最後に此処へ来たのは、いつだっただろう。

蝉時雨に混じって聞こえて来るのは、ざわざわと楽しそうな声とボールの弾む音。左胸に手を這わせれば、トク、トク、と心臓が五月蝿いくらいに高鳴っていた。


大丈夫。
みんなきっと、受け入れてくれる。

大きく深呼吸して、そうっと扉の向こうを覗き込んだ。








「利久(りく)!!?」

「え、利久!?」

「ほんとだ利久さんだ!」

「おかえりーーー!」



約1年ぶりに会ったサークルのメンバー達は、髪を切ったり伸ばしたり染めたり、化粧が濃くなったり薄くなったり、痩せたり太ったり新顔が増えたりと、多少の変化はあるものの、彼等のあたたかさは少しも変わらずそこにあった。

だけどその優しさは、僕には少し毒だ。妙に心がざわついてしまって、落ち着かない。不自然にならないように、笑顔を取り繕うのに精一杯だった。



「久しぶり」

「久しぶりどころじゃねーよ!1年だぞ?元気してたか…って、そんなわけないよな。ごめん」



5年来の親友である和樹(かずき)は、ハッとしたように唇を噛んだ。そして宙を彷徨った視線は自然と、僕の右手に向かう。

咄嗟に、後ろ手を組んだ。



「いや、、大丈夫。もう元気だから」



和樹の瞳は見れなかった。
◇ ◇ ◇



「えー、それで手隠しちゃったの?」



ベンチに横向きで腰掛けて、背もたれに頭を乗せて話を聞いていた恋人は、ガバッと上体を起こした。

彼女の非難轟々の視線にいたたまれなくなって、今度は僕が背もたれに顔を埋める。


まぶたの裏には、あの日見た満天の星。



「うん…」

「和樹きっと今頃、罪悪感でいっぱいだよ」

「やっぱ、そう思う?」

「そりゃそうでしょ。事情知ってるからってジロジロ見ちゃうなんて、て思ってるよ絶対」

「でも実際見られて嬉しいもんでもないんだけど、」

「じゃあサークルなんて行かない方が良かったんじゃない?そのうち皆んなにバレるよ」



彼女の正論に、だよね、と相槌を打つことしか出来ないちっぽけな僕は。

悔しくても握ることの出来ない拳を、手を繋ぎたくても指を絡められない指先を、空の青にかざした。

僕は去年の夏、交通事故に巻き込まれた。

信号待ちをしていた僕のバイクに、後ろから居眠り運転の乗用車が突っ込んで来たのだ。


星の綺麗な夜だった。




目が醒めると見知らぬ白い天井がそこにはあって、酸素マスクや腕に繋がったチューブを見て、自分は病院にいるのだと気がついた。空調もないのに涼しい部屋に首を傾げると、季節は秋になろうとしていることを知った。


事故の際に頭を打ったのか、はたまた別のショックからなのかは分からないけれど、僕は2カ月弱も眠り続けていたらしい。

幸いにも、記憶障害やその他の脳の異常は見られなくて。

けれど、無傷で済む訳もなく。


僕の右手は、親指以外ほとんど動かせなくなっていた。




その他の骨折箇所を含めたリハビリと療養期間を終えた僕は、今年の後期から2年生としてまた復学することになっていて。

今日サークルに顔を出したのは、その挨拶のためだった。



「バスケは?やれた?」

「いや、どうせ出来ないし、ちょっとだけ見て帰ったよ」



事故の時に靭帯も損傷していたため、普通に歩くことは可能でも、走ったり過度な運動をしたりするのはは極力避けるよう、医師から口を酸っぱくして言われていた。


走ることが出来ないなら、飛べない鳥と同じだ。

ボールを掴むことが出来ないなら、翅はあってないようなものだ。


僕はもう一生、バスケをするつもりはない。



「…そっか」



僕の気持ちに気づいたのだろう、まるで自分のことのように気を落とす恋人の頬に、右手を添える。うまく力の入らない親指でさらりと撫でれば、彼女は気持ち良さそうに瞳を閉じた。

そのまま頭の後ろに手を回して、額を寄せて。

啄むように、キスをした。



「紫苑(しおん)」

「んー?」

「大好き」

「知ってるよ」



紅い唇から、白い歯が覗く。その笑顔がやけに煽情的で、僕は人の目がないのを良いことに、紫苑をベンチに押し倒して、また唇を重ねた。

木洩れ日が透けて眩しそうにまぶたを細める姿がとても愛おしくて、このまま時が止まればいいのに、と。


心の底からそう願った。


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