「それでね、実は大倉くんに相談というか、聞いてほしいことがあって」
高校を卒業して六年経った今でも、由加里は俺を名字で呼ぶ。
「その、私、いま仕事やめてるじゃない。やめてから結構経っちゃったんだけど、もう一回働いてみようと思っていて」
「おお。まじか、そうなんだ」
「うん・・・」
でも、と続ける彼女の表情は浮かなかった。でもなかなか、仕事見つけるのも大変なのかなって、とややしょんぼりした様子で目を伏せる。
二日前に由加里は就職フェアに出かけたそうだ。大きなイベント会場に様々な企業が出展し、そのブースを回る形式。そこに殺到する人々の勢いを見て、自分はこの人たちと勝負しなければならないのだと、圧倒されてしまったとのこと。
由加里が前の仕事を辞めた理由は知っていた。当時、一緒に飲みに行った沙織に聞かされていたからだ。同じ会社の先輩との不倫が発覚し、社内でそれなりの騒ぎになったようだ。社内不倫自体はそこまで珍しいものではない、と俺は思う。今自分が勤めている不動産会社の小さな営業所のほうが、輪をかけて泥沼だろう。由加里が不倫をするというのは当初意外であり、ショックでもあったが、彼女のようなおとなしい人間が押し切られて関係を持ってしまうことも、想像に難くなかった。
そうだあのときも、沙織は不服そうに俺を見ていた。ねぇ、不倫だよ、と言いながら。なのに、かばうの?サイテーじゃない、と。
「今だったらまだ第二新卒枠でいけるんじゃねえの?どこでも」
「うーん、そうなんだけど・・・でも、何か、これができる、とか、したい、とかそういうこともなくて」
「ないなら逆に、それこそなんでもやってみればいいと思うけど」
「そうなんだよね・・・そうなるよね・・・」
ふう、と由加里が小さく細くため息をついた。彼女の意に沿う答えではなかったのだろうか。いつもうっすら微笑んでいる彼女の本音を、俺はいつも、いまひとつ測りかねている。
「何、どうしたんだよ」
測りかねるときに相手を待てないのは、俺の短所でもあると思う。つい詰問するようになって、これまで付き合ったどんな女性たちにも、そこが嫌だとよく言われた。でも、わからなければ聞くしかない。聞かずにわかったふりをするわけにもいかない。それでも由加里には努めて優しく、やわらかく質問しているほうだ。
由加里も特に気分を害した様子もなく、相変わらずのんびりと、うーん、どうしようねと首を傾げた。俺のせっかちな性分と、由加里の悠々としたテンポの相性が悪くないのが、昔から不思議だ。
まぁしかし、彼女が煮え切らないのも無理もない、と思う。つい最近まで社会から断絶されて過ごし、あんなことまであったのだ。今すぐ社会復帰しようなんて思わなくてもいいだろう。まずは外に出ようと思った、働こうと思った、それだけで自分をほめたたえてもいいくらいではないのか。
俺がそんなようなことをとりとめもなく言うと、由加里はまた、俺の好きな柔らかい表情で、ふふ、と笑った。
「大倉くんは優しいね」
「そうか、そりゃよかった」
大倉くんは最近どうなの、と促され、俺は今手掛けている仕事の話を始めた。自分とかかわりのない話でも、控えめに、それでいて楽しそうに相槌を打つ由加里を見ながら、ああ、かわいいなあとしみじみ感じる。
俺はこれまで決してモテなかったわけではない、と思う。それなりに女性に好意を持ってもらうこともあれば、関係を持ったことだってあった。それでもやっぱり由加里に会うと、この子が俺にとって一番だよな、と実感してしまう。なぜかはわからない。ただ、あの朝教室で彼女を見つけてから、俺のなかにはずっと由加里がいるのだ。
「でも急に外に出ようなんて、何かいいことでもあった?」
「ん?うーん、いいこと、は、特にないかな・・・」
でも、しっかりしないとね。そういいながら由加里は、手元のメニューを開いて目を落とした。
高校を卒業して六年経った今でも、由加里は俺を名字で呼ぶ。
「その、私、いま仕事やめてるじゃない。やめてから結構経っちゃったんだけど、もう一回働いてみようと思っていて」
「おお。まじか、そうなんだ」
「うん・・・」
でも、と続ける彼女の表情は浮かなかった。でもなかなか、仕事見つけるのも大変なのかなって、とややしょんぼりした様子で目を伏せる。
二日前に由加里は就職フェアに出かけたそうだ。大きなイベント会場に様々な企業が出展し、そのブースを回る形式。そこに殺到する人々の勢いを見て、自分はこの人たちと勝負しなければならないのだと、圧倒されてしまったとのこと。
由加里が前の仕事を辞めた理由は知っていた。当時、一緒に飲みに行った沙織に聞かされていたからだ。同じ会社の先輩との不倫が発覚し、社内でそれなりの騒ぎになったようだ。社内不倫自体はそこまで珍しいものではない、と俺は思う。今自分が勤めている不動産会社の小さな営業所のほうが、輪をかけて泥沼だろう。由加里が不倫をするというのは当初意外であり、ショックでもあったが、彼女のようなおとなしい人間が押し切られて関係を持ってしまうことも、想像に難くなかった。
そうだあのときも、沙織は不服そうに俺を見ていた。ねぇ、不倫だよ、と言いながら。なのに、かばうの?サイテーじゃない、と。
「今だったらまだ第二新卒枠でいけるんじゃねえの?どこでも」
「うーん、そうなんだけど・・・でも、何か、これができる、とか、したい、とかそういうこともなくて」
「ないなら逆に、それこそなんでもやってみればいいと思うけど」
「そうなんだよね・・・そうなるよね・・・」
ふう、と由加里が小さく細くため息をついた。彼女の意に沿う答えではなかったのだろうか。いつもうっすら微笑んでいる彼女の本音を、俺はいつも、いまひとつ測りかねている。
「何、どうしたんだよ」
測りかねるときに相手を待てないのは、俺の短所でもあると思う。つい詰問するようになって、これまで付き合ったどんな女性たちにも、そこが嫌だとよく言われた。でも、わからなければ聞くしかない。聞かずにわかったふりをするわけにもいかない。それでも由加里には努めて優しく、やわらかく質問しているほうだ。
由加里も特に気分を害した様子もなく、相変わらずのんびりと、うーん、どうしようねと首を傾げた。俺のせっかちな性分と、由加里の悠々としたテンポの相性が悪くないのが、昔から不思議だ。
まぁしかし、彼女が煮え切らないのも無理もない、と思う。つい最近まで社会から断絶されて過ごし、あんなことまであったのだ。今すぐ社会復帰しようなんて思わなくてもいいだろう。まずは外に出ようと思った、働こうと思った、それだけで自分をほめたたえてもいいくらいではないのか。
俺がそんなようなことをとりとめもなく言うと、由加里はまた、俺の好きな柔らかい表情で、ふふ、と笑った。
「大倉くんは優しいね」
「そうか、そりゃよかった」
大倉くんは最近どうなの、と促され、俺は今手掛けている仕事の話を始めた。自分とかかわりのない話でも、控えめに、それでいて楽しそうに相槌を打つ由加里を見ながら、ああ、かわいいなあとしみじみ感じる。
俺はこれまで決してモテなかったわけではない、と思う。それなりに女性に好意を持ってもらうこともあれば、関係を持ったことだってあった。それでもやっぱり由加里に会うと、この子が俺にとって一番だよな、と実感してしまう。なぜかはわからない。ただ、あの朝教室で彼女を見つけてから、俺のなかにはずっと由加里がいるのだ。
「でも急に外に出ようなんて、何かいいことでもあった?」
「ん?うーん、いいこと、は、特にないかな・・・」
でも、しっかりしないとね。そういいながら由加里は、手元のメニューを開いて目を落とした。