食事を終えた彼は再びきちんと手を合わせ
『ごちそうさまでした』と丁寧な挨拶をした。
それから引き寄せた鞄から名刺入れを取り出し、
ボールペンで何かを書き加えて、
私に名刺を差し出した。
「今度ぜひ、お礼をさせて欲しい」
私は箸を置いて首を横に振る。
差し出された名刺も受け取らなかった。
「お気になさらないで下さい。
見捨てておけなかっただけなんで」
「でもキミが助けてくれなかったら、
俺は校門の所で凍死していたかもしれないんだ。
命の恩人だよ」
「命の恩人だなんて ―― 大げさな……
ホント、お気になさらないで下さい」
私がいっくら断り続けても
彼はなかなか折れてくれなくて、
しつこく名刺を押し付けてきた。
結局、先に折れたのは私の方だった。
やむを得ず名刺だけ受け取る事にした。
受け取ったその名刺は、
何となく見覚えのあるデザインのものだった。
「……え?」
右上に印字された金色のロゴマーク。
それは……私が働いている清掃会社が清掃の
年間契約をしている会社のロゴマークとまったく
同じだ。
㈱ コスモグループ ――
ロゴマークの横に書かれている社名も
私が知ってる会社と同じだった
目覚めた時に聞こえてきた、
彼が電話で話していた会話から想像するに
彼はかなり上層部に位置する管理職だと思われる
……おそるおそる彼の役職と名前を確かめた。
代表取締役社長 各務 柊二
何度見返しても名刺にはその名前が印字されている。
まさか ―― 嘘でしょ?!
……知っている。
私はこの人知っているぞ。
いや、直接面識があるワケではないが。
以前、インフルでダウンした先輩の代わりに
重役専用フロアーの廊下をモップがけしてた時、
社長室から出てエレベーターへ乗り込んだ彼を
見かけた事がある。
あの時、社長さんが乗ったエレベーターから
彼がつけてるシトラス系のボディースプレーの
香りがほんわか漂ってきて、
”あぁ、イケメンってつけてる匂いまで
爽やかなんだぁ”なんて、思った事を
今でも覚えている……。
ジャケットを羽織った彼は荷物をまとめ、
立ち上がる。
私もテーブルの上に名刺を置き、
慌てて立ち上がった。
「本当にどうもありがとう」
「いえいえ」
「たまたま今日は休日出勤だけど、いつもの週末は
休みだから連絡待ってますね」
すっかり本調子になったのか彼 ――
各務社長は爽やかな笑顔でそう言った。
ただの社交辞令だったとしても嬉しい。
私はぎこちなく微笑みながら『お気をつけて』と
各務社長を送り出した。