義観は齢は85歳位なのにまだまだ現役で、雑草を鎌で刈るというやり方で(何故、ヲタケは根っこから墓場の雑草抜きの仕事で生計をたててたのに)ブルーベリー栽培を一人で行いながら、二十年前から今でも高野山を奥の院に墓参りする為に白の高級車を石川県から関西圏に乗りまわす、現役の住職だ。



そんな彼が私達親族を二度ホテルに招待してくれた。


一度目は彼の職場で「※※屋」に私が小学校低学年の頃、夏休みに家族五人を一泊二日で招待してくれた。幼かった私の記憶には三つの思い出がある。
①プールが深過ぎて足が着かなかった事。私達家族の貸し切りなので、思い切り泳いだり浮いたりしてた。
②豪華な和室だった。当時の私は「和の良さ」がわからなかったので、凄く勿体なさすぎだ。
③有名な珍しいアジアのダンサーの舞だからと言うので小学校低学年の私達家族で見たダンスは東南アジアっぽいまでは格好良かったのだが、セクシー過ぎたのだ。彼女達が一斉に金具のブラジャーを開き、乳房を全開にするというサービス精神に「やんごと無き」私は「乳房恐怖症」というトラウマを何十年も残す事になる(泣)私は下着売り場が「卑猥」に思えて、恥ずかしいので、近づかなかった。今は篠山紀信の葉月里緒菜の写真集を漫画イラストの作画のヒント的な参考資料にと見てたので、なれる事が出来た(笑)


二度目は比較的最近だ。しょっちゅう出張中の亡き母には認められなかった、義弟が出来て、お互いの親族の顔あわせと夕食会をおこなおうと「※バーサイドホテル」で義観と義応とその長女である(仮名)紫苑と姉と私と妹で、義弟はやはり長期出張中だった。
温泉に入って先祖供養の車での、高野山からの疲れを癒やしてた彼らとホテルのレストランで晩餐会になった。

待ち時間に、結婚式場にもなるホテルに、飾られてた素朴なウェディングを見て、タキシードもあればなぁと楽しんだり、近くの※※川でリバーカヤックの娯楽がある説明を見たり、タダのマッサージチェアーに乗って至福を堪能したりもした。

晩餐会は和のフルコースだったのだが、見切り品や薄利多売品グルメの私達と違い、彼がご馳走してくれたのは繊細で贅沢な和のフルコースに貧困な私達は唸った!旨う(ウマウ)

そして数少ない血族の健康を祈り私達は妹の車で帰宅した。


叔父とは無関係なのだが、ホテルと言えば単身赴任時、プチゴミ屋敷(怒)と言われた我が家では無く、ビジネスホテルで