷を後ろに隠し、キッチンに入っていく。
「ベアトリス、玄関で物音がしたんだけど、誰か来たんじゃないの」
パトリックはベアトリスの気をそらすためによくある嘘をつく。
不思議そうな顔をしてベアトリスは見に行った。その間にとパトリックは壷の水をピッチャーに注ぎ、ベアトリスに絞らせたレモン汁を手早く混ぜ、少量の砂糖を入れてレモネードを作り出した。
壷はさりげなくキッチンカウンターの隅に置く。まったく違和感がない。だが玄関を見に行ったベアトリスがすぐに戻ってこなかった。
「嘘なのに、一体何してるんだ」
パトリックも玄関まで見に行った。
扉が開いたままでそこにはベアトリスの姿がない。慌てて、外へ飛び出すとベアトリスは表庭でじっと一定方向をみていた。
「ベアトリスどうした。本当に誰か来たのか?」
「ううん、なんでもない。私の気のせいだった」
パトリックはベアトリスの肩に手を置き、二人は家の中へと入っていった。
その先のブロックの角で、人影らしきものが動いた。
握りこぶしを作り、何かを殴りたいと震えている。感情を飲み込みぐっと堪えると背中を丸めどこかへ去っていった。
ベアトリスは考え事をしながらテーブルの席に着いた。そこに並々注がれたレモネードがどんと置かれた。レモネードの入ったグラスを手に取り、ベアトリスは一口飲んだ。
「酸っぱい」
その酸っぱさが自分の思いと重なり、急にごくごくと飲みだした。それは冷たく体に浸透していく。
「おいおい、どうしたんだ。何も一気に飲まなくても」
普通の飲み物じゃないだけにパトリックは苦笑いになってしまった。
ベアトリスは焦点を合わせず前を見つめる。
──あのときヴィンセントが近くに居たかと思った。そう思ったら体が熱くなって苦しくて……
レモネードの酸味は思いを封じ込めてくれるかのようだった。
それ以上に自分の大切なものを手の届かないところにしまいこんでいく感じがする。
「ねぇ、このレモネード。何か特別なものが入ってるの?」
ベアトリスが聞くと、パトリックはドキッとした。この時ほどいいジョークが考えられず、パトリックは笑うだけだったが、ベアトリスはじっと空のグラスを見つめていた。
ヴィンセントは益々遠いところにいってしまう──。訳もわからずそんな思いがこみ上げる。酸っぱいレモネードの後味は寂しさと悲しさが胸いっぱいに広がった。
高層ビルが立ち並び、人も車もせわしなく動く空間。空気も治安もあまりよくなく、それでもそこはいつも大いに賑わう。都市のダウンタウンはいつもそういうところだった。中心と定められると、どんな人々も集まってくる。
コールもそのうちの一人のようにキョロキョロとしてダウンタウンを歩き回っていた。
ここに来れば誰かに会えると思ってるのか、人探しをしているようだった。
ここのダウンタウンの特徴を挙げれば、歴史に残る事件がいつまでも語られる。ある男がビルの5,6階から大統領を狙って暗殺したとかとか。そのビルは今は資料館として残り、現在も観光客で賑わいを見せていた。
誰もが疑問に思うのが、犯人は本当にその男だったのか、それとも他の陰謀説があるのか、映画にもなるほど真相がわかるまで憶測も交えて、永遠に語られる。
だがダークライトに言わせれば、それもまた自分達の仕業であると豪語していた。
大きな事件は皆ダークライトが一枚噛んでいる。
そう疑ってもおかし くないほど、人々の醜い心に入り込んで跋扈するのが奴らの得意とするところ、そうそれがダークライトというもの──。
この世の中は大きく分けて4つの種族に分けられる。
身分の高いものから、ホワイトライト、ディムライト、ノンライト、そしてダークライト。
ノンライトは普通の人間のことだが、彼らは力をもたないために他の者の存在を知らない。だが、感覚で天使や悪魔といったものの存在を想像で作り出している。
ホワイトライトはその人間界でいう天使に位置し、ダークライトは悪魔に位置しているようなものだった。
そしてディムライトはホワイトライトに選ばれし、 特別に力を授けられた元ノンライトのことであり、これもまたノンライトに言わせれば超能力者や霊感の強いものなど、その他色々な能力を発揮して、どれも人間離れした存在と位置づけることだろう。
まだそこから細かく分ければ色々区分され、ダークライトには影と呼ばれる存在が含まれる。
これらは人の形をなくし、未練と絶望と醜い欲望の心の塊だけが影となってこの世に留まっている。
またノンライトの世界で説明するならば、成仏できない霊、悪霊というのがしっくりするかもしれない。
ダークライトはこれらの影を操り、ノンライトの体に送り込むことができる。
それが入り込んだノンライトはまさに言葉どおりの魔がさし たような行動に駆られるのである。
『魔がさす』というノンライトが作った言葉は、すなわちダークライトが入り込むことを無意識に説明しているに違いない。
そういう存在を感じ、それを想像で作り出すことができても、本当に存在するとは気がつきにくい。
ノンライトは全く力を持たず、その世界が全てと思い込んで生活しているだけに、例え教えられても確信をもって信じることもできない。
コールは人探ししながら、すれ違うノンライト達をそういう理由で哀れんではあざけ笑っていた。
コールが探しているのはホワイトライトに罠を仕掛けられる特殊な能力を持つ男。
蜘蛛の巣を作るように、気で紡いだ糸をレーザー光線のように手当たり次第に張り巡らす。
どんなホワイトライトでもそこに触れれば感知して知ることができる。
コールは近くにホワイトライトが潜んでいることに確信を持っていた。それを見つけるためにはその男が必要だった。
「昼間だと、あいつは寝ているのかもしれない。一体どこにいるんだ、ゴードン」
ダウンタウンといえど、空は晴れ渡り明るければ、誰もが安心感を持って、治安の悪さを忘れてしまう。
お金をかけて美しく見せる町並みでは犯罪とは程遠い雰囲気も漂い、芝生や木がある場所ではほっと一息つくこともしばしばだった。
昼間はそんな場所だと、ダークライトも気が抜けるのかもしれない。
コールは人探しを諦めかけて、面白いことはないかと周りを見回していた。
「暇つぶしにちょっと遊んでみるか」
ビルの一角にカフェショップがあり人が集まっている。
休憩がてらにそこがいいとコールは足を向けた。どこへ出かけても必ず目にする珍しくないカ フェ。緑の女性のロゴが描かれた看板を尻目に店に入っていった。
コーヒーを注文し、出来上がるまで店の端で待っていたとき、人々の話に耳を傾ける。
声を聞くのではなく、心の闇を覗くように醜い感情を探り出す。
例えば、あの男。窓際のカウンターで一人で座り、コンピューターを叩いていた。ブログの更新でもしているのか、仕事の同僚の気に入らないことを綴っているようだ。
心の中は、同僚に腹が立つ思いで溢れかえっている。だが文章にして匿名で載せることによって、どんどん浄化されて喜びの部分がでてきた。
「ちぇっ、くだらねぇ。ちっぽけなことで満足しすぎ」
コールは他のターゲットを探す。
テーブルを囲んで若い母親が赤ん坊を抱いて友達と楽しそうに語っているように見えた。また集中して心の闇を覗きこむ。
自分の赤ん坊を自慢して、早く結婚したらいいとアドバイスする若い母親に対し、友達の方は、顔は笑っているが心は鬱陶しそうに暗い影で覆われていた。
コールは心の闇を読んだ。
「好きでもない相手と子供が出来たから結婚しただけで、きっとすぐに離婚する…… と彼女は思ってるのか。それを自慢されて優越感に浸って腹が立つか。 あっちの母親の方も独身女性の持ち物がブランド物で美しく着飾って気楽な人生を送ってることに嫉妬してやがる。女同士のつまらない見栄のやりとりだな。これもくだらない。影を呼んで手を貸してやるほどでもないな」
こういう場所では凶悪なことは起こる訳もないと材料の乏しさにがっかりしていた。
名前を呼ばれ自分のコーヒーを取りに行く。そのとき女子高校生の会話が耳に入った。何気なしに聞いているとあるキーワードが耳に引っかかった。
コーヒーを手に取り、その女子高生達の座ってるテーブルの隣に背中を向けて座った。
「だから、さっきも言ってるけど、そろそろヴィンセントと仲直りした方がいいんじゃない。だってもうすぐプロムがやってくるわ。私達がジュニア(11年 生=日本だと高校二年生にあたる)になって初めてのダンスパーティよ。パートナーがいなくっちゃ参加できないのよ。このまま意地を張ってちゃヴィンセントも誘い難いって。ねえ、聞いてるのジェニファー」
ジェニファーは気がかりがあるような顔をして、話している相手の顔を見ていなかった。
コールはヴィンセントという名前に反応した。
金曜日のこの時間、高校生がうろつくには早すぎる。休みになった高校と言えば、破壊されたヴィンセントが通う高校のみ。
この女子高生二人がヴィンセントの知り合いだとすぐに感づいたのだった。
コーヒーをすすり、テーブルの上に読み捨てられていた新聞を見るふりをして、 コールは耳を尖らせた。
「ねぇ、アンバー。私とベアトリスが仲いいことをどう思ってた?」
「そりゃ、変だとは思っていたけど、ジェニファーが友達と思ってたのなら仕方ないじゃない。でも今回はやられたわね。飼い犬に手を噛まれたって感じかし ら。まさかあのベアトリスがヴィンセントにちょっかいだすとはね。ヴィンセントも付き合いもあって断るに断れなかっただけなのよ。許してあげたら」
「やっぱり仲いいように見えたよね。ベアトリスも私のこと崇拝して、私に逆らうことなんて一度もなかった。私に絶対逆らえなかったはずなのに、そのベアトリスがヴィンセントと二人っきりで授業をサボるなんて。あの子達が知らせてくれなかったらごまかされるところだったわ」
「ああ、あの下級生のメガネかけた子と、もう一人はソバカスが目立ってた子ね。あの子達、わざわざジェニファーに告げ口に来るなんて驚いたけど、『ヴィン セントがベアトリスに夢中になってるの許せるんですか』って言う言い方には笑ったわ。そんなことありえないし。まあ、ベアトリスが見た目ぱっとしないだけ に、ヴィンセントに憧れてる女の子達はジェニファー以外は認められないってことね」
「違うわ……」
ジェニファーは悲しい目つきで否定する。
「どうしたのよ。何をそんなに意地を張ってるの? ヴィンセントだって反省してジェニファーに気を遣ってヘコヘコしてるじゃない。それにベアトリスにはあの日一切近づかなかったし、そろそろ、素直になれば」
「あれは謝ってるんじゃない。何か自分に都合が悪いって感じがするの。ベアトリスを一人にするなとか、ベアトリスは悪くないとか、彼女のことばかり庇う。 また三人でいつも通り仲良くしようだなんて、私のことなんて何も考えてない」
「だから、頭にきてるときは何を言われても悪いように考えてしまうのよ。一回くらいの浮気なんて許してあげなよ」
「浮気? あれが浮気っていうの?」
ジェニファーはその言葉に驚いて疑問をアンバーに叩きつけた。
「えっ、そのまあ相手があの子じゃ浮気って言葉も変よね、ごめん。そのつまり、魔が差したってことよ」
まずい言葉を使ったとアンバーは笑って誤魔化そうとした。そして手元のコーヒーカップを持ってずずーっとすすった。
既に飲み終わっていてカップは空だっ たのが余計にどうしようもない焦りを感じさせる。
ジェニファーは浮気という言葉の意味に反応したわけではなかった。
ヴィンセントとジェニファーの間には元々何もなかったのはジェニファーが一番よく知っている。
浮気など最初から発生しない関係。ジェニファーがもっとも恐れていたことが心に浮かぶ。
「ヴィンセントは……」
ジェニファーが言いかけたが、口に出すのが苦痛でぐっとその言葉を飲み込んだ。しかしその後の言葉はコールが読み取っ ていた。
──ベアトリスに本気で惚れている…… か。へぇ、ヴィンセントはこんな綺麗なお嬢さんよりも心を奪われる女性が他にいるのか。気になるね。しかもこのお 嬢さん、ベアトリスって言う子のことを相当嫌ってるもんだ。絶望、嫉妬、憎しみが入り乱れてる。面白い。これは面白い。ちょっと影を仕込んでおくかな。 次、ベアトリスとかいう女の子に会ったときどうするか見ものだ。ヴィンセントもびっくりするだろうよ。
コールは席を立ち、コーヒーカップをゴミ箱に捨てた後、顔をあげ、ジェニファーにフォーカスすると、目を見開いて一瞬焼き付けるように見つめた。コール の瞳が赤褐色に染まり、その後一体の影が、蛇が床を這うように現れ、すっーと融けるようにジェニファーの足元から体の中へ入っていった。
「程ほどに遊んで、あとで戻って報告してくれよ」
そう呟くとコールは店を出て行った。
ジェニファーは影を仕込まれたとは知らずに、ベアトリスへの憎しみを増幅させていく。 コールが仕掛けた影はひっそりとその時がくるまで出番を待っていた。
そしてベアトリスが、自分が居場所を突き止めたいホワイトライトだということも、コールはこの時まだ気がつかないでいた。
コールが人探しを再開するが、ダウンタウンを離れ車で辺りをうろついた。
警察の車をやけに見かけ、何かあったと気になった。メインストリートを走らせていると、大型チェーンレストランの駐車場に目が行った。
「こういうところはランチタイムで車が沢山停まって商売繁盛なはずなのに、客が少ない上に警察の車が停まってやがる。ここでなんかあったんだな」
近くに駐車して車から降り、通りがかりの通行人に声を掛けてみた。
「ああ、昨日、ここで通り魔が女性の首を絞めてちょっとした事件になったんですよ。なんせその犯人は目の前で消えるし、ちょっとしたミステリーとなり、気持ち悪がって客足が遠のいてしまったみたいですね。まあ銃で撃たれなかったのが幸いでしたけど」
現場を一目見たくてその男はここに現れたと言い、写真を撮っては、後でブログにでも載せるようなことを言っていた。
「その通り魔はどんな風貌だったんですか」
「さあ、そこまでは知りませんが、フードを頭からすっぽりかぶって、ずんぐりむっくりでふてぶてしかったらしいと目撃証言で言ってましたけど、誰も顔は、 はっきり見てなかったそうです。目の前で消えたとか言ってましたから、未知の生物か何かかな、なんて私は想像してしまいましたけど」
男は冗談めいた自分の言葉に一人で受け、高らかに笑った。
コールはニヤッとすると、男に礼を言って現場に近づいて行った。そして手当たり次第にふっと息を吹きかけながら歩いていた。
そしてきらっと光り、糸が張り巡らされているのが一瞬見えたのを確認した。
「ゴードン! ここで罠をしかけてたのか。なるほど。ということは獲物が引っかかったのか。しかし昨日はホワイトライトの気配などしなかったが。何かの誤作動だったのか。とにかくゴードンを見つけなければ」
コールは周辺を車で走らせた。
「あいつが瞬間移動できる範囲といえば、半径1マイル程度。ここからそれを考えればどこがあいつの隠れ家になるんだ」
コールは地図で照らし合わせると、はっとする心当たりがあった。何年も空き家になってる大きな屋敷。
周りには大きな池もあり自然が溢れているが、そこは滅多に人も寄り付かない。何十年か前に殺人事件の舞台となったちょっと名の知れたところだった。売りに出しても買い手がつかない程の家。
「ゴードンはそこにいる」
コールは自分の勘を信じて、心躍るように目的地へと向かった。
ダイニングテーブルを挟んで、ベアトリスはパトリックと向かい合わせに座って昼食を食べていた。
パトリックが腕によりをかけて作ったものだったが、ベアトリスはロボットのようにただフォークを上下に動かして口に入れていた。
先ほどみた人影はヴィンセントに思えてならず、彼が近くにいたかもしれないと考えると心ここにあらずだった。
だがこれも、そうであって欲しい思い込みにしか過ぎず、ヴィンセントがここに来るはずがないと強く否定した。
希望をかすかに抱くことは、自分の心を故意につねって弄くってるようなものだった。
学校の物置部屋でヴィンセントと一緒に過ごしたことをふと思い出す。
あやふやな記憶。自分が自分でなかった感覚。
しかしそれもまた、昼寝をしてしまったことでやはり夢の中の出来事なのかと、いつものごとく確証に自信がなかった。
昼寝──。ヴィンセントにずっと抱かれていたことも思い出した。彼と体を密着していたことが、ぽわっと心が浮くように思い出される。
そして車で送ってもらった後の別れ際の抱擁。あれが全て遊びで、からかいだったとはベアトリスにはなぜか思えなかった。
その次の日なぜヴィンセントが急に変わってしまったのか──。
フォークを持っていた手が止まる。
不思議な数々の出来事、そしてそれぞれの謎を帯びた言葉。頭の中でぐるぐる回りだした。
──もしみんな嘘をついてるとしたら…… または何かを隠してるとしたら
発想の転換だった。
突然、持っていたフォークが手から落ち、カチャーンとお皿に当たった。
「ベアトリス、そんなに僕が作ったもの不味かった? さっきから無表情で食べてるし、動きが止まったと思ったら、フォーク落としてショッキングな顔してる し。どうしたんだい」
パトリックが怪訝にベアトリスを見ていたが、ベアトリスは動かないまま、自分の世界に入り込んだようにまだ考えていた。
パトリックの存在など完全に眼中になかった。
その時、ベアトリスはヴィンセントの言葉を思い出していた。
『ベアトリス、これだけは言っておく。今僕はこうやって君の近くにいる。そして、今日は二人っきりになることも、君に触れることもできた。僕がそうしたい とずっと願ってきたことなんだ。それがなぜ今まで出来なかったかいつか考えて欲しいんだ。僕の言ってる意味が理解できたとき、ジェニファーがなぜ君の側に 居るかもわかるよ。もうすぐまたいつもの君のイメージ通りの僕に戻ってしまう。口数の少ない僕にね。今日こうやって君と過ごせた午後は僕にはかけがえのな いチャンスだっ たんだ』
ヴィンセントは何かを考えてほしいと言った。
ヴィンセントがあんな態度を取ったのには理由があるってこと?
ベアトリスは雷に打たれたように突然はっとした。その瞬間我に返ってびっくりした。焦点が合わずピントがぼけたパトリックの顔が数センチも離れてない目の前にある。
「キャー」
ベアトリスはのけぞってしまい、その表紙に椅子が倒れてひっくり返りそうになると、側にいたパトリックがしっかりと受け止めた。
「ちょっとどうしてそんな近くに顔を寄せてるのよ」
心臓をバクバクさせ、体制を整えながらベアトリスは叫ぶ。
「だって、何回呼んでも答えないし、側に寄っても気がつかないし、全く動かないもんだから、今のうちにキスでもしておこうかななんて」
「何を考えてるのよ。バカ!」
「だけど、そんなに思いつめてどうしたんだい。さあ、僕になんでも言ってごらん」
パトリックは両手を広げ、大げさな態度を取る。
「ねぇ、パトリック。あなた私に何か隠してることない?」
パトリックの片方の眉がぴくっと動いた。
「例えば、どんなこと?」
笑顔を忘れず、様子を探るように聞く。
「そうね、私の知らない私の真実を知ってるとか」
ベアトリスは疑いをもつ目ではったりをかけてみた。
「ベアトリスの知らない真実…… ああ、もちろん知ってるよ」
パトリックは堂々と言い切った。ベアトリスが聞きたいとばかり身を乗り出す。
「それは何なの?」
「それは、ベアトリスの背中にほくろがあること」
「ちょっと、そういうことじゃなくて…… ん? でもどうしてそんなこと知ってるのよ。いつ見たのよ」
「子供の頃、一緒にプール入っただろ。その時にみたよ」
ベアトリスは話にならないと呆れてしまった。
その時、後ろで物音がした。振り返るとアメリアがトレイを持って震えるように立っていた。
「アメリア、寝てなくっちゃダメじゃない。そんなの持ってこなくてもいいのに」
ベアトリスはトレイを受け取ると、アメリアは不安な顔でベアトリスを見つめていた。何かを言いたげにしてるが、それを声に出すのを躊躇っていた。パトリックが助け舟を出すようにアメリアの体を支えた。
「アメリア、ここは僕に任して。さあ、ベッドに戻ろう。ベアトリス、悪いけど食器洗っててね。今度はベアトリスが働く番」
パトリックはアメリアの肩を両手で優しく支えて部屋まで連れて行った。
「何が、僕に任せてだ。食器洗えって私に命令してるだけじゃない」
ベアトリスはパトリックが言った言葉を履き違えていた。
アメリアをベッドに横たわらせ、パトリックはブランケットを被せて整える。
「アメリア、心配は要らない。ベアトリスはまだ何も気がついてない。あれはただの思いつきに過ぎない」
「でも、あの子、今まであんな風に聞いたことなんてなかった。嘘が剥がれ始めてきたに違いないわ」
「落ち着いて。あんな一言であなたが取り乱してどうするんですか。全くアメリアらしくない。あなたはもっと芯の強い人でしょ、ディムライト全員が恐れるくらいの」
パトリックが笑顔で茶化すように言った。
アメリアの強張った体の力がすっとほぐれていく。
パトリックの目をじっと見つめると、深みのある青さが海と重なる。 そしてそれは海と同じように茫洋としていてつかみ所がなく、パトリックの心の中を表しているようでもあった。
「パトリック、あなたは一体何をしにここに来たの」
「もちろん、ベアトリスに会いにです。ベアトリスと離れてしまった時間を取り戻しにきました。僕は本気でベアトリスを守りたいんです。あなたが無理やりベ アトリスを連れて行ったあの日、僕の時間が止まってしまった。子供ながら僕は本気でベアトリスが好きだったんです。彼女がホワイトライトと判る以前から ずっと。リチャード達があの時、現れなければこんなことにならなかった。彼女は何も知らずに暮らせるはずだった。そしてあなたも辛い思いをしなくてもすん だ」
「あなたは本当に何もかも知っているのね」
パトリックは悲しい目をしながら笑って肯定した。
「僕を信じてくれませんか。僕は彼女を必ず守ってみせます。でも願わくは、彼女と結婚したいですけど、それはまた次の問題ということで」
パトリックは、はにかんだ笑いを見せた。
アメリアはパトリックの憎めないストレートな言葉に呆れながらも反対する気持ちが起こらなかった。ただ真実だけは告げようと隠さず話す。
「あなたって人は…… だけどヴィンセントもあなたと全く同じ気持ちでいるの。それにベアトリスは彼のことが……」
「その先は言わないで下さい。それは僕が確かめます。それに僕はそんな話信じたくないですから」
慌てることもなく落ち着いてどーんと構えるその態度は潔かったが、和やかな顔つきが一瞬強張ったのをアメリアは見逃さなかった。そのことに触れずに話題を変えた。
「お昼ご飯ありがとうね。美味しかったわ。それから一部屋空いてるから、そこを使ってもいいわよ」
「アメリア、それじゃ僕を信用してくれるんですね」
「正直まだわからない。ディムライトと私は相性が悪いのは知ってるでしょ。でも今はあなたの助けが必要なのも事実なの。リチャードの話によると、とんでも ないダークライトがこの辺をうろついている。私を襲った奴もホワイトライトを確実に狙っていた。急激にダークライトの活動が活発になってしまった。ベアト リスの存在がバレてしまったらあの子が危険に晒されてしまうわ。それだけはどんなことがあっても阻止したいの」
「わかってます。あなたが僕のことをどう思おうと、僕は自分のやるべきことをやるだけですから。でもここに住んでもいいというご好意、有難く受けさせて頂きます」
パトリックは素直に嬉しいと笑っていた。そしてアメリアの部屋を後にすると、『イエスっ!』とガッツポーズを取るように上機嫌になっていた。
嬉しさの勢いで、シンクの前で洗物をしているベアトリスの後ろに立つといきなりぎゅっと抱きしめた。
「キャー」
ベアトリスがびっくりしてお皿を落としてシンクの中で割ってしまった。
「ちょっと、何するのよ。離しなさいよ。お皿割っちゃったじゃない、もう!」
「それくらいいいじゃない。後で新しいのプレゼントするよ。これから一緒に住むんだから。それで嬉しくてたまらないんだ」
「えー、いつの間にそんな話に。アメリアが言ったの?」
「うん、そうだよ。一部屋空いてるから使っていいって」
「嘘でしょ……」
水道の水が流れっぱなしになって止めるということも忘れ、ベアトリスはパトリックに後ろから抱きつかれながら呆然となっていた。
パトリックはそれをいいことに、長い間愛おしくベアトリスを抱いていた。
「うっ、苦しい。しかもいつまでも邪魔」
ベアトリスが気を取り直すと、ぬれた右手の甲をあげ、パトリックめがけて後ろに振り上げた。それはパトリックの鼻に命中する。
「いてー、何すんだよ。折角いい雰囲気なのに」
パトリックは鼻を押さえる。
「いつまでも調子乗って抱きついてるからよ。また言うんでしょ。弾力があって気持ちいいとか。私はクッションじゃないの」
ベアトリスは後ろを振り返り、パトリックに顔を向き合わせ怒った。
「違うよ、僕は男だからいつも君に触れていたいんだ。ただのスケベってとこかな。男はみんなそういうものだと思うけど」
恥ずかしくもなくあっけらかんと本音をいうパトリックに、ベアトリスはただ面食らった。また彼のペースに乗せられると思うと、慌てて釘をさした。
「これからは指一本私に触れないで。一緒に住むなら尚更。判った?」
「うーん、約束できるかな…… ごめん、やっぱりできないや」
パトリックはまたしつこくベアトリスに抱きつく。バタバタと抵抗するベアトリスの耳元で囁いた。
「どんなことがあっても僕は君を守ることを誓う。全ては君のために、僕の魂を捧げるよ。これだけは約束できるよ」
ベアトリスの体全身に力が入った。どこかでよく似た台詞を聞いた。
──ヴィンセントも同じようなことを言った。あの物置部屋で、騎士に扮しながら。
ベアトリスが急に動かなくなったので、不思議に思いパトリックはベアトリスを離した。ベアトリスは神妙な面持ちでパトリックの顔を見る。
「だったらその誓いの証を私に見せて」
ベアトリスはパトリックがどう行動するのか固唾を呑んで見ていた。
「そっか、証か。うーん。君にキスをして証明ってことでいい? それなら僕も喜んで」
パトリックは唇を突き出すと、ベアトリスは彼の鼻をつまんだ。
──なんだただの偶然か。
ベアトリスは考えすぎたと体の力を抜いた。
「あーあ、水道が出しっぱなしじゃないか。もったいない。お皿も片付けないと」
パトリックはシンクの前に立ち、水道が出るレバーを下に下げた。そして割れた皿を片付ける。その時だった。
「痛っ」
パトリックの指先に赤いラインが現れた。それをベアトリスに見せてドジな奴だと自分で笑っていた。
ベアトリスははっとする。
──偶然なの、それとも故意に血を見せてるの?
「だっ、大丈夫…… 」
ベアトリスは声をかけるものの、頭の中では血をもってそれを証とするヴィンセントが見せた行為と重ね合わせていた。
「ああ、大丈夫さ、ほんのちょっとかすっただけ。すぐ止まるさ」
パトリックはかなり深く切っていたのか、左の人差し指から鮮明な赤い玉が現れる。指先でどんどん膨れ上がり、最後にはつーっと指を伝って流れていった。
ベアトリスは無言でパトリックをバスルームまで引っ張っていった。
トイレの蓋の上に座らせ、シンクの隣の引き出しから消毒薬を出して手当てをしてやる。 最後に絆創膏を貼ると、パトリックは満足げに笑顔を見せていた。
「ありがとう」
パトリックが素直に礼を言っても、ベアトリスは上の空だった。まだ血を見せたことについて疑念を抱いている。パトリックはベアトリスの態度などお構いな しにバスルームを見回していた。
──ライトソルーションの影響をかなり受けてるバスルームだ。なるほど、ライトソルーションの混じった湿気が溜まりこんでこのバスルームの全てのものに浸透しているのか。この中にいれば体の表面まで付着するってことか。
「ねぇ、このバスルーム、僕も使っていいのかな」
「えっ、うん、そうなるわね。何か不服でも?」
「いや、別に」
「あっ、また変なこと想像してるんでしょ」
「いや、今回はそんなこと滅相も…… 」
ベアトリスは軽くパトリックの頭を叩こうとするとパトリックは防御しようと両手で頭を庇う。その時ベアトリスは彼の指先の絆創膏に再び視線が行った。うっすらと血が滲んでいるのを見るとまたはっとした。
──まさかヴィンセントもパトリックのようにあの時本当に自分の手を切って血を見せたのでは……
同時に物置部屋の床に滴った血の跡を思い出す。
そしてベアトリスが触れたことで焦げ付くように煙を出した怪奇現象。
その部屋のドアの向こうで、ベアトリ スに近づくなと命令をして、なぜか苦しんでいたヴィンセント。
ベアトリスはこれらのことを繋ぎ合わせようとした。
──もしかしたら、ヴィンセントは私に近づけなかった。でもそれはどうして? 近づくと彼が困ることになるから? じゃあそれはなぜ? 私に知られたくない秘密があるから? そしたらその理由は?
ベアトリスは素直に思いつくまま考えてみた。そして頭に浮かんだものは非現実的だが、これしか考えられなかった。
──彼は人間じゃない……
顔から血の気が引いて真っ青になっていく。だがそれはどんどん確信を帯びてくる。
──こう考えれば夢だと思っていた出来事が全て現実味を帯びる。そして赤く染まった不快な空間で、怪物に襲われた時、自分を助けてくれた野獣は……
「まさか!?」
ベアトリスは思い立ってバスルームを飛び出し、玄関のドアを突き破るように突進した。
「ベアトリス、急にどうしたんだい」
パトリックはただ事じゃないと後を追いかけた。
ベアトリスは玄関を飛び出し、一目散に住宅街のストリートを走っていく。真実を確かめたい。その思いつきだけで衝動に駆られた。
──あのときの人影はヴィンセント……
パトリックの嘘から出た誠。ベアトリスが玄関を開けて辺りを見回したとき、蜂蜜色の髪をした男性が逃げるように先の角を曲がった。
この時になってベアトリスは自分が思った直感が正しいとやっと肯定できた。
なぜ、あのとき追いかけなかったんだろう。どうして確かめなかったんだろう。
いつも自分から何もしようとしない。深く考えることもせず、なんでもすぐに諦めてしまう。自分で自分を信じればいつだって真相は見えてくるはずなのに。
目の前が涙でかすむ。手でふき取りながら、それでも必死に走る。しかし角を曲がればもうそこにはあのとき見た人影はいなかった。
それでも探したいと、潤んだ目で辺りをキョ ロキョロとしていた。
「ベアトリス、どうしたんだ」
パトリックが追いついてベアトリスの腕を掴んだ。
「離して、今忙しいの」
振り切ろうと腕を振るが、パトリックの力の方が強かった。彼の手はベアトリスの腕を離さない。素直に離せないほど心乱れていた。
「落ち着くんだ。訳を話してくれ。一体何を探してるんだ」
自分がとった行動が何かと結び付けてしまった可能性を考えると、指先の切り口がドクドクとうずいてくる。まず自分が落ち着こうとパトリックは深く息をする。
ベアトリスは、邪魔をされ鬱陶しいとばかりに、苛立ってパトリックを睨みつける。
それでもパトリックは穏やかな表情を見せ笑っていた。
憎めなかったパトリックの笑顔がこの時作り物に見えた。ベアトリスをコントロールしようとする意図された笑顔に──。
「パトリック、お願い離して。私の好きにさせて。それとも何か都合でも悪いことがあるの?」
血を見せたパトリックにもまだ疑念が残る。この男も何かを知ってるに違いないと思うとベアトリスは強気につっかかる。
「君が急に走りだすから何事かと思って、その理由が知りたいだけだよ。あんな風に突進したら誰だって心配になるじゃないか。一体どうし たんだい」
「ねぇ、あの時指を切ったこと、あれはわざとだったんじゃないの。私に血を見せるために」
「何を言ってるんだい。なぜそんなことわざとしないといけないんだい。僕の不注意からに決まってるじゃないか。一体それとこれが何の関係があるっていうんだい」
パトリックがバカバカしいと頬をプクっと膨らましたように機嫌を損ねた態度をとった。
それはベアトリスには意外だった。怒るなんて思ってもいなかった。 さっきまでの強気が少し消沈する。
パトリックの見せた態度は折角のベアトリスの確信の柱を傾けた。
「ごめん、ちょっと気がかりなことがあって、それでつい」
少しおどおどしてベアトリスが気まずくなった。
「それでもまだよくわからないんだけど。それなら気が済むまで探し物見つけてきたらいい。僕は家で待ってるから」
パトリックはベアトリスの腕を離し、くるりと踵を翻して帰っていった。ベアトリスは、少し躊躇いながらもヴィンセントの姿を探しに走り出した。
パトリックは振り返り、走って行くベアトリスを見る。
自分が軽はずみで取った行動が確実に影響していることに気づくと、渋った顔になった。
下手に隠して笑顔を見せて誤魔化すより、わざと機嫌を損ねてみたが、その場しのぎの応急処置にすぎなかった。
そしてベアトリスが何を探しているかくらいすぐにわかった。
「アイツが来てたのか」
ポケットから銀色の懐中時計のような形をしたデバイスを取り出した。
蓋を開けると、ぼわっと光が浮き上がる。中には分厚いレンズのようなガラスがはまり 込んでるだけだった。
それはディムライトの中でも地位を約束されたものだけがもつ護身用の道具。
ダークライトの存在を知らせたり、また身を守るための武器となるものだった。そしてそこから煙のような光が出たかと思うと、向きを知らせるようにある方向に向かって流れ出した。流れていく方向を確認しながらパトリックは歩き出した。
我武者羅に走り続け、闇雲に手当たり次第を探し続けるベアトリスに対し、パトリックは光が示す方向を静かに歩いていた。それはベアトリスが向かった方向と全く逆を示している。
住宅街を離れ、大通りに面した道路にたどり着く。そしてバス停で男が一人ポツンと立っている姿が見えた。
パトリックの持つ道具はそこを示し、そしてそいつはバ スを待っていた。
「ダークライトが律儀にバスに乗って行動とは笑わせるね」
パトリックはデバイスの蓋を閉め、ポケットにしまいこみながら側まで近づく。
「パトリック、久しぶりだな。お前がここにいるとはな」
「君が派手な行動をとってくれたお陰でベアトリスの所在地がわかったんだ。礼を言うよ、ヴィンセント」
不自然な学校の崩壊。テレビに映りこんだベアトリス。ヴィンセントが絡んでいることはパトリックにはすぐに見通せた。
ヴィンセントは苦虫を噛んだような顔をした。何もかも全てが裏目に出てしまった軽はずみの自分の行動が腹立たしくてたまらない。拳を握り手を震わせていた。
「言いたいことはそれだけか」
「いや、他にもある。お前、ベアトリスの前で血を見せたのか」
「なんのことだ」
「とぼけるな。忠誠を誓い、魂を捧げる。その証として自分の血を見せる誓いの血のことだ」
「だったら、なんだっていうんだ」
「いつどうやって、何も知らないベアトリスにそんなことしたんだ」
「彼女は気づいてないよ。俺は本気だったけど、彼女の前ではちょっとした遊び半分でごまかした」
「余計なことをしてくれたよ。彼女はおかしいと気づいてしまったよ。僕も成り行きで同じことをしてしまったからね。まさかそれに彼女が疑問を持つとは思わなかった。それよりもお前に先を越されてるとは…… 」
パトリックは最後の言葉だけもごもごと小さく呟く。
「血ぐらいで、どうってことないだろう」
「それがあるんだよ。彼女はお前を探そうと走り出した。今も当てもなくその辺を探しているよ。おかしいと思わないか。血を見て血相を変えてお前を探 そう とする。彼女はそれがきっかけで何かを関連させて気がついたことがあるに違いない」
ヴィンセントの顔色が変わった。
パトリックは嫌な予感を感じ、間違いであってくれと思いながら質問する。
「お前、まさかベアトリスの前で」
「ああ、見せちまったよ。俺の本当の正体。でもあの時彼女は気絶した。そのお陰で夢だと片付いた」
「一体何をしたんだ。自分の立場わかってるのか。この時期にベアトリスに変なことを勘ぐられたらやばいんだよ。アメリアも襲われ、要注意ダークライ トが出回ってるときに」
「すまない」
「なんだよ、かなり素直に謝るもんだな。お前らしくもない」
「違うんだ、全ての責任は俺にある」
ヴィンセントは正直に事の発端を話し出した。ライトソルーションを燃やすために何度も仕掛けをしたことから、影やダークライトを呼び寄せ、この時に至るまでベアトリスと接触したことを隠さず話した。
「それじゃ全てはヴィンセントが引き起こしたってことなのか。ただベアトリスに近づきたいがために」
「ああ、そうだ」
「僕と同い年のお前がベアトリスと過ごしたいために学年を一年遅らせ、そしてさらに欲望が深まって、この有様か」
パトリックは憤ると体に力が入っていった。それはヴィンセントの行動にも腹を立てていたが、ベアトリスと離れていた間に、ヴィンセントが彼女と時間を共有していたことへの嫉妬の方が、どんどん膨れていった。
ヴィンセントは一年遅らせていた間、パトリックは何年も飛ばして先を急いだ。ライトソルーションを与えられていたとはいえ、能力はノンライト以上でも、 二倍速の速さで大学まで卒業するのは並大抵ではなかった。全てを勉強に費やし、ひたすら努力してきた。
自分が側にいればこんなことにならなかったのにと、パトリックは悔しくてたまらなかった。
──こんないい加減な男など許せない!
パトリックの拳がぶるぶると震えていた。
「殴りたければ殴ればいい」
「お前を殴る? そんな価値などない。だが、ベアトリスには二度と近づくな。隠れてこそこそとすることも許さない」
「判ってるよ。思いはすでに断ち切ったよ。親父の前でも同じことを言われて約束した。今日は昨日のアメリアの事件の後にダークライトが何も感づいてないか確かめに来ただけだ。幸いそれは大丈夫だった。それにお前が来てることもわかったし、これで安心だ」
ヴィンセントは飼い猫のように大人しくなり淡々と語った。
言葉とは裏腹に落ち込んで立ち直れない弱さが伝わる。
嫌いな相手ながら、ヴィンセントの態度がやるせなく、目を覆いたくなる程見たくない光景に出くわして、パトリックは戸惑った。
生意気で自信過剰な奴だったはずなのにと思うと、この態度はありえなかった。
二人はこの後、沈黙したが、バスがやってきたことでヴィンセントは無言でそれに乗った。
バスにはまばらに数名の乗客が座っているだけで空いていた。
パトリックはヴィンセントが座席に座るまで外から見ていたが、ヴィ ンセントは一度もパトリックと目を合わさなかった。
バスはウィンカーをカチカチ点滅させて、黒い排気ガスを噴出し、一般乗用車の中に紛れて去っていった。
「あいつ、口では思いを断ち切ったとか言ってるが、気持ちは全くついていってないのがバレバレなんだよ。言い訳してこそこそやってきているくらいだ、必ずまた暴走するに決まってる。あいつはそういう奴なんだ」
パトリックは来た道を戻りながら、今後の対策を練っていた。どこまで白を切れるか、パトリックもまたベアトリスに真実を知られるのを恐れた。その時自分に不利になることが見えていた。
ディムライトがホワイトライトを追いかける。
親同士が作った婚約証明書がある限り、どうみても権力を手に入れたいがための構図が出来てしまうと懸念した。
ベアトリスがなぜ自分の身分を知らされずにこの地上界にいるのか、アメリアやリチャードがなぜそれを必死に隠そうとしているのか、その謎を彼女が解いたとき、また新たな困難にぶち当たる。それもまたパトリックの頭を悩ます種だった。
そしてダークライトが動き出してしまった。
穏便に事が運ぶなどと、断然思えない。
眉間を押さえながら何かいい対策はないかパトリックは必死に考えていた。
いっそこのままベアトリスをどこか遠いところへ連れて行きたかった。だがこのタイミングでそれをしてしまうと、益々ベアトリスに怪しまれる。
危険が迫る中で秘密を守り通し、ダークライトの攻撃をかわす。
パトリックは頭が痛かった。自分でもできるかどうか不安になるほどの問題だった。しかしやるしかない。やらなければベアトリスを待ってるものは──。
考えただけでパトリックはぞっとした。それは口にだすのも恐ろしい言葉であった。
ベアトリスはゆっくりと住宅街を歩いていた。気がつけばいつものウォーキングコースを歩いているのと変わらなかった。
ヴィンセントを探しきれなかったが、自分が取った行動は真実と向き合う始まりの一歩だと思えた。
ヴィンセントもパトリックも行った、儀式のような血を見せる行為。
偶然では片付けられない。
自分の知らない何かが必ずそこにあるとベアトリスはそれに気が付いても、この状態では暗闇の中を手探りで見つけようとするようなものだった。
仮説を立ててみても、落ち着けばそれを証明できる証拠など何一つないことに気がつく。
あやふやな記憶だけを信じてみてもどうすることもできなかった。
いつもはここで都合のいい妄想という理由をつけて終わってしまいそうになるが、今回は違う。逃げずに突き止めたいという気持ちで溢れていた。
もしヴィンセントが人間じゃなかったとしたら──、不快な空間で怪物に襲われたときに見た野獣がヴィンセントだったとしたら──、ベアトリスはそれでも真相を突き止めたかった。
怖いという感情はそこになく、ヴィンセントを強く思う気持ちが、真実に目を向けるように追求させる。
「これには必ず訳がある」
そう思うことで、ベアトリスはヴィンセントと離れてしまったことに前向きになった。
自分が突き止める努力をするという選択をベアトリスは選んだ。
いや本当はヴィンセントを思い続けたいという理由が欲しかっただけかもしれない。
そしてパトリックにも何かがひっかかる。
無邪気で憎めないところがあるが、時にはそれが計算されたようでもあると気づき始めた。
何かを隠すために真実をうもらせるための演出──。
「今まで疑うことなどなかったけど、疑問があればとことん追求。そこから何かがわかるかもしれない」
ベアトリスはこの時、自分を変えなければと強くなることを決意した。背筋を伸ばし、シャキシャキと突然リズム良く歩き出す。
ベアトリスが家に戻った頃、パトリックは空いていた部屋でベッドの上に腰をかけ、荷物を広げてごそごそしていた。
客間用にしていたその部屋は、アメリアのセ ンスで、すでに色々と揃えられていた。ベッド、タンス、ちょっとした机なども置いてある。すぐにそこで生活できる準備はすでに整えられていた。
パトリックは長期の旅行のために用意したかと思われるスーツケースの中身を取り出して、しまえるところに収めていく。机にはノートパソコンが置かれ、すぐにイ ン ターネットが出来る状態になっていた。
ベアトリスは開きっぱなしのドアをノックした。パトリックは一度顔を上げたが、すぐにまた荷物整理に手を動かした。
「やあ、結構長かったね。それで探し物は見つかったのかい?」
パトリックは少し冷たい言い方をしたが、これもまた計算した戦略だった。怒ったフリをすればベアトリスは落ち着かなくなり、話の主導権がパトリッ ク側に流れるのを期待していた。
「探し物? うん、見つかったよ。一番自分に必要なものを見つけた」
ベアトリスの落ち着いた返事はパトリックには予想外だった。胸騒ぎがするのか急に手元が止まった。何かが違う。急激なベアトリスの変化に不安にさせられた。
「ふーん、それで何を探してたんだい」
「自分だけの大切なものだから、それは内緒。ところでなんか怒ってる?」
ベアトリスはパトリックの様子を落ち着いて観察する。何かを知っていたとしても、それを聞いたところで簡単に教える人ではないことをよく理解していた。
これから一緒に住めば何かを聞き出すチャンスもいつかあると自分の取った行動についてあまり触れないようにした。
「いや、怒ってないよ。そっか、見つかったのならそれでいいけど」
パトリックは自分の計算した通りの展開にならずに心が乱れていた。
──ベアトリスは何を考えてるんだ。
二人は心の中で気まずい気持ちを抱き、お互い探りあいながらも、表面は何もなかったように振舞っていた。
「何か、手伝おうっか」
ベアトリスがパトリックの側に近づき一緒にベッドに腰をかける。ベッドの上にあったスーツケースの中を覗きこんだ。
「大した荷物はないから、大丈夫さ」
「あれ、これ何?」
ベアトリスがスーツケースの中に手を突っ込みそれを取り出した。
「おい、勝手に人のもの触るな」
パトリックは取り返そうと手を伸ばすが、ベアトリスはそれを交わし目の前でじっくりと見つめた。
「これは……」
それは写真立てだった。べそをかいた子供の頃のパトリックが満面の笑顔のベアトリスと手を繋いで一緒に写っていた。
「笑うだろ、その写真。でも僕には一番大切な思い出なんだ」
華奢な体に、透き通った輝きのある金髪の女の子。ベアトリスが自分で思うのも変だったが、それはとても美少女に見えた。自分の昔の姿に驚き、軽くショッ クを受けていた。そしてこの頃のことを良く思い出せない。
「やっぱりこれはパトリックと私なの?」
「ああ、そうだよ。この時、君から僕の手をぎゅって強く握ってきたんだよ」
「どうしてパトリックは泣いてるの。もしかして私が泣かしたとか?」
「そうだよ」
「えっ、私何かしたの?」
ベアトリスは驚き、思い出そうと眉間に皺を寄せ考え込んだ。
「僕はあの時、傲慢で何でも一番にならないと気がすまなかった。子供ながら生意気なガキだったと思う。友達も作らずいつも一人で、他の奴らとは違う選ばれたものなんだって、そればかり思ってた。だから他の奴らを見下していたんだ」
「それで私が腹立って殴っちゃったとか?」
「ハハハハ、違うよ。君は僕を心配したんだ。『トゲを一杯つけたままだと誰も近づけないよ』って」
「それでどうしたの?」
「君は僕にキャンディをくれたんだ。それを食べると優しい気持ちになってトゲが落ちるとか言って。僕はそんなのいらないってムキになって投げ捨て ちゃったんだ」
「ひどーい」
「だろ、それなのにその時君は、ニコって笑うんだよ。『楽しかった?』って言って。僕ははっとしたんだ。全然楽しくなかったって。『自分が楽しかったら それでいいけど、でも楽しくなかったらそれは間違ってる』ってまた君は言ったんだ。僕は今まで意地になって突っ張ってたことが楽しくなかったんだってやっ と気がついた。そしたら君の前で泣いちゃったよ。君は僕の手を力いっぱい握って支えてくれた。あのときの君の手は本当に温かかった。暫くそのままで歩いて いたら、強情な僕が女の子に泣かされてると思った人が、その時面白半分でこの写真を撮ったんだ。後で笑いものにでもしようとしたんだろうね。でも僕はこの 時のお陰で目が覚めた。そして思った。君は僕を救ってくれたんだって。それからさ、君に夢中になったのは」
「私、すっかり忘れてた。そういえば、急にパトリックはしつこく私につきまとったよね。カエル持ってきたときは驚いたし、私に恨みでもあるのかと思ってた」
「ええ、酷いな。あれは君を慕っての行為だったのに。あのカエルなかなか手に入らない珍しい種類だったんだぞ。だから君にあげたかったのに」
「カエルでそんな風に思える訳ないじゃない。だけど私、なんでそんなこと言ったんだろう。でも小さい頃、人の心の色が見えたような気がした。心に傷を負っ てたり、悲しんでいる人とか見ると、妙に救ってあげたいとか思ったりしたっけ。今じゃ考えられないかも。私の方が救って欲しい感じだもの」
パトリックは写真立てをベアトリスから受け取り、すくっと立ち上がると、大事そうに机の上に飾った。
「だから今度は僕がずっと側にいて、君を幸せにするよ」
さらりと気持ちを伝えるパトリックの言葉。それはいつも自然にベアトリスの心の中に入ってきては、鐘を突然鳴らすようにドキリとさせられる。
ベアトリスはその言葉に心を縛られてパトリックを見つめてしまった。
澄みきったブルーの瞳が愛情一杯に潤い、ベアトリスの心まで静かに届けとパトリックは見つめ返す。二人の距離が無意識に縮まっていった。
──なんて優しい目で見つめるの。本当に私しか見ていない目。
心の奥にまで訴えてくるパトリックのその眼差しはベアトリスの視線を釘付けにする。パトリックの顔がどんどん目の前にせまる。雰囲気が二人を飲み込もうとしていた。
部屋という密室、そして目の前に想い焦がれていた人。この環境でこの状況はパトリックは我を忘れそうだった。その寸前ではっとして、ベアト リスの頭に軽く手を乗せ、ぐしゃっと髪を掴むように撫ぜ、ニコッと笑顔を作った。
「あっ、キスすると思ったでしょう。それともして欲しかった?」
ベアトリスは枕を掴み「バカ」と投げつけて立ち上がった。
パトリックに掻き回されていいように遊ばれているだけなのか、それとも意図があって先の読めない行動をわざとするのか、ベアトリスは持っていきようのない気持ちを握りこぶしを作って、体に力を込めて発散させていた。
パトリックが背後でクスクスと笑っている。しかし心は寂しげに、触れたら割れそうなくらいの薄いガラスの入れ物にベアトリスを思う気持ちを入れて大切に抱えていた。
どこかで気持ちを押さえなければ、パトリックもまたヴィンセントのように暴走しそうになる。
──これじゃ人のこと言えないな。
パトリックは落ち着けとばかり、大きく息を吐き出し、また荷物整理をし始めた。
ベアトリスは自分の部屋に入ると、ドアを強く閉めた。その音は家中に響き、苛立っているのがこの上なく表現され、パトリックも離れた部屋にいながら肩をもちあげるように身 縮める程だった。
ジャガイモが入った袋が投げ捨てられるようにベアトリスはどさっとベッドにうつぶせに寝転んだ。
「もう、あの男の行動は本当に読めない。うっかりしてたら、本当に流されてしまう。これじゃ聞きたいことも聞けやしない」
ベアトリスはこの先が思いやられると思うと、手足をバタバタしてもがいていた。
ふと、パトリックが持っていた写真のことが頭に浮ぶと、がばっと体を起こして、クローゼットの中をごそごそしだした。奥から箱を引っ張り出し、中身を確認する。
「あった」
小さいが厚みのあるアルバムをベアトリスは掴んだ。ずっと考えないようにしていた過去のことだったが、パトリックの持ってた写真を見たせいで昔が妙に恋しくなる。
「私が小さかった頃の写真が入ったアルバム。長いこと見てなかった。あの頃、これをみたらパパとママのこと思い出して泣いてしまうからって、自分で封印し たんだった。誰もきっちりとした情報を教えてくれないまま、悲しみだけが残った事故だった。あのときの記憶はないけど、覚えていたらもっと辛かったんだろ うか」
両親を失った心の傷は癒えたというより、それと向き合うことを許されてはいなかったために、考えることもせず悲しみを深く抱くことはなかった。
この時は懐かしい人に会う気持ちでアルバムを開いてみた。だがページをめくってもめくっても頭に描いた二人の顔に対面できなかった。
「あれ、パパとママの写真がない。どうして」
最後までベアトリスはページをめくっていく。そこには自分の小さかった姿が写りこんだ写真はあるが、家族と一緒に写っているものは一枚もなかった。
「まるでパパとママの存在すらなかったみたい。もしかしたら分けてどこかに入れ込んだのかもしれない」
ベアトリスは箱の中に落ちてないか探した。小さい頃の持ち物や思い出の品は入っているが両親の写真はどこにもなかった。思い違いで最初からもってこなかったのだろうかとも思えてきた。
おぼろげな記憶だけの両親の姿は写真なしではさらにぼやけていく。
このまますっかり忘れてしまうのではと思うとベアトリスの目から涙が溢れ出した。ずっと考えないようにしていたことを後悔し、そして写真までもなくしてしまったことは両親がいたという事実までも抹消してしまった気持ちにさせた。
悲しみに沈んでいたとき、ドアをノックする音が聞こえた。ベアトリスは涙を急いでふき取ると、小さなアルバムを箱に戻して、慌ててそれを部屋の隅に押しやっ た。
入ってもいいと許可をすると、ドアは開きパトリックが恐る恐る覗き込んだ。
「何よ!」
泣いていたことを誤魔化そうとすると、ベアトリスはつっけんどんに答えてしまった。
「なんだい。まだ怒ってるのかい。まいったな。これじゃ一緒に買い物行こうって誘ってもついてきそうもないな」
パトリックは邪魔したと遠慮してドアを閉めようとした。
「待って、一緒に行くわよ」
きつく言い過ぎたかと少し罪悪感を覚え、ベアトリスはむきになってしまう。
何よりパトリックは子供の頃の自分のことを知ってると思うと、思い出を取り戻したくて一緒にいたくなった。
二人はアメリアに一言声をかける。
アメリアはベアトリスが出歩くことに少し心配そうな表情を見せたが、パトリックは任せて欲しいと胸を張る。
アメリアはこんな状況でもベアトリスが明るく振舞っているのは、パトリックのお陰でもあると認めていた。
彼が現れなかったらベアトリスはふさぎこんでいたかもしれないと思うと、ここはパトリックに任せてもいいように思えてきていた。
アメリアが何も口を挟まないことに、パトリックはそれが信頼の証だと受け取った。それに応えるように白い歯を見せて力強い笑顔を返していた。
パトリックとベアトリスは車で出かけると、アメリアはベッドから起き出し、窓のカーテンを閉めた。先ほどパトリックから返してもらった壷を目の前にして何やらブツブツ と呪文らしい言葉を発した。
言葉に反応して真珠のような飾りが光だし、映写機で投影されたように人影が現れた。そしてそれは声を発す。
アメリアは感情を一切出さず、まるで苦手な気持ち悪い虫を見るような目をしてそれと向き合った。
それが姿を現す度、避けて通ることができない試練をいつも味わっていた。
アメリアはそれと暫く語っていた。
広大な土地が広がるこの辺りの地形は、四方八方に山がなく、ひたすら平野が続き、高いビルや建物が目の前を遮らなければ地平線が当たり前のように見渡せる。
ダウンタウンで、密接してそびえて建っている近代ビルを遠くから見ると、地平線が広がる土地では、そこだけ生け花をさしたように目立っていた。
それを背にしながらコールはハイウエイを走っていた。
高速を降り、住宅街に入って目的地へと車を急がせる。
「おっと、ここでスピード違反をしたらリチャードが飛んできてしまう。気をつけねば」
広い緑の土地に囲まれた池の向こう側に屋敷が見えると、焦る気持ちを抑え適当な場所に車を止めて、そこからは歩きだした。
このあたりは土地が豊富なため安く、家もそこそこの値段で大きなものが建つ。
ある程度の余裕があれば、豪邸も夢ではないかもしれない。
そんな豪邸の中でも、値段が極端に安かったりすれば、いわくつきの可能性もあるかもしれないが、実際過去に殺人事件の舞台となり、人々は呪われた屋敷と噂する家があった。
もう何十年も人が住んでいないが、門の向こうは広い土地と木々に囲まれ、何軒もの家を足したような大きさの立派な屋敷が建っていた。
コールはその家の門前に立った。
過去に悲鳴が部屋中響き、赤い血の海に染まった屋敷だと思うと肌に合うと興奮し舌なめずりをした。
「さあて、ゴードンを探すか」
門がどんなに高くとも、超人並の動きで軽がるジャンプしては、あっという間に敷地内へ入っていく。誰かに見つかり追いかけられたとしても、コールは捕まる心配は全くなかった。
それよりも追いかける奴の背後に素早く移動して、いざとなれば首を絞めることだろう。この男には下手に近づけば命の保障はない。
「ゴードン、居るか。いるんだろう。でてこい」
コールはかくれんぼの鬼のようにゲーム感覚で辺りを探す。
誰もいるはずのない二階の部屋の窓に物影がすっと動くと、そこだとめがけて屋根に飛び乗り素早い動きでコールは追いかけた。
逃がすかと、窓ガラスの部分に体をすり抜けさせた。
コールはガラスであれば、それを液体化させて、そこを通り抜ける能力を持っていた。
やはり素早い動きのコールには敵わずに、ゴードンはいとも簡単に首根っこを捕まえられていた。
「やっと見つけたぜ、ゴードン。なんで逃げるんだ」
コールの顔は笑っているが、低く不気味な声をだしていた。
それ以上変な行動をすると容赦はしないと言っているようなものだった。
「コール、何しにきたんだよ。おいら何もしてねーよ」
コールが怖いのか、丸い体をさらに猫のように丸め、ゴードンは怯えていた。力関係がありありと見えた。
「あれだけノンライトたちの世界で騒ぎを起こしておいて、何もしてないだと。嘘つくと為になんないぞ」
ゴードンは床に投げ飛ばされた。体がふくよかで丸いせいかボールのように跳ねて転ぶ。乱れた少ない髪を後ろになぜてぷくーっと頬を膨らませた。
「痛いじゃないか。ただでさえ、足腰が痛いっていうのに。もしかして昨晩のことを聞いてるの? あれはホワイトライトじゃなかったよ。引っかかった反応が いつもと違ったからおいらも変だと思ったんだ。そして確かめにいったらやっぱり違った。ディムライトよりは力ありそうだったけど、中途半端な奴だった。だから腹立って虐めてやった」
「ホワイトライトじゃなかったのか。それでも反応はあったってことなんだろう。そいつは何者だ」
「そんなのわかんない。役に立たないものはいらないからどうでもいい」
「まあ、それはいいとして、そこで物は相談だが、罠をあちこちに仕掛けてくれないか。ホワイトライトがこの辺にこっそりと潜んでいるんだ。それをどうしても見つけたい」
コールの顔をちらりと見ながら、嫌悪感を露にし、ゴードンは渋るような態度を見せた。
「罠ならもうあちこちにしかけてある。おいらもホワイトライトを手に入れたい。足腰が痛いからそれ治して欲しいだけ。それ以上のことは望まない」
「お前、わかってねぇーな。ホワイトライトに足腰の痛みを治して欲しいだと。あいつらは医者か。それよりも、ホワイトライトのもつライフクリスタルを手に入れれば、あいつらの世界に行き来でき、永遠の命を持つことができるんだぜ」
「ライフクリスタルは彼らの命のことじゃないか。そんなのとったらホワイトライト死んじゃう」
ゴードンはダークライトでもすれてない部類だった。深く物事を考えられず、他のダークライトの間では頭が足りないと見下されている存在だった。
それがゴードンのコンプレックスでもある。
だがホワイトライトを見つける能力は誰よりも優れているために、自分の意思とは裏腹に利用されやすい存在でもあった。
「何言ってんだ。あいつらばかりいい思いして、のうのうと永遠に暮らしてやがる。それをダークライトが乗っ取ってやるんだ。この世は面白くなるぜ。俺たちが全ての世界を支配するんだぜ。なっ、協力するだろう」
「コール、ずるいから信用できない。今までいろんなダークライト騙した」
「お前はちょっと頭の足りない奴だと思っていたが、ここまでバカだったとは。俺に逆らうってことはどういうことかわかってるのか」
コールは凄みをきかせ、褐色の目になり数体の影を呼び集めた。
ゴードンはそれに取り囲まれ、じりじりと追い詰められていった。
「何すんだよ。おいら、影嫌い。こいつらおいらの中に入って好き勝手する。暴れたらリチャードに目をつけられる」
影は通常ノンライトにとり憑くが、ゴードンのような気弱なタイプのダークライトも、ときには影が入り込み、いいように弄ばれる。
「昨日あれだけ暴れておいて、もうとっくに目を付けられてるんじゃないのか。そんなこともわからないのか」
「あれは、殺してない。腹立ったからちょっと虐めただけ。あれくらいならリチャード許してくれる。でも影がおいらに入ったらのっとられて誰か殺しちゃう。そしたらリチャードに抹殺される。嫌だ」
ゴードンは弱いために、他のダークライトに利用されないようにと、リチャードのいるこの土地をわざと選んでいる。
悪事を働きたい、力を持つダークライトは反対に、この土地を敬遠するので、無茶をしなければ平和に暮らせるのをゴードンは良く知っていた。
「だから、ホワイトライトを手にしたらリチャードなんて怖くなくなるんだよ。俺たちの方が偉くなるんだよ」
「偉くなる? それっておいら賢くなるってことか?」
急にゴードンの目がキラキラする。憧れと希望が瞳に現れた。
コールはその手があったかとイライラしてた気分が急に晴れ、笑顔と共に最大限にゴードンの欲望を刺激した。
「ああ、そうだ。もう誰にもバカにされずに、賢くなって皆から認められる」
「そっか! 賢くなるのか。それじゃ手伝う。でもコール絶対おいらのこと裏切らない?」
「当たり前だろうが。お前は俺の相棒じゃないか。お前と俺でダークライトを一番偉いものに変えようぜ」
「賢くなれる。もうバカとは呼ばれない。うん、わかった協力する。だからこの影どこかへやって」
コールは影を蹴散らした。
だが一体だけ、まだゴードンの背後にいる。それに指示を与えると、何も知らないゴードンの背中にすーっと入っていった。
コールは鼻で小バカに笑うも、何事もないようにゴードンの肩を抱いて大親友のように豪快に優しく接した。
ゴードンは何も知らず気分よく無邪気に浮かれていた。
この日、突然学校が休みになると、考えることは皆同じなのか、暇をもてあそぶ高校生達がモールや映画館に足を運んでいた。
サラ、グレイス、レベッカ、ケイトの四人組みも映画館から出てきて、先程鑑賞した映画の感想を好き勝手に述べていた。
「禁断の恋か。ねぇ、吸血鬼って本当にいるのかな。あんなかっこいい吸血鬼なら私も恋に落ちたい」
レベッカが目をとろんとさせて語っている。
「あんたじゃ無理よ。せいぜい、血を吸われて捨てられて川に浮かんでるわ」
ケイトがメガネを押さえて、あざ笑うかのようにあっさりと返すと、レベッカはケイトの頭を叩いた。
「でもあの映画観てたら、主人公たちがベアトリスとヴィンセントと重なっちゃった」
ぼそっとグレイスが言った。
サラは何も言わずスタスタと前を歩いている。
「そしたら、もう一人でてきた恋敵の狼男の役はパトリックになってしまうじゃない」
レベッカが笑いを取ろうと冗談を言ったつもりが、サラが突然振り返り強く睨んでいた。
「どうしたのよ、サラ、何をいらついてるの。映画面白くなかったの?」
レベッカが走りよって声をかけるが、サラは無視をした。ほっとけとケイトが目で伝えると、レベッカも頷く。
「ねぇ、まだ時間あるし買い物にいかない」
グレイスが気を遣って三人をモールへと導いた。
ぶらぶらと四人が歩いていると、ショーウインドウに飾られたドレスに目が行き立ち止まる。
「そう言えば、プロムがもうすぐね。私達ソフォモアは来年からになるけど、もしジュニアやシニアの男子に誘われたら 出られるんだよね。誰か誘ってくれないかな」
レベッカが憧れの眼差しを向けて言った。
彼女はショートヘアーでボーイッシュな感じがするが、内面は白馬の王子様を待つような女の子であった。
だが、ソバカスがコンプレックスなために、それを補おうと明るく振舞い活発な雰囲気が目立ってしまう。
「この中で一番可能性がありそうなのはグレイスね。この間デート誘われてたじゃない。あれは確かジュニアじゃなかった?」
ケイトがしっかり見てたと言わんばかりに言った。
「やだ、ケイトったら、見てないようでちゃんと観察してるんだもん。監視カメラみたい」
グレイスははにかみ、困惑した態度をとった。
「でも、断ったんでしょ。グレイスが見知らぬ男性に声を掛けられてホイホイついて行くわけないじゃない」
話の腰を折るようにぶっきらぼうにサラが言った。
三人は顔を見合わせる。サラの機嫌が悪いことを感知して、またいつもの悪い癖が始まったと確認しあっ た。
「だけど、サラだって隣のクラスの男の子からデート誘われたわよね。あっさり断ってたけど。あの子、結構もてるのにもったいないな。でもサラってどういうタイプが好みなの?」
ここはサラ中心の会話を取らせようと、レベッカが話を振った。
しかしサラは黙って三人の前を歩いていた。質問に答えようとはしなかったが、質問の内容はしっかりと把握し、サラの頭の中には憧れの人の顔が浮かんでいた。
でも、そんな事はこの三人の前では言えるわけがなかった。
サラの反応がいつまで待っても得られないので、三人は好きにすればいいともう放っておくことにした。
「ねぇ、なんか飲まない? 喉渇いちゃった」
ケイトがモールの中心にあるフードコートに行こうと誘った。
各々の好きなものを手に入れ、空いているテーブルを見つけ一息つく。
だけどサラだけは、何も頼まず静かに座っていた。
グレイスが気を利かせて、自分の飲み物を勧めるが、いらないとサラは手ではたいてしまった。
その時カップがテーブルに倒れしまい、蓋がしてあったがストローを差し込んだ隙間から少し中身が飛び出してしまった。
「サラ、いい加減にしなさい」
レベッカが注意をすると、グレイスはこれ以上こじれるのを避けるためになだめていた。
「大丈夫だって。私の不注意で傾いただけだから。ちょっと手が汚れたから洗ってくるね」
グレイスは立ち上がり席をはずした。
サラのおかしさがいつもの機嫌の悪さとは違うのを気にしていた。
パトリックとベアトリスも同じモールで買い物していた。
「でかいモールだな。ここじゃなくても、その辺の適当なところでよかったんだけど、もしかしてベアトリスがここに来たかったのかい。僕とのデートのためにいいところを選んでくれたんだね」
また出たかとベアトリスは思ったがもうすでに免疫がついていた。
「ここが一番近かったの。ここなら欲しいもの大体揃ってるからちょうどいいでしょ」
「そして、映画館もある。なるほど一緒に映画っていうのもいいね」
「アメリアを放っておいて映画なんて観てられないでしょう。早く欲しいもの買って帰りましょう」
ベアトリスが後方にいるパトリックに視線を向けながら前も確認せずに歩いていると、パトリックは走ってベアトリスを片手でさっと抱えた。
ベアトリスは突然のことにドキリとしてしまう。
また抗議しようと怒りを露にしようとしたとき、目の前を車がすーっと通っていった。
車が頻繁に出入りする駐車場では、余所見をしていると危険だった。
「危ないじゃないか。駐車場で轢かれたらどうすんだい」
パトリックに助けられて、ベアトリスはバツが悪くなる。
さらにパトリックはベアトリスの手を繋ぎ、幼児のように引っ張っていった。
「ちょっと、子供じゃないんだから離してよ」
「やだ。この手を離したらまた君は危ないことするかもしれない」
ベアトリスはパトリックの腕を見て、ヴィンセントと手を繋いで廊下を走ったことを思い出すと、それとオーバーラップしてしまう。
はっとしたとき、パトリックの手を大きく振りはらって、慌ててモールの入り口へ早足で進んでいった。
パトリックは寂しげな表情で何も言わずに後を静かについて行く。
モールの中では必要なものを値段も見ずに、パトリックは手当たり次第に買っていく。
支払いは全てカードを使っていた。
「一応社会人だからね」
聞いてもないが、ベアトリスが口を開けてみていることに、パトリックは心配ご無用といつもの笑顔を振りまいていた。
元々金持ちではあったが、仕事を持って自分で稼いでるのならベアトリスも文句もいえない。
ベアトリスはパトリックのしたいように任せ、暫く従って着いて行っていたが、買い物は中々終わりそうにもなかった。
「ねぇ、まだ服買うの?」
ショッピングバッグは両手一杯に増えていた。
「うん、着替えあんまりもってこなかったから、それにかっこいい服着ないと、ベアトリスのハートをつかめないだろ」
はいはいと、ベアトリスは無視して先を歩いた。
そしてある店で足が止まった。そこはヴィンセントが着る服装の雰囲気がしていたからだった。
それをじーっとみてふと廊下で拾った服の切れ端を思い出した。
ご丁寧にしっかりとジーンズのポケットに入れていた。それを取り出して複雑な思いで眺める。
「ベアトリス、どうしたの」
パトリックに声を掛けられ、咄嗟にまたその服の切れ端をポケットにしまった。
「あっ、ここもいい感じの服があるね。ちょっと見ていこうかな」
「ダメ!」
ベアトリスの口から咄嗟に出た言葉は、何かを守りたいほどに威嚇するくらいの勢いだった。
「なんだよ、そんなに強く否定しなくても…… 僕に似合わないってかい? そうだな、ちょっと派手だよね。僕は落ち着いたシンプルなものが好きだか らね。さすが僕の好みまですぐにわかるなんて、よく僕のことみてくれてるんだ」
ベアトリスは心苦しかった。本当の理由など言えない。それなのにパトリックはいつも前向きな答え方を返してくる。
ヴィンセントのことを考えるとパトリックと一緒にいることが辛くなってくる。
心の寂しさを補うためにパトリックを利用している気さえしてきた。
ただの幼なじみで友達と線分けしていても、認めてなくとも形式上は婚約者でもある。
そして何より、パトリックと一緒に居ることが嫌じゃなかった。強引で必要以上に前向きだが、優しくていつも自分のことを考えてくれて守ってくれる。
ベアトリスはパトリックに流されていくのが怖くなってしまった。だが、繋ぎとめるためのロープがどこにも引っかからない。
心の迷い──。
ベアトリスは衝動にかられ突然早足でその店の前を過ぎ去った。
「ベアトリス、ちょっと待ってよ」
パトリックは追いかけようとしたが、前から来ていた人とぶつかってしまった。謝っている間にベアトリスは人ごみに紛れてかなり先を歩いていってしまった。
「んもう、参ったな。まっ、いっか。迷子になるってこともないな。方向はこっちだし、僕の姿が見えなくなったらベアトリスも気になって探してくれることだ ろう」
パトリックは落ち着いてまた自分のショッピングを楽しんだ。そしてチョコレートショップを見つけるとそこに入っていった。
我に返ってふと後ろを振り返ると、パトリックがいないことに今度はベアトリスが気がついた。その場で突っ立って、辺りをキョロキョロする。
そして後ろから突然肩を叩かれた。