家の中をクリーンにする。それは主婦にとって誰に言われるでもなく、気づいたらルーティン化してる些細な日常の一コマ。窓を磨き、テーブルを磨き、トイレを磨く。誰に褒められるでもなく、誰に評価されるでもない。夫ですら、子供ですら、私が掃除を行うことを当たり前だと思っている。
 午後二時。
 掃除が終わる時間。大半の主婦はワイドショーを観ながら、和菓子や洋菓子を食べながら、ああでもない、こうでもない、とテレビに向かい持論を展開するが、私は違う。少しでも抗いたいのだ。そう、主婦的思想から。仏壇を思わせる両開きの鏡の前に立ち、全身をチェックする。肌の張り、皺、ホウレイ線、胸の垂れ具合と膨らみ、お尻の張り。仔細なく銀行員が札束を数えるように入念にチェックをする。三十六歳の誕生日を先月に済ませ、結婚して十六年。夫との会話はほどほど、子供は長男が十六歳、長女が十四歳、と手のかからない年齢に育った。世間でいうところのできちゃった婚ということもあり、私は若くして母親になった。まあ、だから今という時を謳歌しているのだが。大方、女性というのは二十代前半を楽しんだ分、中盤辺りで結婚という二文字が脳内ないしは外部からテロップとして流れだし、後半辺りで焦り、焦った分、結婚したらなんだかよくわからない人と一緒にいる、と首を傾げ、カフェなどで同質と不満を求めている主婦仲間とぺちゃくちゃと時間を浪費する。
 私はその考えも好きだが、もっと刺激が欲しい。だって、女だから。せっかく若くして結婚して、周囲が遊んでいるときに子育てをして指を咥えながら楽しそうな光景を眺めていた。それもインターネットなんていう鬱陶しいツールが開発され、世に出回った途端、ここに行きました自慢や、美容院が洒落乙、なんていう言葉がソーシャルメディア間で流布されていく。
 洒落乙、って。てか、あんた何歳?舌打ちを通り越して、私は両手を挙げて、やれやれよ。そのときの私は長男に母乳を提供していたが、怒りの沸点の影響か母乳がぴたりと止まったのを覚えている。いけない、母なる私が些細なネット如きでイライラするなんて。
 過去があるから今があるのかと、とりあえず私は納得することにし、北欧屈指の高級家具メーカーである『アルテック』のチェアに座る。〝椅子〟ではなく〝チェア〟、と横文字で呼びたくなる風格が『アルテック』スツールK65シリーズには備わっている。もちろん他のアルテックNOのシリーズも好きだが、K65シリーズには勝てない。なぜって、まずは背もたれの曲線美。それとは対照的な脚の部分の直線バランスは秀逸といわざる負えない。偉大な建築家であるアルテックの根幹をデザインしたアルヴァ・アアルトに抱かれたい。おっといけない。内奥に収められた仄かな感情が突如として溢れ出て来るのがこの歳のいけないところ。大人な女性は感情を抑制しないと、なんて戯れ言を道行く道で見聞きするときもあるが、でも感情は素直に表現しないと。
 抱かれたい。
 フフフ、と三十六歳にして気持ち悪い不適な笑みを部屋で響かせ本棚から文庫本を一冊手に取り、アルテックのチェアにやさしく座る。なぜやさしく座るかのか問われれば、軋む音が怖いからである。別段、体重が増加しているわけではないが、古びたカフェや修繕を繰り返さない店にお邪魔した際に、軋む椅子が多々あることに驚かされる。主婦が椅子に座ると、軋む、という固定観念を拭い去るには、アルテックのチェアに座るのがベストだが、いかんせん値は張る。それは覚悟しといたほうがいい。なので、主婦仲間には勧めてはいない。
 文庫本。
 本は知恵の宝庫。と言っときながら読み始めたのはここ数年。お恥ずかしい話しで、活字の〝か〟の字も知らなかった私が、本という純長方形サイズに興味と好奇心を駆り立てられるなんて思いもしなかった。人類の英知がわずか数百グラムに凝縮されているなんて、先祖の考えることは理解できないし、理解する気もない。私っていいすぎ?
 文庫本を開く。ああ、やっぱりと納得せざるおえない。納得した途端、午後二時の陽光が磨きあげられた窓から鋭く光を我が聖なる部屋を照らしている。呼吸を落ち着け、目の前のこれまたアルテックのテーブルの上に整頓されているリモコンを手に取り、ONKYOのコンポの電源をオンにし再生ボタンを押す。すると攻撃的なメロディが流れてきた。
〝レッド・ホッド・チリペッパーズ〟
 午後二時のメロディとしては合わないけど、決して不快ではない。文庫本を数ページ読み進めて聴いた際に確実にいえることは、不快、のレッテルが貼られる。今流れている曲目が思い出せない、たしかアルバム名は『母乳』ということだけはわかっている。全体像は見えているのに細部まで神経が行き届いていない状態。若い時なら発揮するきめ細やかで鋭敏な記憶力も歳を重ねるごとにリアルとより深い部分まで対峙し記憶は上書きされる。しかしデメリットはそれだけではない。歳を重ねる最大の利点、忘れ、次に進むことが容易にできることだ。お産のときに股をガバッと開いたときから失うものなんてないと思わされた。女は強い。全てをさらけ出したのだから。
 コンポからレッチリが流れ、文庫本を開けば紙片が一枚しおり変わりに挿入されている。間違いない。いつ入ってきたかは知らないが、これは正式な依頼証明書。さあ、仕事のお時間。
 私は正方形サイズの純粋なホワイトをあしらった紙片を丁寧に開く。開かされた先は丁寧に折り目くっきりと浮かび上がり、これまた丁寧な字が万年筆と思しきインクで書かれていた。
〝080ー××××ー××××〟
 毎回変わるボスの電話番号。現代人必須の数字の羅列。電話番号という概念が登場し、固定電話が颯爽とデビューを飾り、そのリトルベイビーたる携帯電話や端末が生まれた。今やこれなしでは生きられない、とばかりに私達人間は、電話を愛し、ときに呪詛し、感情をぶつけ合う。便利になるということは昔合った美徳を忘れるということに気づかず、日々を過ぎ去り、重要な事が目の前に溢れているのに、着信一回で脳内は電子回路の方へ誘われる。
 いけない、またいつもの思考の癖。本を読み始めてから、考える、ということに意識が向い、それを習慣化してから脳内疲労はハイペースだ。いかに、考える、という人間的行動が疲労をもたらすということをこの三十六歳という年齢で知ることになるとは思ってもみなかった。 
 歳を重ねるメリット。
 過去に気づかなかったことに気づく。それを成長と呼ぶのだろうか、今の私はどうだろうか。疑問ばかりが頭をよぎり、それでも音楽は鳴り響く。
 私はチェアから立ち上がり、iPhoneを探す。携帯端末は二台。一台はAndroid携帯。そしてもう一台が仕事用のiPhone。が、ない。これだから歳はとりたくない。昨日まで仕事仲間とチャットを数ターン行った。仕事仲間と言っても実際に会ったことがあるのは一人もいない。顔を合わせないからこそ、言い合えることもある。それがネット社会の便利さでもある。
 見つけた。
 コンポの裏手に愛しのiPhoneが隠れていた。男でも製品でも魅力的なものには愛着が湧く。それは元来変わらぬ私の性質の一部だ。iPhoneのタッチパネルを操作し、紙片に書かれていた番号に掛ける。
「いいタイミングだ」
 ボスがすぐに出た。私をもう一度輝かせた男。しかしその代償は大きかった、けど。
「まさか、文庫本の中に入ってるとは思いませんでした」
 自然と丁寧な言葉遣いになるのは電話越しの相手の威厳がそうさせるのか、図太い声音がそうさせるのか判断がつかなかった。が、マジョリティが正しいとされる現代ならば、圧倒的多数で後者だろう。
「ふむ。君が文庫本にハマっているのを思い出して賭けてみた。君の掃除が終わるのが午後十四時というのはわかっている。なので午後十六時までに番号が書かれた紙片を見つけることができなければ・・・・・・・」
 ボスは適切な間を置いた。まあ、その後の言葉についていえば私はわかっているが、「できなければ?」と訊く。
「君は消える」と春の風になびかれた桜の花弁のようにやさしく言い、「それがルールだ」と穏やかに添えた。
 私は唾をごくりと飲み込み、「わかっています」と言った。
「ならいい」
 さらりとボスが返す。コンポからレッチリのアルバム『母乳』の何曲目かわからないが流れ出す。ボーカルのアンソニーは一切タッチしない、インストゥルメンタルだ。レッチリの最大の特徴はリズム隊の良さだ。呼吸と似ている。ドラムが息をし、ベースが息を吐く。まさに阿吽の呼吸とはこのことではないか、と今流れている(曲名は未だにわからない)を聴きながら思う。ベースソロが流麗で繊細で、それでいて心地よい。
「ストーン・コールド・プッシュ」
 ボスは何かの標語のように言った。
 私は思わず、「はっ?」と素で訊き返す。主婦の十八番である頬に手を当てながら。そして電話越しにいる男に、はっ?という威圧的な態度をとったことを数秒後に恥じるが、ボスは気にしてないようだ。
「君のバックで流れている曲だ。フリーのベースソロとジョンのタッピングソロの兼ね合いが絶妙だ。しかし、俺の個人的な意見は、アルバムで言えば『カリフォルニケーション』のが好きだがね」
 通ぶった口調でボスは言った。電話越しにカランという小気味よい音が鳴り響いた。
「『カリフォルニケーション』?」
 おそるおそる私はボスに訊いた。どこか未知の扉を開くみたいに。疼く虫歯の拡張度を確認するように。
「そうだ。荒々しかった彼らも大人になった。といえるアルバムだ。音楽というのは実に面白い。とくに長く活躍しているアーティストであれ、バンドはそれが顕著に表れる」
 ボスはどこか昔を懐かしむように言い、私はといえばコンポのリモコンを手に取り、『カリフォルニケーション』に照準を合わせた。ボスの言葉とは裏腹に落ち着きとは無縁の荒々しいベース音が流れた。しかしそれは最初だけだった。昔のレッチリだったら、荒々しさそのままに疾走するが、どこか落ち着きを取り戻す。好きな男性に熱を上げ、押すに押すが、ふと冷静になり相手から告白させようと画索するインテリジェンスな女性のように。
「たしかに従来のレッチリとは違う感じがします」
 私は愚直なまでに思ったことを口にした。
「それでいい。音楽も人も同じだ。過去があり現在がある。子供時代があり大人がある。人には節目節目で転換点がある。彼らの音楽でいえば、攻撃的で激烈なサウンドから、シュガーなより浸透するメロディアスで優しいサウンドに転換した。まさに起死回生の大作とはこのことだ。昔のレッチリがいい?そういう人間に限って成長していない。何かを変えるということは非常に勇気がいることだ。彼らはその勇気を己に享受し、噛み締め、メロディーに乗せ、人々に放った」
「なるほど。ボスは彼らの曲から感情的な何かを感じ取ったわけですね?」
 私は訊いた。なぜかボスと話すと頭を使わざるを得ない。必ずこういう人物が節目節目で表れる。学生だとインテリ伊達眼鏡な教師、社会人一年目の先輩風を吹かせる赤いルージュを塗りだくったお局社員。それでもボスに対しては好感度が高い。価値観、というのを変えてくれたから。
「そうだ。人は変わる。変わることを受け入れる度量というのも必要だと俺は思った。でだ、話しは急激に変わるというのが君ら女性の特権ならば、俺もそういう人間に分類されるだろう。話の切り替えというのは面白いもので、それだけで頭の回転を余儀なくされる。君は主婦だが、これから女性が大いに社会を引っ張っていく時代になるだろう。いくら男社会とはいえ、限界が近づいている。女性的考えであったり、発想、アイディアというのはようやく認めだし、なにより――」ボスが間を開けるときは大概、私を試している場合だ。「お金を使う」
「その通りだ。男は見栄のためならお金を使うが、女性は純粋に購買意欲が盛んだ。俺が企業経営者であったり、政治家であったなら、女性の賃金を増やす雇用形態や政策にするがね。なぜか?」
「お金を使うからですね」
 私は苦笑を噛み殺しながら言った。ボスは一体このやり取りをどう思っているのだろう。真面目と不真面目、真剣とおちゃらけという大人と子供が入り交じったボスに私は心も身体も奪われている。ボスのベッドでの癖は私の首の皮をつまむこと。それもリズミカルに。大概、上に立つ男というのは変わっている人間が多いが、ボスもその一人。
「ふむ。それでいい。では仕事の件だ」ボスはカランと電話越しに氷らしき音を響かせた。「午前二時 足立区西新井のKマンション十五階 職業アーティスト 名前は加賀美  瀬理菜 三十六歳 いつものように再起不能に」
 私はその名前を聞いて胸が早鐘を打った。それを知ってか知らずか、微かにボスが鼻で笑った。もしかしたらそれは私の思い違いかもしれない。でも、いや、思考をフル回転しての私の結論は、ボスは鼻で笑った。
 私の脳内は過去のフラッシュバックで忙しい。わずか一単語が出てきただけで、記憶が走馬灯のように駆け巡る。映像にリズムがあり、それらが言語化され、母音変換し、記憶と虚実が音韻変化する。甘い記憶と苦い記憶が交互に入り乱れ、気分も乱れる。
「終了次第。西新井近くのRホテルで待つ。気味の身体が待ち遠しい」
 最後の一言はボスの欠片もない一人の卑猥な男の言葉の残像だった。ボスも性欲ギンギンのその辺の男と一緒なのね、と安堵する一方、加賀美瀬理菜を殺すことが出来る、という興奮と不安が同居した。
 落ち着きなさい。私は主婦でもあり殺し屋でもあるんだから。
 iPhoneからツーツーと存在不明音が一拍置きに聞こえた。玄関から、「ただいま」と覇気のない息子の声が聞こえ、「これからバイトだりー」と一オクターブ声が上がった。 
 私は思った。可愛い、息子よ。一体あなたは誰と会話しているの、と。
 主婦という二文字はそれが職業である。しかし私は苦痛だった。早すぎる結婚だったと今では認識している。二十歳からの十年間をスターダムに駆け上がり、夢や目標などのライフプランを構築していた。キャリアウーマンというよりは専門家を志そうと決意していた。それも弁護士。若いというのは無謀な夢や志があり世間知らずな一面が時としてバネとなる。
 が、予定はあっという間に崩れ出す。
 当時、有名私立大学に通いながらイタリアンレストランでウェイトレスをしていた私は、そのレストランの店長と交際することになった。「髪を染めている女性が大多数を占める中で、君は黒髪を維持している。どことなく人を寄せつけない雰囲気にも惹かれる」それが現在の夫でもある松原豊が私という人間に惹かれた要因らしい。しかし、私は恋愛に対して奥手だった。というよりも十九歳という年齢にも関わらず、男の人と手を繋いだこともなければ、唇と唇を重ね合わせるという聖なる儀式も未達成。数少ない友達に、「セックスってどういう感じ?」とドライな口調で私が訊けば、「ファーストは痛いんだけどね、それがセカンド、サードと回数を重ねる内に、あれ無しでは生きられなくなる」と大学の友達は嬉々とした表情で私に伝えた。実を言うと、マスターペーションはしたことがある。パンツ越しにシャープペンシルの先っちょを陰部に摺りワサビのように擦りつけた。最初は、なんだかよくわららなかったが力の加減を操作していく内に、身体が火照り、脳内がじりじりとスパークし、尿道ではない別の器官から、なにかしらの分泌液が出たときは、これが噂の、〝イク〟という行為ではないだろうか、と純真ぶっている私は思った。だが、すぐに思い直す。マスターペーションを夜な夜な、ベッドにちょこんと座りながら股を広げ、シャープペンシルを押し付けている時点で不埒で汚れた女。と認識するに至る。それが夜の日課になった。勉強は好きだった。とくに法律の勉強。法律がある限り女が一人で生きていく為には食べていくのには困らないだろう、という考えがあった。それに、ニュースや新聞、それと数少ない友達の話を統合させると、女という生き物は社会でもプライベートでも弱者というのが事実だ。ニュースや新聞では、夫が妻に対してDVを行い顔中痣だらけの女性が映し出され、結婚し出産をすると正社員として雇われづらくなるというのを目にした。さらには数少ない女友達の証言(弁護士ぶってみた私)ではサークルの先輩の家に呼ばれて言ったら、「これが目的だろ」という獣と化した男に身体を貪られレイプされたというのを泣きながら訴えられた。しかし、その男は父親が政治家という後ろ盾があるため、ことを公にしても、すぐに揉み消された。なにかしらの金銭授受があったに違いないと私は推測する。少なからずこのときの私は未熟だった。法律がある限り弱者を人類を守ってくれると思っていた。しかし、この出来事があってから私の心にちくりとした刺のような、些細なガラスの日々が入り込んだのも事実だ。いくら弁護士として活動していても、もしかしたら政治家やその他見えざる権力が介入してくれば、法律なんて全く無意味ではないのか、と冷静に客観的に物事を見ている自分自身がいた。そういう性格がいじめの対象となる原因や要因なのだろうか。わからない。人間というのは価値観も違えば、育った環境も違う。たくさんの人がいる中で皆が皆に好かれるとは思わない。それでいて私の最大の欠点は群れるという行為が苦手でしかたなかった。それが男という立場なら、「ホント群れずにお前はカッコいいな」「群れないで物事を成し遂げるタイプだな」という賞賛的な言葉を投げかけられるかもしれないが、女という生き物は複雑で仲間を形成し確認作業をしなければならない。とりあえず誰かと、一緒、でなければならないのだ。トレイに行くときでも、洋服を買うときでも、ご飯を食べるときでも、アクセサリーを身につけるときでも、誰かと一緒でなければならない。それが私には苦痛だった。日本に限っていえば、平和に過ごせるインフラが整っているのだから、自分の思う通りに生きたい。誰かと一緒に行動し時間を浪費するぐらいなら、一人でいた方がまし、という考えにいつしか陥っていた。
 そんな私が人の温かさというか愛に触れ合ったのが豊だった。四歳年上ということもあり、大人な男性という雰囲気を醸し出してた。爽やかな短髪。きりっとした眉に、笑うと三日月形になる優しげな目。それでいて肩幅広く、私を包みこんでくれそうな抱擁感を滲ませていた。さらにポイントが高いといえば、肥えてない。ということだ。肥えている人物を私は好まない。夏は暑苦しく、不快な臭いを伝染させる。その不快な臭いを発していることに本人が気づいてない、という鈍感さが私には理解できない。
 はじめて豊と身体を重ね合わせたとき、私が私でなくなった瞬間だった。男の人に自分の身体を触れられ、甘い言葉を囁かれるというのが、こんなにも気持ちのいいものだとは思わなかった。
「やさしくするから」
 豊の甘い言葉が私の脳髄まで行き渡る。それでいて私は騎乗位という雑誌と卑猥な映像でしか見たことのない体位にチャレンジし、自ら腰を振っていた。なんだろう、腰を勢いよく振りたくなるのだ。西部劇で馬の尻を鞭で打ちつけるガンマンの気持ちがわからなくもない。打って、振って、打って、振って、という私の脳内はなぜかそらの言葉が交互に印字されていた。
「激しい。最高だよ」
 その豊の言葉が私の腰振りを加速させる。部屋のスイッチをパチパチ、と切り替えるように前後運動が激しかった。
「ああ」豊の嗚咽と快楽が交錯した中間領域の声音と共に私の内部に熱いものが侵入し突き抜け合成された。コンドームという避妊具を使用せず、豊の「生のが気持ちいいよ」という言葉にほだされた結果、私は二十代を棒に振ることになる。
 豊と結婚し、息子の他に娘も誕生した。それなりの収入で、それなりの夫婦生活を営み、それなりに主婦活動を営む。かつて思い描いていた人生設計は破綻をきたし、結局大学を辞めることになった。それでよかった、と納得しようとしたが、どこか心の中で屈折したしこりのようなダークな塊が沈殿していた。
 結婚して何が変わったといえば、人と触れ合うようになった。という部分だろう。それは仕方がない。学校の行事ごと、希薄になったとはいえ足立区という下町ではご近所付き合いは盛んだ。近所の主婦の間で私は、「ファッションリーダー」と持て囃されている。ようやく自分の長所を見極められるようになったのか、意外と女としての自分は、そこそこ上位に入るらしい。フェミニンさ漂うウェーブがかった黒髪。卵形の顔。目は大きく、鼻筋はすっと絵筆が通りそうなほど繊細だ。それでいてスタイリッシュな体型。それが私のご近所間での評判だ。個人的な悩みとしては胸が垂れだしたことだ。やはり出産を二度経験すると、少なからず体内老化は早まるらしい。その点、芸能人を羨ましく思う。多額のお金をかけ、適切な医療と法外な報酬で、また元の美しくも可憐な容姿に戻る。
 私は何かを見落としているのだろうか。三十代というのは転機でもある。私は鏡を見つめながらぼんやりと考えるときがある。結局私には何も残されていない。いや、それは嘘だ。子供もいれば、夫もいる。それでも何かが満たされないのだ。それは他の人が通ってきた道を私が通ってきてなかったからだろうか。男との逢瀬も人より少ない。「今の旦那さんは何人もの男」という主婦が大好きな昔の男の話題になり、他の主婦達の平均は三、四人ということだった。思わず私は絶句した。うだつの上がらない、干涸びたサンショウウオみたいなこの人達でも、三、四人の男を経て結婚している。なんだか悔しかった。だって私は一人、そう豊一人しか男というものを知らない。でも、それで今があるのなら、運命の人だったのかもしれない。
「それで、松原さんは何人目で今の旦那さんと?」
 主婦の一人が私に視線を移す。その声を皮切りに他の主婦達も蛇のような睨め付けるような好奇な眼差しで私の全身を射抜く。私の脇と、なぜか股間がじっとりと冷や汗で滲む。
「みなさんと同じですよ。五人です」
 ジ・エンド。思わず私はこう叫びたくなった。これが、これが、私の本心なのだ。なにかが少しずつ狂い出し、ボタンの掛け違いが起こり、リズムに歪みが生じだした瞬間。
「ですよね。まだいい男ゲットできそうだけど」
 私に問いかけた主婦は高笑いを示した。笑うときぐらい口を抑えろ、という希望的欲求を私は抑える。一人が思っているということは大方のこの場にいる全員が思っていることだろう。
 それでも最後に放った一言が私を、別の空間へ誘う。
〝まだいい男ゲットできそうだけど〟
 笑い方は汚いが、私に女であるということを認識させてくれて、ありがとう。と私はコーヒーを一気に啜った。それは冷えていて不味かった。破壊の味。
 三十歳を過ぎても豊の精力は衰えない。それでも避妊具は使用した。自分の収入面を気にしているのだろう。彼は二十九歳で方々から借金をしダイニングバーをオープンした。これが全くもって不況も相まってか閑古鳥が鳴いている状態だった。そう過去形なのだ。オープンして数年経ってから風向きが変わった。なにが、どう作用すれば売り上げが上昇気流に乗り、純利益を増益という形で出せるのか、と私は不思議がる。とくにこれといった特徴のないお店だ。季節ものの創作料理があり、世界各国種々雑多なお酒を提供する。たまにバンドを呼んだ日には、ピアノが鍵盤を思いを馳せ、ベースのチューニングが明らかに狂っている。粗と人間臭さが熱を発しているダイニングバーである。たかだが数年で繁盛するお店とも思えない。飲食業の浮き沈みのサイクルは早いと聞く。
「ねえ、ここまで繁盛するのって何かマジックでも使ったの?」
 ある日、私は豊の乳首をこねくり回しながら甘い声で訊いた。私という人間も三十歳になり女と母親という二足のわらじの影響と、経験と、自信が魅力的で妖艶な女性に変貌させているのを実感している。なので豊は気が気でないのだろう。毎夜、ベッドに誘いこむ。大丈夫、あなたから逃げたりしないから。でも、魅了的な男がいたら、逃げ出すかも。なんて小悪魔的な私。
「気になる?」
 豊が私の髪に触れながら嫌らしい笑みを向ける。私はそれに対して頷いた。焦れったい。男って、なんで含みをもたせるのかしら。やれやれ。
「上客ができたんだ。その人は、方々に絶大なコネクションをもっている。まあ、それでだな」
 彼はさらっとナチュラルに言ってのけた。〝上客、コネクション、それでだな〟申し訳ないけど、全くわからない。要領を得ない。それで経営者?笑わせないで。
「ようするにアドバイザー的な役割を担う人物が現れた、ということかしら」私は効果的にその後の顛末を予見するようにより魅惑的に舌を唇で濡らした。彼の喉仏がごくりの鐘を鳴らし、今にも狼か熊か猪のどれか、つまりは獣のに成り下がろうとしていた。
 獣。
 男は獣よ。どんなに綺麗事を並べようが、セックスか金の話。まあ、豊は不幸中の幸いか子供の成長を温かく見守っている節があるけど。
「いやいや、経営は僕がやっているんだ」
 私ったらいけない。豊にも自尊心というものが存在していたのを忘れていた。男ってなんだかんだいってアドバイスという単語を嫌う。何かを己自身でやり遂げた、という達成感が欲しいのだ。それも目の前にいる妻に対しては大半だろう。大概、夫婦仲がうまくいかない家庭は、妻が、ああしろ病に陥り、夫の威厳が低下。働き蟻というよりは、働き雲と化している。そう、家にいても実体があるのか、ないのか判断がつかない。朝起きて、仕事に行って、安いお酒を飲んで、子供が成人になりました。というサイクルを繰り返す。それが当たり前だと思っている。違う、絶対に違う。そんな平凡で非凡さは嫌だ。私は嫌だ。
「なにを興奮しているんだい?なんだか体温が上昇してるなあ」
 そう言って豊は私の頬に触れ、ぴんと張った乳首に手を移動させる。んふぅん、と感じていないのに感じているそぶりを私は見せる。さあ、豊。話の続きをしなさい。こんなに官能的な仕草を見せたのだから。
「人との繋がりなんだ。その上客がいつも新しいお客を連れてきてくれて、さらに連れて来たお客がまた別を――ていう具合に」
「でも、なんか怖いわね」
「なぜ?」
「だって、そんなうまい話しってあるかしら」
 私は意識的に髪を搔き上げバラの香りを微視的に振りまいた。彼の顔が癒しに包まれているように見える。もしくは目の前を熾天使が舞っているかもしれない。
「まあ、いいじゃないか」と豊は私の唇にキスをし、「そういえば、君に会いたがっていたなあ、上客が」と嬉しそうに言った。
「私に?」
 突然の指名に私は驚く。
「そう。男は女性を見ればその器がわかる、とかなんとか御託を並べていたけど。明日あたり店に顔だしてよ。その人来るから」
 豊はそう言い、唸りをあげている股間に向けて私の手を誘った。残念ながら女性期間なのだ。まだ、女性であるということを少なからず忘れないでいられる女性日和。なので、今日という日は手と口で旦那様にご奉仕。どうしても私は丸みを帯びた睾丸に興味を抱いてしまう。月みたいだから太陽みたいだから饅頭みたいだから、色々な理由が思いつくが、私は太陽が好きなのだ。温かく、全身を包み込んでくれる慈愛の光が。それと睾丸を結びつけるのはいささか無理があるだろうか。いや、無理はない。だって、睾丸も丸いのだから。睾丸から大木のように樹液と年輪が刻まれた男根に指先を這わせ移動し、上下動を繰り返す。その上下動を繰り返す度に、彼は胸を掴み、乳首を掴み、さりげなく姿勢をずらし、乳首をチュパチュパと舐める。
「君の手技はレッチリのドラムであるチャドスミスを想起させる」
 豊は掠れた声で言った。ていうか、それ誰?と内心の疑問を口に出さずフフと声を漏らし、陰茎の上下動を急ピッチで進める。早くピットインからの加速をしろ、と心の中で何度も連打する。
「なにかいいいなよ。とりあえずレッチリ聴いといてよ。上客さんが好きなんだ。話しがスムーズに運ぶ」
 私は軽く頷き返し、それから数十秒後に豊の分泌液が私の手の中で発射された。口でやらなくてよかったのは好都合だ。あの味を口内に残した後の寝起きは最悪だ。あたりめを三袋食べてもあんな口臭はしない。
 豊の方を見た。すでに眠っていた。寝息を立てていないから死人のようにも見えた。顔を彼に近づける。鼻息が私の耳にかかった。どうやら生きているようだ。それで明日はやることが山積みだ。
 レッチリの曲を数曲覚え、豊の上客に会う。やれやれ、明日は長い一日になりそう。夢の中で見えざる上客が黒い影で出現し、私にこう囁いた。「君が必要だ」それに対し私は、「私もです」と答えていた。気づけば朝を迎え、ベッドで寝ていたはずの豊の存在は消え、私は目を閉じた。
 豊が経営するダイニングバー『スムーズ』は北千住駅西口から徒歩二分という好立地だが、いかんせん風俗営業が近場ではびこっているからか客層も荒々しい雰囲気を醸し出す人が多い。私も何度か足を運んだ。ファンデーションを塗りだくり、つけなくてもいい桃色の口紅を塗った。「今日はどうしたんだ?気合い入って」と豊が素っ頓狂な声をだしたときは、「たまにはいいじゃない」と私は切り返す。ホント、男という生き物は〝女〟という生態系を理解できないんだから、なんて歯がゆい思いを抱いた。それでも酔態を晒した常連がバーカウンターに座っていた私に絡んできたときは、ハハハ、と笑いながら豊が手を払いのけてくれた。そういうところが魅力的。さあ、私を大事にしなさい。
 前日に〝上客〟と豊から聞いたこともあり、上等な男、と勝手にレッテルを貼り、粗相のないようにしようと身なりをシックにまとめた。だからといってドレスコードではない。お尻を強調させたタイトな紺のワンピースに、カーキのカーディガン、足下は踵が高すぎて痛いけど我慢しているハイヒール。首元には天使の羽をあしらったネックレス。でも、そのネックレスはどこか今のコーデには不釣り合いな気がしないでもない。さらにはドレスコーデではない、とか言っときながら、ザ・ドレスコードに近しい服装だから笑えない。歩く度に視線を感じる。大学生風の男からの視線をスコープで狙いを定めている米兵のように感じる。若いあどけない感じは嫌いではないが、若さ、というのは得てしてせっかちな印象を抱いているため、こっちから狙い下げ。その大学生風と目が合った。柔和な笑みを返され、私も返し、彼はマックに吸い込まれた。しかし私に見惚れていたのか自動ドアに激突していた。あら、可愛い。そういう隙を見せる年下の男は嫌いではないが、自動ドアに激突、って。それはよして。漫画の世界じゃないんだから。
 私は、なんだか愉快な気持ちになった。新しい服に身を包み、女でいられる喜びを実感しているからかもしれない。耳元にはイヤホンを装着し、iPodのクリックホールを回す。朝、化粧をしていたら鏡台の上に豊の直筆の手紙が添えてiPodが置いてあった。
〝とりあえず聴いといて〟
 とりあえず、はいらなくない?聴いといて、だけでいいと思う。強制的文言が時には重要だと思う。だって、あなたのビジネスのためじゃない。聴くわよ。絶対、絶対、に。
 で、今聴いてるのだが、じっくり聴いてみると身体の内奥から興奮の火柱があがる。演奏については知識はないが、素人が聴いても文句無しに耳の奥深い井戸の底をほじくる。電撃が走る音楽に出会うと、今までこんな素晴らしく、心躍る音楽を知らなかったのか、と自己嫌悪に陥ってしまう。演奏もそうだが、なによりボーカルがいい。おそらくのど自慢コンテストで優勝するかは微妙だが、バンドの音域に合っている。だからこそ化学反応が起こり、多大なファンを獲得する(インターネットで調べた限りでは)に至っているのだろう。これを機に私もファンになりそうだ。事実、ファンになっている。洋楽というのはどこかとっつきにくい印象があった。英語だし、ジャカジャカうるさいし、性欲強そうだし、と思っていたが、実際に聴いてみると、芸術的音楽、ましてや長期的続いて認知されているアーティストというのは、内面は繊細で純粋に音楽一つを追求しているのだな、といことが伝わって来る。『Under The Bridge』を聴いて、ああ人間って孤独なんだ、て思わされる。いくら愛する人がいても、いくら実り多き人生や仕事を謳歌しても、結局一時の果実は萎み、また孤独という種を撒くことになる。そして果実が実り、種を撒く。人間は複雑で、ダークで、奥深い生き物だ。それを音という分野で切り取った感情を表現する彼らは見た目よりも心の中は複雑なのかもしれない。
 ダイニングバー『スムーズ』に辿り着いた。年季の入った木製の看板が右側に立て掛けられている。店の門構えは看板にしかりウッド調をベースにしている。足立区千住には不釣り合いな店構えだが、ぱっと見は、ほっと一息つけるオアシス的空間を彷彿とさせる。私は腕時計を確認し時間を見る。午後十九時三十分。
 扉を開き私は店内に入る。店内にはスーツを着たサラリーマンや大学生風のひょろい男性、私綺麗ですよ、とあからさまに誇示するメイクを施した女性など、それぞれカウンター、テーブル席で賑わっていた。たしかに繁盛しているらしい。活気がある。錆びれた店ならば活気もなく、どことなく従業員に覇気を感じられないが、『スムーズ』に至ってはそんなことはなさそうだ。暗照明の店内はアルコールを飲むには最適で、四方八方からは眠気を誘うようなやさしいジャズの音色が店内を席巻する。
「おい。美沙!」
 でました。家では〝おい〟だけなのに一歩外に出ると名前で呼ぶ男の自尊心砲火。その加速熱はベッドの上だけと思いきや、外では〝この美人は俺の嫁だから〟と鼻高々なのには見え透いている。まあ、夫だから、仕方がない。
「ごめん。早めに着いちゃった」
 豊が私を上から下まで低速なエスカレーターのように仔細に眺める。彼が興奮するときはよくわかる。喉仏が、ごくり、と打撃するからだ。ほら、今も。ごくり。
「二十時には来るみたいだから」
 卑猥な表情から経営者の顔になり彼は冷静に言った。
「おい豊ちゃん。まさかこんなべっぴんさんがいるとは聞いてねえぞ」
 カウンターに座っている加齢臭が漂いそうな中年の男が言った。彼は私の胸を見て、舌をペロペロと蛇のように出している。さらには、隣に座りなよ、と右手で椅子を軽く叩く。ごめん、無理。それが率直な私の感想。臭い人って苦手。もちろんまだそうとは決まってないけど。
「勘弁してくださいよ。桂さん」
 豊が困惑し、ビールでいい?と私に訊き、頷く。私はカウンターに座る。もちろん桂と呼ばれる人物から席を一つ分あけて。
「いやいや、本音を言ってるだけだよ」桂は私の胸にびっしりと視線を合わせ、腰回りに視線を向け、最後は目を合わせた。「神は一つの顔で作られたけど、でも奥さんはもう一つの顔を持つ」
「なんですかそれ?」
 思わず私は訊いた。その間に、豊がカウンターにコースターを敷きグラスビールが置かれる。私の質問を無視し桂が、まずは乾杯しよう、と声を掛けた。
 乾杯、桂の見た目に似つかわしくない甲高い声を上げる。オペラ歌手にいそうな声だ。高くも太い。髪はふさふさで、意図的に無造作にしているように見える。芸術家にいそうなタイプだ。眉太く目には強い光が宿っていた。服も質の良い黒のテーラードジャケットにインナーは白のVネック。そしてブルーデニム。体型は意外にも筋肉質なのが手首から浮き出る血管を見るとそれとなくわかる。
「で、奥さん。さっきの質問なんだけど、とくに意味はないよ」と桂は白い歯をのぞかせ、「主観的に奥さんを見たときに、僕に降ってきたビジョン」と手に持っていたロックグラスを高く掲げた。
「桂さんは、こう見えて画家なんだ。銀座で個展も出してる」
 豊は学生が知合い自慢をするように言った。なるほど、私の見る目もあながち間違ってないじゃない。微かにほくそ笑む。
「凄いですね」私の感嘆に桂が髪を搔き上げる。わかりやすい男だ。社交辞令ということをわかっていない。芸術家という人種は己に自信があるタイプと鬱屈した風情を醸し出している人種がいるが、桂に至っては前者だ。それもかなりの自信家。煽ててお酌でもして少しボディタッチでもすればコロッと札束を出すに違いない。ん?ちょっと待って!豊の妻だということを忘れるな。私は思わず自分の太腿をつねる。そのせいで黒のストッキングが軽く電線しているかもしれない。まあ、そうなったらそうなったで暗照明の力を借りるしかない。
「今度是非、お二人で観に来てよ」
 桂の軽い口調が妙に艶めかしい。
「是非、足を運ばせてもらいます」
 はたからみていて、わかりやすく、妻として滑稽なほどに豊が桂に媚を売る。まあ、世知悪い時代だ、これも営業手法の一つなのかもしれない。昔からある紺着。
「是非、期待してるよ。まあ、期待は無言の脅迫でもあるがな」
 ガハハハ、と桂が笑う。それを見て何がそんなに面白いのか私にはわからなかった。そう思った矢先に豊と桂の視線が扉の方に向かう。私も振り返り、思わず息を呑んだ。なにかしらの禍々しいオーラを放っている人物が扉をくぐってきたからだ。
「伊勢閣下のご到着」
 桂がぼそっと言う。言葉とは裏腹に彼の目からは笑みや感情は消えていた。なにやら緊張している面持ちでもある。
 伊勢と呼ばれる人物が私の前を通過し、豊と対峙し、「シャンディーガフ、辛口」と低音を響かせ言った。その声に私は胸がどきりとする。好きな音域の声だったからだ。思わずベッドシーンを思い描いてしまう。
「では僕は退散しましょうかね」桂はロックグラスの中身を一気に飲み干し帰り支度を始めた。
「君の役目は終わった」
 映画に出来そうなセリフを伊勢は放つ。彼の全身から〝危険〟なオーラが滲み出ている。ダークでもありブルーでもあり、正と悪が混在してるような色が。
 桂は私に、〝じゃあね〟という意味合いを込めたウィンクをし手を振り、一秒後には扉から消えた。どうやら画家である桂に至っては加齢臭でないことが今確認できた。
「お待たせしました。シャンディーガフ辛口になります」
 豊が幾分か丁重に伊勢をもてなす。そして伊勢が私を見る。こちらは、という一言を添えて。明らかに私の正体を知ってるのに合えて儀礼的に尋ねている節が見て取れた。
「妻の美沙です」 
 本日の二回目の豊から私の紹介。一年で二回妻の名前を呼ぶなんて、不吉。
 伊勢が強面の顔を崩し、柔和な笑みを見せる。歳は四十代後半。額に刻まれた皺が相応の苦労を物語っている。穏やかな目をしているが『スムーズ』に入ってきたときに見せていた鷹のように鋭い目つきは、常に誰かに命令を下している者特有の威厳を漂わせていた。上下グレーのスーツに、薄いピンクのワイシャツが嫌らしい。それでノーネクタイと遊び心も持っている。風情から余裕が感じられ、落ち着きを放っている。
「よろしく、伊勢です」
 私に握手を促し、それに応じた。大きい手、太い指が私の細く白い手を包み込む。ビリ、と全身を静電気のようなものが走る。握手をした時間はわずか一秒。ほんとうに一秒?彷徨っていた記憶が別の記憶同士が結びつき共振するように手と手の相性が良かった。これほど自発的で自然で斬新な握手を体感したことはない。
「大丈夫かな?」
 伊勢が私の顔を覗き込む。私は彼を見る。はっとした。彼は気づいているのだ。私の共振に。わずか一秒から感じ取った、なにかを。彼の一瞬垣間見せた笑みからそれが伺える。底の深い空洞の闇奥から微かに見える仄かな光の笑み。
「だ、大丈夫です」
 私は落ち着き払って言った。
「さすがに伊勢さんを前にして平静を保てる人物なんていませんよ」と豊が言い、「ちょっと待っててください。おつまみ出しますね」と奥へ引っ込んだ。
 さて、伊勢と二人きりはどこか気まずい。店内のミュージックはジャズからクラシックに変わった。その変遷が伊勢の到来をより一層強めた。トビウオのように鍵盤が跳ねるピアノ音。効果的なバイオリン。作曲家はわからないがピアノソナタ三重奏だろう。伊勢は微かな音を目を瞑り、小刻みに首を揺らし、リズムに乗っている。
「そういえば音楽がお好きなんですよね。とくに、『レッド・ホット・チリペッパーズ』、が」
 私は訊いた。今のタイミングで訊いてよかっただろうか。内心は不安で一杯だ。雰囲気は穏やかさを保っているが彼の表情から何を考えているかわからない。
 伊勢は目をゆっくりと開き、「そのとおりです」と簡潔に言った。
「『Under The Bridge』って素敵な曲ですね。でも、どこか孤独に感じる」 
 私の解説に伊勢が目を大きく開く。瞳が闇夜に煌めく満月のようだった。
「人は誰しも孤独を抱えています。満たされた人間でも。必ず孤独はやってきます。とくに死となって。これからはそれがビジネスとなりうるでしょう」
 彼は淡々と言った。
 うん。この人は一体何を言っているのだろう。と思わず私は首を傾げる。死がビジネスになるだとか、『Under The Bridge』の曲解説はどうしたのよ、と怒気を飛ばしたい気分だ。私はビールを一口飲む。上品に粗相のないようにエロティックに舌を垣間見せながら。
「あとで会いましょう。あなたに会いたかったんです。ホテルは予約してあります」そう言って伊勢は立ち上がり、私に一枚の名刺を差し出した。そこには会社名と代表取締役としての伊勢の肩書きがあった。裏面を見ると、Rホテル三〇三と記載されていた。
「え、ちょ、これはどういうことでしょう」
 私は突然の出来事に戸惑った。
「私がご主人に近づいたのは、あなたが欲しいからです。全てを知りたい。それに――」と伊勢は効果的な間を置き、「あなたは私に似ている。必ずあなたは来ます。遊びましょう」と言った。
 そして伊勢は消えた。圧倒的な存在感は夜風に流され、クラシック音楽に掻き消えた。そのタイミングを見計らったかのように豊が、「できました、特性・・・・・・」と目の前の現状に絶句する。それはそうだろう。伊勢がいないのだから。
「帰ったわ。用があるとかで」
 私は手に持っていた名刺をさりげなくカーディガンのポケットにしまう。そして豊と目が合う。ちょっとわざとらしかったかしら。それでも彼は尋ねてこない。
「ふーん。珍しいな。いつもは一時間はいるのに。まさか、伊勢さんの機嫌を損ねるようなことをしてないだろうな」
 なぜか豊の怒りの矛先が私に向かう。すこぶるめんどくさい。どうやらあなたの愛しの伊勢さんは、あなた目当てじゃなく、私目当てらしいわよ、という言葉が喉仏まで迫る。
「いきなり電話が掛かってきて、終わった後に、『急用が出来ました。ご主人によろしくいっといてください』とか何とか言ってあの木製の扉が出て行きましたよ」
 と私は捲し立てる。私の声と呼応としてか、店内にピアノソロが鳴り響く。
 グッドタイミング。
 しかし豊の目は細められ、どこか納得がいってないようだ。それにしても私はいつからこんな嘘がつけるようになったのだろう。人は嘘をつく生き物だ、とよく言われるが、でもこれは優しい嘘だと思う。まあ、嘘には変わりはないが。嘘は嘘。
「じゃあ、帰っていいよ」
「えっ!」
 私は思わず身を乗り出す。
「子供達が心配だ」
「大丈夫よ。あの子達は。慣れてるわ。一人で食事したりすることは」
 私はしれっと言う。
「それもある意味問題だけどね。家族のあり方として」
 突然父親面する、あんたに問題がある、と私は思ったが顔に出さず、「そうね。なら家に帰るわ」と決意を固める。些細な夫婦喧嘩は日常茶飯事かもしれないが、伊勢、という得体の知れない人物に出会った後では、尚更決意は固い。オリファルコンのように。てか、オリファルコンってなんだっけ?昔、息子がロールプレイングゲームを夢中になっているのを眺めていて、「ママ、あれ固いんだよ」と嬉々としいた深淵の記憶を呼び覚ました。
 なるほど、固いらしい。
「気をつけて」
 そう彼は言ったが、既に私に背を向けていた。店内は一体いつまで流れてるのだろうと思われるほどピアノソロが延々と続いていた。伊勢が立ち去った後の『スムーズ』は、だからじゃないだろうが、お客は私含め一人しかいなかった。これが本来の店の姿とでもいうように。
 Rホテルは近年都市開発が盛んな西新井にある。駅前には大型の商業施設が出来上がり、バベルの塔のように高級マンションが何棟もそびえ立つ。西新井の地価は軒並み高騰しているともっぱらの噂だが、高級マンションの空室があからさまに目立つと不動産
業者が嘆いているとも聞く。
 来てしまった、思わず私はRホテルを見上げながらつぶやいた。高級マンション群が少し離れた場所にヴェルサイユ宮殿のように堂々と建てられている。だからといってそこまで華美ではない。シンプルな外観だ。日本人は情緒を重んじる。それに、足立区に華美は似合わない。どこが雑然としてる方が街の魅力を助長する。
 一度は入ってみたいと思ったRホテル。というのもサービスの質が良いと評判だ。主婦仲間の一人曰く、『燃える』とのことだ。何が、『燃える』のかは容易に想像がつく。
 セックス。
 男と女が交わる究極の営み。人間は交わるのが好きだ。むしろ女の私のですら、妄想の中では魅力的な男とのその後の展開をストーリーテラーさながらに構築する。が、思うようにいったことはない。それがストーリーの醍醐味であり、人を惹きつける部分でもある。不安半分、興奮半分、の私はRホテルの自動扉をくぐる。煌びやかな照明に思わず顔をしかめ、待ってましたと言わんばかりに背筋をピンと伸ばしたホテルマンが、「三〇三です」と丁重な口調とふわりとした笑みで出迎える。
「えっ!な、な、なんでわかったんですか」
 私は思わずどもる。
 そんなことは意に返さずふわりとした笑みを讃えたままホテルマンは、「伊勢様は上客ですので。私どもは常に心得ております」と添える。
 うん。理由になっていない。伊勢という人物は、行く先々で上客なんだな、と意味もなく、私は納得する。あちらです、とホテルマンが左方向にあるエレベーターを指を差す。
「せっかくだから階段で行こうかしら。運動不足だし」
 と私は天邪鬼な対応で応戦する。しかしホテルマンはふわりとした微笑を維持する。ここまでふわりと表情を作られると義務的に見え、さらには作り物めいて見えるので、なんか怪しい。気持ち悪い、の二歩手前。たしかにサービスの〝質〟という点では良さげな雰囲気はあるが、度を超すと、個人的な感想を述べるなら、気持ち悪い。 
 あちらです、と今度はホテルマンが自動扉を入った正面を指さす。階段がある場所は私でも見ればわかる。親切心か老婆心の中間で言ってもらっているのだろうが、そこまで疎くはない。だって目の前に螺旋階段があるのは誰に目に見ても明らかなのだから。
「西欧をイメージしてるんです」
 だから私そんなこと訊いてない。ちょっと急ぐから、とホテルマンをやり過ごし、ハイヒールをカツカツと空間内に響かせ螺旋階段を時計回りに昇る。ふとさっきのホテルマンが気になり手すりを掴みながら見下ろす。
 エクセレント。
 じっくりとふわりとした微笑そのままにピンと背筋を伸ばしてこちらを見ている。だから。気持ち悪いし、ナチスヒトラーがこの世にいたら確実に、あなたという人物は重宝されたわ、ね。という笑みを私は讃えながら会釈し三〇三号室に向かう。 
 ホテルマンは西欧をイメージといったが、内装は都心にあるグランドホテルと対して変わらない。まあ、足立区という犯罪発生率が高い街で高級感溢れるホテルが出来たということが時代の流れを感じる、
 私は三〇三号室の前に立ち、カードキーがないことに気づいた。仕方がないのでノックを二回する。
 静寂。
 ホテル内で人を見たのはホテルマンのみ。人の気配がしない。新手の防音設備を施してあるのだろうか。その思考を遮るように扉がカチッと適切な音を響かせ開いた。
「来ると思ったよ」
 そこには爽やかな笑みを讃えた伊勢がいた。

 部屋に入るなり、シャンパンが入ったグラスを持たされた。お互い声なきまま、カチリと合わせたグラス音だけが響いた。紺と白のストライプのカーテーンで窓を遮断し、蛍色の仄かな明かりだけが部屋にともっていた。一歩間違えれば祈祷や魔術を行っていると思われそうな部屋明かりである。さらには大型のダブルベッドが王政のように毅然とした態度で存在し、枕元にはその後の顛末を予見するようにコンドームが三個並べられていた。
 三回戦は勘弁。
 私の視線の先に気づいたのか、額の皺をアイロンに伸ばしたように整え伊勢は笑みを見せた。そして私にゆっくりと近づく。その際にグラスの中身を一気に飲み干し丸テーブルに置く、という器用さを彼は見せた。どうやらこの状況は流れに身を任せるしかなさそうだと、私は原をくくる。
「刺激が欲しいだろ」
 伊勢が私の腰に手を回し耳元で囁いた。それが導火線のように、地雷原を踏みならしたように、私の人体内部は着火され、驚く事に伊勢の筆で描いたような唇を貪っていた。互いが互いの舌を絡ませ、吸い、絡ませ、吸う。そこに一種のリズムが生まれていた。身体の相性というのは少なからずこういう微細な部分に表れると私は思っている。それでいてそのリズムテンポが上がるにつれ一枚一枚器用に服を脱がされ、私の火照った身体が日の目を見る。太い手と太い指が乳房を荒々しく沼地で喘ぐ馬のように漁り、乳首を転がす。皺ひとつのないダブルベッドのシーツの上に私は押し倒され、彼は全身を舐め回す。舌使いは流麗で、ときに緩急をつける。その際にちらちらと私の顔を確認する。あら、やだ。彼の額に皺が寄っている。アイロンが必要。とばかりに私は舌を使い彼の額を舐め回す。もちろん効果がないのはわかっている。しかしそうしたくなる皺なのだ。私は口で彼の切れ味鋭いブーメランを研ぎコンドームを口に咥えブーメランに装着させる。それが私を射抜く。射抜く。射抜く。思わず声が漏れ、その度にガラスが割れたような音と地響きが全身に連打された。
「君を街で見かけたとき、同じ匂いを感じた。満たされてないんだろう?ビジネスをしてみないか?」
 事が終わった後、紫煙をくゆらせながら伊勢が言った。
「どんなビジネス?」
 私はシャンパンを一口の飲み、グラスを回す。それにしてもセックスがこんなにも官能的観念的で快感をもたらすものだとは思わなかった。二回戦もありかもしれない。
「人の死だ」
 そんな私の思惑とは対照的に伊勢から冷淡で端的な口調が返される。
「冠婚葬祭?」
 ふっと彼は鼻で笑い煙が宙を舞った。「それは死者を弔うビジネス。俺のは死にたいと望んでいる者、または必要に生じて減らす義務を負う」
 伊勢が『スムーズ』の時とは違い〝私〟ではなく〝俺〟と名乗った変化に気づくと共に今一彼のビジネスが概要が私に掴めないでいた。
「それって、直接手を下して生きた人間を葬るってこと?」
「簡潔明瞭で実に的を得た答えだ」と伊勢は口角を上げ、私にキスをした。「開発された薬を飲ませれば自然な死に見える」
「でも、それって殺すのと同義じゃない」
 私は彼の顔を見る。紫煙がもくもくと鎮魂のように天井に立ち昇る。
「同義?考えてみて欲しい。これはれっきとしたビジネスだ。たしかに表沙汰にはできない。そんなことは今の世の中では当たり前のことだ。詐欺師が詐欺を働いて多額の金銭をだまし取り、その金を元手にIT会社を立ち上げる。ITに限らず、罪を犯した人間が法で裁かれることなく、社会の表舞台に出れる時代なんだ。それらは不条理だろ」
 伊勢は煙草を灰皿に押しつけ消した。
「でも、不条理こそ人生よ」
「君からそんな言葉がでてくるとは思わなかったな。だが、そういう連中を葬ることが一つ。さらに権力の依頼もある」
「権力?」
「ああ」と伊勢は煙草に火をつけ煙を吐き出す。「増え続ける人口に歯止めがかからない。いくら新エネルギーだ、火星移住計画と言っても、所詮今は絵空事に近い。資源はいずれ枯渇し、食料、水不足が起きるだろう。すると何が起きる?」
 伊勢の問いに私は考えた。物質的なものに恵まれた私はそこまで不自由さを実感することはない。お腹が空けば気軽に立ち寄り、または調理し、電気を使い、料金を払い、生活を営む。それが普通だ。もし当たり前と思っている日常が突然壊され、非日常のような私が今までに体感したことのない現実にが待ち受けるのかもしれない。
 そうだ。腹を空かせた大人を思い浮かべるといい。イライラし、どこか不機嫌で、近づいていはいけないオーラを出す。三大欲求の内、性欲は抑えられるとしても、食欲、睡眠良くは難しい。じゃあ、食が制限され、思う存分食べれる自体を得ることができなかったら?それは歴史が物語っているのではないか。決して得意ではなかった勉強の知識をフル動員し、私は結論を出す。
「戦争です」
「随分、思考時間が長かったな。そう、君の言う通りだ。奪い合いが始まる。なので減らしていく。これは始まりに過ぎない。既にネットワークは世界に張り巡らされている。だから俺が機能しなくなっても変えはたくさんいる。誰がボスかはわからない。俺かもしれないし、他の誰かかもしれない。蜘蛛が罠を張ったら何もしないのと一緒で、手足を切断されようがまた再生するのと一緒だ。報酬は一件、二百万。回数を重ねるごとに一本ずつ報酬は上澄みしていこう。やる価値はあるんじゃないか?君は刺激と満たされな自分に憤りを感じている。一度やってみて合わなければ辞めればいい」
 その言葉に私が鼻で笑う番だった。「ここで断っても、さらには一度引き受けて、それで辞めた場合の私の末路は、死でしょ?」
 彼は鼻をヒクヒクさせ嬉しそうな表情をしていた。気づけば彼の煙草は消え、灰皿にカウントされていた。屍のように。
「君は理解が早い。俺の裏の顔を知ってしまったし。事の次第を喋ってしまったからには、君に選択肢はない。いわゆる白紙委任状だよ。君は判を押すだけでいい。契約要項は俺の思うが儘」
 伊勢が私の唇を再度奪う。私は煙草の味に顔をしかめたが、数秒後には目を閉じ、二回戦に突入した。それは私の同意の印でもあった。子供の成長は親の成長。たしかにそれはわかる。それでも私は一人の女として刺激が欲しい。その日は、わずか数時間でコンドーム三個分をきっちりと使い切り、半ば放心状態で家路に帰宅した。豊の姿はまだ無く、子供達はいつもの通りぐっすりと寝ていた。私はシャワーを浴び、愛欲臭をきっちりと洗い流し、依頼を待つ事にした。
あれが三年前か、と私は西新井にある高級マンションに辿り着く。このマンションの並びにRホテルがある。月日の流れを感じながら、『一五〇一』と部屋番号を押す。応答がない。もう一度部屋番号を押す。応答はないがオートロックが開いた。
 加賀美瀬理菜
 中学の同級生であり、グループに属さない私を嫌悪し、脅威に思っていた女。それでいて人一倍自尊心が強く、寂しがりやなのを私は知っている。私は中学時代、彼女に陰湿ないじめと公開いじめ両方の屈辱を味わった。上履きに画鋲が入れられ、通学鞄に給食が混在していた。修学旅行の時に私は陰毛が生えていなく、それはお前がオスだから、という意味のわからない筋の通らない解答をされ、学校の黒板に、
〝美沙 陰毛なし オスの疑いあり〟
 とピンクのチョークで書かれた。男のサル化した視線を三年間受け、精神的に塞ぎ込んだ時期もあるが、私は屈しなかった。そのときは思わなかったが、必ず私に辱めを行った張本人達に罰が下ると思ったからだ。若い時のツケは大人になってから払わなければならない。それが人生のルールであり、人生の最終地図だ。
 私は十五階まで広々したエレベーターで向かう。二十階建てのマンションの十五階部分に部屋を賃貸するなんていかにも加賀美瀬理菜らしい。究極の自尊心の塊。自分が一番じゃなきゃ気が済まない女。輪の中心でなければ、存在意義がないと思っている。裏を返せばだから精神的に弱い。あなたも殺しをやってみる?心が強くなるわよ。いや、麻痺するといった方がいいか。
 チン。
 エレベーターが十五階に着いた。私もいつか報いを受けるときが来るのだろうか。人を薬で殺し自殺に見せかけ、多額の報酬を得る。この三年間得た報酬はサラリーマンの生涯賃金の二分の一にも及ぶ。人の死がビジネスになる、というのは本物だった。そして確実に私の金銭感覚は狂い、北欧家具にしかり、高級車も実は所有している。ストレスが溜まっているときは豊でもなく、伊勢でもない、その辺のゆきずりの男と寝る。私の中にいる純粋なる精神を保つにはセックスか金を使うか、または主婦業を必死に営むしか方法はなかった。それでもどこが私の居場所なのかがわからない。豊とは口数も減り、伊勢との紺着をさすがに疑っている節もある。さらには見知らぬ家具が増え、「そのお金はどこから?」という事も訊かれた。返答は決まっている。「お隣の○○さんの主婦にネットビジネスで副業の仕方を教えてもらったの。数万円だけどね」
 だが、豊にとってはネットを巧み扱う私が面白くなかったらしい。彼は中卒でもあり、ある意味料理人として腕一本で生きてきたようなものだ。近代文明の遺物に頼らず、彼は自分の味で勝負し、自分の店でビジネスしてきた。それが女がネットという自分にとってよくわからないもので稼がれるのが嫌でも嫉妬を覚えているのだろう。しかし、私はネットで稼いでいるわけでもない。人を殺しているのだ。そのことを伝えられないジレンマもわかって欲しい。ああ、豊。罪深い妻を許して欲しい。なんて思ってる間に加賀美瀬理菜
の部屋の前に辿り着いた。
 加賀美。
 律儀にもネーププレートにピンク色の油性ペンで印字されている。ノックしようと思ったが、それはやめ、突然の来訪というサプライズで驚かせてやろうと思った。さすがに月日が経っているから容姿は多少変わっているが。
 ドアノブを捻った。鍵が閉まっていると思ったが、そんなことはなかった。お邪魔します、と私は小声で言い、土足で入った。わざわざ靴を脱ぐ必要もないだろう。実際にはハイヒールだが。どうせ加賀美瀬理菜は死ぬのだから。ゆっくりとした足取りでリビングへ向かう。全身を仄かに包み込むようなバラの香りが部屋中を席巻していた。奥の方では明かりがついていた。リビング前の最終扉を私は開けた。すると声が聞こえた。
「私の最後の鉄槌が美沙なんて皮肉ね」
 細く白い脚を組みながらチェアーに座り加賀美が言った。私は周囲を見回しながら、これはどういった偶然だろう、と思った。家具類が全てアルテックで統一されている。それもビンテージ品。彼女が座っているチェアはスツール60シリーズのビンテージ品。はじめてみる代物だ。やはり曲線美の滑らかさがこちらまで伝わり、脚ではなく頬を摺り寄せたい。
「ちょっと、脚じろじろ見ないでよ。あんたの気持ち悪い趣向というか性質は昔と全然変わってないね。でも、美沙綺麗になったじゃん」
 うざい。素直に褒めればいいのに、一言前置詞を据え置かないと気が済まないらしい。めんどくさい女であり、相変わらず孤独なのね、と目の前の加賀美を見ながら私は思った。
「久しぶりね、加賀美瀬理菜」
 私は不適な笑みを効果的に見せる。気持ち悪いと思っているなら、徐々に口角を上げていく時間差攻撃が有効だ。
「フルネームって」と加賀美はのけぞり、「ねえ、いつから殺し屋って合法的な職業になったの?」と落ち着いた口調で訊く。昔から美人と言われ続け現在に至るであろう彼女もさすがに老けた。しかし、ぱっちりとした目の睫一本、一本きれに上を向いている。すっと通った鼻梁が、作り物のように完璧なラインを形成している。そのはっきりとした顔立ちは、程度の低い男を寄せ付けるには申し分ない。利発そうで人に好かれなさそうな美人、その印象は昔も今も変わらない。
「合法かどうかはわからないけど、人の死が歴としたビジネスになることはたしかね」
 私は伊勢の意志でも継ぐかのようにドライな口調に乗せて言った。
「恐ろしい世の中。まさか、あなが来るとは思わなかったけど」
 加賀美は脚を組み直した。
「因果応報よ」
「私のこと恨んでるんだ?」 
 加賀美の問いかけに、過去のことは忘れた、と私は大人の対応を見せる。
「なんで私が死ななければならないか知ってる?」
「おおよそのことは」
 私は言った。
 伊勢から聞かされた話では加賀美の財政状態はすこぶる悪いとのことだった。しかし近年はぶりがいいらしい。加賀美が職業として生計を立てている音楽業界はCDが売れない。あの手この手でコンサートやグッズなど収益に貢献するプランを立てても移り変わりの早い昨今のビジネスでは飽きられる。飽きられ収益の基盤が崩れ尚かつ哀しみの印税が口座に振り込まれる。加賀美もその一人だ。ある程度まとまったお金が入っていた豪遊生活が徐々に衰退、焦り、心の余裕をなくし、そのダークで鬱積した闇の中、薬物に手を出し、心と体をより一層蝕み、犯罪に手を染める。薬物なしでは生きられない身体になった彼女は、とある業界の大物から麻薬のブローカーをやらないか、と持ちかけられ、薬物を横に流し多額の仲介手数料を手にする。かつての豪遊生活が始まる。が、上辺だけの人だけが彼女の周り集まり、お金と身体目当ての低俗な男が入れ替わり立ち替わり介入してくるだけだった。
「あの男が死んだ、って知ったとき、遅かれ早かれ私も消されるんだろうな、って思った」
 あの男とは、業界の大物のことだろう。おそらく別の殺し屋に消された。自然に誰にも悟られることなく井戸の底の闇を徘徊しながら。
 私は彼女を見た。
 彼女はタイトなロンTの左腕部分をするすると捲った。指先が震えている。薬物依存症に多い禁断症状の兆候だろう。裾をまくり上げた左腕には注射針の跡があり青紫色に変色し、人体というよりはゾンビのようだった。
「人の温かみの侵入を許さず、悪魔の侵入は許したわけね」
 私は皮肉を口にした。
 彼女はそれに対し首を斜めに傾け、すぐに戻し、「あなたには言われたくはないけど。殺し屋なんかに」と強気に出る。
「加賀美瀬利菜!あなたは昔から一人を恐れていた。だから私をも恐れていた。あなたの周囲にはたくさんの人間がいるようでいない。それはあなただけのことではなく、大方の人間が抱えている諸問題でもあるし、これといった解決策はないわ。でも、これだけは言える。あなたは私に言われたくないかもしれない、と罵声や怒声を振りまくかもしれないけど、人を大事に思ったり、なにか人と分かち合ったりすることを知らないから、ひとりぼっちなのよ」
 なるほどね、と溜め息混じりの声を漏らした。「それは自分に言い聞かせているようにも聞こえるけど」
 おそらく彼女の指摘は正しいと私は思う。程度の差こそあれ私と彼女は似た者同士なのだ。世の似た者同士だからこそ相手のことが手に取るようにわかり磁石のN極とN極のようにまたはS極とS極のように反発し、決して心が混じり合うことはない。なにかのきっかけで混じり合うかもしれないあ、それは稀なことだろう。
「そうともいえるし、そうじゃないともいえるわね」
「あなたも私と同じで素直じゃないわね」と加賀美は立ち上がり、キッチンに向いブランディーを取り出した。冷蔵庫からロックアイスを取り出し、ロックグラスにロックアイスを二個カランと響かせ、ブランディーを注いだ。私の分まで用意して。彼女がアルテックのチェアにロックグラスを二個持って座った。片方のロックグラスを私に差し出し、それを受け取る。
「ありがとう」その言葉に加賀美は目を見開いた。珍しい生物でも発見したかのように。
 私は彼女の真向かいにあったソファーに座った。贅沢にアルテックのビンテージのソファー。私が所有しているソファーより三万円高い。
「最後の乾杯といきましょう」
 彼女の言葉に導かれるように私はロックグラスをツァンと響かせ合わせた。その際に並々と注がれたブランディーがカーペットに垂れた。しかし彼女は気にしなかった。むしろ気にする必要もない。だって、死ぬんだから。
「結局私には何も残らなかった。たしかに周囲には誰かは必ずいた。でも長い目で見れば、結局私は一人だった。それも突然に。ブラックホールに吸い込まれたんじゃないかと思ったわよ」
 彼女の言葉に私は笑みをもらした。彼女も笑った。今更気づくのは滑稽だが、彼女の歯はところどころボロボロだった。修復不可能な夫婦関係のように。
「さっきもいったけど、多かれ少なかれ誰しも抱えている問題。あなたは〝数〟を求めた。本質はそこじゃない。どんなに周囲を飾りつけようと〝質〟が悪ければ、孤独に逆戻り」
 私はブランディーを一口、二口飲んだ。実はブランディーを飲んだことは初めてであり、頬が急激に熱くなる。だからといって高揚するよりは興奮したあとに急激に冷める心地よさがあり。誰もいない森にいるようだ。そう、安定をもたらす。
 ロックグラスを目元まで掲げ、この不思議な飲み物について思案していたとき、目の前ですすり泣きが聞こえた。一粒、一粒の涙の線がロックグラスに反射され、ゆらゆらと蜃気楼のように私の瞳に届く。この場所には音楽が必要だ。孤独な人間は音を求める。いや、求めなければいけない。再生し停止し再生し停止。この循環のメロディが人々に安定をもたらし、安寧な精神をもたらす。涙の音は私を浄化する。
「泣きたいときは泣いた方がいい。すっきりするから。涙を流すことは次への一歩」
 私は彼女の左腕に視線を向け、細い脚に視線を移し、目元の涙の跡を見つめた。彼女の心が清められていく。
 そして、心が洗われた。
 死への準備。
「もう、サヨナラよ」
 私はロックグラスを目の前のテーブルにやさしく置き、ポケットから小型のケースを取取り出し、そこからカプセルを一個つまみ、彼女に手渡した。
「これが伝説の『自然死カプセル』というやつね」
 彼女は受け取ったカプセルをダイヤモンドの指輪のように掲げ、涙声で言った。その涙声はダイヤモンドの輝きより神聖なるものが感じられた。
「もし違った環境で違った場所で出会っていたら、加賀美瀬利菜とは友達として、いや、それ以上に深い関係になれたかもしれないわね」
「瀬利ちゃん、って呼んでよ」
 瀬利ちゃんと彼女はもう一度言う。
「なんで?」
 苦笑しながら私は言った。
「〝ちゃん〟づけで皆から呼ばれたことないから。それに――」
 彼女はカプセルを手に握りしめた。
「それに?」
「実は凄く近くにわかり合える人がいたんだね。それが嬉しくて。私って大事なものをいつも見過ごす。私とあなたが似ているなら、あなたも孤独なのね」
 そう彼女は言い右手を差し出した。私はそれに応える形で同じく右手を差し出した。伊勢のときもそうだったが握手というのは繋がりを感じる。セックスではない、なにかが。手相、握り方、体温、それが緊密に細密に深密に私の体内を犯していく。彼女の苦悩も、孤独の葛藤も、寂しさからの逃避も。目の前にいる彼女が闇に呑み込まれ、私を取り巻く周囲は闇に包まれ、感情の映写機を通してスクーリンに高速で映し出される。そこには感情が具現化している動物がいる。牙を剥くライオン、ゆったりと心地よい風と草木に身を委ねる羊と牛の群れ。そこに加賀美瀬利菜は歩いてく、笑みを投げかける、そして泣いたと同時に泥沼と雨期が多感なアマゾン内部に身を委ね、凄惨で残忍な思考へと陥る。大蛇が蠢き、未だに発見されずその存在を隠す新種の生物達が彼女に囁きかける。そしてヒントを得た彼女の思考は鳥になり空へ向かう。白紙の思考の地図を広げ、一つひとつ埋め、塗り固めていく。地図が完成し光が届く。
 私は右手を差し出したままでいた。しかしもうそこには加賀美瀬利菜の右手は握られていなかった。アルテックのスツール60のチェアに座りながらカプセルを飲み、安らかに眠っていた。私は彼女に最後の言葉を掛けられなかった。叶わぬ夢であり、届かぬ思い。しかし彼女にどんな言葉を語りかければよかったのか。
 彼女の涙の跡を私は指先で拭い、それを舐め体内に取り込んだ。
仕事が終わった後は伊勢に連絡することになっている。しかしいつもなら一秒で出る電話に彼はでなかった。私は首を傾げながらRホテルに向かった。伊勢との逢瀬は大概がRホテルだが、今日という日は何かが違った。まず第一に煌びやかな電灯が点いていない。自動ドアが開き、幽霊屋敷を彷彿とされるフロントに足を踏み入れる。未開の地に足を踏み入れたコロンブスも同じような心境だったのではないか。ん?少し違うか。彼は興奮と希望に満ちていたが、生憎私はそのどちらの感情も持ち寄せていない。あるのは、不安と恐怖だ。
 通い慣れた三〇三号室をノックする。応答はない。なにより不思議なのは(いつもそうなのだが)ホテルの従業員がいないことだ。いつもだったらいるはずの人物がいない。ドアノブを捻り、中へ入る。なんとなく伊勢の雰囲気というのはわかる。風情から滲み出ているオーラというのが人は必ず纏っている。ボスはそのオーラを人より強く放っている。
 が、その存在を私は感じ取ることができなかった。電灯のスイッチを点ける。明かりが点いた。電気は通っているようだ。チカチカと電灯が明滅し、突然の光に思わず顔を附せ、目を徐々に慣らす。
 私は顔を上げ室内を見渡す。存在なし。そこには誰もいなかった。あるのは見慣れた光景。紺と白のストライプカーテン。皺ひとつないベッドシーツにくるまれたダブルベッド。小型冷蔵庫に。桃色のスリッパと青色のスリッパ。ただそれだけ。これはなにかしらの暗示なのであろうか。
〝変えが利く〟
 伊勢は蜘蛛の巣の罠にみたて私にそう言った。となるとこれはもう決められたことなのだろうか。誰かが張り巡らした糸という罠に、私は絡めとられていたのだろうか。伊勢も、私も、もちろん加賀美瀬利菜、も。そしてRホテルすらも。
 胸騒ぎのようなものを全身に感じ、私は律儀にも電灯スイッチをオフにし、部屋を出て、闇に包まれたRホテルを後にした。

 何度も、何度も、伊勢にコールをしているが、繋がらない。
 孤独。
 加賀美瀬利菜は言った。「私とあなたが似ているなら、あなたも孤独なのね」、と。私の周囲から人々が消えていく。
 私は家族が待っている、と思い込んでいる自宅に向かった。なぜだか無性に家族の温もりを感じたいと思った。刺激を求め報酬を得た。その反動は温もりと安心を反故にし、忘れ去っていた。
 腕時計を確認する。
 午前五時。
 私は塗装したばかりの自宅の玄関の前に立ち、息を整えた。ドアノブを掴もうと思い、止めた。背後で気配がしたからだ。さっと、後ろを振り向いた。が、誰もいない。枯れ葉が手入れの行き届いた庭に風で踊っていた。庭の手入れに関していえば業者任せだが。まあ、それはいい。
 ドアノブを捻り、玄関にヒールを脱ぎ捨て、上がり込む。Rホテルと同じような雰囲気ということに気づく。
 存在なし。
 それだ。明らかな不在を感じた。
 一通り部屋を確認し、もう一度確認し、見えないボスに報告。
〝誰もいません〟
 これは罰ゲームか何かだろうか。私が人を殺し、その罰ということだろうか。そうだ、一眠りして、起きたら夢だった。というお決まりの定石があるはずだ。そうだ、そうだ、と私は二回頷き、リビングに向かった。アルテックのソファに座り、腕を組み、唇が渇いた。疑問が湧く。
〝私の家族はどこ?〟
 疑問に呼応するように時間帯にそぐわないインターホンが鳴った。思わず身体がびくっとする。身体が勝手に動き私は玄関に向かう。張り巡らされた糸に絡めとられ、操り人形のように足が動き、自分の意志とは反した行動に怪訝さを感じた。覗き穴で外の様子を確認する。男が二名立っていた。どちらも知らない顔だ。ドアを開く。
「どちらさまでしょうか」
 私の問いかけを無視し、男は漆黒の手帳を私の眼前に掲げた。目の前の光景が揺れる。眼球の動きが激しい。「大丈夫ですか」ともう一人の男の声が言った。思考が右往左往する。遂にこの時がきたのだ。終わりの時が。
「ご主人も逮捕しました」
 その声に私は理性を取り戻す。豊が?男二人の背後に豊はいた。それも端正な顔を維持したまま笑みを讃えている。なにやら口パクで私に伝えようとしている。読心術は得意ではない。得意な人も知らない。それでも私は読解を試みる。
〝ボクモ、クモノイチブ〟
 そう読み取れた。
 知っていた?私が殺し屋をやっていることを彼は知っていた?ボクモ、ということは豊もそうだったということなのか。わからない。なにがなんだかわからない。突然の出来事は人を混乱させる。
 では、伊勢は?
〝変えは利く〟
 私は切り取られ、彼は別の手足を探しに消えたのだ。また違う罠を仕掛けるために。
 孤独。
 加賀美瀬利菜、私もあなたと同じ道を辿ることになりそう。目の前の男が、A四判の薄っぺらい紙を私の目の前に見せつけ、シルバーの鎖が見た目通りのひやりとした感触そのままに手に馴染んだ。
 朝日が空を赤茶色に染め上げ、いつもの目覚めの早い鳥がいつもの孤独の音階で鳴いていた。その音階は、私の心に棲みつき、出ていくことはなかった。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:1

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作品のキーワード

この作家の他の作品

アビー・ロード
nana/著

総文字数/105,241

ヒューマンドラマ27ページ

本棚に入れる
表紙を見る
Who are you?
nana/著

総文字数/72,714

ミステリー16ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

エラーが発生しました。

この作品をシェア