真紀子さんの初七日を翌日に控えた土曜日。
家にダンボールが届いた。

中身は見なくてもわかってるけど、放っておくわけにはいかない。
私は父と違うのだ。
最後まで真紀子さんを見届けなければ。
私は真紀子さんに育ててもらったのだから。

亡くなった時、施設から財布や貴重品は受け取っていたので、
ダンボールの中身はほとんどが下着や洋服だった。

昔はほんのり香水の香りがした真紀子さんの洋服。
今は、施設の消毒液の匂いがする。

「そんなもの、とっておいても仕方ないでしょう」

真紀子さんなら、そう言うはずだ。

段ボールからゴミ袋に入れ替えていると、底の方に何かあるのが見えた。

取り出してみると、それは灰色がかった青い手帳だった。

「真紀子さん、自分で持ってたんじゃない」

あんなに必死で探していたのに、手元にあるなんて、まるで青い鳥だ。

生きていたら、真紀子さんに一言くらい言ってやりたい。
だけど、その真紀子さんはもういない。

古びた手帳をそっと撫でる。
表紙には2005年の文字。
2005年……あの年だ。

勝手に見るなんて悪いとは思うけど、見た方もいい気がする。

そっと開いたページは、ちょうど3月のページだった。
自然と3月27日の欄を探す。

「13:00 関内」

見慣れない文字だ。

これ……お母さんの手帳かもしれない。

私は慌てて手帳を最初から見直し、そして確信した。

でも、どうして真紀子さんがお母さんの手帳を持っているんだろう。

頭は考えたがっているけど、塾に行かなきゃ。
私はその手帳をカバンに入れて家を出た。