一度も足を踏み入れたことのない教室の前で、吉川(よしかわ)きりはピタリと足を止めた。
(勇気を出せ、きり。この教室に、“彼”がいるはず。さあ。出陣だ……!!)

「あの」
 声をかけたのは、きりではない。
 きりが、背後から誰かに声をかけられたのだ。
 まさかお目当ての彼では、なんて期待をして振り返るとそこにいたのは――
「どいてくれませんか」
 どうやら入り口から中を覗くきりが邪魔で教室に入れない、ここ、A組の生徒らしい。
「ごめんなさい!」
 きりが道をあけると、それ以上なにか言うわけでもなく、教室に入っていく――重い前髪に丸眼鏡。顔はよく見えなかったし、ボソボソっと小さな話し声は聞き取るのが大変だった、絵に描いたような地味メン。
 学ランのボタン、きっちり全部とめてた。寝癖も直さずにきたのかな……と今は彼を観察している場合ではない。

「西条(さいじょう)くん、どこ?」
 きりは、今、一番会いたい男子生徒の名をつぶやく。
「ちょっとごめんね」
 またまた後ろから声をかけられた。今度は、さっきとは違いよく通る声で。
「……あ」
 ふわっふわの色素の薄い茶髪。すっと通った鼻に、スラリと高い背。キラキラしたオーラ。間違いない。
(見つけた!)

「西条くん、ですよね」
「え?」
「私、C組の、吉川きりっていいます!」
 男は一瞬ポカンとしたけれど、すぐに「吉川さん。はじめまして」と笑顔を見せた。
「俺になにか用かな?」
「付き合って欲しいんです!」
「……え?」
「もしお時間ありましたら、放――」
「ちょっとアンタ!」
 会話を中断させたのは、腕を組み、ギロリとかりを睨みつける女子たち。
「誰か知らないけど抜け駆けは許さないから」
「西条くん、ほら!」
「はやく! 中へ!」
 またたく間に、西条ときりを引き裂く。
(もしや西条くんのファン……!?)
「またね、吉川さん」
 笑顔を崩さない西条が、背中を押され、教室の中へと入っていく。
(ちょっ……ちょっと。まだ話は終わってなーい!)
「待って、西条く――」
「いいから教室戻んな!」
「えぇ……?」
「二度と来ないでよね!」

 勢いに負け、追い返されてしまった、きり。
 せっかく会えたのに。次は移動教室のタイミングを狙ってみようか。それとも登下校で一人になったときがチャンスだろうか、などと考えていると――。
「吉川さんって西条くん狙いだったの?」