「結論から言うと、兄は戻ってきた。
けれど、体を悪くして、戦後すぐに亡くなってしまったの。
兄との約束を果たすため、私は必死で勉強したわ。
そんな時、ひょっこり直人さんが現れた。
生きて戦地から帰ってきて、大学に戻っていた直人さんは、私の家庭教師を買って出てくれた。
おかげで、私は無事に医大に合格して、耳鼻科の医師になった。
当時、女医が経験を積める科は耳鼻科と皮膚科くらいだったのよ。
私が医師になってしばらくして、直人さんは大学をやめた。
私と結婚して、うちの医院を継ぐために。
直人さんは石川家に入る覚悟で継いでくれたの。
でも、父は『医院が残るだけで満足だ』って言ってね。
石川医院は八月一日医院として生まれ変わったわ。
あの頃は、本当によく働いたわね。
朝から二人で診察して、午後になると直人さんは往診に出て。
夜中に急患で起こされることもあった。
けれど、直人さんは突き動かされるように働き続けた。
きっと、それが生き残った人間の使命だと思っていたのでしょうね。
光春が生まれると、私は家のことに専念したわ。
だから、直人さんはますます忙しくなった。
日曜日の午後だけは休診にして、よく家族で遊びに行ったわ。
そう、あなたの家があるあたりよ。
あのあたりは昔、野毛山遊園地と言ってね。
当時はもう、野毛山公園という名前になっていたかしら。
あの頃が一番幸せだったのかもしれない。
光春が10歳になった春に、直人さんは死んでしまったから。
私は医師として働きながら、一人で光春を育てることになった。
こんな形で兄の予言が当たるなんて、皮肉よね」
けれど、体を悪くして、戦後すぐに亡くなってしまったの。
兄との約束を果たすため、私は必死で勉強したわ。
そんな時、ひょっこり直人さんが現れた。
生きて戦地から帰ってきて、大学に戻っていた直人さんは、私の家庭教師を買って出てくれた。
おかげで、私は無事に医大に合格して、耳鼻科の医師になった。
当時、女医が経験を積める科は耳鼻科と皮膚科くらいだったのよ。
私が医師になってしばらくして、直人さんは大学をやめた。
私と結婚して、うちの医院を継ぐために。
直人さんは石川家に入る覚悟で継いでくれたの。
でも、父は『医院が残るだけで満足だ』って言ってね。
石川医院は八月一日医院として生まれ変わったわ。
あの頃は、本当によく働いたわね。
朝から二人で診察して、午後になると直人さんは往診に出て。
夜中に急患で起こされることもあった。
けれど、直人さんは突き動かされるように働き続けた。
きっと、それが生き残った人間の使命だと思っていたのでしょうね。
光春が生まれると、私は家のことに専念したわ。
だから、直人さんはますます忙しくなった。
日曜日の午後だけは休診にして、よく家族で遊びに行ったわ。
そう、あなたの家があるあたりよ。
あのあたりは昔、野毛山遊園地と言ってね。
当時はもう、野毛山公園という名前になっていたかしら。
あの頃が一番幸せだったのかもしれない。
光春が10歳になった春に、直人さんは死んでしまったから。
私は医師として働きながら、一人で光春を育てることになった。
こんな形で兄の予言が当たるなんて、皮肉よね」