俺は店の経営にも見通しがついてきたので、経理を見てもらったお礼に夕食をご馳走したいと結衣さんを誘った。
久しぶりで二人でゆっくり食事ができるので嬉しいと受けてくれた。
場所はあのお見合いをした料亭にした。
あそこなら人目にもつきにくい。ここに帰ってきたときに歓迎会をしてもらっていたので料理がとても美味しいと知っていた。
部屋で待っているといつもの地味な結衣さんがやってきた。
すぐに料理を出してもらった。お互いにビールをグラスに注いで乾杯をする。
今日はプロポーズをしようと思っている。受けてくれることは分かっているが、それでもやはり落ち着かない。
それもあって出て来る料理を次々と平らげていった。
せっかくの美味しい料理なのに味わっているゆとりがなかった。でも結衣さんはゆっくりと味わって食べてくれている。
「ここのお料理は本当に美味しいですね」
「そういってもらうと招待した甲斐がある。ゆっくり食べて」
「真一さんもゆっくり味わって食べてください」
「ああ」
「お店が順調にいっているようで良かったですね」
「ありがとう、結衣さんのお陰だ。本当にありがとう。助かった」
食べながらたわいのない話をするが、結衣さんは、俺が気もそぞろなのに気が付いているみたいだった。
お腹が一杯になったころに、デザートが出てきた。今日は結衣さんも少しビールを飲んでいつもより陽気になっている。俺はそこで座り直した。
「結衣さん、俺と結婚してほしい。どうか俺のお嫁さんになってほしい。お願いします」
「お受けします。ありがとうございます。とっても嬉しいです」
俺は結衣さんのそばまで行って、ポケットからケースを取りだして、婚約指輪を左手の薬指にはめた。指輪はぴったりだった。
そして結衣さんを抱き締めてキスした。俺たちは婚約した! いい感じだった。
その時「お料理お済ですか?」と仲居さんが襖を開けた。
俺は驚いて結衣さんから離れたが、しっかり仲居さんに見られたと思う。
すぐに「失礼しました」と慌てて襖を閉めて行った。
良いところだったのに邪魔された。結衣さんは俺の口についた口紅をハンカチでそっとぬぐってくれた。
「帰ろうか、送って行くから」
「はい」
店を出てタクシーに乗る時に、あの仲居さんが「申し訳ありませんでした」と謝っていた。
俺は「口外しないでくれればいいから気にしないで」と言った。でもきっと噂になるだろう。俺があの地味な社長の姪といちゃいちゃしていたと!
結衣さんを送っていって別れ際に「すぐに伯父さんにご挨拶に行くから」と伝えておいた。
次の日に俺は朝一番で『吉野』の社長を訪ねた。そして俺と結衣さんが婚約したことを伝えた。
社長は「地味な姪が結婚しないので心配していた。真一さんと結婚することになって、こんなにめでたいことはない」と喜んでくれた。
故郷へ戻ってきて半年が経っていた。
俺がお見合いして地味な白石結衣さんと交際していることはもう社員の誰もが知っていた。婚約したことは月1回全員で行っている朝の月例ミーティングで報告した。
パートの年配女子社員から「ご婚約おめでとうございます。社長が見初められたお方だから、よっぽどよい方なんでしょうね」と言われた。
その言い方には全くいやみがなかったし、感じられなかった。結衣さんが褒められているように思って嬉しかった。
結衣さんに言われたとおりにそのことを話すと「真一さんのお店の社員の方は見る目があっていい方ばかりですね」とやはり喜んでいた。
「でもうちの店の社員はあんな噂話をして」と思い出して悔しがっていた。
「私のことはともかく真一さんのことを悪く言われたのが悔しい」といつもは冷静な結衣さんが珍しく怒っていた。
俺は「その恨みは二人の結婚式で果たしてやればいいじゃないか」と言ってなだめておいた。
結婚式の会場と日程を決めたので、結婚式の司会を頼みに隆一のところへ二人で会いに行った。
電話では二人で行くといっておいたが、婚約者はあの白石結衣さんだとは言わなかった。
隆一の本店の応接室で待っていると、隆一社長が現れた。
「どうしたんだ、婚約相手というのは、白石結衣さんか? 行方知れずになったと言って大騒ぎしていたのにいったいどうなっているんだ」
俺は隆一に偶然にお見合いで結衣さんと再会してからこれまでの話をした。
「俺も真一が菓子店の社長の地味な姪子さんとお見合いをしたと言う話は噂で聞いていたが、まさかその地味な姪子さんが白石さんだったとは思いもつかなかった」
「やはり、同業では真一さんが社長の地味な姪とお見合いをして付き合っていると言う噂が広がっていたんですね。それもお金目当てだとか言って」
結衣さんがその噂をムキになって確認した。
隆一はその噂を否定はしなかった。結衣さんはそれでますます感情的になった。
「結婚式では前の絵里香よりもずっとずっと素敵な女性に変身して、その噂話を打ち砕いてやります。誰よりも大切な真一さんが侮辱されました。絶対に見返してやります!」
「まあ、まあ、そう興奮するなよ、そんな結衣さんを初めてみた。俺のためと言ってくれるのが嬉しい」
「おいおい、二人でのろけ合っていないで、俺に頼みってなんだ」
「結婚式の司会を頼みたいんだが、引き受けてくれないか?」
「喜んで引き受けるが、条件がある。俺に友人代表の挨拶もさせろ、それが条件だ。おまえも俺の結婚式では友人代表で挨拶しただろう。だから俺にもさせろ!」
「分かった。司会と友人代表の挨拶をお願いしたい」
「承知した」
それから3人でこれまでのことを思い出しながら話をした。
隆一は俺の店のことを心配してくれていて、ときどき電話をくれていたし、経営の相談もしていた。
隆一は俺たち二人の婚約を心から喜んでくれた。
二人の新居は駅裏の新築のマンションを購入することにした。
俺の前の会社の退職金を頭金にしてローンを組んだ。
ここにいれば、駅の土産物売り場の売れ具合と他店の状況が毎日手に取るように分かる。
結衣も賛成してくれた。
結婚式の当日、朝から俺は落ち着かない。親父とお袋と3人で会場に着いた。結衣さんはもう到着しただろうか?
着替えを終えて新郎の控え室にいると、隆一が司会の最終確認に来てくれた。2日前に最終打合せは終えていた。
そこへウエディング衣装姿の結衣さんが母親に付き添われて挨拶に入ってきた。
綺麗だ!
久しぶりにあの絵里香になっていた。
あの時よりも今日は憂いがなく明るい感じがしてもっと綺麗だ。しばらく見とれた。
なぜいつもこうしていてくれないのだろう?
隆一も久しぶりの絵里香の様相をじっと見つめていた。「結衣さん、とっても綺麗だね」と言っていた。
親父は綺麗になった結衣さんをじっと見ている。そしてとうとう思い出した。
「あのとき真一が俺たちに紹介したお嬢さんじゃないのか?」
「そうです。お気が付かれましたか?」
「親父、やっぱり気が付いたか、あの東京のマンションで紹介した石野絵里香さんがこの白石結衣さんです」
「真一、なんであのときちゃんと話さなかったんだ?」
「それは・・・・・」
「あの時も驚いたが今はもっと驚いた」
「そうだったのか、結衣さん、どうか真一のことよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「母さんは驚いていないけど気が付いていた?」
「ええ、私はすべてを知っていました。ねえ結衣さん」
そう言われて結衣さんは微笑んで頷いていた。母がこれまでのことを話してくれた。
あれから親父と帰ってから、すぐに東京の知人に興信所を紹介してもらい、我々二人のことを調査してもらったそうだ。
そして紹介された石野絵里香と同居している白石結衣が同一人物であることも分かったという。
二人の監視を依頼しておいたところ、結衣さんが俺の出張中に転居し、その転居先がここで、しかもあの菓子店の社長の姪であることが分かったそうだ。
それでお袋は直接結衣さんに会いに行ったとのことだった。
結衣さんがあの時紹介された石野絵里香が自分だと認めたので、同居からのいきさつを聞いて、もし息子がここへ帰ってきたら結婚してもらえないかと頼んだと言う。
俺が帰ってくるまで2年もかかったが、帰ってくるとすぐに二人を見合いさせたということだった。
俺が結衣さんと同居しているからといってなかなか帰ろうとしないことも、早く帰るように催促していることも結衣さんに知らせておいたという。
それを聞いて俺は全身から力が抜けてめまいがして椅子に坐り込んだ。
すべてお袋が知っていて、これを仕掛けていた? 俺はお袋の手の中で踊らされていただけだったのか?
結衣もそれを承知していた? 二人で俺を騙していた?
嫁と姑の不仲は世の常だが、嫁姑連合になるともう太刀打ちできないことが分かった。恐るべきは、お袋と地味子!
「真一、あなたのことを思ってしたことです。こんな素敵な結衣さんと結婚できて嬉しくないの?」
「嬉しいさ、ただ、驚いているだけだ。腰が抜けた。しばらくはこの衝撃から立ち直れそうにない」
「そんなこと言ってないで、二人であの噂をぶち壊すんじゃないの、頑張ってきて」
そこまで言われて気落ちするやら、頑張らないといけないと思うやらで、気持ちの整理がつかないまま式に臨んだ。
でも式が進むにつれて気持ちが落ち着いてきて、綺麗になった結衣さんを見ていると嬉しさがこみあげてきた。
キスのために、ベールをあげてみた結衣さんは本当に眩しくて綺麗だった。
結衣いや、あの絵里香と結婚できたんだ。お袋ありがとう!
お袋は、老舗の女将さんとして、俺の母親として、老舗の跡取りに本人が気に入ったよい嫁を見つけるのに一生懸命だったんだ。
披露宴には同業関係者を多く呼んでいた。まあ、俺の結婚式の披露宴は同業者への挨拶代わりだ。
俺の主賓は菓子店組合の理事長、新婦側の主賓は彼女の伯父でもある菓子店の社長だ。
二人が入場していくと、驚きの声が上がる。皆が想像していた以上に新婦が綺麗だったからだろう。
ざまーみろー! 恐れ入ったか! 皆の者、頭が高い!
俺は心の中でそう叫んでいた。
結衣さんもきっとそう思っていたのだろう。二人は顔を見合わせると思わず笑いがこみあげる。
中央の席についても、どよめきがなかなか収まらない。
司会の隆一の開宴挨拶でようやく静かになってきた。
媒酌人の吉本さんの新郎新婦の紹介の後、主賓の挨拶、乾杯、ウエディングケーキ入刀など型通りの披露宴が進んでいく。隆一の進行はうまい。
隆一が自分で友人代表の挨拶をすることを紹介して挨拶を始めた。
2日前の事前打合であまり余計なことを話すなと釘をさしておいたが余計なことを言わないか心配だった。
「私しか知らないお二人の馴れ初めのお話をしたいと思います。皆様は当地でお見合いをされて、めでたくご結婚に至ったとお聞きでしょうが、実は違うのです。こうして結婚されましたが、実に運命的な出会いがあったのです。
新郎が東京で働いている時にお父さまのマンションに引っ越しされましたが、維持費が高くつくというので同居人を探していました。
たまたま新郎の置き忘れた会社のマル秘資料を届けたのがきっかけで、当時契約社員であった地味な新婦と同居雇用契約をして同居を始めました。
こともあろうか、私がその契約の立会人でした。
二人の名誉のために申しておきますが、同居している間、二人にはいわゆる男女の関係は全くありませんでした。
ただ、二人で生活したことでお互いの気持ちがどんどん近づいて行きました。ご両親がお見えになった時に、新郎はこのように可愛く変身させた新婦を紹介しました。
ところがお父さまに猛反対されて、その後新婦は行方をくらましてしまいました。失意の新郎は家業を継ぐことを決意して、ここへ戻ってきたのは皆さま、ご存知のとおりです。
そしてすぐにお見合いの話があって、その相手が何と行方知れずの新婦だったのです。二人とも同郷であることを知りませんでした。何と運命的な再会だったでしょう。
それからは皆さまの知ってのとおりです。どうか皆様、このお二人の運命的なご結婚を祝福していただきたく、親友として心よりお願いする次第です。これで挨拶を終わります」
会場から、どよめきと拍手が続いた。さすが隆一、とても心の籠った挨拶だった。話を聞きながら、その当時のことを思い出していた。隣の結衣さんも同じだろう。
披露宴は順調に進み、新郎新婦のお色直しもした。お色直しの新婦はまた眩しいような美しさだった。
再入場してキャンドルサービスをして歩く間、俺は誇らしげだったに違いない。結衣さんも凛とした美しさに満ちていた。
結衣さんが泣きながらお袋に花束を渡していた。結衣さんはお袋の心遣いがとても嬉しかったのだろう。
滞りなく披露宴は終わった。
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2次会は社員が工場の会議室でしてくれることになっていた。
5時に二人はタクシーで会場に到着した。
入口で参加者が拍手で迎えてくれた。花嫁の結衣さんを見ると皆、歓声を上げた。皆「おめでとうございます」と言ってくれる。
秋山副工場長の挨拶と乾杯の音頭で立食のパーティーは始まった。
皆それぞれ二人のところへ挨拶に来てくれる。披露宴の様子はYouTubeで中継されていた。会場の準備をしながら皆で見ていたと知った。
それなら隆一の挨拶も聞いていたんだろう。「運命的な出会いだったのですね、とても素敵ですね」と何人にも言われた。一言挨拶をしてほしいと言われて話すことになった。
「今日は社員の皆さんに結婚のお祝いをしてもらってありがとう。友人の挨拶を聞いて知っていると思いますが、私たち二人の出会いは今から考えると運命的なものでした。こうして社長になったのも定めだと思っています。
これからも非力な私に皆さんの力を貸していただきたい。どうかよろしくお願いいたします。妻が一言お話したいと言っていますので代ります」
「皆さん、今日はこんなに素敵なお祝いの会をしていただいてありがとうございます。また、祝福のお言葉をかけていただいてとても嬉しいです。
真一さんと婚約した時に、ここの方から、社長が見初められたお方だから、よっぽどよい方なんでしょうねと言われたと聞きました。それを聞いてとても嬉しかったのを覚えています。
私は真一さんを支えてお店のお役に立ちたいと思っています。どうか皆様も社長の真一さんを支えていただけますよう、よろしくお願いいたします」
皆、拍手をしてくれた。結衣さんも嬉しそうだった。
それから結衣さんはパートの女子社員に囲まれて話をしていた。これなら社員ともうまくやってくれると安心した。
会場を離れる時に秋山副工場長に「飲酒運転をしないように皆に言っておいてくれ」と言い残した。社長業もこれでなかなか大変なのだ。
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7時過ぎにタクシーで二人はホテルに帰ってきた。
本当は二人きりになるとすぐに結衣さんを抱き締めてキスしたかった。でも部屋につくと疲れがどっと出てその気力がなくなっていた。
結衣さんも疲れているのが分かる。椅子に腰かけたままだ。
二人とも披露宴や2次会のパーティーではほとんど食べていなかったのでお腹も空いている。
すぐにルームサービスにサンドイッチとコーヒーを至急届けてくれるように頼んだ。
何か食べて元気をつけたい。大切な新婚初夜だ。今晩はここで1泊して明朝、新婚旅行に出かけることになっている。
サンドイッチとコーヒーが間もなく届いた。
「結衣さん、サンドイッチとコーヒーが届いた。一緒に食べないか?」
「真一さん、妻になったのですから、もう結衣さんと呼ばないで、結衣と呼び捨てにしてください。お願いします」
結衣が抱きついてきたので、抱き締めてキスをする。一日分まとめて抱き締めてキスをした。
「結衣、食べて元気だそう」
「はい」
二人ともお腹が空いていたので、すぐに食べ終わった。少し元気が出たような気がした。
結衣が「先にシャワーを浴びます」といって浴室に入っていった。いつかのように俺はすぐに服を脱いで浴室に入った。
結衣はあの時のように驚きもしないで「すぐに終わります」といってシャワーを浴びていた。そして、バスタオルを身体に巻いて出て行った。
俺は急いでシャワーを浴びた。バスタオルを腰に巻いて出て行くと、結衣はベッドに入って待っていた。すぐにベッドの結衣を抱き締める。
「避妊はしなくていいのか?」
「もう結婚したのですから、それに赤ちゃんは天からの授かりものですから」
「分かった」
俺は結衣を抱き締めた。どれほどこの時のことを思っていただろう。結衣の身体の感触を身体全体で感じている。結衣も抱きついたまま動かない。すごくいい感じだ。
でも二人とも疲れていた。そのまま眠ってしまったみたいだった。
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明け方、目が覚めた。ぐっすり眠れた。温かいものを抱きかかえて眠っていた。
すぐに結衣を抱いていることに気が付いた。昨夜はあのまま眠ってしまったみたいだった。
結衣は時々無意識に俺にしがみ付く。それが何とも言い難く可愛いく愛おしい。
じっと薄明りの中で結衣の顔を見ていた。
どれだけ見ていたか分からない。結衣が目を開けた。
そして俺と同じように昨夜はあのまま眠ってしまったことに気づいたようだった。
「何もしないで眠ったんですね」
「二人とも余程疲れていたみたいだ。結衣はもう元気になった?」
「はい、真一さんは?」
「もうだいぶ前に目が覚めて結衣の寝顔を見ていた」
「どうして起こしてくれなかったんですか? すぐに可愛がってください。お願いします」
俺と結衣は愛し合った。
結衣はあの時と同じように喉の奥から絞り出すように、悲しくて泣いているのか快感からなのか分からない声を出していた。
もう一度聞いてみたいと思っていたあの魂に染みてくるような声を聴きながら思う存分、結衣を可愛がっていた。
愛し合うことに疲れ果てて、二人はまた眠ったようだった。目が覚めたらもう8時を過ぎていた。
腕の中の結衣を揺り起こす。
結衣は目を開けて俺を見つめている。
優しい目をしている。
思わずキスをしてしまう。
おはよう!
今日から2泊3日の新婚旅行に出かけることになっている。
今は店が大事な時だから長くは休めない。結衣も短くていいというので、車で近場の温泉に行くことにした。
最初のドライブから、二人でいろんなところへ車で出かけたが、宿泊したり、ラブホテルに入ったりはしなかった。俺は人のいないところで結衣を抱き締めてキスをすれば十分だった。
結衣を抱きたいとは思わなかった。それよりこの再会を大切にしたいという思いの方が強かった。
いや、今思うと地味な結衣ではなく、きっとあの絵里香を抱きたかったのかもしれない。
ホテルはゆっくり出ればいい。目的の温泉地の回りをひととおり観光して、チェックインの時間になったらすぐにホテルに入って二人でゆっくりしたいと思っている。
昨日は結婚式、披露宴、2次会と忙しくて疲れた。それに母親からの告白で始まる前から疲れた。それでやるべきこともできなかった。
結衣が着替えをして出発の準備をしている。
「今日は地味な結衣じゃないんだね」
「ええ、これからは仕事をしている時以外は、絵里香の姿でいたいと思っています」
「それがいい」
「やっぱりその方がいいですか?」
「せっかく、こんなに綺麗で可愛いのにもったいない」
「そう言ってくれて嬉しい。私は絵里香の姿が災いを招いてしまったと思い込んでいました。そして地味になって本当の私を分かってもらえる人を探して彷徨っていました。
それが幸いして、真一さんと出会うことができました。あの時、真一さんは本当の私を分かってくれましたが、私を好きになってはくれませんでした。
真一さんは絵里香の姿をした私を望んでいたのは分かっていました。でも私は地味な結衣にこだわっていました。本当の私を好きになってもらいたかったからです。
でもあんな噂を立てられて真一さんにすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。私は自分の気持ちを満たすことばかり思っていて、真一さんの思いをかなえてあげようと思っていませんでした。ごめんさない」
「結衣は本当の自分は地味な姿だと思っているようだけど、絵里香の姿が本当の結衣じゃないのか? 地味な結衣は仮の姿ではなかったのか? 昨日の綺麗で可愛い結衣はとても嬉しそうで輝いていた。誰もがそう思った。あれが本当の結衣じゃないのか?」
「おっしゃるとおりかもしれません。昨日の私は何かから解き放されて自由になって、本当に自分らしかったと思います。これからは自信をもって絵里香の姿でいられます。ありがとう」
結衣はそう言うと抱きついてきた。俺もそれが良いと思うし嬉しい。
チェックアウトをするために二人でロビーへ歩いて行った。
すれ違う人が皆、結衣を見ている。それほど結衣は輝いていた。
俺も誇らしげに結衣の手を繋いでいる。今日も良い天気でドライブ日和だ。
*******************
チェックインの時間が待ち遠しかった。すぐに部屋に案内された。
結衣が和室の方が落ち着けるというのでこの部屋を予約した。ここは露天風呂が付いてスイートルームになっている。
すぐに温泉に浸かりたいので大浴場へ行くことにした。結衣も大浴場でゆっくりお湯に浸かりたいと言って、浴衣を持って行った。
温泉に入るのは何年ぶりだろう。最後に入ったのが思い出せなかった。大学を卒業して間もないころゼミの同窓会で行ったのが最後だった気がする。
良いお湯だ。温まるしリラックスする。浸かっていると眠りそうになるほどいい気持ちだ。今朝、結衣と愛し合ったことを思い出す。昼間からの温泉は心地よくて最高だ!
部屋に戻ると結衣はまだ戻っていなかった。結衣もお風呂が好きなんだな。
缶ビールを持ってきて喉を潤す。もう車を運転することもないので心置きなく飲める。冷たいビールが美味い。
そこへ浴衣姿の結衣が戻ってきた。髪をアップにして艶めかしい。
「私も」と言ってサイダー缶を持ってきて、俺の横に座って飲み始める。
「温泉、どうだった? お風呂が好きなんだね」
「ええ、お風呂が大好きなんです。前のマンションのお風呂が気に入っていました。大きくて足を伸ばせて最高でした。いつも長い時間入っていました。お風呂に浸かっていて眠ったこともあります」
「そうか気が付かなかった。お風呂が好きだと初めて知った。今度のマンションのお風呂も広くてよかったね」
「良いところを選んでいただけて感謝しています」
結衣が身体を寄せて来るので思わず抱き締めると、もう我慢ができなくなった。
結衣を抱きかかえて寝室に運んだ。結衣はなすがままだ。今朝、愛し合ったばかりなのに、また愛し合う。
*******************
俺は結衣に膝枕をしてもらって、間近に迫る山の景色を見ている。もう紅葉が始まろうとしている。
二人だけの気だるい時間がゆっくりと過ぎていく。お腹が空いた。もう少しで夕食の準備が始まる。
仲居さんに呼ばれていくと、豪華な和食が用意されていた。
二人きりの食事を始める。こんなゆったりした食事は初めてかもしれない。
それもニコニコした結衣がお酌をしてくれる。たわいもない話がとても楽しい。
「食事が済んだらカラオケに行かないか? 確か設備があるとパンフに書いてあった。結衣の歌を久しぶりに聞かせてくれないか?」
「いいですけど、私も真一さんの歌が聞きたいから行きましょう」
食事を終えて一息つくと、結衣は何を思ったのか服に着替えをして化粧もし直していた。
「どうしたの?」
「絵里香の歌を聞きたいんですよね。それならそれにふさわしい服を着たいと思って」
「ありがとう、それなら俺も着替える」
服を着替えて二人はカラオケがあるというラウンジに行った。
個室のカラオケ施設もあったが、ラウンジの舞台の方が良いとそこにした。幸いまだ早い時間なので他に客はいなかった。
結衣は、最初は俺に歌ってくれと言うので「レモン」を歌った。次に結衣も「レモン」を歌った。あのころを思い出す。
「あの時の俺の心境だ」と言ったら、結衣は「私も同じだった」と言った。
それから結衣は「君を許せたら」を歌ってくれた。俺の好きなもう1曲だった。結衣は「私の心境だった。もう思い出の歌になった」と言った。
結衣は俺が好きな「さよならをするために」を歌ってほしいと言った。俺の今の心境の歌かも知れない。
結衣を見つめながら上手く歌えた。歌い終わると結衣が拍手してくれたが、他からも拍手された。
もうラウンジには歌を聞きつけて人が集まってきていた。もう十分、結衣に歌を聞かせてもらった。
二人は満足して部屋に戻ってきた。
部屋に戻るとすぐに結衣を抱き締める。「ありがとう。結衣の歌を聞いて、あの頃を思い出した。あのつらい記憶がよみがえってきて、結衣を抱き締めたくなった。本当に結婚できたんだね。俺たちは」
「私もあの頃を思い出して、今の幸せを噛みしめていました。もっと強く抱き締めて下さい」
二人はどれくらい抱き合っていたのだろう。すぐにでもまた愛し合いたいと思った。
「部屋の露天風呂に一緒に入ろう。身体を洗ってあげよう」
「はい、お願いします」
俺が先に入っていると結衣が恥ずかしそうにして入ってきた。薄明りの中、結衣の白い裸身が美しい。俺の隣に浸かった。
「ここのお湯もなかなかいいですね」
「丁度良い湯加減だ」
温まってきたところで、二人上がって、俺が結衣の身体を石鹸で洗ってあげる。
背中、お尻を洗って、それからこちらを向かせて、胸からお腹、大事なところ、脚と順に洗っていく。
始めは恥ずかしそうにしていたが、こちらを向かせるともう観念したようになすがままになっている。
気持ち良かったから今度は私が洗ってあげると俺の全身を洗ってくれた。確かに洗ってもらうと気持ちがいい。
お互いに身体をバスタオルで拭き合って寝室へ向かう。
俺は冷たい水のボトルを持って来て、二人で同じボトルから半分ずつ飲んだ。
すぐにキスをしてまた愛し合う。
今日はもう3回目だが、結衣となら何回でも愛し合いたいしそれができる。
そして、悲しくて泣いているのか快感からなのか分からないような魂に響くような声が聞こえてくる。
こうして二人の絆が深まって行く。
結衣を幸せにしてやりたい。俺の腕の中でぐったりして眠っている結衣をみてそう思う。
地味子と偽装同棲して、とっても可愛い良い娘と分かった時には逃げられて、ようやく見つけて嫁にする話はこれでおしまいです。
めでたし、めでたし。
都会で就職した老舗の御曹司(篠原真一)が父親所有の高級マンションに引っ越しますが、高い維持費を一部負担してくれる同居人を探します。そして地味な契約女子社員(白石結衣)と恋愛関係にならないとの賃貸雇用契約をして同居生活を始めます。御曹司は合コンで出会った陰のある可愛い娘(石野絵里香)に一目ぼれをして付き合い始めます。両親が見合い結婚を勧めるために上京したときに、御曹司は恋人との同棲を断る口実にするため、結衣に絵里香の代役を頼みます。御曹司は両親に紹介するときに、絵里香が変身した結衣だと分かりますが、両親は結婚に反対して帰ってしまい、結衣もその後姿を消してしまいます。失意の御曹司は病に倒れた父親を助けるために故郷へUターンします。お見合いの話があり、その相手がなんと姿を消した結衣でした。二人は交際を始めます。御曹司は経営危機にあった父の会社を結衣に助けられながら立て直し、結衣と結ばれます。