姉が部屋から出てきたのは、いつ以来だっただろうか。
正確に言えば彼女は毎日居間で家族と夕食を共にしているし、お風呂にだって入っているのだから、「部屋から出てきた」のは昨晩以来、数時間ぶりだ。
ただし、きちんと化粧を施し、社会人として最低限、半径十メートル以上の外出ができそうな状態で出てきたのは、半年ぶりくらいなのではなかろうか。
沙織、いる?と呼びかける姉の声を遠くに感じながら、私はじっとベランダにしゃがみこみ、伸びきったトマトの苗をぼんやり眺めていた。からから、と戸を開ける音に続いて、頭上から「ちょっと出かけてくる」と姉の声が降ってくる。顔を上げると彼女の想定外の姿が視界に入り、私はぎょっとしてしまった。
「どうしたの、その恰好」
上下黒のスーツに、ぱりっとした白のワイシャツ。痛み切っていた髪は自分で乱暴に切ったのだろうか、前髪も後ろ髪も短く切りそろえられていたが、黒目の大きな目元がより強調されて、らんらんと輝いているように見えた。
「変かな」
「変じゃないけど。え、何」
「就活しようかなって」
「就活…」
もう何か月も部屋に引きこもっていた人間が、就活。就職活動。見知らぬ人に会い己をアピールする。できるのだろうか。
いぶかしげな私の目に気まずさを感じたのか、さっきより大きな声で「行ってくる」というなり、彼女はこれまた黒い鞄を手に部屋から出ていった。
時刻は午前十時を回ったところ、玄関を出る彼女の髪を、きらきらと冬の日の光が照らした。