俺と街灯に群がる蛾だけが存在しているような、そんな静かな夜だった。
自転車をしまうと、寝静まる家の中、足音を殺してそっと部屋に入る。
月明かりが入る窓辺。
カーテンを閉めようと近づくと、黒川さんちのリビングルームに電気がついていた。
消し忘れか。
とくに気にもかけず、自室のカーテンを閉めようとした時、向こう側の花柄のカーテンが大きく揺れた。
次の瞬間、カーテンと窓の間に潜るように梨々子が姿を現した。
3歳の子供が起きているには、深夜2時は非常識だろう。
ベビーシッターが居たはずなのに、何してるんだよ。
妙な苛立ちが、俺の中を渦巻き始める。
俺の部屋に明かりが点いているのに気付いた梨々子が、俺を見上げて必死に両手で窓を叩いた。
『そうちゃん!』
そう聞こえた気がした。
な、なんだ?
普段なら無視しただろう。
ただ、どんなに突き放しても、へらへらして俺にくっついてくる梨々子の珍しく鬼気迫った様子に、俺の指先は無意識に窓を開け、何を訴える梨々子に全神経が集中した。
突然、向こうの花柄の長いカーテンが一気に開いた。
瞳に映ったのは、窓に吸い付く梨々子の口を塞ぎ捕らえる見知らぬ女の姿だった。
怒りに満ちたような形相で、とても子供と接する人間がにするものとは思えないほど荒々しく粗略に梨々子を引きずった。
大きな窓の向こう側で行われている様は、まるでミステリードラマやホラー映画のようで。
夢現、茫然としてしまった。
苦痛に表情を歪ませ、俺に伸ばされる小さな手。
その手の先に居る俺を黙認すると、ベビーシッターだと思われる女は梨々子にむかって振り上げてた手を慌てて下した。
さっきまでの悪魔のような所業が嘘のように、同一人物とは思えない上品な笑顔を俺に向けると、梨々子の腕を引っ張ってカーテンを閉めた。
嘘だろう―――。
その瞬間には、既に体が動いていた。
転げ落ちそうな勢いで階段を駆け下り、バタバタ壁にぶつかりながら家を飛び出た。
、
出る直前、父親の声がした気がするけど、どうでもいい。
目の前で繰り広げられる光景は、とても躾とは言い難いもので、頭ん中は大混乱だ。
梨々子の身体にあったあおたんは?
真っ黒な絵は?
精神的に不安定……ストレスって!?
「クッソっ!」
梨々子は口に出来ない心の叫びを訴えていた。
なんでもっと早く、そのサインに気づいてやれなかったんだ!?
渦巻く後悔の念は胸を締め付け、頭に鳴り響く激しい警笛。