着替えを終え、さすがに就職活動の疲れの見える姉とともにリビングに向かうと、母がすでに夕飯の準備を終えたところだった。
「わあ、いいにおい!」
姉がはしゃいだ声を上げる。今日は姉の好物のクリームシチューのようだ。早く手を洗っておいで、とやわらかく声をかける母は、わたしたちが子供のころから変わらず、いつでも優しい空気をまとっている。このところの母は見ていられないほど意気消沈していたが、姉の外出を機に少しずつ、平穏な生活を取り戻しているように見える。砂糖菓子のような、平凡ながら真っ白くて美しい家庭をつくりあげてきた母。それを象徴するように、食卓には新しい花が飾られていた。赤いシクラメン、姉が新しく買ってきたものだ。
洗面所で手を洗う姉の背に、シクラメンきれいだね、と声をかけた。
「きれいでしょ?シクラメン、好きなの」
「へえ」
「沙織、花言葉詳しいよね?シクラメンの花言葉って何?」
「うーん、なんだったかな。遠慮とか、はにかみとかだったと思う」
お姉ちゃんに合っていると思うよ、と添えると、なにそれーと姉は文字通りはにかんでみせた。よく似合っている。遠慮がちでいつも控えめに微笑むあなたに。
「あ、ねえ、そういえばもうすぐ大倉くんの誕生日なんだって」
知ってる。そう心の中で答える。その程度のこと、私のほうがずっと昔から、知っている。そう思いながら、それで?と話を促す。
「最近お世話になってるから、誕生日お祝いしようかなと思って。プレゼント、沙織も一緒に選ぶ?」
あ、デパートまでって、一緒に出掛けられるかな?そう言って首をかしげる姉を見て、心の芯が驚くほどに冷えていくのを感じた。健太郎先輩に連絡をとるように促したのは私だ。そのときから、こうなることを予期していた。むしろ、こうなるようにと私が促したのだ。それにも拘わらず、私の心はゾクリとする温度で姉への羨望を叫ぶ。
この女は知らないのだ。私がどれだけの思いで生きてきたか。どれだけの思いを彼に募らせてきたか。
そして私も、姉がどんな思いで生きてきたかなど、この先も知る由もない。お互い様なのだ。
「一緒には出掛けられないけど、まあ、アドバイザーくらいならしてあげるよ」
素知らぬ顔でにっこり笑い返す。何か言いかけた姉を、ごはんよと呼ぶ母の声が遮る。はあい、と間延びした返事をした姉は、私に向かって「じゃあ、この話はまたあとでね」と手を振ってみせた。

赤いシクラメン、真っ赤に反り返る花びらからついた花言葉がもうひとつ。「嫉妬」だ。あたたかい食卓、無邪気な姉の笑顔にそえられた小さな炎のようなシクラメンは、今の私の気持ちをよく表している。姉ではなく私に酷く似合うように感じて、私は一人自嘲気味に笑った。