97作品より

3.幸せと不幸
16.思っちゃった
21.良いんだ
22.時の流れに思うこと
30.思い込みと決め付けは事実ではない
31.地道だけど大切
32.自分の意志で
33.他人の為には自分を変える
36.つまり私が君といたいだけ
37.消えない罪と受けられない罰
39.操り人形から人間に
41.三段活用
45.オレオレ詐欺
49.人生は有意義に
52.重要なのは
54.1億円あげます
66.それはきっと君だから
67.Q & A
70.実現不可能な現実
80.暗中模索
85.夢は夢のまま終わる事が多い
89.子供から大人になった証拠かもしれない
91.その時の為に
92.一見複雑に見えても
95.どんなに難しくても
97.誰がなんと言おうと
101.強がりの本音
102.まだ子供の立場だけど
103.結局のところ
104.存在証明
109.探求は迷宮されど答えは単純
110.鏡花水月上映中
112.行動は同じでも意味が違う
119.手を当てること
120.切り捨てるか共に行くか
121.ひねくれた心の素直な願い
125.賽は投げられた
137.ノンストップで
138.涙は無色透明じゃない
139.疑心暗鬼

140.だからそれ以外は悪
141.不完全犯罪
143.理由は不明だけど根拠は明確
145.言葉より態度
146.結末なんてくそくらえ
148.飛んでいけ
154.バットエンドかリセットか
158.それでも求める、イミテーションラブ
160.花に込められた意味
171.エモーションモンタージュ
177.852+554~その男、社会死状態につき警察官要請~俺がいたから
179.派手な死闘と静かな戦略
196.世の中そんなに甘くないさ
205.価値はあっても値段はない
215.0円はタダって事じゃない
216.伏せ目から見据える目へ
217.ただし、傍観者でもいられない
220.誰も知らない、誰も分からない
221.幸福二乗
224.非効率だって時には有益だ
225.絶望が教えてくれていた希望
241.偽りの逃避行、鍵を握るはモールス信号
246.嬉しい誤算
249.独り立つ大地に広がるのは屍でも惨劇でもなく「無」だった
250.微睡みは底無し沼
261.最初から分かっていた解答
265.生が地獄で死が天国なのか
268.矛先さえ無くして
284.原因も解決法も僕ならば
285.変化は幸か不幸か

287.フロンティアチョイス
288.証明には証拠が必要不可欠
291.全ての物事において
297.もどかしいくてもあたっかくなれる
308.そして世界はサヨナラを告げた
315.ブラックホールが笑う
316.甘い蜜(テトロドトキシン)
323.呼吸困難、認識したって止まらない
325.ナニカの意思によって
328.嘘を付く程でも無い、ただほんの少し事実を歪ませる、それだけ
329.招かれざる○○
330.赤色灯が光だった
335.知っていることが良いって訳じゃ無かった
339.演者も観客も置き去りに舞台は続く
344.私の周りだけを避ける様にして、狂喜に満ちた黒いモノと穢らわしい赤い液体が蔓延している
345.全て知ることは出来なくても
346.鼻持ちならないのは結局全てだった
349.表裏蝉時雨
350.向こう側から絡め取られてしまうのならば
351.無が希
357.上下と前後と左右
358.見るだけの夢はいつか夢に喰われる
360.独りじゃなくて、1人だから
361.相変わらずはどちらか
362.私の上には何も無い
364.犯人に分からない様に結構必死だったんだけどな

365.一緒にいて悪夢を見るか、守られて正夢を演じるか





以上、97作品。

「運命の出会いちゅーんは、ぜーんぜんドラマチックやないんやなぁ。」

古くから天下の台所と呼ばれ、商業の街として名高い大阪府下に小さくも店を構える

喫茶、妃翠(ヒスイ)。


緩やかな時間が流れるアンティーク調の店内に、似つかわしくない声が響く。

「隗赫鰍掩っ!!今日こそ貸金業法違反で逮捕してやるからな!」


とあるお客を指差しながら怒鳴るこの男―――藹革殊犂(アイカワ コトリ)は、東京から1年前、西広(セイコウ)警察署、生活安全課へ赴任して来た警察官である。



「毎日毎日、よう頑張るなぁー。愛くるしくて可愛ええ可愛ええ、ことりちゃんは。」



「その呼び方はやめろ。ちゃん付けもするな、この下僕が。」

「おぉーこわっ。」



名前をもじって、『ことりちゃん』と小バカにする男―――淦鉞涓畤壟(カンエツ ケンシロウ)は、殊犂の怒りのこもった目線に震える仕草をするも顔は笑っており、言葉とは裏腹に全く怖がってはいない。



「藹革はん。被害届も出てへんのに、逮捕は出来ひんでしょう。そんくらいも分かれへんのですか?」



殊犂から名指しされるも冷静に返す男―――隗赫鰍掩(カワシゼキ シュウエン)は、この大阪で貸金業を営む、絆栄(バンエイ)商事に勤めている。

「被害届?そんなもの、貴様達が怖くて出せないに決まっているだろう。悪徳ヤミ金が。」


「金に困っとる人に貸して、何が悪いんか分かりまへんなぁ。みな喜んで借りていきまっせ。」



「貸すのは大いに結構だ。金利がトイチじゃなければの話だがな。」



絆栄商事は表向き一般的な金融会社なのだが、一部の借り主に対して金利がトイチ(10日で1割の利息)である為、殊犂の言う通り貸金業法違反に当たる。



ただ、西広警察署……ひいては大阪府警の職員からもその行為は黙認されている。


何故なら。



「なんや。かしゅーに、ことりちゃん。またやっとんのかいな。」



「あ、こーぞーさん。いらっしゃいませ。」


「いつものでええですか?」



「おお、つーちゃん頼むわ。」



店内でバトっているにも関わらず、いつものことだと、にこやかに応対する器の大きい店主―――緑青剣(リョクショウ ツルギ)とその妻―――緑青碑鉈(リョクショウ ヒナタ)。



そして、呆れたように店に現れたこーぞーさんと呼ばれた男―――赤根楮筬(セキネ コウゾオ)は、大阪では有名な朽霊(クチミ)会に属する……いわゆるヤクザの組長である。

会長の朽霊煎曽(クチミ センゾウ)は、歴代の大阪府警本部長と仲が良く、朽霊会が大阪府内の治安を維持する代わりに、親友である絆栄商事の社長―――金杉獣象(カナスギ ジュウゾウ)に関することや自身の組関係に対する多少のイザコザには目をつぶってもらっている。



なにせ貸す対象が、自己破産者や生活苦、多重債務者など一般の金融会社では借りられない人なので、実際にはギブアンドテイクといったところだ。



そんな警察署の体制が気に入らない殊犂は、赴任した直後から鰍掩を逮捕することに躍起になっている。



「ことりちゃん、人生は一度きりなんやで。有意義に使わなあかん。かしゅーのことは、ことりちゃん一人がどうにか出来ることやないんや。こないな無駄なことに時間かけるんはモッタイナイやろ。もっと肩の力抜いて、気楽にいこうやないか。」


「こーぞーさん、ええこと言わはるわー。さすがや。」



楮筬の重みのある言葉に涓畤壟は感動する。



「隗赫鰍掩を逮捕出来ない人生などいらない。いくら上が決めようと今は私がいる。私が変えてやる。」


「諦めわるっ。執念深い男は嫌われんでー」


「うるさい、貴様に関係ない。」

「いらっしゃいま」


「かしゅーはん、大変や!」



「きゅーちゃん、どないしたん?」



碑鉈の声を遮り、慌てて鰍掩に駆け寄った男―――厩鳬張匆(キュウゲリ チョウゾウ)は、絆栄商事から借金している一人。


前はどこかの社長だったらしいが倒産して、今は路上生活をしている。



「けんしろー君、どないもこないもないわ!金、スラれてもーたんや!」


「はぁ?どういうこっちゃ?」


「今日、利息の期限やから、払お思おてポケットに入れてたんや。やけど、女とぶっかって。今、ポケット見たらこれが。」



張匆の掌には、マジックなのか黒く塗られた五円玉が3枚。



「黒兵衞やな。」


「黒兵衞?きゅーさん、とりあえずお冷やどーぞ。」


「おおきにな、ひなちゃん。」



「黒兵衞ちゅーんは、スリの字や。この五円玉をスッた相手の懐に忍ばせんねん。語呂合わせで五黒三、自分にスラれる為に稼いでくれてご苦労さんってな。」


「今時こんなんするスリおらんで?しかもきゅーみたいな奴スるやなんて、スリの風上にも置けんわ。」



プロはお金の無いホームレスからはスラないと、楮筬は眉間に皺を寄せ嫌悪感を示す。

「ほら、ことりちゃん。お仕事やで!」


「チッ……。そのぶつかった女、どんな顔だ?服装は?」



「いや~…見たら分かるんやけど……」



本来の仕事だと言わんばかりの涓畤壟にイラつきながらも、犯人らしき女について殊犂は聞くが、張匆の返答は曖昧だ。



「いらっしゃいませ。」


「コーヒー1つ。」


「かしこまりました、お好きな席に」



「あぁーー!かしゅーはん、この女や!」


「え?」



またもや碑鉈の声を遮った張匆は、キャリーバックを持ち来店した女を指差した。



「わしの金返せ!!」


「せや!人のもん取ったらあかんで!そのキャリーバックん中にあるんやろ!」



「ちょ…、いきなり何ですか?」



掴みかかる張匆とたきつける涓畤壟に、女は驚き揉み合いになる。



「きゅー、けんしろー、落ち着き。その女は、スリなんかせーへん。」


「こーぞーはん、この女知っとんのですか?」



女の顔を見た瞬間、楮筬は苦笑し2人を女から引き離す。



「ああ。この女は飴魏蜜穿。廓念会の稼ぎ頭や。」



「廓念会だと………!」



名前に聞き覚えがあるのか、殊犂の表情が険しくなる。

「なんや、見たことある顔やと思おたら、朽霊会の赤根楮筬組長さんやんか。こんなとこで会うとは奇遇やね。」



乱れた服を整えながら先程とはうって変わり、大阪弁で挑発的に喋る女―――飴魏蜜穿(アメギ ミツバ)は、関東を中心に勢力を拡大中の暴力団廓念(クルネ)会に属する裏社会の有名人である。



「廓念会って朽霊会と因縁の…」


「目障り極まりないけど、この女だけは別格や。ハニービーって知っとるか?」


「知っとるもなにも、ネットの世界では有名ですやん。企業から情報盗んでは悪巧みを公表したり、悪い奴から慈善団体へ金を横流ししたりする天才ハッカーやろ。義賊やゆーてマスコミも盛り上がっとるあの。」


「そのハニービーが、この女や。」



「え?ほんまに…?……って、いやいやいや。こーぞーさん、担いだらあかんで?こんな女がハニービーなわけないやろ!俺は騙されへんで!」



ハニービーがメディアなどへ話題がのぼるようになったのは、ネットが普及し出した20年ぐらい前から。


目の前の蜜穿はどうみても自分と同じ年代で、ハニービーの活動開始時期においては小学生になってしまう。



涓畤壟はあり得ないと笑う。

「兄ちゃん、思い込みと決め付けで判断してもそんなんは事実やない。闇に堕ちた漆黒の天使、光を導く純白の悪魔、狂気と赤に染まる神慈悲深い優しき死神。見た目と中身が同じやとは限らん。油断しとったら痛い目みんで。」



涓畤壟を嘲笑うかの如く、かなり上から目線だ。



「それに、うちはハッカーやない。クラッカーや。間違えんといて。ちゅーか、よう分かったな、うちがハニービーやて。会合にはあんま出てへんのに。」


「チラっと見たことあったしな。それに部下から電話があったんや。肥渓のとこにガサ入ったんにブツが出てきよらんかったってな。ほんでお前さんが来た。そのキャリーバックに入っとんのやろ。持ち出したブツが。」



東京に店を構える鏨畏(タガネイ)建設、社長の肥渓邯滄(ヒタニ カンゾウ)は廓念会に属する組長の一人だ。


同じ組長同士で知り合いだが、会同士も仲が悪くいつもお互いに動向を探り合っている。



「そのキャリーバック、改めてさせてもらう。」


「はあ?あんた何なん?」



「西広警察署のお巡りさんや。」


「警察………、あ。」



警察と聞いて力が緩んだのか、キャリーバックを奪われてしまう。

「こ、これは………」


「服に、パソコンに、本。下着まであるわ。ことりちゃん、これは完全に職権乱用やで。」



キャリーバックの中身………、『ブツ』はどこにもなく、蜜穿の私用の物ばかり。



「ちょっとことりさん!女の子のカバンをいきなりひったくって中身を見るやなんて、いくら警察でも失礼やありませんか?」


「ひなー。落ち着き、な。」



殊犂へ食ってかかる碑鉈を、どうどうと剣はなだめる。



「し、失礼しました!」


「別にええけど。見られて困るようなもん入っとらんし。それよりお巡りさん、このおっちゃんの金スッた奴、早よ捕まえてあげなあかんのとちゃうの?」


「了解しました。厩鳬張匆といったな、署まで来てもらうぞ。」



「ことりちゃん、しっかりなー」



張匆を連れて殊犂は署に戻っていった。



「えらい熱心なお巡りさんやね。」



「理由知っとるやろ。あれは東京から来た警官やしな。」


「東京……なるほどなぁ。」



鏨畏建設は、大手ゼネコンを従えるデベロッパー。


しかしその実態は、薬の密売を行っているとして、厚生労働省の麻薬取締官(通称マトリ)が内偵捜査中の企業である。

その売上金は廓念会の資金源、その裏にいると噂がある代議士の活動資金にもなっているらしい。



殊犂も上司などから話を聞き、これだからヤクザはと軽蔑しており、警察官の邪魔をし市民に悪影響を与える暴力団を、大阪へ赴任して来た直後から鰍掩や楮筬を毛嫌いしているのはそのせいだ。



まぁ、この大阪でなければ警察には目の敵にされても仕方ない行為をしているのは鰍掩や楮筬も自覚があるので、殊犂のような態度をとられてもあまり強く出れないのは否めないが。



「大体、あない重いもん持って移動なんかしたないわ。うちは運び屋とちゃうし。」


「やっぱり持って来とったんか。どこや?」



「あんたなんかに教えるかいな。大阪に着いた時点で手放しとるわ。まっ、嗅覚は麻薬探知犬並に鋭いみたいやけど。」



ガサ入れ直前に東京から大阪へ蜜穿に運ばせたようだが、もう手元には無いらしい。



「それよりお姉ちゃん、コーヒー忘れんといてな。」


「あ、はい。つーちゃん、お願い。」



来店してから数十分、立ち話だったがようやく容疑も晴れ、蜜穿は席に着く。



鰍掩達しかいない店内で、特に興味津々の涓畤壟からの目線を受けながら。

それから数週間後。



「きゅーさんからお金を盗んだ黒兵衞、捕まったそうやね。」



お皿を拭きながら剣は、さっき帰ったお客達が話していた内容を涓畤壟に確かめる。



「そうなんよ、ことりちゃんが捕まえたんやと。こーぞーさんが睨んだ通り、ネット見て真似したど素人やって。」


「ネット見ただけで真似出来るやなんて凄いねー」



碑鉈は感心するが、犯罪行為なのだから、感心することではない。



「今時珍しないよ。オレオレ詐欺とかあげます詐欺とか、めっちゃ種類あんねんから。ひなちゃんも気を付けや。」


「かっきー、お前も一種の詐欺やろ。」


「うっさい、舎弟の分際で!ちゅーか、なんで今日は、かしゅー様も蜜穿様もおらんの!」



鰍掩と蜜穿を様付けし、涓畤壟にかっきーと呼ばれた女―――塘測柿蒲(トウハカ シホ)は、鰍掩御用達のハッカーだ。


蜜穿とは違い本来の意味でのハッカーだが、クラッカーとしての蜜穿をリスペクトする少し変わった女である。



「蜜穿ちゃんは分からんけど、かしゅーさんは仕事やって。もうじき帰って来るんとちゃうかな。それまでこれ食べとき。」



剣はミックスサンドを差し出した。

「それと僕やひなは、心配せんでも大丈夫やよ。対策考えとるから。」



「はひしゃく?(対策?)」


「口にものを入れて喋んなや……」



女子の欠片も無い柿蒲に、涓畤壟は幻滅だ。


元より期待していないが。



「オレオレ詐欺には、うちには息子はいてませんって。うちらには息子どころか子供もおらんけどね。」



「あげます詐欺には、受け取るにはなんや先にお金払うんやろ?やから、受け取るお金から差し引いて構わんって、ゆうたらええやんってな。」



「かしこ~よう考えたなぁ~」



柔和な見かけによらずしっかりした考えの2人に、涓畤壟は感心する。



「お客さんの会話聞いて思いついたんやんな~」


「な~」



微笑み合う2人だが、言っていることはえげつない。



「あ、詐欺には関係あれへんのやけど、けんしろー君はもしも願いが1つだけ叶うなら何を願う?」


「え~1つだけやろ~むずいなぁ~」



腕を組み真剣に悩む涓畤壟だが、そんなに重要なことでもない気がするのは気のせいだろうか。



「簡単やよ。叶えられる願いを無限大にしてってゆうたらええんよ。」


「あ~~!な~る~ほ~ど~!」

「かなりひねくれた、天の邪鬼な答えなんやけどね。」


「けどつーさん、天の邪鬼やゆーても、めっちゃ素直な願いやん!サンドも美味しいし2人ともさすがやわ~」



柿蒲も感心するが、サンド以外はやはりえげつない。



「なんやかっきー、俺は呼んどらんけど。」


「かしゅー様!これを見せたい思おたんよ!どう?」



仕事が終わったのだろう店に現れた鰍掩に、柿蒲は周りに花が咲く勢いでクルリと一回転する。


その服装は今期の流行をめいいっぱい取り入れたコーデだ。



「それ今流行りのんやね。テレビでやっとったの思い出したわ。よう似合うとるよ。」


「豚に真珠、……いや、猫に小判やな。」


「お褒めにあずかり光栄やなぁー」


「イテテ…!ちょ…、引っ張るなや!」



ニッコリと涓畤壟の頬を引っ張る柿蒲は見るからに怒っている。


誉めていないのは丸わかりなので、当然といえば当然だ。



「流行なぁ…」


「かしゅーさん、どないしはりました?」



「いや、俺はあんま流行は追わんタイプやから。みんなやっとるからゆうて流されるんは俺は好かんし。自分に必要なもんやったら、流行とか関係あれへんしな。」

「さすが兄貴やわ!こーぞーさんとおんなじぐらい深いわー」



「まっ、流行が悪いとまではゆわんから。踊らされるなゆうだけや。似合うとるんとちゃうか、馬子にも衣装で。」


「ほんまっ!やったーかしゅー様に誉められた!」



「よかったなぁ、かっきーちゃん。」



誉められているかは微妙なところだが、本人が良ければいいかと剣は思った。



「隗赫鰍掩っ!今日こそ逮捕してやるからな!それと、飴魏蜜穿っ!貴様も不正アクセス禁止法違反で……って飴魏蜜穿は?」


「蜜穿ちゃんならいませんよー」


「なら、隗赫鰍掩だけでも署まで来い!」


「お断りしますわ。任意やったら拒否出来るんやし、強制力はあれへんでしょう。」


「ぐっ……」



至極まっとうに返され、殊犂は言葉につまる。



「ことりさん、コーヒー1杯いかがですか?美味しいの入れますよ。」


「いや、仕事中なので結構だ。隗赫鰍掩、明日は必ず逮捕してやるからな!」



明日でも無理そうだが、言うだけ言って殊犂は店を出ていった。



「負け犬の遠吠え~」


「勝負はしてへんけどな。」



だが、その後のコーヒーはいつもより美味い気がした。

「ウイルスって、病気に関することだけを指すんやないらしいで。」

「なー、かしゅー様。デートしよ?」


「いきなりなんや。」


「ここ来る途中でな、学生カップル見てん。うちもかしゅー様とあんなんしたいなー思おて。相合い傘とか二人乗りとか制服デートとか。」



柿蒲の思い描くデートは少女漫画みたいである。



「単純やなー。雨は降りそうやけど、二人乗りは犯罪やし、お前の制服はコスプレにしかならん!」


「こーぞーさん強運やし、ホールインワンでも出しとるとええな。」


律儀に突っ込む涓畤壟とは違い、サラリと別の話題へと移る鰍掩。


楮筬は組員とゴルフなのだが生憎の空模様だ。



「けど、制服デートええよね。うちらもそんなんしたかったわー」


「それどころやなかったもんなぁ。漫画もアニメもバラエティーも、映るもん全て現実の僕達と違いすぎてアホらしーて。」



「いつまでもガキんまんまでおられへん。あんたらは、それがあん時やっただけや。」


「そーですね。」


「そーゆーことにしときますわ。」



剣と碑鉈夫妻は幼なじみ。


両方の親が残した多額の借金を全額返済し店まで持てるようになったのは、借金を肩代わりしてくれた絆栄商事と鰍掩の尽力あってのことだ。

幸せがあるから不幸なんだと感じる。
不幸があったから幸せを感じられる。



そのどちらかだけでは駄目なんだと、笑ったり泣いたり、両方あるから人生なんだと、教えてもらった。



そして、辛い過去に思いを馳せるのは止めて、現実の今を見つめ、優しい未来を夢見ようと思えた。



だから、法律違反のことをしていようと、絆栄商事や鰍掩は恩人。

それだけは変わることがない。



「ひなさん、コーヒー1つ。」


「あ、蜜穿ちゃん。かしこまりましたー」



蜜穿が大阪に来て早数ヵ月。


一向に馴染もうとしない蜜穿へ、剣と碑鉈はせめてあだ名で呼んで欲しいとお願いした。


あっさり呼んでくれたのはいいが、距離感はまだ遠い。



「蜜穿様、今日はどこにおったんですか?最近、テレビや雑誌がハニービーがえらい活動的やってやってましたけど。」


「そうそう。雑誌には、なんやでかでか書いとったで。ほら、これ。」



涓畤壟が広げた雑誌には、


『天才ハッカー ハニービー!!巨大な荒嵐の如く、四方八方から電撃を放ち悪徳企業を壊滅に追い込む!』


と、大きな見出しが。



しかし。



「それ、うちやないから。」

「いやいや、でも、雑誌にも……テレビかて…」


「兄ちゃん、前にもゆうたやろ。根拠も無い言葉に惑わされて右往左往せーへんことや。気付いた時にはもう遅い。気付かんままやったら、なんもかんもに疑心暗鬼になってしもーて、感情の渦は底なしの闇へ堕ちていくで。」



騒ぐ涓畤壟に対して、呆れたように静かに諭すように蜜穿は言う。


一体何歳なのかと疑いたくなる重い言葉だが。



「えらい耳の痛い言葉で。」



「そういう奴を何人も見てきたからな。言葉だけはいっちょ前に出てくるわ。」



裏社会だけやないけど。



そんな言葉は、鰍掩達に届くことなく消える。



「まぁ、警察もマスコミや兄ちゃんと同じ考えやったみたいや。」


「警察?」


「あのお巡りさんが、あんたらだけやなくてうちも逮捕するゆうて、かなり意気込んでたらしいてな。名前がちゃう課まで届いて呼び出されたんや。」


「じゃ今まで警察に?それは大変やったね。はい、コーヒーとこれオマケや。」



出来立てのタマゴサンドを頂きながら思い出した。



殊犂とは違う目をした、サイバー犯罪対策課の捜査員―――牟齧荊蜻(ムカジ ケイセイ)のことを。

「どういうことだ、牟齧。飴魏蜜穿を聴取したそうだな。」


「サイバー犯罪の件についてだ。聴取しようが、生安課のお前に関係ないだろ。大体、飴魏蜜穿がハニービーだと言ったのはお前だろう。」



荊蜻へ蜜穿の件を食ってかかるが一蹴される。


確かに正当な捜査であるのだが、横取りされたようで納得がいかない。



「お前は隗赫鰍掩みたいな奴らを全員逮捕したいようだがな、世の中にはああゆうのも必要なんだよ。悪役が居ないと俺達善良な警察が裁けないだろ。」


「裁くのは裁判所だ。」



「だが、ヒーローは俺達なんだ。……降ってきやがったな。…なんにせよ、俺達が正義だ。」



荊蜻がいなくなった後、忌々しそうに窓の外を見る。


降る雨の如く、蝉時雨のように心の中はざわめいている。



「………チッ。」



荊蜻とは警察学校の同期だ。


東京では同じ所轄になったことはないが、合同捜査などで顔を合わせる度に言い合いになる。


基本的に性格からなにから合わないので、荊蜻が大阪へ異動になり安堵したのだが、まさか同じ所轄になるとは。



そして、ヤミ金にハッカーまで。


とんだ異動だと、殊犂はため息をついた。

「ごちそうさま。」


「お粗末様。もう行くんか?」


「ええーもっとおって下さいよ、蜜穿様。」



食べ終わったと思ったら立ち上がる蜜穿に、柿蒲は鰍掩に引っ付きながら残念そうな声をあげる。


鰍掩の嫌そうな態度はまるで無視して。



「バイトやから。」


「バイト?!なんの?」



涓畤壟は初耳だと驚く。



「短期とかスポット。今は生保受けなならんような身体の状態ちゃうしな。」



「ハッキングで稼いでるんちゃうの?」


「クラッキングや!あれは仕事やないから。」



てっきりハッキング……蜜穿曰くクラッキングなのだが、それ関係で稼いでるのだと思っていた。


蜜穿のクラッキング行為で莫大な金が動くのだから。



「バイトしようがええけど、警察どうにかせーよ。ことり一人でも鬱陶しんに増えたら面倒や。」



「ご心配なく。あんなんどーにでもなるわ。基本がなってないもんは応用もきかん。ファンタジーでも、高貴な皇帝が作り出す派手な死闘より、冷酷な賢者が静かに練った戦略の方が勝つ。ハニービーに肝心なんは、完璧なパフォーマンスや。」



水面下で既に何かしているらしく、抜かりないと笑った。

『ついに堕ちたか 天才ハッカー ハニービー!!乱れ射つかの如く、幾つもの善良なホームページを攻撃!』



「兄貴、これ、どー思います?」



涓畤壟が見せた雑誌は、ついこの間まではハニービーを称えていたのに、ここ最近はこんな感じ。


ただ現実はその通りなのだが。



「どうもこうも、警察が騒がんのを祈るだけや。あっちの領域に手は出さん。かっきーも分かったな。」


「……分かってますよー」



蜜穿を助けたい気持ちは山々なのだが、足手まといどころか迷惑にすらなる己の力量。


鰍掩に言われる前から手を出さないと決めている。



「飴魏蜜穿っ!!」


「ことりちゃん、ええかげん兄貴のことは………って蜜穿?」


「蜜穿様ならおらんしー」



「………チッ。邪魔した。」



勢いよく開けた扉を勢いよく閉め、殊犂はいなくなった。



「何なんあれ?ことりっち、何しに来たん?」


「さあ?蜜穿のことは、ことりちゃんやないんやけどな。」


柿蒲も涓畤壟も、管轄違いの殊犂が蜜穿を探す理由が分からない。



「ええから放っておけ。」



鰍掩は蜜穿の笑みを思い出し、面倒な事になりそうだと思った。

「あんたがハニービー?偽物の。」


「ということは、本物さんか。」



蜜穿は、とある寂れた建物にいた。


1人の少女―――射唐栲袴(サトウ タエコ)と対峙して。



「まさか呼び出されるとは思ってなかった。しかもあんな方法で。」



栲袴が驚くのも無理はない。


蜜穿が取った方法は、偽ハニービーの描いたコマンドへ暗号化したものを紛れ込ませてここへと呼び出した。



「目には目を歯には歯を、みたいな。なんの目的や分からんかったからな。それ聞こう思おて。」


「目的……ね。」



ハニービーを名乗る輩は、名を借りて便乗したかったり誇示したかったりする。


そのどれもすぐに偽物とマスコミでも見破れる程度だが、栲袴は巧妙で、偽物だという判断が蜜穿本人しか出来なかった。



成り済ます意味が分からず、直接聞こうと蜜穿は考えたのだ。



「貴女、会社とか金持ちから奪ったお金を養護施設へ寄付という形で横流ししてるみたいね。」


「そうやけど、それがなんや。」



「私の施設もその恩恵を受けててね。施設の人達が有難いって喜んでたわ。」


「それはなによりやな。」



当の蜜穿は興味なさげだ。

「なんでそんなことするわけ?」


「特に理由なんてないけど。」



私腹を肥やす為でも感謝される為でもない。


ただ、悪人が贅沢するよりはいいと思っただけだ。



「理由がない……?ふざけないで!恵んでくれって誰が言った!施設だからって、憐れまれたって惨めなだけなの!」



栲袴は叫ぶ。


自分が下にみられているようで、蔑まれているようで。



「まぁいいわ。言い訳なんていらない。二度と視界に入らないように消えて欲しいの。」



言葉でなく態度で示せと、そういっているように栲袴の手には鈍く光るモノが。



「なるほど。うちはまんまと、あんたの罠に嵌まったちゅーわけか。」


「義賊とか天才とか良い風に言われてるみたいだけど、私は大嫌いなのよ。」



かなりの恨みなのだろう、迷い無く真っ直ぐに凶器は向けられる。



「眩しいなぁ。眩しいて眩しいて、見えへんぐらいどす黒い闇や。無理矢理生きたいとは思おとらんからええけど。」



死ぬんはええねんけど。



カン…カランッ……―――



「っ!!」



蜜穿は言いながら、栲袴の手からナイフを払い落とし、自ら己の首元へとその刃先を向けた。

「何の真似…?」


「別に、恵んどるつもりも憐れんどるつもりもなかったんやけど。命を差し出すぐらいの覚悟はあるさかいにな。」



寄付は廓念会の指示ではなく、蜜穿の個人的な行為だ。



組織の人間からは、影響が無い企業の為咎められてはいないし、寧ろ裏社会での価値が上がると好意的な評価。


始めたのは、アイツ等なんかに使われるよりはと思ったからだ。



「あんたみたいな人に犯罪は似合わん。やから、うちごと闇に葬ればええ。」



犯人を逮捕も公表も出来ない真実ならば憎しみの光で塗り固めて偽物の闇で覆い隠して。


醜い秘密を鈍い痛みで封じて原因の自分ごと存在を消し去って。


燃え盛る復讐の矛先を無くしてしまえばいい。



「今回はこっちの都合もあったからな。あんたのやった事は罪には問われへんよーにしとるさかい。」



「それどういう意味…?」



「あやつのドラマチックな妄想でも、あんたが語ったバッドエンドでも、うちがやろうとしとるリセットでもあれへん。明るみになるんは、最低な奴が最低な事をしたという事実だけや。」



見るだけの夢に喰われんようにな。



蜜穿は頸動脈へと凶器を動かした。

「!!…誰?」


「お巡りさん……」



凶器が頸動脈に触れることはなかった。


何故なら殊犂が刃ごと握り寸前で阻止したからだ。



「何があったかは知らないが、こんなことはするな。」



咄嗟の行動だったようで、息を切らす殊犂の利き手は滴り落ちるほど真っ赤に染まっている。



「人間も貴様達が使う機械も同じだ。無理矢理歯車を動かしたら壊れる。色々あっても頑張って強がらなくていい。立ち止まっても逃げたって構わない。それでいつか前に進んでくれたらいい。死を選ぶぐらいならそうして欲しい。警察官としても俺自身としても、そう思う。」



無理するより戻して直して続きを探して。


そして前に進めても忘れてはいけない、それがあったから今がある事を。



「………………。」



殊犂の言葉に、栲袴は涙を流していた。



大人の言うことは綺麗過ぎて怖く信じられずに、いつの間にか涙を忘れた。


だけど子供の様に泣きじゃくっても良いんだと、栲袴は背中を押された気分だった。



蜜穿の見る目の前のそれは、悲しみに染まった冷たい涙ではなく、愛しさに包まれた温かい涙。


無機質で無色透明なんかじゃなかった。

「藹革!」


「……牟齧、貴様はタイミング良く現れるんだな。」



栲袴がひとしきり泣き終わって落ち着きを取り戻した時、見計らったように荊蜻が現れた。



「お前が先々行くからだろ。見失っただけだ。射唐栲袴だな、不正アクセス禁止法違反で逮捕する。」



荊蜻が栲袴を連行して行った。



「あんた、なんでおったんや?うちらのことはあやつの担当やろ。」


「射唐栲袴はな。貴様と隗赫鰍掩の逮捕は俺が担当する。」



「…さよか。」



殊犂と蜜穿の2人は、応援で来た警ら担当のパトカーで病院へと向かっていた。


帰ってもいいと言われたのだが、病院に用があるなどとなんとも嘘くさい理由を付けて、蜜穿は殊犂に同行している。



「それにしてもよう分かったな、うちらがあそこにおること。」


「ハニービーは海外サーバー経由ではないから痕跡が見つからず常に特定不能な状態だと、サイバー犯罪対策課が嘆いていた。」



「うちはオリジナルのコマンド使おとるからな。他が海外サーバー使うんは、外国の為に捜査協力が得られんさかい管理者を特定出来ひんようにしたり、複数経由で追跡に時間かけさせたりするんが目的やからな。」

「しかし今回は海外サーバー経由で時間はかかったものの、初めてIPアドレスに辿り着いた。そこが射唐栲袴の施設で、行ったら移転後だと聞いてな。本人もおらず、なんだか胸騒ぎもしたからな。」



「なるほど。リソースはあやつか。ちゅーか、あんたにも刑事の勘ゆーやつがあったんやな。」



蜜穿が栲袴を呼び出した寂れた建物は、栲袴の施設の移転前の建物。


移転後、そこを買い取った業者が取り壊し途中で倒産してしまい、施設も住めないのでそのままになっていた。



誰のも邪魔も入らないだろうと、蜜穿は選んだのだ。



「大きなお世話だ。…それに、解析の結果、詳細は掴めなかったが貴様が何か企んでいるのは見てとれたからな。案の定、居やがった。」



ソフトウェアを書き換えるなどという、栲袴より上の技術を持つ者はそういない。


蜜穿だと直感し、殊犂は妃翠までわざわざ探しに来たようだ。



「(居やがったって、うちは害虫か…)」



応急措置を断った為、タオルでグルグル巻きにしただけの殊犂の利き手を蜜穿は横目で見る。


忌々しそうに窓の外を見ながらも話してくれる殊犂とは目が合わないので、病院に着くまでそうしていた。

「まだ居たのか、飴魏蜜穿。」



殊犂は治療を終えて帰ろうとすると、何故か蜜穿が待合のソファーに座っていた。



「警察官のくせになぁーんも考えんとナイフ握る、アホなお巡りさんを見物に。」


「………用とやらがまだ済んでいないなら早くしろ。」



悪態を付く蜜穿にイラつきながらも、殊犂は先を促す。



「これ。」


「USB?」



蜜穿が差し出したのは、黄色いUSBメモリー。



「あの子が構築したプログラムを解析するもんや。うちが介入したから全部は解析出来てへんと思うで。」



「だったらこれは俺が貰っていく。お前には必要のないものだ。」


「…オイ、牟齧!」



蜜穿からUSBを受け取ろうとした瞬間、荊蜻が漁夫の利の如く意気揚々と奪っていった。



「あいつ、一体いつからいたんだ?」


「さあな。まあええわ、どのみちあやつに渡るもんやろ。」



「それはそうだが……」



また横取りされたようで、気分が悪い。



「あやつは、ほんま分かりやすい奴っちゃなー。あんたとは大違いや。」


「どういう意味だ?」



意味は分からないが、口調から馬鹿にされているような気がした。

「あんたの行動が想定外やゆーとんねん。」


「あ?犯罪者を逮捕することの何が想定外なんだ。警察官として当たり前のことだろう。」



課が違うのはこの際置いておいて、確かに殊犂の言う通りである。



「じゃ、うちを逮捕出来んようになるさかいに、そないな暴挙に出たんか?」


「暴挙というほどでもないだろう。……これは…単に手が出ただけだ。」



あの時の行動も言葉にしても、己の信念に従っただけ。


そこに蜜穿に対しての深い意味など特に無かったはずだと、殊犂は心の中で言い訳をする。



「ほんまに、あんたは単純やな。」


「なんだと?!飴魏蜜穿!大体貴様、さっきから失礼なことばかり」



「ありがとう。」


「!」



悪態を付き続ける蜜穿に文句のひとつでも言おうとしたのに、突然お礼を言われ殊犂は戸惑う。



「あないな風に助けてもろーたことなかったさかい。ありがとうな、お巡りさん。」



利害関係だけの裏社会において、純粋に守られることなどない。


だから蜜穿は嬉しかった。



「じゃあ、うち帰るわ。」



そう言うと蜜穿は帰路に着いた。


呆然としたままの殊犂を置き去りにして。

「この間ね、ドラマで誘拐の話やっとったんよ。」


「唐突にどうしたん?」



なんの脈絡もなく碑鉈が口にした話題に、柿蒲は驚く。



「ずっと考えとったの。誘拐って身代金を要求されるやろ。そのドラマ、犯人が身代金の値段を決めろゆーて。決めたら決めたでその程度かやて犯人怒ったんよ。でも今、ええ答え思いついたんよ。『0円です。命に値段なんてつけられへん。お金になんて代えられへん。』ゆーて。」



「よう考えるな、ひなちゃんは。」



またしても涓畤壟は感心するが、えげつない思考に変わりはない。



「0円………つまり無料はタダやないゆーことやな。」



「さすが、かしゅーさん。うちの心、完璧に読んどるわ!」



「分かってもらえて良かったな、ひな。」



感心するだけでなく理解する鰍掩に碑鉈は喜び、それを見る剣も嬉しそうだ。



「飴魏蜜穿!!」


「こ、ことりちゃん……どないした?そない大声出して。」



涓畤壟がからかうことを忘れるぐらい、壊れそうなほどの強い勢いで扉を開けた殊犂。



「蜜穿やったらあっちや。」



面倒が当たったと内心思いながらも、鰍掩は後ろにいる蜜穿を指した。

「このUSB、どういうつもりなんだ?」



殊犂が見せたUSBは黄色く、病院で荊蜻が奪っていったものに間違いない。



「そのUSBがどないしたん?」


「どうしたもこうしたもあるか!USBを開いた瞬間」


「偽ハニービーである射唐栲袴の痕跡は消え、代わりにあやつの悪事がお目見え、やろ。」



「あやつ?」


「うちを呼び出した、サイバー犯罪対策課の牟齧荊蜻や。あやつ、課の設備利用して、企業にちょっかいかけとってな。それが運悪く、廓念会と繋がりがあったんや。」



栲袴に言った、こっちの都合とはこの事である。



「秩序を守る。それが正しいルール、それ以外は悪や、なんてゆうとる正義感の塊みたいな性格らしいけど。ほんまはちゃうやろ?表には悪事が白日の下に晒され、裏からは存在を抹殺される。スタンドプレーヤーにはお似合いの結末ちゃうか。」



本当は、栲袴に会いに行く前に、時間になると栲袴の痕跡を跡形も無く消し去り、代わりに荊蜻の悪事を流出させるプログラムを組んでいたのだが。


殊犂が来るという誤算が生じた為、治療している間にUSBへと変更したのだ。



横取り好きな荊蜻に渡ることを考慮して。

「ということは、俺に言ったUSBの効果は嘘ということだな。」


「まあ、そうなるわな。」



理由はフェイク、組織の描いた作戦を成功させる為の大芝居だ。



「不正アクセス禁止法は未遂は対象外や。それに、そもそもの証拠がないさかいに逮捕は出来ん。」



USBを開いたら警察の回線へと自動的に繋がるようにもプログラムされていた。


だからサイバー犯罪対策課が栲袴へ辿り着いた時の履歴も削除され、偽ハニービーが存在したことすら無かったことになる。



「完全犯罪なんて存在せーへんのは計画する人間が完璧やないからや。それでもうちみたいに完全犯罪が成立してしまうんは、それを捜査するあんたら警察官も人間やからや。ゆーなれば、証拠のない不完全犯罪やな。」



偽物対本物、警察官対犯罪者



バトルシークエンスを征したのはどちらも後者の蜜穿。


何故ならば、魚雷のようなウイルスを人知れず水面下へばらまいていたのだから。



「あやつに残愧の念でもあればええんやけど。ないやろな……、あんたと違って。」



溜め息まじり、希望無さげに蜜穿が言った残愧の念とは、反省して心から恥ずかしく思う気持ちのことをいう。

「俺のことは関係ないが、残愧の念は貴様にも言えることだろう。俺に嘘を付いたんだからな。」



なんだか蜜穿に裏切られたような口振りだ。



「なんや、お巡りさん。逮捕しよう思おとるうちのこと信じたんかいな。アホやろ。」



「え?ことりちゃん、蜜穿に嘘付かれたん悲しかったんかいな。」



「そ、そんなことを思うか!貴様らと話すと疲れる。」



意外そうな涓畤壟に居心地が悪くなったのか、殊犂は仕事だと言って出ていった。



「お仕事で来はったんとちゃうの?」


「多分そーやと思うけど。」



突然の切り替えに碑鉈と柿蒲は不思議そう。



「ことりさん、図星みたいやったね。」


「変なんに好かれたもんや。」



剣と鰍掩は、殊犂の変化にピンときたらしい。



ただ鰍掩は、住む世界が違い過ぎると思った。



楮筬から聞く限りでは、同じ暴力団の括りとはいえ、悪い噂しか聞かない廓念会。


仲が悪いだけが原因ではなく、朽霊会と廓念会とは根本的な考え方が違うらしい。



重宝しているハニービーを廓念会の人間が手放すはずがない。



蜜穿を巡って抗争なんかが起きなければいいが、と鰍掩は祈った。

「自分にとっての日常は、他人から見たら非日常なんやろか。」

「つーちゃんは、UFOおると思う?」


「これまた唐突にどないしたん?」



来店して早々、カウンターに身を乗り出して涓畤壟が聞いてきた。



「昨日の深夜番組でやってたらしいて、会うた直後にこれや。勘弁して欲しいわ。」


「それは朝からお疲れ様です。」



未確認生物特集を見たらしく、会う人会う人に聞いてもいるようで、隣にいただけだが鰍掩は疲れている。



「で、どう思う?」


「うーん……幽霊もそうやけど、そーゆうもんは存在するちゅー証拠が無いからおる証明は出来ひんし、存在せーへんちゅー証拠も無いからおらん証明も出来ひん。どっちも嘘やほんとや言われへんなぁ。」



「つーちゃん、哲学者やな!すごいわー」



はぐらかしているような答えになってないような、そんな気もするが、涓畤壟は特に気にしていないようでウンウンと頷いている。



「結局、今おる世界が現実か夢か立証出来ひんのと同じや。考えるだけ無駄やゆーこっちゃ。」


「じゃあ、夢から覚めるのどーぞ。」



「覚めるゆーて、お茶?」


「ええから飲んでみ?」



微笑みを称えた碑鉈が勧めたのは、カップに入った見た目はただのお茶。

「げほっげほっ……げほっ……げほっ…にがっ!なんやこれっ!?」


「せんぶり茶。胃にええよ。」



「良かったなー、けんしろー」



棒読みの鰍掩は、碑鉈の微笑みに何となくの違和感を覚えた己に拍手しようと思った。



「けど、こんなんどこで?」


「お客さんにもろたんよ。このカスミソウと酔芙蓉とオリーブの実と一緒に。」



「けったいな人やな。統一性があれへん。」



確かに関連性が見当たらない。



「ポエム好きな人でな、花言葉にちなんだもんくれはんねん。」



退屈な日常にはオリーブを贈ろう
それはつまり平和ってこと


退屈な人生ではない毎日にはカスミソウを贈ろう
それはつまり感謝ってこと


あなたがいる世界にはセンブリを贈ろう
それはつまり安心ってこと


繊細な美を奏でる酔芙蓉と共に



「メッセージカード付なんや。」


「色々なこと知ってはる人なんやけど、感想不要でおいていきはるから。これみたいに実用性があればええんやけど。」



苦笑いの剣を見る限り、ありがた迷惑な部分もあるようだ。



「かしゅー様~~!聞いてくださいよ~」



扉を開けた柿蒲は何やら怒っていた。

「援助交際せーへんかって言われた!うち、そないな軽い女でも安い女でもないし!あんなんに引っ掛かる男とか願い下げやし、うちにはかしゅー様がおるし。ほんま失礼やわ!」


「大丈夫やったん?なんもされへんかった?」



碑鉈は同じ女として心配になる。



「大丈夫や、しつこいゆーて鞄振り回したら当たって倒れた隙に逃げてきたわ。」


「えらいえらい。」



柿蒲の頭を撫で、剣は褒める。



「つーさん、子供扱いせんといてーな。けど、なんや多いらしいわ。援助交際に売春に買春、美人局まで。」


「フォルム変えれば、いたちごっこやさかいな。蜜穿クラスならともかく、お前にそんな価値があるとは俺は思わんけどな。」



「かしゅー様、冷たいわー。まぁ、蜜穿様に敵うとは思おとらんけど。」



柿蒲より蜜穿の方がモテるらしい。



「かっきー、変えられへんのは過去と他人。変えられるんは未来と自分。変わらんのは時間の流れと人情や。性欲もまた人情やで。」


「ええことゆってるようで、最低なんはどないしたらええやろ?」


「え、かっきー?」


「そないな人情、いるかーいっ!」


「す、すまんすまん。落ち着き。」

「男ちゅーもんは、そんな程度や。けほけほっ…」



最低な発言をした楮筬に、柿蒲は殴りかかろうとする。


楮筬の後ろから現れた蜜穿に気付くまでは。



「蜜穿様!……咳き込んでますけど、大丈夫ですか?」


「けほけほ……大丈夫、単なる風邪や。熱あれへんし、放っとけば治るわ。」



蜜穿とは真逆の気分らしく、柿蒲から距離をとり安全を確保した楮筬は笑顔だ。



「こーぞーさん、なんや嬉しそうやね。」


「おうよ!これ、みんなで飲もう思おてな。」



「どないしはったんですか、ワインやなんて。」


「ハスラーのオヤジから夫婦喧嘩の相談受けてな。解決したゆうてそのお礼にやて。」


「ハスラーってビリヤード場の嗄声みたいなハスキーボイスがかっこええちょっと無口な人?」


「ああ、そうや。」



態度だけや伝われへんし言葉やって傷付ける


けど超能力者でもない限り人間は何か行動せーへんかったら伝えられへん


傷付いて傷付けて、それでも大切で分かり合いたいからぶつかり合うんや


もどかしーても温かなれるんがええんや



「そうゆうて、エンジエライトのネックレスでも贈れてアドバイスしたんや。」

「こーぞーさん、かっこええわー!…ってなんや、アンジェラ?」


「エンジエライト。許しってゆう石言葉があるんよ。」


「お~ピッタリやな!」



カタカナに弱い涓畤壟に、お客からの知識を碑鉈は惜し気もなく披露する。



「夫婦喧嘩は犬も食わん言いますからね。」


「犬も食ったら腹壊すって分かってんだろ。」



本来の意味とは違うが、行き過ぎた喧嘩が愚かなのは確かだ。



「キザ過ぎて、したんがあんたやなくて良かったわ。…ごほごほ…」


「なんや蜜穿、風邪か?せやったらワイン飲んだら治る治る!」


「あかんよ、お酒なんて勧めたら。蜜穿ちゃん今日は帰った方がええよ。よかったらこれ持っていき。」



剣が差し出したのは、花と紅茶だった。



「スイートピーには香りにリラックス効果があるし、この紅茶はバタフライピーゆうて解毒作用があるさかい。」


「それはどーも。有難く貰っとくわ。」



覇気無く蜜穿は帰っていった。



「蜜穿様、ほんまに大丈夫やろか…」


「最近バイトが忙しいゆうてたのに、こっち来たんは落ち着いたからやろ。心配し過ぎやてかっきーは。」



涓畤壟は軽く笑いとばした。

「ごほごほ………」



蜜穿は剣から貰った花と紅茶を見ながら思い出す。



『お前なんかおらんかったらええんや、この疫病神が!』


『目障りなんよ、生まれてこなきゃよかったんに!』



涙さえ出ないのに、体は震え呼吸は荒くなる。



『ごめんなさいごめんなさい』



口に出るのはこんな言葉だけ。



『ええ子になる、ええ子にするから。だからなぁ……』



手に入らないと分かっていたけど、それでも無くなるまで求め続けたイミテーションラブ。



「正体知っても変わらんな…」



ハニービーと分かると裏の人間でさえ態度が変わるのに。



一般的でありきたりでも、ゆるやかな今を切り取って閉じ込めたい。


鮮やかと思えたこの景色が色褪せないように。



「まぁ無理な話か。実現不可能な現実やな…」



どんだけ裏の世界を知っても、


どんだけ大人の事情を理解しても、


どんだけ子供らしいない子供でも、



結局うちは何も出来ひんガキなんやと



蜜穿は自嘲する。



最も、借金の形に廓念会のフロント企業へ売られてからは、きっと無力なガキ以下だ。



命令に従って動くだけなのだから。

壊された心で戻ったところで、奈落に落ちるだけ。


奪われてしまった権利を主張しても、そこより転落した地位にされるだけ。


消された存在だから、人権など堕落する。



目を開けても閉じてもいつも同じ色しか見えなかった。



狂った脳が嘘をついて、アカイユメを魅ているだけ。


ユメだからその赤色灯が光だと思うしかなかった。



何故なら、蜜穿の周りだけを避ける様にして、狂喜に満ちた黒いモノと穢らわしい赤い液体が蔓延していたのだから。



「今日も相変わらず綺麗な空や…」



地面がどれだけ薄汚れようともいつだって綺麗なままだ。



地上の都合など全く構わずに、ちっぽけな地球が舞台となって遠く遠く離れた、太陽は朝を、月は夜を、演じているように見える。



広大な宇宙の隅っこで繰り広げられる自分の人生は、果たして喜劇か悲劇か。


「自分で幕引き出来ひんのやから、思考を巡らせるだけ無駄やな。」



演者も観客も置き去りに、舞台は続くのだから。



走馬灯の様な心の内を書き出して見えない紙で作った飛行機を飛ばす。


気持ちとは真反対に上へ、どこまでも高く遠く澄み渡る青空へ消えていった気がした。

「皆やってんやん。先にそいつらに言ったらええやんけ。」


「確かに他もそうやけどな。反対に言えばそう思われとるんは君も同じやで。」



路地裏でタバコを吸っていた未成年を注意する警察官―――剥嚔石掎蹟(ムテイシ キセキ)は殊犂の部下である。



「言い訳屁理屈、大歓迎や。君らが理解して納得してくれるまで、何度でも説明すんで。それが君らに世を託す前の俺達大人の責任やからな。」



地道な作業も大切なことだ。


警察官を他を全て制圧する強い支配者と勘違いする輩がいるが、それは違う。


自分などまだまだでそれでも警察官としての威厳を保ってられるのは、補ってくれる仲間がいるからだ。



「親は子供に苦労させたない言いますけど、苦労はした方がええですよね。子供が苦労しとる時に支えたり見守ったり出来るそんな親に自分はなりたいです。」



「突発的にバカなことを言ってないで警ら続けろ。」


「はい!」



何事にも偏見を持たずに接せられる掎蹟が羨ましい。


昔は自分もあんな感じで輝いていたのかもしれない。


懐かしさを覚えてしまっては、あの頃に見えていた景色、今では見えなくなってしまったのだろうか?

ふと、そんな感覚に襲われる時がある。



確実に目に見えるのに不確かな犯罪者に、目に見えないのに確実な罪。



逮捕することに固執した結果、評価され昇進してきた。


変わったのは実力主義の周りか、変わってしまったのはそれに感化された自分か。



その変化が幸か不幸か分からないが、いつまでも思考に浸っている訳にもいかない。



「剥嚔石、後はいつも通り回っておけ。」


「はい!お疲れ様でした!」



去る姿はかっこよく、やはりああなりたいと思う。



日々鍛練を重ねているが、強くなりたいと思うのは勝負で勝ちたいからではない。


守らなければならない時に仲間と戦う為、殊犂の足手纏いにならず戦力になれるように。



その時が来たら同じ舞台で隣に立てるように。



きぃーせ、とあだ名で呼ぶ上司が多い中、当の殊犂からはなかなか呼んでもらえないのだが。



「よしっ!」



悪ガキ共の態度に諦めそうになる時がある。


けれど、全てを現在-イマ-に繋いでいく。


選んできたこの過去-ミチ-は間違ってない。


光-ミライ-へノンストップで走り続ける。



そう誓い、掎蹟は気合いを入れ直した。

「ほんならこーぞーさん、ワイン開けましょうか?」



「おう、頼むわ。ソムリエナイフのスクリューは、コルクを突き抜けん位置までやで。」


「分かってますよ、コルクのカスが入ってまうからでしょ?コルクが古うなった年代物の高級ワインなら突き抜ける場合もあるゆうことも知ってますよ。」



コルクを抜いた後に臭いを確かめるブショネという行為も、剣は忘れない。



「つーちゃん、様になっとるわーソムリエなれんちゃうの?」


「褒めすぎだよ、けんしろー」



言っておいてなんだが、同じ男として涓畤壟はちょっと悔しい。



「かっきーちゃん、うちらはバタフライピー飲もうか?解毒作用だけやなくて、アンチエイジングにも効果があるんやて。」


「ほんまですか?!飲みたい!」



女達は美容に目がないようだ。



「ひなもかっきーも好きやね。けど、シミが出来ても白髪が増えてもシワが目立ってきても、嘆かんでええよ。老けたない若く見られたいってよう聞くけどな、笑ったらくしゃくしゃになるその顔は、誰が何と言おうと僕はめっちゃ可愛いと思うし好きやで。特にひなはね。」


「つーちゃん!」



碑鉈の目がハートになる。

「なんや久々にアツアツやな。」


「ご馳走さん!」



鰍掩も楮筬も嬉しそうだ。



「飴魏蜜穿っ!!」


「おーことり!なんや、昇進したらしいな。ワイン飲んでいけ!」



いつものように殊犂が来ると、噂を聞いたらしい楮筬が祝いだと勧める。



「結構だ!それに昇進ではなく昇給だ、間違えるな。」



「どっちでもええけど、ことり。地位の階段ちゅーんは、登れば登るほど高ければ高こうなるほど、転がり落ちるんは一瞬や。一歩ずつ登る度に、地道な経験をストッパーにせなあかんで。一気に高こうなってしもうたら、それは階段やなくて坂道や。気ぃ付けなあかん。世の中そんなに甘くないさかいにな、よー覚えときや。」



栲袴の殺人未遂を止めたり、蜜穿への聴取や荊蜻の抜けた穴を後任が決まるまで埋めるなどの功績による時期外れの昇給。


現実的には、現役警察官である荊蜻の不祥事に対する口止め料であり、殊犂の正義感溢れる性格に釘を刺す目的も兼ねている。



「余計なお世話だ!努力も諦めるのも己にしか出来ないことぐらい、貴様に言われずともな!」



だからだろうか。


上の意向を分かっている殊犂の機嫌はいつもより悪い。

「そんなことより、飴魏蜜穿はどこだ!」



店内に姿が見えない蜜穿を探す。



「なんや最近、えらい蜜穿にご執心やな~」


「偽ハニービーのことがあってからやんな。まさか、ことりっち、蜜穿様のこと……」



「そ、そんなわけあるか!仕事だ、仕事!根拠の無いことを言うな!」



殊犂は否定するが、涓畤壟や柿蒲の言う通り鰍掩から蜜穿へ目的が変化していた。



「好きになるんに理由なんかあれへんで!姿形、性格や価値観やなんて後付けや。思ったら一直線や!」


「例え結果があかんくても、駄目やったちゅー成果は得られる。せやから無駄やない。非効率は時に有益やさかいにな。」



アルコールが回って、楮筬も鰍掩もいつになく饒舌だ。



「そうや、ことりちゃん!当たって砕けろやで!」


「砕けちゃあかんと思うで。」



砕けること前提の涓畤壟に、剣は苦笑いで言った。



「だから、違うと言ってるだろう!」


「蜜穿ちゃんやったら風邪気味みたいやったし、家におるんとちゃいます?」



「風邪…、失礼する。」


「頑張れな~」



一瞬考える素振りを見せ踵を返した殊犂を、涓畤壟は楽しそうに見送った。

「ごほごほ……」



繁忙期の世間でバイト続きだった身体を休めようと、自分にしては珍しく大人しく家に帰った。


剣に貰ったスイートピーを、花瓶なんてものは無いのでコップに飾る。



帰って寝るだけの殺風景で生活感の無いワンルームの、そこだけ少し華やかになった気がした。



「家に花やなんて、めっちゃ違和感やな。」



頭の中に描く観客席には蜜穿しかおらず、勝手に上映を始めた映写機が映すは、あの時のその場所のこんな出来事。



暴力が躾という父親は、ろくに仕事もしないくせに、借金までして依存したのはギャンブルとアルコール。


暴言が会話という母親は、何故結婚したのか分からないほど夫に興味が無く、買い物に依存し借金を重ね男の為に着飾った。



栄養失調になっても放置された蜜穿は、取り立てに耐えかねた両親合意の決定事項により組と交わした約束で売られた。


終わり無くカタカタと回り続けるのに続きは無いようで、ザッピングしながら途切れるのは同じ場面。



鏡花水月の様に、組員と話す両親の顔は忘れない。


自らの子と別れなければならないのに、甘い蜜を吸ったあげくに去り行く両親の清々しく晴れやか顔は。

ピンポン♪………―――



「!」



スイートピーを見ながら、疲れか風邪か分からないがボーッとしていた。


控えめに1回鳴ったチャイムに、蜜穿の体がビクッっとなる。



「お巡り、さん……」



ドアを開けて見えたのは、見慣れた殊犂の仏頂面だ。



「なんや…家まで…ごほ……、教えた覚え…あれへんし、職権乱用し過ぎや。」


「潜伏場所を把握することは当然だ。……今日はそっちではない。」



蜜穿の様子に眉をひそめながら、殊犂が差し出したのは大きな袋。



中には、お粥の素・雑炊の素・カップうどん・茶碗蒸し・生姜湯・のど飴・スポーツドリンク・りんご入りのヨーグルト・バナナ等々…



風邪にはこれだ!……みたいな食材がたくさん入っていた。



「なん?これ…」


「風邪だと聞いたからな。これでしばらく外に出なくてもいいだろう。」



殊犂の意図は分からなかったが、とりあえず自分の為に買ってきたものだというのは理解出来た。



「まるで彼女やな…」


「かのっ…!!」



何故彼氏ではないのか。


性別が逆だと今にも怒り出しそうな殊犂だが、蜜穿は甲斐甲斐しく世話しそうだと思った。

「ちょうどええ、あんたに聞きたいことあってん。」


「なんだ?」



「うちの偽物とあやつ、どないなった?聞くの忘れとったんや。」



蜜穿の事件への関与については、荊蜻の不正を明らかにした事と証拠の提示、廓念会との兼ね合いもあり殊犂とのやり取りだけで終わった。



ただ、殊犂が怪我した件について蜜穿への殺人未遂として、栲袴は聴取を受けていた。


不正アクセスの件は、蜜穿が証拠一切を消去済なので未遂にもすらならず全く問題ないのだが、事件後バイト続きになり聞く機会がなかったのでついでだと蜜穿は尋ねる。



「射唐栲袴は素直に自供したし、上の意向で聴取だけだ。もう日常生活に戻っている。……貴様に感謝していた。」



廓念会が絡んでいたとはいえ、罪が無かったことになり今まで通りの生活が出来ることに、栲袴は反省と共にとても感謝した。



「牟齧は、内々に処理された。それにしても貴様、よく証拠をネットに流さなかったな。流れていたら、内部であってもこの程度の騒ぎで済まなかった。」


「別に、ごほごほ……大袈裟にしとうなかったんは、うちやのーて雇い主や。消すより逮捕の方が、手汚さんし正規やし楽やからな。」

荊蜻のことがマスコミに流れるようなことがあれば、栲袴や蜜穿、その先の廓念会まで辿り着かれる可能性がある。


だから、雇い主である廓念会は内々に処理されるよう、蜜穿に仕掛けさせたのだ。



「何故どこもかしこも、上は騒ぎを恐れ真実を隠そうとするんだ。」



どのような理由があろうと、犯罪者を野放しにするなど言語道断だと殊犂は思う。



「独裁者ちゅーんはみな同じや。骸を光を優しさを踏みつけていくねん。逆に、骸を闇を悲しみを背負っていくんが英雄や。」



「なんだそれは?」


「RPG好きなバイト仲間の受け売りや。」



切り捨てるか、共に行くか。


今の蜜穿とって、独裁者はたくさん思い浮かぶのに、英雄となると浮かんでくるのは1人だった。



「ごほごほ…ごほごほごほ…げほげほ……」


「…!……話はもういいだろ。俺は仕事中なんだ。」



部下に任せたので仕事中ではないのだが、咳き込んだ蜜穿につい嘘をつく。



「せやったら、なん…ごほげほげほ…」


「もういいから、安静にして外に出るなよ。」



最後まで意図が分からず尋ねようとするも咳き込む蜜穿へ、それだけ言うと殊犂は帰っていった。

「一体何がしたいねん…」



遠ざかる殊犂が、痛みを増している頭痛のせいか少し歪む。



「げほげほ………甘っ…」



袋からスポーツドリンクを取り出し飲んでみるも、ジュース類を飲まない蜜穿とっては甘過ぎた。


殊犂達には当たり前の他人を心配することも蜜穿にとっては甘過ぎた。



弱いと言える程、強くなくて。

強がりを言える程、弱さを見せれなくて。



両親の望む通りになりたくて、惚けて痛みに知らないフリをした。


嘘を付く程でも無い、ただほんの少し自分に起こった事実を歪ませる。


両親の望む自分に近付ける為にする、ただそれだけのはずだった。



だけど。


コンコルドの誤謬と呼ばれるものに両親が当てはまると知ったのは、それが裏社会の常套手段と気付いた頃。



そこから学んだのは、何も望まなければ何も生まれないこと。

悲しみも絶望さえも。



だから。


無が希なんだと、蜜穿は何も願わないことにした。



常套手段を身に刻みながら、誰にも分からないように終わらせたのだ。



「ごほげほ…」



悪寒と倦怠感に引っ張られるようにして床につく。


携帯のランプにも気付かずに。

「気付いた時に手遅れなんやったら、いつやったらええねん。」

「最近、抜けること少ないですけど、隗赫鰍掩はどんな感じなんですか?」


「……どうもこうもない。」



涓畤壟と柿蒲から言われてからというもの、思い返せば鰍掩よりも蜜穿を探すことが多くなっていた気がして、掎蹟の問いに殊犂は歯切れが悪くなる。



「いくら金杉獣象が高齢で表に出へーんからって、隗赫鰍掩を追いかけるんは止めろて言われてますやんか。上にも睨まれるし、抜けてまですることちゃうと思いますよ。」


「そう言えと言われたか?」



「え、ぁ………そーいえば、特殊レンズ使って盗撮してたストーカー野郎ですが、前に公然猥褻でも逮捕歴があったんやってゆうてました。ああゆう奴は更正せーへんのですかね。」



図星だったようで、慌てて掎蹟は話題をすりかえる。



「動物にとってはメイトガーディング―――配偶者防衛というらしいが、人間はその延長でストーカーになるようだな。……と、何かの本で読んだことがあった気がする。」


「へ~勉強になります。」



無意識に出た言葉を殊犂は咄嗟に誤魔化したが、本ではなく蜜穿から言われたことだった。


妃翠だけでなく、管轄内ならバイト先にまで現れた殊犂を例えたらしい。

「まぁ、でもここんところは事件が立て続けで、抜けられんかったから隗赫鰍掩も油断しとんのとちゃいます?」


「油断ぐらいで逮捕出来る男ならばいいのだがな。」



鰍掩の嫌味ったらしい顔が浮かぶ。



通常の警らなら掎蹟に任せて抜けられるのだが、




道路交通法違反―――酒気帯び運転で捕まえた奴の車が盗難車だったり、



遺失物横領―――財布を盗まれたと言った奴が常習犯のスリ師だったり、



占有離脱物横領―――自転車を盗んだ奴が空き巣を見付けて通報してくれたり、



迷惑防止条例違反―――強引な客引きをしていた店員がひったくり犯を捕まえたり、



不法侵入―――鍵開け師と自慢気に名乗る金庫破りが豪邸に入ったら忍び込んだあげくに居直り強盗犯と鉢合わせしたり、





微罪ではあるが事件が重なりその処理に追われて、妃翠や蜜穿の家どころか自分の家にさえ、見舞いの後ろくに帰れていなかったのだ。



現に今も、風営法違反容疑の風俗店を張り込んでいる最中だ。


店主は日本人なのだが、従業員は外国人で不法残留の疑いも浮上している。



出入国管理及び難民認定法違反ならば、強制送還しなければならない。

「あ~これが終わったらちょっとは落ち着きますかね?連絡疎かにしたら彼女怒っちゃって……なだめんの大変やったんですよ。」


「彼女いたのか。」



「いますよ。……って、ゆうたやないですか、この間の合コンで知りおうた人です。」



得意気に写メを見せられたが、失礼ながら蜜穿には劣るなと殊犂は思った。



「(……って、何故俺は飴魏蜜穿を思い浮かべてるんだ!)」


「……………。」



比較対象が蜜穿だったことに動揺する殊犂を、面白そうに掎蹟は見る。



「藹革さん、何か変わりましたよね。」


「は?」



殊犂自身にそんな気は無く、もちろん思い当たる節も無く、掎蹟の言った意味が分からない。



「あ、変な意味やありませんよ。いや……、前は知りませんけど、なんや表情豊かゆーんか、人間味が増したちゅーんか。とにかく、ええ風にですよ。」



取り繕うように否定する掎蹟に、誉められているのか貶されているのか、やはり殊犂は分からない。



「なんかええことでもあったんとちゃいますの?射唐栲袴の件らへんからやろか……。牟齧さんが逮捕されて面倒事増えたはずやのにって、皆不思議そうにゆうてましたから。」

掎蹟の言葉に軽いデジャブを覚える。



蜜穿の過去を、聞いてもいないのに楮筬からペラペラと語られた時、単純に自分が教えていけば良いと思った。



要らないことは知っているのに、肝心なことは何一つ知らないから。


的外れな答えではぐらかしてる訳でも鈍感な訳でもない。



両親に棄てられて、愛されたことが無いから、今まで誰かを愛したことが無いから、他人との距離感が分からないだけだから。


様子を見に行って、いかにバイト中無理しているか分かった。


蜜穿は気付いていないだろうが、病院で自分が見た笑顔とはまるで違う作られた笑顔だったから。





蜜穿が居るだけで喜んだり、


蜜穿が楽しそうなら笑みが零れたり、


蜜穿が苦しそうなら胸が痛くなったり、


蜜穿に嘘をつかれて泣きそうになったり、


蜜穿を横取りされそうになって怒ったり、


蜜穿が自分より他人に興味を示したら嫉妬したり、




モンタージュの様に殊犂の頭の中を巡るのは、蜜穿に対する出会ってからの自らのエモーション。


他でもない自分が、蜜穿のハジメテになりたくて。



気付かなかったとは言わせないと、心から言われているようで。

蜜穿だから感じる色んな自分に辿り着く。



掎蹟曰くの『ええこと』と自分の行動の『変化』。



「(俺は、飴魏蜜穿が……好き、なのか…)」



自問自答してもすんなり受け入れられるほど、いつの間にか好きになっていた。



「(……だが…)」



理由が不明だ。


水と油の様に言い合いになる蜜穿を好きになるとすれば、病院で見た笑顔ぐらいだが。



「(…まあ、いいか……)」



根拠は明確だから理由なんていらないと考えるのを止めた。


蜜穿だから好き、なのだから。



「(風邪、治ったのだろうか…)」



言葉足らずな自分が何か気持ちを伝えるのは、とても難しい事だ。


だけど、不器用でも上手く言えなくてもいいから伝えたい。


蜜穿に伝えたいから。



掎蹟の言うように、これが片付けば一旦は落ち着くだろうから、様子を見に行くことに決めた。



「来た、行くぞ。」


「はい!」



殊犂と掎蹟は駆け出した。





―――既に賽は投げられた。



心の鍵穴に、鍵入れて回すと、扉の中の、想いの歯車達が動き出す。


鍵は殊犂で、扉は蜜穿。




開かれるのは、いつなのだろうか?

「げほげほ、がほ…」



バイトをしていないにも関わらず、日増しに咳が激しくなる。


「がほ…っ……!」



咳き込むと胸に走る痛み。


起き上がれなくて、せっかく殊犂に貰ったものもほとんど手付かずだ。



「は……、はぁ…は…はぁ……」



吐く息が熱い。


顔色が悪いのを儚げと評して無理矢理身体を交わらせたのはランプを光らせた主。



終わりが無いからと行き先を消して、分かるはずが無いと笑顔を拒んだ。


飾りモノなんだと自覚して、見える景色を引き裂いた。


不要だと両親の世界から破棄された衝動ついでに、招かれざる己を砕き潰してやったんだ。



だからこの程度の息苦しさ、どうってことないと言い聞かせる。


他が向こう側から絡め取られてしまうのならば、何も変わらなくていい。


他に手が届かなくなるくらいなら、今のままでいい。


他であっても変化を望むぐらいなら、退屈でいい。



メールの受信を知らせる音が、そんな思考を助長する。



「ぃ…っ……、は…はぁ…」



軋む身体に鞭打ち、せめて水を飲もうと水道の蛇口を捻っ………



視界が歪み、



全てが回った………――――

「ことりちゃん、確実に蜜穿んこと好きやんな~。見舞い行ったんやろか?人間弱ると人恋しなる言いますし、なんか進展しとるとええですけどね。」


「面白がるな。表の人間が裏の人間と上手くいくわけないやろ。ことりみたいな性格は特に。」



風邪如きで変わるような関係性ではないと鰍掩は思う。



「え~でも兄貴もことりちゃんに告ってもええみたいなことゆーてましたやんか。」


「……あれはあれや。」



人の色恋沙汰に酔った勢いとはいえ口を出したのは、自分らしくないと自覚があった。


ただ殊犂の真っ直ぐな目には、犯罪を憎む警察官よりも別の意味を持たせたかったのかもしれない。



「まあええですけど。ってか、兄貴もかっきーとはどーなんですか?」


「どうもない。かっきーとは仕事だけや。」



今度はキッパリ言い切る鰍掩に、涓畤壟は面白くなさそうだ。



「あ、そういやこの辺ですよね、蜜穿ん家。」


「ああ、そうやな。」



「寄ってきましょーよ!蜜穿の驚いた顔見たいわー」


「悪趣味やな。」



と言いつつも、驚いた蜜穿がどんな顔をするのか興味がわき、鰍掩もウキウキする涓畤壟と向かうことにした。

ピンポン………―――



ピンポン、ピンポン……―――




ピンポンピンポンピンポンッ!!



「あれ?おれへんのやろか?」


「鳴らしすぎや。…バイトでも………!」



2階建ての古いアパート。


チャイムの音が外まで聞こえるほどの薄い壁のようで、近隣に迷惑だと涓畤壟を注意する。


しかし。



「みーつーばー!」



「しっ!」


「兄貴?」



小学生みたいな呼び掛けをする涓畤壟を、険しい表情で鰍掩は制止する。



「大家に鍵、貰って来い。」



「え、鍵?」


「ええから!」



「は、はい…!」



鰍掩の気迫に押され、涓畤壟は訳が分からないままも大家の元へ駆け出す。



「……………。」



水道メーターは動いて、中から水が落ちる音もしているのに。


蜜穿が動いている様子が感じられなくて。



「兄貴、鍵!」


「蜜穿!………!」



急いで玄関のドアを開けると、キッチンの横に蜜穿が倒れていた。



「み、蜜穿!?どないしたんや!……兄貴、凄い熱!」


「けんしろー、救急車!救急車や!」



涓畤壟が駆け寄るも、蜜穿の意識は無くグッタリしている。

「…くそっ!けんしろー、氷貰って来い!」


「は、はい!」



辛うじて呼吸はしているものの浅く、吐く息が熱いのでかなり高いのは計らずとも見てとれた。



救急車を呼んでも到着には最低数分はかかるから、少しでも熱を下げようと氷を探したのだが見当たらない。



主に寝室用にと使われるであろう小さい冷蔵庫はほとんど空で、ゴミ箱らしき所も同じ。


シンクの上に置いてあるレジ袋には食べ物が入っているのに、手をつけた形跡がほぼ無い。


剣が持たせたスイートピーも、とっくに枯れ果てているのにそのままだ。



6畳にも満たないこのワンルームには、家中どんなに探してもきっと通常の必要最低限も無いだろう。



「兄貴、貰って来ました!」


「遅い!とりあえず、そのレジ袋に氷と水入れ!」



仕事か遊びか。


全てを回ったがアパートの住人は留守のようで、結局大家に頼んでいた為遅くなってしまった。



「蜜穿ー…しっかりせーなぁ…、もうすぐ救急車来るさかいにな……」



氷水のお陰か、蜜穿の表情は変わらないが呼吸はましになった気がする。



近付く救急車のサイレンが、祈る2人に何より安心感をもたらした。


「隗赫鰍掩!」


「大声出すな、病院やで。」



病室の前にいる珍しく眉間に皺を寄せた鰍掩と楮筬へ、息を切らして駆け込んで来たのは殊犂だ。



「…飴魏蜜穿は?」



「今、治療終えて眠っとる。」


「風邪の放置し過ぎが原因の肺炎やと。栄養失調も軽いけどあったさかい、しばらくは入院せなあかんらしいわ。」



薬も治療もしなかった為、風邪の菌が肺にまで入り込んで二次感染し、悪化してしまった。



「…肺…、炎……、入院………。」



殊犂は楮筬の言葉に動揺が隠せない。



何故あの後、様子を見に行かなかったのか。


ただの風邪だからと大丈夫だろうと、自分の常識を当てはめで考えていた。


だが、蜜穿の過去から考えるとそれは常識ではないのだ。



咳き込んでいたではないか。


いつもの覇気がなかったではないか。



いくら忙しくても、家に帰ることは出来たのだ。



何故、行くことを考えなかった………?



殊犂は抑えきれない後悔が押し寄せ、拳を握り締めなければ耐えられなかった。



「……蜜穿の家にあった食材の袋、お前やろ?それ以外に何もあれへんかったし、少しは役に立っとるやろ。」

「………渡した、だけだ。」



そう、渡した『だけ』だ。


その他には何もしていない。



だが、それすらしなかった鰍掩から考えると、褒めるべき行動といえる。



「ちょー待ちぃーて!!」



ガラッ………―――



「……!………えらい、大勢やな。」



涓畤壟の制止も聞かず、蜜穿は3人を一瞥し、病室を出ていこうとする。



「何してんねん、しばらく入院や。ベッドに戻らんかいな。」


「病院……は、嫌い、や。」



「顔面蒼白で、何をガキみたいなことゆーとんねん。」



歩くのもやっとのようで、扉にしがみつくように立って今にも崩れ落ちそうな蜜穿を、楮筬と鰍掩は支えるついでにベッドへ戻そうとする。



「なんや、みつばち。携帯出ーへん思おたら、こんなとこで油売っとたんかいな。」


「誰や?」



「ほぉー……、朽霊会の赤根楮筬に、絆栄商事の隗赫鰍掩……豪華な顔ぶれやなぁ。」



「誰や、聞いとんねん。」



ニタリと笑う男は、自分達の素性を詳しく知っているようで鰍掩は不気味に感じた。



「確かおんどれ、廓念会の黄縁叡執……とかゆうたな。」


「ご存知とは光栄なこっちゃ。」

蜜穿をみつばちと呼ぶ男―――黄縁叡執(キブチ エイジュウ)は廓念会の傘下の組員で、表向きは魅園(ミソノ)という養護施設を運営する経営者だ。


廓念会にとって魅園は、関西に唯一の拠点を置く自身のフロント施設であり、朽霊会のシマを監視する役目も担っている。



蜜穿は魅園の出身であり、叡執は蜜穿の間接的で密接的な雇い主でもある。



「みつばち、帰るで。仕事や。」


「…はい……」



叡執の登場により気を取られて、鰍掩と楮筬は蜜穿から手を離していた。



「ちょっと待て。こんな状態の人間を入院もさせずに連れ帰るなど、正気の沙汰とは思えない。」


「そうや、ことりちゃんの言うとーりや!あんたこれ以上、蜜穿を苦しめるつもりか?」



「ことり………、名前の通りピーチクパーチク煩いようやな。」


「なんだと?」



病院の廊下で、不釣り合いな一触即発の雰囲気。



「……叡執様、仕事に遅れてしまいます。」


「せやな、行くで。」


「おい…!」



パシッ……――――



「あんたは、『こっち』やない。」



拒絶するように払われた手と苦しげな目に、殊犂はそれ以上言葉が出なかった。

「ジキルとハイドらしきサブリミナルが蔓延しとるようや、クローズドサークルみたいなこんの世界には。」

「ちょっと、どーなってんの!蜜穿様は一体どこにいらっしゃるんやー!どうにかしぃ、けんしろー!」


「俺ぇえぇ~!ちゅーか、目回るわ!」



柿蒲のありったけの怒りをぶつけられ、思いっきり揺さぶられた涓畤壟。


理不尽極まりなく、同じく思いっきり柿蒲を引き剥がす。



蜜穿が病院から叡執と消えてから数週間。


妃翠に来ず、何故か携帯や部屋まで解約されていて、文字通りえてしまったかのように行方が掴めずにいた。


ただ、ハニービーとしては活動しているようだが、柿蒲の技術では辿り着けないのが現状である。



「あんたの他に誰がおるんや!ことりっちのケー番調べたん、うちやねんけど!」


「それはそーやけど!蜜穿んこと俺に聞くな!」



殊犂へ知らせる為に鰍掩が調べさせたようだが、柿蒲に連絡したのが涓畤壟だった為に怒りの矛先がそっちへ向かってしまった。


完全なるとばっちりなのだが、当の鰍掩は知らん顔を決め込んでいる。



「入院せなあかんのに、病院出て行ってしもーたんよね?」


「蜜穿ちゃん、大丈夫とええけど。」



見舞いに行く前に退院してしまった為、碑鉈と剣は蜜穿の体調が気になってしまう。

「かしゅー、やっぱり黄縁叡執が絡んどるで。」


「こーぞーさん!蜜穿様は?!」



「蜜穿の行方はまだや。ただ、解約の件は緑青碑鉈が仕組んどったわ。」



部下に調べさせた結果、叡執が携帯も部屋も解約したとのことだ。



「目的は?」


「分からん。施設周辺やシマ周辺を当たらせとるけど、今んとこ収穫は無しや。ついでに、ことりにも連絡いれといたで。」



窺いながらではなかなか成果が上がらないので、彷徨いても多少は目立たない生安課の特性を殊犂に活かしてもらうことにした。



「こーぞーさん、お疲れみたいやね。ココア入れましたからどーぞ。」


「おー、ありがとな、ひな。」



甘い香りと味わいが、体の隅々まで染み渡る。



「それにしても、かしゅーさん。蜜穿ちゃんのことは、手は出さんとか、面倒とかゆうてたんに、思いっきり首突っ込んでますね。」


「仕方ないやろ。あないな状態の蜜穿放っとかれへんわ。」



「意外に優しいんも兄貴の魅力やで!」


「意外に、は余計や。」



抗争よりも音沙汰が無い現状の方が不気味で、叡執の薄気味悪い顔を思い出し、鰍掩は後手に回っている気がしてならなかった。

「みつばち、お前、あいつらとどーゆう関係や?」


「げほげほ……別にどないな関係も」


「どーゆう関係や聞いとんねん!!」



「ぐっがっ、げほげほ……」



「ずいぶん仲ええみたいやなぁ?赤根楮筬が部下使おてお前探しとるし、刑事もうろちょろし出してきとるし。どんな手使おたんや?あ゛ぁ?」



まただ、と思った。



叡執からの嫉妬いう名の暴力と、愛情という名の男女の関係の強要。


この男にはこれしかレパートリーが無いのかと思うほど、繰り返される行為だった。



「ガサ入れん為に戻したけど間違いやったか?地元が同じやと親近感わくさかいにな。」



大阪と東京の行き来は、廓念会の都合でしかない。


そこに売られた蜜穿の意思など存在しない。



「まぁ、ええわ。お前が仕事やらんかったら、寄付金無くて施設のガキ共が餓死するだけやさかい。」



この男ならしかねない。



これからはネットの時代だと施設の子供達に教育する中、頭角を現した蜜穿にクラッキングを教えたのは叡執だ。


今では蜜穿の右に出る者はいないが、力関係は変わることはない。


脅され、悪事に手を染めなければならないぐらいに。

権利を誇示出来、なおかつ魅園へ寄付金を効率よく集められると気付き、栲袴の件が片付いた後も仕事を続けさせてるぐらいだ。


蜜穿が止めると言った事実など無かったように。



「出かける。施設にこれ持っていけ。」



自己完結して叡執は出ていった。



「げほげほ…ごほごほごほ…」



救急車と病院である程度の治療を受けたので熱は下がったものの一向に咳は止まらない。


バイトが出来なかった為に治療代が精一杯で、叡執が払うはずもなく退院するしかなかった。



それでも施設へと向かおうとするのは、必要とされるなら構わないと荒廃した心へのすりこみか。



叡執の意思によって、償うべき許されぬ過去の悪意的な罪に、


現在に下される作為的な罰は、全ては他が為の人為的な未来の為。



消えない罪と受けられない罰の原因は、きっと。



叡執の愛の重さに耐えきれなかっただけ。


蜜穿の愛が軽かっただけ。



鼻持ちならないのは、全て殊犂の真っ直ぐな愛と思い込んで。



ハニービーの証拠も魅園の課題も一時保留する。


逃げ出した徘徊者の蜜穿を捕まえ、叡執が密かに狙うはブラックホールの相乗効果なのだから。

「ごほごほ…ごほごほごほ……」



魅園へ行った帰り道、早く帰らなければ叡執の逆鱗に触れると思いつつも足が向いたのは妃翠だった。


見つかっては面倒なので遠目からだが、変わらぬ雰囲気にホッとする。



「飴魏蜜穿……!!」


「お巡り、さん…」



物凄く驚いた顔の殊犂がいた。



「貴様、今までどこで何をしていた?体調は?この痣はどうした?携帯も部屋も解約したらしいが、どこに住んでるんだ?黄縁叡執といったな。あの男と一緒なのか?」


「そない、いっぺんに言われても……げほげほ…、答え、られんわ…」



蜜穿を見付けた興奮のあまり、矢継ぎ早に質問をしてしまった殊犂。


しかし、今の状態の蜜穿の思考回路にそんな処理能力はなかった。



「咳が出ているじゃないか。病院に早く」


「あんた、うちを探してたようやけど、もうやめ。…ごほごほ、ごほ………。今会えたんやさかい、これで終わりにしとき。」



裏の人間である楮筬や朽霊会はともかく、これ以上表の人間である殊犂が動くと叡執が消しにかかるかもしれない。


踏み込んではいけないと蜜穿自身が線引きする、表の世界をも叡執なら巻き込みかねないのだ。

「ああ、終わりにするさ。もう探さなくていいからな。早く病院に行くぞ。」


「……やから、病院は」



「何やってるんや、みつばち!」



2人が揉めていると、用が終わったのだろうか叡執が通りかかる。



「黄縁叡執…!」


「ことり、ちゃんか。お前に用はないんや。」



「貴様に呼ばれる筋合いは」


「みつばち。」



「おい、人の話を聞け!貴様、ちゃんと病院に行かせてないだろ。」


「あ?なんで俺が病院に行かせる必要があるんや?行きたかったら自分で行くやろ。」



叡執の言うことは最もだが、救急車で運ばれなければならないほど放置し途中退院する蜜穿が、自ら行くとは到底思えない。



「そういう問題ではない!貴様本当に…!」


「やるんなら、殺ってもええけど?」



無関心で挑発的な叡執の言い種に我慢ならないのか、怒りに任せ殊犂は胸ぐらを掴む。



しかし。



「っ!!」



叡執を守るように殊犂の手を振りほどいたのは、蜜穿だった。



「みつばちは俺のモンや。」



所有物と言わんばかりの言葉を吐いて、叡執は蜜穿を車に押し込んで去って行った。


立ち尽くす殊犂を残して。

「みつばち、お前よう俺をコケにしてくれたな?」


「し、してな…がはっ」



部屋に着いた途端、床に投げつけられ一発蹴られた。



「がほ、げほげほ…げほげほ……」


「お前の主は誰や?!この俺やろ!!お前は俺のモンや!」



殊犂と会ったことで、叡執の嫉妬心がフラッシュオーバー現象のように爆発する。


咳き込む蜜穿など構わず、力の限り殴って蹴って。



「は……か、は……はぁ…」



何十分………いや、何時間経っただろうか。


とりあえず治まったのか、叡執の動きが止まる。



「みつばち、脱げ。」


「……脱げ、って…」



自分のアパートの部屋より何十倍もある叡執のマンションの部屋。


部屋に違わず大きなソファーに座り、叡執は唐突に言った。



「お前が誰のモンなんか、分かっとらんようやからな。身体に覚えさすんが一番や。たっぷり刻み込んだるわ。」



見晴らしがいいベランダのガラス窓は大きく、まだ陽も高い。


しかし。



「みつばち。」


「……分か、りまし、た…。」



言葉も切れ切れに服に手をかける蜜穿には、この男に対しての拒否権など、いつだって存在しなかった。

「人と会ってくる。今日は帰らんさかい、部屋片付けとけ。」



強盗に遇ったかのように、部屋中物が散乱している。


数十時間もの間身体を酷使して動けない蜜穿には目もくれず、叡執は命令だけして出ていった。



「漂…白剤、買い、に行か、な…」



赤に染まってしまった衣類や寝具を洗濯しなければならないが、叡執の家に漂白剤なんてものは無い。



「げほ、げほげほ、ごほ…」



騒ぎにならないよう店員を誤魔化し、僅かな所持金の中から漂白剤を買った帰り。


後半分といったところで歩みが止まってしまい、休憩とは程遠い感じで路地の隙間に倒れ込む。



日陰のコンクリートは冷たく、今の身体にはちょうど良かった。



蜜穿は人の体温は温かすぎて火傷して弱ってしまう、そんな魚と自分を重ね合わせる。


だから釣りあげた後などは、手を冷やしてから触るようにしなければならない。



温かい優しさより冷たい厳しさの方が、生きていると実感することが出来るのだから、自分にはお似合いなのだろうと。



「はぁ、は……はぁ…」



壁に凭れて見上げる青空は揺れている。


まるで微睡みが、底無し沼へと誘っているようで。

手に感じる僅かな小銭の感覚。


今ここで野垂れ死んでも、これじゃ火葬代にすらならないと皮肉な笑みを作る。



見えもしないのに、何処からか聞こえてくるのは耳障り極まりないモスキート音。



音色に紛れて歪みだすのは、



悪夢だと思い込んだ叡執といる現実で。


消滅させたハズの殊犂から感じる愛情で。


砕き壊した栲袴に気付かされた生きる理由で。



そのどれもが存在を主張するように、破片が包み込んで纏わりついて離れようとしない。



目を閉じても、

耳を塞いでも、

息を止めても、


気配は消えてくれない。



「あ、れ……?」



まだ咳は出ているはずだ。


なのに、胸が痛くなくなってきた……?



身体を酷使したはずだ。


なのに、身体が軋む音は聞こえなくなってきた……?



きっと完治していないはずだ。


なのに、息苦しいのがなくなってきた……?





大丈夫と、

平気なんだと、

心配いらないと、



嘯き強がった本音は。




無敵の言葉なのか?


それとも嘘の魔法なのか?



「…は…ぁ………」



どうやって息をするのか……?


方法を忘れた。

「飴魏、蜜穿…?飴魏蜜穿!!」



「っ………!」



心地好い声に名を呼ばれたから、蜜穿はとりあえず目を開けてみた。



「お、ま、わり、さ…」


「貴様こんなところで何を……。とにかく、来い!」



息も絶え絶えな蜜穿の腕を掴み、殊犂は無理矢理立たせる。


とにかく、蜜穿をこの場から連れ去りたくて。



「な、んや……、あんた、…うちん、こと…探、す…、は……や、め、ゆ…た、や、ろ…」


「今、そんなことはどうでもいいだろう……!とにかく来い!」



蜜穿に何があったかは知らない。


裏の闇は、知ることすら出来なくて。



言えないことも、言いたくないことも、言わなくていいから。


分かりやすく嘘を付いても構わないから。



だから。



「そんな状態で、我慢だけはするな。」


「…………………。」



薄くしか開かない目で、今までで最も近くに殊犂を見る。




ジャストロー錯視のように同じなのに、


殊犂と叡執の対応はダイラタンシーのようで。



この温かさにいつの間にやら、


自分の置かなければならない状況が、


ゲシュタルト崩壊を起こしているかのようだった。

「ほら、着いたぞ。」



フワフワとした意識のまま、寝かされたのはこれまたフワフワなベッド。



「少しでも何か……、探してくるから待ってろ。」



ここは、マンションの一室。


きっと殊犂の部屋らしいと蜜穿は思った。



何故なら。



「(おまわりさんの匂いや………)」



ベッドからも部屋からも、殊犂の匂いしかしなかったからだ。



「………―――――」



息をする度に、今まで感じたことがない安心感に包まれて。


蜜穿の意識は次第に………――――



「とりあえず、水でも……っ!」



食べ物より飲み物の方がいいかと思い水を汲んでくるが、蜜穿はスヤスヤと眠っていた。





誰かを失うことに怖がって逃げ出したとしても、


誰かの幸せに怯えて手を振り振り払われても、


探して掴まえに行けばいい。



何度、自分の未来に臆病になって闇に迷っても


俺の為にそうするなら、俺がそうすればいいそれだけだ。



原因も解決法も『蜜穿』にとって『殊犂』ならば。




穏やかな寝息をたて無防備な寝顔に、殊犂はそう思った。



「おやすみ…」



いや、誓ったのかもしれない……

「……っ…ん………」



蜜穿が目を開けると見慣れない景色。



「ああ、お巡りさんの家か…」



置き時計を見ると、叡執の家から換算して数時間経っていた。



久しぶり……、いや、初めてこんなに安心してゆっくり寝た気がする。


前にテレビで知った充実時程錯覚とは、こんな感じなのだろうか。



しかし、ベッド下に置かれた漂白剤が蜜穿を現実に戻す。



「帰らな…」



帰って部屋を片付けなければ叡執がまた……



幾分か調子が戻った気がする身体を引きずり、寝室を出てすぐのリビングダイニングを見回すが殊犂が見当たらない。



「無駄に広い……」



独身で彼女もいないのを涓畤壟がからかっていたから一人暮らしのはずだが、叡執の家と同じぐらいの広さ。



「警察官、そない儲からんに……」



独身寮が府警の体質と同じく殊犂の肌に合わなかった為、早々に引っ越した。


そんな事情を知らない蜜穿は要らぬ心配をする。



「……あ。」



『俺は仕事に戻る。家の物は自由に使って構わない。大人しく待っていろ。』



ダイニングテーブルで発見した置き手紙には、性格に違わず綺麗な字が並んでいた。

「待ってろって、犬やないんやから…ちゅーか、鍵無かったら閉められへんやんか……」



出て行こうにも殊犂が帰って来なければ、開けっ放しになってしまう。


合鍵の在処などもちろん知らない。



管理人が居たとしても事情説明がややこしい上に、殊犂へ変な勘ぐりを入れて欲しくもない。



「しゃーない、お巡りさん待つか…」



通常ならもうすぐ帰ってくる時間。


もし事件なら帰ってこない可能性もあるが……



「……ん?なんで今、それでもええて思おたんや………?」



明日までは叡執は帰らないが、事件で殊犂がそれ以上の時間帰ってこれないなら、片付けられなくて確実に叡執の怒りを買ってしまうだろう。


だが自問自答しても、叡執よりも殊犂を優先している自分がいた。




母親のように、立ちはだかって通せんぼをする前でも、


父親のように、のし掛かって押し潰す上でもなく、



廓念会のように、絡み取るように引き戻す後ろでも、


叡執のように、奈落の底へ引きずり込む下でもない。




気が付けば隣にいた、殊犂が心にいる。



優しく見てくれる殊犂と同じ方向を見たいと、いつから思うようになったのか。

ガチャ……―――



「おかえり、お巡りさん。」


「飴魏、蜜穿……」



帰宅した殊犂は、リビングにいた蜜穿を見て驚く。



「なん?そないな顔して。」


「あ、いや……いると思わなくてな。また居なくなってるんじゃないかと。」



「…………。そう…したかったんやけどな、鍵どこになおしとるか知らんかったし。」



自分で連れてきておいて、と思ったが鍵があればそうしていたので、否定はしなかった。



「お巡りさん帰ってきたし、もうええな。」


「ちょ…おい!またあの男のところに戻る気か?」



漂白剤を持って出て行こうとする蜜穿を、殊犂は肩に手を置き止める。



「どこに戻ろうが行こうが、あんたに関係ないやろ。」



殊犂の手を振り払い、玄関に向かう。



「か、関係ならある!俺は貴様のことが好きだ!」


「!!」



お節介をやくのは警察官としての情だと思っていたのだが、まさか好きとは思わず蜜穿は驚き振りかえる。



「あ………いや、えっとだな、だから、つまり………」



言うつもりは殊犂に無かったのだろう。


行くな、と続きすら言えずに、これ以上ないぐらい狼狽えている。

「………………。夕飯は鍋か?」


「え?あぁ……、好みが分からなかったし、食べやすいかと思って。」



居なくなってると思っていたくせに、買ってきた食材は2人分で献立も蜜穿の為のようだ。



「ほんま、単純やわ。」


「え?」



小さく呟かれた言葉を聞き取れぬままの殊犂からスーパーの袋を奪うと、蜜穿はキッチンへと向かう。



「なにしとん?はよ、作るで。」


「あ、あぁ………」



蜜穿の態度の変わりようについていけていないのか、呆然とする殊犂を呼んで、鍋を作り始めた。



「少し顔色が良くなったな。咳も止まってきたし。」



食事を終え一息つき嬉しそうに言う殊犂に、そういえばと蜜穿は思う。



食欲不振だったのに、ちゃんと一人分食べれた。


咳も息苦しさも無い。


胸の痛みも倦怠感も感じない。



「だが、完治してないはずだ。病院嫌いだろうが、明日連れて行くからな。」


「お巡りさん、仕事やろ。」



「非番だ。そんな心配しなくていい。」



「心配はしとらん。」


「……早く寝るぞ。」



殊犂の中では決定事項のようで、無駄な会話だと言わんばかりに寝る支度を始めた。

「……………。」



リビングの脇にあるソファーで寝る殊犂を見つめる。


昼間寝たからソファーでいいと言ったのだが、押し問答になった為蜜穿がベッドを使うと折れたのだ。





曇りの無い純粋な目で裏の世界を見透かして、真実に近付く殊犂を遠ざけることでしか、引きずり込まれないよう守る術を蜜穿は知らない。



好きだと言った殊犂の真剣な目に、叡執は明日まで帰って来ないのだから今日だけはと、言うことを聞いた。



好意を理解出来ても、正解の無い選択肢しか残されていないのならば。




殊犂の優しさを痛みに変えて、


殊犂の叫びを切り捨てて、


一瞬だけ思い描いた夢を壊してでも、



狂った予定調和に無慈悲に従って別れを誘おう。




蜜穿は、なおされていた鍵を持ち、悲しく告げる。



「お巡りさん、ありがとうな。……けど、さよならや。」



殊犂を起こさないように静かに出て、鍵を新聞受けに入れて。



自分の居なければならない場所へと、蜜穿は戻っていく。





歪んで歪んで、


歪みに耐えきれなくなって堕ちた世界は、



蜜穿の目に残酷過ぎるほど、


とても美しく映るものだった。

「ミラーニューロンちゅーのは、ほんま不思議なもんやわ。」

「隗赫鰍掩っ!!」


「ことりちゃん!なんや、久しぶりやなぁ。」



妃翠に顔を見せ鰍掩の名を叫ぶ殊犂に、涓畤壟は懐かしさを覚える。



「なんや、ことり」


「貴様、飴魏蜜穿をどこへやった?」



「…………は?」



鰍掩の言葉を遮って殊犂が尋ねたのは、蜜穿の所在だった。



「蜜穿のことやったら、こーぞーさんから連絡いっとるやろ。黄縁叡執のとこにいるらしいて、こーぞーさんが調べとるわ。」


「そうではない。寝るまでは、俺の家にいたんだ。だが、起きたらいなかった。携帯番号もそうだが、今回も貴様が……」



「ちょい待ち!蜜穿、ことりちゃんの家にいたんか?」



聞き捨てならない単語に、涓畤壟が待ったをかけた。



「ああ。昨日の警ら中、路上に倒れていて、家が近かったから運んだ。今日は非番だったから、病院に行こうと思っていたんだ。」



蜜穿が自らの意思で出て行ったのをもちろん知らない殊犂は、自分を嫌っている鰍掩がそそのかし出て行かせたと思っているらしい。


昨日の素直な蜜穿を見てしまっては、そう思っても仕方がないと言えば仕方がない。



ただ、的外れな推理極まりないのは確かだ。

「連絡ぐらいしてもええんとちゃうの~?俺らも探しとんに。」



「そうですよ!うちらも心配しとったんですよ!こーぞーさんに危ないからゆわれて、探すんも我慢しとったんやから!」



「けんしろー、ひなー、落ち着こなー」



涓畤壟は不満を口にし、碑鉈は怒りを爆発させる。


殊犂が連絡を怠ったことに2人とも怒っているのだが、止める剣の笑顔の方が恐ろしい。



「…それは…………それより、番号を無断で調べておいて好き勝手なことを言うな。」


「えぇ~めっちゃ今更~」



一瞬言葉に詰まるも殊犂は至極最もな答えを返し、涓畤壟は脱力する。



「入院のこと知らせたんや、そんくらい目つぶらんかい。」


「……もういい。貴様達に聞いたのが間違いだった。」



「ちょー、ことりちゃん!!」



失望したように言い、涓畤壟が止める間も無く殊犂は出て行った。



「けんしろー、かっきーに連絡や。」


「え?何を?」



「………………。この状況で分からんか。」



柿蒲に連絡する意味を判断出来なかった涓畤壟を、叡執は呆れた目で見る。


しかし、涓畤壟には経験値が足りないような気がすると剣は思った。

「ええとこやろ。」



殊犂が蜜穿の行方を探している頃、蜜穿は叡執に連れ出されとある廃工場に来ていた。


抵当に入った工場を叡執が買い取ったようだ。


ここのところ出掛けていたのはその手続きだったらしい。



叡執が帰宅する前に蜜穿が全てを済ませていたので殊犂とのこともバレず、工場が手に入ったのも相まって叡執はご機嫌だ。



「お前を行かせたおかげで、関東の傾向もデータ取れたさかいな。こっから世界中を牛耳ろうやないか。」


「どういう……」



「分からんか?施設におるガキ共を何人かピックアップして、第二のハニービーを量産や。お前が指導するんやから、ええのが出来上がるで。」



叡執曰く、ここにクラッカー育成所を設立し、蜜穿の技術を継承させ裏の世界へとプロパカンダを発信するのが目的のようだ。



魅園も裏社会に魅力ある園にするという願いを込めたと前に聞いたことがある。


ただ、コラージュのように作り上げられたハニービーがそう易々と出来るものなのか。



「ちょー待ってください。子供らにはさせられへん……。うちで十分やないですか?今で足りひんねんやったら」


「俺に歯向かう気かっ!!!」

ある意味否定の言葉を口にした蜜穿に、叡執は逆上し蜜穿の首を締める。



「ぐ、…はっ……あ゛…ぁ……」



ダウンバーストのように意識が急降下する。


片付けを必死に終わらせた後すぐに無理矢理連れ出された蜜穿には、抵抗しようと締める叡執の手を掴むも添える程度で力が入らず為す術が無い。



「お前は俺のモンや!口答えなんか許さへん!!」


「…ぁ………………」



「飴魏蜜穿っ!!!」



意識が遠退く寸前、現れた殊犂によって引き離され、蜜穿は叡執から解放された。



「げほ、げほげほげほ………」


「おいっ!意識はあるか!?」



思い切り引き離した為、力加減が出来ずに蜜穿も叡執も倒れ込んだ。


一気に呼吸が出来るようになったので、蜜穿は咳き込むがなんとか意識はあるようで、とにかく呼吸が少しでも落ち着くように殊犂は背中をさする。



「お、まえ…ら、揃いも揃って、俺の邪魔しくさってからに……もおええ、もおええわ……お前らが俺と同じステージにおるんがあかんねん。俺の上には何もおらん、おったらあかんねん。蹴り落としたるさかい…」



叡執の右手には暴力団の伝家の宝刀、拳銃が握られていた。

「お巡りさん!!」



バンッ………―――――



「ぃ゛…っ、……」



殊犂はゆっくりと崩れ落ち、片膝をつく。



蜜穿は肩越しに見えた危険物から前に出て庇おうとしたのだが、それに反応した殊犂に押し退けられ逆に庇われてしまった。



「(お巡りさん…)」



右手で撃たれた左脇腹を押さえるが、左手は咄嗟にそばにしゃがみ込んだ蜜穿の右腕を掴む。


行くな、という意味を込めて。



「俺がおったから、魅園も廓念会でかい顔でおれんねん。みつばちを見っけたんも俺や。俺のおかげで救われた命もあるんや。みつばち、お前がそうやろがっ!」



裏の世界の為に叡執の成し遂げた偉業は数知れない。



「いくら大義名分を並べ立てても、悪事に手を染め罪を犯してはならない。貴様のような人間の恩恵など、誰一人として必要とはしていない!!」



殊犂は至極当たり前のことを言っているのだが、蜜穿には身に染みた。



失う物なんてないと、孤独にも慣れたフリして。


信じられる物など、己だけだなんて。



そうやって自分を粗末にして何を守れた?



独り立った大地に広がるのは、屍でも惨劇でもなく、無でしかない。

「1度しかない飴魏蜜穿の人生は、飴魏蜜穿のものだ。貴様のものではない。」



「みつばちは俺のモンや。俺が育てたんや。」


「育てた?奪ったの間違いじゃないのか。」



叡執の為に生きる人生を造りあげた。


だが、もっと我が儘で利己的になっていいんだと殊犂は思っている。



誰かの……叡執の為なんかじゃない、自分の為に生きて欲しい。



そうすれば時折見た悲しみを含んだものではなくて、あの時みたいに心から笑えるから。


これからの大切な人達と、今までよりもっと笑い合えるから。



「前に似たようなことを言ったかもしれないが、自分の身を守る為に現状から逃げることと、自分の未来を諦めて命を投げ出すことは、行動は同じようでも意味が全く異なってくる。」



他人の為には、まず自分を変えた方が手っ取り早いことは確か。


ハニービーの件は、決着だってついている。



「貴様、自分の気持ちに気付かないフリして感情を封じ込めなくてもいいと言っただろ。あれだけ頭の回る貴様が、他人の感情ぐらい理解出来てるはずだろ。俺のことばかり気にしているようだがな、俺はもう当事者なんだ、傍観者などでいられるわけがない。」

「黄縁叡執のように対峙する敵にも、隗赫鰍掩のように支援する味方にも俺はなれない。」



生が地獄で、死が天国のような裏の世界は理解出来ない。



「貴様が、罪に許されないなら、自分が許せないなら、一緒に地獄にだって堕ちてやる。だから、俺の前から、二度と消えてくれるな。」



ただ、蜜穿と居たいだけだから。



「お前にみつばちの何が分かるんや?表でノウノウと正義感振りかざしとるサツに、裏と関わりおう覚悟があるんかいな?」


「覚悟?飴魏蜜穿の過去は知っている。だが、どんな過去を抱えていたとしても、俺が飴魏蜜穿のそばに居られない理由にはならない。日本は法治国家だ、罪を犯したら償えばいい。反省してやり直したい気持ちさえあればいいだけだ。」



拳銃を向けているものの一発撃って落ち着いたのか、叡執は殊犂と会話が出来ていた。



殊犂は相変わらず左手は蜜穿の腕を掴んだままで、口調もハッキリしている。


しかし、額には冷や汗が見え、スーツのジャケットで見えづらいが脇腹を押さえている手は先程よりも血に染まっていた。



掴まれている手を、前みたいに振りほどけないのは何故か。


蜜穿はもう分かっていた。

「藹革さん!」



掎蹟と共に、ライオットシールドを携えた機動隊が周りを囲む。



殊犂と同じく蜜穿を探していたのだが、銃声を聞いた為、近くで発生した立てこもり事案に駆り出されていた機動隊数人を許可を貰って出動させた。



「黄縁叡執やな!銃から手を離さんかい!」


「離せゆわれて離すアホがどこにおんねん。みつばち、お前に最後のチャンスをやるわ。」



叡執は鼻で笑い、蜜穿に問う。



銃口が殊犂に向けられている以上、掎蹟や機動隊は身動きが取れない。



「お前が恥ずかしないよう、困らんよう俺はお前の為にしてきたんや。お前、自分の立場ちゅーもん分かっとるな?」



差し出し、差し伸べ、掴まえた手に、


叡執が握っていたのは、いつだって蜜穿の思考をオールクリアにするもの。



叡執の言葉で創った、蜜穿をがんじがらめに縛る専用のマインドセットという名の鎖。


その先に繋がる首を締める輪っかで、ホールドアップされた。



蜜穿が呼吸困難を認識したって、止まらない。



「お前は賢いさかい、出来るな?俺が今何望んどるか分かるな?」



言い聞かせるように言うが、叡執の態度は自信たっぷりだ。

掴まれた手を振りほどき、

伸ばされた手を拒んだ。


けれど。


行き場を無くした手でも私を引き戻そうと、


もがく姿から

その必死さから、


目を離すことは出来なくて。



「みつばち、来い。」



叡執が呼ぶ。



「飴魏蜜穿……行くな。」



殊犂が止める。



真逆の感情が、バックドラフトのように入り交じる。



「分かった………あんたの言う通りにするわ。」



答えなど最初から分かっていたのかもしれない。


行き着いた解答を殊犂ごと抱き締めようか。



「「っ……!!!!」」



掴まれている手を逆に引き、殊犂にキスをした。



カッカンッ、カラカララ…カラン……―――



「ケースクローズド、やな。」



驚いて緩んだ殊犂の手から離れ、動揺で気が逸れた叡執の手から拳銃を蹴り落とした。



教わったバイト仲間のように、上手くは出来ないが。


ジークンドーというより、回し蹴りだが。



過去に縛られて、失うことを恐れては前に進まず駄目だから。


背負っていた重い荷物は土産として軌跡に置いて行こう。



伏せ目から見据える目への布石としては十分ではないのか?

「か、確保っ!」



蜜穿のおかげで叡執の手から拳銃が離れた為、掎蹟はすぐさま機動隊に取り押さえるように命じる。



「おいこら、みつばちっ!!どういうつもりや、おんどれ!」


「観念せーや!」


「大人しくせんかい!」



叫び暴れながら機動隊と揉み合う叡執を見ることも無く、蜜穿は無言で殊犂に近付く。



「お前みたいなガキごときが、俺を裏切ってんやないぞ!!この恩知らずが!おら、何とか言わんかいっ!みつばち!」


「………裏切る?うちには敵も味方もおらん。誰もおらんわ……」



連行されて行く叡執に対して、蜜穿は小さく吐き捨てるように言い、上着を脱いで下着姿になる。



「…!おい、何を………」



「お巡りさんやったら、あんな盾とはゆわんけどな。せめて防弾チョッキぐらい着ぃや。ほんま無茶苦茶やわ。」



探すのに必死で、身を守るという考えが頭から抜けていた。


そもそも非番だから、着ていないのは普通なのだが。



「あん時もそうやったけど、あんたはいっつも突然現れていっつも無謀なことする。」



殊犂からジャケットを剥ぎ取り、脱いだ服を押し当てて止血する蜜穿の手は震えていた。

「あんた、お巡りさんの仲間やろ?救急車呼んどるんか?」


「ああ、後数分でくる。」



殊犂の変わりに指揮に奔走する掎蹟は早口で言った。



「ならええけど。」



救急車は大袈裟……と思ったが、ジャケットを脱がされたことで自分の状態が結構危険ということが見てとれる。



血の気が引いて、更に体が冷えてきているのも自覚はあったが、パトカーでも大丈夫だと思っていた。



蜜穿が押し当てている服も既に赤に染まって、止血の機能を果たしているか分からなくなっている。



ただ、蜜穿が触れている部分だけは何故か温かさを感じていた。



「飴、魏…蜜穿……、も…、いい……疲れ、るだろ……」


「………………。」


圧迫の為にかなりの力で押さえているので、蜜穿の体の状態が心配な殊犂は止めるように言うが蜜穿は黙ったままだ。



手当てとは、手を当てる事と書くが実際にはどういう事を指すのか。



ぼんやりする意識の中で、殊犂はそんなことを思う。



処置をすることか?


消毒か?包帯か?治療か?



だが、方法はそれだけじゃないはずだ。


何故なら、広がった温かさに、痛みは和らいだ気がしたから。

「誰か同乗されますか?」



掎蹟の言う通り、数分後に到着した救急隊によって殊犂に応急措置が取られた。



「いや俺は………」



指揮を取らなければならないので同乗が出来ない掎蹟は、言いかけながら蜜穿を見た。



救急隊が到着した時、入れ替わるように離れたと思ったら、いつの間にか殊犂のジャケットを羽織っている。


そして、内ポケットに入っていたであろう携帯を操作していた。



「うちもええわ。説明しに行ったらなあかんし。」


「説明?」



「この携帯の中にある、ヤクの情報とか裏金とか、廓念会の証拠がわんさかの載ったサイトに関しての説明や。やから同乗者はおらんさかい、はよ病院行ったって。」



にわかには信じられなかったが、これ以上待たせるのは危険と判断し掎蹟は救急隊に任せた。



「ほんでサイトってなんや?」


「これ。」



見せられた画面には、可愛らしい蜜蜂のピクトグラムに彩られたクラウドが表示されている。



「見たことあれへんな。」


「そりゃそうや。うちのオリジナルやさかい。」



パスワードの入力が必要らしい。





符丁:単純なお巡りさん、あんたのお名前は?

「一件落着めでたしめでたし、で終わらんのかいっ。」

「黄縁叡執の自宅、魅園、それから警視庁と厚労省に要請して、鏨畏建設と廓念会本部にもガサかけました。」



叡執の逮捕から数日。


手術も成功し現在経過観察中の殊犂へ、掎蹟は報告に来ていた。



「黄縁叡執の様子は?」


「なんやかんや喚いてます。けど、証拠も物証もありますさかい検察側も問題ない言うてましたわ。」



「そうか、ならいい。」



あの男が、蜜穿を縛るモノが無くなったのなら。



「けど藹革さんから電話もろた時は、ほんまビックリしました。内容が内容やったですし。」



「……機動隊を連れてきた判断は正しかった。」


「ほんまですか…!」



珍しく誉められたと掎蹟は笑うが、殊犂にとって論点をずらしたかっただけなので珍しくの部分はスルーしておく。




妃翠を出た後、当ても無く探していた殊犂が蜜穿を見つけ出せた訳は。


涓畤壟から連絡を受け、叡執の携帯のGPSをハッキングした柿蒲のおかげ。




トバシ携帯で無く特定も容易に出来たが、殊犂だけでは不安だった為鰍掩達も向かった。



しかし鉢合わせを避けたかったので、銃声で駆け付けた掎蹟や機動隊に気付かれないよう離れたのだ。

「けどほんま、あの子様々ですわ。証拠のデータを保存してたクラウドはオリジナルやゆうてましたし、あの子の頭ん中どうなってんのでしょうね。」



クラウドに名前は無く、蜜穿が作った架空のサイト。


その存在は叡執も知らなく、裏事情を蜜穿がコツコツと記録したものだ。



「辿り着き方は、あの子本人か、藹革さんからだけやし。パスワードやって、俺にはさっぱりですわ。」



殊犂の家を出る前に、殊犂の携帯のアドレス帳へ『みつばち』の名でクラウドのURLを登録した。



誰宛でもなかったクラウドに宛先が出来たから。



いつか殊犂が見つけてくれることを願って。


殊犂にしか分からない符丁付きで。



「『単純なお巡りさん、あんたのお名前は?』だったな。多分俺のことだろう。」


「さすがですね。何で分かったんです?あの子も藹革さんにしか分からん言うてましたし。」



「……飴魏蜜穿がお巡りさんと呼ぶのは俺だけだ。これくらい分かるようになれ。」


「はい!精進します!」



掎蹟は尊敬の眼差しを向ける。


しかし実際に蜜穿から単純と言われたことを知られたく無かった為、殊犂は呼び方の方にして誤魔化した。

コンコンコン…―――



「はい。」



掎蹟が帰って少しした頃、病室のドアがノックされた。



「なんや、えらい快適そうやな。」


「飴魏蜜穿…!」



少し開いたドアからは、柱に寄りかかるようにした背しか見えないが、声から蜜穿だと分かる。



仕事以外のことを上司としてのプライドが邪魔をし掎蹟に聞くに聞けなかったので、どうしたものかと思っていたが。


まさか本人が来るとは思わなかった。



「貴様、体調は良いのか?もう大丈夫なのか?」


「……今のあんたに言われたないわ。」



入院中の人間から言われる言葉ではないので、呆れる蜜穿の反応は当然だ。



「別に見舞いに来た訳やないよ。それにしてもうちのデータ、結構役に立ったみたいやな。」


「ああ。だが、あのパスワードはなんだ?俺は分かったが、他には解りづらいだろ。」



「パスワードゆうんはそういうもんやろ。」


「それはそうだが…」



殊犂は文句を言うが、蜜穿も分からないようにと必死に考えた結果だ。


殊犂にしか、分かって欲しく無かったから。



荊蜻のような人間が他に居ないとも言い切れなかったから、余計大変に悩んだ。

「お巡りさん、あんたは分かったんやろ。あんたが解けたんならええ。」



偽りの逃避行をしたって、見付け出してくれたから。


解読して、叡執から助けに来てくれたから。



殊犂なら解けるって信じていたから。



「アホなお巡りさんは、まだうちのこと信じてくれたちゅーわけやな。」


「アホは余計だ。」



USBとは違いモールス信号のように自分宛だったことが嬉しかった。


否定がアホだけになったのも致し方ない。



「ほんでまた、あんたの部下は上手いこと使おたようやしな。」


「ああ、データが細かく正確で使いやすかったと言っていた。」



廓念会は事実上解散、裏にいた政治家までも追い込めたのは。



ずっと待ってたからかもしれない。




このデータを使える人物を。


正しく使ってくれる人物を。



迎えに来て欲しかった殊犂を。



「………それと。キス、ごめんやで。あん時はそれしか思いつかんかったんや。」


「……いや、そんなことは構わない。それより今どこに住んでるんだ?無いなら俺の家使え。」



「彼女に悪いわー」


「…バカにしているのか?居ないことは分かってるだろう。」

彼女がいたなら、蜜穿を保護するのに家は使わないし、涓畤壟にからかわれることもないのだ。


好きとだって思わない。



「鍵はここにある。悪いが取りに来てくれ。」



渡したいのは山々だが、絶対安静だと医者に念をおされている。


ベッドからドアまでの距離すらキツイのも確かだから尚更。



それに、はぐらかされたが、体調は気になっていた。


ここは病院なのだから、説明すれば治療してもらえる。



病室にも入らず、ずっと背を向けているので、顔色を確認しようにも出来ないでいた。



「幸せかどうかは分からんけど、不幸と思ったこともあれへんさかい。」


「は?」



誰も知らない、誰も分からない。


自分すら知ること無く、分からないのだから。



「けど、自分がならな、人を幸せに出来んな。幸せちゅーんがどうゆーもんか分からんと伝えられん。」



幸福の二乗は、理解してこそ。



「貴様、一体なんのことを…」



突然蜜穿が言ったことの意味が分からない。



「鍵はええ。もう帰るし、お大事にな。」


「お、おい……っ!」



閉まるドアに追い掛けようとしたが、阻んだのは鈍い痛みだった。

「つーちゃん!超能力者はおると思う?」


「UFOの次は超能力?」



ワクワクした様子で剣に聞く涓畤壟。


またもや深夜番組の影響らしい。



「未解決事件の透視やっとってん。コネクティングちゅー残留思念を読み取とんねんけど、それが当たる当たる!めっちゃ凄かったんやで!」


「超能力ゆうより陰陽師……霊媒師みたいやね。」



「ほんで事件は解決したん?」


「んにゃ、引き続き捜査してくって終わったわ。」



超能力で解決出来たならそんな良いことはないが。


世の中そんなに甘くないようだ。



「UFOで思い出したけど、この間中学生相手にソーラーバルーン飛ばして実験しとったら、それ見た小学生がUFOやゆうて騒ぎになって大変やったて、きゅーさんが言っとったわ。」



「あ~、確かにあれは間違えるかもしれへんな。」


「お誂え向きにビニール袋が黒色やったんよ。でも誤解解けた後は皆で実験して、大勢で楽しかったゆうてたね。」



屋外だと迫力が増し結構好評だった。



「さて、そろそろかしゅーさんの用意しとこかな。」



来る気配はないのに準備に取り掛かる剣を、涓畤壟は不思議そうに見た。

「全く俺の祈りは届かんな。」


「こっちには配慮してくれたさかい、大目に見なな。」



話ながら入ってきたのは鰍掩と楮筬だった。



「つーちゃん、すごいやん!超能力者や!」


「ただの超直感…、第六感やよ。」



ESPの如く言い当てた剣に、憧れの眼差しを涓畤壟は向ける。



「なんや、けんしろー。おもろい顔が更におもろなっとるで。」


「ほんま?こーぞーさんにおもろいなんて誉め言葉やわ~………ってなんでやねん!全然誉め言葉ちゃうやんけ!」



「下手なノリツッコミは見苦しいからやめとけ。」



からかう楮筬に乗る涓畤壟へ、鰍掩は冷静に突っ込んだ。



「飴魏蜜穿っ!」


「ことりちゃん!」



毎度お馴染み、とそろそろ飽きられそうな殊犂が登場した。



「会いたかったでー!」


「俺は貴様などには会いたくもない。」



「怪我、もう大丈夫なんです?」


「外出許可を貰えるまでにはな。……飴魏蜜穿は居ないのか?」



店内を見回すが、蜜穿の姿は見当たらない。



「風邪気味で帰らせた後から来てへんよ。もう数ヶ月は姿見とらんね。」



あれから殊犂以外、会ってないようだ。

「蜜穿やったら、お前の部下と警察へデートやろ?クラウドの説明しに。」


「ほんで今までの責任を取るって言うたらしいやないか。まあ、蜜穿自身に対しての証拠は無いさかい、結局不起訴にしたんやろ?」



「…………どこからの情報だ。」



鰍掩と楮筬が言ったことは警察関係者しか知らない。


殊犂ですら掎蹟から聞いたのだから。



「俺に聞くんは間違いやないんか?」


「……どういう意味だ。」



「ほー、覚えとらんとぬかすか。」


「兄貴ー殺気なおしてー」



鰍掩が恐ろしく涓畤壟は小声で言うが、睨み合いは続く。



「黄縁叡執は蜜穿にえらい執着しとったやろ。サツに追い詰められたら逆上してたちまち見境がのーなるわ。現にチャカ持っとったし。蜜穿を軟禁するような奴、放っとかれへんやろ?」



楮筬は最もらしく言うが、実際には殊犂から失望されたのが気にくわなかっただけ。


ただ蜜穿が心配だったのは本当で、殊犂よりも先に見付け恩を売りたかったのも本音である。



「不起訴やったら警察におらんでええやし、ここには来とらんし。どこに行ったんやろか?」



勾留も身元引受人も居ない蜜穿の行く先は……?

「施設……は、サツがガサ入ったんやな。」


「その後、子供達のことを考慮して、既に他の経営者に任せた。」



楮筬が目を光らせていた、魅園という名の隠れ蓑はもう無い。



「昔の家はどーなん?」


「今はショッピングモールだ。」



涓畤壟の帰巣本能よろしく想像した蜜穿が両親と住んでいた家付近は、現在開発が進んでいてかなり様変わりしている。



「せやったら廃工場やろ。」


「他の業者が買い取って、取り壊し中だ。」



行くとなればそこしかないと鰍掩は思ったが、取り壊しなら雨風さえ凌げない。

思い当たる節を皆で言い合いハニカムを構築するが、すぐさまどれも違うことが判明し、崩れ去った。



何故ならハニービーでの捜査時に、荊蜻が廓念会関連以外の蜜穿の身辺を一通り調べた為だ。



「バイトの仲間のところってゆうんはないん?」


「日雇いやスポットやゆうてたから、遊んでも家ゆーんは厳しいんちゃう?」



碑鉈の考えも、剣は無さそうだと思う。



魅園でも、昔の家でも、


廃工場でも、バイト仲間でもない。



殊犂の頭の中で鳴る警鐘が示唆したのは、蜜穿の性格上考えられる最悪の状況。

セルフハンディキャッピングの如く、阻んだ痛みに二度としまいと誓った後悔はどこへ行ったのか。


蜜穿の言葉には、何か深い意味が含まれていたのではないか。



殊犂と一緒にいたら、また悪夢を見なければならなくなるかもしれないから?


あの時のように、守られた正夢を演じたのか?



そこかしこに散らばった伏線を、ひとつひとつ繋ぎ合わせていく。



「くそっ……!」



覚えがあり過ぎる、お馴染みの既視感に染まった。



「ことりちゃん!?」



何かしらの場所に行き当たったのだろう。


突然駆け出した殊犂を涓畤壟は追い掛けることも出来ず、驚き声を出すだけに終わる。



「はぁはぁ……はぁ…、いな、い……?」



殊犂が全力疾走で駆け付けたのは、自身が怪我をするはめになった栲袴のいた旧施設。


あれからも手付かずの旧施設には人気がなかった。



栲袴からとはいえ、あの時蜜穿は自ら死のうとしていた。


本来ならここで死ぬはずだったのだから、死に場所に選ぶならここしかないと思った。



ここ以外に考えられる所は無いのに。



「何故いない………」



その時、殊犂の携帯が着信を知らせた。

「おう、かっきー、今電話しよう思おてたんや。」


「うちはあんたに用は無いんやけど。」



殊犂が飛び出した後、柿蒲が顔を出した。



「俺やないわ!蜜穿んことで」


「蜜穿様ならここにおるけど?」


「え?」



不思議そうに言う柿蒲の後ろには、紛れもなく蜜穿がいた。



「うちもあんたに用は無いわ。ひなさん、コーヒー1つ。」


「え…、ぁ、はい。」



何事も無くいつものようにコーヒーを注文する蜜穿に、碑鉈は思わず返事をした。



「ど、どないしよ…」



「ことりは勝手に出て行ったんや、放っとけばええ。」


「そや。本人ここにおるんやさかい、じきに戻ってくるやろ。」



まるで自分のことのように頭を抱え狼狽える涓畤壟に、鰍掩と楮筬は冷静に言った。



「電話番号知っとんのやろ。連絡したらええんとちゃうの?」


「それや!!」



「な、なん?意味分からんわ。」



剣の提案に涓畤壟は大きな声が出てしまい、柿蒲に睨まれた。



「ごちそうさま。」



「え?蜜穿もう帰るんか?バ、バイトか?」


「ちゃうけど。コーヒー飲み終わったんに、長居する理由ないわ。迷惑やろ。」

「そ、そりゃそうやけど……」



確かに長居は迷惑だが、涓畤壟にとって今はそれどころではない。


最も、蜜穿の長居なら剣も碑鉈も文句など言わないが。



「やったら、そこどき。出られへん。」


「ち、ちょ待ち!コーヒーもう1杯どうや?俺奢るで!」



「は?別にいらんし。ちゅーか、さっきから何なん?」



すぐ戻る。


涓畤壟から連絡をもらった殊犂は、それだけ言って切った。



同情した訳ではないが、不器用な殊犂と鈍感な蜜穿には自分がキューピッドにならなければ!


とか何とかかんとか、涓畤壟は2人に対して変な使命感を持ってしまっていた。



「そういや、体調はどうなんや?」



鰍掩は助け船を出した。


何を話したか知らないが涓畤壟が必死に引き留めているので、殊犂は戻ってくるのだろうから。



自身も気になっていたこと、時間稼ぎにはもってこいだ。



「ん?ああ……、なんや聞いとらんのか?」


「誰からや?お前のことは何も聞いとらんで?」



叡執や廓念会については警察から聞き出したが、蜜穿自身のことは警察から聞くことではないし話題にもならなかった。


従って、何も知らない。

「うちのこと以外は知っとる口振りやな。………病院で肺炎の治療しとったんや。」


「治療やと?」



「金無いからええゆうたんやけど、捜査協力ちゅーことでの特別謝礼やゆうてきかんさかい、有り難く通院させてもろうたわ。」



あれから放置していた為、思った以上に症状が悪くなっていた。


加えて、叡執からの長年の暴力で出来た痣や傷もついでに治療することとなったのだ。



クラウドの説明中、時折咳き込む蜜穿を見ていられなかった掎蹟の考えによるもの。


逮捕すれば医療刑務所などがあるが蜜穿の場合それが出来なかったので、便宜上の名目として謝礼になった訳だ。



「入院やのーて通院?家はどないした?」


「病院に近い警察署の仮眠室使こおてええゆうから、そこで寝泊まりしとった。新しいとこは、今探し中や。」



肺炎は薬で完治し、痣や傷はほとんど目立たないまでになっている。


仮眠室をいつまでも使ってられないと、しかし、ちゃんと治ってから探し始めた。



「けど、病院ゆうても、お巡りさんと同じとこやで。お巡りさんは安静にせなあかんって聞いたから1度顔出した程度やけど。」



蜜穿なりに気を使ったらしい。

「……もおええか?納得したやろ。うちは帰んで。」


「ちょ、ちょっと待ち!」



「何や?まだ何かあるんか?」


不自然に引き止めたがる涓畤壟を、不思議そうに見る。



「飴魏蜜穿!!」



「ことりちゃん!間に合うた!」


その時、殊犂が息を切らし駆け込んできた。



「お巡りさん、どないした?そない急いで」


「良かった………」



殊犂は蜜穿を抱き締めた。



人目があるとか、特に鰍掩達がいるとか、そんなものは関係なくて。



ただ、生きていてくれたことが嬉しくて。



「お巡りさん……、理由も無くいきなり抱き締められても、うちどないしたらええんや?」


「え……?ぁ、す、すまない…」



鰍掩達も雰囲気的に口を挟まなかったのだが、蜜穿はかなり冷静だった。



「ちゅーか、間に合おうたって、うちを邪魔したんはお巡りさんが理由か?」


「いや~えーっとやな~、その~………はい、そうです。」



真っ直ぐ見つめられ、涓畤壟は思わず敬語になる。



「なんやねん。大体お巡りさん、あんた入院中やろ。」



急所ではないとはいえ銃で撃たれたのだから、自分より症状は重いはずだ。

「外出許可を」


「あないな怪我して、外出許可出たんか?」



「……………。」



殊犂の目線が逸れる。



実は、1度来たきりの蜜穿を探したく、医者に無理矢理外出許可を取り付けた。


激しい運動をしないようにと言われていたのにもかかわらず、息が切れるほど走ってしまったことも言い訳が出ない要因の一つだ。



「うちを探しとったちゅーことは、兄ちゃん達と同じであんたも聞いとらんみたいやな。」


「何を?」



「まあええわ。目的は達成されたんや、帰るで。」


「お、おい…押すな。」



蜜穿は殊犂の背を押し、病院へと連れ戻しにかかり足早に出て行った。



「なんや、取り越し苦労やったな。」



「けど、元気になって良かったわ。」


「ほんまやね。」



蜜穿の様子に、楮筬と碑鉈と剣は安心する。



「慌ただしいやっちゃ。」



鰍掩は鬱陶しそうに言うが、その顔は嬉しそうだ。



「かっきー、蜜穿んこと知っとったんか?」


「さっき会うた時に聞いたんや。蜜穿様携帯持っとらんし探すに探せんかったし。」



柿蒲も先程、事の顛末を聞いたようで、全ては掎蹟の連絡ミスが原因だった。

「好かれたいな思う時は、目見て笑ってや。(笑う時だけ目反らしたら逆に嫌われるさかい、気ぃ付けや。)」

「絶対安静ちゅー言葉の意味、分かっとらんやろ。」



呆れたように言う蜜穿。


病室へ連れ戻された殊犂は、されるがまま大人しくしている。



掴まえたタクシーの中で、涓畤壟達に話したことを説明した。


報告が皆無だったことに掎蹟へ悪態を付くが、治療を提案したので許すことにする。



「さっきのあんたの行動なんちゅーか知っとるか?ノンバーバルコミュニケーションゆうねんで。……あんたは単純で分かりやすいから、いらんちゃいらんけど。」



「…貴様、単純単純と言うが、一体俺のどこが」


「全部。」



「………………。」



即答されてしまい返す言葉が無い。



「……それにしても、何故突然治療を受ける気になった?病院は嫌いだと拒んでただろう。」


「………………。」



「言いたくないなら構わない。ちゃんと治ったならそれでいい。」



今度は蜜穿が閉口してしまい、完治したのだから無理に聞くことではないと考えを改めた。



「別にな、あんたに生きろと言われたから死ななかった訳や無いし、あんたに助けられたから生かされとる訳でも無いで。」



殊犂が無理強いしたとは思って欲しくないらしい。

「うちは子供らに、ありきたりでもええから幸せやったと言える人生を送って欲しかったんや。」



自分には幸せという意味は分からなくても、施設が必要な人生はありふれた平凡などではないのだから。



「やから、うちが子供らの分まで裏でやればええと思おてた。」



蜜穿の正常性バイアスは、叡執によって膨れ上がり強調されていき認識さえ無くなった。



「けど、あんたと出会おてな、それだけやあかんて感じるようになってしもうた。」



苦く笑う蜜穿の頭の隅にずっと残っていたのは、殊犂が栲袴に言った言葉。



「あんたはうちに固執しとったけど、うちの存在がないとしてもあんたが生きてるだけで良かった。」



だから、遠ざけた。



殊犂との未来を描いた遠い夢など、叶わないと思ったから。



だけど、絶望が教えてくれてた希望は。



「だんだん、あんたの人生にはうちがいて欲しいて、あんたと生きていきたいて思うようになった。」



自分が想う分だけ、殊犂にも想って欲しい。


いつの間にか、一方的では満足出来なくなって欲張りになって。



自らの意思で叶えようと思ったのは、殊犂の隣で日々を過ごす近しい未来。

「あんたが傍をうろちょろしとったおかげでな、うちは笑うたり泣いたり、……怒ったり出来るんやって事を、もう一回教えてもろた。」



二度と失うことのない、失わない心を。



「きっとあんたやからやろうな。あんたやったからうちは………」



いつも真っ直ぐに自分を見てくれた殊犂は、操り人形から1人の人間にしてくれた。



だから。



「犯罪者なうちが、誰かに………あんたに、愛される資格なんてないんやろうけど。」



明度対比のように、蜜穿の顔つきは明るくて。



「うちは、あんたを………藹革殊犂を好きでおってええやろか?」



今までで一番の笑顔で、蜜穿は問うた。



「………………。」



伝えたいと思っていたことは、まだ伝えきれてなかったのに。


犯罪者を一番許せない犯罪者の扉は、英雄の鍵でもう開かれていたようで。



とんだ異動と思った自分に説教してやりたい。


今なら良かったと、本当に良かったと思える。



蜜穿に出会えたのだから。



「俺だって貴様が……飴魏蜜穿好きだから、そうでないと困る。」



殊犂が絞り出した返答はなんとも単純で、蜜穿の笑いを誘うには十分だった。

「この間のボヤ、きゅーさんの近くやったんやて?大丈夫やったん?」



蜜穿の件が一段落した数ヶ月後の店内で、心配そうな碑鉈の声が聞こえる。



「大丈夫やったで。原因はトラッキング現象らしいて、お古は気ぃ付けなあかんわ。」


「酒もあかんな。スピリタスなんか、アルコール度数高いし、火気厳禁やさかい、その側で煙草なんか吸ったら一発で火事や。」



「ほんまやね。最初は、灯油やガソリンや臭いがした放火やゆうて情報が錯綜しとったみたいやし。原因分かってホッとしたなぁ。」



誰の身にも起こる事、ボヤ程度と侮ってはいけない。



「ほんま、そう!俺もめっちゃ悩んだんや!練炭や七輪で自殺か?ピロマニアちゅー快楽的連続放火犯やったら、地理的プロファイリングの円仮説で導き出さなあかん。マッドサイエンティストの実験で起こった突沸やったら、誰か突き止めなあかん。ほんまに、悩んで悩んで悩みまくっとったんに。ようやくゆっくり寝れるで!」



またまた深夜番組の影響らしい。


色々なことが混ざっている上に、意味を正しく理解していないので支離滅裂だ。



ただもう、涓畤壟の力説っぷりに、誰も突っ込もうとはしなかった。

「ほな、わしはそろそろ。天気ええし、獣象はんとこの縁側で将棋でも指そかいな。」


「ウチの会長も誘ったって。あの人出不精やさかい、こないな快晴でも家か事務所におるやろ。」



「任しとき、ほなな。」



返済の用を済ませた張匆は、獣象と煎曽の元へ将棋をしに帰って行った。



「隗赫鰍掩っ!!」



「おっ!ことり、今日も元気やな。」



「元気過ぎるわ、扉壊れんで。ひなさん、コーヒー2つ。」


「はーい。」



お馴染みの呼び声と共に開かれる、あまり丈夫そうではない扉の心配をしなければならない。


殊犂の気持ちを代弁するかの様な強い力である為だ。



「ちゅーか、ことり。お前もしつこいやっちゃな。蜜穿んことは黙認して見逃したくせして。」


「……公私混同はしない。貴様の場合、現在進行形で証拠があるだろう。さっきも貴様の客に会ったんだからな。」



張匆のことを言っているようだ。


確かに生き証人で、簡単に抹消出来る蜜穿自身の証拠とは異なる。



「も~。ことりちゃんは手厳しーなぁ~」


「諦め、殊犂のしつこさは世界一や。」



言わずもがな、苦笑する蜜穿が一番良く分かっている。

「『殊犂』か……。えらい昇格ちゃいます?こ・と・り・ちゃん。」


「ウルサイ。黙ってろ。」



先に席に着いた蜜穿に聞こえない様に涓畤壟は小声で言うが、ニヤニヤが止まらない。



なにせ呼び方が『お巡りさん』から『殊犂』になったのだ。


恋のキューピッドとしては鼻が高い。



殊犂も照れくさそうに言う為、涓畤壟の顔は尚更締まりが無くなる。



「黄縁叡執、訴追されたらしいてな。余罪もたんまりあって、てんやわんややて?」


「復帰そうそう裏取りに駆り出されて、お疲れさんやったなぁ。」



「貴様ら、一体どこから情報を……」


「お前の部下や。あいつ、ええ奴やでな、ほんまに。」



またもや警察関係者しか知らない事を知っていた鰍掩と楮筬。



何故、今回の情報源は掎蹟だったのか。


蜜穿のことの連絡ミスをネタに脅し……もとい、警察官やったら責任取らなあかんのちゃうかなぁ~?と軽く、ほんの軽く鰍掩と楮筬が挟みうちで言った。


それで、掎蹟が自ら、決して2人が強制した訳ではなく、自ら話したからである。



「口を滑らす剥嚔石も剥嚔石だが………貴様ら、いい加減にしないと、恐喝で逮捕するぞ。」

「おぉーこわっ。」


「なんや、まだあだ名で呼んどらんのか?きぃーせ、寂しいやろうに。」



「憶測でものを言うな、剥嚔石は小学生ではない。」



殊犂は呆れて否定するが、掎蹟があだ名で呼んで欲しいのは事実。


あだ名の道はまだまだ遠そうだ。



「ところで蜜穿ちゃん、家見付かったん?探しとったやろ?」


「まだやったら、僕らの知り合い当たろうかと思おとるねんけど。」



「ああ、いらんいらん。ことりと同棲しとるさかい、新しい家は用無しや。」



碑鉈と剣の提案を断ったのは、蜜穿ではなく楮筬だった。



「な……!何故貴様が知ってる?!」


「この間、きぃーせが他のサツと話しとんの偶然聞いたんや。偶然、な。」



「傍聞きもええとこや…」



楮筬のにやける顔に、到底偶然とは信じがたい。



「あ!蜜穿様~!」



来店してそうそう蜜穿を見付け抱きつく柿蒲。



「ええかげん、抱きつくやめ。」



「え~やって、蜜穿様がおるん、嬉しいねんもん!蜜穿様はうちのお師匠様やもん!」


「師匠って……弟子は取っとらんわ。離れ。」



色々落ち着いたので頻繁に来る蜜穿が嬉しいらしい。

呆れる蜜穿にも構わず、柿蒲はニコニコと続ける。



「それに、下着姿までになってことりっち助けようとした蜜穿様もかっこええし、憧れるわ!」


「血まみれのジャケットまで着れるんやからな。おアツいこっちゃ。」



柿蒲は目をキラキラさせているだけなので、にやけ顔の涓畤壟を殊犂は睨んだ。



「うちが危険な目に遭っとったら、かしゅー様もことりっちみたいに助けに来てくれる?」


「そん時にならんとな。まぁ俺は、撃たれるなんてヘマせーへんさかい。」



「ほんまに!嬉しー」



目がハートの柿蒲には悪いが、鰍掩との想いの差がありすぎる。


現に鰍掩は柿蒲ではなく、ニヤリと勝ち誇ったかのように見て、殊犂も睨む相手を鰍掩に変えた。



飽きるほどに同じ言い合いを繰り広げる殊犂を、蜜穿はボンヤリ見つめる。





生きている意味なんて、生まれてきた理由なんて、探したってどこにもなかった。



親の都合で産み落とされ、生を受けただけなのだから。


自分で作り出すしかないのに、それすら奪われて。



最期の時こんな人生で良かったのかと、普通の人はきっと悩むのだろうけど。


自分はそんなことは無くて。

でも殊犂と出会い、無が有になった気がする。



どんな過去でも、罪まみれでも、


それでも、生きてきて良かったと思える人生でいたい。



そんな考えが浮かぶようになった。




だから、殊犂を好きだと自覚出来たのかもしれない。





探求していた迷宮。


されどその答えは


至極単純なものだった。



「最近バイトはどうなん?また忙しゅうして体調悪なっとらん?」



「……ん…平気」


「大丈夫だ。無理しないよう俺がいるから問題無い。」



「…ならええね。」



自分の思考回路にトリップしていた蜜穿はワンテンポ答えるのが遅れる。


そんな蜜穿を遮った殊犂は得意気に言うが、ノロケになっていることに殊犂だけが気付いていない。



問うた剣も苦笑いなくらいに。



「ちょくちょくな、警察から依頼来んねん。殊犂とは違う課からな。」



ワンクリックなどの詐欺は海外サーバーを経由している為に捜査には時間がかかるが、蜜穿にかかれば赤子の手をひねるように容易く辿り着けるから、警察も頼りにしているようだ。



生真面目で通っている殊犂と同棲しているのも、結果的に蜜穿の信頼度を高めている。

「詐欺に使う顧客のデータなんかは、流出が怖ーて紙で置いとくもんやけど、今はちゃうからな。時代も変わったもんやで。」



楮筬がしみじみ思うのも無理はない。



一昔前のデータ収集といえば、……例えばだが。




旅行会社の社員に扮して、定年退職後のシニア層に向けた1人でも行ける旅行を提案して回る。


ボランティアに扮して、高齢者宅を回る。


役所の福祉課に扮して、住宅地を回る。



等々がある。




全て詐欺に使う為にしていることなので、しみじみ思うものではない。



しかし十二分に気を付けることだ。



「まぁ、今流行っとる占いサイトも同じやけどな。」


「え?なんで?」



「占いに嘘はゆわんやろ。昔は占い師やったみたいやけど。」


「確かに。ニュースでもやっとったけど、個人情報の流出は大変なことになるんやし、気ぃ付けなな。」



剣自身は興味は無いが碑鉈や柿蒲は興味があるので、注意しなければと思った。



「上杉暗号、シーザー暗号………、それともシンプルにアナグラムなんか………?!何にしても、FBIとかCIAとかMI6とかに盗まれんように、パスワード登録し直さなあかん!!」

『これであなたの情報も安心!』と書かれた怪しげな本を片手に、涓畤壟は何やら必死な様子。


流れからして蜜穿の話しを聞いたからのようだが、あいにくパスワードの話しではない。



しかも、狼狽え方が何故かスパイ染みているのは、言わずもがな深夜番組の影響で、もう誰も気にしない。



「各所轄に配布する警鐘ポスターの監督や撲滅資料作成の手伝いなどもしているんだ。」



警察の捜査協力だけではなく、民間企業からの依頼も警察経由で引き受けている。


安全性をトリアージ形式で評価して、警告したり改善策を提案したり、結構好評なのだ。



蜜穿を評価されていることが殊犂も嬉しいらしく、鰍掩や楮筬に対しても笑顔になる。



「ほんで、蜜穿が働いとるさかい、自分は呑気にお茶しとる訳か。税金泥棒がええご身分やで。」


「………ふん。そこの下僕に命令だけしてる貴様とは違う。真面目に働いて、少し休憩しに来ただけだ。……蜜穿、こんな奴といると悪影響しかない。出るぞ。」


「ごちそうさまでした。」



捨て台詞並みにさっさと出ていく殊犂。


仕方がないという雰囲気でついて行く蜜穿は、また来ますと小声で言う羽目になった。

「もう蜜穿様が帰ってしもーたやないの!あんたが煩いからやで!」


「痛った!何すんねん!」



「パスワードやったら決めたるさかい、ちょー貸し!」



柿蒲はそう言うと、涓畤壟の頭をはたき本を取り上げた。



「2人とも~仲良ぉしなあかんよ~」



子供の喧嘩の様に揉み合う2人を、碑鉈は親心で止めにかかる。



「照れ隠しに喧嘩吹っ掛けるん、やめた方がええですよ。」



賑やかな碑鉈達を見ながら、剣は苦笑いで鰍掩に問うた。


さっきの憎まれ口は、殊犂に微笑まれたことに照れたらしい。



「………ほっとけ。プレーボーイ面して殊勝やさかい、からかい甲斐があるだけや。」



自覚があるのか、いつにも増してぶっきらぼうに鰍掩は言った。



「まぁ反対に、きぃーせはマダムキラーやな。同年代のくせして女子力0%と噂の彼女より、おばはん力100%のマダムの方が似合おうとる気がするわ。」



義理堅い鰍掩も似たようなものだと思うが、それを言うと照れ隠しがまた発動されそうなので、掎蹟へと話題を変える。



「あの顔で意外性抜群やな。」



上手く気が逸らせたようで、鰍掩はいつもの様にニヤリと笑った。

「ったく、隗赫鰍掩め。あの減らず口とねじ曲がった根性、絶対叩き直してやる。」


「…まあ頑張り。」



個人的な目的に変わっている気がするが、見ている分には飽きないので蜜穿は訂正はしなかった。



「そーいやあのクレプトマニア、どーなった?きぃーせが忙しゅーしとったようやけど。」



先頃、風俗店から金品を盗んだとして、アルバイトの20代の女を窃盗の容疑で逮捕した。


女の供述によると、店の金庫から数千万の現金とインゴットを盗んだという。



「女の供述とは違い、店からの被害届はインゴットだけで現金が含まれてなかった。」


「もしかせーへんでも、現金は裏金か?」



「ああ。女の数千万あった借金は、店が被害に遭った翌日一括返済されてたし、出所はその店で間違いない。」



盗んだインゴットだけでは返せない額だったのも決め手の一つだ。



「しかも色々なところで着服してたようで、剥嚔石はその裏取りだ。」



被害届が出ている店と女の関連を捜査していた為、掎蹟は忙しかったようだ。



「なんや、きぃーせと相棒やないんやな。」



警察は2人組が基本と蜜穿は思っていたが、どうやら違うらしい。

忙しい掎蹟に対して、自分とお茶をする余裕がある殊犂。


自分の時と同じく、殊犂と掎蹟はセットではないのかと疑問に思ったのだ。



「剥嚔石は相棒ではなく部下だ。……ちょっと待て。」



着信は殊犂の難しい顔からして、警察のお仲間のようだ。



蜜穿その顔を見ながら、声が聞こえない範囲まで少し離れる。



捜査協力はしているものの、殊犂が話すのはマスコミに発表する程度のことで、詳しい捜査情報までは知らない。


蜜穿も一応一般人の部類なので、必要以上には聞かないようにしている。



殊犂も弁えてはいるが、ふとしたことで情報漏洩させたくはないからだ。



クレプトマニアの女の件も、日雇いバイト時代の仲間が店で偶然働いていたから気になって聞いただけにすぎない。



「貸別荘にあったハーブの中から大麻が見付かった。天井裏や天袋から発見されたマリファナも鑑定の結果、それを加工したものだった。」



「木を隠すんなら森ん中、見付かってマズイもん天袋や天井裏に隠すんが常套手段やからな。」



捜査が行き詰まった時に、裏社会を良く知る蜜穿からアドバイスを貰うのは、たまになので大目に見てもらいたいところだ。

『前は、進むべき道は、未来は、どこにあるのか?


振り返れば過去という、罪の足跡がある。



両親のせいで立ち止まったり、


廓念会のせいで曲がりくねったり、


叡執のせいでギザギザだったりしている。』







「蜜穿のおかげだ。礼を言う。」


「いちいち、堅苦しいやっちゃ。」



ただ、話す雰囲気には堅苦しさは全くないので、蜜穿は半笑いだ。







『二度と戻れないけれど、


戻りたくもないけれど、



そんな過去と共に生きていく。


模索しながら生きていく。』







「じゃ、俺は仕事に戻る。」


「ん、気ぃ付けてな。」



ヤク絡みの貸別荘にでも向かうのだろうか。


自身を気遣う蜜穿の言葉が嬉しいのか、気合いの入った背中に見える。







『殊犂という選択肢を選んで枝分かれしたとしても、


それが正しかったなんて誰にも分からない。



暗中模索に模範解答など存在しないのだから。


それを決めるのは自分しかいないのだから。』





「クラッカーがクラッキングされたんじゃ、ほんま形無しやでな。」



殊犂を見送る蜜穿はそう言って、幸せそうに笑った。

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