西陽が強く頬を射してきた。役場からは五時を知らせるサイレンが鳴り響いている。
「よしっ、今日はここまで」
慎吾は額に滴る汗を拭った。もう、農業を始めて十年になる。五人兄弟の長男として生まれた彼は小さい時分から農作業に幾度となく携わってきた。しかし、それは晴耕雨読の単調な日々であった。鍬や杭の類を軽トラの荷台に乗せていく。空では烏が阿呆のように鳴き叫んでいた。
「今日はやけに騒ぎやがる」
と、烏の一団に対してひと睨みした。車に乗り込み、自宅への道を辿りながら今日の夕食を考える。妻や子供のことを考えるうちに慎吾は知らぬ間に口元を綻ばせていた。すると、我が家が見えてきたと思った刹那、隣に引っ越し業者の車が停めてあるのに気付いた。
「こんな夕方に引っ越しかい....ご苦労ご苦労」
庭に車を停め、唯一の趣味である盆栽弄りを始めた。数分程した後、背後に視線を感じた。一瞬間、彼は激しい動悸を覚えた。
「こんばんわ-」
「あっ、どうも...」
慎吾は突然の出来事に口籠ってしまった。
「隣に引っ越して参りました、山部俊介です。どうぞ宜しくお願いします」
「あ-、こちらこそ宜しくお願いします」
以外に物腰柔らかで、好印象をおぼえる快活な笑みを浮かべた優男であった。
「これ、よかったらどうぞ」
と、地元名物であろう、東京バナナを手渡してきた。
「いやいや、これは結構な美味しく頂きます」
「では、失礼します」
「ええ、どうも」
彼は背を向けて帰って行った。その後ろ姿はどこか靄ががっているようだった...
その夜、慎吾は中々寝付けなかった。
「何だ...うるさいなあ...動物の鳴き声......?鶏か?」
それは、今までに聞いたこともないような雄叫びであり、一晩中響き渡っていた。
明くる日、慎吾はいつものように畑へと向かおうと軽トラに乗り込んだ。すると、丁度隣では山部が玄関口から出てきた所で、この界隈では珍しい糊のきいた開襟シャツ姿であった。その服装から恐らく役場勤めだということが推測された。いつもなら、あまりそのようなことに頓着しない彼はこればかりは気に掛かったようで、話しかけてみることにした。
「山部さん、おはようございます。今日はお勤めですか?」
と、普段無口な彼にしては少しばかり大きな声を発した。
「はい、そうです。今日から役場の方で働かせて頂くこととなりました」
ふと、慎吾は車内の卓上カレンダーに目をやった。季節は晩夏、9月の半ばである。
(こんな時期に転勤か...)
少しばかり疑問を感じたが、その次の瞬間にはその疑問はかき消されていた。
「お勤めご苦労様です」
「これはどうもどうも、ところで高城さんも今からお仕事で?」
「ええ、そうです。農業に従事しておりまして、この時期は畑を耕すのに一苦労で...」
「それはそれは、お体にお気をつけて」
「ええ、程々に頑張ります。では、失礼」
「はい、失礼します」
以外にも彼には都会人に見られる高慢さというものが露程も見受けられない。
(なんだ...善人じゃないか、、、)
その日も昨日と変わりなく、陽が暮れるまで働き、自宅への帰途についた。
その夜、家族と食を共にしていた。今日は久しぶりに唐揚げが食卓に並んだ。
「そういえば、最近奇妙なことが起きてるのよ」
妻が井戸端会議で拵えてきたらしい知識を、噂話を語る態で口火を切った。
「どんなの?」
「それがね、町の家畜が夜が明けると姿を消してるらしいのよ」
「いつから?」
「う~ん、半年くらい前かららしいけど...」
「半年前かあ...」
彼は過去の記憶を遡った。
(そういえば、三年前にはあの事件があったなあ...)
あの事件とは、この土地で起こった、動物連続虐殺事件である。
(容疑者は坂本さんとこの弘くんだったか...確か証拠不十分で不起訴になったっけ...)
当時高校三年生だった慎吾の隣人坂本弘は、この事件の後行方を眩ましていた。
(でも、三年前のことだからあまり関連性はないだろう)
考えるのはそれっきりにし、残っていたご飯を掻き込んだ。そして、いつものように寝床につき、うとうととしながら、乱歩を読み耽っていた。すると、その静謐とした空間にまた、昨日のように正体不明の生き物の鳴き声が木霊してきた。
(一体何なんだ!)
癇癪を起こした彼は蒲団を頭の上まで被せて、そのまま眠りに落ちた。しかし、彼の頭上には未だにその音声は猛猛しく響き渡っていた。
その後一週間、夜の出来事は続いていた。慎吾はもう、我慢の限界と見え、畑仕事に一段落ついた彼は自宅界隈を練り歩いてみることにした。
(隣の山部さん家が怪しいなあ...、ちょっと拝見)
役場勤めだった山部は日中家に居ない。ともすれば不法侵入にもなりかねないラインの所まで彼は踏み込んだ。
(やっぱり怪しい!こんなに動物の剥製があるなんて!これはこの人以外にあり得ない...帰ってきたら尋問だ!)
その日、山部はいつも通り仕事を定時で切り上げ、帰ってきた。開口一番、慎吾は単刀直入に彼の意表を突いた。
「お勤めお疲れ様です」
「あっ、これは高城さん。どうかなされましたか?」
慎吾は玄関前に佇んでおり、不審がられるのも無理
はなかった。
「実は気になることが御座いまして、ここ一週間ずっと動物の泣き叫ぶ声が聞こえてて、寝付こうにも寝付けないんですよ...」
一瞬彼の表情が強張った。が、すぐに平静を取り直し、言葉を投げ返した。
「いやっ、それは僕も気にかかっていたことなんです。どうも奇妙なこともあるようですね...」
「早く真相を知りたいものですナ」
「ですねぇ......」
あまり詮索されたくなさそうであったので話を切り替えた。
「そういえば、山部さん趣味等はお有りで?」
「ええ、実は小さい時分から動物が好きで、獣医師を目指していた時期もありました。」
「ですよね。この剥製とかお見事です。」
「これは、どうも...」
(矢張り怪しい...これではもう、この人以外にあり得ないではないか!?)
慎吾はモヤモヤした気持ちの悪い物体を吐き出せた気がした。その日はぐっすりとねむれた。
その数週間後、彼は爽快感を感じながら仕事場へと向かった。
(どうやら、山部さんは活動を自粛したらしい)
天気は快晴で、秋の気持ちの良い空気を満身に浴びて、稲刈りに取り掛かった。
(ここがヤマだ、あともう一踏ん張り)
彼はいつもより帰りが遅くなった。陽は短くなっており、どんよりとした重量感のある空気が漂っていた。
(季節は過ぎるのが早いものだなあ)
家路を急いで軽トラをいつもより飛ばす。
自宅に着くと、盆栽弄りを始めた。
(こんな日は趣味に浸ることに限るものだ)
彼がマツの木に囚われてると、庭の奥の方から妖しげな動物の悲鳴が聞こえてきた。好奇心により、彼の足はその真っ暗闇へと引っ張られていた。
(ん?何だあれは!)
そこには、今まで目にも付かなかった小さな小屋がひっそりと佇んでいた。そおっと近づき、扉の隙間から中を覗く。そして、その荒屋の中へ足を踏み込んだ刹那、彼は絶句した。そこに広がっていたのは、町という町の動物が放り込まれていた。そして、その深奥には、なんと妻と山部が行為に及んでいたのだ!それは、妻が実行犯となりその動物達を山部に渡すことにより関係を保ち続けていたのだ。
(そうだ!夜の鳴き声は動物を剥製にするために一匹づつ殺していたものだったのか!)彼はまだ、気付かれていないらしく、二人は互いに肉慾と情欲とを満たしあって、妻は咆哮していた。その空間は何時までも続くようだった......
次の日、二人は町から姿を消した。