そう話す間野さんの頬は徐々に赤みがさして行く。
僕がここに来たことを本当に喜んでくれているようだ。
「あの……僕は……」
寺井先生の話を聞いていないんだ。
だから間野さんが今どんな状態なのか、僕は知らない。
そう言おうとした瞬間、間野さんの細い手が僕の腕を掴んでいた。
その手は驚くほど冷たくて一瞬腕をひっこめてしまいそうになった。
けれど間野さんの手は見た目とは裏腹にとても力強く、僕を病室へと引き込んでいた。
「大富君とはあんまり会話したことないね? ちょとおしゃべりしようよ」
間野さんはそう言うとベッドの脇に腰をかけ、僕に丸椅子に座るように促した。
そこはついさっきまで間野さんが座っていた場所だったので、座ることに少しだけ躊躇した。
「大富君ってさ、クラスでも大人しい方だよね?」
そんな話をしてなにが楽しいんだろう?
そう思うけれど、間野さんは目を輝かせて僕を見ている。
「まぁ……そうだね」
「人見知りなの?」
「うん、少し……」
特に女子とはどんな風に接すればいいかわからない。
「だけど若菜とは仲よしだよね。幼馴染だから?」
僕は間野さんに若菜との関係を話したことはなかった。
若菜は頻繁に間野さんのお見舞いに来ているから、僕の話もしているようだ。
「まぁね」
若菜が間野さんにどんなことを吹き込んでいるのか気になったけれど、どうせろくでもないことだろうと思い直して聞かないでおいた。
間野さんはみじろぎをして体を僕に近づけた。
反射的に上体を逸らして逃げ腰になってしまう。
「若菜は大富君のことが好きみたい」
僕ら2人しかいない病室内で、声を小さくしてそう言う間野さん。
「はぁ!? そんなわけないだろ!」
咄嗟に大きな声で反論していた。
どうせ若菜が面白がって嘘を吹き込んだんだ。
僕がどれだけ動揺していたかを、後で間野さんに聞いて笑うに決まっている。
「あはは! 大富君顔が真っ赤だよ? 照れてるの?」
「て、照れてなんか……」
そう言いながらも、自分の体温が急上昇していることに気が付き、俯いた。
なんだか間野さんにまでからかわれている気がする。
「羨ましいな」
不意に、静かな声でそう言った。
僕はそっと顔を上げて間野さんを確認する。
間野さんは窓へ顔を向けて差し込む光に目を細めている。
「羨ましい……?」
「そう。私は2人が羨ましい」
「よくわからないけど」
僕はそう言って鼻で笑った。
若菜は女子だけど、僕の中では女子という感覚はない。
だからといって男友達とも違う。
「2人は幼馴染で、親友でしょ?」
その言葉が僕の胸がストンッと落ちた。
そうだ、親友だ。
性別関係なく親友と呼べるのは若菜だけかもしれない。
「まぁ、うん」
なんだか照れくささを感じてしまって僕は曖昧に頷いた。
間野さんはなにも言わず、窓の外を見つめている。
「間野さんにはいないの?」
不意に、そう聞いてしまった。
会話をすることで重たい空気が消えたと言っても、僕と間野さんはそこまで深い話をする関係じゃないのに。
だけど間野さんは不快感をあらわにする所か、ほほ笑んだ。
「わかんない」
笑顔でそう答える間野さん。
「わからない……?」
「うん。だって私、余命一か月だもん」
1年A組の窓際、一番後ろの席は昼寝に最も適した場所だ。
「なにボーっとしてんだよ」
肩を叩かれると同時にそう言ったのは翔だった。
翔の顔を見た瞬間、昨日の出来事が鮮明に蘇って来て僕は勢いよく立ち上がっていた。
翔の肩をつかみ、壁に押し付けて睨み付ける。
「どうした和利、壁ドンか?」
翔はそう言って口元を緩めている。
「お前、なんで昨日来なかったんだよ!」
「なんだよ言っただろ? 体調が悪かったんだって」
「そんなの仮病だろ! 分かってんだぞ!」
そう怒鳴ると唾が気管に入り激しくむせてしまった。
普段大きな声を出す事もないから、こんな場面でもうまく行かない。
体をくの字に曲げて激しくせき込む僕に若菜はペットボトルのお茶を差し出してくれた。
ありがとうと言う暇もなく、一気にそれを流し込んだ。
「どうしたの和利。珍しく怒ってるじゃん」
若菜を見ると、昨日間野さんから聞いた話を思い出してしまいそうになる。
「なんでもないんだよ若菜。大丈夫大丈夫」
翔は笑顔を浮かべてそう言い、僕の肩に腕を回して歩き出した。
自然と僕も一緒に歩いて教室を出る格好になってしまう。
怒っているのは僕なのに、どうして翔が優位に立ってしまうんだろう。
「なぁ、昨日のことは本当に悪かったと思ってる」
生徒の少ない廊下の隅へと移動して翔が真面目にそう言った。
「お前はずっと間野さんのことが好きだったよな? それなのに、余命宣告されたら会いに行かなくなるのかよ」
むせたせいで声はまだかすれていた。
それぜも、全力で翔を睨み付けてそう聞いた。
「俺は今でも間野さんが好きだ、それは変わらない。でも……だからこそ、怖いんだよ」
翔が脱力するようにそう言った。
「間野さんの弱って行く姿を見るのが怖い。余命一か月だなんて信じたくない」
そう言う翔の声は震え、表情は見る見るうちに歪んで行った。
両手で顔を覆うその姿は、胸の痛みを耐えているのがわかる。
そんな顔をされたら、怒るに怒れなくなってしまう。
「俺にはもう、間野さんを好きでいる資格なんてないんだよ……」
☆☆☆
良く晴れた日だった。
いつものように授業を受けて、いつものように放課後が来て、いつもの帰り道。
僕の足はだんだん重たくなっていく。
『うん。だって私、余命一か月だもん』
なんの抑揚もなく、いただきますとか、ごちそうさま、と同じような口調でそう言った間野さん。
余命一か月なんて僕にはわからない世界だ。
一か月後の地球に僕がいないなんて、想像もできない。
僕は立ち止まり、間野さんの楽し気な笑い声を思い出した。
「なんで笑えるんだよ……」
そうじゃないかもしれない。
僕は間野さんのお見舞いに頻繁に行っているわけじゃないから、間野さんの苦痛を見ていない。
昨日の笑顔は泣いて苦しんで叫んで、その後にあるものだったのかもしれない。
そう、まるですべてが吹っ切れたような……。
そう考えた瞬間息を飲んだ。
もし本当にすべてが吹っ切れたような笑顔だとしたら?
自分の運命を受け入れたのではなく、その逆だとしたら?
そんなの僕の考えすぎだ。
僕は間野さんのことを何も知らないし、ちゃんと会話をしたのだって昨日が初めてだ。
そんな僕がなにかを決めつけて行動するわけにはいかない。
そう思っているのに、僕の足は病院へと向かっていた。
気になりだしたら胸騒ぎが激しくなっていく。
大丈夫だ。
病室へ行ってなんでもない様子で間野さんがそこにいたら、またお見舞いに来たと言えばいいだけだ。
昨日みたいに話がしたかったんだと言えば、間野さんは受け入れてくれるだろう。
僕にそんな上手い演技ができるかどうかなんて考える暇もなく、僕は病院に到着していたのだった。
☆☆☆
2度目だからか、気持ちが焦っていたからか、今日はドアをノックするまでに時間はいらなかった。
軽く2度ノックして間野さんからの返事をまつ。
しかし、中から間野さんの声は聞こえてこない。
僕はもう1度ノックをした。
少し待ってみるが、やはり声は聞こえててこなかった。
眠っているのだろうか?
それとも検査とか?
「間野さん、開けるよ?」
僕はそう声をかけてドアを開いた。
昨日僕が座った丸椅子が同じ場所にある。
その向こうのベッドは空で、窓から風が吹き込んでカーテンを揺らしている。
一瞬息を飲み、窓へと駆け寄った。
窓は下半分しか開かないようになっていて、下を覗いてみれば病院の庭を散歩している患者さんの姿が数人見えるだけだった。