何より、上司の勧めを断るのは大変よね。
相手が私なんかで恐縮ですが、微力ながら努めさせていただきます。
「困った時はお互い様です。せ、僭越ながら、こ、こ、恋人役、受け承りました」
普段の私なら絶対!断固拒否!するところだけど、特殊メイクというアイテムは、確かに心も強くして勇気を後押ししてくれる。
それに、1度でも恋人の存在を知らしめておけば、水戸さんも暫く安泰のはず。
「俺的に、今日だけじゃなくて、ずっとこのままでもいいんだけど……」
「大丈夫ですよ。恋人が居る人に、誰かを紹介しようとしないはずですし!」
人助け、頑張らねば、うん。
会場の扉は開け放たれていて、外には『高坂記念病院 創立記念パーティ会場』と解りやすく明記されていた。
緊張の色を纏い、再び手を引かれて中に入ると、すぐに圧倒されてしまった。
芸能人の結婚式会場!?と思える程の大広間は、立食形式に仕上げられ。
来賓客は、其々グラスを片手に煌びやかに着飾った男女が会話を楽しんでいる。
新たな入場者に、彼方此方から痛い視線が飛んできて、思わず足が竦む。
「先に主催者に挨拶するけど、ここからは俺達の仕事だから、黒川は何もしなくていいから」
「……はい」
こ、この中を……行くんですね。
水戸さん、私の心は既に折れてます。
まさかこんな大規模ものだとは想像しておらず、さっきまでの強気な私は意気消沈。
部長と水戸さんは堂々と人波をかき分け、主催者を探す。
時折、知り合いらしい人に声を掛けられては、簡単な挨拶を交わしていた。
その知り合いらしい男性は私に気づくと興味深げに上から下へと視線を這わせ。
私の心臓は不気味な動きをし始める。
どうしよう……。
会場の熱気の所為か息苦しくなってきた。
誰にも悟られないよう、歪みそうな表情を抑えて口角だけあげ、ゆっくり、ゆっくり、呼吸を繰り返す。
「ではまた」と、挨拶を終えると、水戸さんと部長は再び奥に足を進めていく。
もう帰りたい……。
「さっきの広告代理店の人なんだけど、黒川に見惚れてたな」
水戸さんは嬉々として囁いてくるけど、とてもじゃないけど、相手の顔を見る余裕なんてなかった。
後どれだけこれを繰り返すんだろう。