忘れるということ
前回過去を忘れるには寂しさを忘れるということを書きましたが、そもそも忘れるとはどういうことなのか。私自身も疑問に思っていました。
忘れるということは、辞書的な言い方をしてしまうと、記憶からなくすことです。何かを電車の中に忘れるという意味ではないですよ。この場合は、事例を忘れるの意味でお考え下さい。
しかし、生きていればわかりますけど、人間は、悪い記憶という物は、いつまでも覚えてしまうもの。よく人は忘れろと、簡単に使いますが、具体的にどうするのか、という点に関しては、全く答えは得られないので、余計につらくなるからやめてくれということもあります。重大なことや、思春期に起きたことはそうなりやすいようです。
今日は、雨の中、ある講座に参加してきて、少し参考になったことがありました。その先生と話したことも踏まえて、もう一度先ほどの問いへの答えを出しますと、人間、辛いことを記憶から消すというのは、まず不可能なのです。消したつもりになっても、無意識に覚えてしまって、行動パターンには出ると先生はおっしゃっておられました。ですから、忘れよう忘れようと努力する行為は、全く意味はありません。
では、どうしたらいいのでしょうか。過去にある悲しみや苦しみから解放されるには。
私は、まず理由を知ること、そして、二度と同じことを繰り返さないようにするために努力することだと思います。
消すことはできないのですから。
そうすることによって、同じ過ちを繰り返さないことができるし、繰り返さないように行動することによって、意識の変革ができます。
まず、違うところに意識を持っていくと、専門家の方は口をそろえて言われますが、悩んでいるときは、違うところとはどこだと反論したくなるし、そのためにほかのことをしてごまかしても何もたのしくなく、結局劣等感を強くするだけになります。
それなら、徹底的に戦うほうが良いでしょう。二度と、同じ辛いことを起こさないためには、どうすればいいのかを徹底的に考える。このようなつらい思いは二度としたくないという気持ちを大切にするのです。
大事なことは、物に救いを求めないこと。物を追及してしまうと、依存性が生じてしまいますし、そのあまり、また破たんしてしまう事にもなりかねない。物は、変革のための道具位に考えておくのが一番で、それより大事なのは、自分の改革なのです。