家の中をクリーンにする。それは主婦にとって誰に言われるでもなく、気づいたらルーティン化してる些細な日常の一コマ。窓を磨き、テーブルを磨き、トイレを磨く。誰に褒められるでもなく、誰に評価されるでもない。夫ですら、子供ですら、私が掃除を行うことを当たり前だと思っている。
 午後二時。
 掃除が終わる時間。大半の主婦はワイドショーを観ながら、和菓子や洋菓子を食べながら、ああでもない、こうでもない、とテレビに向かい持論を展開するが、私は違う。少しでも抗いたいのだ。そう、主婦的思想から。仏壇を思わせる両開きの鏡の前に立ち、全身をチェックする。肌の張り、皺、ホウレイ線、胸の垂れ具合と膨らみ、お尻の張り。仔細なく銀行員が札束を数えるように入念にチェックをする。三十六歳の誕生日を先月に済ませ、結婚して十六年。夫との会話はほどほど、子供は長男が十六歳、長女が十四歳、と手のかからない年齢に育った。世間でいうところのできちゃった婚ということもあり、私は若くして母親になった。まあ、だから今という時を謳歌しているのだが。大方、女性というのは二十代前半を楽しんだ分、中盤辺りで結婚という二文字が脳内ないしは外部からテロップとして流れだし、後半辺りで焦り、焦った分、結婚したらなんだかよくわからない人と一緒にいる、と首を傾げ、カフェなどで同質と不満を求めている主婦仲間とぺちゃくちゃと時間を浪費する。
 私はその考えも好きだが、もっと刺激が欲しい。だって、女だから。せっかく若くして結婚して、周囲が遊んでいるときに子育てをして指を咥えながら楽しそうな光景を眺めていた。それもインターネットなんていう鬱陶しいツールが開発され、世に出回った途端、ここに行きました自慢や、美容院が洒落乙、なんていう言葉がソーシャルメディア間で流布されていく。
 洒落乙、って。てか、あんた何歳?舌打ちを通り越して、私は両手を挙げて、やれやれよ。そのときの私は長男に母乳を提供していたが、怒りの沸点の影響か母乳がぴたりと止まったのを覚えている。いけない、母なる私が些細なネット如きでイライラするなんて。
 過去があるから今があるのかと、とりあえず私は納得することにし、北欧屈指の高級家具メーカーである『アルテック』のチェアに座る。〝椅子〟ではなく〝チェア〟、と横文字で呼びたくなる風格が『アルテック』スツールK65シリーズには備わっている。もちろん他のアルテックNOのシリーズも好きだが、K65シリーズには勝てない。なぜって、まずは背もたれの曲線美。それとは対照的な脚の部分の直線バランスは秀逸といわざる負えない。偉大な建築家であるアルテックの根幹をデザインしたアルヴァ・アアルトに抱かれたい。おっといけない。内奥に収められた仄かな感情が突如として溢れ出て来るのがこの歳のいけないところ。大人な女性は感情を抑制しないと、なんて戯れ言を道行く道で見聞きするときもあるが、でも感情は素直に表現しないと。
 抱かれたい。
 フフフ、と三十六歳にして気持ち悪い不適な笑みを部屋で響かせ本棚から文庫本を一冊手に取り、アルテックのチェアにやさしく座る。なぜやさしく座るかのか問われれば、軋む音が怖いからである。別段、体重が増加しているわけではないが、古びたカフェや修繕を繰り返さない店にお邪魔した際に、軋む椅子が多々あることに驚かされる。主婦が椅子に座ると、軋む、という固定観念を拭い去るには、アルテックのチェアに座るのがベストだが、いかんせん値は張る。それは覚悟しといたほうがいい。なので、主婦仲間には勧めてはいない。
 文庫本。
 本は知恵の宝庫。と言っときながら読み始めたのはここ数年。お恥ずかしい話しで、活字の〝か〟の字も知らなかった私が、本という純長方形サイズに興味と好奇心を駆り立てられるなんて思いもしなかった。人類の英知がわずか数百グラムに凝縮されているなんて、先祖の考えることは理解できないし、理解する気もない。私っていいすぎ?
 文庫本を開く。ああ、やっぱりと納得せざるおえない。納得した途端、午後二時の陽光が磨きあげられた窓から鋭く光を我が聖なる部屋を照らしている。呼吸を落ち着け、目の前のこれまたアルテックのテーブルの上に整頓されているリモコンを手に取り、ONKYOのコンポの電源をオンにし再生ボタンを押す。すると攻撃的なメロディが流れてきた。
〝レッド・ホッド・チリペッパーズ〟
 午後二時のメロディとしては合わないけど、決して不快ではない。文庫本を数ページ読み進めて聴いた際に確実にいえることは、不快、のレッテルが貼られる。今流れている曲目が思い出せない、たしかアルバム名は『母乳』ということだけはわかっている。全体像は見えているのに細部まで神経が行き届いていない状態。若い時なら発揮するきめ細やかで鋭敏な記憶力も歳を重ねるごとにリアルとより深い部分まで対峙し記憶は上書きされる。しかしデメリットはそれだけではない。歳を重ねる最大の利点、忘れ、次に進むことが容易にできることだ。お産のときに股をガバッと開いたときから失うものなんてないと思わされた。女は強い。全てをさらけ出したのだから。
 コンポからレッチリが流れ、文庫本を開けば紙片が一枚しおり変わりに挿入されている。間違いない。いつ入ってきたかは知らないが、これは正式な依頼証明書。さあ、仕事のお時間。
 私は正方形サイズの純粋なホワイトをあしらった紙片を丁寧に開く。開かされた先は丁寧に折り目くっきりと浮かび上がり、これまた丁寧な字が万年筆と思しきインクで書かれていた。
〝080ー××××ー××××〟
 毎回変わるボスの電話番号。現代人必須の数字の羅列。電話番号という概念が登場し、固定電話が颯爽とデビューを飾り、そのリトルベイビーたる携帯電話や端末が生まれた。今やこれなしでは生きられない、とばかりに私達人間は、電話を愛し、ときに呪詛し、感情をぶつけ合う。便利になるということは昔合った美徳を忘れるということに気づかず、日々を過ぎ去り、重要な事が目の前に溢れているのに、着信一回で脳内は電子回路の方へ誘われる。
 いけない、またいつもの思考の癖。本を読み始めてから、考える、ということに意識が向い、それを習慣化してから脳内疲労はハイペースだ。いかに、考える、という人間的行動が疲労をもたらすということをこの三十六歳という年齢で知ることになるとは思ってもみなかった。 
 歳を重ねるメリット。
 過去に気づかなかったことに気づく。それを成長と呼ぶのだろうか、今の私はどうだろうか。疑問ばかりが頭をよぎり、それでも音楽は鳴り響く。
 私はチェアから立ち上がり、iPhoneを探す。携帯端末は二台。一台はAndroid携帯。そしてもう一台が仕事用のiPhone。が、ない。これだから歳はとりたくない。昨日まで仕事仲間とチャットを数ターン行った。仕事仲間と言っても実際に会ったことがあるのは一人もいない。顔を合わせないからこそ、言い合えることもある。それがネット社会の便利さでもある。
 見つけた。
 コンポの裏手に愛しのiPhoneが隠れていた。男でも製品でも魅力的なものには愛着が湧く。それは元来変わらぬ私の性質の一部だ。iPhoneのタッチパネルを操作し、紙片に書かれていた番号に掛ける。
「いいタイミングだ」
 ボスがすぐに出た。私をもう一度輝かせた男。しかしその代償は大きかった、けど。
「まさか、文庫本の中に入ってるとは思いませんでした」
 自然と丁寧な言葉遣いになるのは電話越しの相手の威厳がそうさせるのか、図太い声音がそうさせるのか判断がつかなかった。が、マジョリティが正しいとされる現代ならば、圧倒的多数で後者だろう。
「ふむ。君が文庫本にハマっているのを思い出して賭けてみた。君の掃除が終わるのが午後十四時というのはわかっている。なので午後十六時までに番号が書かれた紙片を見つけることができなければ・・・・・・・」
 ボスは適切な間を置いた。まあ、その後の言葉についていえば私はわかっているが、「できなければ?」と訊く。
「君は消える」と春の風になびかれた桜の花弁のようにやさしく言い、「それがルールだ」と穏やかに添えた。
 私は唾をごくりと飲み込み、「わかっています」と言った。
「ならいい」
 さらりとボスが返す。コンポからレッチリのアルバム『母乳』の何曲目かわからないが流れ出す。ボーカルのアンソニーは一切タッチしない、インストゥルメンタルだ。レッチリの最大の特徴はリズム隊の良さだ。呼吸と似ている。ドラムが息をし、ベースが息を吐く。まさに阿吽の呼吸とはこのことではないか、と今流れている(曲名は未だにわからない)を聴きながら思う。ベースソロが流麗で繊細で、それでいて心地よい。
「ストーン・コールド・プッシュ」
 ボスは何かの標語のように言った。
 私は思わず、「はっ?」と素で訊き返す。主婦の十八番である頬に手を当てながら。そして電話越しにいる男に、はっ?という威圧的な態度をとったことを数秒後に恥じるが、ボスは気にしてないようだ。
「君のバックで流れている曲だ。フリーのベースソロとジョンのタッピングソロの兼ね合いが絶妙だ。しかし、俺の個人的な意見は、アルバムで言えば『カリフォルニケーション』のが好きだがね」
 通ぶった口調でボスは言った。電話越しにカランという小気味よい音が鳴り響いた。
「『カリフォルニケーション』?」
 おそるおそる私はボスに訊いた。どこか未知の扉を開くみたいに。疼く虫歯の拡張度を確認するように。
「そうだ。荒々しかった彼らも大人になった。といえるアルバムだ。音楽というのは実に面白い。とくに長く活躍しているアーティストであれ、バンドはそれが顕著に表れる」
 ボスはどこか昔を懐かしむように言い、私はといえばコンポのリモコンを手に取り、『カリフォルニケーション』に照準を合わせた。ボスの言葉とは裏腹に落ち着きとは無縁の荒々しいベース音が流れた。しかしそれは最初だけだった。昔のレッチリだったら、荒々しさそのままに疾走するが、どこか落ち着きを取り戻す。好きな男性に熱を上げ、押すに押すが、ふと冷静になり相手から告白させようと画索するインテリジェンスな女性のように。
「たしかに従来のレッチリとは違う感じがします」
 私は愚直なまでに思ったことを口にした。
「それでいい。音楽も人も同じだ。過去があり現在がある。子供時代があり大人がある。人には節目節目で転換点がある。彼らの音楽でいえば、攻撃的で激烈なサウンドから、シュガーなより浸透するメロディアスで優しいサウンドに転換した。まさに起死回生の大作とはこのことだ。昔のレッチリがいい?そういう人間に限って成長していない。何かを変えるということは非常に勇気がいることだ。彼らはその勇気を己に享受し、噛み締め、メロディーに乗せ、人々に放った」
「なるほど。ボスは彼らの曲から感情的な何かを感じ取ったわけですね?」
 私は訊いた。なぜかボスと話すと頭を使わざるを得ない。必ずこういう人物が節目節目で表れる。学生だとインテリ伊達眼鏡な教師、社会人一年目の先輩風を吹かせる赤いルージュを塗りだくったお局社員。それでもボスに対しては好感度が高い。価値観、というのを変えてくれたから。
「そうだ。人は変わる。変わることを受け入れる度量というのも必要だと俺は思った。でだ、話しは急激に変わるというのが君ら女性の特権ならば、俺もそういう人間に分類されるだろう。話の切り替えというのは面白いもので、それだけで頭の回転を余儀なくされる。君は主婦だが、これから女性が大いに社会を引っ張っていく時代になるだろう。いくら男社会とはいえ、限界が近づいている。女性的考えであったり、発想、アイディアというのはようやく認めだし、なにより――」ボスが間を開けるときは大概、私を試している場合だ。「お金を使う」
「その通りだ。男は見栄のためならお金を使うが、女性は純粋に購買意欲が盛んだ。俺が企業経営者であったり、政治家であったなら、女性の賃金を増やす雇用形態や政策にするがね。なぜか?」
「お金を使うからですね」
 私は苦笑を噛み殺しながら言った。ボスは一体このやり取りをどう思っているのだろう。真面目と不真面目、真剣とおちゃらけという大人と子供が入り交じったボスに私は心も身体も奪われている。ボスのベッドでの癖は私の首の皮をつまむこと。それもリズミカルに。大概、上に立つ男というのは変わっている人間が多いが、ボスもその一人。
「ふむ。それでいい。では仕事の件だ」ボスはカランと電話越しに氷らしき音を響かせた。「午前二時 足立区西新井のKマンション十五階 職業アーティスト 名前は加賀美  瀬理菜 三十六歳 いつものように再起不能に」
 私はその名前を聞いて胸が早鐘を打った。それを知ってか知らずか、微かにボスが鼻で笑った。もしかしたらそれは私の思い違いかもしれない。でも、いや、思考をフル回転しての私の結論は、ボスは鼻で笑った。
 私の脳内は過去のフラッシュバックで忙しい。わずか一単語が出てきただけで、記憶が走馬灯のように駆け巡る。映像にリズムがあり、それらが言語化され、母音変換し、記憶と虚実が音韻変化する。甘い記憶と苦い記憶が交互に入り乱れ、気分も乱れる。
「終了次第。西新井近くのRホテルで待つ。気味の身体が待ち遠しい」
 最後の一言はボスの欠片もない一人の卑猥な男の言葉の残像だった。ボスも性欲ギンギンのその辺の男と一緒なのね、と安堵する一方、加賀美瀬理菜を殺すことが出来る、という興奮と不安が同居した。
 落ち着きなさい。私は主婦でもあり殺し屋でもあるんだから。
 iPhoneからツーツーと存在不明音が一拍置きに聞こえた。玄関から、「ただいま」と覇気のない息子の声が聞こえ、「これからバイトだりー」と一オクターブ声が上がった。 
 私は思った。可愛い、息子よ。一体あなたは誰と会話しているの、と。