11時過ぎにタクシーでマンションに到着した。

今夜は飲み過ぎた。いつもは気を付けて飲んでいるが、今回は意外と早く酔いが回った。

仕事の話に気合が入りすぎて喉が渇いて無意識に飲む量が増えたからだと思う。

それに興奮してくるとアルコールの回りが早くなるような気がする。

玄関ロビーへ入る時にキーをかざすが、キーを持つ手が定まらない。しっかりしなければと気を引き締める。もう一息で部屋にたどり着く。

この時間にコンシェルジェはいない。エレベーターに乗ったのは憶えている。自分の部屋のドアを開けて玄関の中に入ったのも憶えている。

安心したのか、そこでしばらく座って眠ったみたいだ。どのくらいそれから時間が経ったか分からない。

急に吐き気を催したので気が付いて、玄関わきにあるトイレに駆け込もうとするが、脚がもつれる。

もう喉まで上がってきている。トイレのドアを開けたところで、吐いてしまった。

意識が朦朧とする中で、なんとか後始末をしようとするが身体が言うことを聞かない。あきらめて、そこに座って、またうとうとした。

「どうしたんですか?」と物音に気付いたのか、声をかけられた。

地味子がいつものトレーナースタイルで顔を覗き込んでいる。

「気持ちが悪い。また、吐きそうだ」

地味子はすぐに俺が起上るのを手伝ってくれて、トイレの中で吐かせてくれた。

随分長い時間かかったような気がする。その間、地味子は俺の背中をさすってくれていた。俺からすると随分小さな手だったけど心地よかった。

少しずつ酔いが醒めてきていた。

「ありがとう、もう全部吐いたから」

「大丈夫ですか? 洗面台でうがいをして、手を洗ったほうがいいですよ。着替えも」

地味子は俺の部屋まで付いてきてくれた。そして、ウォークインクローゼットの中に入って、タオルと下着とパジャマを出して、それをベッドに置いて部屋を出ていった。

手を洗って、口を濯ぐとさっぱりした。きっと全部吐いたからだろう。

スーツを脱いでパジャマに着替えてから、椅子に腰かけてぼんやりしていると、酔いも醒めてきた。

ここで眠るとまた酔いが回る。これは経験から分かっている。酔いを十分醒ましてから眠ると二日酔いにもなりにくい。

喉が渇いたので、飲み物を取りにキッチンへ行こうと部屋を出た。

なんとかまっすぐ歩けた。玄関脇のトイレを地味子が掃除してくれていた。

最初に吐いたゲロは幸いトイレの入り口だったので、床まで汚すことはなかった。明日の朝、起きてから掃除しようと思っていた。

「すまないな、俺の不注意だった。明日の朝、俺が掃除するから」

「気にしないでください。トイレ掃除は私の仕事ですから、それより大丈夫ですか?」

「ああ、全部吐いたら楽になった」

「こんなことは初めてですが、遅い時はいつもこうなんですか?」

「こんなに吐いたことはめったにない。会社勤めをしてから3回目くらいかな」

「何か面白くないことでもあったのですか?」

「いや、仕事の話に夢中になっていたので、喉が渇いて、飲み過ぎた」

「クールな篠原さんには似つかわしくないですね」

「俺がクール?」

「いつも冷静であまり感情的にならないですから」

「そうみえる?」

「はい」

「どちらかというと、気が短い性格でね。それを自覚しているから、できるだけ冷静になるようにいつも努めているだけだ。今日は仕事の打ち上げだったので、それもあって油断した。飲んで議論を始めるとつい夢中になってしまうんだ」

「良い仕事仲間がたくさんおられて羨ましいです」

「白石さんにはそんな仕事仲間はいないのか?」

「いないこともありませんが、以前の会社の同僚くらいです」

話している間に掃除が終わった。

「申し訳なかったね。こんな時間にそれもゲロの後始末をしてもらって」

「トイレの掃除は契約のうちですから、お礼は必要ありません」

「これは想定外のことだろう」

「関係ありません」

「今度何か別にお礼をするよ」

「それより、もうこんなことが無いように飲み過ぎには注意してください。身体にもよくありませんから」

「分かった。気を付けるよ。コーヒーを入れるから飲まないか?」

「今、コーヒーを飲むのは胃には良くないと思います。吐いたばかりでしょう。白湯の方がいいんじゃないですか?」

「そうか、じゃあ、そうするか」

「明日は土曜日でお休みですから、ゆっくり眠って今日の疲れをとって下さい。篠原さんが起きてからゆっくり掃除を始めます。おやすみなさい」

地味子はそういうと部屋に戻って行った。

ゲロの嫌みを言うことまもなく、淡々と後片付けをしてくれた。彼女にコーヒーを注意されると反発もなく自然に従ってしまった。

話をしていると心が安らぐ。これでぐっすり眠れる。ありがとう、地味子。良い娘を同居人にしてよかった。

優しい嫁をもらうと、飲んで夜遅く帰っても、きっとああ言ってくれるんだろうな。