ライブハウスでエンケンと出会った。数ヶ月前に死んだはずのエンケンに。
 エンケンは日本が生んだロックスターの一人だって僕は信じていた。アコギ一本で、時にはドラムを叩きながら、叫ぶような歌声で聞く者を圧倒とさせる。
 幼い頃、僕はそのステージを見たことがある。残念なことに、途中で居眠りをしてしまったんだけれど・・・・
 これは父から聞いた話だけれど、その日のエンケンのライブは、独特の雰囲気で、観客の全てが床に腰を下ろして楽しんでいた。僕も最初は父に抱かれて、その音とパフォーマンスを楽しんでいた。しかし、その日は朝から晩までのロックフェスで、エンケンの出番は二十二時過ぎだった。僕は疲れて眠ってしまった。
 その後のエンケンは、凄まじかった。ステージを降りて客席を歩き回る。ギターをかき鳴らしながら大声でが鳴る。僕の姿を見留めたのかどうかは分からないけれど、僕の目の前で立ち止まり、更にその声を増した。それでも僕は起きなかったけれど、エンケンはしつこく、数分間その場に留まっていたそうだ。
 そんなエンケンは、僕との再会を覚えていないようだったけれど、僕に興味を抱き、僕を異世界へと誘ってくれた。
 ロックスターの殆どは、異世界出身だ。数少ないその他は、僕のように異世界で修行をした者だという。
 エンケンは、異世界出身だった。僕が生まれた現実世界と異世界とでは寿命が違う。現実世界で死んでも、異世界ではその三倍は生きて出来るらしい。エンケンがそう言っていたし、現実世界ではしでしまっているその年齢の人物に実際に異世界で出会ったこともある。
 エンケンとの再会は、僕たちが頻繁に出入りしていたライブハウスでだった。かつては存在していたロックスターに憧れていた僕は、友達とバンドを組み、近隣のライブハウスに片っ端から出演していた。
 そのライブハウスの一つに、五番街があった。現実世界で僕が暮らす横浜では有名な老舗のライブハウスで、有名人を輩出しているだけでなく、その昔には多くのロックスターが使用していたらしい。
 そんな五番街のオーナーに、お前らのは本物じゃないと言われてしまった。ロックがなんなのかをまるで分かっていないな、と。ただのモノマネロックに騙される奴が多過ぎるんだ。
 そんなことを言われて黙ってはいられなかった。だったら本物を教えてくれよ! と食ってかかった。
 するとオーナーは、僕が知っている古い時代のロックスターの名前を並べて、それを聞いて勉強するんだな。なんて言う。奴らの中には今でも現役がいるから、直接会いに行くのも手だけどな。死んだ奴に会うのも悪くはない。
 ふざけるな! って思ったけれど、僕たちの音楽が彼らには遠く及ばないってことも理解していて落ち込んでいると、背後から声をかけられた。
 だったら行ってみるかい? あんた達なら、なんとかなるかも知れないな。
 振り返るとそこには、数ヶ月前に死んだとされていたエンケンの姿が見えた。十数年ぶりの再会に、驚く余裕がなかった僕は、ただ呆然とエンケンの顔を見つめていた。
 ロックが何処で生まれたかは知っているかい? 残念だけど、アメリカでもイギリスでもないんだ。もちろん日本でもない。こことは別の世界、異世界の音楽だって言ったら信じるかい? この世界のロックスターは大抵が異世界生まれなんだ。オイラも含めてな。なんてことをエンケンは笑顔交じりに語っていた。
 エンケンの姿を見て、オーナーも笑顔を見せる。そして、まさか本当に戻ってくるとは思わなかったよ。エンケンに向かってそう言った。
 あんたが面白いバンドがいるって言うから、来てみたんだ。確かに面白い。まだまだ本物には程遠いけれどな。残念なことに、今じゃあ異世界でもロックは衰退しているんだ。彼らなら、こっちの世界もあっちの世界も救ってくれるかも知れない。その気があるなら取り敢えず今から行ってみるかい?
 エンケンにそう言われ、僕たちは頷く暇もなくその日に異世界へと旅立つことになったんだ。
 それぞれの楽器だけは忘れないように! 向こうにもいい楽器は多いが、身體に馴染んだ楽器を使うのがロックなんだ。新しい楽器に興味を持つことは悪くはない。けれど初めて手にした楽器を忘れてはいけないよ。きっとそれが、あんた達の武器になるんだ。
 エンケンがそう言った。意味の分からない言葉だったけれど、確かに僕たちは、この楽器のお陰で何度か命を救われている。
 エンケンの言葉に従い、僕たちは準備をした。その日はライブ終わりだったから當然それぞれの楽器を持っていた。僕はベースとタンバリンを、小學校からの友達の雄太はギターとノートサイズの小さな鉄琴を、雄太の弟の昭夫は三點ドラムセットとトライアングルを持ってエンケンが指定した場所に向かった。
 ライブハウス五番街は、橫浜駅から歩いて五分ほどの、西口を出て大通りを超えてから川を渡った先のコンビニがあるビルの地下にある。所々にヒビの入った歴史のあるビルに、かつては多くのロックスターが出演していた。観客は詰め込んでも五百人程度しか入らないけれど、五番街で人気になることがロックスターへの登竜門になっていて、その後も好んで出演するロックスターが多かった。
 エンケンとの待ち合わせは、そのビルの屋上だった。普段から鍵がかかっておらず、僕たちはよくそこでタバコをふかしながら打ち合わせをしていた。
 屋上に著いても、そこには誰もいなかった。先に待っているとの聲を聞いたはずだったのに、どういうことだって思ったよ。騙されたのか? そうだよな。死んだはずのエンケンに會うこと自體が既に狐に化かされている狀態だったんだ。
 さっきのは夢だったんだと三人で手摺に身體をくっつけて話をしていると、入口のドアがギギィーッと音を立てて開いた。やっと來たのかと振り返ったけれど、そこにエンケンの姿はなかった。
 まぁ、仕方がないか。なんて呟きながら、帰ろうかとその入口を潛ったんだ。前なんて見ず、ただ階段を降りるつもりで足を動かしていた。
 ガンッと足の裏と膝に衝撃を受けた。と同時に背中にも衝撃を受けた。雄太と昭夫が突然止まった僕にぶつかった。
 そこに階段があると思って足を下ろした時、実際には平らな道だったなんていう経験はしない方がいい。それが上りならまだマシなんだ。ほんの少し前のめりに転びそうになる程度だからね。下りは痛みが半端じゃない。膝の皿が割れるかと思ったよ。
 いきなり止まるなよな! 後ろの兄弟が綺麗にハモった。
 ごめんごめんと痛みに顔をしかめながら振り返った。ドアの向こうには屋上の景色が見える。しかし、閉じようとしているドアが見慣れない。こんなドアだったか? 熊の毛皮にでも覆われているかのように見えた。取っ手らしき物も見えない。どういうことだ? と辺りに目だけを向けた。
 そこは真っ暗な部屋の中だった。空気の流れがしない。顔を上に上げると、そこにはなにかが二つ光っていた。
 雄太と昭夫の顔が、ハッキリと見えるようになり、その光の正体が分かった。
 熊のような獣の剥製で作られた敷物が貼られていた。その獣の目が、光っていたんだ。暗闇に慣れた目で改めて辺りを見回すと、熊の敷物が貼られているドアが壁に中心にあり、その両隣の壁には虎のような獣の敷物が、左右の壁にはシロクマのような獣の敷物が、背後の壁にはライオンのような獣の敷物が、同じように中心がドアになっている箇所は熊のような獣の敷物だった。
 とは言っても敷物をそのまま壁に貼り付けているわけではなく、まるで壁の一部が本物の獣であるかのように張り付いている。もしかしたら、本物なのかも知れないが、今のところはまだ噛み付かれてもいなければ、その爪で引っ掻かれてもいない。手足や尻尾の具合から、僕は剥製だと感じている。
 どうなってるんだよ一体! 昭夫が叫んだ。
 ここが異世界なのか? だったらちょうどいいじゃんか! 取り敢えずそこのドアから外に出よう。 雄太がそう言った。
 熊のような獣の剥製の張り付いている場所がドアになっていることは、その左手の特徴から察することが出来た。けれど、そのドアを開ける勇気が僕にはなかった。それは昭夫も同様だった。
 こんな獣と握手が出来るなんて、なかなか凝ったドアだよな。雄太はそう言いながら、熊のような獣の左手を握り、右に捻った。そしてそのドアを押し開ける。
 やっと来たな、とエンケンの姿が飛び込んできた。その笑顔がなんだか怖く、まだその部屋の中にいた僕たち三人は、それぞれの顔を見合わせた。
 こっちへ来てみなと、エンケンが手招きをする。エンケンの背後は、賑やかに感じらてた。暗闇の中に光が走っている。まるでライブハウスのような背景だった。そしていつしか、楽器の演奏が聞こえてきていた。ような気がしただけで、その部屋の外に一歩を踏み出すと、その景色も演奏も消えてしまった。
 そこは月明かりに照らされた夜の大地だった。辺りにはなにもない原野が広がっている。そこにポツンと、いいやその表現はちょっと正しくない。ドカンと建っている大きな建物の一部に、僕たちは入っていたんだ。
 ここには色んな部屋があるんだ。残念ながらオイラの部屋はないんだけどな。ここは色んな世界と繋がっていたり、普通に誰かが暮らしていたり、ライブ会場になったりする。まぁ、面白ハウスってところだ。
 その建物は中学校のような形でそこに建っていた。けれど学校とは違う、外側に多くのドアが付いている。僕たちがいた部屋がどこなのか分からなくなってしまった。五階建てのようで、全ての階にドアがある。外に向かって。上の階へ行くにはどうすればいいのか? なんて疑問を頭に浮かべながらその建物を眺め回していた。
 ドアなんて、意味がないんだよ。そこに入れるかどうかは、その部屋が決めるんだ。言わば部屋が招待をするんだ。あんたたちがその部屋に入れたのも、部屋からの正体があってのことだ。しかしまぁ、よくその取っ手を握れたよな。
 エンケンがそう言うと、雄太は嬉しそうに笑顔を見せた。しかし、その後に続く言葉を聞き、その笑顔が歪む。
 言っておくが、あれは剥製のようではあるけれど、意思を持っているからな。気に食わなければいつでもその手を握り潰してしまうんだ。
 だったら安心だよ。僕がそう言った。あのドアに意思があるってことは、無闇には襲ってこないってことだからね。
 エンケンはほんの少し僕を見つめてから、まぁそうとも言える。なんて言ったよ。
 さて少し、この世界を紹介しようかと思うんだが、いいかい? なにも分からないままじゃあ、なんのために来たのかも分からなくなっちまうからな。
 エンケンはそう言うと、大きな建物に向かって足を進めた。すると校舎のようなその建物が動いた。一つのドア毎に一つの部屋になっているようで、四角い塊がスライドパズルのようにその枠内でグルグル動いている。一箇所だけ空洞になっている箇所は、本来なら玄関口なんだろうけれど、その時は違っていた。エンケンの目の前に、その空洞がやってきた。その空洞は、ドア二つ分の広さがあった。
 ちょっとそこで待ってなと言い残し、エンケンはその大きく開いた空洞の中に入っていた。中の様子は暗くて、外からはまるで覗けない。
 これって夢なのか? 昭夫がそう言った。
 だったら誰のだよ! 雄太がそう答える。
 主役は僕じゃね? なんて僕が言ってみた。
 ヴウォンッヴウォンッと空洞の中から大きな物音が聞こえてきた。僕たち三人はほんの少し顔を強張らせ、その場から数歩後退した。嫌な予感は的中する。
 中から突然、物凄い勢いで車が飛び出してきた。僕たち三人の爪先すれすれをタイヤの跡が過ぎていった。
 キキィーッという甲高い音をたて、数メートル先で止まったその車を運転していたのは、サングラスをかけたエンケンだった。
 現実世界のあの国じゃあ、こんな車は似合わない。けれどここじゃあ、こいつが俺の愛車なんだ。
 薄いブルーのその車は、やたらと幅が広く、縦にも長いオープンカーだけど、座席はそれほど広くない。後部座席に三人で乗ると、少々きつい。そういう時は立ち上がるんだ、とエンケンが言う。助手席が空いてるじゃんかと雄太が言うと、ここは特別なハニーの席なんだ。そう返してきた。僕は心中で様々なツッコミを入れたけれど、雄太は黙ってしまった。エンケンの勝ち誇った笑顔がカッコよかった。
 僕たちの荷物は後部のラゲッジにしまい込まれたんだけれど、そこは後部座席よりも広く、全てが綺麗に収まった。
 この世界のロックスターだけがこの車に乗ることが許されているんだ。あんたたちの世界でも一時期流行っただろ? あれはこっちの世界の影響なんだ。車の発明や発展を支えてきたのは、この世界へ迷い込んだことのある奴らだからな。まぁ本当はこの世界じゃあ車なんて必要ないんだけどな。職種によって移動手段を与えられているんだ。例えば宗教関係者は原チャリ、食品関係者は軽自動車というふうにな。
 エンケンがそう言った時、前から来る一台の車とすれ違った。薄ピンクのオープンカー。見覚えのある髪型と服装に目を奪われたけれど、それが誰なのかは追い出せなかった。
 奴こそが最高のロックスターだ! いきなり出会えるなんてあんたたちは持ってるな! これはひょっとするかもだな! なんて興奮するエンケンに、僕たちは冷ややかな視線を浴びせたけれど、エンケンはそんなことには構わず高笑いをあげていた。
 車で移動をすること五分間は、周りの景色に変化がなかった。しかし、五分が過ぎると突然前方になにかの大きな塊が見えてきた。
 あれはなに? 思わず口にした僕の平凡な問いかけに、エンケンはバックミラー越しに僕を見つめて答えた。あれがこの世界のジャングルだ! ってね。
 モヤのように見えていたその大きな塊は次第にその姿を露わにしながら近づき広がっていく。そしていつの間にか、薄いブルーの車が飲み込まれいく。モヤという都会の中に。
 そこは僕たちの知る都会とは少し違っていた。SF映画のようだと言ってしまうことも出来るけれど、それは観る映画によってだいぶイメージが変わってしまうから適当な表現ではない。大きな建物は意外と少ないけれど、その密集度が凄まじい。その世界の人口の全てが集まっているんじゃないかと思えるほどだった。実際に後から知ったんだけど、ほとんど全ての人がその都会で暮らしているという。別の場所で暮らす者も、家にいない時は都会に集まる。
 まぁ、ここがこの世界の全てのような者だ。ここから出て外の世界を冒険する輩もいるが、あまりお勧めはできないな。まぁロックスターには必要のない冒険だしな。なんてことをエンケンは車を建物の脇に止めながら言った。
 さて、ちょっくら街を歩こうじゃないか。エンケンはそう言うと、車を鍵をつけたそのままにして歩き始めた。荷物は忘れるなよと、大声を出す。僕たちは慌てて鍵のかかっていないラゲッジからそれぞれの荷物を取り出した。
 路駐はマズイんじゃない? なんて言葉をドラムセットを背負いながら昭夫が呟く。鍵だって付けっぱじゃん。と雄太が呟く。
 問題ないんだな、この世界では。エンケンはそう言いながら、振り返って背後の車に顎を向ける。アイツらが片付けてくれるんだよ。
 エンケンがそう言った後すぐに振り返った僕たちの目に、アイツらは映らなかった。そこにあるはずの車も見えない。
 まぁそのうち、ここに馴染むだろうよ! 今は慣れるだけで充分だ。
 先を急ぐにように歩くエンケンについて行くのがやっとで、街並みを堪能する余裕がなかった。後になっての新発見も、この時すでにすれ違っていた。この世界は、一見して奇妙な世界なんだと知った。
 しかしこの時は、横浜や東京とさして変わらないじゃんかと思っていた。異世界って言うから期待してたのにと、誰にも聞こえないように悪態を吐く。
 僕たちの世界で流行っている異世界は、決まって中世をモデルにしている。正直つまらない。中世じゃないものもあるけれど、なんだか僕には、単純な憧れを妄想しているようにしか感じられない。異世界といっても、結局のところは想定の範囲内でしか物語は進んでいかない。
 僕たちだって似たようなものではあるけれど、少なくともここには中世の雰囲気は漂っていない。六十年代と未来がごちゃ混ぜになっているような、九十年代的というか、SF映画っぽいとも言えるけれど、今までの想像とは数歩ズレた世界観に満ちている。
 例えばだけれど、異世界には幼い子供の姿がない。恋愛に関する匂いが極端に少なく、どこぞの老夫婦も見かけないし、若奥様も登場しない。男女のペアはいても、それは単なる友達やら仕事仲間でしかない。
 とは言っても、僕たちのような別の世界から紛れ込んで来た輩が絡むと話は変わる。実際に雄太は異世界で恋をしているし、僕は秘密裏に結婚をしている。昭夫は異世界ではモテモテで、恋される側になっている。
 あんたたちに見て欲しい場所があるんだ。エンケンはそう言い、一つの建物の中に足を踏み入れた。見た目は古ぼけたビルのようでもあり、日本のお城のようでもある。見ようによってはウサギ小屋にも見える。エンケンはその建物の地下へ行くと言いながら、緩やかな坂道を登っていく。ここからがあんたたちの本番だよ。なんて言葉が背中越しから聞こえてきたけれど、その意味は分からなかった。