主婦という二文字はそれが職業である。しかし私は苦痛だった。早すぎる結婚だったと今では認識している。二十歳からの十年間をスターダムに駆け上がり、夢や目標などのライフプランを構築していた。キャリアウーマンというよりは専門家を志そうと決意していた。それも弁護士。若いというのは無謀な夢や志があり世間知らずな一面が時としてバネとなる。
が、予定はあっという間に崩れ出す。
当時、有名私立大学に通いながらイタリアンレストランでウェイトレスをしていた私は、そのレストランの店長と交際することになった。「髪を染めている女性が大多数を占める中で、君は黒髪を維持している。どことなく人を寄せつけない雰囲気にも惹かれる」それが現在の夫でもある松原豊が私という人間に惹かれた要因らしい。しかし、私は恋愛に対して奥手だった。というよりも十九歳という年齢にも関わらず、男の人と手を繋いだこともなければ、唇と唇を重ね合わせるという聖なる儀式も未達成。数少ない友達に、「セックスってどういう感じ?」とドライな口調で私が訊けば、「ファーストは痛いんだけどね、それがセカンド、サードと回数を重ねる内に、あれ無しでは生きられなくなる」と大学の友達は嬉々とした表情で私に伝えた。実を言うと、マスターペーションはしたことがある。パンツ越しにシャープペンシルの先っちょを陰部に摺りワサビのように擦りつけた。最初は、なんだかよくわららなかったが力の加減を操作していく内に、身体が火照り、脳内がじりじりとスパークし、尿道ではない別の器官から、なにかしらの分泌液が出たときは、これが噂の、〝イク〟という行為ではないだろうか、と純真ぶっている私は思った。だが、すぐに思い直す。マスターペーションを夜な夜な、ベッドにちょこんと座りながら股を広げ、シャープペンシルを押し付けている時点で不埒で汚れた女。と認識するに至る。それが夜の日課になった。勉強は好きだった。とくに法律の勉強。法律がある限り女が一人で生きていく為には食べていくのには困らないだろう、という考えがあった。それに、ニュースや新聞、それと数少ない友達の話を統合させると、女という生き物は社会でもプライベートでも弱者というのが事実だ。ニュースや新聞では、夫が妻に対してDVを行い顔中痣だらけの女性が映し出され、結婚し出産をすると正社員として雇われづらくなるというのを目にした。さらには数少ない女友達の証言(弁護士ぶってみた私)ではサークルの先輩の家に呼ばれて言ったら、「これが目的だろ」という獣と化した男に身体を貪られレイプされたというのを泣きながら訴えられた。しかし、その男は父親が政治家という後ろ盾があるため、ことを公にしても、すぐに揉み消された。なにかしらの金銭授受があったに違いないと私は推測する。少なからずこのときの私は未熟だった。法律がある限り弱者を人類を守ってくれると思っていた。しかし、この出来事があってから私の心にちくりとした刺のような、些細なガラスの日々が入り込んだのも事実だ。いくら弁護士として活動していても、もしかしたら政治家やその他見えざる権力が介入してくれば、法律なんて全く無意味ではないのか、と冷静に客観的に物事を見ている自分自身がいた。そういう性格がいじめの対象となる原因や要因なのだろうか。わからない。人間というのは価値観も違えば、育った環境も違う。たくさんの人がいる中で皆が皆に好かれるとは思わない。それでいて私の最大の欠点は群れるという行為が苦手でしかたなかった。それが男という立場なら、「ホント群れずにお前はカッコいいな」「群れないで物事を成し遂げるタイプだな」という賞賛的な言葉を投げかけられるかもしれないが、女という生き物は複雑で仲間を形成し確認作業をしなければならない。とりあえず誰かと、一緒、でなければならないのだ。トレイに行くときでも、洋服を買うときでも、ご飯を食べるときでも、アクセサリーを身につけるときでも、誰かと一緒でなければならない。それが私には苦痛だった。日本に限っていえば、平和に過ごせるインフラが整っているのだから、自分の思う通りに生きたい。誰かと一緒に行動し時間を浪費するぐらいなら、一人でいた方がまし、という考えにいつしか陥っていた。
そんな私が人の温かさというか愛に触れ合ったのが豊だった。四歳年上ということもあり、大人な男性という雰囲気を醸し出してた。爽やかな短髪。きりっとした眉に、笑うと三日月形になる優しげな目。それでいて肩幅広く、私を包みこんでくれそうな抱擁感を滲ませていた。さらにポイントが高いといえば、肥えてない。ということだ。肥えている人物を私は好まない。夏は暑苦しく、不快な臭いを伝染させる。その不快な臭いを発していることに本人が気づいてない、という鈍感さが私には理解できない。
はじめて豊と身体を重ね合わせたとき、私が私でなくなった瞬間だった。男の人に自分の身体を触れられ、甘い言葉を囁かれるというのが、こんなにも気持ちのいいものだとは思わなかった。
「やさしくするから」
豊の甘い言葉が私の脳髄まで行き渡る。それでいて私は騎乗位という雑誌と卑猥な映像でしか見たことのない体位にチャレンジし、自ら腰を振っていた。なんだろう、腰を勢いよく振りたくなるのだ。西部劇で馬の尻を鞭で打ちつけるガンマンの気持ちがわからなくもない。打って、振って、打って、振って、という私の脳内はなぜかそらの言葉が交互に印字されていた。
「激しい。最高だよ」
その豊の言葉が私の腰振りを加速させる。部屋のスイッチをパチパチ、と切り替えるように前後運動が激しかった。
「ああ」豊の嗚咽と快楽が交錯した中間領域の声音と共に私の内部に熱いものが侵入し突き抜け合成された。コンドームという避妊具を使用せず、豊の「生のが気持ちいいよ」という言葉にほだされた結果、私は二十代を棒に振ることになる。
豊と結婚し、息子の他に娘も誕生した。それなりの収入で、それなりの夫婦生活を営み、それなりに主婦活動を営む。かつて思い描いていた人生設計は破綻をきたし、結局大学を辞めることになった。それでよかった、と納得しようとしたが、どこか心の中で屈折したしこりのようなダークな塊が沈殿していた。
結婚して何が変わったといえば、人と触れ合うようになった。という部分だろう。それは仕方がない。学校の行事ごと、希薄になったとはいえ足立区という下町ではご近所付き合いは盛んだ。近所の主婦の間で私は、「ファッションリーダー」と持て囃されている。ようやく自分の長所を見極められるようになったのか、意外と女としての自分は、そこそこ上位に入るらしい。フェミニンさ漂うウェーブがかった黒髪。卵形の顔。目は大きく、鼻筋はすっと絵筆が通りそうなほど繊細だ。それでいてスタイリッシュな体型。それが私のご近所間での評判だ。個人的な悩みとしては胸が垂れだしたことだ。やはり出産を二度経験すると、少なからず体内老化は早まるらしい。その点、芸能人を羨ましく思う。多額のお金をかけ、適切な医療と法外な報酬で、また元の美しくも可憐な容姿に戻る。
私は何かを見落としているのだろうか。三十代というのは転機でもある。私は鏡を見つめながらぼんやりと考えるときがある。結局私には何も残されていない。いや、それは嘘だ。子供もいれば、夫もいる。それでも何かが満たされないのだ。それは他の人が通ってきた道を私が通ってきてなかったからだろうか。男との逢瀬も人より少ない。「今の旦那さんは何人もの男」という主婦が大好きな昔の男の話題になり、他の主婦達の平均は三、四人ということだった。思わず私は絶句した。うだつの上がらない、干涸びたサンショウウオみたいなこの人達でも、三、四人の男を経て結婚している。なんだか悔しかった。だって私は一人、そう豊一人しか男というものを知らない。でも、それで今があるのなら、運命の人だったのかもしれない。
「それで、松原さんは何人目で今の旦那さんと?」
主婦の一人が私に視線を移す。その声を皮切りに他の主婦達も蛇のような睨め付けるような好奇な眼差しで私の全身を射抜く。私の脇と、なぜか股間がじっとりと冷や汗で滲む。
「みなさんと同じですよ。五人です」
ジ・エンド。思わず私はこう叫びたくなった。これが、これが、私の本心なのだ。なにかが少しずつ狂い出し、ボタンの掛け違いが起こり、リズムに歪みが生じだした瞬間。
「ですよね。まだいい男ゲットできそうだけど」
私に問いかけた主婦は高笑いを示した。笑うときぐらい口を抑えろ、という希望的欲求を私は抑える。一人が思っているということは大方のこの場にいる全員が思っていることだろう。
それでも最後に放った一言が私を、別の空間へ誘う。
〝まだいい男ゲットできそうだけど〟
笑い方は汚いが、私に女であるということを認識させてくれて、ありがとう。と私はコーヒーを一気に啜った。それは冷えていて不味かった。破壊の味。
が、予定はあっという間に崩れ出す。
当時、有名私立大学に通いながらイタリアンレストランでウェイトレスをしていた私は、そのレストランの店長と交際することになった。「髪を染めている女性が大多数を占める中で、君は黒髪を維持している。どことなく人を寄せつけない雰囲気にも惹かれる」それが現在の夫でもある松原豊が私という人間に惹かれた要因らしい。しかし、私は恋愛に対して奥手だった。というよりも十九歳という年齢にも関わらず、男の人と手を繋いだこともなければ、唇と唇を重ね合わせるという聖なる儀式も未達成。数少ない友達に、「セックスってどういう感じ?」とドライな口調で私が訊けば、「ファーストは痛いんだけどね、それがセカンド、サードと回数を重ねる内に、あれ無しでは生きられなくなる」と大学の友達は嬉々とした表情で私に伝えた。実を言うと、マスターペーションはしたことがある。パンツ越しにシャープペンシルの先っちょを陰部に摺りワサビのように擦りつけた。最初は、なんだかよくわららなかったが力の加減を操作していく内に、身体が火照り、脳内がじりじりとスパークし、尿道ではない別の器官から、なにかしらの分泌液が出たときは、これが噂の、〝イク〟という行為ではないだろうか、と純真ぶっている私は思った。だが、すぐに思い直す。マスターペーションを夜な夜な、ベッドにちょこんと座りながら股を広げ、シャープペンシルを押し付けている時点で不埒で汚れた女。と認識するに至る。それが夜の日課になった。勉強は好きだった。とくに法律の勉強。法律がある限り女が一人で生きていく為には食べていくのには困らないだろう、という考えがあった。それに、ニュースや新聞、それと数少ない友達の話を統合させると、女という生き物は社会でもプライベートでも弱者というのが事実だ。ニュースや新聞では、夫が妻に対してDVを行い顔中痣だらけの女性が映し出され、結婚し出産をすると正社員として雇われづらくなるというのを目にした。さらには数少ない女友達の証言(弁護士ぶってみた私)ではサークルの先輩の家に呼ばれて言ったら、「これが目的だろ」という獣と化した男に身体を貪られレイプされたというのを泣きながら訴えられた。しかし、その男は父親が政治家という後ろ盾があるため、ことを公にしても、すぐに揉み消された。なにかしらの金銭授受があったに違いないと私は推測する。少なからずこのときの私は未熟だった。法律がある限り弱者を人類を守ってくれると思っていた。しかし、この出来事があってから私の心にちくりとした刺のような、些細なガラスの日々が入り込んだのも事実だ。いくら弁護士として活動していても、もしかしたら政治家やその他見えざる権力が介入してくれば、法律なんて全く無意味ではないのか、と冷静に客観的に物事を見ている自分自身がいた。そういう性格がいじめの対象となる原因や要因なのだろうか。わからない。人間というのは価値観も違えば、育った環境も違う。たくさんの人がいる中で皆が皆に好かれるとは思わない。それでいて私の最大の欠点は群れるという行為が苦手でしかたなかった。それが男という立場なら、「ホント群れずにお前はカッコいいな」「群れないで物事を成し遂げるタイプだな」という賞賛的な言葉を投げかけられるかもしれないが、女という生き物は複雑で仲間を形成し確認作業をしなければならない。とりあえず誰かと、一緒、でなければならないのだ。トレイに行くときでも、洋服を買うときでも、ご飯を食べるときでも、アクセサリーを身につけるときでも、誰かと一緒でなければならない。それが私には苦痛だった。日本に限っていえば、平和に過ごせるインフラが整っているのだから、自分の思う通りに生きたい。誰かと一緒に行動し時間を浪費するぐらいなら、一人でいた方がまし、という考えにいつしか陥っていた。
そんな私が人の温かさというか愛に触れ合ったのが豊だった。四歳年上ということもあり、大人な男性という雰囲気を醸し出してた。爽やかな短髪。きりっとした眉に、笑うと三日月形になる優しげな目。それでいて肩幅広く、私を包みこんでくれそうな抱擁感を滲ませていた。さらにポイントが高いといえば、肥えてない。ということだ。肥えている人物を私は好まない。夏は暑苦しく、不快な臭いを伝染させる。その不快な臭いを発していることに本人が気づいてない、という鈍感さが私には理解できない。
はじめて豊と身体を重ね合わせたとき、私が私でなくなった瞬間だった。男の人に自分の身体を触れられ、甘い言葉を囁かれるというのが、こんなにも気持ちのいいものだとは思わなかった。
「やさしくするから」
豊の甘い言葉が私の脳髄まで行き渡る。それでいて私は騎乗位という雑誌と卑猥な映像でしか見たことのない体位にチャレンジし、自ら腰を振っていた。なんだろう、腰を勢いよく振りたくなるのだ。西部劇で馬の尻を鞭で打ちつけるガンマンの気持ちがわからなくもない。打って、振って、打って、振って、という私の脳内はなぜかそらの言葉が交互に印字されていた。
「激しい。最高だよ」
その豊の言葉が私の腰振りを加速させる。部屋のスイッチをパチパチ、と切り替えるように前後運動が激しかった。
「ああ」豊の嗚咽と快楽が交錯した中間領域の声音と共に私の内部に熱いものが侵入し突き抜け合成された。コンドームという避妊具を使用せず、豊の「生のが気持ちいいよ」という言葉にほだされた結果、私は二十代を棒に振ることになる。
豊と結婚し、息子の他に娘も誕生した。それなりの収入で、それなりの夫婦生活を営み、それなりに主婦活動を営む。かつて思い描いていた人生設計は破綻をきたし、結局大学を辞めることになった。それでよかった、と納得しようとしたが、どこか心の中で屈折したしこりのようなダークな塊が沈殿していた。
結婚して何が変わったといえば、人と触れ合うようになった。という部分だろう。それは仕方がない。学校の行事ごと、希薄になったとはいえ足立区という下町ではご近所付き合いは盛んだ。近所の主婦の間で私は、「ファッションリーダー」と持て囃されている。ようやく自分の長所を見極められるようになったのか、意外と女としての自分は、そこそこ上位に入るらしい。フェミニンさ漂うウェーブがかった黒髪。卵形の顔。目は大きく、鼻筋はすっと絵筆が通りそうなほど繊細だ。それでいてスタイリッシュな体型。それが私のご近所間での評判だ。個人的な悩みとしては胸が垂れだしたことだ。やはり出産を二度経験すると、少なからず体内老化は早まるらしい。その点、芸能人を羨ましく思う。多額のお金をかけ、適切な医療と法外な報酬で、また元の美しくも可憐な容姿に戻る。
私は何かを見落としているのだろうか。三十代というのは転機でもある。私は鏡を見つめながらぼんやりと考えるときがある。結局私には何も残されていない。いや、それは嘘だ。子供もいれば、夫もいる。それでも何かが満たされないのだ。それは他の人が通ってきた道を私が通ってきてなかったからだろうか。男との逢瀬も人より少ない。「今の旦那さんは何人もの男」という主婦が大好きな昔の男の話題になり、他の主婦達の平均は三、四人ということだった。思わず私は絶句した。うだつの上がらない、干涸びたサンショウウオみたいなこの人達でも、三、四人の男を経て結婚している。なんだか悔しかった。だって私は一人、そう豊一人しか男というものを知らない。でも、それで今があるのなら、運命の人だったのかもしれない。
「それで、松原さんは何人目で今の旦那さんと?」
主婦の一人が私に視線を移す。その声を皮切りに他の主婦達も蛇のような睨め付けるような好奇な眼差しで私の全身を射抜く。私の脇と、なぜか股間がじっとりと冷や汗で滲む。
「みなさんと同じですよ。五人です」
ジ・エンド。思わず私はこう叫びたくなった。これが、これが、私の本心なのだ。なにかが少しずつ狂い出し、ボタンの掛け違いが起こり、リズムに歪みが生じだした瞬間。
「ですよね。まだいい男ゲットできそうだけど」
私に問いかけた主婦は高笑いを示した。笑うときぐらい口を抑えろ、という希望的欲求を私は抑える。一人が思っているということは大方のこの場にいる全員が思っていることだろう。
それでも最後に放った一言が私を、別の空間へ誘う。
〝まだいい男ゲットできそうだけど〟
笑い方は汚いが、私に女であるということを認識させてくれて、ありがとう。と私はコーヒーを一気に啜った。それは冷えていて不味かった。破壊の味。