(12月第3水曜日)
岸辺君は今、茨木研究所に研究企画室長をしている。昨日から秋本君が所属しているプロジェクトの打ち合わせで本社へ来ている。
水曜日、今日の7時から例のビアホールで3人で飲むことになった。
理奈にはお昼頃にメールで[出張で来ている同期と急に飲むことになったから、夕食はいらない。帰りは10時前後]と知らせておいた。
5時になってから仕事が急に入った。急いでその仕事を片付けたが、僕は20分ほど遅れて到着した。
秋本君にメールで遅れることは知らせておいたから、もう二人は1杯目のジョッキを空けていた。
「すまん。遅れて」
「久しぶりだな、仕事は順調か? 僕は地方で通勤時間も短いし、ゆとりがある。地方勤務もいいもんだ」
「そうか、地方もいいね。室長だと気をつかうこともないだろう」
「そうでもない。ストレス解消に嫁さんと休みの日に観光をして回っているよ」
「奥さんとは歳はいくつ離れている?」
「10歳かな」
「そんなに離れていれば可愛いだろう」
「まあね。秋本君から聞いた。僕に聞きたいことがあるんだって」
「差支えなければでいいんだけど、どうして結婚に踏み切ったのか教えてほしくて」
「そんなことか。コピーでトラブった時に、派遣社員の地味な女の子が、コピー機を直してくれた。気が利くようなので、たまたまアシスタントがほしくて、室長に相談したら、僕の部下に取ってくれた。一緒に仕事をするとよく気が付くし、話しているとなぜかほっとするところがあった」
「癒されるって感じ?」
「そう、話していると気持ちが穏やかになってほっとする感じがした。それで付き合うことにした。付き合ってみるとすごく可愛い娘で驚いた。そしていつでも僕を優しく受け止めてくれた」
「今でも癒されるって感じている?」
「ああ、家に帰って彼女の顔を見るとほっとして気が休まる。随分歳が離れているけど、自分を飾らずに本音で素直に話ができるし、甘えられると言うか、僕を優しく受け止めてくれる。嫁にして本当によかったと思っている」
「半分はのろけだろうけど、良い話を聞かせてもらった」
「どこが参考になったか?」
「そう、自分を飾らずに本音で素直に話ができるとか、甘えられるとか、優しく受け止めてくれるとか」
「僕は彼女の前では粋がったり虚勢を張ったりしないで自然に振舞うようにしている。弱音を吐いたり、悩みを相談したりする。彼女はそれを自分のことのように受け止めてくれて、なぐさめてくれたり、励ましてくれたり、一緒に怒ってくれたりする。いつも僕に寄り添って味方になってくれる。彼女が分かってくれていると思うとほっとする」
「良く分かった。奥さんは本当に優しい性格の人なんだね」
「それもあるけど。僕が望んでいることを感じ取って無意識にそれをしてくれているのかもしれない」
「癒してほしいとアピールしているのか?」
「誰でも弱音を吐きたいことはあるだろう。自分の弱みを見せることも時には必要なことだと思う。また、頼りにしていると言うことも、大事なことだと思う。自分が頼りにされていると思うと、嬉しいのか、支えようとしてくれる」
「岸辺君も何かと努力しているんだ」
「それほどでもないけど、夫婦って持ちつ持たれつでいいんじゃないのか?」
岸辺君から聞いた話は胸に応えた。
今まで理奈のためには全力を尽くしてきたが、求めていたものは身体だけだったのかもしれない。優しさをあえて求めることはしなかった。
何か気を引くためにするばかりで、優しくしてもらおうなどと思っていなかった。
もっと甘えて、頼りにしても良いのかもしれない。その方が理奈も嬉しいのかもしれない。
もっと気を許して接するべきだった。僕の方が理奈に対して緊張し過ぎていたのかもしれない。
こちらが心を閉ざしていたのでは、癒されることもない。
心を開いて、癒されたい! 癒してもらいたい! と思うことから始めるべきではないのか?
では、どのようにして始めようか、それが問題だ。
帰りの電車の中でずっとそのことを考えていた。
そういえば、なじみになった「由香里」のことを思い出した。彼女はいつも僕を優しく癒してくれた。
「僕は君にやりたい放題をしている。でも君はそれをすべて受け入れてくれる。愚痴を言っても黙って聞いていてくれる」
「お仕事ですから、でも、男の人って誰かに甘えたいのではないですか? 弱音や愚痴を聞いてもらいたい、彼女や奥さんにできないようなことをしたい。やっぱり甘えたいんです」
「そうかもしれないね、弱音や愚痴をいっても黙って聞いていてくれる。やりたいこともさせてくれる。すべてを受け入れてくれる。だから癒されるのかもしれないね」
「元気になってもらえればそれでいいんです。癒されたと言ってもらえると嬉しいし、私もそれで癒されます」
良い娘だったが、いつの間にかいなくなってしまった。
1年位前に街で見かけたのでなつかしくて声をかけたら迷惑そうに拒絶された。彼氏のような男が彼女をかばった。
そのとき自分のしていることに気づいて恥ずかしくなって、その場を急いで離れた。
僕は彼女の立場なんか眼中になかった。自分のことしか考えていなかった。彼女を傷つけて申し訳ないことをした。
僕は理奈のことでも、自分のことしか頭になかったのかもしれない。彼女の心と身体を早く自分のものにしたいとそれだけを考えていた。
だから自分のものにしたという満足感はあっても、癒されたと思えるはずがない。
そんなことを考えていると自己嫌悪に陥って段々気が滅入ってきた。
今日は仕事も忙しかったし、同期と飲んで憂さを晴らしたということもなかった。
岸辺君の話を自分と比べながら聞いて飲んでいた。
気が重いから足取りも重い。疲れがどっと出てきた。
岸辺君は今、茨木研究所に研究企画室長をしている。昨日から秋本君が所属しているプロジェクトの打ち合わせで本社へ来ている。
水曜日、今日の7時から例のビアホールで3人で飲むことになった。
理奈にはお昼頃にメールで[出張で来ている同期と急に飲むことになったから、夕食はいらない。帰りは10時前後]と知らせておいた。
5時になってから仕事が急に入った。急いでその仕事を片付けたが、僕は20分ほど遅れて到着した。
秋本君にメールで遅れることは知らせておいたから、もう二人は1杯目のジョッキを空けていた。
「すまん。遅れて」
「久しぶりだな、仕事は順調か? 僕は地方で通勤時間も短いし、ゆとりがある。地方勤務もいいもんだ」
「そうか、地方もいいね。室長だと気をつかうこともないだろう」
「そうでもない。ストレス解消に嫁さんと休みの日に観光をして回っているよ」
「奥さんとは歳はいくつ離れている?」
「10歳かな」
「そんなに離れていれば可愛いだろう」
「まあね。秋本君から聞いた。僕に聞きたいことがあるんだって」
「差支えなければでいいんだけど、どうして結婚に踏み切ったのか教えてほしくて」
「そんなことか。コピーでトラブった時に、派遣社員の地味な女の子が、コピー機を直してくれた。気が利くようなので、たまたまアシスタントがほしくて、室長に相談したら、僕の部下に取ってくれた。一緒に仕事をするとよく気が付くし、話しているとなぜかほっとするところがあった」
「癒されるって感じ?」
「そう、話していると気持ちが穏やかになってほっとする感じがした。それで付き合うことにした。付き合ってみるとすごく可愛い娘で驚いた。そしていつでも僕を優しく受け止めてくれた」
「今でも癒されるって感じている?」
「ああ、家に帰って彼女の顔を見るとほっとして気が休まる。随分歳が離れているけど、自分を飾らずに本音で素直に話ができるし、甘えられると言うか、僕を優しく受け止めてくれる。嫁にして本当によかったと思っている」
「半分はのろけだろうけど、良い話を聞かせてもらった」
「どこが参考になったか?」
「そう、自分を飾らずに本音で素直に話ができるとか、甘えられるとか、優しく受け止めてくれるとか」
「僕は彼女の前では粋がったり虚勢を張ったりしないで自然に振舞うようにしている。弱音を吐いたり、悩みを相談したりする。彼女はそれを自分のことのように受け止めてくれて、なぐさめてくれたり、励ましてくれたり、一緒に怒ってくれたりする。いつも僕に寄り添って味方になってくれる。彼女が分かってくれていると思うとほっとする」
「良く分かった。奥さんは本当に優しい性格の人なんだね」
「それもあるけど。僕が望んでいることを感じ取って無意識にそれをしてくれているのかもしれない」
「癒してほしいとアピールしているのか?」
「誰でも弱音を吐きたいことはあるだろう。自分の弱みを見せることも時には必要なことだと思う。また、頼りにしていると言うことも、大事なことだと思う。自分が頼りにされていると思うと、嬉しいのか、支えようとしてくれる」
「岸辺君も何かと努力しているんだ」
「それほどでもないけど、夫婦って持ちつ持たれつでいいんじゃないのか?」
岸辺君から聞いた話は胸に応えた。
今まで理奈のためには全力を尽くしてきたが、求めていたものは身体だけだったのかもしれない。優しさをあえて求めることはしなかった。
何か気を引くためにするばかりで、優しくしてもらおうなどと思っていなかった。
もっと甘えて、頼りにしても良いのかもしれない。その方が理奈も嬉しいのかもしれない。
もっと気を許して接するべきだった。僕の方が理奈に対して緊張し過ぎていたのかもしれない。
こちらが心を閉ざしていたのでは、癒されることもない。
心を開いて、癒されたい! 癒してもらいたい! と思うことから始めるべきではないのか?
では、どのようにして始めようか、それが問題だ。
帰りの電車の中でずっとそのことを考えていた。
そういえば、なじみになった「由香里」のことを思い出した。彼女はいつも僕を優しく癒してくれた。
「僕は君にやりたい放題をしている。でも君はそれをすべて受け入れてくれる。愚痴を言っても黙って聞いていてくれる」
「お仕事ですから、でも、男の人って誰かに甘えたいのではないですか? 弱音や愚痴を聞いてもらいたい、彼女や奥さんにできないようなことをしたい。やっぱり甘えたいんです」
「そうかもしれないね、弱音や愚痴をいっても黙って聞いていてくれる。やりたいこともさせてくれる。すべてを受け入れてくれる。だから癒されるのかもしれないね」
「元気になってもらえればそれでいいんです。癒されたと言ってもらえると嬉しいし、私もそれで癒されます」
良い娘だったが、いつの間にかいなくなってしまった。
1年位前に街で見かけたのでなつかしくて声をかけたら迷惑そうに拒絶された。彼氏のような男が彼女をかばった。
そのとき自分のしていることに気づいて恥ずかしくなって、その場を急いで離れた。
僕は彼女の立場なんか眼中になかった。自分のことしか考えていなかった。彼女を傷つけて申し訳ないことをした。
僕は理奈のことでも、自分のことしか頭になかったのかもしれない。彼女の心と身体を早く自分のものにしたいとそれだけを考えていた。
だから自分のものにしたという満足感はあっても、癒されたと思えるはずがない。
そんなことを考えていると自己嫌悪に陥って段々気が滅入ってきた。
今日は仕事も忙しかったし、同期と飲んで憂さを晴らしたということもなかった。
岸辺君の話を自分と比べながら聞いて飲んでいた。
気が重いから足取りも重い。疲れがどっと出てきた。